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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
歌舞伎座、「團菊祭五月大歌舞伎」昼の部を見た。
GW最後の週末、歌舞伎座の「團菊祭五月大歌舞伎」、昼の部を見物。

最初の演目は「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」。昔の正月歌舞伎興行にはつきものだった曽我物の集大成。上演も多い。

歌舞伎の様々な役を登場させ、様式美に溢れた賑やかで美しい舞台。松也が曽我五郎、尾上右近が十郎という新進気鋭の組み合わせ。しかし松也の五郎を見たのは初めてではないが、荒事の隈取りをすると誰か分からない感じもある。巳之助、新悟、莟玉、魁春らも登場。座長格で工藤左衛門祐経を勤めるのは梅玉。

懸念であった名刀、友斬丸も曽我兄弟の元に戻ってくる。この場では敵討ちは実行できないが、富士の巻狩りの総奉行というお役目が終わったら「討たれてやろう」と、敵役である梅玉の工藤左衛門祐経が、狩場に入る切手(通行手形)を兄弟に自ら渡してやるという目出度い結末。梅玉が工藤を高貴かつ鷹揚に演じて、他の人がやるより何時もの2割増して目出度い感じがするなあ。

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ここで35分の幕間。昼食は花篭で。「花かご御膳」を。最近、銀座も外国人客でごった返しているので、芝居が跳ねてから食事に出ても、土日は店が長蛇の列。歌舞伎座の中で食事済ませるほうが良いよなあ。

次の演目は「若き日の信長」

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そもそも11世團十郎に大佛次郎が当て書きした新歌舞伎。2015年11月の歌舞伎座。海老蔵の信長で見た事がある。今回は十二世市川團十郎十年祭を銘打った演目。

奔放な立ち振る舞いながらも、苦悩する心優しい純真な若者が、血みどろの戦国を智謀で乗り切らんとする勇敢な武者へと成長を遂げるカタルシスが、その時はなかなか印象的だったが、今回の印象は若干散漫。

2015年当時の海老蔵は実父の12世團十郎を2013年に失って家督を受け継いでそんなに経っていなかったから、役柄と当時の境遇が響きあって見えたというのもあるかもしれない。

僧覚円の齊入は台詞が所々入っておらず、袖から助け舟の声が出る。成田屋の長老で75歳だっけ。しかし年の割には元気。見るからにただの旅の僧ではない怪しい感じが出ている。児太郎の弥生は健気で一途に信長を思う心情が良い。右團次は木下藤吉郎で走り回っていたけれどもなぜか印象は薄い。

信長の成長をずっと見守り、最後に行いを改めよと諌言の書状を残して腹を切る育て役、平手中務政秀は今回、梅玉。悪くないのだけれども、前回の左團次は巧まずしてにじみ出る風格が実に良かった。遺言の字を一字一字息子たちに確認しながら、字を間違えれば「動揺していたのだ」と笑われ、死をもってする自分の最後の諫言が軽く思われる、と静かに述べる所は泣かせどころであった。

最後の演目は、「音菊眞秀若武者(おとにきくまことのわかむしゃ)」

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初代尾上眞秀初舞台として、狒々退治の物語を。團菊祭だけあって、松緑、菊之助、團十郎が揃って場を盛り上げる。眞秀は最初女童の恰好で登場、なかなか達者な踊りを見せるが実は男子であり、人々が困っているという狒々退治に行く事に。

眞秀はすらりとしてイケメン。顔は小さくスタイルが良い。これからまだまだ背も伸びるだろう。重心が低く顔が大きいのが良い役者と言われた昔の歌舞伎の常識は世につれて変わって行くのかもしれない。

せりふ回しもハキハキして、堂々とした舞台。少年剣士として狒々退治の立ち回りも見得も決まっている。最後は観客の目をくぎ付けにして花道を颯爽と引っ込む。万来の拍手。10歳にしてここまでやるかと感心した。

菊五郎御大も八幡神の役で台座に収まって舞台に登場。三月の「身替座禅」は松緑に代わってもらった由だが、足腰は大丈夫なのだろうか。



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歌舞伎座、「團菊祭五月大歌舞伎」夜の部を見た。
GW最後の週末、歌舞伎座の「團菊祭五月大歌舞伎」、夜の部を見物。

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最初の演目は「宮島のだんまり」

「だんまり」は劇中で、様々な登場人物が真っ暗闇を手探りで動くという体で動く歌舞伎の手法だが、スローモーションのようにゆったりと動くので役者が見やすい。顔見世の興行などで契約した役者を観客に見てもらうため、舞踊劇として「だんまり」単体で演じられる事もあり、この出し物も。

宮島を舞台に女形の雀右衛門が「傾城浮舟太夫実は盗賊袈裟太郎」として主役を張る。途中で妖術を使って姿を消し、すっぽんから再登場。幕外の引っ込みは傾城六方。

上半身は荒事、下半身は女形の歩き方で揚幕に去っていく。以前、扇雀で見たがそんなに頻繁に上演される演目ではない。雀右衛門も傾城六方は忙しかっただろう。

又五郎、梅枝、歌昇、萬太郎、尾上右近、種之助など出演して、歌舞伎の様式美にのっとった美しい舞台。

25分の幕間の後、「春をよぶ二月堂お水取り」と添えられた舞踊劇「達陀(だったん)」

1200年以上続く、奈良・東大寺二月堂の修二会(お水取り)を二世松緑が舞踊化した演目。菊五郎が何度か演じたが、今回当代の松緑が主役で祖父所縁の演目を歌舞伎座で再演する。修二会、青衣の女人と過去帳、五体投地、東大寺二月堂のお水取りを巡るアイコンが次々に。五体投地や作法など東大寺に教えを請うているのだとか。過去帳読み上げも歌舞伎俳優ではなくて本物の声の録音のようだ。

青衣の女人とは、勤行の一部、過去帳読み上げを昔の僧、集慶が行って居た際、青い衣をまとった女人の幻影が現れ「なぜ私の名前を読み飛ばしたか」と問い詰めたという故事から来ている。読み上げの際「青衣の女人(しょうえのにょにん)」と呟くとその幻影は消え去ったのだと。

この狂言はここに、僧籍となる前の主人公、若き集慶と青い衣の女性との恋を挿入した。仏門に入る前にたった一人情を交わした女性の幻影が、極限の行法を行う際に現れる。二世松緑は、どちらも自分で演じたらしいが、やはり昔の回想は若者が演じたほうがよい。

若き日の集慶は松緑息子の左近。過去から現れた「青衣の女人」を演じる梅枝が儚くも美しい。左近は親父が元気なうちに沢山の経験を積ませて貰わねば。

クライマックスの総踊りには、左近、市蔵、松江、歌昇、萬太郎、巳之助、新悟、尾上右近、廣太郎、種之助、児太郎、鷹之資、莟玉、坂東亀蔵以下名題下も入れて40名の群舞。松緑は総監督として個々の身長や体格も考えて全体が対照のピラミッド型になるよう人の配置にまで気を配ったという。これも凄い。

研ぎ澄まされた準備もあって、大勢の練行僧による群舞は舞台を埋め尽くす迫力ある怒涛の修法として成立している。全員の動きがピタリと揃い、大きく強く高く深く、そしてここではないどこか遠くへと、祈りは炎と同時にうねりを生じて舞い上がって行くかのよう。正に言葉を無くす圧巻の出来。当代松緑の代表作となり、息子左近にも伝えられて行くだろう。

35分の幕間は、花篭でローストビーフ丼など食する。歌舞伎座で幕間に食事する以前が戻ってきて喜ばしい限り。狭い座席で弁当使うよりよいなあ。

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最後の演目は、「梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)」。いわゆる「髪結新三」。菊之助が新三を演じる。

菊之助は女形もよいが、色悪、二枚目の悪党もなかなか似合う。永代橋の袂で急に悪漢の本性を現して手代忠七を足蹴にする所などは、怜悧な悪への転換に背筋がひやりとする出来。

幕開きの前に口上がある。人物相関図をスクリーンに映して解説するのだが、FFX歌舞伎から歌舞伎座に流れてきたファン向けだろうか。しかし「髪結新三」は通しでやるなら別だが現行の上演される部分は極めて簡単な物語だから、必要性はちょっと疑問。

音羽屋があちこちで総出の團菊祭ではあるのだが、他の演目に人を取られたか、髪結新三の菊之助は良いとして、弥太五郎源七に彦三郎は初役。売り出し中の新三にやり込められる老いが見えた親分にしては若いし、手代忠七の萬太郎、下剃勝奴の菊次も初役。ちょっと小粒でこなれてない感じはある。児太郎は、何度かお熊を演じているが、後半はあまりしどころのない役だからなあ。

家主長兵衛は脇が主役を食うこともある典型的な役で、過去の役者による名演も伝えられているが、今回の権十郎はこれまた初役。しかしなかなか好演したのでは。全般に物語が良くできてこなれているので、とてつもない名演の舞台になるという演目でもないが、逆にそんなに不出来になる事もないと言うか。

焔魔堂前の橋で、再会した新三と弥太五郎源七、命のやり取りで切り結んだ後、舞台が明るくなり、新三と弥太五郎源七が観客に向き直って「本日はこれぎり」と「切口上」の終わり。

本当はこの場面で新三は切られて死ぬのだが、なかなか観客に人気のある小悪党だったので、死ぬ場面まで見せる必要ないという事でこの場面になっていると、以前のイヤホンガイドで聞いた。これまた歌舞伎独特の演出。

「新橋鶴八」訪問。
久しぶりに「新橋鶴八」。2日ほど前にSMSで連絡したら、この日が空いているという事で予約。金曜日だったが、この日から会社はお休み。早い時間に入店。

お酒は福井の「白龍」。癖のない爽やかな口当たり。特に何も頼んでないが適当につまみが切られてくる。白身はもうカレイ。ネットリしたヒラメのちょっと重たい冬の脂から、軽やかな乾いた感じの旨味のカレイに変わると、いつも季節の変わりを感じる。

カツオは生姜醤油で食する。分厚い身を切りつける。皮目を炙った背は身肉に脂より旨味あり爽やかな香り。最近はカツオが年中あるから何時が初鰹なのか迷うけれども、今は三重や和歌山で上がっているとの事。今頃から梅雨時が初鰹の始まりだろうか。

そういえば五月の歌舞伎座では「髪結新三」がかかるんだっけ。初夏の江戸の風情を残す世話物。カツオの腹身のほうはよく脂が乗っている。実に濃厚な味で量も多い。カツオだけで腹にもたれる気がするなあ(笑)

お酒はお代わりして「高雄の天狗」。スッキリした淡麗な味。出汁で煮含めたタコもつまみで。平貝は軽く炙って海苔で挟んで磯辺焼きにして食する。シャコもつまみで。イカと鯛の酒盗でつまみ終了。

トリ貝は種札になかったので最近どうか問うと、シーズン初期に一度肉厚な養殖が出たのだが、その後はさっぱり良いものが無いのだと。貝類は養殖とはいえ魚とは違い餌を撒くわけではないので、味にそれほど変わりないのではと思うけれども、季節によって撮れ高がやはり違うんだなあ。

種札を見るとアナゴも置いていない。いつも入れる対馬の穴子の身が太っておらずよくないとのこと。コハダも置いてはあるが、もう産卵して味が抜けつつある。そういえば、玉子もないな。お好みで注文する客が玉子までたどり着かないので、ロスが多く結局焼かなくなった由。

鶴八系の小柱入れた玉子焼きは、「與兵衛」の親方も師岡親方に教えてもらった鶴八伝来の仕事。伝承が途絶えては困ったことだけれども。

もっとも私も出てくれば食べるが自分で頼む時に玉子焼きは頼まないな。おまかせの時に出せばよいと思うが、「しみづ」でも玉子焼きは薄焼きにしてしまったっけ。

せっかく18年も「鶴八」にいて身につけた伝統を伝える為に弟子は取らないのかと聞くと、募集はしない、教えて下さいと乞うて来る人間、教わらなくても自分で見て覚えて技を盗むような人間でなければ教えられないのだと。握りの修行でも店の魚は使えない。自分で魚を買って来て卸して勉強するくらいでないとダメなんですと五十嵐親方。

しかしその育成方法は、人が余って幾らでも供給され、店側もどんどん商売が拡大した高度成長の頃に、目端が効いて要領の良い奴を効率的に選別してダメなのを早期に追い出すには良かったのだろうけれども、人不足のこのご時世では人材を育成する方針でやらないといけないのでは。しばらくそんな談義を。

日本酒の後で芋焼酎の水割りを飲んで居たのだが、この辺りで握りに。これまた注文無しで出てくる。

タイは昆布〆。まだ身の旨味に軽く昆布の香りが乗った浅い〆だが、米の旨味をふっくらと残したこの店の酢飯によく合って旨い。アジも肉厚で爽やかな脂が乗っている。塩は当てるが酢は軽くくぐらせるだけとのこと。

中トロはぶ厚い切りつけで握りも大きい。赤貝も1貫。たまに食すと赤貝も旨い。マグロづけも。ここのづけは独特の旨味あり。開店当初に比べるとマグロも良いものが入っているように思う。商売と仕入れの循環なんだなあ。

小柱は軍艦で。大星と呼べる大きなもの。小柱と海苔はやはり合う。最後は煮物でハマグリを1貫。これも鶴八伝来の漬け込みの仕事。ツメも旨かった。

最近は酒量も減っているのだが、寿司もそんなに沢山食さずとも満足するようになってきた。特にポーションが大きいこの店に来るとそう思う。握りの大きいこの店で20や30食べるのは大変だ。

店は今週末土日は魚河岸が休みなので休業。4日、5日も市場に合わせてお休みだが、GWの長い休みは取らず、市場が開いている日は原則営業しているとのこと。勘定をして帰り際、親方は食べたもののメモをくれて、「blog早く更新してくださいね」と。うるさいなあ(笑) しかし取り敢えず更新した。

銀座「鮨 み富」訪問。
先週水曜日に久々の「銀座 み富」。

手を洗い手指消毒してカウンタに座るといつも通り春酒の一升瓶を並べて見せてくれる。「不動」の生酒は確か前に飲んだなということで、龍勢の生酒を選択。ふくよかなうまみあり。

お通しは蛍イカ。浜で茹でてあるものもあるのだが、スチームしてある物が出てきてから使うのだとか。目玉と嘴、骨を取ってから供するので手間が結構大変。

「銀座 新富寿し」でも置いていたのか聞いてみると、置いていたのだが、ガラスケースには出さないしお任せにもお通しとして出さない。勧める事もないので知っている客だけが頼んだり、何かお通しがあるか聞かれるまで全然出ないので「大体あがっちゃうんですよね」とのこと。この商売っ気の無さが、いかにもだなあと懐かしい気がする「新富寿し」あるある。

つまみをお好みで切ってもらう。タイはかなり肉厚のもの。湯引きした皮目が旨い。シマアジも刺身で。貝ではトリ貝。今年のトリ貝は2月頃に実に肉厚の良いものが出て今シーズンは好調かと思われたが、その後が低調だとのこと。何年か前にも同じようなことがあったっけ。貝類は難しい。ミル貝もつまみで。紐は炙って酢橘を添えて別皿でつまみに。これが甘味あって旨い。煮物ではアワビがあるというので切ってもらう。肝もつまみで。

三橋親方に昨今の景気を聞くと、早い時間のお客さんが多いとの事。外国人客もコロナ前に復した感じで増え、ホテルのコンシェルジェからも予約があるし、フラッと2階に直接上がってくる飛び込みの客もいるのだという。サーモン頼む客がいるのか、ツナを20個とか頼む客がいるとか、あれこれ。円安もあるから彼らに取っては安い食事になったという感じなのだろうか。火曜日定休はまだしばらく続く模様。

この辺りで握りに。白身は昆布〆を。ホシガレイにタイ。活かった白身も好きだが昆布〆も良い。光り物では稚鮎があるというのでまずそれを。2枚付の握りはコハダ新子のよう。香りもよい。酢に浸かった頭も。カスゴはこの店では通年置いてあるハナダイの子供。カスゴは白身を酢で〆た旨さが良い。

いつもは頼まないのだが車エビを。「新富寿し」でも常に活かった海老を仕入れており、注文の都度茹であげて供していたのだが、店には種札はないしお勧めもしないので、知っているごく一部の客しか頼まなかったという「新富寿しにいつもあった幻の種」。「み富」では「おまかせ」に必ず入れるようにしているのだという。築地の「つかさ」でもいつも茹でたてが供されて旨かったなあと思い出した。

アナゴも握りで。ツメが濃厚。〆にはここの名物カンピョウ巻。古式を残す甘辛の江戸の味。ここまで干瓢が多くて味も濃い巻物は他に見ない。でもここの酢飯で食するとこれが旨いんだなあ。

ホロ酔い加減で銀座からタクシー帰宅。

歌舞伎座「三月大歌舞伎」を観た。
三月の歌舞伎座、「三月大歌舞伎」は、大相撲春場所観戦の合間を縫ってどの部も観たのだが、Blogには感想を書き忘れていた。備忘の為にまとめて記録を。

第一部は、宇野信夫 作・演出の新歌舞伎、「花の御所始末(はなのごしょしまつ)」。現白鸚の幸四郎時代に、宇野信夫が「リチャード三世」に着想を得て書き上げたというピカレスク・ロマン。歌舞伎座での前の上演は昭和58年というから40年前だ。

幸四郎が奸計を持って将軍の座を手に入れる悪人、足利義教を演じる。高麗屋は「国崩し」の悪役もお家芸ではある。暴君義教は何しろやたらに呆気なく人を殺し、小姓の坊主、珍才、重才を呼んで後始末をさせるのだが、これが実に不気味。

親兄弟を手にかけ将軍に上り詰める悪事の手助けをするのが、芝翫演じる畠山満家。しかし、義教が野望を達成し、将軍となって栄華を欲しいままにするようになると、昔の秘密を知る彼は疎んじられるようになる。

明国使者謁見の後、年老いて病を得た満家は義教に、「数々の悪事を一緒に働いてきた私を何故遠ざけるのですか?」と迫る。父殺しの秘密も満家は知っている。いや、もっと言うなら、満家こそが義教の実父である事を義教が認識している事も。

言葉にしてはならぬ恐ろしい事情を隠しながらも二人が罵り合う台詞劇は圧巻の出来。悪党の末路の哀れさを演じた芝翫が良い。そして満家をも殺した義教は、次第に狂気に陥って行く。最後まで飽きずに見れた一幕。

第二部はまず、「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」十段目「天川屋義平内の場」。

「仮名手本忠臣蔵」は人気の演目だが、この段は滅多に出ない。筋書き巻末の上演記録では歌舞伎座で出たのは2回だけ。珍しい演目。3月の歌舞伎座は珍しい演目が多いな(笑)

討ち入りの為の道具一式の手配を任された町人の天川屋義平が、赤穂浪士に肩入れして、情報が洩れぬよう女房を離縁してまで力になるというお話だが、あまり上演がないのは、主人公が武士ではなく派手さがないのが原因か。

幸四郎の大星由良之助に秘密を守る腹があるかを試されて、命を懸ける覚悟で「天川屋義平は男でござる」の有名な台詞になる。討ち入りで格好いいの赤穂浪士だけではなく、町人にも負けず劣らず格好いい男がいたというエピソード。天川屋義平は芝翫。腹の座った町人の男気を見せて実に恰好良い。最近芝翫は当たりが多い気がする。

第二部次の演目は、新古演劇十種の内 「身替座禅(みがわりざぜん)」

そもそも菊五郎の山蔭右京で上演予定だったが、腰の故障とかで事前に松緑に配役変更。松緑も太郎冠者を演じた事はあるが、山蔭右京は初役とのこと。奥方玉の井は鴈治郎。福々しくて上品な柔らかみがある。単にやきもち焼きで悋気が強いだけではない女房を好演。松緑も初役ながら役のフォーマットは決まっているので、滑稽な主人公を達者に演じる。いつもながら肩の凝らない軽妙一幕。

5時45分から始まる第三部は「玉三郎ナイト」。

まず最初は「髑髏尼(どくろに)」。六世歌右衛門が昭和37年に歌舞伎座で上演して以来の出し物。その時の台本ではなく更に原作に遡って玉三郎が演出。

源平の戦いの後、平家追討を図る源氏の武士に殺された愛息の髑髏を常に傍に置いて手放さない髑髏尼を玉三郎が演じる。

醜い鐘撞男が美しい尼さんに恋するというのは、「ノートルダムの鐘」を下敷きにしている、後半は愛之助扮する平重衡の亡霊が出現する幻想的な場面と、鐘撞男の恋が交錯し物語は叶わぬ恋が生む悲劇へと収斂していく。

鐘楼守七兵衛 福之助は大抜擢だが、横綱にぶつかっていく幕下力士の如し。あれが精一杯だったろう。もっとも全力は出せたのでは。

第三部の切は、夕霧 伊左衛門 「廓文章(くるわぶんしょう) 吉田屋」

上方の雰囲気が漂う華やかな演目。正月の揚屋「吉田屋」の賑やかな風情から始まる。紙子を着て出てくる藤屋の若旦那伊左衛門は愛之助。成駒家の型ではなく松嶋屋型で演じる。

鴈治郎で見た時は、イジイジネチネチをたっぷりコッテリやってこれが上方和事なのかねとある意味感心したが、愛之助の上方若旦那役はどこかサラリとしている。今回の鴈治郎は吉田屋主人喜左衛門。人情も度量もある大店の主人役がはまっている。

玉三郎の夕霧は艶やかで美しい。背を向けて見せる打掛も豪華絢爛たるもの。しかし伊左衛門に病で臥せっていた事を伝える姿にはどこか夢幻の儚さを感じさせるのだった。

そして最後はなぜか突然、勘当が解け、夕霧の身受け金が運び込まれるというハッピーエンド。めでたしめでたしで幕。夜の部で悲しい結末はやだね。世の中には既に幾らでも悲しい出来事が転がっているのだから。そう、楽しいのがよいね。

本年最初の「新ばし しみづ」訪問。
先週木曜日は当日の朝に電話して「新ばし しみづ」。何時もは正月に来るのだが、今年は2月に入ってからになってしまった。

入店するとカウンタはもう賑やか。清水親方に年末の予約キャンセルは申し訳なかったねというと、「しみづ」でも新年に入ってから従業員にコロナ感染があって大変だったとの事。やはり去年の年末辺りは感染者が多かったからなあ。清水親方は比較的初期に感染したのだが、今回は無事だったとの事。2か月おきにクリニックで抗体検査をしているのだが、もう既に中和抗体の数値は低くなっており、運がよかっただけではとのこと。

お酒は常温を所望して始めてもらう。お通しはワカメに煎り酒。煎り酒は白身に使っても旨いとの事でヒラメとスミイカにも試してみた。醤油に比して塩気が少なく素材の味が良く分かる気がする。タコは塩で、

サヨリは細切りにして生姜醤油で。生牡蠣は塩で締めてある。

満席なのにお客が入って来たと思ったら、同じ通りに出来た焼き鳥「烏森しみず」の客だったという。今でも時折入ってくるらしい。

タイラギ炙りは軽く煮切りをつけて。小さな器で供されたのはノレソレの温製酢の物。初めて食する。「酢が効いて温かいので咳き込まないようにしてください」と。辛味もあって酸辣湯にノレソレが入っているような。珍しいな。

ナマコもつまみで。これもここで食するのは久々な気が。漬け込みのハマグリ、ツメをつけた子持ちヤリイカ。

あん肝は実にネットリした旨味あり。いつも正月に出している赤酒煮かな。一味を振った北寄貝紐の串焼きでつまみ終了。この日は随分つまみ系の料理が豊富だった。

お茶を貰って握りに。まず中トロ2。しっとりした肉質。噛むまでもなく口中で身肉が解け崩れるような熟成度合い。旨味が素晴らしい。しっかりした味付けの酢飯によく合う。コハダはギリギリまで水分を飛ばした強めの締めよりも、若干鶴八のネットリ具合を思わせる締め。これもまた結構。アナゴは塩で1、ツメで1。これも良い。最後はカンピョウ巻を半分。カンピョウの味付けは酢飯合わせて鶴八よりもちょっと濃いめか。しかし〆にはこれがまた旨い。

最後にいちごが出て終了。お年賀の手ぬぐいを貰って帰宅。

歌舞伎座、二月大歌舞伎「船弁慶」を見た
2月の歌舞伎座は一月大相撲初場所にかまけてチケットを取り忘れていたのだが、2月になってチケット松竹を覗いてみると結構席が空いている。先週土曜日に歌舞伎座第二部。

最初の演目は短い所作事、「女車引(おんなくるまびき)」。江戸荒事の演目を女形が演じるのは「女暫」と同じ趣向。そもそもは吉原の「仁輪加」で花魁達によって演じられた余興が歌舞伎に取り入れられたものというイヤホンガイドの説明を聞いて、あれ?前にも見た事があるなと気がついた。筋書きを見ると令和元年6月に、今回と同じ魁春、雀右衛門、そして今回の七之助に変わって児太郎の公演だったようだ。

「菅原伝授手習鑑 車引」の松王丸、梅王丸、桜丸のそれぞれ女房達が集まって踊る趣向の舞踊劇。本家のほうは運命に導かれた兄弟の対立が描かれるが、こちらのほうは明るく陽気な雰囲気、最後は美しい総踊りとなる。

25分の幕間。次の演目が第二部の主眼。

五世中村富十郎十三回忌追善狂言。河竹黙阿弥 作「船弁慶(ふなべんけい)」

中村富十郎が得意とした演目を、追善公演として長男、鷹之資が主演で演じる。鷹之資は富十郎69歳の時の子供。ほとんど孫のような年齢差。81歳で富十郎が亡くなった時の鷹之資はまだ11歳。20歳になったら富十郎を襲名させると稽古させていたらしいが、富十郎もさぞや心を残してこの世を去っただろう。しかし23歳になった息子は、歌舞伎座で追善の主演を張るようになったのだ。歌舞伎座に飾られているのは、五世冨十両の顔写真。

いわゆる松羽目物。能掛かりの舞台。頼朝と不和になり西国に落ち延びようとする義経一行。付き従っていた静御前は、都に戻るように言われ別れのl酒宴で涙ながらに最期の舞踊を。そして大物浦から出帆した義経一行の船には、壇ノ浦で討ち死にした平知盛率いる海に沈んだ平家の亡霊達が襲いかかる。

鷹之資が静御前と平知盛の霊を二役で演じる。源義経を扇雀、武蔵坊弁慶を又五郎。

義経との別れに舞う前シテの静御前は、能面の如く無表情で舞うのだが、一挙手一投足を疎かにしない、正確で静謐な舞いからは、透き通った悲しみが浮かんでくるかのよう。富十郎はお能に寄せて舞ったのだというが鷹之資も同様。最後に烏帽子がポトリと落ちるのも印象的。勿論、親父の域に達するにはまだまだ修行が必要なのだろうが、舞に見入って時間を忘れた。

静御前が去った後、能で言う間狂言となり、舟長三保太夫の松緑が登場。舟子を従えて船出を祝う船唄舞踊を賑やかに踊る。

船出の後は知盛の亡霊が出現。隈取りはまさに写真で見る昔の富十郎そのもの。怪しくも力強く大きな所作。怪異な迫力が存分に表れている。しかし亡霊は、弁慶の唱える経文の法力によって退散することになる。

知盛の亡霊最後は、幕外の引っ込み、花道を去る最後で回転し、まさに荒れ狂った海原を遠くに消えていく亡霊の如し。ロビーの五世中村富十郎は息子の好演に「よくやったな」と相好を崩しているかのよう。富十郎を覚えているお客さんも多いのか、鷹之資の立派な姿に、客席の拍手は長く鳴りやまなかった。勿論本人が筋書きで答えて居るように、これから一生かけて更に磨いていくべき演目。人間国宝の親父はとうに亡く、後ろ盾になっていた播磨屋も鬼籍に入った。しかし全ては本人の頑張り次第でもある。今後の役者人生に幸多かれと祈る。

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今年初の西大島「與兵衛」訪問。
先週の土曜日は、西大島「與兵衛」。今年初めての訪問。大島銀座をブラブラ歩いて行ったのだが、店の建物が改装中になっており、全面に足場が組まれており「十四代」の看板が見えなかったので、前を通り過ぎてしまい、先まで行っておかしいなと戻って来たのだった。

入店して「本年もよろしく」とご挨拶。ほどなくカウンタは満席に。建物はオーナーが変わって補強工事をしているとの事。本日は1人客多く席間のパーティション無しとの事。

まずは本日の大吟醸を一杯。名前はちょっと忘れてしまったが軽く発泡している爽やかな酒。

まず供されるのは牡蠣のスープ。肉厚の牡蠣に実に濃厚な味わいの出汁。身体が温まる。

最初はお通しの一皿。海老頭のヅケ、ホタテ煮浸し、白子、マグロヅケ、北寄貝紐のヅケ。お酒は十四代の新酒、そして醸し人九平次に。

親方の駄洒落も快調。女将さんともあれこれ雑談して面白かった。

お通しが終わったらおまかせの握りがスタート。中トロヅケ、赤身ヅケ。この中トロヅケが実に美味かった。ヒラメは、甘酢ヅケと胡麻醤油ヅケ。何時もの仕事種だがヒラメの質によるのか甘酢ヅケはヒラメの滋味に溢れて実に旨い。

イカも軽く醤油につけてから握る。シマアジはこの店の看板。ヅケにした身の皮目を炙り、薄く切りつけて3枚をつける。これまた何時もながらの旨さ。海老は甘酢に潜らせておぼろをかませる。

北寄貝も甘酢に潜らせてこの店独特の仕事。青柳も。ここから光り物に。サヨリ、コハダ、イワシ。サヨリは季節柄か最盛期よりも少し小型かな。コハダはネットリした旨さ。イワシはビッシリと脂が乗っている。

煮物はまずハマグリ。ツメがよく合う。そして白い爽煮のようなアナゴ。ふっくらとした旨味。最後は玉子を貰って〆。與兵衛ならではの仕事を堪能した。ほろ酔いで、のんびりと帰路へ。


今年初の神保町「鶴八」訪問。
今週火曜日は、一月中には一度行っておかねばと、神保町「鶴八」。当日電話すると「鶴橋最後の弟子」君が出て「本年もよろしくお願いします」と。

早い時間に入店すると、他に常連と思しいお客さんが1名だけ。お酒は八海山の生酒。度数が若干高いとか。

遅くなったが「本年もよろしくお願いします」とご挨拶。年末にコロナ感染した旨を告げると、なんでも「しみづ」も親方は大丈夫だったが、年末新年にかけて従業員に感染が出て結構ドタバタしたらしい。なにしろマスクしないからなあ、と石丸親方。

お通しはハマグリの貝柱づけ。お酒を飲みつつつまみを切ってもらう。

ヒラメは分厚い身。旨味あり。塩蒸しも歯ごたえと香りよし。ブリは腹の身だが脂はあっさりしている。漬け込みのハマグリもつまみで。

お客は私を入れて2名だけなので、親方ものんびり。女将さんも入れてあれこれ雑談。なにを思ったか女将さんによると、初見の客でも愛想よく話が面白くて、こんな人が常連になればいいなあと思う客に限ってもう来ないのだとか。なんだか申し訳ないような複雑な心境で酒を飲むのだった(笑) まあ、どんな人生の場面でも、最初からやたら愛想よい奴は信用できないと思うけれども(笑)

韓国で盛んな整形の話、ジャニーズや岡田准一の大河信長、田宮二郎の「白い巨塔」などあまり脈絡の無い話で盛り上がった。

お茶を貰って握りは、いつもの通り。中トロ2はいつも通り切りつけが大きい。コハダ2。いつも通り肉厚でネットリした旨味。アナゴ2。軽く炙って供するがトロトロの旨味。ハマグリ出汁のお椀も冬にはしみじみ旨し。最後はカンピョウ巻で〆。どれも何時食しても間違いのない鶴八伝来の味。

店の賃貸契約も、更新料なしで再び5年の更改をしたのだとか。ニュー新橋ビルから、自分が教えを受けた大師匠が残した神保町の店に移って5年。そして神保町「鶴八」の新たな5年が始まった。

本年最初の銀座「み冨」訪問。
今年になって行ってなかったなということで、先週の日曜日に銀座「鮨 み富」訪問。

早い夕方に入店すると、カウンタはまだ他にお客なし。手を洗って消毒している間に、三橋親方はいつも通りお勧めの一升瓶を並べている。6~7本あったのだが、新酒「不動」生酒を選択。口当たり爽やか。しかし度数はちょっと高いか。寒い日だったのでお茶も一緒に頼んでチェイサーに飲みながら。

お通しでナマコ酢を。子供の頃はナマコなんて嫌いだったが、大人になって酒を飲むようになってみると実におつな味がする。ただご飯とは合わないかなあ。

新年からの景気の話など親方と雑談。「SNSで見ましたけどコロナに罹ったんですって」と聞かれたので、年末のコロナ感染の顛末を。ワクチン5回打っていたせいか症状は軽く、目立った後遺症も無くてよかった。

以前、ここで働いていた元警官の弟子は、やはりコロナ感染したのだが、脱毛の後遺症が出て、髪の毛は結構抜けるし、脇の下の毛が無くなってしまったのだとか。それは気のせいとはいえない尋常ではない後遺症だなあ。そんな事があるとは。

このところ西日本と日本海側に寒波が襲来し、交通が麻痺して仕入れが大変だったとか。飛行機が飛ばないと九州からの仕入れがストップするからなあ。

お好みでつまみを注文。まずタイ。なかなか肉厚の身。湯霜にした皮目に旨さあり。ブリも切ってもらう。

小柱は細く切った海苔を散らして。サヨリは細切り。香りよし。皮は串に巻いて焼いて供する。北寄貝。湯を潜らせて甘酢につけてある。紐と柱は付け焼きで供される。

この辺りで握って貰う。タイ昆布締め、中トロ、カスゴ、コハダ。

寿司仕事も伝統ある江戸前寿司の技法を受け継ぐ。仕入れ先は種によってはちょっと変えて、光り物などは新富の頃よりもグレードが高いものを使っているのだと。

酢飯は硬めに炊かれてあるが塩も酢はさほど強くない。砂糖は使わないのが流儀。握りが甘く感じるのは、米の甘味と種のほうに甘酢を使っているから。

懐かしい「銀座新富寿司あるある」を三橋親方と語るといつも面白い。休憩を取らずに通し営業。予約なしでも何時でも入れた便利な店。海老はいつも生きたものを入れており注文の都度茹で上げていたのだが、ごく少数の知っている客しか注文しない。社長は商売っ気のない人で、自分から何もお勧めしたりする事はなかった由。そうだったなあ。

客への対応は「み富」では改善されていて、お勧めがあれば教えてくれるし、握りには煮切りを塗ってくれる。もっとも「新富」でも頼めば塗ってくれたらしいけれど。

アナゴは古式なツメに旨味あり。最後は名物のカンピョウ巻で〆。