97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
松山旅行写真日記⑥ 松山まつり
松山二日目の夜。食事を終えて大街道アーケードに戻ると実に騒がしい。大音量のパレートが行われている。「松山まつり」なのであった。

数々の連が出て練り歩く。ただ、伴奏は全て大音量の野球拳の歌。「アウト!セーフ!よよいのよい!と全ての連が大騒ぎ。

そういえば、松山空港からホテルまで乗ったタクシーではナビのTVに高校野球が。「高校野球やってますね」というと「済美は一回戦勝ちよりました」と愛媛代表の戦績を教えてくれた。帰りのタクシーの運転手は(聞いてないけど)「ここ済美高校」と指差して県代表の学校を教えてくれる。やはり野球県なんだなあ。

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滞在三日目の夜も「松山まつり」は続く。数々の連が野球拳踊りを披露。昨日は地場企業の連が中心だったのだが、本日はもっと小さな団体多し。中には結構なお年寄りばかりの連もあり、夕方とはいえまだカンカン照りの道もあるのに、倒れないかと余計な心配が(笑) まあ元気者しか参加しないのであろうけど。

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確たる計画も無しに宿だけ取って松山入りしたが、道後温泉、松山城、坂の上の雲ミュージアム、伊丹十三記念館とあちこち回って実に面白かった。温泉も入って、路面電車であちこち移動するのも一興。今度来る時は、道後温泉に宿を取るか。鍋焼きうどんも鯛も食したし、よい旅であった。




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松山旅行写真日記⑤ 伊丹十三記念館
松山二日目の昼に「伊丹十三記念館」を訪問。路線バスの駅は近くにあるようだが、ホテルの前でタクシーに乗る。行く観光客も多いと見えて場所を告げると運転手はすぐに走り出す。15分くらいで到着。運転手は、「この辺りはあまりタクシーは流してませんから、お帰りの際は、あそこにバスの停留所がありますから」と指差して親切に教えてくれる。松山は明るく親切な人が多いな。

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明るい風景の中、低層の落ち着いた建物。中に入ると受付の女性から丁寧な挨拶があり、常設展は撮影可能であること、特別展は写真はお断り願っていることなどを説明してくれる。館内は実に静かな雰囲気。

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自動ドアが開くと、まず伊丹十三の写真がお出迎え。まるで伊丹十三の住居に招かれているよう。この写真は「伊丹十三の本」の表紙写真にもなっていたっけ。

常設展は、幼少期の記録から、デザイナー、イラストレーター、俳優、映画監督、エッセイストと綺羅びやかな才能で様々な世界で活躍をした伊丹十三の職業人としての軌跡と、音楽愛好家、乗り物マニア、料理通、猫好きなどの趣味人としての多様さを、芸名にちなんで「13」のエリアに分けて展示するもの。

「ヨーロッパ退屈日記」「女たちよ!」に出て来たイラストやエピソードを思い出す数々の展示は、とても懐かしい場所に帰って来たかのような気分。

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小学生の頃のまるで図鑑のような精密画を描いた観察日記。

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この松山での高校時代の写真は上記の「伊丹十三の本」にも出て来たが、後ろから2列め、右から2番めの伊丹は、全員が詰め襟なのに一人だけ黒いシャツを着ているのがいかにもな印象。

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パスタについて、「アル・デンテ」と言う言葉を最初に日本に紹介したのが伊丹十三かどうかについては確証は無いけれども、私が初めてその言葉と概念を知ったのは、伊丹十三の著作。早くから外国暮らしに慣れ、何事にも本格を愛好する人だった。

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この蟹の殻割り器のイラストもエッセイに出て来た。

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写真ではあまり良く分からないが、愛用の包丁には、極めて丹念に研ぎ込んだ跡が分かり、それがいかにも伊丹十三なのだった。

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どんな疑問が生じても、答えは必ずこの本の中に見いだせた、とエッセイに書かれた愛用のバイオリン教則本。

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文字のデザインを見ても、ああ伊丹十三だとはっきりと分かる個性。

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残された挿絵を見ると本文まではっきりと思い出す。「目玉焼きの正しい食べ方」については私もまだ結論は出ていない。超一流の寿司屋でおむすびを作ってもらう「金のかかる話」については、私も随分寿司屋には金を使ったので、お願いすればできないでもないのではと思うが、さすがにちょっとなあ(笑)

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展示室を出ると明るい光に満ちた美しくも静謐な中庭。そして明るい光の差し込む美しいカフェ。足を踏み入れると係員が、「どうぞ壁面にもイラストの展示がございますよ」と声を掛けてくれる。店の名前は「タンポポ」、イラストも映画「タンポポ」の出演者を描いたもの。

シャンパンを所望すると、店員が「オレンジジュースをお持ちしてミモザにもできますが?」と親切に聞いてくれる。これまた伊丹十三風味だなあ。 この飲み物の名前を知ったのは「ヨーロッパ退屈日記」だっけ。シャンパンにはビターなチョコが添えられている。チーズケーキも一緒に。展示品の余韻にふけって静かな時間を過ごした。

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建物を出ると近くには、一六タルトの建物が。

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車庫には伊丹十三が最後まで乗っていた愛車ベントレー。伊丹十三と親交があり、伊丹プロ社長も兼ねていた一六タルト社長の玉木泰は、伊丹十三が自死したとの知らせを聞いて松山から東京に駆けつけ、現場からこのベントレーを引き取り、泣きながら運転してもう主の居ない伊丹十三の自宅まで届けたのだと「伊丹十三の映画」に書かれている。実に痛ましい話である。

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大街道方面に戻るために近くのバス停に。ここにも一六タルトの店舗あり。

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記念館では、「新しい理髪師」の缶バッジと、「二日酔いの虫」、「スパゲティの正しい食べ方」のTシャツ購入。実によい場所であった。また来よう。

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そしてお土産に一六タルト。

帰京してから、DVDボックスを引っ張り出して、「タンポポ」「マルサの女」「あげまん」と伊丹作品をずっと観ている。メイキングも。実に端正に良くできている。本棚にあった著作もあれこれ引っ張り出して、懐かしく拾い読み。

「ヨーロッパ退屈日記」の後書きで山口瞳は、「私は彼と一緒にいると「男性的で繊細でまともな人間がこの世に生きられるか」という痛ましい実験を見る気がする」と書いている。生涯を自ら終えた結末を考えると実に複雑な印象。その山口瞳もとうにこの世にない。



松山旅行写真日記④ 食べた物あれこれ
初日の夜は、どの辺りが盛り場か分からず大街道をブラブラ。大体において、大きな商店街から1本外れたところに飲食店が集まっていたりするものだが。松山名物でもと思ったが、外から見ると空いていたので、ついフラフラと炭火焼肉の店に。カルビとハラミ、炙りユッケとワカメスープなど。

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別に松山とは関係ないけれども、なかなか美味かった。

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二日目はガイドブックを事前にきちんと調べて、朝昼兼用で「ことり」の鍋焼きうどん。松山のソウルフードだとか。ベコベコのアルマイトの鍋がレトロ。味もレトロに美味い。七味は辛味がピリッと効いて良いアクセント。そもそもメニューはうどんと稲荷寿司しかないので、席につくと、「うどんですね」と聞かれてすぐに出て来る。妙に懐かしい味がする。

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二日目夜は、松山の鯛でも食するかと、大街道交差点角の「かどや」。随分と歴史ある飯屋だったらしいが。若い女性の店員はこれまたキビキビと明るく働いており感じがよい。

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まず松山地酒の飲み比べセット。

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まずは鯛の刺身を。分厚く切りつけられた身はまだ活かっており、上品な脂と旨味が感じられてなかなか旨い。

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他にもお勧めという黄身の白い卵で作った玉子焼き。旨いのだけれども、やはり卵は黄色いものという先入観があって、色が白だとちょっと食欲に触る感じがするなあ。鯛めしも頼もうかと思ったが、鯛の刺身は食べてしまったのでスキップすることに。

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三日目のお昼は、午前中あちこち回っていた為にずいぶんと中途半端な時間に。ホテルに一旦戻ってホテル内の中華でランチ。なかなか立派な内装の店。海鮮の炒飯があったのでそれを所望すると、ウエイトレスは「焼き飯ですね」と確認する。出て来た物を見ると、確かに中華の炒飯というよりも焼き飯だなあ(笑) 美味かったけれども量が多くて参った。

思い出してみると、大してメシ食ってないね。再訪時は、鯛めしと松山鮓を食さねば。


松山旅行写真日記③ 坂の上の雲ミュージアム
大街道のホテルから徒歩で数分。せっかくなので訪問してみることに。ただ、「坂の上の雲」は原作も読んでいないし、ドラマも見たことがないのだよなあ。

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敷地内には重要文化財の洋館、萬翠荘も現存。文明開化、明治維新の頃の息吹がまだそこここに。

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名物の空中階段。安藤忠雄の設計で外観も独特。

このミュージアムも係員は親切で愛想が良い。原作を知っていたらあれこれの展示ももっと楽しめたかもしれないが。

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しかし静謐で落ち着いた良い場所であった。


松山旅行写真日記② 松山城
お城があるならやはり見物しなければと松山城に。大街道から数分でロープウェイの駅に。係員は皆愛想よく親切。全体に松山は何処に行ってもおもてなしがしっかりしている気がする。お城の建つ城山上まで、ロープウェイとリフトが選べるのだが、風に吹かれて行こうとリフトを選択。しかしリフト乗ったなんて何時ぶりだろう。前に何処で乗ったかさえ記憶に無いな(笑)

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数分でリフトも終点。そこから更に城山を徒歩で数分。

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松山城は江戸以前の天守が現存する日本でも数少ない場所だとか。確かにお城の内部は古びて薄暗く、木の階段は小さく急で、お年寄りが足を踏み外したら怪我するのではと心配になる。

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最上階の天守には涼しい風が吹き抜ける。城主の気分になって「民草は頑張っておるのかな」と城下を見下すと、実に清々しい心持ちである(笑) 実に良いお城だ。


松山旅行写真日記① 道後温泉
お盆休みの最初は、愛媛、松山まで。目的としては道後温泉と伊丹十三記念館訪問。備忘の写真日記を分割してアップしてゆこう。

道後温泉は神戸在住の子供の頃、家族旅行で一度来た記憶があるのだが、二階の大広間で休憩した遠い記憶が。伊丹十三記念館は、松山にあることは知っていたが、なかなか愛媛に来る機会が無く、今回初訪問。羽田から空路で松山入り。松山空港からタクシーで大街道のANAホテルまで。そんなに時間はかからない。

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ホテルに荷物を置いて取敢えず路面電車で道後温泉まで。道後温泉本館は歴史ある建物。しかし観光客が押し寄せており、上の湯二階の休憩つきコースは30分待ちだとか。記憶にある場所を再訪できなくて残念だが、神の湯階下だと410円で待たずに銭湯のように入れる。貸しタオルもバスタオルもあるので手ぶらでOK。日本最古の温泉で昼風呂につかってのんびり。滞在中に何度も再訪した。湯壷にはちゃんんと「坊っちゃん泳ぐべからず」の木札がかかっている。そうだったなあ。

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本館の北側にはパワーストーンが(笑)

坊っちゃんからくり時計は時間になると坊っちゃんの登場人物が組み込まれたからくりが賑やかに動き出すというもの。松山出身の漫画家池田暁子が、「坊っちゃんは松山人の事を田舎もの卑怯者とあちこちで罵倒しているのに、なんで松山の名物で皆ありがたがるのか」と作品に描いていたが、確かに不思議な話ではある。

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道後温泉には、「坊っちゃん列車」が止まっている。一日何度かここを出発して観光客を乗せて路線を走るそうであるが、意外に小さい機関車。

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路面電車の走る街は、なんだか郷愁を誘って実に良い。

Twetterで、松山には、路面電車と軌道線の平面で交差する珍しい場所があると聞いて、伊予鉄、大手町の平面交差を見物。路面電車は軌条がすぐ目の前だから、交差していることが目の前に見えてなかなか興味深い。

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街の移動に使ったのは路面電車の2日間乗り放題チケット。800円なり。1回乗れば160円だから、すぐ元が取れる勘定。SUICAやPASMOが使えると便利なんだがなあ。

豊洲新市場から環状2号を追って
何時でも徒歩で行ける距離にあるからか、今まで話題になっていた豊洲新市場は見たことがなかった。今度どうなるかはまだ
不透明だが、一度見ておくかとGW中に。

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巨大な建築物が完成しているのだが、人の気配は無く静まり返っている。近未来的な廃墟感あり。移転しない選択はあり得ないと思うが、万一そうなったら、映画の撮影場所に貸し出したら良いのでは。

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ゆりかもめ市場前駅から晴海方面に伸びる道路はもう既に完成しているが、閉鎖中。案内板見ると、ここが市場移転とセットになって工事が棚上げになっている環状2号道路だった。築地までどれくらい完成しているのか、ちょっと気になって散歩がてらチェックに。

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晴海通りにかかった橋から見ると、晴海に渡る橋は既に完成している。

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つつじが咲き誇る晴海側への降り口。しかし勿論入り口は閉鎖中。

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回りには選手村建築予定地などあり、工事は部分的に進行中のようだ。しかし間に合うのかね。

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晴海側から勝どきに向かう道路も既に完成している模様。しかし入れないよう閉鎖中。

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勝どきに渡る橋も既にかかっているのを確認。

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勝どきでは、道路は地上に接続せず、高架のまま通過してゆくようだ。横は超高層マンションだから、あらかじめ道路予定地として建築したのだろうが、今のところまったく使用しておらず随分と無駄な気が。

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勝どきから築地市場には、まだ橋は掛かっていないと思っていたが、既に橋はかかっていたのであった。偶に通るけれども注意を払ってなかったから気づかなかったよ(笑)

勝どき橋を渡ると築地市場。今日はGW中の開業日で、結構観光客が集まっている。市場の中への出入りは自由。もう昼近く。既にセリが終わって商売はほぼ終了しており空いてきているが、それでもターレーや軽トラは尋常ではない鉄火な勢いで走るので、注意が必要。

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来たのは初めてではないが、発泡スチロールの大量使用も、オープンエアで仲卸店先の温度管理が出来ていない事も一部の理由だろうし、衛生面や耐震などの安全面でも色々と問題あるのは明らか。早めに豊洲移転を決したほうがよいと思うが。

地下水とは遮断されており、科学的には安全面で問題があるとは思わないが、合理的思考ではない日本的な「穢れ」意識が既に染み込んでしまった。小池知事がボランティア洗浄隊と、豊洲新市場の床を全部拭き清めて、床を舐めてみせ、神主にお祓いとかしてもらうくらいしか落とし所ないのでは(笑)

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築地市場の奥に進んで行くと、豊洲新市場から晴海、勝どきを通って、既に道路が到達しているのを確認。あとはこれから汐留や虎ノ門方面へのアクセスだと思うが、工事はストップしているのだろうか。

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環状2号の工事案内板を見ると、道路は確かに青果市場と魚市場をかすめるが、ほんの少し。撤去してから工事するのではなく、市場内の場所をやりくりすれば、たとえ移転判断がズレても道路だけ先に完成させることは不可能では無いようにも思えるのだが。

近くでもほとんど見たことがない場所があって、実際に行くと実に興味深い。GW中の小さな徒歩旅行だった。

熊本旅行後半、鹿児島半日紀行写真日記
まだまだ地震の影響は残っており、JRでは阿蘇のほうにはまだ行けない。熊本市街は大体路面電車と徒歩でずいぶんと回った。レンタカーして阿蘇まで行くのも億劫だなと思案。九州新幹線は博多から新大牟田までしか乗ったことがないので、鹿児島まで行ってみることにした。GWも前半で席もまだガラガラ。

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乗ってみて分かったのだが九州新幹線の熊本ー鹿児島間は8割がたがトンネル。いったんトンネルを出てもすぐにまたトンネルで景色もほとんど見えない。「ようこそ鹿児島へ」の看板が写真に写ったのは奇跡的(笑)

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鹿児島に来たらやはり「くろいわ」でラーメンを食さないと。鹿児島の市電とバスは、熊本と違いPASMOが使えない。駅から腹ごなしに歩いて天文館まで。快適な晩春の気候だ。

10時半の開店と同時に入店。妙に人が並んだりしていないのが良い。入店して入口のカウンタで先払いでプラスチックの食券を渡されるシステム。チャーシューメンを所望。お冷のグラスが二つあるように見えるのは、一つは焼酎だから。ここは鹿児島ですが、何か問題でも(笑)  スープはアッサリした旨みの豚骨で、絶妙にエッジの効いた塩加減。チャーシューも山盛り。実に旨かった。

食後はカロリー消費のため、照国神社から城山の遊歩道をブラブラと。霧島には何度も来ているが、城山に来たのはもう随分と前だなあ。

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照国神社の横から山道を上がった展望台は今回初めて来た。しかし霞がかかって桜島はうっすらとシルエットのみ。

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城山から下りる途中にある西郷どんの洞窟は、20年以上前に一度来た。降りて行く方向に対して右だったと言う記憶が何故か全く逆。自分自身の記憶すら自分を欺く。

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くろいわラーメン分くらいはカロリー消費したので、熊本にまた新幹線で。やはり経路ではほとんど携帯も圏外になる。山々を超えて熊本という感じだから、薩摩というのは、やはり地政学的にもわりと隔絶した地域だったのだなあ。

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熊本駅には巨大なくまモンが。

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熊本最後の夜は、市内繁華街、三年坂通のとうふ料理の店に。夕方早かったからかお客が誰も居らず、女将が、窓際の6人テーブルにどうぞどうぞと。球磨焼酎飲んでノンビリと。そのうち客も入って来た。

とうふ料理は一品頼んだが、後は辛子蓮根と馬刺し。馬鹿のひとつ覚えだけどw まあ東京に戻ると先ず食さないからなあ

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ほんの短い滞在だったが、熊本にお別れ。まあ「我が城」があるからまた様子を見に来よう。乗ったタクシーの運転手が陽気な爺さんで震災の時の話を色々聞けた。自分の家も内部が滅茶苦茶だったのに、報道機関のチャーターがあるから連日会社に呼び出され半月で2ヶ月半分働いたとか。

タクシーの無線は衛星を使っており携帯基地局が壊滅した益城町でも会社とは連絡がついた。安否連絡をしたい住民の伝言を会社経由で伝えてあげた事もあったとか。災害の時は覚えておかねば。震災から一ヶ月程したら各地から炊き出しがやって来た。東北から恩返しとして来た炊き出し隊の列に並び食べた温かい味噌汁は、今までで一番美味かった。あれは一生忘れられんです、と語った言葉が印象的。表面だけはずいぶん戻ったけれど、復興はまだまだですとも。

実際に直下型を経験した運転手の話は迫真。二度目の本震、携帯の地震速報は鳴ったがあっという間に信じられない縦揺れが来て、枕元の携帯は吹っ飛んだ。揺れが収まった時には冷蔵庫や箪笥や仏壇が無茶苦茶になった室内で何処にあるか分からなかった由。

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熊本空港の売店で馬刺しを購入。昨夜はこれを肴に一杯。冷蔵庫でちょうど良い具合に解凍。肉汁はあまり無いので切り分けに包丁の切れは要しない。サシがびっしり入っているが脂に癖は無く、噛み締めると赤身の旨みを引き立てて実に美味い。九州風の甘い醤油にニンニクを溶くタレもまた良いのだった。熊本は良い所だったなあ。もう勝手が分かったので、また行こう。

熊本で復興城主になった。 写真日記
先週の金曜からGWに突入。何処かに行こうかとは思っていたのだが、決めかねていたが、ちょっと前に熊本地震から丸一年の報道番組が結構放送され、一度熊本に行って熊本城の復興城主になるかとフライトと宿泊を手配したのだった。天草は以前ったことがあるが、熊本市内は初めて。

空港からタクシー乗ったが、車は片側2車線の並木道を走って行く。熊本はあちこちの緑が濃く多い印象。

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宿泊したのはJR熊本駅付近のホテル。まだチェックイン時間になっていないので、荷物だけ預けて取敢えず昼飯でもと市街に出る。熊本の路面電車はPASMOやSUICAが使えるのが実に便利。市内はどこでも170円均一なのだが、まず中央部の扉から乗った際に一度PASMOを読み込ませて、降りる時に車両前部の料金収納端末にまたカードをタッチして支払する形式。

まったく予備知識なくフラっと来たので、どこが繁華街なのかよく分からない。路面電車の電停に近づくたびにこの辺りに飲食店が集まっているかどうか、嗅覚を働かせて判断(笑) 祇園橋や河原町と聞くと京都の連想から盛り場かと思うのだが、どうも雰囲気が違う。辛島町まで来て、商店街のアーケードがあるので、そろそろ賑やかな場所ではと下車。

歩いてみると、この辺りから、花畑町、通街筋辺りまで商業街が続き、ちょっと横に入ると飲食店があるという雰囲気なのだった。ただ昼を結構過ぎており、なかなかピンとくる店がない。熊本ラーメンの店もあれこれあるのだが、これまたどこに入ってよいか分からない。放浪している内に、桂花ラーメン本店なるものに遭遇。新宿にある支店には何度か行ったことがあるが、そうか、ここが本店だったのか。

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入店して、新宿でも食した事のある太肉麺とビールを注文。入店すると愛想のよい、若干年配の店のお姉さんに、どうぞ此方にと言われてカウンタに腰掛けて注文したのだが、後から入ってくる客は入り口左の食券機で食券を買っているようだ。あれ? 場違いな事しちゃったかな。新宿店はどうだったっけ。

後から入ってくる客を観察しながらラーメンを食しているうちに、勘定書が置かれる。だとしたら食券で無くてよいのだよなあ。と思いながら食べ終えて、お勘定をお願いすると、愛想のよいお姉さんが入り口のレジで勘定を。「券売機を使わないといけなかったんだよね」と確認すると、「いえ、うちは本当にどちらでも良いんですよ。でも、お客さん、途中で気にされてたでしょ(笑) なんだかこっちが申し訳なくて」と明るく笑う。よくお客を見ているんだねえ。熊本に来たらまた寄ろう。しかしもうヘビーな太肉麺を旨いと感じる年齢は過ぎてしまったんだなという感慨が。

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熊本市役所の14階展望フロアに登って熊本城と市内を一望。しかし同じフロアで、いまだに震災補助金の申請受付が行われており、結構な人が訪れている。震災復興の様々な手続きもまだまだ完了していないのだと実感。

そこから熊本城に。本丸には入れない。二の丸公園周囲から観れるだけだが、回ってみると城壁や城塞には深刻な崩壊があちこちに。

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完全復旧には20年かかるというが、やはり石垣を再び組むのに時間がかかるのでは。仙台の青葉城址の石垣も、東日本大震災で崩れて大変だったようだが、同じ素材で同じものを組み上げるのは大変な労力が必要だろう。

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加藤神社から修理中の本丸を望む。瓦が全部落ちて実に痛ましい。

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そしてわずかながら寄付して復興一口城主に。城主証明書は後日郵送されるとのことだが、たとえ些細な比率でも、持分があるから「我が城」(笑)  完全復旧には時間がかかるだろうが、何年か後にでも、我が城の復旧度合いなど検分に来るか。

夜はどうするかと、再度熊本市内繁華街をブラブラしたが、やはり予備知識無しには選定困難。期待せずに、大外れも無かろうと、ホテル日航熊本「弁慶」の寿司カウンターに。しかし、素晴らしい地の魚や日本酒があれこれあり、サービスも実に良かった。

寿司 職人に聞くと、熊本日航ホテルは地場資本が経営。職人も地元で異動は無く、食材はなるべく地の物に拘ると言う。天草の、地タコ、ウニ、車海老、アジなど秀逸。五島列島のカリカリした噛み応えの生鯖など確かに九州は海産物の宝庫だ。天草のコハダは殆ど築地へ直行らしいが。

繁華街で良さげな寿司屋を探すも無かったと職人に言うと、寿司屋の数が減りましたと。しかし、「築地」を店名に冠する大規模チェインの24時間営業大規模店は、盛り場のあちこちに。熊本で「すしざんまい」や「すし鮮」もねえw 日本もどんどん画一化してゆく。

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帰りはブラブラと徒歩で帰宅。日も長くなった。

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熊本二日目。

熊本市電、A列車で行こう(笑)  路面電車が残る街は良い街だ。神戸にだって、昔々は走っていたが。都市の進化としては、地下鉄が出来ると路面電車が無くなるという流れなんだろうが、路面電車に乗ると、先を急ぐよりも、なんというかゆったりと時間が流れている気がする。

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昼間に行った水前寺公園。たまに昔の殿様が築いた日本庭園を訪問すると、その壮大さには驚くし、日本的情緒が溢れて実に落ち着きますな。水前寺清子は熊本の出身だったっけか。

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熊本市内の小泉八雲熊本旧居。松江に住んだのは有名だが、英語教師の職を得て熊本にも妻と住んでいたのであった。震災の影響で場所を制限して無料公開。海外の何処にも居場所を見つけられなかったラフカディオ・ハーンが東洋の片隅に見出した心の平安。人形の墓、耳なし芳一、果心居士、むじな、ちんちん小袴等々、八雲の感性が掴み取った日本の古譚は、今でも読み継がれている。

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昼は三年坂通の寿司屋カウンタで「郷土料理御膳」など。ビルになっており、寿司職人含めてインカムつけて指揮命令するような繁盛店。前に大相撲九州場所に行った時も同じような一軒建てビルの寿司屋があったなあ(笑)

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市内はあちこち歩き回ったが、動植物園は震災影響で平日は閉園、土日のみ入場地域を制限して無料開放と震災の影響はいまだに残る。復興募金箱に千円札を入れようとしていたら、窓口から職員の女性が顔出して「ありがとうございま~す! 頑張りま~
す!」と明るい笑顔で。明るく頑張る人がいる限り復興は大丈夫だ。

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熊本二日目の夜は、馬刺しと阿蘇産熟成赤牛の炭火焼き。馬刺しも極上だったが、ウェット・エイジングした阿赤牛が実に旨味が濃く素敵に美味かった。グラム数の違う部位が切り分けてあり、その日の一覧の中から、ではこの233gのをと指定して焼いてもらうシステム。

子供の頃、神戸東門筋にカウンタだけのステーキハウス「アトランティック」と云う店があり、時折親父に家族で連れて行って貰った。串に差した肉を石窯で焼いて居たのだが、感動するほど美味かったのを覚えている。値段も相当したらしいから、うちの親父もその頃は羽振り良かったんだな(笑)

でもって、何が言いたいかというと、この店の阿蘇産熟成赤牛の炭火焼きを食して、「ああ! アトランティックのステーキはまさにこの味だった!」と思った事を書き留めて置きたかったのだった。もう何十年も前で、当時は熟成肉なんて聞かなかったが、おそらくあの店の主人は、どうやっていたかは知らないが、今のウェット・エイジングと同じ旨味を引き出していたのだろう。しかし肉を食って、子供の頃の記憶が蘇るというのも実に不思議な体験。

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そうやって飲みつつも、一応は城主であるから、伸びた日の中、熊本城を視察してからホテルに帰るのであった(笑)



箱根にブラっと一泊で
週末が近づくまで3連休だということを失念しており、元々予定は土曜日の歌舞伎座夜の部しか入れてなかったのだが、せっかく月曜も休みなのだからどこか近場にブラっと行くかと楽天で検索して、空いていた箱根芦ノ湖桃源台付近のホテルを予約。楽天のポイントが溜まっていたので朝食付きで一泊1万円ちょっと。

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天気は悪いし別に早く出発しても仕方ない。昼近くまでのんびり。雨は上がって栃木の山波まで望見できる天気に。

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2時間かからずに芦ノ湖畔到着。元箱根のほうは賑やかだが、こちらは割と鄙びた感あり。ただ、ロープウェイは1分間隔で運転しているも乗り込むまで30分待ちだって。天気も悪いし別に乗ることもないか。

ということで早々にホテルにチェックイン。建物や設備は若干古いが清潔に維持されており、従業員も良く訓練されて接客態度も実によろしい。大浴場でのんびりと温泉に浸かり、身体が温まったら、露天風呂に出て風に吹かれる。たまの温泉は良いねえ。この辺りはあまり飲食店も無いので夕食はホテルのレストランで。

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冷酒を頼んだら1合なのに実に物々しい登場。ちびちびと飲みながら。

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前菜にお造り。マグロ、タイ、ホタテの刺身は決して悪くない。

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しゃぶしゃぶ御膳なんてものを頼んだので、メインはドーンと鍋が。しかし一人でしゃぶしゃぶするなんて人生初だな(笑) 大阪にはカウンタに並んで食する一人しゃぶしゃぶの店があるらしいが。肉も上質で大変に結構。箱根の夜は更けて行くのだった。

次の朝も、起きて直ぐに大浴場で温泉に浸かる。極楽ですなあ。しかし急に気温が下がっており、露天風呂に一度浸かると外が寒くてなかなか出る気にならない。温泉に浸かる猿の気分が分かる。身体は温まるが頭がすっかり冷えてしまった。

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風呂から上がってレストランで和朝食を。普段は朝食摂らないが、旅に出ると朝食が不思議に旨い。急ぐ用事も無いし、のんびりと朝を過ごす。

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気温が下がって天気もぐずついており、別に観光で寄るような所も無い。ノンビリと部屋で寛いで、昼前にチェックアウト。

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ブラブラと芦ノ湖スカイラインを通ってみたが、やはり富士山は見えなかった。帰宅してCNNjをチェックすると、アメリカ大統領選第二回目のディベートは既に終了。まあ、CNNjは同時通訳の声が煩く英語が聞こえない、しかも通訳の日本語が時折日本語になっておらず何言ってるか分からないので、後でWebで見物したほうが分かりやすいか。



大阪松竹座七月大歌舞伎遠征 写真日記
6月の歌舞伎座昼の部で、仁左衛門復活の「お祭り」を観たのだが、大阪松竹座七月大歌舞伎の公演にまた仁左衛門が出る。七月歌舞伎座の予約は月の後半なので、週末に大阪遠征しようかと計画。チケット松竹で検索すると、大阪松竹座の席は昼も夜も結構空いている。歌舞伎座のほうは週末はほとんど満杯なのだが。土曜昼の部の一階席を予約。

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金曜の仕事を終えて新幹線に。大丸地下で弁当購入して一杯やりながら。どちらにせよ金曜は移動してホテルチェックインするだけだから、のんびりと。

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新大阪駅を降りてエスカレータに乗ると、人々が左側を空けて右側に立つ。関西だなあ。予約したのは中之島のホテル。まだ開業間もないようで備品類も新しい。四つ橋線肥後橋駅というのは初めて降りた。チェックインして最上階の大浴場で風呂につかってのんびり。

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翌日土曜日、チケット取ったのは昼の部。開演は11時なのだが、早めに「なんば駅」まで出てとりあえず松竹座の場所を確認してから、回りをブラブラ。

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すぐ近くが道頓堀。道頓堀というと、なんといってもグリコ。江崎グリコゆるしたる(笑)

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かに道楽の傍を歩くと、蟹を茹でる香りがしてくる。「くいだおれ」は廃業したが、人形のほうは再就職して、いまだ元気に第二の人生を頑張っております。シニア世代の鑑のような話。

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大阪松竹座一階に展示の絵画。ベルナール・ビュッフェの作品。「暫」

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大阪松竹座は歌舞伎座に比較するとずいぶん小さな小屋で舞台の幅も小さいが、客席と舞台が近い。

この日の席は6列8番 花道からも4列目。舞台中央を右側に見るのだが、その右側が通路なので前席の座高問題がない素晴らしい席。どの演目も実に面白かった。歌舞伎の感想はまたエントリーを改めて。

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昼の部終了の後は、また近くをブラブラ散歩。大阪松竹座のすぐ横には人形浄瑠璃の竹本座跡地の石碑が。昔から人々が集まった場所だったんだなあ。

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法善寺横町もすぐ近く。ここに来るのは実は初めて。しかし周りは飲食店だらけ。まさに大阪は食い倒れの街ですな。不動明王の柵には、黒猫がバターンと倒れるように眠っている。人形かと思ったが、時折動くのでやはり本物の猫なんですな。

面白そうな店があちこちにあり、焼肉や串カツなんかも食べたかったが、今夜は予約してある場所がある。しばし回りを散策した後、ホテルでちょっと休んでから北新地に移動。

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開店してすぐの時にも一度来た「鮨 ほしやま」。祇園「まつもと」の弟子が北新地に出した江戸前鮨の店。新橋鶴八30周年で会って以来だが商売順調のようだ。寿司日記はまたエントリーを改めて。

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ホテル近くのこのビルは、地震があったらボキッと折れそうな気がして怖いですな。実際には阪神大震災の時も被害なかったそうであるが。まあそれはちゃんと計算して建ててるのですな。

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ホテル横の道なのだが、正面は建物で道は右に曲がっている。ところが照明の関係で、なんだかこのまま道が続いており、うっかりしてるとこのまま直進してしまいそうな。大変危なそうな道だ。事故は起こってないのだろうか。

そのまままた一泊して、日曜の午前中には東京へ戻る新幹線の中。あっと言う間の大阪歌舞伎遠征終了。

沖縄旅行記 Day4 最終日、首里城公園へ
4日目は空路で東京に帰る予定のみ。到着した時の那覇空港には「出発の2時間前までにおいでください」と書いてあるし、レンタカー返却も「遅くとも出発の1時間半前に」と記載あり。そんなに空港が混むのだろうか。

どこに行く予定もなし、途中で通る那覇市内も渋滞があると困るので、かなり時間に余裕をみてホテル出発。ところが道はスイスイ。ガソリン給油もレンタカー返却もほとんど時間かからず空港までのバスも乗車すぐに出発。すべて順調でターミナルに到着したのはフライト出発の3時間前。いくらラウンジで過ごすにしてもちょっと長すぎる。

とりあえずラゲージだけチェックインしてブラブラするかと列に並んでいる時、空港からモノレールが出ていることに気付いた。iPhoneで検索してみると、初日に行くのを断念した首里城公園まで片道27分。10分おきに発着しているから、出発前に十分戻って来れることを発見。最初から調べておけばよかったが、まあ行き当たりばったりの休暇もそれはそれで面白い。早速モノレールに乗車。

首里駅はモノレールの終点。首里城公園は駅から見えており、方角は分かるのだが、徒歩で向かうとどこで路を曲がるのか表示がなく、ちょっと試行錯誤したが、無事到着。

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琉球王国の粋を凝らした壮大な宮城。しかし沖縄戦で大日本帝国陸軍の守備隊本拠地がここに置かれ、戦火によりオリジナルは全て消失。再建された壮麗な建築の影にはそんな悲惨な歴史が隠れている。

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沖縄の年季の入ったコンクリート打ちの建物は、台湾の建物と同様に、妙に味のあるそこはかとない廃墟感が漂う。気温と湿度の高い気候が、コンクリートの酸性化を早めて、侘び寂びが出てきているのではと思うのだが、どうかな(笑)

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という訳で沖縄の旅もおしまい。見るべき処はだいたい回った。沖縄にはもう一度来たいなあ。今度は、北部のホテルでのんびりステイするか、那覇市内に泊まってみるか。

沖縄旅行記 特別編 食日記
沖縄滞在中の食日記を。

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初日、北谷のホテルにチェックインしたのはもう夕方。夕食は近くのステーキの店で。那覇にもある店の支店のようだ。アメリカン・ビーフのリブアイを選択。最近、あまり肉は食べないので、アメリカ牛肉のステーキも久しぶり。この店オリジナルのステーキソースは悪くない。そして確かに安い。石垣牛のフィレやサーロインはずっと高いようだが。

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宿泊したホテル、ベッセルホテルカンパーナ沖縄は、ホテル内では朝食のみ提供。しかしビュッフェスタイルの朝食は、ベーコン、ソーセージ、スクランブルエッグ、焼き魚などの和洋の定番以外に、日替わりのチャンプルーやイリチーなどの沖縄料理、はては沖縄そばが置いてある日もあって、実にバラエティに富んでいる。沖縄滞在中は朝食をしっかり食べてお昼はスキップして夕食採るという一日2食で。

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2日目、3日目の夜は、美浜アメリカン・ビレッジ内の「RINKEN'S KITCHEN」で、各種沖縄料理を泡盛と共に試す。ウエイトレスの女性は沖縄風の明るい美人で居心地よろしい(笑)

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初日は、シークァーサ・サワー頼んでまず前菜3種の盛り合わせ。東京でも沖縄居酒屋と称する場所には何度か行ったことがあるが、海ぶどうや島らっきょうがこんなに旨いと思ったことはない。立派に酒の肴になる。今まで食べたのは何だったんだという感じすらするなあ。ミミガーもこりこりした食感で泡盛が進む。

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海鮮サラダなるものは、ごく普通。ただ入っていたタコだけは素晴らしく香りがあって旨かった。島ダコもメニューにあったからタコ単品で頼んでもよかったかもしれない。

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ゴーヤ・チャンプルーと豚トロ。どちらも結構ですな。

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3日目の夜は、違う前菜のセットを。「豆腐よう」は豆腐を発酵させたものだが、チーズのようなカラスミのような、いやアンキモやフォアグラのワイン煮のような、実にネットリした濃い旨み。これは本当に豆腐だろうか。これも泡盛に合う。ジーマミ-豆腐は落花生の粉を芋のでんぷんで固めたもの。これは初めて食したが面白い。もずくはフレッシュな酢が立ってこれまた旨い。

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何か魚を貰おうかとメニューを見ると、「本日の魚バター焼き」なるものがあったのでそれを注文。美ら海水族館の水槽で泳いでいたような魚が丸々一匹。魚体はイサキにも似ている。ニンニクがどっさり上にかけてあり、香ばしくカリカリに揚がったような皮目が旨い。やはり中国料理の影響を感じるなあ。

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島豆腐チャンプルーも実に結構。北谷産の泡盛を1号とっくりで。氷と水のセットももらって、のんびりと飲みつつ沖縄の味を堪能した。また北谷に泊まるかどうかは分からないが、この店はまた来たいなあ。


沖縄旅行記 Day3 真栄田岬、琉球村、美ら海水族館
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沖縄3日目。北谷(ちゃたん)の朝は気持ちよく晴れた。陽光の下に輝く海は綺麗だが、沖縄戦の時、ちょうどこの辺りから読谷にかけての海から米軍が上陸したと知ると、なんだか別の感慨が。

ただ守備側の大日本帝国陸軍は海岸での迎撃策を捨て、最初から首里の本部に立て篭もる作戦を取ったため、米軍は反撃を受けずに無血上陸したのだそうである。

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本日は北へ。地図を見てカーナビに位置をまずセットしたのは真栄田岬。海に突き出した岬は、どこであっても潮風が吹いて実に気持ちがよい。ダイビングをする人が大勢。有料の駐車場があった。

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その後ですぐ近くの「琉球村」に。昔の建築を移設し過去の琉球の暮らしぶりを保存している施設だそうである。ここは道路を挟んだ反対側に無料の駐車場が。この手の施設は建物に入ったらすぐに入場券売り場の窓口があるものだが、ここは建物に入ってしばらく左右がみやげ物屋になっている。

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昔はこんな風に牛が回す歯車でサトウキビを搾って糖蜜を採取したのだとか。単なる展示で歯車の所にいるのはマネキンかと思ったら本物の爺様と婆様であった(笑) なんでもここの自家製のサトウキビ糖を使った土産もあるんだとか。

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島内にあった旧家の建築が移築されているのだが、どの家も簡素ではあるが、涼しい風が吹き渡る、実にのどかで、ポーンと突き抜けた明るさがある。

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ハブ・センターのオジさんは、ハブを手にとって子供達に触らせ、記念写真を取らせる親切ぶり。一日に何度か、民謡中心の歌謡ショーも行われている。なかなかのどかで結構な話。そんなに広い園内ではないのだが、ブラブラしているうちに予想外に長居してしまった。

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園内には民芸焼き物の工房も設置。このシーサーは一組で45万円。ずいぶんするもんですな。とんねるず呼んで、男気じゃんけんする時に出したらよいのではないか(笑)

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琉球村を出て更に北へ北へ。しかしハイブリッド車というのはガソリンメーター壊れてるんじゃないかと思うほど燃費がよいなあ。感心。

ファストフードにドライブスルーが多いのはさすがに車社会だが、やはり土地に限りがあり、人口密度が高いところでは駐車場が多いとはいえない。しかし、この沖縄海洋博公園は、海洋博の跡地にできただけあって、無料の駐車場が完備されているのがさすが。ただ敷地はやたら広いので、うかつに目的地から遠い場所に停めると大変かも。海は実に綺麗だ。さっそく美ら海水族館に。子供の頃、神戸の須磨水族館によく行ったので、今でも水族館は大好きだ。

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巨大水槽に泳ぐジンベイザメの巨大さには息を飲む。こんなものをよく飼ってるなあ。エイも実に巨大なのが回遊している。ただ、水温が高い海の魚だからか、全体に寿司にして美味そうな魚は少ないなあ。アメリカ、モントレーの水族館にも巨大な水槽があるが、寒流の海だからか、実に美味そうなヒラメなんかが泳いでいたが。

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ジュゴンも水槽で飼育されてるのだが、飼育員が与えている餌がカボチャなのに驚く。そもそも草食で水中の藻などを食べてるそうだ。しかし野生の状態でカボチャなど一度も食べたことなかろうに、与えられると食うんだねえ。

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最近、深海のダイオウイカやリュウグウノツカイが相次いで岸に打ち上げられ、深海に異変でもあるのではと言われているが、ここにも昔に採取された標本が並ぶ。まあ、そんなに奇異な発見という訳でもないのかも。

施設には他にも巨大な海亀やイルカも飼われており、ブラブラ歩くとなかなか面白かった。しかし適当なところで切り上げて岐路に。沖縄の高速道路は制限80キロで、以外に北谷までは距離があるのだった。

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この時期の沖縄は日没が7時過ぎ。北谷に戻り食事を済ませてから、堤防に腰掛けて日没を眺める。夕陽が見えたのは沖縄三日間で始めて。海に沈む日輪を眺めていると、いつも時を忘れる。まさしく地球は水の惑星だ。


沖縄旅行記 Day2 ひめゆりの塔~平和祈念公園
沖縄2日目は曇り時々小雨。滞在しているのは島の中部なので、観光は、南に行くか北に行くかの選択になる。朝食後しばし検討したが、南に行くことにして車を出す。

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日本でレンタカーするのも初めてだが、ハイブリッド車に乗るのも初めて。停止時の静かさには驚くが、挙動は若干もたつく印象。前方の信号が赤なので制動を始めたら急に青に変わったので、再度アクセル踏むような状況では、車が「えっ? 何だ何だ」と一瞬狼狽しているような反応の遅さを感じる(笑) コンピュータ制御であれこれ考えているに違いないが、ガソリン車と比べてどうしてもワンステップ噛む分が遅く感じるんだな。

ドライブ中の車内では、ラジオ沖縄と琉球放送を聴いていたが、アナウンサーが微妙に沖縄アクセントなのが面白い。特にリスナーからのメールを読む時にはそれが顕著。関西のラジオでも同じで、帰ると実に懐かしい気がするが、沖縄出身の人は帰省してラジオ聴くと懐かしくなごむのでは。ずっと聴いていると、だいぶ沖縄弁のイントネーションに慣れてきて、真似する事ができるまでに。どこか鹿児島とも似ている。もっとも本気でウチナーグチで喋られたらサッパリ分からないけれども(笑)

(首里城行き失敗の巻)

南へ行くのだったら首里城公園に行くかとカーナビをセット。目的地に近づいて分かったのだが首里城公園というのはずいぶん立て混んだ市街地にあるんだな。カーナビが「ここを曲がったら目的地」という所に来たら、進入禁止になっている。その前に看板出ていた有料駐車場に停めればよかったが、時既に遅し。そこを通過するとほとんど車を停める場所がなく、探し回るのも面倒なので、そのまま南下する事に。下調べしとかないと時間を無駄にする好例ですな(笑)

(ひめゆりの塔)

那覇市内から更に南下して豊見城市を過ぎて糸満市に。沖縄は車社会だとは聞いてたが、史跡周りの駐車場事情は意外に悪いと気付いたので、目的地が近づくと慎重に。なにしろ何も準備せずに来たから、ガイドブックもないし、レンタカー屋で貰った地図とカーナビだけが頼りなのだ。しかし、ちょうど目的地目の前にお土産屋があり、旗を振って車を呼び込んでいるのでそこに入れることに即決。土産屋が駐車場提供して、帰りに何か買って行ってねという商売は考えてみれば日本各地にあるものなあ。

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小説も映画も未見で名前だけ知らない史跡だが、説明を読んで衝撃を受ける。沖縄戦の末期、沖縄県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部の15歳から19歳の少女が女子学徒隊として陸軍病院の手助けに狩り出される。しかし首里城基地が陥落し、防衛線を南に南にと撤退してゆく日本軍について行くことに。日本軍は負傷者を置き去りにしながら、激しい爆撃と艦砲射撃の中、南部の半島海岸近くまで敗走して地下壕に潜む。そこで6月18日に学徒隊に解散命令が出た。激しい米軍の攻撃の真っ只中で「解散」?! それはやってはアカンでしょうという信じ難い軍の行動だが、自決した生徒もあり、逃げ惑って銃撃に倒れた生徒もあり、ここまで辿りついた生徒達の半数以上が戦火に倒れたのだという。

大日本帝国陸軍は、敗残の路にある最期の最期に、皇民をまったく守ってくれなかった。戦争も最末期であり、徴兵検査不合格になったり既に退役した高齢者を無理やり寄せ集めたオンボロ軍であったには違いないが、勝ち目の無い戦いに突き進みズタボロになって敗走した「国家総動員」の悲惨な末路。本土決戦を遅らせるという目的のために沖縄は犠牲にされたといっても過言ではない。

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このモニュメントと資料館は戦火に倒れた学徒隊の後輩達が、この悲劇を忘れさせてはいけないと保存運動を行ってきたもの。勿論沖縄戦の悲劇はここだけではなく至るところで起こった。当時皇太子だった今上天皇陛下がたっての希望でこの地を訪問して花を捧げた際、左翼に火炎瓶で襲われたという事件には、正に戦後日本の深刻な対立構造が重々しく反映している。安倍普三は、目を三角にして靖国に参拝するなら、その前にここに花を手向けてからにしたほうがよいと思う。

(平和祈念公園)

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すぐ近くの平和祈念公園は、公的な資金が潤沢に入ってると思われ、広大な無料駐車場完備。車を停めて園内を。空からはポツポツと雨が降ってきた。この平和祈念堂は宝くじの収益金が使われているとか。トイレのタイル一枚くらいは私も貢献しているかな(笑)荘厳な建物だが、人気がなくガランとしている。

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平和祈念資料館も実に立派な建物。最初見た時はリゾートホテルかと思ったくらい。ま、しかし、平和祈念公園内にホテルは普通建てないよなあ。

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展示には、沖縄戦の悲惨と共に、本土がいかに沖縄を蹂躙してきたかの歴史が。沖縄戦の死者は内地出身の兵隊よりも民間人を入れた沖縄人のほうがずっと多い。これでもかと悲惨な展示が並んでいるので眩暈がするほどだが、これが道を誤った国の末路なのか。

離島に上陸した米軍への抵抗として村人を動員した決死の切込み隊の中に、乳飲み子を背に抱えた若い母親がいたという話はまったくの悪夢というしかない。村人が戦火を逃れて洞窟に隠れ潜んでいる時、声を上げると「米軍に見つかる」といって射撃してきたのは大日本帝国陸軍の兵隊だったのだという述懐も恐ろしい話。

「死んで虜囚の辱めを受けず」に始まる日本帝国軍部の戦争指導と国家総動員体制の過ちと醜悪さは、やはり許されてよいものではないと痛感。戦前の日本が「美しい国」だったというのは都合のよい幻想に過ぎないのでは。玉音放送の当日まで、日本は本土の総力戦で最後まで戦うべしと唱えていた頑迷固陋な軍人達がいた。もしも彼らに従っていたら、「京都に原爆を投下せよ」に描かれた通り、京都にも原爆が落ちていただろう。

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このあたり一体が、敗走する大日本帝国陸軍が、住民を巻き込んで悲惨な戦闘を米軍と繰り広げた場所。しかし戦後およそ70年を経て、海岸に寄せては返す波は、人間の賢しら達が犯した罪などは知らぬ気に、ただただ岸に打ち寄せてくるのだった。心ならずもここで散った沖縄人の魂は、きっと靖国神社などには鎮座せず、この岬を吹く風の中にいるのだ。


沖縄旅行記 Day1 沖縄初上陸
先週の火曜から8連休。水曜から3泊で沖縄に行ってきた。ハワイは何度も行ったが沖縄は初めて。しかしあまり予定は立てずにブラブラと思いつくまま動こうかというエー加減な計画。

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東京は雨。この時点では那覇は晴れとの天気予報。タクシーで羽田まで行くのだが、折りたたみ傘持って行くかどうかで一瞬悩む。とりあえず持ってゆく事に。しかし、飛行機で飛び立ってみると、空はずっと雲がかかっている。沖縄について予報チェックすると翌日は雨となっている。困ったもんだな。

那覇空港でレンタカーをピックアップ。レンタカーのピックアップは空港内にはなくバスで10分程度移動したところ。ネットであまり選択肢が出てこないのでオリックス・レンタカーにしたのだが、ターミナルでは他にもたくさん会社あり。そりゃそうだよなあ。もう少し考えて選択すればよかったかもしれぬ。

予約したホテルは北谷エリア。カーナビでは国道を延々と行くルートが表示されるのだが、高速道路は島の東側を南北に走っており、確かにそちらのほうしか選択なさそうだ。日本でレンタカー使うのは初めてだが、問題なく道路を北上。日本の地方都市はどこも同じだが軽自動車の比率が高い。スズキの売上が大きいのは、東京都心の車だけ見ていたは分からないよなあ。

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ホテルにチェックイン後、オリオンビールでやれやれと一杯。

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泊まったのは、ベッセルホテルカンパーナ沖縄。美浜アメリカン・ビレッジというカリフォルニア風ショッピング・モールの中に建っており、食事などにはなかなか便利。ただまあ若干リゾート感はないかね。まだ新しいホテルでスタッフも若くきびきびしており気持ちがよい。使わなかったが10階には展望大浴場もあるそうだ。

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ホテルについたのはもう夕方で、近隣の美浜アメリカン・ビレッジをブラブラ。まだ新しい施設で、隣接にはイオンも。ただそこはかとない寂れ感を感じるが、こんなもんなのかねえ。

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横には「ヒルトン」と書かれたホテルが。ヒルトンあるのなら予約してもよかったが、どうも営業してるように思えない廃墟感あり。確かに予約サイトでも出てこなかった。撤退したのだろうか。今度来るなら、沖縄のホテル事情も、もう少し事前に勉強して来た方がよいなあ。

泡盛ロック飲みながら、ホテルの部屋で地元のTVをチェック。沖縄は全国ネットの番組を流してるだけで、あまり地方色というものはないような。ローカルのCMもあまり無くて寂しい気が。やはり経済圏としての大きさの問題だろうか。

ということで天気の回復を願って初日は終り。

年末年始写真日記
年末年始は恒例の鹿児島県霧島滞在。

元旦は霧島神宮に初詣。もう日が暮れており、割と空いていた。

(指宿行き)

2日は実に久々に指宿に。こちら方面に来るのは、もう20年ぶりか。

途中で池田湖に。開聞岳の噴火にともない出来たカルデラ湖。200メートル以上水深があるのだとか。謎の生物「イッシー」が目撃された事でも有名になったが、その後さっぱり目撃情報は聞かない(笑)

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巨大鰻が生息しており、湖畔の店には捕獲された大鰻が。ウナギというよりも大ナマズに近い気が。食べたらどんな味だろうか。

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(指宿 砂蒸し温泉)

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指宿の名物は砂蒸し温泉。海沿いに自噴する温泉によって砂浜が暖められており、浴衣を着て砂に横たわると上から暖かい砂を全身にかけてくれる。下と上から温泉の熱が全身を暖めてくれる。波の音を聞きながら、のんびりと砂に埋まると全身が溶けてゆくかのよう。若い頃は数分と入ってられなかったが、今回入るとまったく大丈夫なのは、年取って血の巡りがだいぶ悪くなったからかな(笑)

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開聞岳のその先に夕陽が静かに沈んでゆく。

(鹿児島名物)

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あれこれあるが、やはりとんこつラーメンは外せない。黒豚チャーシュー緬で770円。県内は物価が安いですなあ。もっとも地元新聞読むと、鹿児島の大学進学率は11年連続で日本最低という記録更新したとのこと。まあ、逆に言うと、ガリ勉しなくても、のんびり幸せに生きて行ける場所という事でもあるのだが。

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地方都市の特徴はやたらにデカいイオンがあり、みんな軽自動車で買い物にやってくること。なかでも芋焼酎の棚のラインアップは凄い。写真の棚の裏も対面もすべて焼酎。また売り場正面には焼酎特設コーナーもあり。

空港のレストランでも、ターミナル内のカフェでも、芋焼酎が販売されてるのもまさしく鹿児島風味だ。

(帰京)

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3日夜に帰京。4日はいつも通り、「新ばし しみづ」で本年の寿司始め。駅前は結構賑わっていたなあ。

(富岡八幡宮)

年始休日最後の本日は、グータラ過ごすつもりだったが、昨年の破魔矢が玄関に残ってたのを思い出した。富岡八幡宮に今年初のお参り。

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絵馬のついた「白羽の矢」を頂いて帰宅。明日からの仕事に備えて、あとは体調整えるのみ。今夜は休肝日にするか、ちょっとだけ飲むか。それが問題だ(笑)

九州滞在記
お盆休みは南九州に行ってたので、備忘のために写真日記など。

(都井岬)

鹿児島から志布志湾を経て、都井岬まで。野生の馬で有名な日南最南端の岬。名前だけは知ってたが、来るのは初めて。ゲートで入場料を払ってエリアに入ると、すでに野生の馬が自動車が走る道路を我が物顔に歩いてる。

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都井岬は、もともと観光地としての開発を狙ったらしいが、やたら廃墟が多い。6階建ての都井岬観光ホテルが閉鎖されてそのまま放置。国民宿舎も海に面した絶壁の上、風景のよい場所に建ってるのだが、ここも閉鎖されて廃墟状態。 その横の小規模なホテルもまた廃墟に。丘陵地で太平洋を望み、実に景色はよいが、確かに野生の馬が歩いてる他は何もないんだよねえ。食事するにしても、串間まで降りねばならないが、それほど大きな町でもないからなあ。

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岬の先端、灯台に。九州で灯台の照明部分まで見学に登れる灯台はここだけなんだそうだが、岬そのものが断崖だから、実に見晴らしがよい。ただ、湿度が高いのか、全体に遠景が霞んでいるのが残念。 秋口で空気が澄むと、大海原が見渡せて気持ちよかろう。

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道路横の丘陵には草を食む野生馬の群れが。呑気にただ食事してるのだが、人間がいてもお構いなしに食べたい草だけを探して近寄ってくる。痩せてはいるが結構身体が大きく、ちょっと怖いくらいだ。

(志布志湾)

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鹿児島から日南方面に行く途中が志布志港。関西からのフェリーが着く港もある。ここにある大黒リゾートホテルというのは、道端にやたらに看板が建っているこの地で一番大きいホテル。というか、ここくらいしかホテルないのかな。

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その大黒リゾート・グループが建設したのが「大黒イルカランド」。調教したイルカショーの他、釣堀なども併設。亀は万年というが、プールに泳ぐこの亀は45年くらい生きてるのだとか。ペットロスに遭わないために買うなら亀ですな。まあ、大きな海水プールが必要なのが難であるが。このあたりも海が澄んで綺麗だ。昔、ここで「ゾウリ海老」なるものを食した事があるが、ハワイでは、「スリッパー・ロブスター」なるソックリな海老がある。太平洋は繋がってるから、似たような種類なのか。

(鹿児島県姶良郡湧水町)

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霧島の北西。その名の通り、綺麗な山水が地中から湧き出す地。この地の鰻屋で、鰻蒸籠蒸し定食。肝焼きや肝吸い、白焼きもついて3500円くらいとはずいぶん安い。こちらの鰻は蒸さないらしいが、蒸篭蒸しにすると若干関東風にふっくらした感じに。なかなか美味い。東京の専門店では、宮崎や鹿児島の鰻を使う店が多くて産地としては有名だが、当の鹿児島では、意外に鰻の専門店が少ない気がする。

(日本名水百選 丸池公園)

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鹿児島県姶良郡湧水町には、名前の通り霧島山系の地下水が湧き出る池あり。名水100選にも選ばれているとか。池の底から地下水が湧き出て、手の切れるような澄み切った冷水となって川に流れている。山からは温泉も出れば冷水も出る。自然は不思議だ。

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この日の午後は霧島の高地では土砂降りのスコールだったのだが、雨が上がると高千穂峰が霞の向うに聳え立つ。霧島はどこも緑が一杯だ。

帰りは鹿児島空港から羽田まで。プレミアシートを予約すると搭乗口前のラウンジでのんびりでき、無料wifiもあってなかなか便利。芋焼酎も置いてあるので、お湯割を一杯やりながら搭乗待ち。

搭乗して出発を待ってると、通路隔てた反対側の席に座った小学校低学年くらいの男の子が泣き出した。びっくりして駆け寄るCAに横の父親が説明するには、父親の実家に帰省してたのだが、じいさまばあさまに可愛がられ、東京に戻りたくないとごねているのだとか。夏休みは、あちこちの駅や空港でそんな風景が繰り返されているのかも。

鹿児島空港からは雲っており桜島見えず。観測史上最高の噴煙上げた大爆発は、私が帰京して次の週。今まで噴煙はいつも見たが、あまり大きな爆発を観たことがない。一度くらいは目の前で観たいもんだなあ。ただ灰だけは面倒だが。

仙台食日記
仙台初日の夜は、やはり名物の牛タン。この「利久」という店は宮城県内にも多店舗を展開し、東京にも支店があるのだが、発祥の地で食すと、格段の意味的価値を感じるなあ。「極み牛タン」1枚増しを注文。牛タンは香ばしく歯ごたえあり、そして新鮮で肉汁一杯。宮城の酒、伯楽星と共に。美味いなあ。

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牛タンの店は市内に何軒もあるのだが、5時過ぎになるとどこも行列。駅の牛タンストリートの店も長蛇の列。あれは全部観光客なのかねえ。凄いよなあ。

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2日目に訪問した塩竃の売り文句は「寿司の街」。この町にある「すし哲」は、本も出ているほどの有名店なのだが、その横の「鮨 しらはた」で、おまかせ握りを注文。「すし哲」と経営は同じという話も聞いたが、どうなんだろう。駐車場は確かに共通だ。

11時開店と同時に入店したが、続々と団体のお客さんが入って来て、奥や二階の座敷もすぐに満席近くに。観光地の店独特。白身は地場の松皮カレイ。アナゴも地の物だと。本マグロ漬け、ぼたん海老、アジなど巧かった。ただやはり慌しい気がするよね。

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店を出て見ると、すぐ横の「すし哲」店舗も長蛇の列。この辺りは津波の被害があったらしいが、復旧して店は大繁盛。素晴らしいですなあ。

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2日目の夜は別の店で、再び牛タンにトライ。ここも有名店。美味いが、通販やお土産用に工場で大量生産するのが本業で、店舗での飲食はオマケのような気もする。極厚芯タンが有名なのだが、夕方5時からのみ提供。だが5時過ぎには長蛇の行列になる。なんで牛タンはいつも行列なんだろう。5時前に入店したので、普通のタン1.5人前を注文。初日の牛タンよりも、いわゆる牛タンのイメージに近い。

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仙台は「冷やし中華」発祥の地なのだとか。その中でも、この「龍亭」が元祖だと。最終日、新幹線に乗る前に訪問。ビールを頼んで、ゴマ味の冷やし中華(涼拌緬と称する)と点心盛り合わせを注文。ここも旅行案内には必ず掲載されている人気店で、11時から次々にお客が来店。

肝心の冷やし中華だが、まあ冷やし中華だなあという印象。スープの個性がない分、他店との違いを出すのは難しいかもなあ。最初に発明したのは実に偉かったと思うのだけれども。

新幹線でウトウトしているうちに東京着。3連休の終わりだった。

「行くぜ 東北!」 杜の都 仙台編 その2
仙台滞在2日目は、まず塩釜に。北海道、千歳空港に降り立った時は、JRでPASMOが使えない事に度肝を抜かれたが、仙台駅からJRでの移動はちゃんとPASMO利用可能。考えてみればJR東日本だものなあ。仙台地下鉄では使えないらしいが、今回乗らなかったのでまあいいや(笑)

途中で通過した多賀城市も、この塩釜市も震災では津波の被害があったらしいが、もうずいぶん綺麗に片付いている。しかし海沿いの街だけに大変だったろうなと心が痛む。

まず塩釜神社に参拝。

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創建時期は明らかではないが、平安時代初期の文献には既にその存在が見えるという古い社。登って行く参道は3つほどあるのだが、せっかくなので、一番古く険しい石段を選択。しかし、結構な急斜面だなあ。

石段を登り終えると、縄が張ってあって、近づく祭りのために騎馬を使う神事の稽古をしてるとの事で、本殿を前にしてしばし足止め。しかし係員の親父は、すまなそうにあれこれ親切に説明してくれる。東北の親父には朴訥で親切なのが多い気がするよねえ。

境内は静かで実に荘厳な気がする社。涼しいなあ。

その後、昼は「しらはた」で寿司。その後、港まで歩いて、「島めぐり芭蕉コース」なる松島までの遊覧船に乗船。出発5分前くらいで焦ったが、無事に間に合った。

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船の周りの海には、出航前からウミネコが集まっていたのだが、船が出航して速度を上げると空を飛びながらついて来る。乗客が餌をやるので、人に慣れているのだ。餌を空中に投げると、器用に進路を変えて空中でついばんだり、人の手からも直接餌を取ったりもする。なるほどねえ。

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船は湾内の島を巡って松島に向かうのだが、変わった形の島があるのだよなあ。これなんかはスフィンクスにも似ている。

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どうやったらこんな穴か貫通するんだろうなあ。

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これも、鎧をまとった亀の如し。実に奇観だ。そして、今は静かなこの海が、震災の時は荒れ狂って陸地を襲ったことを考えるとやはり心が塞ぐ。

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松島に船が着き、目の前にあるのが瑞巌寺。松尾芭蕉も訪れたという。臨済宗の禅寺。平安時代初期、828年の創建というからこれまた古い寺。東北の歴史を感じる場所。平成の大修理中で本堂が見れないのは残念だったが。

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ここ松島は、日本三景のひとつ。私は関西出身なので、天橋立と宮島は既に小学生時代に訪問済み。残った最後のひとつを制覇するのに、とんでもなく時間がかかってしまった。しかし、日本三景制覇のしみじみした達成感あり。ついに達成した(笑)

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海沿いの観瀾亭にあるセコイアの化石。仙台に自生していたものかどうかは不明だが、遥か太平洋を超えて、ヨセミテ国立公園にも巨大なセコイアの大木が群生している。日本にも昔生えてたのだとしたら、悠久の歴史を感じる遺物だよなあ。

岐路はJRに乗って仙台まで。


「行くぜ 東北!」 杜の都 仙台編 その1
月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。深川芭蕉庵から旅に出よう。北に向けて。「行くぜ、東北!」 杜の都 仙台編その1。先週の3連休の記録。

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東北新幹線は、東海道新幹線よりも混雑してる気がする。仙台までは2時かからない。仙台駅についてホテルにチェックインした後、タクシーで仙台城跡に。

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タクシーの運転手は、地元では青葉城と呼ぶことなど教えてくれる。独眼竜政宗公像と対面。立派なもんですなあ。城跡は、仙台を一望する高い台地。周りが高い崖になった天然の要害の地に元々城があったのだ。震災の後、あちこちで城壁が崩れたりした修復のため、城跡に向かう道は東北大学の構内を通過する迂回路。

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城跡内には、護国神社があり、戦没者追悼の泉なども残されている。

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この塔の先端には、大きな金鵄が据えられて居たのだが、震災で崩壊。壊れた金鵄像は塔の下に仮置き。まだ彼方此方に震災の爪痕あり。

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天気がよければ仙台市内がもっと綺麗に一望できたのだが、あいにくの雨模様。しかし気温はひんやりして東京よりもずっと涼しい。快適ですなあ。

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来る時は不案内なのでタクシー使ったが、案外に距離が無いことが分かったので、帰路は下りだし徒歩で高台からブラブラと降りる。城壁や門跡の土台があちこちで震災で崩壊した記録が。しかし、道の両脇はほぼ復旧が完了している模様。

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城山麓の池は、仙台フィギュアスケート発祥の地だとタクシーの運転手に教えて貰った。仙台には戦争後に進駐軍の大きな基地が置かれ、アメリカ人が多くやってきたのだが、冬の凍った池でスケートをやりだしたのが始まりだとか。荒川静香は仙台出身と教えてもらった。ほお。

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広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず
時は巡り、また夏が来て、あの日と同じ流れの岸 瀬音ゆかしき杜の都 あの人はもういない。

北新地を歩くと「大阪しぐれ」のメロディが浮かぶが、仙台に来ると「青葉城恋歌」だなあ。

城のある高台を巡って流れる広瀬川は天然のお堀代わり。昔は川原にキリシタン弾圧の牢屋や刑場が置かれていたのだとか、これまたタクシー運転手から教えてもらった歴史。

人の営みは短いが、自然は悠久。全ての恩讐を超えて、川はただ今でも静かに流れているのだった。

3連休は神戸に
3連休はブラっと神戸に。

(東海道新幹線で)

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東京駅大丸でなだ万の弁当買って、昼間っから飲みながら食すると、旅情が感じられてよいなあ(笑)

東海道を新幹線で移動すると、結構鄙びた田畑の地域にも、欧米の基準では、まるで箱庭のような小さな家屋が鈴なりに建っている。しかしこの東洋の外れの倹しい小さな島国は、一時は余りにも自惚れて先の大戦の過ちで多くを失ったとはいえ、その後の刻苦勉励で世界二位の経済大国にまで登りつめたのだ。大都市と田畑を縫って走る東海道沿線は、高度成長を経て沈滞へと移行した日本社会のまさしく歴史的縮図だ。

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関が原辺りは、冬場に通るといつも雪が積もってる印象あるなあ。

予約したホテルは神戸駅近く。駅地下直結というから、看板くらいあるだろうと下調べ無しで駅に降りたのがまずかった。どうも昨年経営が変わってホテル名前も変わったらしく、案内図見ても出てないところあり。難儀して、一応ここではと辿り着いたエスカレータ壁面のホテルの名前がこれ。

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下から見たら全然読めませんがな(笑) 。調子乗った建築士が、見る人の利便も考えずに作ったのでは。こんな代物に金払うほうも悪いと思うのだが。

(神戸ハーバーランド)

神戸ハーバーランドは、昔一度来た事があるのだが、もう記憶が薄れてる。しかし、潮風の中でポートタワーと六甲山系が見えると、そこは何処でも懐かしい神戸という気がする。

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ただ、ショッピングモールには若干の「寂れ感」がそこはかとなく漂う。神戸の賑わいの中心は、やはり三宮から元町にかけてだ。

(お好み焼き「えびら」)

土曜の夜は、三宮のお好み焼き、えびらで一杯。ちゃんぽん野菜炒めは野菜が新鮮で、魚介の具も美味い。タコが美味いのはやはり明石が近いから。

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具沢山の「えびら焼」は、外はカリッと、中はしっとりと絶妙の焼き具合。早い時間は、お好み焼き焼いて50年以上と云うオバちゃんが焼いてくれるのだが、これが絶品。この店には子供の頃から親と一緒に通っている。神戸に来たら必ず寄るが、実に懐かしい味。これに慣れると、関東で「もんじゃ焼き」とか称する胡散臭いものを食べる気にならないなあ<オイオイ。

(湊川神社)

日曜は、湊川、新開地、長田辺りをブラブラ。昔は塩屋に住んでたのだが、御影に引っ越してからは、六甲、三宮、元町辺りがテリトリー。長田や鷹取などは来た事なかったなあ。観光客が訪れる、異国情緒あふれる表の神戸ではなく、もっとディープな「裏の神戸」を感じる場所。

湊川神社も来たことはあるはずだが、もうすでに忘却の彼方。楠木正成は神戸では「楠公さん」と呼ばれて大変有名な神社ではあるのだが、湊川の戦いで自刃した場所まで境内にあるとは知らなかった。境内の解説ボードでその伝記を勉強。なるほどねえ。

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(新開地辺り)

ブラブラ歩いて新開地まで。

新開地は、昔々、私が中高生の頃は、昼間っからグデングデンに酔っ払ってるような労務者のオッサンがいて、眼が合うと、「何見とんじゃ、ワレ~!」と絡まれる怖い場所だった気がするが、最近は私もすっかりおじさんなので、ちっとも怖くない。「元気にやれよ、労働者諸君」とばかり鷹揚な気分で街を歩くことができる(笑)。

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しかし新開地も、立ち飲みの店は安いし、粕汁とかやく御飯出してるような大衆食堂もある。中華系もずいぶん充実しており、どこも値段が安い。外食するには困らないなあ。仕事リタイアしたら新開地に部屋借りて住むか(笑)

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お昼は、「グリル一平」で、ハムサラダとイタリアン・スパゲティ。昔はこの辺りは一大歓楽街であったので、歴史ある洋食屋が残っている。ハムは実に上等なロースハム。スパゲティは、「パスタはアルデンテに限るでゲス」などという通が卒倒するような、ソフトな茹であがり。これを特製ソースで炒め、生卵を落とした純日本式。イタリア人に食わすと、割と美味い日本料理だなあと云うかもしれないが、これこそ日本の正しい洋食だ(笑)。

そういえば、その昔、新開地にいたのは、今、中川家の礼二が物真似している「通天閣のオッサン」と同じ種類のオッサン。ミナミと新開地はちょっと似た雰囲気がある。昔はああいうオッサンが盛り場にたくさんいた気がするが、最近だんだんと少なくなってないか。

派遣村だ、セイフティネットだ、政府の責任だなどと大上段な主張をする気持ちは無いけども、ああいった「通天閣のオッサン」が野垂れ死にしない社会。あんなオッサンでも、たまには昼間から酒飲んで、なんとか生きていける社会でありたいわね、やっぱり。自分だっていつあそこまで転落するか分からんものなあ。人生転落しだしたら、真っ逆さま、あっという間だよ。

新開地の隣町、福原は、平清盛の昔は一瞬だが日本の都だったこともあるのに、今はソープ街。神戸は港町で流れ者も多く、神戸人は皆、昔の歴史にはあまり興味なく恬淡としている。それにしても、考えてみると街の栄枯盛衰の歴史というのも、なかなか興味深いものあり。

(新長田と鉄人28号の街)

地下鉄でちょっと移動して新長田に。

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駅前の鉄人28号を見るのも初めて。しかし、意外に大きいものだとちょっとビックリ。この辺りは木造の古い住居が多く阪神大震災後の火災で大変なことになったのだが、再開発された駅前は新しく、広々として、しかしどこか町の活気や喧騒が身近に感じられず、なんだか寂れた印象を受けるのだった。

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アーケードでは、三国志ゆかりのモニュメントや看板、特別イベントと思しき太極拳も披露されているのだが、それもなんだかどことなく寒々しい気が。町の復興というのは、やはり本当に難しいという気がする。

(丸玉食堂東店)

夕刻に神戸元町に戻ってブラブラしていたら、JR 駅下のパチンコ屋近辺でケンコバが出てきてビックリ。Twitterで検索するとリアルタイムの目撃情報多数。やはり神戸に来てたんだなあ。

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晩飯は阪急高架下台湾料理「丸玉食堂東店」。ここも懐かしい。雑然とした汚い店。店に入ると、「お母さん、なんか悲しいことでもあったんですか? 大丈夫ですか?」と聞きたくなるほど悲しい顔したおばさんに迎えられるが大丈夫、あれが普段の顔。話するといたって普通なのである(笑)。

腸詰、海老春巻、八宝菜を頼んで老酒二杯。もう70の後半ではないかと思しい親父が台湾語混じりに家族に指示を出す。調理場で働くのはこの親父と息子、娘と思しい3名だが、お互いの連携が凄い。よくあれで注文を落とさずにどんどん作れるもんだと感嘆。店内は満席。決してA級の店ではなく、台湾の屋台の味。そしてそれが美味い。これも華僑が多い神戸ならではの店だ。

(うどん「ときわ」)

月曜のお昼は、三宮「ときわ」ミックスうどん。そもそもは讃岐うどんだが関西風アレンジされており、実に美味い。関西でも地場のうどん屋は讃岐系にだいぶ駆逐されてしまったが、個人的には讃岐讃岐したうどんは苦手。関西のうどんは、茹で加減も出汁も、讃岐うどんとはまたちょっと違う。釜揚げに醤油ぶっかけて食する習慣もないし。

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この店には名物のばあちゃんが居て、客が入店するなり、「来てくれておおきに!」と挨拶。その後も、「新聞読むか?」と新聞持ってきてくれたり、「荷物こっちに置いたらええねん」とかあれこれ話しかけて世話を焼く。去り際には、「握手しよ!」と手を握ると、掌には飴ちゃんが。「元気で!また来てや!」と送り出された。関西はいつ戻ってきても懐かしいなあ。



法隆寺テンプル
法隆寺の前にある表示板。

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英語表示には、Horyuji Templeと書いてあるのだが、寺(Ji)は「Temple」だから意味がダブっている。富士山を、マウント・フジヤマと言うが如し。まあ固有名詞を英語に直すのは難しいから、担当もずいぶん悩んだんだろうなあ。

余談だが、ネアンデルタール人というのは発見された地名にちなんでいるのだが、[ネアンデルタール」とは、ネアンデル谷という意味なんだそうで、発見場所をネアンデルタール谷としているのは間違いとの由。まあしかし、「ネアンデルタール」と一式で覚えてしまってるからなあ。

法隆寺の場合も、「ほうりゅうじ」で一式になって、最後の「じ」の「寺」の意味が薄れている。他の例でも、唐招提寺を「Toshodai Temple」と表記すると何かおかしい気がする。

しかし例外もあって、例えば長谷寺は、「Hase Temple」で座りがよい気もする。「てら」と読む固有名詞は大丈夫なのかな。いや、しかし、興福寺も、「Kofuku Temple」でよい気がするものなあ。だが法隆寺が、「Horyu Temple」だと何か違う気がする。差は何なんだろうか。

では神社の名前はどうか。春日大社は、「Kasuga Shrine」、樫原神宮は、「Kashiwara Shrine」、霧島神宮は、「Kirishima Shrine」。こうしてみると、神社系はあまり違和感無い気がするのが不思議というか。


今ふたたびの奈良へ その2
法隆寺参拝の後で、すぐ近くの藤ノ木古墳に。聖徳太子の重なるかちょっと前くらいの時代、既に前方後円墳がなくなり、円墳に横穴式側洞がついてる形式になって頃の古墳。

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古墳の上にはえ茂った草を刈っている最中。しかし住宅街の中にポツンと出てくるのが実に奇異に感じる。盗掘にあっておらず、副葬品が大量に出土して、石棺からも人骨や副葬品があれこれ出て、昔は大きく報道されたのを覚えている。そうか、ここだったのか。
  
近くの斑鳩文化財センターに副葬品レプリカがあるというのでそちらも訪問。真新しい建物。

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入ってみると他に誰も客がおらず、係員のおじさんに「まず最初に20分の映画をどうぞ」と映写室に一人で送り込まれる。何十人も入る映写室を独占。なんとも豪気な話だなあ(笑)

映画で藤ノ木古墳発掘のあれこれを勉強。青銅製の靴は有名だが、レプリカを見ると非常に大きくデフォルメされ、やはり装飾用だったことが分かる。

映画の終わった後も見学客は誰も来ない。展示品を係員のおじさんがずっと横について説明してくれるのだが、これまたなんかえらく申し訳ないような。一人用の古墳なのだが石棺には男性が2名葬られており、なんらかの異常な事態が想定できるのだという。副葬品の豪華さや古墳の大きさからも、かなり勢力のあった豪族だとも。聖徳太子は果たしてこの墓に誰が眠るか知っていただろうか。

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この文化財センターは、町の予算で運営されているのか入館料無料。なんだかあまりにも申し訳なかったので、ポケットの小銭を浚って、募金箱に500円ばかり入れてきた(笑)

今ふたたびの奈良へ その1
金曜は仕事で大阪に。2つ用事を済ませるともう夕方なので、慌てて帰るのは止めにして大阪に私費でステイすることに。

土曜日は、奈良をブラブラ。去年の訪問で行けなかった法隆寺など再訪。

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なんだかずいぶん空いてたなあ。

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法隆寺夢殿の秘仏、救世観音は、聖徳太子を模したと伝えられるが、ご開帳期間ではなく扉の中に。梅原猛の日本学、「隠された十字架~法隆寺論」を読んだ時の衝撃は、昔の日記にちょっとだけ書いたが、読んだ時の背筋も凍る感覚は今も忘れない。

史学からの批判もあるし、真相が明らかになることは、おそらくもうあるまいが、梅原の時と空間を超えたVisionの持つ一種の説得力には今でも驚嘆の念を持っている。
3連休は神戸に滞在
3連休は用事があって、懐かしの故郷、神戸に短期滞在。

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神戸港のシンボル、世界に冠たる(笑)ポートタワーは、昔はもっと高いように感じたけど、東京スカイツリーなどを見慣れると、ずいぶん見劣りする感あり。リメイクされた映画で現代の新宿に現れたゴジラが、超高層ビルよりもずっと背が低かったのを見た時の複雑な心境というか。国際都市神戸のシンボルとして、300メートルくらいのを新たに建てたらどうかねえ。

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神戸に戻った時、いつも寄るのは、三宮東門筋から一本入った裏道のお好み焼き「えびら」。小さな店だがいつも流行っている。関東のもんじゃ焼きがもともと子供のおやつなのに大して、関西のお好み焼きは、オッサンが店で酒飲んでもまったく違和感無い場所なんだなあ。そうそう、「じゃりんこチエ」にも出てくるが。

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チャンポン野菜炒めは、タコの歯応えと旨味、シャキシャキした野菜の食感が素晴らしい。モヤシも極細で独特。お好み焼きでは、ミックスの具が入った特製の「えびら焼き」を推す。表面は香ばしくカリっと焼き上がり、中はフンワリと具の旨味を閉じ込めた焼き上がり。粉っぽさは微塵も感じない。50年ひたすら焼き続けた熟練の技。一流の料理人連れてきても、直ぐには真似出来ないだろう。小さな店だがテーブルは既に予約で一杯。オバちゃんは元気だった。

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日曜昼は、三宮「ときわ」のうどんを食べたかったのだが店は閉まっている。近くの高架下「丸玉食堂」へ。JR元町駅下にも同名の店があるが、別の経営。昔からある台湾料理の店。

八宝菜は、メニューには「いろいろの炒りつけ」と書いてある。このレトロなB級感がよい。豚レバーや海老、イカなどが入る 炒飯は、パラリとしたモノとはまったく違う路線なのだが、これはこれでビールと共に食すると美味いのであった。他にも豚足や中華風ソーセージなどツマミを頼んで飲むのもよい店。

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元町商店街アーケードの南側が「南京街」と呼ばれる昔からの中華街だが、立派な門が立ち、店も増えているような。そして、昔よりもずっと色濃く本場中国感というか、エスニックな異国感が漂っている印象が。昔から日本に溶け込んだ華僑もいるが、新規に日本に来ている中国人もずいぶん流入しているのでは。

海岸通り沿いや海側にも、あちこちに見知らぬ店あり。懐かしい街並みも、どんどんと変わってゆく。

そうだ、奈良行こう その2
奈良に行った目的のひとつは、もうとんでもない昔だが、中学生の頃に野外学習で歩いた「山の辺の道」をもう一度再訪したくなったから。まあ千何百年も昔から残ってる道であるから、ちょっとやそっとでは変わってないだろう。

確かあの時は南から石上神宮を目指して歩いた記憶あり。奈良駅から南下して桜井駅で下車。しかし駅の付近にはまったく記憶無いなあ。

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芸能創生の地の立派なモニュメントあり。これも覚えないねえ。山の辺の道そのものは三輪山付近を基点にして、山際を通る道なのだが、起点に着くまでだいぶ市街を歩く必要あり。歩道には表示があってそこを辿ってゆくのだが。

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しばらく歩いてようやく三輪山のふもと、山の辺の道の起点に到着。しかし、やはり風景には記憶が無いねえ。全ては忘却の彼方だ。

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道の途中には由緒ある神宮社が。道は時には山道となり、時には民家の横を通り、時には田畑の横を通る。

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道のあちこちで、深まりゆく秋の気配が。なんとなくこの辺りの道の雰囲気には覚えあるような気もするなあ。

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景行天皇陵と祟神天皇陵。これは確かに昔見たような記憶あり。稜の入り口は山の辺の道とは反対側にあるのだが、今回は後ろから眺めただけ。

昔はすぐに石上神社まですぐに到着した気がするのだが、やはりなかなか長い道のり。昼時になったので、いったん山道から離れて国道沿いまで出て、昼食を捕る店を探す。昼を食べたらまた山道に戻るのが面倒になって、そのまま国道沿いを天理まで。

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天理市は天理教の町。大学や宿泊施設、本殿など実に立派な建物が並んでいる。こんなに隆盛を誇っている宗教とは思わなかったなあ。建物がどれも、なにやら中国大陸にある「なんとか大飯店」風なのはいったいどういう訳だろうか。これまた不思議。

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そしてようやく石上神宮に到着。実に神寂びた静かな場所。しかし、昔の記憶ではもっと境内が広かった気がするのだが、記憶を辿ると、これまた不思議な気分である。

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天理駅から電車で奈良まで戻り、東大寺まで。これまた実に久々に見る大仏殿と大仏。奈良の大仏は像高14.98m、下から見上げたときの高さ18m。鎌倉の大仏は、像高11.3m、台座を含む高さ13.35m。奈良の大仏のほうが大きいのは知ってたが、もっともっと大きい記憶があったがなあ。昔の記憶というのは常にそういうものかもしれない。

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ホテルへの帰路に乗車したタクシーの運転手によると、奈良市内は建築規制が厳しく高層の建物が建てられないとのこと。奈良県庁も、まるで何かの博物館のような低層の建物なのであった。古い歴史を感じるが、また実に鄙びた気がする古都なのだった。


そうだ、奈良行こう その1
金曜に年休取得して、この週末は4連休。フラッと奈良まで行ってきた。奈良に行くのは、その昔、小学校や中学の頃に校外学習で何回か行ったのと、学生の頃に一度行って以来。日本に帰国したのだから、思い立ったら数時間でどこにでも行ける。ということで、最近、鎌倉や神戸など連休の旅にブラブラ出かけているのだった。

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木曜の昼前に出て、大丸地下で弁当とお酒を購入。車窓からの風景を見ながら飲む昼酒は気持ちよく回るなあ(笑)のぞみ号は品川、新横浜、名古屋に停車。その次の京都で下車。ここから「みやこ路快速」で奈良まで。今まで奈良には神戸からしか行ったことがないので、この路線に乗車するのは初めて。しかし、快速というのは1時間に2本しかないし、あまり賑やかな路線ではない。

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荷を下ろしたのは、JR奈良駅西口の日航ホテル。駅の西側には何も無く、昨年の奈良遷都1300年祭に合わせて再開発された場所とのこと。近鉄奈良近辺のほうがずっと賑やかなのだとか。やはり何も調べずにフラっと行ってはいけませんな(笑)

チェックインを済ませると3時頃。神社仏閣、博物館というのはというのは閉まる時間が早いので、あまり時間がない。とりあえずタクシーで国立博物館まで。

ところが、先週から「正倉院展」なるものが始まっており、本日は祝日とあって国立博物館新館には長蛇の列。入場まで1時間かかるという。これはダメだ。まあ、やはり何も調べずにフラっと行ってはいけませんな(笑)<いったい何回同じ反省してるんだ(笑)

ただ係員に聞くと、仏像関係には常設展示があるというのでそちらのほうに。

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奈良はお寺があちこちに現存しているので、仏像はお寺のほうにあるんですなあ。さほど見るべきものなし。これは鎌倉時代の作だが、掌にくっきりと運命線が刻まれているのが珍しい。右手も左手もであるから、明らかに意図を持って刻まれている。仏教そのものと手相には本来何の関係もないと思うが、仏師は観相について何らかの知識を持っていたのだろうか、それとも単なる偶然なのか。他の仏の手には同じような線は見当たらないのだが。

博物館内の仏像でも、撮影禁止のものと撮影可のものがあるというのが不思議。塗りが残ってるようなものはフラッシュにより劣化するからだろうか。もっともフラッシュ焚いてるような人もいなかったのだが。

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国立博物館出た後はすぐ横の興福寺へ。国宝館を拝観。東京で開催された阿修羅展を終えて、八部衆立像がここに戻っている。残念ながら内部は全て撮影禁止。国宝阿修羅像は、奈良時代の昔から、常に同じ、憤怒の中に奇妙な深い哀しみをたたえて、その像の前に建つ者達を見下ろしている。

阿修羅像以外の八部衆立像の中では、奈良時代にあって、迦楼羅像(かるらぞう)のSF的とも言えるイマジネーションは素晴らしいが、その他は普通の仏像の範疇内に納まるもの。阿修羅像にあっても、正面の顔は素晴らしいが、左右の顔は明らかに劣る。なんらかの形でこの乾漆像の造形時に起こった奇跡なんだなあ。

その後、どこで夕食にするかと駅までの道などブラブラ。しかし全然店が無い。近鉄奈良駅近辺は若干の賑わいがあるのだが、到底繁華街と呼べるレベルでは。いったい奈良に住む人はどこで外食とかしてるのだろうか。やはり何も調べずにフラっと行ってはいけませんな(笑)<いい加減にしろよ(笑)

という訳でその2に続く。


神戸旅行写真日記
先週の神戸行きでとった写真など。

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新神戸駅横のホテルは、昔はオリエンタルホテルだったと思ったが経営が変わって、ANAクラウンプラザという名前に。地下鉄で三宮に一駅なのだが、PASMOが使えず毎回切符を買わなければならないのが面倒。滞在するなら三宮や元町近辺がよかったかも。

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阪急六甲駅もずいぶん変わっている。このあたりからJRの六甲道駅までは、大学生の頃によく飲み歩いた場所。しかし馴染みだった店は全て無くなっている。

小さな居酒屋のオヤジと仲良くなり、皿洗いを手伝ってやったりしてるうちに毎晩飲んで騒ぐ仲間が大勢できたのだが、学生は私一人であとは皆社会人。サラリーマン、コインランドリーの経営者、塾の先生、寿司屋の職人、踊りのお師匠さん。その後の再開発で店周辺はもう跡形もない。皆、今頃どうしているのだろうか。

阪急御影の駅を降りて山を登る。この道を毎日徒歩で上り下りして学校に通っていたのだった。

神戸の街も、震災復興もあってずいぶん変わってしまったが、この深田池のあたりはまったく変わっていない。

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元参院議長扇千景が日経「私の履歴書」に、「長門裕之とベンチで恋を語ってキスした」と書いた場所である。そういえば長門裕之も先日亡くなったなあ。

そこから以前実家があった場所まで行ってみる。こんな坂道を毎日登っていたとは、今となっては信じられない気が。

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こちらは、小中学校の通学時にいつも通った甲南病院前から神戸の街を見下ろした風景。子供の頃、ここで月食を観察したこともあったっけ。これも考えてみればずいぶんなアップダウン。神戸はまさしく坂の街だ。

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ビバリーヒルという看板が出てるのは、安アパートのような建物だが、確か私が子供の頃からあったような。もうずいぶん老朽化しているだろう。しかし、こんな賃貸アパートに「ビバリーヒル」と名付けたオーナーの勇気には感嘆する。明日は今日よりも自然によくなると、そんな明るい希望が日本にも満ちていた時代を象徴するかのような。

全てが懐かしい小旅行であった。

神戸食日記その3 神戸ラーメン
先週の神戸滞在中、お昼に神戸ラーメン第一旭に。

Wikiにも「神戸ラーメン」の項目が立っているのだが、全国のラーメン特集などでも、神戸はあまり取り上げられることがなく、あまりラーメンが有名な土地ではない。

ただ、歴史的に中国系華僑が多く在住して、町場の小さな中華料理店も彼らが開いた店多し。そんな小さな店で出すラーメンというのは、いわゆる本格的中国レストランで出す汁そばに近い。関東風の醤油味シナソバとはちょっと違う。澄んだ上湯にストレート細麺というのがごく普通。関西は全般にあまり醤油は使わず、出汁と塩での調理が主だし、中華でも本当は日本風の醤油は使わないからなあ。

この第一旭は発祥が京都なのだそうだが、神戸ラーメンを名乗る。スープについては若干のとんこつ風味もあるが割とあっさりした軽い醤油味。もっとも醤油味はかなり薄い。細いストレート麺に薄く機械でスライスした醤油味の煮豚が入る。関西はうどんでもそうだが、ネギは青ネギ。これがこれが合う。細めのもやしもよい。

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まあ、濃厚なとんこつや、魚介類のダブルスープなど、昨今のラーメン界もずいぶん進化しており、最先端から見ると、どこか過去に置き去りにされたようなラーメン。しかし学生の頃の思い出と共に食うと、なんだか懐かしい美味さなのだった。まあ、そんな思い出なく初めて食する人は、「なんじゃこりゃ」の世界かもしれないが。食べ物と言うのも面白いなあ。