FC2ブログ
97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
歌舞伎座「六月大歌舞伎」、第一部。
先週末は歌舞伎座「六月大歌舞伎」、第一部。

20210616201025c8f.jpeg

最初にチケット取った時は、「芋洗い勧進帳」は、芝翫だしどうかなと席は取ってなかったのだが、週末が近づいて見てみると座席に空きあり。ふと思い立って前日に取ってみた。

という訳で、最初の演目は「御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)」加賀国安宅の関の場。

歌舞伎十八番よりも成立が古く、豪快で古風な江戸荒事の特徴を残す演目。勧進帳を読む所は同じだが、富樫が義経主従の通行を認めた後、疑いを持たれた弁慶は捕まる。弁慶は泣き出して、番卒に馬鹿にされ嘲笑されるという展開。

しかし、これは義経を遠くまで落ち延びさせる時間を稼ぐ計略。もう十分遠くに行ったと悟った弁慶は名乗りを挙げ、大立ち廻りで番卒達の首を次々に引っこ抜き、大水桶にぶち込み、芋を洗うように豪快に仁王立ちでかき回すという大詰め。

芝翫は、どの演目でも花道の出は顔が大きくいつも立派。その後で萎んで行く印象がつよいが、この演目の武蔵坊弁慶は、荒唐無稽な荒事として意外に柄に合っている。「いずれも様のお陰で、なんとかこの大役を務める事ができました」とご機嫌で大樽を金剛杖でかき回し、番卒達の生首がどんどん舞台に転がって行く大詰めも、十八番の勧進帳とはまた違って、なかなか面白かった。

雀右衛門の義経は、最近何かで見た気がしたが、この演目ではそれほど見せ場は無いような。鴈治郎の富樫左衛門。

短い幕間を挟んで「夕顔棚(ゆうがおだな)」

田舎百姓屋の軒先。夕顔棚を見ながら酒を飲んで夕涼みする爺さん婆さんは、折から聞こえて来た祭り囃子に、若かった昔を思い出す。詩情にあふれた夏の一夕。清元の舞踊。菊五郎の婆さんが風呂上がりに前をはだけて笑わせるが、左團次の爺さんと共に品が良い。巳之助の里の男は、流石に踊りが流暢で巧いものである。



スポンサーサイト



歌舞伎座「六月大歌舞伎」、第三部を見た。
六月最初の週末日曜日、歌舞伎座「六月大歌舞伎」第三部。

2021061521592091b.jpeg

観劇の前に銀座「鮨 み富」で腹ごしらえ。ノンアルビールしか飲んでいないので、素面で見物。そういえばコロナ禍で、歌舞伎座内のドリンクコーナーでも「令和禁酒令」以前からアルコールは販売されていないし、食堂でもアルコール販売なし。すっかり劇場内で飲む習慣を無くしてしまった。健康によろしい(笑)

最初の短い演目は「京人形(きょうにんぎょう)」

左甚五郎を白鸚、京人形の精を染五郎が演じる。高麗屋の祖父と孫の共演。染五郎は美しく女形も良い。魂の入らないぎこちない人形の動きと、傾城の鏡を胸元に入れられた時の妖艶な女の動きも見事に演じ分ける。若いうちは女形も勉強の内なのだろう。高麗屋の跡取りがずっと女形という訳にも行かないだろうが。

太夫を模した自分の人形が動くのに相好を崩す左甚五郎と孫との共演を寿ぐ白鸚の姿が重なる。常磐津と長唄の豪華な掛け合い。後半は大工道具を印象的に使った立ち廻り。白鸚も身体は動いて、なかなか元気ですな。

20分の幕間の後、日蓮聖人降誕八百年記念、「日蓮(にちれん)」─愛を知る鬼(ひと)─。

荘厳な読経で始まるオープニング。比叡山で法華経こそ唯一無二の法典と説く猿之助、蓮長(後の日蓮)に怒った坊主がお堂に詰めかける場面から始まる。この部分は緊迫したオープニングではあるのだが、猿之助が神々しいライティングで登場すると、いきなり胡散臭くて、なんだか笑ってしまった。あの照明は、狸か狐が化けた仏様が出てくる時使うお笑い用の物なのではと感じるなあ。

笑三郎演じる賤女おどろが、一度は信じた蓮長に何一つ良い事はなかったと呪詛を吐く場面は、キリスト教で言うなら「何故神は我々を助けてくれないのか」という根源的な、所謂「神の沈黙」のテーゼに似て実に迫力あり。しかし「えっ、そんな程度で、また法華経をありがたがって、再帰依してしまうんですか」と心配になる筋書き。

市川右近の善日丸と猿弥演じる阿修羅天が、日蓮の両極端の心象を表しているというのも分かりやすい設定ではあるが、ちょっと深みがない。隼人は、単純無垢で騙されやすそうな美形坊主として見ると、なんだか妙に似合っている。逆に言うと帰依に至った説得力があまり無いのでは。

元々この「日蓮」は、降誕八百年記念として数年前から新作歌舞伎大作としての企画を進めていたのだが、コロナ禍で1時間の短編に縮小したのだとか。澤瀉屋がやるのだから、本来はもっとケレンもあって、最後は日蓮が宙乗りして去っていくラストなんかがあったはずなんじゃないかな(笑)。音楽なんかはそれなりに壮大、荘厳なんだけど、最初に企画した理想像とはかけ離れたものになったのかな。分かりやすい作品ではあったけど、その分薄っぺらい出来になった気もする。このままでの再演は、ちょっと無いような気が。

歌舞伎座「六月大歌舞伎」、第二部を見た
六月最初の週末土曜日、歌舞伎座「六月大歌舞伎」第二部。「桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)」下の巻。

2021061519573960b.jpeg

四月に「上の巻」が上演されて満員御礼。六月の公演で「下の巻」。そもそも全段演ずると一日かかるような演目らしいが、コロナ禍では二部に分けて正解。しかし、間に一ヶ月挟んでいるため、まず開演前の幕外で、上の巻のあらすじ解説があるのは親切。

小姓との道ならぬ恋に落ち、心中に失敗して生き残った清玄は、桜姫が死んだ小姓の生まれ変わりと悟るが、しかし何故か袖にされるという不条理。そこから始まる止めどない流転。桜姫は盗賊に手篭めにされ道ならぬ子供を生むのだが、あろうことか腕の入れ墨しか覚えていないこの盗賊に惹かれ、自分の腕にも同じ入れ墨を入れて、人生を奔放に生きて行く事になる。

仁左衛門は、運命の坂道を途方もなく転落していく哀れな高僧清玄と、粋でスッキリ伊達男の悪漢、釣鐘権助を見事に演じ分けて印象的。玉三郎も、悪党釣鐘権助に対するひたむきな愛と、その為に女郎にまで身を落としながらも、あっけらかんと生きて行く桜姫の艶やかさと強さを鮮やかに演じる。

生き返った清玄と、桜姫の庵室での立ち回りは、経文をサラサラと投げ流しながらの見得が実に幻想的で美しい。そして場面の最後は清玄の頭に包丁が刺さるスプラッタ・ホラーの展開。そこからは、生き抜く桜姫に取り憑いた、妄執の清玄の幽霊が何度も権助と交互に現れる。

鶴屋南北先生は、200年も前に、輪廻転生に奇想天外、エロ・グロ・ホラー満載のこんな物語をよく書いたなあ。そして仁左衛門、玉三郎が年齢を超えてなんと楽しそうに演じる事か。上巻、下巻とも見れて実によかった。

大詰では場面転換。浅葱幕が切って落とされると舞台は、浅草の雷門。最後にはお家再興が成り、桜姫はお姫様に戻って大団円。仁左衛門も三つめの役で登場。最後は客席になおって「まず本日はこれぎり」と切り口上で幕。上演はあっと言う間に感じた。歌舞伎の、ある意味、娯楽としての最高の到達点を見た気分で歌舞伎座を後にした。

歌舞伎座、「五月大歌舞伎」、第一部。
五月大歌舞伎は、三部ともチケットを取っていたのだが、GWの最中、大相撲開催前の月初に取っていたもので、全て緊急事態宣言発出に伴い公演中止で払い戻しに。五月は見物は無理だなと思っていたが、大相撲が観客を12日から入れるのに合わせて公演が開始に。チケットは既に結構売れていたのだが、大相撲7日目の土曜日に出ていた第一部の戻りを取った。

202105291518450c5.jpeg 20210529151936ca4.jpeg

この日は11時から歌舞伎座、終わってから国技館に行ってマスB席で観戦という、結構忙しいし、マスクしているとはいえ11時から夕方6時まで周りに人がいるという、どうも観戦リスクを考えると気の進まない状況だったが、松緑の舞台だけは見ておきたかった。

歌舞伎座の席は西の二階桟敷。前も後ろも観客は居ない。左右も離れており快適である。

最初の演目は、河竹黙阿弥作、「三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)」。大川端庚申塚の場のみ。

夜鷹おとせで出た莟玉は、前夜の客がたまたま落としていった百両を返そうと相手を探しているという、薄幸ながら心優しい女性の雰囲気が良く出ている。出番は短い端役だが、人気の花形女形が出ると「哀れだなあ」と同情してもらえる印象的な良い役。二階から見ると、ああいう風に舞台下に消えているのだとなかなか面白い。

右近は花道の出も派手であったが、おとせの懐の百両に手を出す所で、いきなり立役の迫力ある低い声が出て、そのコントラストにちょっと度肝を抜かれる。

「月は朧に白魚の 篝もかすむ春の空」の名台詞も朗々たるもので、実に立派。清元の経験も活きているのか。美しい女(実は劇中でも女装した盗賊だが)が、夜鷹から百両奪って隅田川に蹴落として「春から縁起がいいわい」とあっけらかんと台詞を唄う姿は倒錯したピカレスク・ロマンの感があって、今まで見た大川端の中でも印象的。

隼人は何時も肩肘張って頑張っている。体格も台詞もなかなか立派ではあるが、どこか生硬な所があり、一歩崩れるとガタガタになりそうな、大根と表裏一体の危うい感じがある。そこがよい。ま、偏見ですが(笑)

人気の演目、場面で、様々な座組で見た。中には一人だけ大看板というバランス悪い座組もあったが、今回の「三人吉三」は全員花形。和尚吉三の突然の仲裁に応じて義兄弟になるのは突然にも思えるが、この日は、なるほど、これも実に奇妙な運命のトライアングルだったのだと、今までで一番腑に落ちた出来。3人の醸し出す絶妙なコンビネーションだ。和尚吉三の巳之助は松緑に教えて貰ったというが、人間の良さ、大きさが出ている。そして時折、三津五郎の面影がよぎる。

そして次の演目が、新古演劇十種の内 「土蜘(つちぐも)」

松緑が叡山の僧智籌実は土蜘の精。音羽屋の家の芸であるが、同様の蜘蛛の精が暴れる演目は澤瀉屋でも出る。「蜘蛛の絲宿直噺」は昨年の11月に猿之助で見た。その猿之助が源頼光として相手に座っているのだから、舞台に重みと迫力あり。

源頼光主従の土蜘蛛退治を題材にした変化舞踊。智籌の花道の出は観客に覚られぬよう、静かに出てくるのだそうであるが、ボーッとしていたので七三の所に来る迄気づかなかった。

松緑は怪異な眼力鋭く実に印象的。猿之助もギラギラ光る存在感を舞台に与えていた。澤瀉屋「蜘蛛の絲宿直噺」は、今度の七月大歌舞伎でまた出て、猿之助が最後は女郎蜘蛛になる五人早変わりの役を演じる。この演目で、松緑は頼光ではないが、家臣の平井保昌を付き合うのも面白い。

松緑は七月「あんまと泥棒」に主演。あんま役は中車。2月の歌舞伎座「泥棒と若殿」で巳之助相手に泥棒役を演じたが、七月もまた泥棒役。なかなか興味深い。





歌舞伎座「四月大歌舞伎」第三部を見た。
先週木曜日は、歌舞伎座「四月大歌舞伎」第三部を観劇。演目は、仁左衛門、玉三郎の「桜姫東文章」

20210429161757667.jpeg

元々は、webでの発売日に、土日のA2、A3ブロックが全て押さえられており、後で戻りを取るかと軽く考えていたら、公演は始まってほどなく大人気となり、歌舞伎座地下売店ではポスターを求める長い列ができ、土日どころか全日程で全ての席が完売に。

一旦諦めていたのだが、東京都にまん延防止特別措置が出て、8時までに終演とする為、開演時間と終演時間が変更に。戻りが出るのではとチケットweb松竹を時折チェックしていると、一階の16列に一席だけポッと戻りが出たのをゲット。ラッキーだったな(笑)

今回はコロナ対応もあり、「上の巻」として前半部分を。後半部分は6月に上演するという趣向。仁左玉での上演は34年ぶりと言う事で、さすがに見た事の無い演目。事前に「歌舞伎の101演目解剖図鑑で事前に見所をチェック。


発端の「江ノ島稚児ヶ淵の場」。僧と稚児が自殺したという伝説のある江ノ島に実在する場所なのだそうである。僧の清玄が仁左衛門、衆道の仲である稚児の白菊丸が玉三郎。生まれ変わって夫婦になろうと誓った道行きの花道で顔を寄せ合った時は、本当にキスするのかと思った(笑)しかし海に飛び降りる際に清玄はためらい、死に損なう。白菊丸が桜姫に転生するという輪廻の輪が巡り始める。

序幕第一場「新清水の場」は、コロナ禍の興行では珍しいほど大勢人が出て、渡り台詞も賑やかで、歌舞伎の様式美に溢れた美しい舞台。発端から17年。玉三郎の二役、桜姫が生まれ落ちてからずっと握りしめていた掌中から白菊丸の形見の香箱が現れ、高僧となっていた清玄は桜姫が白菊丸の生まれ変わりである事を知る。しかし姫の家を巡るお家騒動は華やかな舞台のあちこちに陰謀の影を落としているのだった。

20210429161839e61.jpeg

次の「桜谷草庵の場」が玉三郎の桜姫と仁左衛門の二役、盗賊の権助との濡れ場。歌舞伎屈指とも言えるエロティックで迫真の舞台。観客席は静まり返って息を呑む。

そして零落した不義の罪を着せられ、零落した清玄と桜姫が交錯する第二幕。「隅田川物」が投影されているのだそうであるが、そういえば、三月大歌舞伎で舞踊劇の「隅田川」を玉三郎、鴈治郎で演じていたっけ。

「上の巻」はここまで。6月の公演も待たれる。

200年も前に書かれた物語、転生輪廻と運命の輪。貴人の零落。歌舞伎の様式美を背景に、鶴屋南北独特の奇想を元にした退廃かつ耽美な世界が、仁左衛門と玉三郎に憑依して舞台上に現出する。奇跡の舞台。呆気にとられるうちに夢幻の如く終了していた。

歌舞伎座、四月大歌舞伎、初日に第二部を見た
歌舞伎座、四月大歌舞伎、初日の日に第二部を見たのだが、感想書くのをすっかり忘れていた。

20210418104057357.jpeg

最初の演目は、「絵本太功記(えほんたいこうき)尼ヶ崎閑居の場」。いわゆる「太十」。

吉右衛門が倒れて入院中という時節柄では、どうしても吉右衛門の武智光秀を思い出す。落ち武者風の藪の中からの出にして、実に古径で大きかったなあ。芝翫も物理的な顔は十分大きいのだが、役は大きく見えないのが不思議。

初出陣だが死を既に覚悟している光秀の息子、武智十次郎が菊之助、許嫁の初菊が梅枝。どちらも大変に印象的。喜びと悲痛が交錯する祝言の酒坏。それは絶対不利な戦局を理解した若武者には別れの酒坏でもある。死を覚悟した若武者と許嫁を襲う戦乱の悲劇。

武智光秀の登場の後は、主君への忠義を説く母親と、暴虐な主君なら討ってよいのだ。天下の為だ、中国の故事にもある、と革命論を振りかざす光秀の親子を襲う悲劇。光秀の息子は命からがら戻ってくるが、もはや目も見えない。三代の家族を巻き込んでいく残酷な運命。義太夫狂言の名作。

最後は場面が展開し、扇雀の真柴久吉(何故かこの場に居て風呂を沸かしたりしている)と久吉家来の彌十郎の佐藤正清が駆けつけ、光秀と共に見得を切って決まる。どうでもよい事だが、最後の見得で前に伸ばした彌十郎の左足の親指だけが大きくそっくり返っている。帰宅して試してみたが、足の親指だけあんな風に動かすなんて、ちょっと無理だなあ。よほど練習しないと。

次は、「団子売(だんごうり)」

大坂天神橋で、餅屋台を担いだ団子売の杵造とお臼夫婦が餅つきをして団子を作る体の舞踊。梅玉と孝太郎は踊りが達者である。仲睦まじい夫婦ものが杵と臼で踊るというのは、セクシャルな寓意が含まれているのだと思うが、あっけらかんと明るく幸せな舞踊。五穀豊穣、子孫繁栄の願いが込められているのだとか。



歌舞伎座「四月大歌舞伎」第一部、弁慶A,B日程を見た。
4月の第一日曜日は、歌舞伎座、四月大歌舞伎の第一部。

最初の演目は「小鍛冶(こかじ)」

猿翁十種にあるものの、上演は24年ぶりという珍しい演目。伴奏は本来、歌舞伎の竹本ではなく、特定の楽団が伴奏するらしいが、今回は歌舞伎スタイルで。三味線の事は一つも知らないが、弦のチューニングが普通の義太夫よりも低いんじゃないかな。開放弦で引く時にビビり音が聞こえる。バチで下から上に掻き上げるようにピッキングするのも、普通の義太夫三味線のスタイルではあまり見た事がない。

まず出てくるのは、三條小鍛冶宗近を演じる中車。能掛かりの舞踊を丁寧に踊る。「稽古を重ねている中車にこの役を」と思いお願いしたと猿之助が筋書きで。やがて現れるのが、猿之助の狐の精の童子。やはり主役は猿之助であるから、中車は横に控えて、ケレン味がありながらも実に美しい猿之助の舞を見る事になる。

稲荷明神の場が終わると、三條小鍛冶宗近の邸宅の場。笑三郎、猿三郎、笑也、猿弥の澤瀉屋勢が弟子役で賑やかに舞を。そこに壱太郎が巫女役で華を添える。

最後の鍛冶場では、猿之助が稲荷明神として登場。澤瀉屋の従兄弟同士でトンカントンカンとリズミカルに刀を打つ場面が微笑ましい。「相槌を打つ」という慣用表現がこの刀鍛冶から来ているとは知らなかった。珍しい演目を見れてよかった。

次の演目、「勧進帳」は、今回A,B日程があり、この日は新幸四郎が弁慶を演じるB日程初日。A日程は白鸚が本興行では最高齢の78歳で弁慶を演じる。

B日程では、松也が初役で富樫を。最初の出での初ゼリフは、最初の発声が若干上ずってアレッと思ったが、秒速で修正。若干ぎこちなく始まったが、段々と調子を上げて行った。山伏問答は、弁慶と火花が散るような丁々発止とまでは行かなかったが、まだ初日であるしこれから進歩していくだろう。幸四郎の弁慶は、独特の明るい重厚さを持って丹精に成立している。

松也の富樫のセリフは、声の強弱と抑揚があちこちで振れ過ぎな気がした。菊五郎に教えてもらったらしいが、幸四郎の富樫とはちょっと違う印象。雀右衛門の義経は、演技の線が細いのだが身体は肥えており、顔がちょっと福々しすぎるかな。

4月の第一部はこれで終了の予定であったが、先月は吉右衛門の体調不良入院もあり予後も不明。見ておける時に見ておかなければと次の週に、白鸚が弁慶を演じるA日程も戻りで拾った。本興行最高齢の弁慶。花道での弁慶第一声は、おっ、これほど声が出るのかと驚く大音声であったが、第二声から急速にエコモードに。これはまあ仕方ないね。雀右衛門の義経は先週よりも大きかった。

幸四郎の富樫は松也と比較すると明確に安定した出来。何でもできる器用な役者だが、そもそも弁慶よりも富樫のほうがこの人のニンにあるのだろう。白鸚の弁慶は、もう1000回以上務めている訳で、老獪な風格があり、これまた安定の出来。「延年の舞」以降では、幸四郎が「滝流し」を入れて花道まで使って舞うのに比較して舞台で動く場所は限定されており時間も短いが、きちんと弁慶として成立している。

義経を見送り、富樫に深く一礼した後の幕外の引っ込み。静まり返った劇場の中で天に感謝する弁慶、白鸚の荒い息遣いが二階席まで聞こえてきた。歌舞伎役者というのは、命を削る仕事である。飛び六方の引っ込みには万雷の拍手。勿論、観客の声援があるからやっていられるという事もきっとあるのだろうが。


歌舞伎座、「三月大歌舞伎」第二部を見た
先週日曜日は、歌舞伎座で「三月大歌舞伎」第二部。

20210312233657151.jpeg

最初の演目は仁左衛門の、一谷嫩軍記「熊谷陣屋(くまがいじんや)」

20210312233720f75.jpeg

チケット松竹での発売当初から、一階一等のA2,A3ブロックは全て空き無しという人気。仕方ないので西の一階桟敷席を。本来なら人気のある席だが、飲食が出来ず一人席というので結構チケットは取りやすい。前後に人が居ないのでコロナ禍でもソーシャル・ディスタンスが完璧。花道が見やすいのは結構。

ちょうど前夜には録画でNHKで放映された吉右衛門の「須磨浦」を見ていた。吉右衛門が新たに台本を書き、能楽堂で収録された一人舞台。時系列で言うと「一谷嫩軍記 熊谷陣屋」前の二段目、「陣門」「組打」に相当するか。主君の命とあって敵の若武者16歳、敦盛の命を助け、替わりに同じ年の自分の息子の首を討つという極限の悲劇。

歌舞伎の舞台になっているのは須磨寺で、昔は故郷であって隣の塩屋にも住んでいたし、石屋弥陀六の御影にも住んでたので、この演目は懐かしい気分あり。

「熊谷陣屋」は何度も見たが、今回の仁左衛門「熊谷陣屋」は圧巻の出来。

昨年12月の南座でも仁左衛門主演で出たのだが、孝太郎がコロナ感染、仁左衛門も隔離でしばし休演、秀太郎が体調不良と主要演者に休演が続出して、代役ばかりのテンヤワンヤに。しかし歌舞伎というのは偉いもので、ちゃんと公演を乗り切った。

以前のオンライン配信「紀尾井町家話」で門之助が、同じ公演で相模と藤の方の両方を代演で出た大変さを語っていた。それは大変だろう。しかし歌舞伎というのは、いきなり「代演しろ」と言われて「出来ない」というと「なんで出来ねえんだ、見てなかったのか」と言われる古い世界でもある。勉強になりましたと言う事だなあ。

今回は満を持した座組で歌舞伎座の公演。仁左衛門は、一点一画も見逃せない重厚な熊谷。この仁左衛門の熊谷は、昔からの型だけを重視しているのではない。自分の妻の相模、かつての主人の奥方であり恩人の藤の方、そして現在の主君である義経、それぞれへの関係性が違っている事を鮮やかに演じ分けている。相模と藤の方への対応が違うのは、昔からよく目立った型であるが、特に主君への対応は、勧進帳の弁慶を思わせる。

制札を義経の前に置き「敦盛を助ける為に自分の息子を殺した行動は、本当に御意にかなっていたのでしょうか」と血を吐くような気迫で問い詰める熊谷は初めて見た気がする。僧形になった熊谷が去る花道。義経が熊谷の実子小次郎の首を掲げ、最後の別れをさせる場面は松嶋屋の工夫なのだそうである。義経は視線を熊谷から外し、大将としての慈悲深さを見せる。最初の花道の出から切りまで、仁左衛門からは目を離せなかった。

次の演目は、河竹黙阿弥 作「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」。いわゆる「直侍」。

時ならぬ雪が深々と降る江戸下町、入谷の風情がよい。そしてここに菊五郎が登場すると、なんともいえない江戸の情緒ある光景が再現されているような気がする。江戸世話物の伝統は、誰が引き継ぐだろうか。

按摩丈賀の東蔵は、味があってよい。そして暗闇の丑松の團蔵も出番は短いが、使い込んだ出刃包丁のようなギラリとした光を放つ。長谷川伸が新歌舞伎で「暗闇の丑松」を書いたのも、この狂言からの発想だろうか。

「江戸から逃げるのなら自分を殺してくれ」という、時蔵演じる恋人の花魁、三千歳をなだめ、追手に追われ無頼の主人公が「この世ではもう会わないぜ」と最後の声をかける江戸の粋と悲痛な別れ。直次郎が深々と降る雪の中を去っていく幕切れも印象的。菊五郎もまだまだ元気でやってもらいたい。

20210312233747020.jpeg

「直侍」の後はやはり蕎麦屋だなあ。「天で一本つけてくれ」と言うと「天は山です」と言われたので、酔鯨純米吟醸に蕎麦前で白魚天ぷらと玉子焼き。締めはゴマだれせいろ。実は、熱燗とかけ蕎麦はどうも苦手なんだ<直侍と全然違いますがな(笑)




歌舞伎座、「三月大歌舞伎」第一部を見た。
先週の土曜日は歌舞伎座「三月大歌舞伎」第一部。 11時開演。

20210312202310db2.jpeg

最初の演目は「猿若江戸の初櫓(さるわかえどのはつやぐら)」

歌舞伎は、京の河原で出雲の阿国が始めた踊りが原型。これが江戸に「歌舞伎おどり」として伝わったが、江戸歌舞伎は、初代猿若勘三郎が390年前に京から江戸に下り、官許を得て今の京橋辺りに「猿若座」を常設歌舞伎小屋として開設したのが始まり。

猿若勘三郎が中村勘三郎の初代だが、血統は明治になって断絶。松竹創業者の預かりとなっており、これを時を経て襲名したのが十七世中村勘三郎。十八世勘三郎を経て、中村屋の当代は勘九郎、七之助の兄弟。その中村屋兄弟が、初世勘三郎として中村座を立ち上げた猿若と出雲の阿国に扮して、両名が連れ立って江戸にやって来たという架空の物語を舞踊劇で。

勘九郎の踊りは達者かつ軽妙。七之助は艷やかに美しい。一座には高麗蔵、彌十郎、扇雀が脇を固め、虎之介、千之助、など鶴松若手も出て賑やか。活気に溢れた派手な祝祭。歌舞伎は相撲と並ぶ江戸の華だ。

次の演目は、「戻駕色相肩(もどりかごいろにあいかた)」

松緑、愛之助が駕籠を担ぎ、乗った禿(かむろ)が莟玉。終盤で衣装がぶっかえり、駕籠を担いでいたのは、石川五右衛門と真柴秀吉だったと知れる荒唐無稽な舞踊劇。

この3人は、前夜のオンライン配信番組「紀尾井町家話」で、オンライン飲み会をしていたのだが、翌日に同じ3人が歌舞伎座の色鮮やかな舞台で踊るのを見るのも面白い。松緑はこの夜会では毎回そうだが、そもそも酒が強くやたらに飲む。1時間半経った時点でウィスキーのボトルが1本空いていたが、続けて更に飲んでいた。

松緑が巡業の舞台の話で、前日に飲み過ぎてようやく舞台を務め、引っ込んだ舞台の袖で気分が悪かったなどと昔話をしたので、愛之助が「そんな飲んで大丈夫? 明日「戻し」駕籠にしないでね」と冗談を言ったので大笑い。しかし翌日は、松緑はちゃんと舞台を務めた(笑) 酒が強く体力あるんだねえ。ただ役者が早逝するのは若い頃からの不摂生と飲み過ぎもあると思うな。海老蔵も若い頃は無茶苦茶だったが、もう酒は飲んでいない。松緑も健康で長く舞台を務めてもらいたいね。

どちらも歌舞伎の美しさに満ちた気楽な舞踊劇で楽しんだが、「猿若」が30分。「戻籠」が35分。これで第一部終了というのはちょっと観劇の醍醐味に欠ける。今月は第二部が仁左衛門の「熊谷陣屋」、菊五郎の「直侍」の豪華2本立てで、幕間入れて3時間近くの興行。どちらか一演目を第一部に持ってくればバランス取れたかと思ったが、まあ、あれこれ事情があるのだろう。

歌舞伎座「二月大歌舞伎」、二部、三部を見た。
2月の13日は、歌舞伎座の「二月大歌舞伎」二部と三部を見物。

20210223121237d2a.jpeg 20210223121153d79.jpeg

前の週に見た第一部の客席は、残念ながらガラガラだったが、第二部はニザ玉、第三部は十七世中村勘三郎三十三回忌追善。チケット販売時から一階中央前列は全て空き無し。

一階でかろうじて空いていたのが桟敷席のみ。コロナ前なら二人で座って弁当も運ばれ、飲食できる席だが、コロナ禍では座れるのは1名、飲食禁止とあっては、あまり人気が無い。しかし感染予防の観点からは、前後に客はいないし左右も椅子席よりも距離があり、なかなか快適。そして客席は、前後左右を開けながらもほぼ満席。

202102231213139af.jpeg

第二部最初の演目は、四世鶴屋南北作「於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)」 土手のお六。2018年3月の歌舞伎座でもニザ玉で見た事あり。

今回も、お六を玉三郎、その連れ合いの悪役、鬼門の喜兵衛を仁左衛門が演じる。

土手のお六は「悪婆」と呼ばれる鉄火な女の悪役。仁左衛門の悪役は凄みと色気があるが、軽妙さも兼ね備えて、二人共あちこちで笑いを誘う演出。策略を凝らして大店を強請るが、歌舞伎では大体、ゆすりたかりは上手く行かない。

最初のうちは勇ましいが、形勢が段々と悪くなって口数が少なくなるお六がコミカルで面白い。さすがに鬼門の喜兵衛もやり込められて負け惜しみ。最後は軽妙な掛け合いで両者が駕籠をアラヨっと担いで花道を去る。気楽に見物できる演目。大店の場では、寺嶋眞秀が小僧で出演。幕間では両親がロビーに居た。

次の「神田祭」も18年3月と同じ、仁左衛門と玉三郎の舞踊。粋な鳶の頭と恋仲の芸者が、目出度い祭りを背景に連れ舞いを見せる。もともと初演時に二人用に振りがつけられたというが、手慣れたもので、まるで本当にキスするんじゃないかというほどデレデレいちゃいちゃの仲の良さを粋な舞踊で表現。最後は花道でもいちゃついた後、「どうも失礼しました」と交代で客席に挨拶してご機嫌で去る。客席は大いに沸いた。

二部の終演と三部の開演には1時間半の間あり。早めの夕食を鰻屋で。アサリのしぐれ煮、鰻の酢の物で一杯。締めは鰻丼。

202102231213488f1.jpeg 202102231214153af.jpeg

第三部の開演は5時半。第三部もA2、A3ブロックは一席も空いておらず、また一階桟敷席で。

202102231217a.jpeg


第三部は、十七世中村勘三郎三十三回忌追善狂言。最初の演目は「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)」 袖萩祭文

男と出奔して落ちぶれ果て盲目の瞽女になった娘が、父親が切腹を賜る危機にある事を知る。親に一目会いたい、孫娘に会わせたいと、勘当された家に最後に会いに来る。しかし武士の忠義を通す父親は会う訳にゆかない。封建時代の道理が親子の情愛を引き裂く悲劇。

七之助は袖萩を初演で演じる。見巧者の爺様に言わせるとおそらく、あれこれ芸に足りない所があるのだろうが、例えば雀右衛門と比べて単純に優れているのは七之助が痩せている事。女形が肥えていては、役の哀れさがあまり出ない。先代雀右衛門は、年取ってからも太らないよう節制していたそうであるが。

勘九郎の次男、長三郎は娘お君をなかなか頑張って演じる。歌舞伎での子役のテンプレートは、子役の演技力に依存せずに通用するよう出来上がっているのだが、それでも以前よりずっとしっかりしている。子供が大きくなるのは本当にあっという間だ。勘九郎も出演。追善らしく、芝翫、歌六、東蔵、梅玉と重厚な脇役陣が花を添える。

次の演目は、河竹黙阿弥作「連獅子(れんじし)」

勘九郎と長男の勘太郎が親子の獅子を演じる。十七世勘三郎は子息の十八世勘三郎と度々この演目を務めたが、十八世も子息の勘九郎、七之助と演じている。中村屋の伝統は孫の代へと受け継がれた。

勘太郎の9歳は、歌舞伎座で子獅子を演じた年齢として最年少だそうである。しかし、足を踏む音にも力強い若さが溢れ、親獅子との息もピッタリ。体力も必要だが、しっかりした舞踊で最後まで踊りきってあっぱれ。中村屋の血だねえ。




二月歌舞伎座、「二月大歌舞伎」第一部を見た。
2月最初の土曜日は、歌舞伎座で「二月大歌舞伎」第一部。

20210218215942fd8.jpeg 20210218220016e1c.jpeg

最初に演目が発表されてから、緊急事態宣言を受けて、打ち出しを8時前にする事に変更。第一部の開演は、普段よりも繰り上がって10時半に変更。ちょっと早い。そして終演が12:50。歌舞伎座内では感染予防の観点から飲食禁止だから、昼食の時間がちょっと中途半端になってしまうのがなあ。

最初の演目は「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」 十種香

第一部の観客席、2階3階、桟敷席は殆ど無人。A1ブロックも客無し。1階一等席の後ろ半分もほぼ無人。全体として半分も埋まっていなかったのでは。翌週に第二部、第三部と続けて観劇したが、こちらは感染予防で間引いた座席とはいえ、一階二階三階は、ほぼ埋まっていた。

二部はニザ玉、三部は中村屋兄弟の十七世勘三郎追善であるのに対して、第一部の最初が、魁春、門之助、孝太郎というのはちょっと地味過ぎたか。劇場の座席は後に取って置いて売る訳に行かないから、空きならそのまま機会損失が確定する。客を呼べる役者の配分は、コロナ禍の三部制では余計に難しいかもしれない。

「十種香」の八重垣姫は、女形「三姫」のひとつで中村魁春が勤める。八重垣姫が香を焚いて勝頼の掛け軸に向かい香を焚き回向する最初の出。

席はA3ブロックの前方、下手寄りだったので八重垣姫が上手の部屋で後ろを向いていると、あんまり見えない。義太夫を聞きながら、正面でじっとしている門之助をただ見る事になる。この武田勝頼は白塗りの二枚目で、元々、何をするでもない役というか、余計な事はやってはいけないと教わるらしいが、見ていてどうも眠くなっていけない。

魁春が舞台中央に出てきてからは、歌右衛門の型をそのまま伝えた古風な赤姫の姿は熟練の芸を感じさせるもの。錦之助の長尾謙信が現れてからは、舞台はドタバタと雰囲気が変わり、姫の恋心を蹴散らして、悪い方向に進んで行くのだった。

ここで15分の幕間。しかし売店でもソフトドリンクしか売っていないし、する事ないなあ(笑)

次の演目は、山本周五郎作、「泥棒と若殿(どろぼうとわかとの)」。山本周五郎の短編小説を昭和43年に歌舞伎化したもの。

松緑は平成19年に十世坂東三津五郎とのコンビで初演。年齢から言うと松緑が若殿だが、反対の方が面白いと三津五郎の意見で松緑が泥棒役に。松緑にとっては思い入れの深い演目で、再演の話があったものの三津五郎以外では気乗りせず断っていたのだが、今回三津五郎の長男、巳之助を若殿役に得て、思い出の演目を再演。新歌舞伎であるが、これが実に面白かった。

藩の跡目争いに巻き込まれ、荒れ果てた御殿で見捨てられたように暮らしている若殿の所に、深夜、泥棒が入ってくる。有り金を出せと泥棒は凄むが、金も食料も何も無い。死を待つだけだという若殿に、疑心暗鬼で家探しするも本当に何も無いのが泥棒は、この若殿の境遇を憐れんで、人足寄場に働きに行き、前金を貰って食料を買い込んで若殿に飯を食わせてやる。そんな事から始まった二人の奇妙な同居生活。

泥棒といっても、運命に翻弄されて、若殿のボロ屋敷に入ったのが初めて。悲惨な生い立ちながら、実は心優しく一本気な男を松緑が演じて実に印象的。ニンにあるんだね。巳之助も若殿役にはまっている。三津五郎の面影が時折よぎるのも親子だなあと感慨あり。

藩の跡継ぎに決まり、その運命を受け入れる若殿と、働いて真っ当な人間になった泥棒、桜散る最後の別れも印象的。幕が降りても客席から長い拍手。もっと観客が入っていればよかったのになあ。



一月の歌舞伎座「壽初春大歌舞伎」第一部を見た。
正月1月5日に歌舞伎座の壽初春大歌舞伎、第一部を観劇。すっかり歌舞伎日記更新が滞っていたが、もう2月大歌舞伎が始まっているよねえ。備忘のため記録を。

歌舞伎座は、感染対策が徹底しており、ロビーでも場内でも観客はほぼ無言。まあ、ルール守らない傍若無人のオバちゃんは何処にでもいる。しかしそんなには目立たないか。場内での飲食も無し。1月からは3部制になって、各部の上演時間が少し長くなった。

20210130200554ccf.jpeg

5日に第一部を。歌舞伎座の中も正月の気分。

最初の演目は、「壽浅草柱建(ことほぎてはながたつどうはしらだて)」。例年は行われる正月の浅草公会堂での花形歌舞伎はコロナ禍で中止。しかし、歌舞伎座公演の一幕に、花形が集う浅草歌舞伎が戻ってきた。外題に「浅草」を入れて「はながたつどう」と読ませるのが歌舞伎の粋。

綺羅星の如くに歌舞伎の若手花形が、歌舞伎の様式美満載の、目出度い曽我物の舞台に並ぶ。曽我物は江戸の昔から正月に繰り返し演じられ、歌舞伎特有の役柄が出て、最後はハッピーエンドとなる、歌舞伎美に満ち溢れた一種の完成されたテンプレート。人間国宝の大看板が円熟の技芸を見せなくとも、演技のどこがどうのこうのとケチつける必要もなく、十分に歌舞伎を見たなという一幕として成立するのが面白い。

松也が曽我五郎、隼人が曽我十郎、巳之助の朝比奈は印象的。米吉の大磯の虎、莟玉の化粧坂少将、鶴松の喜瀬川亀鶴も、萎びた爺さんが芸の力で演じるよりも若々しくて良い。新悟の舞鶴、歌昇の工藤左衛門は流石に風格というか、一日の長ある印象かな。

二幕目は、「猿翁十種の内 悪太郎(あくたろう)

狂言を題材にして、二世猿之助に当て書きされた台本で歌舞伎として初演された、澤瀉屋家の芸。勿論、猿之助が悪太郎。最初の花道の出から、酔っ払ったフラフラで出てくる。酔態で踊ったり演技するのは難しいと思うが、上手くこなして面白かった。泥酔した者が薙刀とか振り回すと怖いなあ(笑)

酔い覚めが始まって「ウェ~っ」とえづきながらも、そのまま寝ていたら良いのに起き上がって周りに散々迷惑をかける。酔っぱらいは、どうしようもないなと、自らも酒飲みの感慨。まあしかし、気楽に笑える一幕。

一月の歌舞伎座「壽初春大歌舞伎」第二部を見た。
一月には、歌舞伎座で、壽初春大歌舞伎を、正月1月4日に第二部、1月5日に第一部と観劇。非常事態宣言などあって、すっかり歌舞伎日記更新を忘れているうちに、歌舞伎座では二月大歌舞伎の初日が開いてしまった。備忘のため記録を。

20210130200333254.jpeg

第三部も6日にチケットは取っていたのだが、若干微熱があってキャンセルに。体調はその後は問題なかったが、やはり年末年始の飲み過ぎが原因だったのか。もっとも第三部はNHKの元旦歌舞伎座生放送で放映されており、TVで見れたのでまあいいか(笑)

歌舞伎座は市松模様に前後左右の席が空き、観客はマスク着用で入場時に検温に手指消毒。ロビーや客席内では飲食禁止で会話も控えるよう案内がある。12月までは4部制で一幕は1時間程度であったが、1月からは3部制で若干上映時間が若干伸びた。しかし緊急事態宣言を受けて1月11日以降は第三部の開始を早めて8時までに全ての興行が終わるような時間割に調整となったようだ。

4日は第二部。

最初の演目は、「坂田藤十郎を偲んで」と添え書きがある「夕霧名残の正月(ゆうぎりなごりのしょうがつ)」由縁の月。

大店の放蕩息子が勘当され、落ちぶれ果てて紙子の衣装で昔、散々遊んだ遊郭を訪ねてくるというのは、上方和事の典型的な役であるが、この話では身を持ち崩すほど入れあげた夕霧は病を得て既に亡くなっている。藤屋伊左衛門が懐かしい遊郭に上がり、ふとウトウトする間に夕霧の霊が現れるという狂言。

この作品から派生する「夕霧物」の伊左衛門は、代々の坂田藤十郎の当たり役。今回は先代藤十郎の長男鴈治郎、そして夕霧を次男の扇雀が演じるという追悼の演目。どちらにも藤十郎の面影がある。

夕霧の死に目にも会えなかった伊左衛門が、49日の日に店に現れ形見の打掛の前で思いにふける。背景が桜に変わり、在りし日の夕霧が夢幻の如く姿を現す。この夕霧が実に儚くも美しい。伊左衛門も、実に人の良いあかんたれの哀れを体現してよい。自分が落ちぶれ果てる間に、愛する女が死んでいたと言うのは、どんな気分のものだろうと、それが胸を打つ。

2021013020040981b.jpeg 20210130200443c30.jpeg

幕間に、3階に行ってみると、かなり前にから一つだけ空いて気になっていた「往年の名優」コーナーの最後の空きスペースに、坂田藤十郎の写真が収まっているのを見てなんだか妙な納得。12月はまだ空きスペースだったのだが、今月は藤十郎を偲ぶ演目もあって切りが良いのか。今後、大幹部にお迎えが来たら「もう歌舞伎座に写真飾る所が無いんだよ!コノヤロー!」と追い返してほしいものである。

第二部次の演目は「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)祇園一力茶屋の場」

幕が開いて、斧九太夫や侍達が出た後に舞台に出る吉右衛門の大星由良之助は、既に書状を持っており、雀右衛門の遊女おかるが二階からその手紙を見てしまうシーン。上演時間が限られているからだと思うが、最初の部分を随分と端折っている。

由良之助が遊女たちと目隠しをして遊興に耽っている場面、「討ち入りはいつか」と酔いつぶれた由良之助に侍が問いただすが、討ち入りなどしないと否定する場面、息子の大星力弥が花道から秘密の手紙を持ってくる場面などがバッサリ。まあ、皆もう見てるでしょうという事かな。

ただ前のほうが無いと斧九太夫が家臣ではあるが裏切り者であり、だから床下に潜んで由良之助の様子を窺っているのだと言う事がちょっと分かりづらいかな。もっとも歌舞伎は様式化されているから、顔つきと態度を見ただけで「あっ!こいつは悪い奴っちゃ」と分かるのが良いところ。

吉右衛門はこの後何日かして体調不良で休演になるのだが、この日は声も出ており、侍の度量と艶、そして手紙を見たおかるを殺さねばならぬという胆力と相手にかける哀れみや愛嬌、そして最後は九太夫を切り捨てるカタルシスまで堂々たる演技。雀右衛門のおかるも、家族や勘平への思いを丹念に描いて印象的に成立している。梅玉の寺岡平右衛門も、独特の品よく機嫌良い持ち味を活かしながらの実のある演技で、雀右衛門とのやりとりも深みがあった。時間的には短かったが、古今の名作を名優が演じる安定した一幕。



歌舞伎座、「十二月大歌舞伎」
十二月の歌舞伎座、「十二月大歌舞伎」は、第二部、第三部、第四部を観劇したのだが、記録をすっかり忘れていた。備忘の為に簡単な記録を。

20210126165056a91.jpeg

第二部は、「心中月夜星野屋(しんじゅうつきよのほしのや)」

古典落語の「星野屋」から平成30年に七之助、中車コンビで新作歌舞伎化された舞台の再演。新作の再演としてはなかなか早い。

芸者上がりのおたかとその旦那の、騙し騙されの軽妙な笑いが満載の気楽な演目。今回は母親お熊に猿弥を配して、時事ネタや楽屋落ちが満載。笑いの頻度が更に上がった。中車は最後の花道で「半沢直樹」の「Death!」ネタも披露。実に面白かったが50分のこの演目だけで歌舞伎座を去るのは、なんだか歌舞伎を見た気がしないのだよなあ。まあコロナ禍ではやむなし。

第三部は、近松門左衛門 作 「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」。いわゆる「吃又(どもまた)」。差別用語なので最近はPCの関連からは筋書きなどには使われないようだが、舞台のセリフには「吃り」がガンガン出てくる。まあ昔の台本がそうなっていてはしかたないのだが。

202101261654451a8.jpeg

この日は一階桟敷席を取ってみた。左右とも間隔があるし、前後には人が居ないし、後ろの扉は換気の為に空いているし、感染リスクの面では大変快適な席であった。

「吃又」で記憶に残っているのは吉右衛門。言いたい事が満足に喋れない悔しさに、自分の指を噛み切らんばかりの憤激が心を打った。今回の舞台では、勘九郎が又平を演じる。真面目で律儀な性格だが、弟弟子に抜かれたのは自分の吃りのせいであると悲嘆に暮れる。しかし冷淡に見える師匠は、自らの筆の力量こそが問題なのだと言外に諭しているのだった。

序幕で出てくる虎を筆で書き消すエピソードや、手水鉢の裏にこの世の名残に描いた自画像が石を通り抜けて反対側に現れるなど、オカルト風な演出も興味深い。言葉が不自由な夫の分まで喋りまくる女房のおとくは猿之助。口八丁だが夫を思う心情に溢れて印象的に成立していた。土佐修理之助は鶴松。狩野雅楽之助が團子。

第四部は、「日本振袖始」。玉三郎の岩長姫は妖艶かつ不気味な美しさ。八岐大蛇の群舞は迫力あり。この月の序盤は、玉三郎がコロナ感染した歌舞伎役者の濃厚接触者と判定されたため休演。素盞嗚尊を演じる予定であった菊之助が、序盤は玉三郎の代役で岩長姫。8日からは素盞嗚尊。歌舞伎の代役というのも大変なものだと感心するが、この両方の役を出来る者はなかなか居ないだろうなあ。


歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」第四部を観劇。
大相撲11月場所の初日を国技館で観戦。その後で両国橋を渡り浅草橋駅まで移動。

202011161336424a8.jpeg

都営浅草線で東銀座まで。7時半開演の歌舞伎座、「吉例顔見世大歌舞伎」第四部のチケットを取っていたのだった。なんとも忙しいが、奇数月は相撲興行と歌舞伎興行がかぶるので、こればかりは致し方ない。

20201116133714125.jpeg 2020111613374459a.jpeg

第四部は、この前の三部よりも若干客が入っているが、それでも寂しい感じがある。まあ日曜の夜開演だしなあ。

演目は獅童が狐忠信を演じる「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)」「川連法眼館の場」、いわゆる「四の切」。獅童が歌舞伎座で古典の主役を張るのは、48歳の今回が初めて。脇を固めるのは、超歌舞伎常連の澤村國矢以外は、染五郎が義経、團子が駿河次郎、莟玉が静御前と若手ばかりで「廉価版 四の切」という雰囲気でもある。

獅童は17年前に平成中村座の試演会で一日だけ「義経千本桜」に通しで出て、初主演で狐忠信を演じており、終演後に中村勘三郎が「俺はあんな風にできない。悔しいけれど負けた」と褒めてくれたと「ほうおう」に出ていた。

それから17年。ようやく歌舞伎座で主演。歌舞伎では「40、50は鼻垂れ小僧」と言うらしいが、歌舞伎の家には生まれたものの、父親は早くに歌舞伎を廃業しており、後ろ盾が居ない獅童の扱いは、名門の御曹司とは若干違うという事かもしれない。

主演の獅童は、ほとんど出ずっぱりで奮闘。真剣にこの演目に取り組んでいる事がよく分かる熱演。ただ、この演目はケレンも多いのだが、身体が重そうに見えて動きが何やらドタバタするのが若干気になる。脇では莟玉が頑張っている。静御前は実に美しいが立女形が演じるような貫禄はさすがにまだ無い。この人は梅玉に教われば義経も出来るのではないかな。

染五郎の義経は、気品ある出で立ちはよいけれども、置いてある人形のようで、台詞は高音が裏返るし、武将としての重みや忠信を疑い詮議を図る知略などは感じられず、まだちょっと無理なんじゃないかなあと思う出来。團子のほうは國矢と掛け合いで演じるだけに、台詞もしっかり声量あり、無難にこなせている。

まあ、しかしライトな出来ではあるが、よくできた演目だし、それなりに面白い「四の切」。日曜の夜に1時間で見物して帰宅するにはちょうど良いかなと感じた。





歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」第二部を観劇。
大相撲11月場所初日の前日、歌舞伎座に。「吉例顔見世大歌舞伎」第二部。歌舞伎座玄関上には顔見世伝統の櫓が造られている。

202011151427452d2.jpeg

20201115142825cad.jpeg

コロナ感染予防で椅子席は前後左右を空席にした市松模様の販売なのだが、今月の興行からは一階二階の桟敷席が一桝に一名と定員を半分にして販売されている。換気のために上演中も後ろの扉は空けたままにするようだ。

第二部の演目は、新古演劇十種の内 「身替座禅(みがわりざぜん)」

六世菊五郎が初演した音羽屋、家の芸。松羽目の舞台。常磐津と長唄の掛け合いも賑やかな演目。

当代菊五郎がコロナ禍の休演を経て久々の歌舞伎座登場。恐妻家だが好色な大名が、恋人に逢う為に、仏堂に籠もって座禅を組むと奥方を偽り、太郎冠者に自分の身替りをさせて浮気に行くという筋。しかし奥方に見破られ、太郎冠者の替わりに座禅衾を被って待っている仏堂に一夜の浮気から帰って来た大名が上機嫌で逢瀬を語る。

菊五郎は何度も演じた自家薬籠中の役を、軽妙に機嫌よく演じる。音羽屋の御大が元気そうでなによりである。

奥方は女形ではなく、大柄な立役がやるのがお約束だそうであるが、単なる悋気な女ではなく、武家の妻の品と夫を気遣う愛情という肚がなければ面白味が深まらない。左團次が奥方玉の井。親父の初代左團次は「お前は頬を赤く塗ったりしなくてもお客さんは笑ってくださるはずだ」と言って大して教えてくれなかったとのこと。要ははまり役なんですな。菊五郎とのコンビネーションもぴったりで客席を大いに笑わせる。

尾上右近、米吉の侍女も可憐で舞台に花を添える。予備知識なく気楽に見れて楽しい舞台。ただ、わざわざ歌舞伎座に行って、この演目だけ見て帰って来るというのは、観劇の醍醐味という観点からするとどうか。メインなしのディナーのような気もする。まあ、コロナ禍の興行形態としてはしかたないのではあるが。



歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」第三部を観劇。
先週日曜日は、歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」第三部を観劇。演目は白鸚の「一條大蔵物語」。歌舞伎座玄関上は顔見世特有の造り。

20201103120922ed6.jpeg

この日が初日。先月までと同様、開演40分前から入場可能。しかしあまり早く入場しても、売店も開いていないしする事もない。開演15分前に入場。係員にチケットを見せた後、自分でもぎり、体温測定と手指消毒の後入場。「あれ? 先月まで置いてあった無料のパンフレットが無いな」と思ったら筋書き販売が再開していたのであった。

202011031209550a9.jpeg

席は一階のかなり前列。筋書きをパラパラと読んでいると上演時間5分前。ふと後ろを振り返ると、席が埋まっているのは中央前列のほうだけで後席はガラガラ。左右もガラガラ。一等席のブロックでいうと、前半分のA1、A2、A5はほとんど空席。後ろ半分のA6からA10についてもほとんど客がいない。2階席にも人影は見えない。

今月から1階、2階の桟敷席に2名席の所を1名定員で客を入れているのだが、西の一階桟敷には4名だけ。二階の桟敷には人影なし。東の桟敷も無人。初日にして客の入りがこれでは、舞台に出てきた白鸚が「なんだこの入りは!」と驚愕して長刀を取り落とすのではないかと心配になる。

「一條大蔵」と言うと吉右衛門や仁左衛門が思い浮かぶが、白鸚は昨年、初役から47年ぶりにこの役をやり、今回が3度目という珍しい挑戦。しかし今回の「一條大蔵物語」は、コロナ禍で上演時間を短くする意図があるのだろうが、奥殿の段のみ。

この前の檜垣の段では、主人の大蔵卿の阿呆っぷりを家来が噂したり、大蔵卿が阿呆丸出しで門から出てきて、お京さんの踊りに喜びすぎて床几からひっくり返ったり、しかし一瞬、伏線としてふと真剣な顔を見せたり、大蔵卿長成役には色々と、しどころがあるのだが、それが全部カット。

コロナ禍でしかたないが、「奥殿」から開始すると、大蔵卿長成の初登場が、裏切ろうとする八剣勘解由を後ろから斬るという「本格的にマジ」な場面からになるので、演者としてはやりづらかろう。公家と武家の演じ分けも、なにしろ短い上演時間であるから、忙しくてよく分からないような気がする。

吉岡鬼次郎に源氏復興のアドバイスをして、友切丸を与える部分から、最後はまた作り阿呆に戻るのだが、あまりコントラストが顕著ではないような。吉右衛門で見ると、実は立派な武将の心根を持った人物が、生き残るために最後にまた作り阿呆に戻って行かなければいけない悲哀が感じられて見事なものなのだけど。観客が少なかったからイマイチやる気が出なかったか(笑)

芝翫の吉岡鬼次郎は、顔が大きいから元々見栄えがするが、今回のような短いバージョンのほうが役が映える気がする。壱太郎の女房お京は立派に健闘。魁春の常盤御前は何度も演じた手慣れた役で貫禄の出来。高麗蔵の鳴瀬は前の段がカットなだけに出番が少なく気の毒な印象。

しかし客の入りがこんなに悪いと演者の士気にも影響するだろう。チケット松竹で他の日程を確認すると第三部は、今後の日程もガラガラ。猿之助の出る第一部が、一階の一等席全て完売なのに比べると大きな違い。昼夜の二部制だった時は、幕間も挟んで複数の演目があり看板役者も大勢出るが、四部制になると、各部で一枚看板と一演目の人気が直接客入りに反映するのかもしれない。

歌舞伎座「九月大歌舞伎」、第一部、第三部。
九月も歌舞伎座「九月大歌舞伎」は座席数を減らし、短い演目を選んでの四部制営業。

202009121647310e7.jpeg

先週の土曜日は、まず第一部。「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)工藤館の場」

昔から正月によく上演されたそうで、目出度い雰囲気を残しつつ、白塗りの殿様、赤っ面、傾城、和事に荒事と、歌舞伎のお約束の役割が登場し、様式美に満ちた狂言。木阿弥の優れた台本と練られた台詞。歌舞伎お約束の人物像がダイジェストされて、配役の妙を楽しむ演目でもある。

扇の要として、鷹揚で機嫌よく品格を見せる梅玉の工藤左衛門。風格ある傾城の魁春。花道を蹴破らんばかりの勢いで出てくる松緑演じる五郎は荒事の演技で、和事で演じる気品ある錦之助との対象も際立っている。又五郎の朝比奈。最後は歌六まで鬼王役で友切丸持って登場。最近、若手中心の「寿曽我対面」が多かった気がするが、コロナシフトもあってか大変豪華な布陣。歌舞伎伝来のフォーマットに綺麗に収まった豪華な祝祭。

しかし45分のこの幕だけ見て満足感と共に歌舞伎座を去って満足感を味わえたかというとりそうではない。やはり、時代物、舞踊、世話物と狂言が出て、幕間では食事をして酒も飲んで、機嫌よく帰路につくのが歌舞伎観劇の醍醐味。コロナ禍で人との接触を削減するためには、上演時間を短くするしかないが難しいところ。

もっとも、この度声を出さない古典芸能の観劇は、劇場の人数制限が緩和されるのだという。ただ現段階で前のようにギッシリの客席で長い時間観劇するというのも、やはりためらいがあるなあ。

一旦帰宅してシャワー浴びて休憩した後、夕方から再び歌舞伎座、第三部「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)引窓」。九月は大相撲秋場所もあり、歌舞伎座が四部あるからといって4日を潰す訳にもゆかない。どこかに予定を集約しないと。

この演目は、以前、彌十郎の濡髪長五郎で見たことがあるのだが、その時は作品の見どころが今ひとつピンと来なかった。しかし吉右衛門で見ると、さすがに母親を中心に義理の息子と実の息子を巡る家族のドラマが見事に立ち上がってくる。

吉右衛門演じる相撲取りの濡髪が、義理立てから止むなく人を殺めてお尋ね者となり、今生の別れに告げに、昔別れた実の母親を訪ねてくる。そして、その母は再婚し、相手の先妻の子である菊之助の南方十次兵衛は、村の役人に取り立てられ、義理の兄とも知らず濡髪を捜索しているという極限状況。

実の息子を逃がしたい、しかし昔の忠孝の常識では義理の息子こそ立てねばならない。板ばさみになった母親の葛藤。そして、義理の母親の苦しい心を察知して、濡髪を逃がしてやろうとする十次兵衛の思いやり。東蔵の母親お幸が実に良い。雀右衛門の十次兵衛女房お早も人情に厚い演技で親子の葛藤を盛り上げる。吉右衛門の濡髪はまた、母親の為に、南方十次兵衛のお縄を受けようとする苦しい葛藤が実に分厚い。

どの人物も他人を思いやるが上での葛藤。吉右衛門も当然に良いが、菊之助がまた印象的。さすがに人間国宝の岳父とやると力が入るだろう(笑) 引窓を使って、月光を入れ、まだ夜中なのにもう夜は明けた、自分のお役目も終わったのだという演出も放生会の設定と相まってよく出来ている。


歌舞伎座、八月花形歌舞伎、第三部、第四部
コロナ禍により3月から歌舞伎座の公演は中止に。3ヶ月連続の予定だった海老蔵の市川團十郎襲名興行も含めて5ヶ月に渡る歌舞伎公演が吹っ飛んだ事になる。

しかし感染症専門家の指導を受け、歌舞伎座公演再開ならびに新型コロナウイルス感染拡大防止および感染予防対策についてにあるような感染防御策を施して、8月から歌舞伎公演が再開することに。三部と四部のチケットを試しに取ってみた。

公演時間を短くして四部制にして幕間なし。各部完全入れ替え制。幕の向こうでは、演者や関係者も各部ごとに完全入替えとなっているらしい。入り口では検温と手指消毒。チケットは係員目視の上、観客が自分で半券をもぎる。観客はマスク着用。大向うや掛け声は禁止。客席は前後左右を空けて配置。当日幕見席、桟敷席は販売なし。売店もアルコール、食事類は販売無しなどなどの対策は、大相撲両国国技館での興行と似ている。

20200808151048ae2.jpeg

4日火曜日の第四部を見物。通常は開演30分前に入場開始だが、観客の「密」を避けるため40分前から入場開始。客席内での私語はお控えください、終演後は密集を避けるため規制退場を行いますなどのアナウンスは流れるが、通常の係員による声掛けは無しでパネルを観客に掲示して歩く形式。

202008081512267f8.jpeg

イヤホンガイドの貸し出しや筋書の販売も無し。入場すると演目を説明した薄いパンフレットが自由に取れるようになっている。

202008081511267c2.jpeg

販売した座席は、1800席余が800席余りとおよそ半減。しかし国技館の1/4に比べると若干座席間は詰まった感あり。もっとも当日見た限りでは2階席は結構空きがあった様子。

第四部の演目は「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」 「源氏店」の段。所謂「切られ与三」。

与三郎とお富が一目惚れで恋に落ち、与三郎が切られ、お富が身を投げる前の段はカットされている。勿論、ここはあったほうが「源氏店」での情緒の盛り上がりが良く分かるのだが、全ての演目を1時間以内にして観客の滞在を短くしようという意図とあれば仕方ない。

今月の興行はイヤホンガイドがないのだが、ネットでの観劇ポイント講座配信があり、春日八郎の「お富さん」がこの演目の歌だという事を知ってなかなか勉強になった。昔から、一体何を歌っているのか不思議に思っていたのだった(笑)

与三郎の幸四郎は、無頼な男の連れに身をやつしてはいるが、花道の出、外で蝙蝠の安を待っている所など、色気のある若旦那の素顔がふと出るのが良い。蝙蝠の安、彌十郎も軽妙で達者。

片岡亀蔵とお富役、児太郎は「ご時世ですから」とソーシャル・ディスタンスを取る演技で笑わせる。児太郎は初役だそうだが、妙に貫禄と度胸が全面に出過ぎて、仇な色気はあまり感じさせない気がするが、あれが普通の形なのかどうかは分かりかねる。お富を身請けした多左衛門、中車は「半沢直樹」の演技よりずっと大人しかった(笑)結果的にはあれよあれよと言う間のハッピーエンド。

最後はまた手ぬぐいで与三郎とお富が手を繋ぐ、ソーシャル・ディスタンスを意識した形できまって幕。観客は普通より少ないが、実に盛大な拍手がなかなか鳴り止まなかった。歌舞伎座の公演は、ほぼ半年ぶりだものなあ。

第三部は6日の木曜に取っていたのだが、5日の午前中に、第三部の舞台関係者に微熱がありPCR検査をするためこの日の第三部公演を中止する旨が発表に。演者も関係者も毎日検温しているからこそ事前に対策できたし、各部総入れ替えで消毒もするため、第四部は予定通り公演。むしろ歌舞伎座の対応がしっかりしている事が印象付けられた。

微熱のあった舞台関係者はPCR検査で陰性。チケットを取っていた6日の第三部は公演が再開。

20200808151157416.jpeg

演目は、「吉野山(よしのやま)」。義経千本桜、狐忠信の物語「四の切」の前にある、静御前と佐藤忠信実は源九郎狐主従の「道行」を描いた煌やかな舞踊劇。

浅葱幕が切って落とされる演出が多かったと思ったが、今回は幕が普通に開くとそこは吉野山満開の桜。今年はコロナ騒動で花見もままならなかったから、舞台の桜が目に染みる。

七之助の静御前は、花道の出から凛として、かつ妖艶にも美しく、気品を持って舞台で輝く。「初音の鼓」を打つと猿之助の源九郎狐がすっぽんより登場。狐振りを交えて、静御前との舞になる。猿之助もブランクを感じさせない芯の通った動き。二人で踊る際は恋仲であるように見えてはいけないという先人の教えがあるらしいが、やはり「道行」の艶が垣間見える所がまた一興。

源平合戦の物語、音楽は清元から義太夫が加わった掛け合いに。音楽の演者は皆、黒い覆面のようなマスクをつけている。

手下を率いた猿弥演じる逸見藤太は、のり地の台詞にも、コロナ禍での楽屋落ちを含むいかにも滑稽な歌舞伎味を見せて、観客を沸かせる。立ち回りもなかなか派手。切りでは子狐の本性を現して蝶と戯れ、引き抜きで一瞬に衣装を変え、花道を狐六法で去る猿之助は実に印象的。最初から最後まで煌びやかで飽きさせない舞踊劇。

幕間無し、食事も酒も無し。七月大相撲もそうだったが、行楽的要素を排したストイックな興行。コロナ感染に配慮しながら行う興行としてはこれもまた一つの形態なのだろう。


歌舞伎座「二月大歌舞伎」、夜の部。
さきの土曜日は、歌舞伎座「二月大歌舞伎」夜の部。

20200211183205608.jpeg

十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言。昼の部、夜の部に、片岡我當、秀太郎、当代仁左衛門の三兄弟とさらにその子息、松嶋屋一門の俳優が揃った公演。夜の部は短い演目が多く、バラエティに富んでいる。

最初の演目は、十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言「八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)」 湖水御座船の場

加藤清正が徳川家康から毒酒を賜ったが、豊臣秀吉への忠義を見せて生き抜いたという伝説に題材を取った一幕。十三世仁左衛門が最後に出演した名残の演目を長男の我當さんが演じる。

毒が回ってきているのだが、琴の音を愛で、更に悠々と酒を飲み、武将の品格と大きさを見せる。我當さんの右手はまだ不自由なようだが船上にしっかりと立ち、役を務める。声も以前より出ている印象。豊臣方の武将が何度も様子を見に舟で漕ぎ寄せ、元気なのを見て「はて面妖な」と首を傾げて戻って行くのが滑稽で面白い。

父の十三世が亡くなった際、松竹は営業政策として、長男の我當さんではなく人気者の三男孝夫に仁左衛門の名跡を継がせた。勿論、嬉しい訳は無かったろうが恬淡と受け入れたのは、身内で争いをしたくないという、長男としての責任感だったのではないだろうか。大病を得たが親父の追善狂言に出る事ができた。舞台では毒の回るのを隠す豪胆な武将に不自由な身体の自分を投影して。最後は大きく船が回転して客席近いところで幕切れの見得。立派に成立して万雷の拍手。

次の演目は能由来の所作事、「羽衣(はごろも)」

三保の松原の「羽衣伝説」に題材にしている。勘九郎も踊りは達者。羽衣を返してもらってからの天女は玉三郎ならではの幽玄な境地で花道の引っ込みまで観客をひきつけた。

ここで35分の幕間。花篭で芝居御膳。この日は客が何故か少なかったな。

20200211183316ddd.jpeg

次は世話物。三遊亭円朝の落語を歌舞伎化した「人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)」

博打好きで宵越しの金を持たない江戸っ子だが、めっぽう善人の左官が繰り広げる人情噺のドタバタ。菊五郎はやはり下町の江戸っ子を演じると秀逸。成立は明治だが江戸生世話物の雰囲気を濃厚に残している。

吉原角海老の手代藤助を演じる團蔵は、酸いも甘いも噛み分けた男の人情を見せて好演。角海老の間では、寺嶋眞秀が登場。親父を救うために自ら身売りに来てしょげている、悲しい境遇の莟玉のお久が実に可憐に見える。立役もこなすが、若手の女形として、莟玉の今後の活躍に大いに期待。

菊五郎の左官長兵衛は、菊五郎が掌中に納めた役。娘が身を売った50両を、身投げしようとしている小間物屋の手代に投げつけてくれてやるというのは、よく考えると逆ギレした非合理な行動なのだが、世話焼きで粗忽者で根っから善人の江戸っ子というこの人物造形を菊五郎が見事に演じて成立している。

大詰めの長兵衛内の場、雀右衛門の女房お兼と菊五郎長兵衛の漫才のような喧嘩のやり取りも傑作で客席が沸く。雀右衛門は、お姫様や花魁などの色気ある役よりも、世話物で町場の女房役が合っているのではないかな。

最後は万事が上手く収まってハッピーエンド。前にも菊五郎で見たが、今回のほうがずっと面白く感じたのが不思議。

最後の演目は、「十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言」として、「道行故郷の初雪(みちゆきこきょうのはつゆき)」

上方歌舞伎の名作「恋飛脚大和往来」。「封印切」で公金横領した主人公が取り手に追われ、雪の中を故郷に落ち延びて行く「新口村」の段は歌舞伎でも有名。これを清元による所作事にしたのがこの作品。実父十三世の忠兵衛で梅川を何度も演じた秀太郎が実父を偲んで演じる。忠兵衛役は梅玉。これも風格があって上手い。秀太郎はさすがの芸力で、道行に落ちぶれ果てても、まだ匂い立つような傾城の色香をきちんと感じさせるのであった。

歌舞伎座「二月大歌舞伎」昼の部
先週日曜は、歌舞伎座「二月大歌舞伎」昼の部に。この日が初日。

2020020511134851a.jpeg

この月は「十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言」が並ぶ。昼の部は「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」から、「加茂堤」、「筆法伝授」、「道明寺」の段。以前も仁左衛門で見たが、その時は「寺子屋」まで通した公演だったっけ。

20200205111411bf4.jpeg

「寺子屋」は様々な役者が演じているが、「筆法伝授」「道明寺」の菅丞相は、この役を当たり役とした父親の十三世に続き、当代の仁左衛門の独壇場。演じるのは6度目。太宰府にお参りし肉を断って精進潔斎して役に挑むのだというが、仁左衛門以外に菅丞相は考えつかない気がする。

「加茂堤」は長閑な春満面の景色を背景に斎世親王と苅屋姫の恋を描く。千之助の苅屋姫は可憐に成立。ここが全ての悲劇の始まりではあるのだが、場面にはそのような雰囲気が無いのが良い。米吉の立役は珍しいが若い高貴な公家役は良く似合う。桜丸役の中村勘九郎と八重役の片岡孝太郎も、息のあった軽妙な演技で座を沸かせる。

20200205111438413.jpeg

お昼の幕間は、花篭で刺身御膳。この後は次の段「筆法伝授」。

大きな動きや見得のある役ではないが、仁左衛門の菅丞相は高貴で威厳ある姿として端正に舞台に屹立する。まさに学問の神様が座っているという存在感。

梅玉の武部源蔵は、勘当を受けた身の緊張や筆法伝授を受けた喜び、しかし勘当は解けない落胆と達者に演じて印象的。片岡秀太郎も厳しさの中に深い同情を漂わせて熟練の演技。

最後の段は「道明寺」。

太宰府へ流される菅原道真にひと目会おうとする苅屋姫と、道真を亡き者にしようとする陰謀。魂の入った木像と菅原道真公が入れ替わる一種オカルトじみた趣向も面白い。この場での仁左衛門も神々しい高貴さと重厚さで見事に成立している。

玉三郎の老婆、覚寿の杖打ちや、悪漢を討つ立ち回りも実に迫力あり。歌六と彌十郎が演じる悪漢は珍妙な滑稽味もありなかなか達者。

太宰府に出発するラスト、生き別れる前に一目娘の姿を見たいという親の情と、自らの立場の葛藤に迷う菅丞相の姿は心を打つ。悲痛な叫びで裾にすがりつく苅屋姫の千之助も良かった。


歌舞伎座「壽 初春大歌舞伎」、夜の部
先週の土曜日は、歌舞伎座「壽 初春大歌舞伎」夜の部。昼の部の「袖萩祭文」のような泣きの幕が無いので、全体に雰囲気は明るく正月気分。

20200116192214a5f.jpeg 20200116192234b38.jpeg

最初の演目は、「義経腰越状(よしつねこしごえじょう)」。義経が鎌倉に入る前、腰越から頼朝の許しを乞うた書状を出した故事に由来。元々は人形浄瑠璃だが、徳川幕府を題材にしていたので上演禁止になり、時代を鎌倉時代に移して台本を書き換えたというのは歌舞伎では良く聞く話。しかし徳川のどんなエピソードが義経の物語に仮託されたのかについては、イヤホンガイドの解説でも筋書読んでも、あまりよく分からないのであった。

前半部分には確かに義経が出てくるのだが、物語の主眼は後半、白鸚演じる五斗兵衛盛次が酒に酔って踊る「五斗三番叟」。今月の公演では、昼に吉右衛門が「素襖落」で、夜には「義経腰越状」で白鸚が、へべれけに酒を飲んだ酔態の演技を披露している事になるが珍しいな。吉右衛門は明るい酒だが
、白鸚は目が据わったアル中気味に見えるのも面白い。

「義経腰越状」はそれほど上演が無い演目で、白鸚も初役。この年齢で初役に挑むというのは見上げたもの。上演記録を見ると以前に吉右衛門が演じている。白鸚は自分もやっておかないとと思ったのかもしれない。

酒が注がれるそばから飲み干す「滝飲み」はアル中一直線に見える大技(笑)。名軍師の大酔態は、割とお正月気分でなかなか面白かった。

次の演目は「連獅子」

市川中車の息子、團子が、父親の従弟にあたる当代猿之助に指導を受けて「澤瀉十種」に挙げられたこの演目を踊る。前シテの親子獅子の踊りは、團子が教わった事を一点一画おろそかにせず真面目に踊る姿勢に好感が持てる。猿之助も親父ではないものの親戚の若者を指導している訳で眼差しは真剣だ。

合間の宗論では、福之助と男女蔵が、なかなかテンポよい掛け合いで客席を沸かせる。

後シテで毛振りの装束に着替えてまた親子獅子の踊り。子獅子が両手を伸ばして花道を後ろ向きに後退して行く振りがあるのだが、花道横で見ていると、被った長い毛は股を潜って前に伸びている。一つ間違えて毛を踏むと たちまち花道で仰向けに転倒しかねない。よく見ると大変に難しい技。なんでも踵は上げて歩を進めるよう教えられるのだそうである。

切りの最後の毛振り。猿之助は若干身体のキレが重いように思えたが、子獅子役の團子が若さ爆発で「大丈夫か、首か背骨が折れないか」と心配になるくらい毛を振るので、猿之助もさすがに煽られたか後半少し盛り返した印象。経験浅く技能も高くはないとしても、やはり若さは素晴らしいですな。

20200116192251c84.jpeg

ここの幕間で食事休憩。6時44分からであるから結構遅い。おでん定食など頼んでみた。

最後の演目は、三島由紀夫作の新歌舞伎、「鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)」

今日はたまたま花道横だったのだが、以前「十七世十八世中村勘三郎追善十月大歌舞伎」で同じ演目「鰯売」を見た時も花道横。その時は、父親の追善初日が無事に終わって感極まったからか、勘九郎が花道幕外の引っ込みで、滂沱の涙を流しており七之助が驚いていたのだった。

勘九郎の声は、追善の時はもっと勘三郎に似ていた記憶があるのだが、意図的にちょっと寄せていたのだろうか。あちこちに笑いが起こる全体的に気楽な世話物で、新年に気楽に見るのにふさわしい演目。割とデタラメなストーリーであるが、目出度くハッピーエンドで終了。
正月休みの終わり、歌舞伎座「壽 初春大歌舞伎」、昼の部
正月休み最後の5日は、歌舞伎座、「壽 初春大歌舞伎」昼の部。演舞場もそうだったが、歌舞伎座も入口に門松が立ってお正月気分にあふれる。

20200109152757a7a.jpeg
2020010915281855f.jpeg
20200109152845561.jpeg


最初の演目、「醍醐の花見(だいごのはなみ)」は、栄華を極めた秀吉が実際に催した宴に由来する祝祭舞踊劇。税金を泥棒して支援者を大勢呼んだ安倍晋三の姑息な「桜を見る会」とは、秀吉はさすが」スケールが違うな(笑)

梅玉はご機嫌の体の秀吉役がよく似合う。目出度い役はだいだい似合うね。今月は夜の部は新橋演舞場と掛け持ちで大変だろう。福助が淀殿で品格高く姿を現す。芝翫、勘九郎、七之助など親戚が集まって華やかで賑やかな舞台。酒の肴にと舞踊が披露される合間にも、春風駘蕩と酒を酌み交わす演技が続く。

宴の後半、秀吉が一瞬躓く演出があるのだが、実際に秀吉はこの大宴のちょっと後に亡くなっている。盛者必衰。諸行無常。煌びやかな満面の桜花に、幽かによぎる秀吉の死のイメージ。

二番目が「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)袖萩祭文」

男と出奔して落ちぶれ果て盲目の瞽女になった娘が、父親が切腹を賜る危機にある事を知る。親に一目会いたい、孫娘に会わせたいと、勘当された家に最後に会いに来る。しかし武士の忠義を通す父親は会う訳にゆかない。封建時代の道理が親子の情愛を引き裂く悲劇。

雀右衛門演じる袖萩は、三味線を弾いて上手の浄瑠璃と合わせるのだが、手元が気になるのかずっと下を向いているのがどうも舞台に映えない印象。独奏ならよいがプロの三味線に合わせるのは大変。ただ、目が見えない設定なら普通はまっすぐ前を向くはずだが。一目会いたいと両親の情に訴えてかき口説くのだが、そしてそれは熟練の演技と呼んでもよいのだが、雀右衛門もだいぶ年を取って来て、綺麗な娘役は段々と持ち切れなくなっているのではと若干寂しい気もあり。

この場面では、むしろ娘お君の子役が良い。勿論「袖萩祭文」の子役は、教えられた通りの段取りを歌舞伎の手法で教えられた通り演じているだけだが、歌舞伎の演出が場面に強固にはまっている。子役個人の出来にまったく依存しないほど役の仕草と演技が練られている。大変に賢く健気で可愛い少女が舞台に浮かび上がるのだ。

芝翫、勘九郎、七之助のトリオも、それぞれに舞台に映えて結構。「実は」と正体を明かす「ぶっ返り」の後、大詰め、戦場での再会を約して「さらばさらば」の場面は晴れやかなカタルシスあり。というか、袖萩の泣きだけで終わっては正月早々、あまりにも辛気臭くていけない(笑)

20200109152909c24.jpeg 2020010915292986d.jpeg

ここで30分の幕間。花篭で「芝居御膳」で一杯。もう正月休みも終わりか。

三番目は「素襖落」

今まで歌舞伎でイマイチ面白いものを見た事が無かったが、吉右衛門は満面の笑みで登場し、めでたく酒を飲み、したたかに酔っ払って「那須与一」を舞う。舞の揺らぎにも心地よい酔いが感じられるが、ピシッと決まる所はきちんと決まる。吉右衛門はあまり舞踊はやらないのかと思っていたが、流石に当代一の歌舞伎役者ですな。

狂言の太郎冠者は失敗して笑われるのが役目で、今日の「素襖落」も目出度い新年に観客を陽気に笑わせようという「良い気」に満ちていた。印象的な演目。大播磨は何時も人をハッとさせるような、他とちょっと違う工夫がある所が面白い。

最後の演目は「天衣紛上野初花 河内山(こうちやま)」

河竹黙阿弥の作。白鸚が主人公の河内山宗俊。愛嬌あって憎めない小悪党は歌舞伎の愛するキャラクターだが、白鸚の造形は迫力も兼ね備えている。

芝翫が松江出雲守。芝翫は顔が大きく押し出しがあり舞台映えするが、演技は凡庸という時が多いように思うが、この演目で、自分になびかない浪路を手討にせんとて刀を持って出て来て、家来の諫言を聞かずに暴れる場面は、なかなか黒い迫力あり。この日は「袖萩祭文」でも良かった。どうした(笑)
歌六の高木小左衛門は、この家をこの家老が支えているのだという実感あり。

上野寛永寺の使いを偽装して松江邸に乗り込んだ河内山が、松江公を説得し、金まで巻き上げてさっそうと帰ろうとした所で、茶坊主だという正体がバレる。しかし口八丁の啖呵を切り、茶坊主ではあるが将軍家の直参であると逆ギレして、平伏した松江公の家来を尻目に花道で「馬鹿め~!」と一括して颯爽と去る。カタルシスにあふれた印象的なラストを高麗屋の貫禄で見せる。

前に吉右衛門でも見たが、吉右衛門は河内山を、もっとご機嫌に演じて痛快であった。庶民の溜飲が下がったろうなと感じる所があり。白鸚の河内山は、黒い妖気が幽かに漂うような印象。

前の段が出る事もあるようだが、「松江邸広間より玄関先まで」だとほぼ1時間と短めの演目。昼の部は、演目が4本も立て込んでいるから、話が短く済むのは大いに結構。



新年初、新橋演舞場「初春歌舞伎公演」、昼の部
帰京したのが正月2日。3日の昼は「新ばし しみづ」で本年初寿司。昼酒飲んだので酔っ払い。4日は本年初の歌舞伎観劇。海老蔵が座長の新橋演舞場「初春歌舞伎公演」昼の部。歌舞伎始めを、歌舞伎座にせずになんで演舞場にしたのか、あんまり記憶が無いな(笑)

202001091430573ca.jpeg
20200109143136041.jpeg

最初の演目は、「祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき) 金閣寺」。義太夫狂言の名作。

孝太郎が雪姫。三姫と言われる役の一つで女形の大役を初役で。玉三郎に教わったと筋書に。女形の基本である、姫に見えるような形や仕草、身体のラインの出し方などを集大成して再確認できるような機会を与えていただいたと。右團次が、此下東吉実は筑前守久吉。獅童は松永大膳。どちらも、義太夫狂言の名作で大役を得て張り切る。海老蔵が座長の公演は割と他の大物が出ない場合が多く、同座すると中堅にも大役が回ってお得な気がする。公演自体は海老蔵の人気で箱は客で一杯になる訳であるし。

この日は、席は割と後ろのほう。舞台中央に当たる前の席に座高高く頭の大層大きな人が座ったので、その点は不運であった。桜吹雪の中で縛られた雪姫が足でネズミを描くところなど頭の影で全然見えない(笑)

202001091431597e1.jpeg

この演目の後が25分の食事休憩。二階の食堂で幕の内弁当など。正月に肝臓を傷めつけたので、日本酒は頼まずビール小瓶1本のみ。しかし休憩が25分というのは慌ただしい気がする。二番目の演目「鈴ヶ森」の後が30分の休憩なのであるから、これを逆にしてもらったらよかったな。

そして「御存 鈴ヶ森」

莟玉が白井権八。梅玉の養子にならなければ、部屋子にはとても回って来なかった大役。しかし前髪の美少年は確実に本人のニンにある。ドタバタ喜劇風の演出ではあるが、気品ある美少年が冷酷に人をスパスパ切って行く様は、一種のホラー風味も感じるもの。海老蔵も、この演目での幡随院長兵衛は初役。舞台映えするし存在感も十分で、役として成立している。ただ、妙な抑揚のある海老蔵節が、ところどころやはり気になる。

最後の演目は「NINJYA KABUKI」と銘打った「雪蛍恋乃滝(ゆきぼたるこいのたき)」

筋書に「日本のエンターテインメント界を牽引する」と紹介された秋元康が作・演出の新作歌舞伎。しかし、秋元が流行歌の歌詞を書いているのは知っているが、はて、他のエンターテインメント界の何を牽引してたっけ、と筋書を読むと、秋元が演出した三枝成彰のオペラ・ブッファを海老蔵が見に来たのが発端とか。

幕が開いてすぐ、堀越勸玄が海老蔵扮する忍者「稲妻」の幼少期役として登場して盛んに観客の拍手を浴びる。

舞台の演出効果を高めるため、ブロードウェイから装置や照明のデザイナーを呼んだのだという。舞台を前面と後面の二つに分けて場面転換したり、移動式の東屋みたいなものを様々に使いまわしたり、割と珍しい演出はあったが、歌舞伎としての効果の程はあまり分からなかった。1時間弱という短い上演時間には貢献したものと思うが。

歌舞伎になっているかと問われれば、歌舞伎役者が演じているのだし、まあ、歌舞伎になっている。しかし物語として面白いかと問われると、ストーリーが凡庸で盛り上がりもなく、あまり面白くないという印象。ウランやプルトニウムまで出さなくてもねえ。しかし、舞台の見栄えとしては、最後の場面での紙吹雪の量だけは凄かった。片づけは大変だろう。

歌舞伎座「十二月大歌舞伎」、夜の部
先週の日曜は、歌舞伎座「十二月大歌舞伎」、夜の部。

2019122808495395f.jpeg
20191228085017866.jpeg

昼の部のblogでも書いたが、大看板は玉三郎だけ。「大歌舞伎」と呼ぶにはちょっと座組が軽い気もする。まあ、今月は国立劇場、新橋演舞場、京都南座と歌舞伎公演が打たれており、役者も分散。夜の部の演目は2本とも、玉三郎、梅枝、児太朗がトリオで出演。玉三郎が若手女形を鍛える興行と言ってもよいかもしれない。私にとっては、この日で本年の歌舞伎見物納め。

最初の演目は「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」

江戸時代に「エレキテル」の平賀源内が書いた人形浄瑠璃が元。源内は多才な人だったんだなあ。

「神霊矢口渡」は、南北朝時代「太平記」から新田義貞にまつわる物語との事で、あまり馴染みがなく、筋書を読んでもいったい何の話か不明だったが、実際に舞台を見ると面白い。

兄の菩提を弔うために矢口の渡しに来た新田義峯(坂東亀蔵)が、渡し守の家に一夜の宿を乞う。この家の娘、お舟(梅枝)が新田義峯に一目惚れするのだが、実は彼の兄を殺したのは、渡し守の悪辣な父親(松緑)だったという、基本的には若い娘の悲恋を描いた物語。

梅枝がほとんど出ずっぱりで、クドキあり海老反りあり、多くの見せ場を好演。若い女形には大役とイヤホンガイドにあったがその通り。同じ舞台に出ていた児太郎も、次は自分がと横で見ていたろう。筋書きをエー加減に読んでおり「片岡亀蔵が女に一目惚れされる役とは実に不可解」と思っていたら、舞台に出てきたのは坂東亀蔵だった。それなら納得(笑)←亀蔵違い ←配役ちゃんと読めよ(笑)

大詰めで舞台が周り矢口の渡しの川面が一面に広がる。太鼓を吊るした鐘楼の場面は、おそらく八百屋お七が投影されているのだな。赤っ面の渡し守頓兵衛は最初から最後まで極悪非道の悪役というのも珍しい。しかし松緑はちょっと印象が薄かったかな。

ここで35分の幕間。「花篭」で「芝居御膳」。

20191228085039ff1.jpeg 20191228085100c45.jpeg

次の演目は「本朝白雪姫譚話(ほんちょうしらゆきひめものがたり)」

玉三郎が、梅枝、児太郎と共に演じるグリム童話「白雪姫」を歌舞伎化した新作。

三人が揃って琴を弾く所は「阿古屋」の練習風景のようで面白い。

7人の小人を演じる子役は、皆、大変達者で台詞も多く歌も歌う。

歌舞伎の子役というと、一本調子の甲高い抑揚のない声で、台詞を一音一音棒読みするのが特徴だが、あの台詞術は子役に頼る演技を排し、純粋な役だけを舞台に現出させるための歌舞伎の伝統的手法。子役に妙な演技などしてもらっては困るのだ。この舞台のように、子役が踊って歌を歌って演技をしていると、歌舞伎というよりも学芸会のように見えてくるのが不思議。

いろんな意味で不思議な舞台であったが、玉三郎が、梅枝、児太郎を従えて、幽玄の境地をただ一人行く孤高の舞台を、横から見物すると思えば、これもまた一興。これが歌舞伎かと言われると、勿論なんでも歌舞伎ではあるが、ちょっと違う気もまたするのだった。

歌舞伎座、「十二月大歌舞伎」昼の部
土曜日は、歌舞伎座「十二月大歌舞伎」、昼の部。

2019122209494068a.jpeg

「ナウシカ歌舞伎」もあったので歌舞伎座見物がかなり後半に。この日は玉三郎が阿古屋を演じる「Aプロ」。購入した筋書きには写真が入っている。座組の番付では、座頭格として別格の一枚看板で玉三郎。後は松緑、中車、獅童などが並列で支える。

最初の演目は「たぬき」。平成26年に、三津五郎で見たが、この演目が三津五郎を歌舞伎座で見た最後だったなあ。大佛次郎作の新歌舞伎。中車が主役の柏屋金兵衛。「ころり(コレラ)」が流行った江戸の町。放蕩の末にころっと亡くなった主人公は、葬式の後、焼き場まで来て早桶の中で行き帰り、外に這い出て来る。喜劇風味の冒頭。

柏屋金兵衛は、ふと思いついて自宅には帰らず、新しい自分として第二の人生を送ろうと妾の所に行くのだが、妾には既に情夫がいた。そこから始まる滑稽なドタバタ。

中車は達者な演技でこの主人公を演じる。印象的な名台詞があちこちあり、中車もやりがいがあるだろう。ただ全体に演技というより作劇と脚本の問題と思うが、会話とストーリーの進行テンポがかなりスローで、話運びが若干ダレるような印象あり。

児太郎の妾お染は、旦那を裏切る抜け目ない悪女ぶりや、間夫と一緒になった後の零落ぶりを演じて印象的。彦三郎の太鼓持蝶作も軽妙ながら口跡良く良い出来。坂東亀蔵が間夫の狭山三五郎。笑也の芸者お駒は、芝居茶屋で生まれ変わった金兵衛に出くわして度肝を抜かれる所が面白かった。

中車は歌舞伎役者になった頃は、汚い爺さん役ばかり配役されて歌舞伎界の厳しさ(笑)を感じさせたが、新作歌舞伎とはいえ歌舞伎座で主役を張る所まで来た。まあ舞踊や時代物で目立つのはちょっと難しいだろうから、新作や世話物の方面で息子の為に頑張ってゆくのだろうか。

ここで35分の幕間。花篭食堂で花車膳。

2019122209500373e.jpeg

次の演目は「村松風二人汐汲(むらのまつかぜににんしおくみ)」

在原行平が罪を得て須磨に流された時に寵愛を受けた海女の伝説から能の「松風」が生まれ、歌舞伎にも舞踊劇として取り入れられた物語。梅枝が松風、児太郎が村雨。汐を汲む様子から、行平が残した烏帽子と狩衣をまとって、恋の思い出を振り返り落胆を踊る。梅枝と児太郎は、玉三郎から阿古屋の伝授に選ばれ、若手女形の中では頭ひとつ抜け出した印象あり。背景の満月が美しい。

20分の幕間の後、「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)阿古屋」。この日は玉三郎が阿古屋を演じる。

ちょうど1年前も梅枝、児太郎とトリプルキャストで演じたが、その再演。昼のイヤホンガイドでは玉三郎の特別インタビューあり。戦後の歌舞伎座では「阿古屋」は歌右衛門と玉三郎しか演じていないのだが、演目は個人に属する物ではない。覚える気がある若手には教えたいという玉三郎自身のコメントが語られていた。1年経って、梅枝と児太郎用の新しい打ち掛けも完成したので、そのお披露目と、初回とは違う落ち着きを持った演技ができるのではと期待しているというお話。昨年より梅枝、児太郎の出演回数も増えているのだそうだ。

玉三郎は花道の出から幽玄の美と存在感あり。詮議の場でも、恋人景清を慕いながらもその行方を知らない悲しみがあふれる。この演目の見所は、琴、三味線、胡弓を演奏し、かつ歌うという技芸の難しさ。三味線は手にする歌舞伎役者は多いだろうが、胡弓はあまり使われないから馴染みは薄い楽器だろう。梅枝も児太郎も、稽古するのは大変でしょうな。去年の玉三郎は三味線のバチさばきに若干リズムのブレがあるような気がしたが、今年はそんな事はない。演奏も演技もさすがの安定。

松緑は岩永左衛門。赤っ面で人形振りを滑稽に演ずるが、異様な眼力が実に凄い。彦三郎の秩父庄司重忠は口跡朗々として座りが良い。ただ遊君阿古屋が演奏している間、ずっと待機している訳で、あれはあれで大変な役だ。

新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」を観た。
先週末は、新橋演舞場での新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」観劇。

IMG_2179.jpg
IMG_2181.jpg

アニメ化されたのは原作でいうと2巻の途中まで。しかし、この新作歌舞伎は、昼夜通しで宮崎駿作の漫画原作7巻全てを歌舞伎化して上演しようという意欲的な試み。同じ日に通しで見るのが分かりやすいとは思うものの、一日中劇場というのも疲れるので、土曜日に昼の部、日曜に夜の部と分割して見物することにした。

しかし主演でナウシカを演じる菊之助は前の週の日曜、昼の部の終盤近く、トリウマのカイに乗って花道を下がる場面で落馬して左肘を亀裂骨折。日曜夜の部は休演となり、月曜から復帰したものの、一部演出を変更して上演しているとのお知らせ。メーヴェに乗った宙乗りなどは恐らく安全面を考えて中止にしたのだろう。

さて土曜日昼の部。新橋演舞場は偶にしか来ないので、コインロッカーの位置や売店、トイレ、階段の配置など、いまいち頭に入っていないので動線が良く分からない。まず最初に食事予約の支払をしてから、館内を時間つぶしにウロウロ。共有スペースは歌舞伎座よりも狭いし混雑するし、地下以外はトイレもちょっと見劣りするね。

まず尾上右近が口上に現れ、ナウシカの世界観を簡潔に説明。紗のスクリーンに「風の谷のナウシカ」とプロジェクションされると、観客からは大きな拍手が。以下では、土曜、日曜と続けて観劇した2日分の感想を項目ごとにまとめて。

(引幕)

IMG_2193.jpg
IMG_2194.jpg
IMG_2195.jpg

口上にもこの引幕が使われる。産業文明の高度な発展、命をも自由に操る科学。そこから生まれた巨神兵による火の七日間と世界の終末。腐海に覆われた世界と蟲たち。そして残された地で暮らす人類の黄昏。青き衣を着てやがて野に降り立つ運命の救世主。「ナウシカ」の世界観を表したこの引幕は、実によく出来ている。

昼の部、一幕目の切りでは、この特別引幕が途中で引っかかって閉まらないハプニング発生。しかしスタッフもプロ。何事もなかったように緞帳が下りてきて幕間に。

(ストーリー)

数日前から原作本を少しずつ再読していたので、ストーリーはきちんと追える。アニメ版のストーリーが序幕で終了したスピードにはびっくり。昼の部で原作の第三巻まで終わった。

原作にはほぼ忠実。枝葉のエピソードは、かなり刈り込まれ、人物の行動動機は原作よりもずっと分かりやすく、ストーリーが明瞭になっている。歌舞伎化でストーリーが簡潔になったのは事実だが、もともと、漫画の原作そのものが読者にストーリーや人物の動機を説明する事にあまり熱心ではなく、宮崎駿が描きたい事だけを好きなだけ描き込んでいるので冗長で解りづらい部分がある。今回の歌舞伎版ナウシカの筋書を読んで、原作のストーリーが初めて明瞭に頭に入った気がする。

(セット)

舞台の冒頭、セットやプロジェクション、黒子によって飛び回る蟲たちによって歌舞伎の舞台に再現された腐海には感嘆。よくできている。巨神兵や王蟲についてもスケールの大きなセットやプロジェクション、引幕などにより、よく考えられていた。空の場面が少ないのは恐らく菊之助怪我の影響で演出を変更したからではないか。

戦火に逃げ惑う人々は、歌舞伎でいう町人風。劇中のそれぞれの民族の衣装も、勿論歌舞伎流なのだが、きちんと切り分けがなされて、はっきり分かるようになっている。飛行艇の中は、まるで長屋のような引き戸のあるセットで、ある意味、歌舞伎情緒も満載で和むなあ(笑)

(配役)

「阿弖流為」でも七之助は素晴らしかったが、本作でも、七之助によって、原作に描かれたクシャナ殿下が、そのまま舞台上に顕現した。勇猛果敢、美しい女武人で「トルメキアの白い魔女」と称される姫君。知略にも富むが、戦いでは常に先陣に立ち、部下思いで、鍛え上げた自らの軍の人心を見事に掌握する勇将。そして王位を巡っては、父王や軟弱な兄王たちの謀略で、死地に敢えて向かわされるという修羅を生きる皇女。

「風の谷のナウシカ」原作の最初の部分では、ナウシカとクシャナ姫は比較的対照的に描かれている。光と影、善と悪、正と邪、柔と剛、菩薩と修羅。しかし原作の展開が進むにつれ、お互いの影響で、二人の立ち位置は絡み合い、次第に融合する。この展開でのクシャナ姫も七之助は見事に演じている。

セパ殿がクシャナ姫を守って攻撃を一身に受け絶命する際、「血がむしろそなたを清めた」という原作の台詞がそのままに。覇道ではなく王道を目指せとセパ殿が諭す。

陰影のハッキリしたクシャナ姫よりも、演じるにはナウシカのほうが大変な気がするが、菊之助も全編を背負う主人公として印象的に成立している。怪我さえなけばもっと舞台の上で躍動、活躍できただろうと、そこが残念。

神聖皇帝の兄弟を両方演じる巳之助も健闘。庭の主、芝のぶも声を使い分けてなかなか印象的。大詰、墓の主の精とオーマの精が紅白の毛振りをすると、なんだか歌舞伎的な大団円に落ち着く。毛振り大奮闘は右近と歌昇。

墓の主は、なんと大播磨吉右衛門が声の出演。菊之助が「お義父さん、お願い致します」と頼んだのだろうなあ。娘婿にそう頼まれると、義理の親父としても張り切ると(笑)これまた迫力あり。

配役が発表される下馬評では、「虫博士」市川中車が王蟲だという冗談が盛んに聞かれたが、王蟲の声で中車が本当に出演したのには笑った。

片岡亀蔵のクロトワは、はまり役。巳之助でもはまったと思うが、こちらは神聖皇帝、皇弟ミラルパと皇兄ナムリス。一部絡みがあるのだが、タンクに入った弟は多分スクリーンの映像だったんだな。

尾上松也のユパ様も最初は違和感あるかと思ったが、きちんと成立している。米吉のケチャは、まさに原作のあの通りと思うほどよく再現していて感心した。

新作ではあるが、又五郎のマニ僧正 歌六のブ王は堂々たる迫力で舞台に重みを与えた。夜の部では全員が舞台に出て人物紹介。昼の部も夜の部も、引幕が閉まった後でカーテンコールがあり、登場人物が舞台に揃ってご挨拶。

(菊之助の怪我とカットされたシーン)

菊之助は不慮の事故から不屈の意志で復帰。舞台をみると、手指は動くし左手を上げる事もできる。しかしよく見ると肘を曲げる事はできないようだった。

キツネリス、テトとの出会い。右肩に乗った怯えたテトに噛まれるのは、原作でも事前に公開された稽古映像でも左手。しかし、今日の舞台ではテトが左肩に乗って右手を噛む。左手を肩まで曲げることができないのでは。ギブスで肘を固定しているのだろうか。痛々しいが、それでも舞台に上がる役者根性には感嘆。

当初の上演時間と比較すると、昼の部で20分、夜の部で10分程度短くなっている。慣れて来て早くなった部分もあろうが、大部分は菊之助の怪我による演出変更によるものだろう。

事前の公開映像にあった、メーヴェ関係の宙乗りや、機械仕掛けの上のメーヴェに乗って左右に移動する場面は、この日は無かった。筋書の配役を見ると「遠見のナウシカ」として子役の名前が記載されているが、このシーンも無かったような。「遠見」とは子役を使って役者が遠くに居るように見せる歌舞伎独特の手法。おそらく他の空中シーンとの絡みで中止になったのだろうか。全般的に空中シーンは少なかった。

トリウマもが大勢出る戦闘シーンも、怪我の前の舞台ではあったそうだがこれもカット。瀕死のトリウマに乗って戦場から脱出するシーンで事故が起こったのだが、トリウマは乗るのではなく引いて登場に変更。

このシーンは原作で実に印象的。クシャナ姫の戦に、お前も綺麗事だけではなく手を汚せと言われ、戦陣に加わるナウシカ。敵の銃弾で瀕死の重傷を負ったトリウマ、カイが鬼神の如き力を振り絞り、ナウシカを乗せて自陣まで戻って息絶える。カイの首を抱いて泣き崩れるナウシカに騎兵隊長は「このような馬に出会う事を我々騎兵はいつも夢見ています」、「馬にとってもあなたは守りがいのある主人だったのだ」とナウシカを慰めるのだが、残念ながらこのシーンは割愛されていた。

しかし、トリウマのあの頭の大きな着ぐるみを着て人を背中に乗せるのは常人には至難の技。若いプロレスラーの卵でもバイトに雇わないと。

筋書きの夜の部、二幕目には「所作事」とあり、伴奏の長唄連中も記載されているが、これもおそらくカットされている。左腕の動きが制約されていては舞踊はちょっと厳しい。

「ナウシカ」の世界を再現しようと、様々な趣向を凝らした演出のうち、かなりの部分が怪我の後で中止に。せっかく準備を重ねたのに菊之助も実に無念だったろう。まあ役者と関係者の安全第一が一番だが。菊之助からは怪我の気配は明確には見えなかったが肘や腕全体も腫れているのではないか。それでも連日舞台に立つ。菊之助の役者魂には心打たれる。

(音楽)

アニメから取り入れられた曲を三味線で演奏したり、義太夫での語りがあったり、音曲には歌舞伎風味が満載。蟲の大群に襲われた際、死を覚悟したクシャナ姫が、母の記憶に残る子守歌を歌いだす。アニメで使われた有名なメロディに乗せて。この場面は原作にはちょっと出てくるのだが、実際に歌ってみせるのは舞台でしかできない演出。これも感心した。

(幕間)

IMG_2182.jpg
IMG_2197.jpg

値段も高い事もあるが、歌舞伎座の「花篭」食堂よりも、新橋演舞場の食堂のほうが若干、料理は良い印象。「雪月花」で食した昼夜の弁当では、刺身はなかなか質が良かった。あと、冷酒を頼むと片口に並々と注いでくる(笑) ただ、高い方の幕の内は、たしかに豪華なのだけれども、量が多すぎて全部は要らないなあ。

(大向こう)

新作歌舞伎は大向こうはあまり無いものだが、土曜日昼の部は大向こうが結構多く盛んに声がかかる。半面日曜の夜は少ない。しかし夜は鶏爺さんがか細く鳴いていたように思ったが。

(まとめ)

「ナウシカ歌舞伎」は、原作の世界観を壊すことなくストーリーを整理し、原作台詞の優れたエッセンスを抽出して、きちんと歌舞伎として成立させたところに感心。菊之助、七之助を初め、役者陣も大健闘で素晴らしかった。しかし菊之助が万全な状態で、予定通りの演出で見れたならもっと凄かっただろう。勿論、一番無念に思っているのは菊之助本人だろうけれども。是非、早期の再演を望みたい。12月18日の情報では、宙乗り演出が復活したらしい。映像には残してほしい。

吉例顔見世大歌舞伎、昼の部
月曜日の振替休日に歌舞伎座、吉例顔見世大歌舞伎昼の部を。月の中盤以降は大相撲九州場所があるので、初旬にまとめて歌舞伎観劇。この月だけ歌舞伎座前には古式を残した櫓がかかる。

201911071551498c9.jpeg

最初の演目は、「研辰の討たれ(とぎたつのうたれ)」

これは、野田秀樹が演出した「野田版」が有名で、シネマ歌舞伎などにもなった。しかし見たことがない。歌舞伎版も今回初めて。大正時代の新歌舞伎で、敵討ちという封建的な遺風に対する批判精神が底流に流れている所が面白い。

刀の「研ぎ屋」だった守山「辰次」が侍に取り立てられ、揉め事から家老を殺し、その息子の敵討ちで「討たれる」からこの題名だったとも初めて知った。

口八丁で頭の回るお調子者。上へのゴマすりを同輩に軽蔑された事に反発して虚勢を張る所も面白い。この研ぎ辰は、辱められた家老を計略で殺す悪党でもあるが、よく回る口とその場しのぎの軽妙な行動は滑稽で妙に憎めない所あり。

ニンとしてはやはり勘三郎を思い出すが、幸四郎も「弥次喜多」で見せた喜劇風味が、なかなかこの辰次役に合っている。

父親を殺された義務として敵討ちを果たさねば故郷に帰れないのが封建の習い。全国を行脚する平井九市郎、平井才次郎の兄弟を、坂東彦三郎、坂東亀蔵の兄弟が演じるのも息が合っている。大詰めのドタバタ喜劇部分もアドリブ感あり、客席が沸く。口八丁の才覚で、なんとか逃れたと思った最後の場面も実に印象的。「敵討ち」の虚無感を感じさせる演出も近代の感覚。

ここで30分の幕間。花篭で「花車御膳」など。

20191107155212561.jpeg 20191107155233cda.jpeg

この食堂で出す冷酒は歌舞伎座の絵柄が入った特製なのだが、なかなか結構である。

次は「関三奴(せきさんやっこ)」

15分の賑やかで短い舞踊。しかし、前後の狂言が長く、この昼の打ち出しは3時55分と大分遅いので、この演目は無くてもと思ったが、まあ舞踊が無くて2本立てもバランスが悪いか。

威勢のよい奴の踊りだが、松緑も芝翫も踊りは達者。正確で生真面目な踊りの松緑に対し、赤っ面の芝翫のほうが柔らかく踊りを崩している感じがあり、良くいえば大きい、悪くいえば雑で大まか。同じ踊りでも個性が出るものだなあ。

最後の演目は、「梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう) 髪結新三」

実は隔週発売の雑誌「歌舞伎特選DVDコレクション」でこの前買って、菊五郎2011年新橋演舞場での「髪結新三」を観たばかり。音羽屋家の芸。以前、DVDで見た勘三郎も良かったが、菊五郎も世話物では「髪結新三」が一番生き生き見える当たり役。

ホトトギス、長屋裏の青葉、初鰹、朝風呂帰りの浴衣を吹き過ぎる江戸の風。初夏の江戸。その季節感が一杯。何時、何度見ても面白い河竹黙阿弥作、世話物の傑作だ。

手代忠七は時蔵。女形が演じる事の多い白塗りヘナヘナの色男役。家主長兵衛は左團次。何度か演じた事があるはずだが、まだ公演4日目とあって、途中で台詞が飛んで「なんだったっけ」としばし考える間があり。しかし全般にこの人のはまり役である。丑之助が丁稚長松で成長ぶりを見せる。音羽屋劇団の息の合った演目。

新三内の場で「泥棒が入った」と聞いて慌てて大家が出てゆく所で場面転換の幕。そうすると客席の内側にいた3人がドドドと出て行った。まだ焔魔堂橋の場があるのになあと思っていると、大詰めの幕が開く前に、またドドドと戻って来る。どうも終演と間違えたらしい(笑)

閻魔堂橋の前で切り結ぶ髪結新三と弥太五郎源七。閻魔堂は今も門前仲町に現存している。橋はさすがにもう無いが。

新三が一太刀食らった後、舞台が明るくなり、二人が舞台に直って昼の部の終演を告げる、ちょんぱの終わり。これまた粋な打ち出し。




歌舞伎座、「吉例顔見世大歌舞伎」夜の部
先週土曜日は、歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」夜の部。松之助や脇役陣に、所々台詞が入っていないアーウーがあるのがいかにも開幕二日目だなあという感じ。

2019110519314382e.jpeg 20191105193205bbb.jpeg

最初の演目は、「鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)」いわゆる「菊畑」

20191105193559873.jpeg

一般家庭の出身で梅玉の部屋子であった中村梅丸が、梅玉の養子となり、初代中村莟玉となった事を披露する狂言。「奴寅蔵実は源牛若丸」という、普通は御曹司でないとできない役に梅丸が抜擢。その従者である「奴智恵内実は吉岡鬼三太」を養父となる梅玉が。皆鶴姫を魁春、吉岡鬼一法眼を芝翫、笠原湛海を鴈治郎が付き合い、劇中で襲名披露の口上が述べられる。

歌右衛門家は元々血縁が薄く、梅玉も魁春もどちらも六世歌右衛門の養子。彼らにも後継ぎの実子は無し。役者の地位が向上するまでは、実子に継がせるのが当然ではなく、顔の良い子を連れてきて跡取りにする事も普通にあったと聞くが。

梅丸は、爽やかで甘いマスクの二枚目。女形が多いが、今回演じる「実は美少年牛若丸」は大変ニンにあった役とも言える。

「ほうおう」の巻頭インタビューでは、養父となる師匠梅玉の指導について述べている。師匠は「こうしろ」という部分と「やりやすい方でよい」という部分が自在にあるのだとか。自らの芝居も、風情で構えているだけではなく、肚の中は大変に細かく「お客に分からない程度に相手のセリフを受けて演じるのだ」と教える事もあるとか。そうか、梅玉は、いつも殿様を機嫌よくやってるだけではなく、計算もきちんとあるのは流石に歌右衛門の指導を受けただけある。梅丸にも、寅造と牛若丸は分けて演じなければいけないが、牛若丸になった途端急に大人になっても駄目なのだと教えたとのこと。。

幕間のイヤホンガイドのインタビューも梅玉、梅丸の師弟コンビで、師匠がこの弟子を可愛がっている事がよく分かる微笑ましいもの。「浅草花形歌舞伎にも、部屋子なのにお坊ちゃん方に仲間に入れて頂いてありがたかった」と親心。芸でつながっているだけに、どの話題も冗談を入れながら和気あいあいとしている。逆に実の親子でも共通の話題が無いとギクシャクするものなのかもしれない。

一面の紅葉と菊の花。賑やかな襲名披露演目であった。ここで35分の幕間。花篭食堂で「芝居御膳」を。

201911051932388ac.jpeg
20191105193422791.jpeg
20191105193353bae.jpeg



次の演目は、「連獅子(れんじし)」

幸四郎と染五郎、高麗屋親子の競演。これから何度となく演じられるだろうが、ファンは染五郎の成長を確認しながら、何度も見物するのだろうなあ。幸四郎は結構一杯一杯に激しい毛振りを見せていた。


切りの演目は、「市松小僧の女(いちまつこぞうのおんな)」。池波正太郎が、梅幸と先代又五郎にあて書きした新作歌舞伎が42年ぶりに歌舞伎座にかかる。

剣術の稽古に打ち込み男勝りのお千代に、父親は婿を取らせて身代を継がそうとするが、なさぬぬ仲の継母に気を使うお千代は家を出て乳母の家で暮らす。

剣術稽古に打ち込む袴で登場した時蔵は、こんなにデカかったのかと驚嘆する印象。しかし、鴈治郎演じる年下の市松小僧の又吉と恋に落ち、可愛い女となって行くにつれて、だんだんと身体が丸みを帯び小さくなってゆくかのよう。衣装もあろうが、これがやはり芸の力なんだねえ。鴈治郎は美少年というには無理があるが(笑)可愛げがあり、時蔵との息の合った仲良しぶりを見せて印象的に成立している。

掏り上がりで手癖の悪さを改める事ができない市松小僧を厳しく諫める南町奉行同心永井与五郎は、お千代の剣術修業の兄弟子でもある。お縄を打とうとするが、必ず更生させますと、掏摸ができぬように市松小僧の指を包丁で落とそうとするお千代の必死さにほだされ、これを見逃してやる。

新歌舞伎べらんめえ調のこの人情にあふれた粋な役は、芝翫が実に印象的に演じる。まさにはまり役だ。芝翫で感心したのは初めてかもしれない(笑)こんな役をもっとやればよいと思うが。 大番頭を齊入が演じるのだが、出てすぐの場面は、まだしぐさが婆さんに見えたが、だんだんと番頭に見えてきた(笑)

江戸の人情と粋を描いた池波正太郎らしい新歌舞伎。42年も歌舞伎としては埋もれていたなんで勿体ないなと感じるほどの見ご
たえがあった。

歌舞伎座、芸術祭十月大歌舞伎、昼の部リベンジ
先週の日曜日は、歌舞伎座、「芸術祭十月大歌舞伎」、昼の部。元々は12日の昼を買ってあったのだが、台風の影響で公演自体がキャンセルに。そのチケット代はカードに返金されると松竹から連絡もあり、戻りを見て新規のチケットを購入したのだった。

201910250855596cc.jpeg

入場してみると、意外に空席多し。一階席前方だったが、私の左、前方とその左は最初から最後までずっと空席。この所、座高の高い輩が前に座って大迷惑が続いていたが、この日は快適。しかし後方にも空席が目立つ。数日前にチケット購入した時には、そんなに席は戻ってなかったと思うのだが。

最初の演目は、「廓三番叟(くるわさんばそう)」

三番叟は五穀豊穣、天下泰平を祈念する目出度い舞踊で、歌舞伎にも様々なバリエーションあり。これは煌びやかな吉原の座敷を舞台に、傾城、新造、太鼓持が揃って踊るという賑やかで艶やかな所作事。扇雀が傾城、梅枝が新造。巳之助の太鼓持。いつ見ても、梅枝の瓜実顔は、江戸の浮世絵に出てくる女を彷彿とさせるなあ(笑)

20分の幕間の後、「御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)」

頻繁に上演される、歌舞伎十八番の「勧進帳」のパロディに思えるが、実際にはこちらの演目のほうがずっと古い成立。「荒事」としての原型のような演目。「芋洗い勧進帳」の別名でも有名。

芝居としての洗練度はさほど無いのだが、舞踊などの入れ事がなく、ストーリーがどんどん進み、立ち回りがあり、荒事としてのプリミティブな魅力がある。松緑は、隈取を施した稚気あふれ豪快な弁慶に、実に良く似合っている。

木に縛られて泣き出す弁慶というのも見ものだが、これは義経主従を十分に逃がす策略。もう十分遠くまで行ったと分かってから、剛力無双に縄を切って暴れだし、番卒たちの首を次々引っこ抜き、最後は水桶に入れて、両手に持った金剛杖でガラガラかき回すと首が次々に飛んで行く。これが「芋洗い」の語源。何百年も前のシュールなスラップスティック喜劇。

引き抜いた頭でラグビーをやるという、時事ネタを取り入れがくすぐりも入っている。歌舞伎座ではあまりかかっていない演目だが、「七月大歌舞伎」、海老蔵の「通し狂言星合世十三團(ほしあわせじゅうさんだん) 成田千本桜」の一場面で、この「芋洗い」が取り入れられていた。

松也、彦三郎、坂東片岡の両亀蔵による四天王。愛之助が富樫。最後の「芋洗い」は稚気に満ちて豪快だが、残酷だと嫌う人もいるだろう。しかし、原初の荒事の雰囲気を残し、江戸の昔は疫病退散の呪術的な意味もかねていたとも解説で。

2019102508561533d.jpeg 20191025085640be3.jpeg


ここで30分の幕間。花篭食堂で「芝居御膳」。食材にもすっかり秋の香り。

次の演目は、「蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)」

源頼光が酒呑童子や土蜘蛛を退治した話は歌舞伎にも取り入れられ、「土蜘蛛」もそうだ。これもまた、そのバリエーションの所作事。「片岡愛之助五変化相勤め申し候」。蜘蛛の精が様々に変化する所を見せる。

「土蜘蛛」でも使われる歌舞伎独特の小道具、「蜘蛛の糸」が何度も何度も派手に舞台に舞う。一部は客席にまで。派手な立ち回りもあるが、50分と短い上演時間で、あれよあれよと言う間に終わった。「蜘蛛の糸」を見るような演目。

尾上右近が坂田金時。赤っ面の立役というのは初めて見た。新作に古典に自主公演。立役、女形に清元。大変な活躍ぶりだが、結局の所、何処を目指して行くのか興味深い。

最後の演目は、「江戸育お祭佐七(えどそだちおまつりさしち)」。四世鶴屋南北の世話物、「心謎解色糸(こころのなぞとけたいろいと)」の一部を書き換えた派生作品。

「心謎解色糸」は、3組の男女が織りなす奇妙な縁で繋がれた恋愛模様を横糸、赤城家の宝「小倉の色紙」盗難を巡るサスペンスを縦糸に、毒殺や墓暴き、愛と嫉妬、痴情のもつれや子供殺しなど、江戸の町を騒がした実際の猟奇的事件を取り入れ「火曜サスペンス」風に江戸歌舞伎にしたものだが、本作はそこから、鳶の頭、お祭り左七と芸者小糸の物語を抽出している。

音羽屋劇団勢ぞろい。江戸風情を見せる残すべき演目として11年ぶりに上演。冒頭に、祭の見せ物として、眞秀と亀三郎がお軽勘平の道行を踊る劇中劇あり。亀三郎は、名前を襲名して初舞台を済ませているだけあって、踊りがたおやかで実に達者である。周りも真剣に教えているのだろうなあ。

粋で鯔背な鳶の頭。江戸の風が吹くようなこんな役は菊五郎掌中の持ち役。音羽屋、家の芸のひとつ。一途に恋する小粋で鉄火な芸者小糸の時蔵もなかなか印象的に成立している。

起請も交わした真剣な恋は、横恋慕した侍の姦計に嵌り、誤解が重なり、ついには悲劇に終わる。大詰めで殺しの場があって陰惨な終わりでもあるのだが、行燈の灯りで小糸の書置きを読む佐吉は印象的。大作ではないのだが、江戸情緒にあふれたキリっとした世話物。