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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
歌舞伎座「二月大歌舞伎」、夜の部。
さきの土曜日は、歌舞伎座「二月大歌舞伎」夜の部。

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十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言。昼の部、夜の部に、片岡我當、秀太郎、当代仁左衛門の三兄弟とさらにその子息、松嶋屋一門の俳優が揃った公演。夜の部は短い演目が多く、バラエティに富んでいる。

最初の演目は、十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言「八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)」 湖水御座船の場

加藤清正が徳川家康から毒酒を賜ったが、豊臣秀吉への忠義を見せて生き抜いたという伝説に題材を取った一幕。十三世仁左衛門が最後に出演した名残の演目を長男の我當さんが演じる。

毒が回ってきているのだが、琴の音を愛で、更に悠々と酒を飲み、武将の品格と大きさを見せる。我當さんの右手はまだ不自由なようだが船上にしっかりと立ち、役を務める。声も以前より出ている印象。豊臣方の武将が何度も様子を見に舟で漕ぎ寄せ、元気なのを見て「はて面妖な」と首を傾げて戻って行くのが滑稽で面白い。

父の十三世が亡くなった際、松竹は営業政策として、長男の我當さんではなく人気者の三男孝夫に仁左衛門の名跡を継がせた。勿論、嬉しい訳は無かったろうが恬淡と受け入れたのは、身内で争いをしたくないという、長男としての責任感だったのではないだろうか。大病を得たが親父の追善狂言に出る事ができた。舞台では毒の回るのを隠す豪胆な武将に不自由な身体の自分を投影して。最後は大きく船が回転して客席近いところで幕切れの見得。立派に成立して万雷の拍手。

次の演目は能由来の所作事、「羽衣(はごろも)」

三保の松原の「羽衣伝説」に題材にしている。勘九郎も踊りは達者。羽衣を返してもらってからの天女は玉三郎ならではの幽玄な境地で花道の引っ込みまで観客をひきつけた。

ここで35分の幕間。花篭で芝居御膳。この日は客が何故か少なかったな。

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次は世話物。三遊亭円朝の落語を歌舞伎化した「人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)」

博打好きで宵越しの金を持たない江戸っ子だが、めっぽう善人の左官が繰り広げる人情噺のドタバタ。菊五郎はやはり下町の江戸っ子を演じると秀逸。成立は明治だが江戸生世話物の雰囲気を濃厚に残している。

吉原角海老の手代藤助を演じる團蔵は、酸いも甘いも噛み分けた男の人情を見せて好演。角海老の間では、寺嶋眞秀が登場。親父を救うために自ら身売りに来てしょげている、悲しい境遇の莟玉のお久が実に可憐に見える。立役もこなすが、若手の女形として、莟玉の今後の活躍に大いに期待。

菊五郎の左官長兵衛は、菊五郎が掌中に納めた役。娘が身を売った50両を、身投げしようとしている小間物屋の手代に投げつけてくれてやるというのは、よく考えると逆ギレした非合理な行動なのだが、世話焼きで粗忽者で根っから善人の江戸っ子というこの人物造形を菊五郎が見事に演じて成立している。

大詰めの長兵衛内の場、雀右衛門の女房お兼と菊五郎長兵衛の漫才のような喧嘩のやり取りも傑作で客席が沸く。雀右衛門は、お姫様や花魁などの色気ある役よりも、世話物で町場の女房役が合っているのではないかな。

最後は万事が上手く収まってハッピーエンド。前にも菊五郎で見たが、今回のほうがずっと面白く感じたのが不思議。

最後の演目は、「十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言」として、「道行故郷の初雪(みちゆきこきょうのはつゆき)」

上方歌舞伎の名作「恋飛脚大和往来」。「封印切」で公金横領した主人公が取り手に追われ、雪の中を故郷に落ち延びて行く「新口村」の段は歌舞伎でも有名。これを清元による所作事にしたのがこの作品。実父十三世の忠兵衛で梅川を何度も演じた秀太郎が実父を偲んで演じる。忠兵衛役は梅玉。これも風格があって上手い。秀太郎はさすがの芸力で、道行に落ちぶれ果てても、まだ匂い立つような傾城の色香をきちんと感じさせるのであった。

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歌舞伎座「二月大歌舞伎」昼の部
先週日曜は、歌舞伎座「二月大歌舞伎」昼の部に。この日が初日。

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この月は「十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言」が並ぶ。昼の部は「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」から、「加茂堤」、「筆法伝授」、「道明寺」の段。以前も仁左衛門で見たが、その時は「寺子屋」まで通した公演だったっけ。

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「寺子屋」は様々な役者が演じているが、「筆法伝授」「道明寺」の菅丞相は、この役を当たり役とした父親の十三世に続き、当代の仁左衛門の独壇場。演じるのは6度目。太宰府にお参りし肉を断って精進潔斎して役に挑むのだというが、仁左衛門以外に菅丞相は考えつかない気がする。

「加茂堤」は長閑な春満面の景色を背景に斎世親王と苅屋姫の恋を描く。千之助の苅屋姫は可憐に成立。ここが全ての悲劇の始まりではあるのだが、場面にはそのような雰囲気が無いのが良い。米吉の立役は珍しいが若い高貴な公家役は良く似合う。桜丸役の中村勘九郎と八重役の片岡孝太郎も、息のあった軽妙な演技で座を沸かせる。

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お昼の幕間は、花篭で刺身御膳。この後は次の段「筆法伝授」。

大きな動きや見得のある役ではないが、仁左衛門の菅丞相は高貴で威厳ある姿として端正に舞台に屹立する。まさに学問の神様が座っているという存在感。

梅玉の武部源蔵は、勘当を受けた身の緊張や筆法伝授を受けた喜び、しかし勘当は解けない落胆と達者に演じて印象的。片岡秀太郎も厳しさの中に深い同情を漂わせて熟練の演技。

最後の段は「道明寺」。

太宰府へ流される菅原道真にひと目会おうとする苅屋姫と、道真を亡き者にしようとする陰謀。魂の入った木像と菅原道真公が入れ替わる一種オカルトじみた趣向も面白い。この場での仁左衛門も神々しい高貴さと重厚さで見事に成立している。

玉三郎の老婆、覚寿の杖打ちや、悪漢を討つ立ち回りも実に迫力あり。歌六と彌十郎が演じる悪漢は珍妙な滑稽味もありなかなか達者。

太宰府に出発するラスト、生き別れる前に一目娘の姿を見たいという親の情と、自らの立場の葛藤に迷う菅丞相の姿は心を打つ。悲痛な叫びで裾にすがりつく苅屋姫の千之助も良かった。


歌舞伎座「壽 初春大歌舞伎」、夜の部
先週の土曜日は、歌舞伎座「壽 初春大歌舞伎」夜の部。昼の部の「袖萩祭文」のような泣きの幕が無いので、全体に雰囲気は明るく正月気分。

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最初の演目は、「義経腰越状(よしつねこしごえじょう)」。義経が鎌倉に入る前、腰越から頼朝の許しを乞うた書状を出した故事に由来。元々は人形浄瑠璃だが、徳川幕府を題材にしていたので上演禁止になり、時代を鎌倉時代に移して台本を書き換えたというのは歌舞伎では良く聞く話。しかし徳川のどんなエピソードが義経の物語に仮託されたのかについては、イヤホンガイドの解説でも筋書読んでも、あまりよく分からないのであった。

前半部分には確かに義経が出てくるのだが、物語の主眼は後半、白鸚演じる五斗兵衛盛次が酒に酔って踊る「五斗三番叟」。今月の公演では、昼に吉右衛門が「素襖落」で、夜には「義経腰越状」で白鸚が、へべれけに酒を飲んだ酔態の演技を披露している事になるが珍しいな。吉右衛門は明るい酒だが
、白鸚は目が据わったアル中気味に見えるのも面白い。

「義経腰越状」はそれほど上演が無い演目で、白鸚も初役。この年齢で初役に挑むというのは見上げたもの。上演記録を見ると以前に吉右衛門が演じている。白鸚は自分もやっておかないとと思ったのかもしれない。

酒が注がれるそばから飲み干す「滝飲み」はアル中一直線に見える大技(笑)。名軍師の大酔態は、割とお正月気分でなかなか面白かった。

次の演目は「連獅子」

市川中車の息子、團子が、父親の従弟にあたる当代猿之助に指導を受けて「澤瀉十種」に挙げられたこの演目を踊る。前シテの親子獅子の踊りは、團子が教わった事を一点一画おろそかにせず真面目に踊る姿勢に好感が持てる。猿之助も親父ではないものの親戚の若者を指導している訳で眼差しは真剣だ。

合間の宗論では、福之助と男女蔵が、なかなかテンポよい掛け合いで客席を沸かせる。

後シテで毛振りの装束に着替えてまた親子獅子の踊り。子獅子が両手を伸ばして花道を後ろ向きに後退して行く振りがあるのだが、花道横で見ていると、被った長い毛は股を潜って前に伸びている。一つ間違えて毛を踏むと たちまち花道で仰向けに転倒しかねない。よく見ると大変に難しい技。なんでも踵は上げて歩を進めるよう教えられるのだそうである。

切りの最後の毛振り。猿之助は若干身体のキレが重いように思えたが、子獅子役の團子が若さ爆発で「大丈夫か、首か背骨が折れないか」と心配になるくらい毛を振るので、猿之助もさすがに煽られたか後半少し盛り返した印象。経験浅く技能も高くはないとしても、やはり若さは素晴らしいですな。

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ここの幕間で食事休憩。6時44分からであるから結構遅い。おでん定食など頼んでみた。

最後の演目は、三島由紀夫作の新歌舞伎、「鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)」

今日はたまたま花道横だったのだが、以前「十七世十八世中村勘三郎追善十月大歌舞伎」で同じ演目「鰯売」を見た時も花道横。その時は、父親の追善初日が無事に終わって感極まったからか、勘九郎が花道幕外の引っ込みで、滂沱の涙を流しており七之助が驚いていたのだった。

勘九郎の声は、追善の時はもっと勘三郎に似ていた記憶があるのだが、意図的にちょっと寄せていたのだろうか。あちこちに笑いが起こる全体的に気楽な世話物で、新年に気楽に見るのにふさわしい演目。割とデタラメなストーリーであるが、目出度くハッピーエンドで終了。
正月休みの終わり、歌舞伎座「壽 初春大歌舞伎」、昼の部
正月休み最後の5日は、歌舞伎座、「壽 初春大歌舞伎」昼の部。演舞場もそうだったが、歌舞伎座も入口に門松が立ってお正月気分にあふれる。

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最初の演目、「醍醐の花見(だいごのはなみ)」は、栄華を極めた秀吉が実際に催した宴に由来する祝祭舞踊劇。税金を泥棒して支援者を大勢呼んだ安倍晋三の姑息な「桜を見る会」とは、秀吉はさすが」スケールが違うな(笑)

梅玉はご機嫌の体の秀吉役がよく似合う。目出度い役はだいだい似合うね。今月は夜の部は新橋演舞場と掛け持ちで大変だろう。福助が淀殿で品格高く姿を現す。芝翫、勘九郎、七之助など親戚が集まって華やかで賑やかな舞台。酒の肴にと舞踊が披露される合間にも、春風駘蕩と酒を酌み交わす演技が続く。

宴の後半、秀吉が一瞬躓く演出があるのだが、実際に秀吉はこの大宴のちょっと後に亡くなっている。盛者必衰。諸行無常。煌びやかな満面の桜花に、幽かによぎる秀吉の死のイメージ。

二番目が「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)袖萩祭文」

男と出奔して落ちぶれ果て盲目の瞽女になった娘が、父親が切腹を賜る危機にある事を知る。親に一目会いたい、孫娘に会わせたいと、勘当された家に最後に会いに来る。しかし武士の忠義を通す父親は会う訳にゆかない。封建時代の道理が親子の情愛を引き裂く悲劇。

雀右衛門演じる袖萩は、三味線を弾いて上手の浄瑠璃と合わせるのだが、手元が気になるのかずっと下を向いているのがどうも舞台に映えない印象。独奏ならよいがプロの三味線に合わせるのは大変。ただ、目が見えない設定なら普通はまっすぐ前を向くはずだが。一目会いたいと両親の情に訴えてかき口説くのだが、そしてそれは熟練の演技と呼んでもよいのだが、雀右衛門もだいぶ年を取って来て、綺麗な娘役は段々と持ち切れなくなっているのではと若干寂しい気もあり。

この場面では、むしろ娘お君の子役が良い。勿論「袖萩祭文」の子役は、教えられた通りの段取りを歌舞伎の手法で教えられた通り演じているだけだが、歌舞伎の演出が場面に強固にはまっている。子役個人の出来にまったく依存しないほど役の仕草と演技が練られている。大変に賢く健気で可愛い少女が舞台に浮かび上がるのだ。

芝翫、勘九郎、七之助のトリオも、それぞれに舞台に映えて結構。「実は」と正体を明かす「ぶっ返り」の後、大詰め、戦場での再会を約して「さらばさらば」の場面は晴れやかなカタルシスあり。というか、袖萩の泣きだけで終わっては正月早々、あまりにも辛気臭くていけない(笑)

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ここで30分の幕間。花篭で「芝居御膳」で一杯。もう正月休みも終わりか。

三番目は「素襖落」

今まで歌舞伎でイマイチ面白いものを見た事が無かったが、吉右衛門は満面の笑みで登場し、めでたく酒を飲み、したたかに酔っ払って「那須与一」を舞う。舞の揺らぎにも心地よい酔いが感じられるが、ピシッと決まる所はきちんと決まる。吉右衛門はあまり舞踊はやらないのかと思っていたが、流石に当代一の歌舞伎役者ですな。

狂言の太郎冠者は失敗して笑われるのが役目で、今日の「素襖落」も目出度い新年に観客を陽気に笑わせようという「良い気」に満ちていた。印象的な演目。大播磨は何時も人をハッとさせるような、他とちょっと違う工夫がある所が面白い。

最後の演目は「天衣紛上野初花 河内山(こうちやま)」

河竹黙阿弥の作。白鸚が主人公の河内山宗俊。愛嬌あって憎めない小悪党は歌舞伎の愛するキャラクターだが、白鸚の造形は迫力も兼ね備えている。

芝翫が松江出雲守。芝翫は顔が大きく押し出しがあり舞台映えするが、演技は凡庸という時が多いように思うが、この演目で、自分になびかない浪路を手討にせんとて刀を持って出て来て、家来の諫言を聞かずに暴れる場面は、なかなか黒い迫力あり。この日は「袖萩祭文」でも良かった。どうした(笑)
歌六の高木小左衛門は、この家をこの家老が支えているのだという実感あり。

上野寛永寺の使いを偽装して松江邸に乗り込んだ河内山が、松江公を説得し、金まで巻き上げてさっそうと帰ろうとした所で、茶坊主だという正体がバレる。しかし口八丁の啖呵を切り、茶坊主ではあるが将軍家の直参であると逆ギレして、平伏した松江公の家来を尻目に花道で「馬鹿め~!」と一括して颯爽と去る。カタルシスにあふれた印象的なラストを高麗屋の貫禄で見せる。

前に吉右衛門でも見たが、吉右衛門は河内山を、もっとご機嫌に演じて痛快であった。庶民の溜飲が下がったろうなと感じる所があり。白鸚の河内山は、黒い妖気が幽かに漂うような印象。

前の段が出る事もあるようだが、「松江邸広間より玄関先まで」だとほぼ1時間と短めの演目。昼の部は、演目が4本も立て込んでいるから、話が短く済むのは大いに結構。



新年初、新橋演舞場「初春歌舞伎公演」、昼の部
帰京したのが正月2日。3日の昼は「新ばし しみづ」で本年初寿司。昼酒飲んだので酔っ払い。4日は本年初の歌舞伎観劇。海老蔵が座長の新橋演舞場「初春歌舞伎公演」昼の部。歌舞伎始めを、歌舞伎座にせずになんで演舞場にしたのか、あんまり記憶が無いな(笑)

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最初の演目は、「祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき) 金閣寺」。義太夫狂言の名作。

孝太郎が雪姫。三姫と言われる役の一つで女形の大役を初役で。玉三郎に教わったと筋書に。女形の基本である、姫に見えるような形や仕草、身体のラインの出し方などを集大成して再確認できるような機会を与えていただいたと。右團次が、此下東吉実は筑前守久吉。獅童は松永大膳。どちらも、義太夫狂言の名作で大役を得て張り切る。海老蔵が座長の公演は割と他の大物が出ない場合が多く、同座すると中堅にも大役が回ってお得な気がする。公演自体は海老蔵の人気で箱は客で一杯になる訳であるし。

この日は、席は割と後ろのほう。舞台中央に当たる前の席に座高高く頭の大層大きな人が座ったので、その点は不運であった。桜吹雪の中で縛られた雪姫が足でネズミを描くところなど頭の影で全然見えない(笑)

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この演目の後が25分の食事休憩。二階の食堂で幕の内弁当など。正月に肝臓を傷めつけたので、日本酒は頼まずビール小瓶1本のみ。しかし休憩が25分というのは慌ただしい気がする。二番目の演目「鈴ヶ森」の後が30分の休憩なのであるから、これを逆にしてもらったらよかったな。

そして「御存 鈴ヶ森」

莟玉が白井権八。梅玉の養子にならなければ、部屋子にはとても回って来なかった大役。しかし前髪の美少年は確実に本人のニンにある。ドタバタ喜劇風の演出ではあるが、気品ある美少年が冷酷に人をスパスパ切って行く様は、一種のホラー風味も感じるもの。海老蔵も、この演目での幡随院長兵衛は初役。舞台映えするし存在感も十分で、役として成立している。ただ、妙な抑揚のある海老蔵節が、ところどころやはり気になる。

最後の演目は「NINJYA KABUKI」と銘打った「雪蛍恋乃滝(ゆきぼたるこいのたき)」

筋書に「日本のエンターテインメント界を牽引する」と紹介された秋元康が作・演出の新作歌舞伎。しかし、秋元が流行歌の歌詞を書いているのは知っているが、はて、他のエンターテインメント界の何を牽引してたっけ、と筋書を読むと、秋元が演出した三枝成彰のオペラ・ブッファを海老蔵が見に来たのが発端とか。

幕が開いてすぐ、堀越勸玄が海老蔵扮する忍者「稲妻」の幼少期役として登場して盛んに観客の拍手を浴びる。

舞台の演出効果を高めるため、ブロードウェイから装置や照明のデザイナーを呼んだのだという。舞台を前面と後面の二つに分けて場面転換したり、移動式の東屋みたいなものを様々に使いまわしたり、割と珍しい演出はあったが、歌舞伎としての効果の程はあまり分からなかった。1時間弱という短い上演時間には貢献したものと思うが。

歌舞伎になっているかと問われれば、歌舞伎役者が演じているのだし、まあ、歌舞伎になっている。しかし物語として面白いかと問われると、ストーリーが凡庸で盛り上がりもなく、あまり面白くないという印象。ウランやプルトニウムまで出さなくてもねえ。しかし、舞台の見栄えとしては、最後の場面での紙吹雪の量だけは凄かった。片づけは大変だろう。

歌舞伎座「十二月大歌舞伎」、夜の部
先週の日曜は、歌舞伎座「十二月大歌舞伎」、夜の部。

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昼の部のblogでも書いたが、大看板は玉三郎だけ。「大歌舞伎」と呼ぶにはちょっと座組が軽い気もする。まあ、今月は国立劇場、新橋演舞場、京都南座と歌舞伎公演が打たれており、役者も分散。夜の部の演目は2本とも、玉三郎、梅枝、児太朗がトリオで出演。玉三郎が若手女形を鍛える興行と言ってもよいかもしれない。私にとっては、この日で本年の歌舞伎見物納め。

最初の演目は「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」

江戸時代に「エレキテル」の平賀源内が書いた人形浄瑠璃が元。源内は多才な人だったんだなあ。

「神霊矢口渡」は、南北朝時代「太平記」から新田義貞にまつわる物語との事で、あまり馴染みがなく、筋書を読んでもいったい何の話か不明だったが、実際に舞台を見ると面白い。

兄の菩提を弔うために矢口の渡しに来た新田義峯(坂東亀蔵)が、渡し守の家に一夜の宿を乞う。この家の娘、お舟(梅枝)が新田義峯に一目惚れするのだが、実は彼の兄を殺したのは、渡し守の悪辣な父親(松緑)だったという、基本的には若い娘の悲恋を描いた物語。

梅枝がほとんど出ずっぱりで、クドキあり海老反りあり、多くの見せ場を好演。若い女形には大役とイヤホンガイドにあったがその通り。同じ舞台に出ていた児太郎も、次は自分がと横で見ていたろう。筋書きをエー加減に読んでおり「片岡亀蔵が女に一目惚れされる役とは実に不可解」と思っていたら、舞台に出てきたのは坂東亀蔵だった。それなら納得(笑)←亀蔵違い ←配役ちゃんと読めよ(笑)

大詰めで舞台が周り矢口の渡しの川面が一面に広がる。太鼓を吊るした鐘楼の場面は、おそらく八百屋お七が投影されているのだな。赤っ面の渡し守頓兵衛は最初から最後まで極悪非道の悪役というのも珍しい。しかし松緑はちょっと印象が薄かったかな。

ここで35分の幕間。「花篭」で「芝居御膳」。

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次の演目は「本朝白雪姫譚話(ほんちょうしらゆきひめものがたり)」

玉三郎が、梅枝、児太郎と共に演じるグリム童話「白雪姫」を歌舞伎化した新作。

三人が揃って琴を弾く所は「阿古屋」の練習風景のようで面白い。

7人の小人を演じる子役は、皆、大変達者で台詞も多く歌も歌う。

歌舞伎の子役というと、一本調子の甲高い抑揚のない声で、台詞を一音一音棒読みするのが特徴だが、あの台詞術は子役に頼る演技を排し、純粋な役だけを舞台に現出させるための歌舞伎の伝統的手法。子役に妙な演技などしてもらっては困るのだ。この舞台のように、子役が踊って歌を歌って演技をしていると、歌舞伎というよりも学芸会のように見えてくるのが不思議。

いろんな意味で不思議な舞台であったが、玉三郎が、梅枝、児太郎を従えて、幽玄の境地をただ一人行く孤高の舞台を、横から見物すると思えば、これもまた一興。これが歌舞伎かと言われると、勿論なんでも歌舞伎ではあるが、ちょっと違う気もまたするのだった。

歌舞伎座、「十二月大歌舞伎」昼の部
土曜日は、歌舞伎座「十二月大歌舞伎」、昼の部。

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「ナウシカ歌舞伎」もあったので歌舞伎座見物がかなり後半に。この日は玉三郎が阿古屋を演じる「Aプロ」。購入した筋書きには写真が入っている。座組の番付では、座頭格として別格の一枚看板で玉三郎。後は松緑、中車、獅童などが並列で支える。

最初の演目は「たぬき」。平成26年に、三津五郎で見たが、この演目が三津五郎を歌舞伎座で見た最後だったなあ。大佛次郎作の新歌舞伎。中車が主役の柏屋金兵衛。「ころり(コレラ)」が流行った江戸の町。放蕩の末にころっと亡くなった主人公は、葬式の後、焼き場まで来て早桶の中で行き帰り、外に這い出て来る。喜劇風味の冒頭。

柏屋金兵衛は、ふと思いついて自宅には帰らず、新しい自分として第二の人生を送ろうと妾の所に行くのだが、妾には既に情夫がいた。そこから始まる滑稽なドタバタ。

中車は達者な演技でこの主人公を演じる。印象的な名台詞があちこちあり、中車もやりがいがあるだろう。ただ全体に演技というより作劇と脚本の問題と思うが、会話とストーリーの進行テンポがかなりスローで、話運びが若干ダレるような印象あり。

児太郎の妾お染は、旦那を裏切る抜け目ない悪女ぶりや、間夫と一緒になった後の零落ぶりを演じて印象的。彦三郎の太鼓持蝶作も軽妙ながら口跡良く良い出来。坂東亀蔵が間夫の狭山三五郎。笑也の芸者お駒は、芝居茶屋で生まれ変わった金兵衛に出くわして度肝を抜かれる所が面白かった。

中車は歌舞伎役者になった頃は、汚い爺さん役ばかり配役されて歌舞伎界の厳しさ(笑)を感じさせたが、新作歌舞伎とはいえ歌舞伎座で主役を張る所まで来た。まあ舞踊や時代物で目立つのはちょっと難しいだろうから、新作や世話物の方面で息子の為に頑張ってゆくのだろうか。

ここで35分の幕間。花篭食堂で花車膳。

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次の演目は「村松風二人汐汲(むらのまつかぜににんしおくみ)」

在原行平が罪を得て須磨に流された時に寵愛を受けた海女の伝説から能の「松風」が生まれ、歌舞伎にも舞踊劇として取り入れられた物語。梅枝が松風、児太郎が村雨。汐を汲む様子から、行平が残した烏帽子と狩衣をまとって、恋の思い出を振り返り落胆を踊る。梅枝と児太郎は、玉三郎から阿古屋の伝授に選ばれ、若手女形の中では頭ひとつ抜け出した印象あり。背景の満月が美しい。

20分の幕間の後、「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)阿古屋」。この日は玉三郎が阿古屋を演じる。

ちょうど1年前も梅枝、児太郎とトリプルキャストで演じたが、その再演。昼のイヤホンガイドでは玉三郎の特別インタビューあり。戦後の歌舞伎座では「阿古屋」は歌右衛門と玉三郎しか演じていないのだが、演目は個人に属する物ではない。覚える気がある若手には教えたいという玉三郎自身のコメントが語られていた。1年経って、梅枝と児太郎用の新しい打ち掛けも完成したので、そのお披露目と、初回とは違う落ち着きを持った演技ができるのではと期待しているというお話。昨年より梅枝、児太郎の出演回数も増えているのだそうだ。

玉三郎は花道の出から幽玄の美と存在感あり。詮議の場でも、恋人景清を慕いながらもその行方を知らない悲しみがあふれる。この演目の見所は、琴、三味線、胡弓を演奏し、かつ歌うという技芸の難しさ。三味線は手にする歌舞伎役者は多いだろうが、胡弓はあまり使われないから馴染みは薄い楽器だろう。梅枝も児太郎も、稽古するのは大変でしょうな。去年の玉三郎は三味線のバチさばきに若干リズムのブレがあるような気がしたが、今年はそんな事はない。演奏も演技もさすがの安定。

松緑は岩永左衛門。赤っ面で人形振りを滑稽に演ずるが、異様な眼力が実に凄い。彦三郎の秩父庄司重忠は口跡朗々として座りが良い。ただ遊君阿古屋が演奏している間、ずっと待機している訳で、あれはあれで大変な役だ。

新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」を観た。
先週末は、新橋演舞場での新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」観劇。

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アニメ化されたのは原作でいうと2巻の途中まで。しかし、この新作歌舞伎は、昼夜通しで宮崎駿作の漫画原作7巻全てを歌舞伎化して上演しようという意欲的な試み。同じ日に通しで見るのが分かりやすいとは思うものの、一日中劇場というのも疲れるので、土曜日に昼の部、日曜に夜の部と分割して見物することにした。

しかし主演でナウシカを演じる菊之助は前の週の日曜、昼の部の終盤近く、トリウマのカイに乗って花道を下がる場面で落馬して左肘を亀裂骨折。日曜夜の部は休演となり、月曜から復帰したものの、一部演出を変更して上演しているとのお知らせ。メーヴェに乗った宙乗りなどは恐らく安全面を考えて中止にしたのだろう。

さて土曜日昼の部。新橋演舞場は偶にしか来ないので、コインロッカーの位置や売店、トイレ、階段の配置など、いまいち頭に入っていないので動線が良く分からない。まず最初に食事予約の支払をしてから、館内を時間つぶしにウロウロ。共有スペースは歌舞伎座よりも狭いし混雑するし、地下以外はトイレもちょっと見劣りするね。

まず尾上右近が口上に現れ、ナウシカの世界観を簡潔に説明。紗のスクリーンに「風の谷のナウシカ」とプロジェクションされると、観客からは大きな拍手が。以下では、土曜、日曜と続けて観劇した2日分の感想を項目ごとにまとめて。

(引幕)

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口上にもこの引幕が使われる。産業文明の高度な発展、命をも自由に操る科学。そこから生まれた巨神兵による火の七日間と世界の終末。腐海に覆われた世界と蟲たち。そして残された地で暮らす人類の黄昏。青き衣を着てやがて野に降り立つ運命の救世主。「ナウシカ」の世界観を表したこの引幕は、実によく出来ている。

昼の部、一幕目の切りでは、この特別引幕が途中で引っかかって閉まらないハプニング発生。しかしスタッフもプロ。何事もなかったように緞帳が下りてきて幕間に。

(ストーリー)

数日前から原作本を少しずつ再読していたので、ストーリーはきちんと追える。アニメ版のストーリーが序幕で終了したスピードにはびっくり。昼の部で原作の第三巻まで終わった。

原作にはほぼ忠実。枝葉のエピソードは、かなり刈り込まれ、人物の行動動機は原作よりもずっと分かりやすく、ストーリーが明瞭になっている。歌舞伎化でストーリーが簡潔になったのは事実だが、もともと、漫画の原作そのものが読者にストーリーや人物の動機を説明する事にあまり熱心ではなく、宮崎駿が描きたい事だけを好きなだけ描き込んでいるので冗長で解りづらい部分がある。今回の歌舞伎版ナウシカの筋書を読んで、原作のストーリーが初めて明瞭に頭に入った気がする。

(セット)

舞台の冒頭、セットやプロジェクション、黒子によって飛び回る蟲たちによって歌舞伎の舞台に再現された腐海には感嘆。よくできている。巨神兵や王蟲についてもスケールの大きなセットやプロジェクション、引幕などにより、よく考えられていた。空の場面が少ないのは恐らく菊之助怪我の影響で演出を変更したからではないか。

戦火に逃げ惑う人々は、歌舞伎でいう町人風。劇中のそれぞれの民族の衣装も、勿論歌舞伎流なのだが、きちんと切り分けがなされて、はっきり分かるようになっている。飛行艇の中は、まるで長屋のような引き戸のあるセットで、ある意味、歌舞伎情緒も満載で和むなあ(笑)

(配役)

「阿弖流為」でも七之助は素晴らしかったが、本作でも、七之助によって、原作に描かれたクシャナ殿下が、そのまま舞台上に顕現した。勇猛果敢、美しい女武人で「トルメキアの白い魔女」と称される姫君。知略にも富むが、戦いでは常に先陣に立ち、部下思いで、鍛え上げた自らの軍の人心を見事に掌握する勇将。そして王位を巡っては、父王や軟弱な兄王たちの謀略で、死地に敢えて向かわされるという修羅を生きる皇女。

「風の谷のナウシカ」原作の最初の部分では、ナウシカとクシャナ姫は比較的対照的に描かれている。光と影、善と悪、正と邪、柔と剛、菩薩と修羅。しかし原作の展開が進むにつれ、お互いの影響で、二人の立ち位置は絡み合い、次第に融合する。この展開でのクシャナ姫も七之助は見事に演じている。

セパ殿がクシャナ姫を守って攻撃を一身に受け絶命する際、「血がむしろそなたを清めた」という原作の台詞がそのままに。覇道ではなく王道を目指せとセパ殿が諭す。

陰影のハッキリしたクシャナ姫よりも、演じるにはナウシカのほうが大変な気がするが、菊之助も全編を背負う主人公として印象的に成立している。怪我さえなけばもっと舞台の上で躍動、活躍できただろうと、そこが残念。

神聖皇帝の兄弟を両方演じる巳之助も健闘。庭の主、芝のぶも声を使い分けてなかなか印象的。大詰、墓の主の精とオーマの精が紅白の毛振りをすると、なんだか歌舞伎的な大団円に落ち着く。毛振り大奮闘は右近と歌昇。

墓の主は、なんと大播磨吉右衛門が声の出演。菊之助が「お義父さん、お願い致します」と頼んだのだろうなあ。娘婿にそう頼まれると、義理の親父としても張り切ると(笑)これまた迫力あり。

配役が発表される下馬評では、「虫博士」市川中車が王蟲だという冗談が盛んに聞かれたが、王蟲の声で中車が本当に出演したのには笑った。

片岡亀蔵のクロトワは、はまり役。巳之助でもはまったと思うが、こちらは神聖皇帝、皇弟ミラルパと皇兄ナムリス。一部絡みがあるのだが、タンクに入った弟は多分スクリーンの映像だったんだな。

尾上松也のユパ様も最初は違和感あるかと思ったが、きちんと成立している。米吉のケチャは、まさに原作のあの通りと思うほどよく再現していて感心した。

新作ではあるが、又五郎のマニ僧正 歌六のブ王は堂々たる迫力で舞台に重みを与えた。夜の部では全員が舞台に出て人物紹介。昼の部も夜の部も、引幕が閉まった後でカーテンコールがあり、登場人物が舞台に揃ってご挨拶。

(菊之助の怪我とカットされたシーン)

菊之助は不慮の事故から不屈の意志で復帰。舞台をみると、手指は動くし左手を上げる事もできる。しかしよく見ると肘を曲げる事はできないようだった。

キツネリス、テトとの出会い。右肩に乗った怯えたテトに噛まれるのは、原作でも事前に公開された稽古映像でも左手。しかし、今日の舞台ではテトが左肩に乗って右手を噛む。左手を肩まで曲げることができないのでは。ギブスで肘を固定しているのだろうか。痛々しいが、それでも舞台に上がる役者根性には感嘆。

当初の上演時間と比較すると、昼の部で20分、夜の部で10分程度短くなっている。慣れて来て早くなった部分もあろうが、大部分は菊之助の怪我による演出変更によるものだろう。

事前の公開映像にあった、メーヴェ関係の宙乗りや、機械仕掛けの上のメーヴェに乗って左右に移動する場面は、この日は無かった。筋書の配役を見ると「遠見のナウシカ」として子役の名前が記載されているが、このシーンも無かったような。「遠見」とは子役を使って役者が遠くに居るように見せる歌舞伎独特の手法。おそらく他の空中シーンとの絡みで中止になったのだろうか。全般的に空中シーンは少なかった。

トリウマもが大勢出る戦闘シーンも、怪我の前の舞台ではあったそうだがこれもカット。瀕死のトリウマに乗って戦場から脱出するシーンで事故が起こったのだが、トリウマは乗るのではなく引いて登場に変更。

このシーンは原作で実に印象的。クシャナ姫の戦に、お前も綺麗事だけではなく手を汚せと言われ、戦陣に加わるナウシカ。敵の銃弾で瀕死の重傷を負ったトリウマ、カイが鬼神の如き力を振り絞り、ナウシカを乗せて自陣まで戻って息絶える。カイの首を抱いて泣き崩れるナウシカに騎兵隊長は「このような馬に出会う事を我々騎兵はいつも夢見ています」、「馬にとってもあなたは守りがいのある主人だったのだ」とナウシカを慰めるのだが、残念ながらこのシーンは割愛されていた。

しかし、トリウマのあの頭の大きな着ぐるみを着て人を背中に乗せるのは常人には至難の技。若いプロレスラーの卵でもバイトに雇わないと。

筋書きの夜の部、二幕目には「所作事」とあり、伴奏の長唄連中も記載されているが、これもおそらくカットされている。左腕の動きが制約されていては舞踊はちょっと厳しい。

「ナウシカ」の世界を再現しようと、様々な趣向を凝らした演出のうち、かなりの部分が怪我の後で中止に。せっかく準備を重ねたのに菊之助も実に無念だったろう。まあ役者と関係者の安全第一が一番だが。菊之助からは怪我の気配は明確には見えなかったが肘や腕全体も腫れているのではないか。それでも連日舞台に立つ。菊之助の役者魂には心打たれる。

(音楽)

アニメから取り入れられた曲を三味線で演奏したり、義太夫での語りがあったり、音曲には歌舞伎風味が満載。蟲の大群に襲われた際、死を覚悟したクシャナ姫が、母の記憶に残る子守歌を歌いだす。アニメで使われた有名なメロディに乗せて。この場面は原作にはちょっと出てくるのだが、実際に歌ってみせるのは舞台でしかできない演出。これも感心した。

(幕間)

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値段も高い事もあるが、歌舞伎座の「花篭」食堂よりも、新橋演舞場の食堂のほうが若干、料理は良い印象。「雪月花」で食した昼夜の弁当では、刺身はなかなか質が良かった。あと、冷酒を頼むと片口に並々と注いでくる(笑) ただ、高い方の幕の内は、たしかに豪華なのだけれども、量が多すぎて全部は要らないなあ。

(大向こう)

新作歌舞伎は大向こうはあまり無いものだが、土曜日昼の部は大向こうが結構多く盛んに声がかかる。半面日曜の夜は少ない。しかし夜は鶏爺さんがか細く鳴いていたように思ったが。

(まとめ)

「ナウシカ歌舞伎」は、原作の世界観を壊すことなくストーリーを整理し、原作台詞の優れたエッセンスを抽出して、きちんと歌舞伎として成立させたところに感心。菊之助、七之助を初め、役者陣も大健闘で素晴らしかった。しかし菊之助が万全な状態で、予定通りの演出で見れたならもっと凄かっただろう。勿論、一番無念に思っているのは菊之助本人だろうけれども。是非、早期の再演を望みたい。12月18日の情報では、宙乗り演出が復活したらしい。映像には残してほしい。

吉例顔見世大歌舞伎、昼の部
月曜日の振替休日に歌舞伎座、吉例顔見世大歌舞伎昼の部を。月の中盤以降は大相撲九州場所があるので、初旬にまとめて歌舞伎観劇。この月だけ歌舞伎座前には古式を残した櫓がかかる。

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最初の演目は、「研辰の討たれ(とぎたつのうたれ)」

これは、野田秀樹が演出した「野田版」が有名で、シネマ歌舞伎などにもなった。しかし見たことがない。歌舞伎版も今回初めて。大正時代の新歌舞伎で、敵討ちという封建的な遺風に対する批判精神が底流に流れている所が面白い。

刀の「研ぎ屋」だった守山「辰次」が侍に取り立てられ、揉め事から家老を殺し、その息子の敵討ちで「討たれる」からこの題名だったとも初めて知った。

口八丁で頭の回るお調子者。上へのゴマすりを同輩に軽蔑された事に反発して虚勢を張る所も面白い。この研ぎ辰は、辱められた家老を計略で殺す悪党でもあるが、よく回る口とその場しのぎの軽妙な行動は滑稽で妙に憎めない所あり。

ニンとしてはやはり勘三郎を思い出すが、幸四郎も「弥次喜多」で見せた喜劇風味が、なかなかこの辰次役に合っている。

父親を殺された義務として敵討ちを果たさねば故郷に帰れないのが封建の習い。全国を行脚する平井九市郎、平井才次郎の兄弟を、坂東彦三郎、坂東亀蔵の兄弟が演じるのも息が合っている。大詰めのドタバタ喜劇部分もアドリブ感あり、客席が沸く。口八丁の才覚で、なんとか逃れたと思った最後の場面も実に印象的。「敵討ち」の虚無感を感じさせる演出も近代の感覚。

ここで30分の幕間。花篭で「花車御膳」など。

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この食堂で出す冷酒は歌舞伎座の絵柄が入った特製なのだが、なかなか結構である。

次は「関三奴(せきさんやっこ)」

15分の賑やかで短い舞踊。しかし、前後の狂言が長く、この昼の打ち出しは3時55分と大分遅いので、この演目は無くてもと思ったが、まあ舞踊が無くて2本立てもバランスが悪いか。

威勢のよい奴の踊りだが、松緑も芝翫も踊りは達者。正確で生真面目な踊りの松緑に対し、赤っ面の芝翫のほうが柔らかく踊りを崩している感じがあり、良くいえば大きい、悪くいえば雑で大まか。同じ踊りでも個性が出るものだなあ。

最後の演目は、「梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう) 髪結新三」

実は隔週発売の雑誌「歌舞伎特選DVDコレクション」でこの前買って、菊五郎2011年新橋演舞場での「髪結新三」を観たばかり。音羽屋家の芸。以前、DVDで見た勘三郎も良かったが、菊五郎も世話物では「髪結新三」が一番生き生き見える当たり役。

ホトトギス、長屋裏の青葉、初鰹、朝風呂帰りの浴衣を吹き過ぎる江戸の風。初夏の江戸。その季節感が一杯。何時、何度見ても面白い河竹黙阿弥作、世話物の傑作だ。

手代忠七は時蔵。女形が演じる事の多い白塗りヘナヘナの色男役。家主長兵衛は左團次。何度か演じた事があるはずだが、まだ公演4日目とあって、途中で台詞が飛んで「なんだったっけ」としばし考える間があり。しかし全般にこの人のはまり役である。丑之助が丁稚長松で成長ぶりを見せる。音羽屋劇団の息の合った演目。

新三内の場で「泥棒が入った」と聞いて慌てて大家が出てゆく所で場面転換の幕。そうすると客席の内側にいた3人がドドドと出て行った。まだ焔魔堂橋の場があるのになあと思っていると、大詰めの幕が開く前に、またドドドと戻って来る。どうも終演と間違えたらしい(笑)

閻魔堂橋の前で切り結ぶ髪結新三と弥太五郎源七。閻魔堂は今も門前仲町に現存している。橋はさすがにもう無いが。

新三が一太刀食らった後、舞台が明るくなり、二人が舞台に直って昼の部の終演を告げる、ちょんぱの終わり。これまた粋な打ち出し。




歌舞伎座、「吉例顔見世大歌舞伎」夜の部
先週土曜日は、歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」夜の部。松之助や脇役陣に、所々台詞が入っていないアーウーがあるのがいかにも開幕二日目だなあという感じ。

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最初の演目は、「鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)」いわゆる「菊畑」

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一般家庭の出身で梅玉の部屋子であった中村梅丸が、梅玉の養子となり、初代中村莟玉となった事を披露する狂言。「奴寅蔵実は源牛若丸」という、普通は御曹司でないとできない役に梅丸が抜擢。その従者である「奴智恵内実は吉岡鬼三太」を養父となる梅玉が。皆鶴姫を魁春、吉岡鬼一法眼を芝翫、笠原湛海を鴈治郎が付き合い、劇中で襲名披露の口上が述べられる。

歌右衛門家は元々血縁が薄く、梅玉も魁春もどちらも六世歌右衛門の養子。彼らにも後継ぎの実子は無し。役者の地位が向上するまでは、実子に継がせるのが当然ではなく、顔の良い子を連れてきて跡取りにする事も普通にあったと聞くが。

梅丸は、爽やかで甘いマスクの二枚目。女形が多いが、今回演じる「実は美少年牛若丸」は大変ニンにあった役とも言える。

「ほうおう」の巻頭インタビューでは、養父となる師匠梅玉の指導について述べている。師匠は「こうしろ」という部分と「やりやすい方でよい」という部分が自在にあるのだとか。自らの芝居も、風情で構えているだけではなく、肚の中は大変に細かく「お客に分からない程度に相手のセリフを受けて演じるのだ」と教える事もあるとか。そうか、梅玉は、いつも殿様を機嫌よくやってるだけではなく、計算もきちんとあるのは流石に歌右衛門の指導を受けただけある。梅丸にも、寅造と牛若丸は分けて演じなければいけないが、牛若丸になった途端急に大人になっても駄目なのだと教えたとのこと。。

幕間のイヤホンガイドのインタビューも梅玉、梅丸の師弟コンビで、師匠がこの弟子を可愛がっている事がよく分かる微笑ましいもの。「浅草花形歌舞伎にも、部屋子なのにお坊ちゃん方に仲間に入れて頂いてありがたかった」と親心。芸でつながっているだけに、どの話題も冗談を入れながら和気あいあいとしている。逆に実の親子でも共通の話題が無いとギクシャクするものなのかもしれない。

一面の紅葉と菊の花。賑やかな襲名披露演目であった。ここで35分の幕間。花篭食堂で「芝居御膳」を。

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次の演目は、「連獅子(れんじし)」

幸四郎と染五郎、高麗屋親子の競演。これから何度となく演じられるだろうが、ファンは染五郎の成長を確認しながら、何度も見物するのだろうなあ。幸四郎は結構一杯一杯に激しい毛振りを見せていた。


切りの演目は、「市松小僧の女(いちまつこぞうのおんな)」。池波正太郎が、梅幸と先代又五郎にあて書きした新作歌舞伎が42年ぶりに歌舞伎座にかかる。

剣術の稽古に打ち込み男勝りのお千代に、父親は婿を取らせて身代を継がそうとするが、なさぬぬ仲の継母に気を使うお千代は家を出て乳母の家で暮らす。

剣術稽古に打ち込む袴で登場した時蔵は、こんなにデカかったのかと驚嘆する印象。しかし、鴈治郎演じる年下の市松小僧の又吉と恋に落ち、可愛い女となって行くにつれて、だんだんと身体が丸みを帯び小さくなってゆくかのよう。衣装もあろうが、これがやはり芸の力なんだねえ。鴈治郎は美少年というには無理があるが(笑)可愛げがあり、時蔵との息の合った仲良しぶりを見せて印象的に成立している。

掏り上がりで手癖の悪さを改める事ができない市松小僧を厳しく諫める南町奉行同心永井与五郎は、お千代の剣術修業の兄弟子でもある。お縄を打とうとするが、必ず更生させますと、掏摸ができぬように市松小僧の指を包丁で落とそうとするお千代の必死さにほだされ、これを見逃してやる。

新歌舞伎べらんめえ調のこの人情にあふれた粋な役は、芝翫が実に印象的に演じる。まさにはまり役だ。芝翫で感心したのは初めてかもしれない(笑)こんな役をもっとやればよいと思うが。 大番頭を齊入が演じるのだが、出てすぐの場面は、まだしぐさが婆さんに見えたが、だんだんと番頭に見えてきた(笑)

江戸の人情と粋を描いた池波正太郎らしい新歌舞伎。42年も歌舞伎としては埋もれていたなんで勿体ないなと感じるほどの見ご
たえがあった。

歌舞伎座、芸術祭十月大歌舞伎、昼の部リベンジ
先週の日曜日は、歌舞伎座、「芸術祭十月大歌舞伎」、昼の部。元々は12日の昼を買ってあったのだが、台風の影響で公演自体がキャンセルに。そのチケット代はカードに返金されると松竹から連絡もあり、戻りを見て新規のチケットを購入したのだった。

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入場してみると、意外に空席多し。一階席前方だったが、私の左、前方とその左は最初から最後までずっと空席。この所、座高の高い輩が前に座って大迷惑が続いていたが、この日は快適。しかし後方にも空席が目立つ。数日前にチケット購入した時には、そんなに席は戻ってなかったと思うのだが。

最初の演目は、「廓三番叟(くるわさんばそう)」

三番叟は五穀豊穣、天下泰平を祈念する目出度い舞踊で、歌舞伎にも様々なバリエーションあり。これは煌びやかな吉原の座敷を舞台に、傾城、新造、太鼓持が揃って踊るという賑やかで艶やかな所作事。扇雀が傾城、梅枝が新造。巳之助の太鼓持。いつ見ても、梅枝の瓜実顔は、江戸の浮世絵に出てくる女を彷彿とさせるなあ(笑)

20分の幕間の後、「御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)」

頻繁に上演される、歌舞伎十八番の「勧進帳」のパロディに思えるが、実際にはこちらの演目のほうがずっと古い成立。「荒事」としての原型のような演目。「芋洗い勧進帳」の別名でも有名。

芝居としての洗練度はさほど無いのだが、舞踊などの入れ事がなく、ストーリーがどんどん進み、立ち回りがあり、荒事としてのプリミティブな魅力がある。松緑は、隈取を施した稚気あふれ豪快な弁慶に、実に良く似合っている。

木に縛られて泣き出す弁慶というのも見ものだが、これは義経主従を十分に逃がす策略。もう十分遠くまで行ったと分かってから、剛力無双に縄を切って暴れだし、番卒たちの首を次々引っこ抜き、最後は水桶に入れて、両手に持った金剛杖でガラガラかき回すと首が次々に飛んで行く。これが「芋洗い」の語源。何百年も前のシュールなスラップスティック喜劇。

引き抜いた頭でラグビーをやるという、時事ネタを取り入れがくすぐりも入っている。歌舞伎座ではあまりかかっていない演目だが、「七月大歌舞伎」、海老蔵の「通し狂言星合世十三團(ほしあわせじゅうさんだん) 成田千本桜」の一場面で、この「芋洗い」が取り入れられていた。

松也、彦三郎、坂東片岡の両亀蔵による四天王。愛之助が富樫。最後の「芋洗い」は稚気に満ちて豪快だが、残酷だと嫌う人もいるだろう。しかし、原初の荒事の雰囲気を残し、江戸の昔は疫病退散の呪術的な意味もかねていたとも解説で。

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ここで30分の幕間。花篭食堂で「芝居御膳」。食材にもすっかり秋の香り。

次の演目は、「蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)」

源頼光が酒呑童子や土蜘蛛を退治した話は歌舞伎にも取り入れられ、「土蜘蛛」もそうだ。これもまた、そのバリエーションの所作事。「片岡愛之助五変化相勤め申し候」。蜘蛛の精が様々に変化する所を見せる。

「土蜘蛛」でも使われる歌舞伎独特の小道具、「蜘蛛の糸」が何度も何度も派手に舞台に舞う。一部は客席にまで。派手な立ち回りもあるが、50分と短い上演時間で、あれよあれよと言う間に終わった。「蜘蛛の糸」を見るような演目。

尾上右近が坂田金時。赤っ面の立役というのは初めて見た。新作に古典に自主公演。立役、女形に清元。大変な活躍ぶりだが、結局の所、何処を目指して行くのか興味深い。

最後の演目は、「江戸育お祭佐七(えどそだちおまつりさしち)」。四世鶴屋南北の世話物、「心謎解色糸(こころのなぞとけたいろいと)」の一部を書き換えた派生作品。

「心謎解色糸」は、3組の男女が織りなす奇妙な縁で繋がれた恋愛模様を横糸、赤城家の宝「小倉の色紙」盗難を巡るサスペンスを縦糸に、毒殺や墓暴き、愛と嫉妬、痴情のもつれや子供殺しなど、江戸の町を騒がした実際の猟奇的事件を取り入れ「火曜サスペンス」風に江戸歌舞伎にしたものだが、本作はそこから、鳶の頭、お祭り左七と芸者小糸の物語を抽出している。

音羽屋劇団勢ぞろい。江戸風情を見せる残すべき演目として11年ぶりに上演。冒頭に、祭の見せ物として、眞秀と亀三郎がお軽勘平の道行を踊る劇中劇あり。亀三郎は、名前を襲名して初舞台を済ませているだけあって、踊りがたおやかで実に達者である。周りも真剣に教えているのだろうなあ。

粋で鯔背な鳶の頭。江戸の風が吹くようなこんな役は菊五郎掌中の持ち役。音羽屋、家の芸のひとつ。一途に恋する小粋で鉄火な芸者小糸の時蔵もなかなか印象的に成立している。

起請も交わした真剣な恋は、横恋慕した侍の姦計に嵌り、誤解が重なり、ついには悲劇に終わる。大詰めで殺しの場があって陰惨な終わりでもあるのだが、行燈の灯りで小糸の書置きを読む佐吉は印象的。大作ではないのだが、江戸情緒にあふれたキリっとした世話物。


芸術祭十月大歌舞伎、「夜の部」。
土曜日は、芸術祭十月大歌舞伎、「夜の部」に。夕方になってもまだ夏が戻って来たかのような陽気。

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最初の演目は、河竹黙阿弥作。「三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)」。大川端の場だけ出る事が多いが、今回は三人の吉三が終末を迎える本郷火の見櫓の場まで通しで。

歌舞伎座では、大川端の場しか観た事ないはずだが、後半部分にも記憶あり。以前何かの映像で見たのだろうか。

有名な大川端庚申塚の場は、朧月夜を背景に、黙阿弥の七五調の名台詞に乗った様式美に満ちた場面が美しい。松緑は貫禄ある親分肌の和尚吉三として印象的。愛之助のお坊吉三もきちんと成立している。お嬢吉三は、梅枝と松也が偶数日と奇数日とで交代に演じる。この日は梅枝。美しい娘と盗賊の男の素顔が鮮やかに交錯する。

大川端庚申塚の場から先は、夜鷹宿という底辺の生活を生きる人々の生活を背景に、三人の吉三の運命と、土左衛門伝吉と実はその子供であった手代十三郎とおとせの数奇な運命の輪が、庚申丸と百両を狂言回しに語られて行く。陰惨な因果話でもあり、そんなにはかからないのだろうが、一種奇妙な退廃美にあふれている。三人の吉三も根っからの悪党ではなく、運命に翻弄された不幸を抱える者たちなのだった。

「八百屋お七」が随所に反映されているのも興味深い。最後の「火の見櫓の場」もお七の狂乱を投影されている。

松緑の悪漢役は似合うし、和尚吉三もニンにあると思うが、全体を通してみると、本日は一本調子で若干陰影が薄いような気がしないでもなかった。弟妹殺しの場なんかはもっと凄みが出て成立すると思うが。梅枝は男女の切替が実に印象的。歌六は、今は善人だが過去もあり、胆力もある土左衛門伝吉を見事に演じる。やはり爺さん役をやると素晴らしく良いなあ。

幕間は「花篭」で「芝居御膳」。随所に秋の味覚が織り込まれておりなかなか結構。

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最後の演目は「二人静(ふたりしずか)」

能の謡曲を素材にした歌舞伎舞踊。長唄、箏曲、鳴り物と、音楽が実に賑やか。玉三郎と大舞台で同期して二人で踊る児太郎は、大相撲で言うと、横綱白鵬に前頭下位の有望株が、ぶつかり稽古で泥だらけにされるチャレンジの如し。白鵬も見どころのある若手しか相手にしないが、相撲ではこれを「可愛がり」と称する。こうやって稽古をつけて貰った若手が横綱に勝つのは「恩返し」。

しかし児太郎は立派にやり遂げて大健闘。12月にはまた玉三郎が、梅枝、児太郎と交代で演じる「阿古屋」がかかる。玉三郎の若手「可愛がり」は続く。いつか「恩返し」できる日が来ると良いね。
歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」夜の部。パラレルワールドの弁慶
先週の金曜日は、「秀山祭九月大歌舞伎」夜の部を観劇。

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最初の演目は、「菅原伝授手習鑑 寺子屋(てらこや)」

体調不良で3日休演し、復帰して2日目の吉右衛門が演じるのは、病身という設定の「寺子屋」松王丸。松緑は代演ご苦労様。吉右衛門が復活した松王丸の、咳の場面など体調悪そうな描写が真に迫っているのは、芸の力か、あるいはまだ本調子ではないのか。あまり他の人の松王丸で体調悪そうな印象を持ったことは無いものの、やはり気になる。普通は、病鉢巻きをしていても堂々たる押し出しの元気に見える松王丸が多い気がするが。

義太夫狂言の名作。よくできた芝居である。

自らの計画とはいえ、知らぬ場所で身代わりに討たれた息子。首実検の後で正体を明かし、「さぞや未練だったでしょう」と尋ねて、「立派に笑って首を差し出して討たれました」と聞いた時の「笑いましたか」の泣き笑いは、恐ろしい悲痛と歓喜の入り混じった古径な大きさが真に迫ってくる。

忠義の為に子供を寺子屋に行かせ、立派に殺された。これは現代の心理ではなかなか素直に了解し難いが、歌舞伎が内包する封建の心性に慣れていると、自分の死を忠義と出来ず無駄死にであった「桜丸は不憫でござる」に実に良く繋がってくるのであった。

武部源蔵が幸四郎。「せまじきものは宮仕え」の思い詰める忠義の真面目さはニンにある。戸波が児太郎、千代が菊之助と若手が脇を固めてしっかりと成立していた。涎くり与太郎は、若干、墨を擦り過ぎじゃないかと余計な考えが浮かぶが(笑)、鷹之資が達者に演じる。

福助も園生の前役で、ヨロヨロとではあるが歩く場面があり、児太郎がそっと支える。回復が進んだという、復活の目出度い舞台でもあった。又五郎の春藤玄蕃は重厚な迫力があり、赤っ面として印象的。

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30分の幕間は「花篭」で芝居御膳を。

次の演目は、「歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)」

この日は偶数日で幸四郎が弁慶、錦之助が富樫左衛門。奇数日は、仁左衛門が弁慶で、幸四郎が富樫。どちらの日も義経は孝太郎、駿河次郎が千之助であるから、奇数日は松嶋屋三代揃い踏みの「勧進帳」となる。この日を遡る2週間ほど前、仁左衛門の「勧進帳」だけは見物したので、感想は両バージョンを。

「勧進帳」(幸四郎弁慶)

幸四郎の弁慶を観るのは三度目か。染五郎時代に初役で演じた弁慶は、一点一画を疎かにしない楷書の如き弁慶。しかし大きさを求めるあまりか、背伸びして身体が反り返るような雰囲気もあった。新幸四郎襲名時の弁慶は、若干自分のニンに引き寄せている印象。悪く言えば最初より崩れているのだが、良く言えば新幸四郎らしい弁慶を模索し始めていたという印象。

そして今回の「勧進帳」。高麗屋伝来の弁慶は、骨太で安定した形で当代の幸四郎に受け継がれた。堂々としてしっかりした弁慶であった。花道からクルクル回りながら舞台中央に戻る「滝流し」の所作が入るのは珍しかったが、最後の舞の部分であるから体力的には結構大変だろう。錦之助の富樫左衛門も堂々たるものであった。

「勧進帳」(仁左衛門弁慶)

筋書によると、当代仁左衛門は若い時に、実父十三世片岡仁左衛門が七世松本幸四郎から直々に習った勧進帳を教わったとのことである。七世幸四郎は弁慶を随一の当たり役としていたから、本家本流から学んだという事なのだが。

但し、所謂成田屋系の「荒事」の雰囲気はやや薄い。仁左衛門の弁慶は、荒ぶる魂よりも、知略と忠誠を重んじた人間味のある弁慶として印象的に成立している。

成田屋の山伏問答は、「外郎売」の如き早口言葉を叩きつけるような、富樫との火を噴くような応酬があるのだが、仁左衛門はそれとは対照的に、明瞭な口跡で、言葉がはっきり伝わるよう、ゆっくりと喋る。しかし、この弁慶は落ち着き払っているのではなく、全知全能を絞り切ってこの場を切り抜けようとしているのだというテンションがはっきりと伝わる。ゆっくり喋っているように思えるのだが逆に上演は短く感じる不思議。

富樫が去った後、安堵で金剛杖を持った手が緩み、杖が舞台にコツンと当たる。澤瀉屋に伝わった型なのだそうだが、これまた印象的。

これが荒事だという型からは外れているのかもしれないが、当代の仁左衛門にしかできない智謀知略に満ちた怜悧な弁慶である。表情ひとつとっても、写楽の「大首絵」のような眼をむいた誇張した荒事特有の表情ではない。

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このポスターにあるように、仁左衛門は実に写実の弁慶。最後の飛び六法も実に自然。静かな天への深い感謝。そして六法に入る時にも、浮世絵のような大仰な表情はしないが、その眼は先を行く主君義経を待ち受ける運命を、突き刺すように見据えていたのだった。

荒唐無稽な「荒事」の「勧進帳」とは雰囲気が若干違って、リアリズムを希求する、パラレルワールドでの「勧進帳」を見たような実に不思議な気分のする、仁左衛門の弁慶。観れて良かった。

最後の演目は、三世中村歌六 百回忌追善狂言と銘打って、「秀山十種の内 松浦の太鼓(まつうらのたいこ)」

昔の日本人は忠臣蔵が大好きであり、様々な形で歌舞伎になっているが、これは一種の外伝として、吉良の隣のお屋敷では何が起こっていたかを題材に歌舞伎ができている。

歌六に米吉、又五郎に歌昇、種之助の親子。三世中村歌六由縁の役者が揃う。当代の歌六は、ニンとしては俳人宝井其角の人であるが、急に「馬鹿馬鹿」と不機嫌になったり、機嫌が直ったりと天衣無縫で愛嬌のある殿様を芸達者に演じる。

ただ、やたらに座高が高く頭の大きなオジサンが斜め前におり、松浦邸の場での歌六演じる殿様は全く見えないという不運に。こればっかりは仕方ないなあ。最後は山鹿流の陣太鼓が響き、赤穂浪士が討ち入ったと喜んで、助っ人に行こうとする殿様に、又五郎の大高源吾が首尾よく主君の敵を討ったと報告に現れて大団円。

秀山祭は毎年充実した演目ばかり。この夜の部も、舞踊無く、3本きちんと芝居が続いてダレる所がない。歌舞伎座の夜を堪能した。

歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」初日昼の部
先週の日曜、歌舞伎座の「九月秀山祭」初日の昼の部を見物。さすがに9月になってちょっとは涼しくなった。

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最初の演目は、「極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)」。実際に町奴の大侠客が武士の館で殺されたという史実に基づく演目。様々な作者が書いており「極付」は最後に出た「決定版」の意。

幕開きは劇中劇。江戸古式の荒事が演じられているのだが、見物の侍と町奴にもめ事が起き、仲裁に町奴の頭、幡随院長兵衛が実際の歌舞伎座の客席から颯爽と登場する。この場で生じた侍との遺恨が後に祟る。

武士の館に誘われたのは罠に決まってはいるが、行かなければ臆病者が逃げたと言われる。男伊達の面子をかけて敢えて死地に赴く幡随院長兵衛が見所。幸四郎は初役。器用に破綻なく成立していると思うが、3000人の町奴を束ねる大立者の豪胆さや押し出しにはちょっと欠ける雰囲気。まあ、初日であり、これから良くなる。芝翫がやると、ただ顔が大きいだけでそれらしく見えるのだけどなあ。役者は顔が大きいと得だ。

敵役の旗本、水野十郎左衛門は松緑。以前に菊五郎が演じた時の水野は、単なる悪党ではなく、武士としての胆力も鷹揚さも兼ね備えた男。しかし旗本としての立場があり、町人にコケにされては黙っていられない。こちらも侍の面子を立てるために幡随院長兵衛を殺すことになるのだが、止めを刺しながら「殺すには惜しい」と呟くところに、男を知る男の大きさを見せた。

しかし今回、悪く言えば松緑の印象は若干薄い。良く言えば、白塗りの松緑には無機的に不気味な雰囲気があり、ちょっと怜悧でホラーな、静かな凄みがあるとも言える。菊五郎には無い、ある種の狂気がそこには潜んでいる。

亀蔵は明瞭な口跡で印象的。雀右衛門演じる女房お時も、夫に従い立てながらも、行かせたくない本心が垣間見え、実に上手いものである。ただこの座組では一人だけ重い感じがする。

30分の幕間は、花篭食堂で「芝居御膳」。

次の演目は所作事の、目出度い「お祭り」。初日だけあって大向こうが大勢来場して実に賑やかな幕開き。おなじみ「待っていたとはありがてえ」と、梅玉が気分をよくした祭礼の日の鳶の頭に扮して踊る。全体にこの人は、なんでも鷹揚に機嫌良く見える所が結構である。

魁春も熟練の踊り手であるが、梅枝が同座してまったく違和感の無い健闘で華があったのに感心。梅玉が太鼓を打つ演出があるのだが、意外にリズム感が悪く、これはまあご愛敬。鳴り物が本職じゃないものなあ(笑)

そして最後の演目は、三世中村歌六 百回忌追善狂言と銘打って、「伊賀越道中双六 沼津(ぬまづ)」

呉服屋十兵衛に吉右衛門、雲助平作に歌六、平作娘お米に雀右衛門という盤石の播磨屋軍団。そして、荷持安兵衛に又五郎が出て、旅人に息子の歌昇、そしてそのまた息子の小川綜真が倅役で初お目見えという、まさしく三世歌六の百回忌追善に相応しい座組。さぞや草葉の陰で喜んでいるだろう。

劇中で追善の口上あり。さすがの播磨屋軍団も初日であり、ちょっとグダグダしたが、大向こうの掛け声も盛大で、なんとなしに乗り切る。舞台に戻っても、やはり初日だからか吉右衛門も若干台詞にアーウー感あり。何度も演じた演目でも、やはり稽古で覚えなおしているのだなあ。

初お目見え小川綜真は花道で台詞があるのだが、客が居るのにビックリしたのか、客席に顔を向けず父親にしがみついて話しかけるように台詞を。まあ幼児だから大変ですな。

「沼津」はもともと実に良く出来た芝居。駄賃稼ぎに荷物持たせてくれと持ちかけてくる雲助平作の歌六と滑稽なやり取りで客席を歩いて笑わせる所から入り、その娘と会い、呉服屋十兵衛があばら家に泊めてもらう所から、既に悲劇の萌芽が始まる。

雀右衛門お米のクドキが可憐に映えて、歌六の親父の人情味、雲助平作が実の父であると気付いた吉衛門十兵衛の思い入れも胸に響く。最後は暗闇の千本松原での、親子の情と義がせめぎ合う悲劇。円熟の名優揃いで実に見応えがあった

「秀山祭」初日ではあったが、一階客席後方には空きが目立つ。上には大向こうは沢山いた。私は一階前列であったが、隣の男性はどの演目も、ずっと居眠りしている。チケットの値段で言うと1万円分くらいは寝ていたのではないか。左斜め前の婆さんもそうだ。いったい何しに歌舞伎座一階に来たのかと思うが、興味ないチケットを貰ったのでもあろうか(笑)



歌舞伎座「八月納涼歌舞伎」第三部、第二部。
仙台から帰った翌日の今週火曜日、夜は「新橋鶴八」で軽く一杯やって6時ちょっと過ぎに勘定。「八月納涼歌舞伎」第三部見物に歌舞伎座へ。新橋駅からタクシーに乗ると歌舞伎座前までスイスイ。ドライバーは女性だったが「新橋駅から一度も信号に引っかからずに来ました」と。偶然が重なるとあるんだなあ。入場してもまだ開演まで15分あり。余裕の到着。

第三部は「新版 雪之丞変化(しんぱん ゆきのじょうへんげ)」。昭和の舞台やTVで人気を博した原作の時代小説は、以前に歌舞伎化されているのだが、今回、玉三郎が演出と脚本を改めて上演。

スクリーンが頻繁に出て、映像と芝居が交互に連鎖して物語を紡いで行く。しかし映像のほうは、それほどまでの効果は無かったかな。中車自慢の顔芸を歌舞伎座にドアップで流す効果はあったけれども。中車は映像も含めて5役を演じるのだが、ちょっと一本調子な気が。映像の多様はしかし、ちょっと歌舞伎風ではないかもしれない。

立役としての七之助と中車が、舞台上の設定では玉三郎よりも先輩で格上の役者だという演出は、なかなか本人達にはやりづらくて大変だったのでは。

歌舞伎の人気女形が、両親を冤罪で殺された恨みを晴らす。七之助が男役で演じていると、時として勘三郎の面影がよぎる。横顔と声の質がやはり似ている。勘九郎も勿論似ているのだが。やはりDNAだねえ。

敵討ちが果たされた後の虚無感。そして舞台の最後は綺羅びやかな「元禄花見踊」に。これは、ちあきなおみの「喝采」ラストを思い出した。

何時ものように幕が開く
降りそそぐライトのその中
それでも私は今日も恋の歌うたってる

何があろうと眩いライトの下で観客の望む幻影を演じざるをえない芸能者の悲しくも美しい宿命を描いた一幕。

翌日もまた「八月納涼歌舞伎」第一部。各部とも違う日を取ったが、八月納涼は三部制で時間が短く、一日通しはしんどくとも2部位は通して2日で観劇でも良いかもしれない。

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最初の演目は「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」

七之助は甥達を従えて初役で政岡。玉三郎に習ったと筋書に。女形屈指の大役であるが、きちんと無難に演じている印象なのは、やはり役者としての勘が良いのだろう。

前席にやたら座高が高く、髪型が正方形のオバさんがおり、「まま炊き」部分は、屏風も窯も七之助が演じる一角が、頭でまったく見えなかった。まあ見えてもお茶事の作法など分からない(笑) 昔、六世歌右衛門が、他の女形の公演に「まま炊きはやらないように」と邪魔したという話があるらしいが、あの部分は結構冗長。お茶の心得がある人以外には訴求する要素がないので、あまり要らないのではなどと思ってしまう。

傾斜のある二階席、三階席だと「前ノメラー」が問題なのだが、一階席では、座高が極端に高い人が前に居ると困る。近年、学校の身体測定で座高は測らないようになったらしいが、身長の成長と相関が無いとか。確かに婆さんなのにやたら座高が高い人も居る。こればかりは運不運がある。

幸四郎は「先代萩」で八汐と仁木弾正の二役。憎まれ役の八汐は立役が演じるのが普通だが、仁木弾正も二役というのは納涼歌舞伎ならではの配役か。幸四郎は2つ目の「百物語」でも舞踊を。二部の「弥次喜多」では主役で出ずっぱりの活躍。第三部も出たかったかもしれないが、中車に5役もやられては演ずる役が無かったのかもしれない(笑)


歌舞伎座「七月大歌舞伎」千穐楽、昼の部
先週の日曜は、歌舞伎座「七月大歌舞伎」昼の部。 この日が千穐楽。

最初の演目は、新歌舞伎十八番「高時」。これは初見。九世団十郎が作った活歴物。 「新歌舞伎十八番」と銘打って公演する場合には成田屋宗家の許可がいるのだそうである。

右團次は生締め白塗りの二枚目はあまり似合わないが、権勢を誇る悪辣な執権職というのは似合うなあ(笑) 天狗の舞もなかなか面白い。愛妾衣笠は児太郎。児太郎は今月の歌舞伎座、昼夜全ての演目に出演したのだとか。凄いね。

次の演目、「西郷と豚姫」も初見。しかし、NHK大河「西郷どん」では、ハリセンボン春菜が演じていた役が、この歌舞伎の「豚姫」なんだそうで、なんだか懐かしい気がする。しかし「豚姫」て(笑) 吉之助時代の西郷どんは錦之助。 豚姫が獅童というのが珍しい。西郷どんも、名君と呼ばれた先代の後を継いだ藩主との仲が悪く、何度も失脚したが、好いてくれる豚姫と一緒に死のうという場面がちょっとしんみりと。しかし、最後のどんでん返しがあまりにも安易で、作劇的には、あれではあまりカタルシスが無いかな。

ここで30分の幕間。花篭食堂で海鮮重。この日の昼は食堂はガラガラ。

次の演目は、これまた新歌舞伎十八番の内「素襖落」。

狂言で見ると単純に太朗冠者のトンマぶりが単純に面白いのだが、歌舞伎版は使い先舞を所望されて一指し舞うなどという場面で「那須与一」等の舞踊が入れ事になっており、その分が、考えようによれば冗長で喜劇味が薄い。九世團十郎や七世幸四郎にしてみると「馬鹿なだけの太郎冠者では俺の見せ場が無い」という事だったのかもしれないが、太郎冠者は元々そんな役だからなあ(笑) まあ関係ないが、海老蔵の眼力に比べると獅童は目が細いねえ。

昼の部は、この後息子が出る「外郎売」に出演。夜の部は出ずっぱりで13役早替りという大変な公演なので、「素襖落」に出る必要なかったと思うが、親父から習った大事な演目なのだそうである。太郎冠者はしかし、腰を据えた狂言風の動きでずっと舞台を歩きっぱなしだから、体力的にも大変だ。

そして25分の幕間を挟んで、最後の演目。海老蔵の息子、堀越勸玄が、外郎売りに扮して、呪文のような売り台詞を言い立てる演目。これこそが今回の昼の部の目玉。

曾我狂言おなじみの工藤との対面の場を背景に、外郎売、実は曽我五郎である海老蔵がやってくる。その後ろには貴甘坊に扮した堀越勸玄。海老蔵も子供の頃に演じた役で、場内は大きな拍手。大向こうの鶏爺さんが今日は居て、所々で蚊の鳴くような声を上げていた。

歌舞伎の様式美に満ちた華やかな舞台。堀越勸玄の貴甘坊が立派に呪文のような長台詞を言い立てて、満員の観客から注目を一身に。6歳にして歌舞伎座で観客の衆目を一身に集め、万雷の拍手を貰うなど、歌舞伎の名家に生まれなければ到底不可能。

しかし、もちろん良い事もあるが、今後は決して楽しい事ばかりでもなかろう。父親の海老蔵と同様、思春期になったら、悪い友達も寄って来るし、悪い女も寄って来るぞ(笑) 「俺は頼んで歌舞伎の家に生まれた訳ではない」と親父とぶつかる場面も目に浮かぶようだ(笑)しかし成田屋の嫡男に生まれたのも、変更の効かない運命。将来の幸運を心から祈る。


歌舞伎座「七月大歌舞伎」、夜の部
先週土曜日、千穐楽前の日に、歌舞伎座「七月大歌舞伎」夜の部。奇数月はどうしても大相撲本場所とかぶるので歌舞伎観劇日程が月初か月末になる。

七月の歌舞伎座は海老蔵の責任公演。後援会や団体が入っているものと思うが、ゴールド会員販売日にアクセスしても、一階席のA2、A3は全部ブロックされており、何時も通りの席は取れない。

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夜の部は、「通し狂言星合世十三團(ほしあわせじゅうさんだん)成田千本桜」

名作「義経千本桜」の通しを、成田千本桜としてダイジェスト風に編集。「千本桜」は、碇知盛、いがみの権太、狐忠信という立役の代表的な3役があるのだが、3役どころではなく海老蔵は早替りで13役を務める。もともと通しでやれば1日かかる演目を夜の部に詰め込んで早替りもというのであるから、実に盛り沢山の海老蔵流というか。

普通は有名な段しか出ないが、ダイジェスト版の通しとあって、発端や最初の説明的な場面も(早替りが主体ではあるものの)簡易版で盛り込まれており、後の話が分かりやすくなっている。

最初の幕で既に7役を早替りで消化。芋洗いの弁慶は初めて見たがなかなか面白かった。ただ、早替りが主眼になっており、役としての重みはやはり無い。あれよあれよと言う間に何役も。歌舞伎の早替わりというのは昔から培われた、ミスダイレクションのような様々なテクニックがあり、それこそが伝統であるが、海老蔵の替わりをやる役者は白塗りの海老蔵そっくりのお面をかぶっているのが面白い。量産して市販したら売れると思うが(笑)

「碇知盛」は、渡海屋奥座敷で船の火が次々に消え、平家方の惨敗を知りお局たちが恐れ慄く場面は省略。他にも弁慶が知盛に仏門入りを進める所なども無し。もっともこれは、後で海老蔵が早替わりで弁慶になるので、他の役者で弁慶を出す訳にもゆかないのである。

今月は、月初に大阪松竹座で仁左衛門の「碇知盛」を見て、月末に海老蔵の「碇知盛」を見たことになる。歌舞伎としては、仁左衛門がオーソドックスで重たく、悲劇的に鮮やかで大きい。海老蔵の知盛は駆け足で通り過ぎる「成田千本桜」の一幕であって、この一幕にも早替わりを入れ込んでいるせいもあって、全体的に段取りで軽い印象。碇を海に放り込んで自ら海に沈んで行くラストも70歳代の仁左衛門のほうがずっと迫力があるのは、やはり海老蔵も随分と疲れていたのだろう。終演後のブログでは「体調が悪かった」と。

しかし弁慶が法螺貝を吹いて飛び六方で花道を下がった後、真っ暗になった客席。幕にはプロジェクションされた星空、客席の上に魂魄を思わせる明かりが舞い、そして、知盛がすっぽんから登場、霊となって宙乗りで去るのには度肝を抜かれた。「海老蔵宙乗り相努め候」というのは、てっきり狐忠信だけだと思っていたが。

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ここで30分の幕間。芝居御膳も早替りに合わせて13種類の献立を。

三幕目はいわゆる「すし屋」。「千本桜」簡易版という興行であるから、世話味のある「いがみの権太」が一番印象的だろうか。しかしここでもまた海老蔵の早替り技が炸裂するのであった。

「狐忠信」は元々、ギミック満載の演目だが、「碇知盛」や「すし屋」、序盤やつなぎの段まで早変わりがさんざんあったので、返っておとなしく感じるほど。全体として古典をキッチリ演じたという印象は無いが、歌舞伎オリジナルを突き抜けた、海老蔵独特のエンターテインメントになっている。團十郎を襲名後も、古典を古典として演じるのではなく、題材に奇抜な演出を加えて「成田屋版」として上映してゆくのだろうか。

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最後に客席にドカンと降った花吹雪は凄かった。今まで見た中で一番凄かったなあ。


大阪松竹座、「七月大歌舞伎」昼の部に遠征
令和元年七夕の日は、名古屋で大相撲初日を観戦予定。土曜に前乗りする予定であったのだが、どうせなら金曜の夜に大阪まで出て、土曜日は、久しぶりに大阪松竹座で「関西・歌舞伎を愛する会 結成四十周年記念 七月大歌舞伎」、昼の部を見物。

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ここで初日前に「船乗り込み」があったんですかなあ。

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グリコの横には中車が。

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この日は祇園の総見とかで、一階上手側壁際には綺羅びやかな着物の舞妓さんがズラリと。他にも落ち着いた着物の「お姉さん」が沢山来場。会場は実に華やかである。

最初の演目は、「色気噺お伊勢帰り(いろけばなしおいせがえり)」

松竹新喜劇の舞台を歌舞伎化。伊勢参りの旅から帰った大阪庶民の巻き込まれるドタバタを描く喜劇。

伊勢参りは大阪庶民の娯楽で、お参りを済ませた後は、精進落としとして、遊郭に繰り出すのが通例。昔から門前町には悪所が付き物とも聞く。「伊勢音頭」でも出てくる、「御師」という、今でいうツアー・コンダクターのようなものが居たのだが、結構な金額がかかり、庶民は「講」に入り、毎月少額を積立し、クジで当たったものが順番に積立金を使って伊勢参りに行ったのだとか。

貧乏だが二枚目の大工清八が、郭で遊女に適当な事を言って大モテしたのだが、その遊女が清八を訪ねてきた事から始まるドタバタ。ラチも無い気楽な喜劇だが、芝翫はチャランポランな色男が良く似合っている。鴈治郎はんも、歌舞伎辞めてもそのまま松竹新喜劇か吉本新喜劇で通用する出来。

扇雀も壱太郎も軽妙に演じて上手いものだが、実は底なしの悪女であったという遊女を演じる梅枝は、軽い役であってもちょっと手に余った風があった。最後に丸く収める秀太郎は流石の風格あり。

次は短い舞踊劇、「厳島招檜扇(いつくしままねくひおうぎ) 日招ぎの清盛」

この世を我が世と思い権勢をふるった平清盛が、扇で呼び戻すと落日が戻って来たという故事を舞踊劇化。平清盛を、病気で倒れて以来久々に片岡我當が演じる。動きは片腕しかないが、セリフはちゃんと入っているしなかなか堂々たるもの。進之介、萬太郎、壱太郎、中村福之助など若手を配して。

幕間のイヤホンガイドでは弟の仁左衛門のインタビュー。兄の我當が舞台に上がれるようになった事を喜びながらも、歌舞伎を知らない人が見たら「なんだこれは」と思うかもしれない、しかし、歌舞伎のお客様の中には、不自由な身体で演じても、「ここまでよくなったのか」と喜んで頂けるお客様もいる、まあお客様への甘えではあるのですが、それでも復活はよかったと。

様式美にあふれた豪華絢爛な舞踊。


最後の演目は、「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)」より、「渡海屋・大物浦の段」。いわゆる「碇知盛」。

渡海屋銀平実は新中納言知盛を仁左衛門。関西ではこの演目はおそらく演じ納めとの事で見物に来たのであった。

源義経は菊之助。高貴な若武者として印象的に成立。女房お柳実は典侍の局が孝太郎。

仁左衛門は生まれついての立ち役で、知盛は大きく輪郭がクッキリしており圧巻の迫力。演出としては物語が分かりやすい。
渡海屋奥座敷、注進に来た家来が伝える戦の劣勢、沖の船から明かりが次々と消えて行くのを見て、知盛の奇襲が失敗した事を知り、平家の女官達が驚愕し慄いて泣く場面は、歌舞伎の様式的な美に満ちているのだが、歌舞伎座で見たほうがずっとスケールが大きかった。これは小屋の大きさで仕方がない。

西国に落ち延びる義経の船が嵐に会い、平家の亡霊のせいだと言われた故事に、史実では、壇ノ浦で平家滅亡と共に死んだ平知盛と安徳帝が実は生き延びていたと言う虚構を巧みに持ち込んだ筋書きが優れている。

復讐の鬼となった知盛が、最後には父清盛の悪行を振り返り、昨日の敵は今日の味方と、安徳亭を義経に託し納得して死んでゆく人間劇。しかし、壇ノ浦で平家を滅ぼした大殊勲の義経さえも、今や頼朝と不仲になり落ち延びる身。運命の輪が巡る歴史の無常の中に、虚構を見事に挿入した歌舞伎の名作。碇を海に投じ、それに引き込まれて海に消えて行く知盛を演じる仁左衛門は実に大きく、年齢を感じさせない見事な動き。凄かったなあ。

打ち出しの後、新大阪駅構内の居酒屋で串カツを肴に一杯やった後、新幹線で名古屋に移動したのであった。









歌舞伎座、六月大歌舞伎「夜の部」
先週、金曜日は年休奨励日。のんびり朝寝して、午後は歌舞伎座「六月大歌舞伎」夜の部に。


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新作歌舞伎、「月光露針路日本(つきあかりめざすふるさと) 風雲児たち」の通し上演。「三谷かぶき」とも銘打たれている。

江戸の鎖国時代、、嵐で難破、漂流。ロシア領アリューシャン列島にたどり着いた伊勢の商船。この船の乗組員たちが日本へ帰国するための許可を追い求め、遥かサンクトペテルブルクまで移動してエカテリーナ女帝に拝謁し、帰国する。この苦労を描いた、みなもと太郎の原作漫画を三谷幸喜が脚本化。今回、新作歌舞伎として歌舞伎座にかけることに。

襲い来るどんな苦難にもめげず、日本への帰国という意志を貫き通し、他の乗組員たちを鼓舞し続けた大黒屋光太夫を幸四郎が印象的に演じる。そもそも実話に基づく物語だという。

三谷幸喜は、あちこちにドタバタと笑いを入れて、実に賑やかにして退屈しない脚本に。幸四郎、猿之助の掛け合い部分も面白く、ロシア版「弥次喜多」の趣あり。

ただ、三谷は、俳優八嶋智人とのまったく歌舞伎味の無い(笑)イヤホンガイドの対談で、幕開きに登場する狂言回し役の松也の名前も覚えていない位だから、歌舞伎知識は殆ど無いと思わせる。登場人物の個性が現れた脚本との評もあるが、白鴎、幸四郎、猿之助、愛之助位しか、おそらく三谷は知らないのでは。

一幕目の冒頭、最初から定式幕は開いており、立体的な舞台装置の上に波をイメージした巨大な布がかけられている。

花道から登場した松也はメガネにスーツ。大学教授風に、「答えないと単位をやらんぞ」などと客をいじって笑わせると共に簡単な状況説明。かなりアドリブも入っているような。

日本には元々優れた大型帆船製造の技術があったが、諸大名の反乱を恐れた徳川家康が、帆が1本の帆船しか建造を許さなかったため、船の操作が安定せず、この頃は海での遭難が多かったというトリビアは興味深い。なるほどねえ。

波が描かれた布を使った嵐の描写の後、最後の手段として帆柱を切り倒し、沈没は逃れたが、操船の手段を失ってあてなく漂流し続ける商船神昌丸と乗組員たちが登場。

手前勝手な個人主義の愛之助や、文句が多いが頭の回転が早く、洒脱で軽妙なセリフで客席を沸かせる猿之助など、人物の個性は良く立っており、面白い。役者同士の楽屋落ちのくすぐりも連発。

イヤホンガイドでの三谷によると、猿之助は最初の舞台稽古からずっとふざけ続けており、最後のほうになって三谷から「一度だけ真面目にやってもらえませんか」とお願いした由。

難破船がアリューシャン列島に辿り着いてなんとか生き延びるところまでが第一幕。ここで30分の幕間。

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「花篭」で芝居御膳で一杯。小皿にパンがついたメニューを食しているお客が結構居て、あれは何かいなと思っていたら、この劇のロシアに引っ掛けた「ボルシチ定食」なのであった。

男女蔵は、切り倒した帆柱で激しく頭を打ち、大分ネジが外れてしまった妙な船員を好演。幸四郎の大黒屋光太夫は、第一幕ではどこか頼りなさを感じさせるが、やがて全員を鼓舞する意志の強いリーダーとして成長してゆく。染五郎も後半になるにつれ、責任感を感じる大人の船員に。高麗屋の成長譚でもある。白鴎は若手中心の座組にきちんと重みを与えている。

大雪原を犬橇で走り続けるスペクタクルなど見所も多く、随所に挿入される笑いの部分と若手による熱演、日本への帰国と別れを描く第三幕も盛り上がった。
 
大詰めでも松也が登場し、「皆さん、私はもう帰ったと思っていたでしょう」と観客を笑わせる。最後にはカーテンコール2回あり。客席スタンディングオベーション状態に。公演としては大いに盛り上がった。

ただ、脚本そのものには、さほどの歌舞伎味はなく、歌舞伎風の演出は、幸四郎、猿之助や愛之助など、歌舞伎役者たちが舞台稽古で「あれを使おう」「こうやろう」など相談して次々に決めて行ったという。歌舞伎役者は元々が演出家を兼ねているから、自在にそんな事もできるのだろう。

つけ打ちや義太夫、簾内の下座音楽など、歌舞伎の仕掛けも一応使用されてはいるのだが、さほど印象には残らず、若干妙な歌舞伎風味ではある。まあだから「歌舞伎」ではなく、「三谷かぶき」と称する所以か。客席にも、歌舞伎ファンではない観客も結構いたと思うのだが、誰でも楽しめる3幕。多様なものを平然と内包できる、歌舞伎の柔軟性と奥深さを感じさせる公演でもあった。これもまた歌舞伎だと感じた舞台。

歌舞伎座、「六月大歌舞伎」昼の部。
先週末、日曜日には歌舞伎座で「六月大歌舞伎」昼の部。

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まず短い舞踊が2つ続いてお昼の幕間という、割と珍しい構成。

最初は、「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」

イヤホンガイドで最初に出てきた翁役の東蔵が人間国宝だと知ってビックリ。知らなかった(笑) 知っとけよという感じですが。能がかりの舞踊の後、幸四郎と松也の三番叟が揃って踊る。幸四郎は舞踊への出演が多いが、松也は三番叟初役だとか。確かにあまり舞踊で見ないが、なかなか息が合っている。五穀豊穣を願い、邪気を払う。まあお祓いを受けているような目出度い演目。

10分の幕間の後、「女車引(おんなくるまびき)」

「菅原伝授手習鑑」にある、荒事の豪快さと歌舞伎の様式美に満ちた有名な段を、松王丸、梅王丸、桜丸のそれぞれ女房が踊るという、「女暫」や「女鳴神」のような趣向。そもそもは吉原の郭で演じられた芸に由来するとか。実に短い舞踊劇。魁春と雀右衛門という大ベテランに挟まれて、児太郎がまだ初々しい若い女房役で踊って頑張っている。

ここで30分の幕間。花篭にて海鮮重など。

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次の演目は、吉右衛門の、「梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)」。鶴ヶ岡八幡社頭の場。

梶原平三景時は普通歌舞伎では悪役だが、この演目では智と情を兼ね備えた爽やかな武将。初代吉右衛門から当代に受け継がれた当たり役であるが、播磨屋は実に機嫌よく、格好良く演じて結構な話である。

歌六の六郎太夫は、源氏再興を心に秘め、娘婿の為に二つ胴で切られて命を捨てようとする腹の座った親父役が堂に入っている。長男の米吉が娘の梢を可憐に演じる。

又五郎の大庭三郎、息子歌昇の俣野五郎も大きく脇をしっかりと固めた。よく出来た演目だけあって、最後の「石切」はやはりカタルシスあり。

最後の演目は、「恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい) 封印切」

実話を元にした上方和事の有名な演目。この段に続く大詰めの、「新口村」はちょっと前に歌舞伎座で出た。雪の降りしきる中、おそらくもう生きては会えない親子の今生の別れ。静かな詩情に溢れた美しい幕切れ。

イジイジウジウジした上方和事の若旦那というのは、ガンジロはんがやるとデップリ太り過ぎて色男に見えないのだが、仁左衛門がやると若々しくも可愛げのある色男に見えるのが素晴らしい。場内の拍手を一身に集める。

秀太郎も孝太郎も出て松嶋屋結集。秀太郎の井筒屋おえんは流石に上方歌舞伎の貫禄あり。大向うでは、鶏爺さんの声が微かに聞こえたような気がしたが、あれは空耳だろか。

愛之助が、傾城梅川を金にあかせて身請けしようとする丹波屋八右衛門。彼に嘲られ、追い詰められて亀屋忠兵衛は飛脚業にとっては死罪となる、公金の封印を切ってしまうのだが、愛之助はペラペラよく口は回るが、憎々しい敵役としてはちょっと軽い。あの煽りで、死を覚悟して封印を切るまで行く気がちょっとしないというか。

八右衛門と梅川が手を取り合って花道を去るラストは、死への道行き、あの雪の降りしきる「新口村」へとつながっているのだった




歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」、夜の部
GW連休9日目の日曜は、「團菊祭五月大歌舞伎」夜の部。令和最初の歌舞伎座公演。


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菊之助の長男、寺嶋和の史丑之助襲名披露演目があるので、歌舞伎座には祝い幕が。弁慶と牛若丸の絵はジブリの宮崎駿の手になるものだそうである。この絵があったので、菊之助は当初予定の配役を変更して、弁慶役を務めることにしたとイヤホンガイドで。

この日は大向こうに鶏爺さんがいて、殆ど聞こえない声を、最初の幕から盛大に掛けている。空耳のような気がするがやはり幽かに聞こえる(笑)

最初は短い舞踊。「鶴寿千歳(かくじゅせんざい)」

昭和天皇即位の大礼に際して寿ぎの舞踊として上演され、それから節目節目に目出度い舞踊として上演が続いている。まさしく令和最初の歌舞伎興行にふさわしい演目。箏曲と鳴物だけの伴奏というのはなかなか珍しい。

鶴は千年生きるという伝説を背景に、時蔵と松緑が鶴として踊る。宮中の男に扮して、梅枝、歌昇、萬太郎、左近と音羽屋の若手も揃い踏みで。左近は大きくなったなあ。

次の演目も、七代目尾上丑之助初舞台 「絵本牛若丸(えほんうしわかまる)」。父親の菊之助も初舞台で務めた演目。しかし花道で肩車される所くらいしか記憶がないのだそうである。今回の丑之助もまだ五歳。幼稚園の年長組。果たして記憶に残るだろうか。

菊五郎と吉右衛門が祖父という歌舞伎界のサラブレッド。人間国宝の爺や2人が揃って相好を崩し、孫の初舞台を見守る。

しかし口上では、吉右衛門が寺嶋和史(かずふみ)の本名をド忘れ。しどろもどろのアーウーで乗り切り、観客の笑いを誘う場面あり。以前、TVの番組で孫と遊んでいる所では、「かずくん」と呼んでいたので、本名がつい抜けたのでは(笑)

丑之助は口上もはっきり言えて、セリフも入っており、見得も立ち回りも立派にこなして観客の暖かい大きな拍手を受ける。音羽屋と播磨屋のDNA。銀の匙を加えて生まれてきた御曹司の前には、生まれながらにして甘美な栄光への道が準備されている。よいなあ(笑)

父親の菊之助、時蔵、雀右衛門、松緑、海老蔵、左團次など賑やかに一幕に付き合う。

ここで35分の幕間。

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花篭で「芝居御膳」で一杯。もう連休も最終盤だとなんだか寂しい気分。

幕間の後、「京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)」

菊之助の白拍子花子は、華やかで、しなやかで、気品高く美しい。まさに時分の花。美しいほど、最後の女の情念が深く心に響く。

所化坊主の手ぬぐい撒きでは、ボーッとしていたら、手拭いが私の顔のほうに一直線。「危ねえ!」と思ったら、隣のオバさんが片手を伸ばしてバシっとナイスキャッチ。やはり準備しておかないとビックリしますな。

しかし、菊之助は、團菊祭で息子の丑之助襲名初舞台という事もあろうが、昼の部で「勧進帳」義経。「め組の喧嘩」の鳶、藤松で舞台を駆け回る。夜の部は、襲名披露の「絵本牛若丸」で弁慶となり息子を肩車して花道の引っ込み。そして「京鹿子娘道成寺」では一人で踊り詰めの白拍子花子と、七面六臂の活躍。一日に義経、弁慶、白拍子花子を演じるというのも珍しいのでは。

最後の演目は、「曽我綉俠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)御所五郎蔵」。若手中心の座組。

大立者でもなかった父親を、若くして失った松也が、團菊祭で頑張るというのは、菊五郎劇団の人情を感じるところ。しかし御所五郎蔵というのは、よく考えてみれば、金に不自由して妻を遊郭に落とし、その妻に裏切られたと思って怒り、違う傾城を切ってしまうという、そんなに格好良い役でもないか。

最初の遊郭の場、一面の桜が咲き誇る吉原。河竹黙阿弥の渡り台詞が心地よく響く。星影土右衛門役の彦三郎は流石に立派な口跡で台詞は朗々と響く。これに気押されたか、松也のほうが、時折発声がはっきりしないのが残念。ちょっと無理しているのではないか。

梅枝の傾城皐月、尾上右近の傾城逢州、坂東亀蔵の甲屋与五郎も印象的。ただ全体としてあまり後味のよい作品ではないなあ。
令和初歌舞伎、「團菊祭五月大歌舞伎」昼の部。
連休最後の週末は歌舞伎座で。土曜日は、「團菊祭五月大歌舞伎」昼の部。

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最初の演目は、「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」

松緑は、この狂言では扇の要、座長格の演じる敵の工藤左衛門。筋書によると2月に実父の追善公演を行った時に大先輩方にお世話になり、今回はその息子達が活躍できる出し物で「ご恩返し」したかったとの事。確かに若手ばかり。

木阿弥の優れた台本と練られた台詞。歌舞伎お約束の人物像がダイジェストされたような配役。こんな伝来の歌舞伎様式美の「フォーマット」があると、若手や初役ばかりでも、美しく目出度い一幕がきちんと成立する。

尾上右近の大磯の虎、米吉の化粧坂の少将、どちらも艶やかで美しい。萬太郎の曽我五郎は、若干生硬で小さく、荒事らしい天衣無縫な大きさには欠ける。実兄の梅枝が役でも兄役の曽我十郎。こちらは女形だけに和事味の柔らかさあり。兄弟が並ぶと、女形の兄貴の方が大きい。サイズ感でいうと萬太郎に荒事の立役はちょっと難しい所か。

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ここで30分の幕間。三階花篭、「花かご膳」で昼間から一杯。この日は結構食事場は混雑していた。

次の演目は、「歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)」

来年の團十郎襲名を控え、海老蔵として最後に演じる市川宗家、家の芸。同世代の松緑、菊之助とのこの演目での共演は20年ぶり。

海老蔵は台詞が上ずることもなく眼力鋭く観客を掴む。成田屋の家の芸だけあって、大看板を除けば海老蔵が自家薬籠中の第一人者と言っても過言ではなかろうが、楷書の弁慶と云うよりも、ちょっと慣れきって悪ズレした感が微妙にある。

海老蔵の「弁慶」は前も歌舞伎座で見たが、確かにあの顔芸は目を引いて面白いのだが、何かこう、怪異なものを見たという印象がする。この時代を生きる、一人の市川海老蔵という歌舞伎役者が演じているのだという所まで、見る側が突き抜ければ印象的。型を演じるのが歌舞伎という古い観点から見ると、微妙に違和感があるのかもしれない。

本人の芸が枯れてくると、印象はあるいはまた違うのだろう。しかし、筋トレばかりして元気だから、なかなか枯れないかもしれない(笑)

松緑の富樫は、きちんと演じて単体では悪くないと思ったが、山伏問答など、火花が散るように弁慶とガップリ対峙して、緊張を互いに波のように盛り上げてゆく印象があまり無かった。大相撲で云うと巡業の花相撲のような印象。富樫は段取りではできなくて、弁慶同様に心中の葛藤がある、ある意味もうひとりの主役なのだが、やはり、海老蔵とはちょっと噛み合わないのか。

菊之助は、義経の高貴さ生まれながらの大将であった気品を十分伝えてお見事。

海老蔵、飛び六法の引っ込み直前では、誰かの耳から外れた落ちたイヤホンガイドの解説が聞こえて来るほど観客は息を呑んでいた。しかしあのイヤホンガイドの音量も凄いな(笑)

最後の演目は、「神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)」、いわゆる「め組の喧嘩」

品川島崎楼より神明末社裏まで。

菊五郎劇団お手の物の演目。年齢を感じさせない粋で鯔背な鳶頭を、当たり役として菊五郎が演じる。菊之助も凛々しく爽やかな男伊達。来週から大相撲夏場所が始まるので、五月の團菊祭ではタイミングが良く、前にも出ている。

菊五郎軍団の一糸乱れぬ大群衆の大立ち回りは実に見所あり。屋根に立てかけた梯子を、手を使わずに菊之助以下の若手がそのまま駆け上がって行く圧巻。筋書きによると、なんでも昔は、相撲取りを客席に落としたり、千秋楽では梯子でセットの小屋を粉砕したり、無茶苦茶やったらしいが、確かに大暴れのカタルシスが主眼の演目。

時蔵の女房おくらは、亭主が命を掛けた喧嘩に行かないのが承知できないという、鉄火な江戸の女ぶりが見事。

いったいどうやってこの喧嘩のケリをつけるのかと心配になる群集劇の大暴れであるが、大詰め、梯子を使って、屋根の上から絶対的仲裁者として舞台中央にいきなり降りてくる歌六は実に鮮やか。古代ギリシャ劇では、機械仕掛けを使っていきなり降臨する「デウス・エクス・マキナ」(機械仕掛けの神)という役があったらしいが、古今東西意外に同じ事を考えますな(笑)

今まで血みどろの大喧嘩をしていたのに、仲裁者が現れると、恬淡と「ではこの喧嘩、預けましょう」というのも、口は悪いが腹の中には何も無い、江戸っ子のカラッとした気っ風の良さと共に、江戸の風が吹く、実に印象的な幕切れ。


歌舞伎座 「四月大歌舞伎」昼の部
先週の日曜日は、歌舞伎座「四月大歌舞伎」、昼の部。個人的には平成最後の歌舞伎鑑賞である。

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最初に二階に上がって階下を見ると、確かに両花道が設置されている。前回、夜の部に来た時は迂闊ながら、最後の演目まで上手に仮花道が設置されている事に気づかなかった。

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最初の演目は、新作の歌舞伎、「平成代名残絵巻(おさまるみよなごりのえまき)」

平成最後の歌舞伎座公演とあって、天皇御代変わりを寿ぐ祝祭舞踊。栄華を誇る平清盛亭から、清水寺。桜が舞う豪華で煌びやかな演出。まあ筋立て自体は気にすることもない気楽なもの。

福助はおそらくまだ右半身がうまく使えない様子で、左手以外は動きのない役。歩けるのだろうかと心配になるが、結構台詞も多いのに、声はなかなか立派に朗々と響く。劇中では、新元号「令和」を織り込んだ台詞も。

福助息子の児太郎が立役で、遮那王を演じる。女形の声の高さと違う部分もあるのだろうが、声がちょっとガラガラ。風邪でも引いたか。巳之助は平知盛。声がよく通って立派な武者。いわゆる碇知盛で有名な役。

源氏の白旗、平家の赤旗がそれぞれに両花道に分かれ、定式幕が閉まった後の両花道幕外の引っ込み。巳之助と児太郎がそれぞれ六法を踏んで、さらばさらばと立ち去って行く。派手で実に目出度い。しかしさほど仔細に見るべき所もない演目。

30分の幕間。

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先だっての夜の部よりも客が入っているが、まだ割と空いている。そういえば一階席にも空席が所々で目立った印象。海鮮重など。

次の演目は、「新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)」。いわゆる「野崎村」だが、前の段の「座摩社」が出るのは40年ぶりとか。

お染久松物語を背景に、田舎娘の成就しない悲恋を描く。

「座摩社」については、この場があると、野崎村に訪ねてくるお染が唐突ではなく、久松の深い関係も事前によく分かる。単純に久松との祝言を喜んでいる久作娘お光を見た時点で、「ああこの恋は成就しないんだ」と感じる事ができ、お光の「嬉しかったはたった半時」に至る悲嘆が実に身に染みる。

ただ、この「座摩社」の段は、お染めに横恋慕する手代小助が前面に出た上方喜劇仕立て。手代小助を又五郎が大仰に、かつ達者に演じるものの、客席はまったく沸かない。たまたまこの日の客だけかもしれないが、悪く言うと又五郎は「スベっていた」。又五郎にしたら「なんで笑わねえんだ、このヤロー」と思っているかもしれないが、松竹新喜劇のような上方お笑いの風味がちょっと無いのだよなあ。

時蔵のお光は、祝言を告げられた純朴な歓喜、自分よりずっと裕福そうな町娘への少女ならではの素直な嫉妬など、若々しく演じて芸の力を感じる。久松を思い切った後の悲しく殊勝な姿から、大詰めで二人を分別ある女の如く礼儀正しく見送った後、純朴な田舎娘に戻って親父の胸に泣き崩れるまで、鮮やかに印象的。

前に七之助がお光をやった時は、今までの人生で大根は一度も切った事が無いのではないかという手つきであったが、さすがに時蔵は、大根をサクサクと難なく刻んで行き、家事を一所懸命にこなしている田舎娘らしさを表現したのも手練れの役者。女形は何でもできなければいけませんな。

雀右衛門のお染については、クドキの場面など流石の芸の力で印象的ではあったが、娘役をやるにはちょっと肥え過ぎであるようにいつも思えるのだが。歌六の百姓久作は、初役なのだそうだが、娘を思いやり、お染久松に別れてくれと嘆願する、情愛深い親父を演じて心を打つ好演。

優柔不断な色男の風情は、久松を演じる錦之助のニンにまさにある。結局この人が全ての揉め事の原因になっているのだが、白塗りの色男は常にどこかケロっとしているのだった。色男というものは、大概そういうもんなんだなあ(笑) 大詰めで、物事を丸く収めにやってくる、油屋後家役、秀太郎もまさに本役の風格あり。

切りの回り舞台による、久作家の表から川沿い土手への場面転換は、実に歌舞伎らしく印象的。両花道を使って、水路と土手で、お染久松が別々に戻って行く。

この日、大向こうは、微かに鶏爺さんの声が聞こえたような、あるいは錯覚だったような。全般に少ない。一階からは殆ど無いのが実に結構である。

次の短い舞踊劇は、坂田藤十郎米寿記念と銘打った、「寿栄藤末廣(さかえことほぐふじのすえひろ)」、「鶴亀」。

坂田藤十郎は今年の12月に米寿になるのだそうで、記念の祝祭舞踊。本年1月に、大阪松竹座で初演されてこれが二度目。話の種に見れてよかった。

藤十郎の女帝は開幕、舞台中央のせり上がりから登場。よく言えば春風駘蕩、ゆったりと品格のある舞踊。悪く言うと、「あっ、動いている動いている」と、ちょっとパンダを見るような感慨。しかし米寿でまだ歌舞伎座の舞台に立つのは立派。役者は一生現役ですな。

猿之助が亀、息子の鴈治郎が鶴で目出度い祝祭の舞踊。壱太郎、児太郎、米吉など花形の女形も煌いて美しい。藤十郎の息子、孫の三代が同座した目出度い舞台。

最後の演目は、「御存 鈴ヶ森 (ごぞんじすずがもり)」

江戸の人気者であった白井権八と幡随院長兵衛が出会う場面を描いた有名な一幕物。 「だんまり」の滑稽な立ち回りもよく出来ている。この場で飛脚を演じた又五郎は、結構ウケていた。

そして大詰は、人生を左右することになる男2人の運命的な出会い。菊五郎は若々しく怜悧な剣の達人で、堂々たる侠客、幡随院長兵衛役、吉右衛門の台詞が朗々と響く。歌舞伎の大看板二人がガップリ四つに組んで、大相撲で言うなら千秋楽の横綱同士の結びの一番の如し。これこそ歌舞伎の醍醐味。実に見ごたえがあった。


歌舞伎座「四月大歌舞伎」、夜の部
先週土曜日は、歌舞伎座「三月大歌舞伎」夜の部。

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駅からブラブラ歩いてセブンイレブンに寄ったら、横の公園で桜が満開。まだまだ咲いているが、この週末までかな。

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最初の演目は、仁左衛門の、「源平布引滝 実盛物語(さねもりものがたり)」

仁左衛門はこのところ歌舞伎座出演が続くが、毎月良い。人死にのある、ある意味暗い話でもあるのだが、この「実盛」では、最初から最後まで、仁左衛門は、颯爽と明るく背筋の伸びた主人公の実盛を演じる。

寺嶋眞秀が子役、太郎吉役で大活躍。三味線に乗る台詞も立派にこなす。歌舞伎は一種の男系相続だが、音羽屋の血筋といえば血筋であり、人気が出たらどうなるんだろう。「サワコの朝」で母親の寺島しのぶは、「父親が歌舞伎役者ではなく、御曹司ではないので」と語っていたが、歌舞伎が大好きらしい。

歌六の瀬尾は初役なのだそうだが、赤っ面の憎らしい押し出しと、「戻り」の孫を思う祖父との慈愛が両方くっきりとした輪郭で描かれ、実に堂々たるもの。上手い役者は何をやっても達者だ。松之助と斎入も、しっかりと脇を固める。

源氏の白旗を絶対に守り抜くと握りしめた小万の手に、切り落とされた際に霊魂が宿り、死体に繋ぐと小万が反魂する。実盛は、自分がいずれ討たれる遠い未来を幻視して、その時には老人になっているが、間違わないように髪を染めて戦場に出ようと語る。子供ではなく手が生まれたというエピソードも含めて、全体に流れる不思議なオカルトじみた雰囲気が独特。

最後は仁左衛門が、これまた颯爽と馬で去ってゆくのも後味よろしいですな。

一階席前方に居たのだが、やたらにイキった声で、役者の出と入り、見得のたびに声を掛ける男がすぐ後ろに居たので、大変にウザかった。大向うは幕見か3階でやってもらいたい。一階席で後ろから声が掛かるとは予想していないので、結構気に障る。しかも、時々屋号間違えていたと思うけど。なんなんだ(笑) 仁左衛門の時は他にも一階席で声掛ける客多し。不思議なり。

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幕間は三階の「花篭」で芝居御膳。ホタルイカ、タケノコ、タラの芽、鰆、桜豆腐など、春の彩り満載。しかし、この日は「花篭」ガラガラ。客席はまあまあ埋まっていたと思ったが。団体の客がいないのか。

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そういえば、この前、こんなA4のハガキが松竹から届いていた。4月はチケット売上が芳しくないのか。昼も夜も大看板が出ているのだけどねえ。

二番目の演目は、「猿翁十種の内 黒塚(くろづか)」

猿之助の「黒塚」は以前にも歌舞伎座で見た。猿之助は、粋な江戸の鉄火な女も似合うが、この婆さんの役も、なんだかよく似合う。基本的に女形の人なのかも。鬼婆は、隈取をした一種のケレン味のある変身であるが、これまた印象的。

ロシア舞踊を先代の猿之助が取り入れたという幻想的な舞踊が美しい。

しかし人をさんざん殺した鬼婆も、仏のお慈悲で助かると言われて喜んだ後で、ケロっと裏切られては、それはまあ激怒するだろうなあと同情もする物語。阿闍梨役の錦之助がまた、ケロっとしている(笑) まあ、この人の持ち味であるが。念仏で調伏されてさすがの鬼婆も、最後に大見得を切って、しかし一巻の終わり。

最後の演目が、「二人夕霧(ににんゆうぎり)」

「廓文章」、いわゆる「吉田屋」の後日談。初代の夕霧が亡くなり、二代目の夕霧を身請けして、伊左衛門が昔取った杵柄で、「傾城買指南所」を開きながら食い詰めた生活をしているところに、なんと亡くなったはずの初代が現れる。

上方和事、伊左衛門を鴈治郎が演じる。気楽に見れる「吉田屋」のパロディだが、魁春が、若き傾城にちゃんと見えるのに感心。お酒が回っていたからかな。しかし、孝太郎は若き傾城にはあまり見えなかった(笑) やはり芸の底力か。 魁春も既に70歳と思うが、雀右衛門ほど肥えておらず、首のや手の動きと、顎から首にかけての線が綺麗なのが効いていると思う。

そして、めでたしめでたしの大団円。この「二人夕霧」のラストで、今回の公演で両花道が設置されていた事に気づく。いや~、気づかなかった。夜の部では、仮花道は「二人夕霧」で、最後のらちもない場面で一瞬使われるだけだから、メインはきっと昼の部なんだな。


打ち出しは9時近くと、結構遅い。いささか疲れたので、帰宅は歌舞伎座横で捕まえたタクシーで。

タクシーに乗ると、運転手が「今、中目黒まで行って来たんですが、人が多くて大変でした」と。目黒川の花見客が大混雑だったらしい。今年は「花に嵐」が無く、開花した後で寒くなったので開花が長く続いた。しかし目黒近辺に住んでる人は花の季節は群衆で大迷惑だろう。

このタクシー運転手の説によると、花見の人出で外国人観光客が多いのは、目黒と上野だが、千鳥ヶ淵は外国人が少ないのだとか。まだ外国人にはあまり有名ではないのかな。そういえば、前の週に桜を見に行った浅草の隅田川公園も、 宴会をやってるのは日本人だが、歩いているのは外国人だらけ。着物を来た中国人観光客も大勢いた。インバウンド向けの貸衣装屋があるんだな。

歌舞伎座「三月大歌舞伎」、昼の部。
もう先々週になってしまったが、土曜日は朝4時半起きでゴルフ。早めに終わって東関道でスイスイ帰宅と思っていたら、事故渋滞に遭遇。トラック2台を含む玉突きで乗用車が大破。現場を通りかかった時に、丁度、救急車のストレッチャーで首を固定され苦悶の表情で運ばれる若者を目撃。大怪我でなければよいが。交通事故は嫌だねえ。やはり車間距離取るのが一番と思うが。

この日は大相撲大阪場所7日目。幕内の相撲は余裕で生中継を見れると思っていたが、渋滞のせいで結局録画観戦に。

でもって日曜日は、歌舞伎座「三月大歌舞伎」昼の部。

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最初の演目は、「女鳴神(おんななるかみ)」

歌舞伎十八番の「鳴神」。この主人公を女形に変えたもの。歌舞伎座では27年ぶりの上演とのことで、実に珍しいものを見た。歌舞伎は長い歴史があるから、古い作品には立役を女形に変えた趣向が結構あるようだ。前に見た「女暫」も面白かったなあ。

オリジナルは女の色香に惑って法力を失ってしまう鳴神上人の話だが、「女鳴神」は、美男子にメロメロになった尼さんの話。鳴神尼が孝太郎。雲野絶間之助が鴈治郎。

口移しで水を飲ませたり、酒に酔ってしどけなく身を任せたり、大変エロティックに演出されている。ただ、鴈治郎はデップリ太って、鳴神尼がメロメロになるような美男子に見えないのが難点だなあ。このあたりは美男美女の配役で見たかった。押し戻しの場面、鴈治郎二役の佐久間玄蕃盛政もは二役で演じる。荒事風味は薄いが、恰幅がよく目出度く成立。孝太郎も鬼女の隈取りした後半のほうが見栄えがずっと良い気がする。

二番目の演目は舞踊、「傀儡師(かいらいし)」

傀儡師とは人形遣いの事のようだが、八百屋お七や船弁慶などの人形芝居を次々に踊り分けるというのだが、舞踊にはまったく素養が無いもので、イヤホンガイドの解説を聞いても舞踊のどこが何を表しているのかサッパリ分からないのであった。しかし24分も一人で踊り続けるのだから、歌舞伎役者の体力には驚かされる。

最後の演目は、近松門左衛門作、「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」

傾城も反魂香も出て来ないが、「傾城反魂香」というのがいかにも歌舞伎。通称「吃又」。序幕として近江国高嶋館の場、館外竹藪の場が出るのが澤瀉屋流なのだとか。これが出ると後半の虎をかき消すシーンやら、救出に向かって手柄を立てるエピソードにつながる。

米吉演じる銀杏の前が、元信への想いを遂げるためにちょっとしたトリックを仕掛けるのだが、米吉がなかなか可愛く成立している。ふすまに血で書かれた虎が実体化して出てくる場面は、馬と同じ要領で人がぬいぐるみに入っているのだが、猿弥との立ち回りで見せる虎としての動きがなかなか面白い。しかし土佐将監閑居の場で出てくる虎の首とまったく違うというのは、小道具の都合なのだろうが、通しで出しているのにどうか。

この演目は、三代猿之助四十八撰のひとつ。以前、吉右衛門で見たが、今回は白鸚が浮世又平。なんでも初役で演じてから30年近く経っての再演。最近は、長年やってなかった役を選んで精力的に演じている印象。やりなれた本役でなければ大変だろうが、新しい挑戦。

得意の弁舌で旦那をたてようとする、健気でしっかり者の女房おとくを猿之助が演じる。この辺りも猿之助は達者なもの。この女房が後ろにしっかりいる事で、又平の哀しみが引き立つ。。

吉右衛門の又平には、吃音の自分へのどうしようもない、屈折した憤激みたいなものが色濃く感じられたが、白鸚の又平は、吃音の具合が割と軽い感じがあって、感情表現もちょっとサラサラしている印象。勿論、悲しみは全ての演技に通じる基調低音となって舞台全編に。

手水鉢の裏に描いた自画像が前面ににじみ出てくる「抜けた!」の場面は、海外の持つ呪術的な力を印象的に表した有名な一場面。

彌十郎の土佐将監光信は、又平の願いを次々に退けながら、年功や手柄を立てる事が重要なのではなく、絵筆の技芸こそが大事なのだと厳しくも優しく見守る師匠を印象的に演じた。








歌舞伎座「三月大歌舞伎」、夜の部
土曜日は歌舞伎座「三月大歌舞伎」夜の部。仁左衛門の「盛綱陣屋」に高麗屋、澤瀉屋の「弁天娘女男白浪」。子役では中村屋の貫太郎、音羽屋の眞秀も出演。

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最初は仁左衛門の、近江源氏先陣館、「盛綱陣屋」。人形浄瑠璃由来の時代物。

イヤホンガイドは、モデルになった徳川の時代や背景としての大阪夏の陣や、それに関わる実在の人物を熱心に解説するのだが、必ずしも史実の通りの物語ではないし、逆に物語の興を削ぐような気もするのだが。兄と弟が違う主君に仕えて敵と味方に分かれているという設定だけ理解しておけば、舞台を見るには十分。

敵方である盛綱の弟、知将高綱の一子小四郎が生け捕りにされた所から物語は始まる。左團次の和田兵衛秀盛は花道から派手な登場で貫禄十分。大詰めでもまた威風堂々の登場で、盛綱といずれ戦場で会おう、「さらばさらば」とやるおいしい役だ。

盛綱の主君である北条時政は、小四郎を利用しようとしているが、実子を助けようと弟の高綱が寝返っては、弟の忠義が立たず武将の家としての面目も立たない。秀太郎演じる母親の微妙に、小四郎に自害するよう説得してくれ盛綱が説く場面は、人間の自然な情愛に対立する「武士の世の忠義」に否応なしに従わねばならない、戦国の人間の悲劇を印象的に描く。クライマックスの首実検についてもまた然り。

自らの主君、北條時政が、弟高綱の首を持って陣屋に現れる。首実検で(歌舞伎の首実検はみんなそうだが)他人の首と知った時の驚きと訝しさ。弟の智謀を思い出して、「そうか、策略を仕掛けおったわい」という得心。しかしふと横を見ると高綱の一子小四郎が腹を切り死にかけている。これは一体、という狼狽から、自らの子供を犠牲にして偽首を本物だと思わせる高綱の計画を判じる。ここまで弟がやるのであれば、自分も主君を欺かねばならないと決めた覚悟。

ここまでの息を飲む心の様々な動きを、主君の疑心の目を背中に抱えながら、仁左衛門が圧巻の無言劇で見せる。映画で言えばクライマックスのワンショット撮影のような場面。「盛綱陣屋」は以前、芝翫で観た首実検は、あんまり印象に残っていないのだが。

高綱一子小四郎は台詞の多い大役だが、中村勘太郎が実に立派に演じた。盛綱一子小三郎のほうは音羽屋の眞秀。子役の健気さを見る舞台でもある。微妙の秀太郎も良い。

高綱の首であったかと喜んで、褒美として与えた鎧櫃に、実は間者が潜んでいたという奸計の大詰めも、容易に人を信じない北条時政の狸ぶりを示す印象深いエピソード。狸時政は歌六が堂々たる風格。

ここで幕間。芝居御膳。空豆、白魚、イイダコ。もう弁当のあちこちに春の雰囲気あり。

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次の舞踊劇は、「雷船頭(かみなりせんどう)」

奇数日は猿之助が女船頭。猿之助は、艶っぽい江戸の女を演じるのも得意だ。大川端が舞台。空がいきなり掻き曇って雨になると、空から雷神が落ちてきたという想定で、女船頭と雷が、二人で軽妙に踊る。偶数日は幸四郎が立ち役で船頭を演じるらしい。まあ両方観たいというほどのものでもないか。


最後の演目は、河竹黙阿弥作、「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)」

浜松屋店先の名場面の後は、すぐ勢揃いで恰好良く終わる。

この日は奇数日で、弁天小僧は幸四郎、南郷力丸が猿弥。偶数日は、弁天小僧が猿之助、南郷力丸が幸四郎。幸四郎が弁天小僧というのも珍しいし、猿之助の弁天小僧も一度は見てみたいものだが、いかんいかん、3月は大相撲大阪場所もあって遠征するので、夜の部を二度見る余裕はないのだった。危うく松竹の策略にはまる所であった。

浜松屋の場。男だと見破られた後の弁天小僧の有名な啖呵。花道でどちらが荷物を持つかで揉める「坊主代わり」も気楽で面白い場面。

日本駄右衛門は白鸚が貫禄で務めるが、他の白波五人衆は若い世代。花道の渡り台詞、勢揃いの立ち回りも美しく派手。ストーリー無しでも気楽に楽しめる、歌舞伎のお約束と様式美に満ちた一幕。

歌舞伎座「二月大歌舞伎」、夜の部
先週の土曜日は、歌舞伎座で「二月大歌舞伎」夜の部を。

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最初の演目は、播磨屋の一谷嫩軍記 「熊谷陣屋(くまがいじんや)」

幕が開く直前に、大向こうの鶏爺さんが「ウニャワラワ~」「フニャワラワ~」「ウニャワラワ~」と、消えそうなか細い声で幾つもまとめて声をかけた。しばらく声を聞かなかったがまだご健在だったとは。主要な演者の屋号だとは思うものの、何を言っているのかさっぱり分からない。幕が開く前に掛けるのは、大勢が声を出す場面では自分の声が消されてしまうからだろうが、しかしあんな声で大向こう掛けられてもねえ。

「熊谷陣屋」は人気演目で何度もかかるが、今回の吉右衛門は、今まで見た「熊谷陣屋」の中でも、熊谷次郎直実の苦悩と悲劇が一段と真に迫っており、圧巻の出来であった。

主君である義経の、曖昧な意向を忖度し、実子を敵の高貴な若武者、敦盛の身代わりにして殺したが、前線陣地に自分の妻と、恩人であるその敦盛の母がやって来た。しかも義経まで来ている。首実検を無事終わらせ、これが義経の意に沿う事であったのかをどうしても知らねばならない。極限状況を次々にたたみかける、実に良くできた時代物の傑作。

直実の妻相模を魁春、藤の方を雀右衛門が演じる。

実子敦盛を殺した熊谷次郎直実に、切りかからんと刀に手をかけた藤の方。言葉だけで押しとどめようと、直実は敦盛の死を物語るのだが、これは妻の相模に聞かせる、二人の実子、小太郎を斬った父親としての血を吐くような告白でもある。直実の凄まじい苦悩が明瞭に感じられ心を打つ。

そして義経が登場し、両脇を固めた相模と藤の方の、我が子を失った悲劇と相手への深い同情が、首実検の場で一転して交錯する場面。「お騒ぎあるな」、「騒ぐな」とそれぞれを必死で制する場面も口跡朗々と響き実に印象的であった。

魁春、雀右衛門も熟練の演技。御影の弥陀六を演じる歌六も、物語に印象的な陰影を与える。菊之助義経は高貴に成立。重みは無いが、まあ義経はそういうものかもしれない。

「十六年は一昔」の後、幕外の引っ込みになり、戦の音が聞こえると、カッと武将の顔になるが、しかし直ぐに悲嘆に暮れた僧形に戻る所も印象的。吉右衛門で古典を見ると、常にそれまでにない発見がある。その芸を継ぐ息子がいたらなあと思うが、こればかりは仕方がない。娘婿にあれこれ教えてやってもらいたい。

舞台は素晴らしかったのだが、残念だったのは一階客席で、愚図る子供の泣き声が聞こえた事。公共の場では、子供が泣くことを咎めてはいけないと思うが、周りが全員お金を払って観に来ている劇場で、泣く子供を連れてくるのはちょっと話が違う。しかも何度もやらかしたのであるからちょっと信じられなかった。

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幕間は「花篭」で「芝居御膳」など。

次は短い舞踊劇「當年祝春駒(あたるとしいわうはるこま)」

祝祭劇として、昔は新年によく上演されたという「寿曽我対面」のダイジェスト版で、派手で簡単に見れて目出度い、なかなかお得な演目。

梅玉が工藤祐経。鷹狩りの場で討たれてやろうと兄弟に手形を渡してさらばさらば。鷹揚で高貴な殿様を目出度く演じるのはお手の物。

尾上左近は、以前、「蘭平物狂」で観た時よりずっと大きくなって居た。そうか、もう中学生なのか。歌舞伎役者としては、子役でもない、大人でもない微妙な年ごろ。イヤホンガイド解説によると、追善なんだから出したらと梅玉に言われたそうであるが。

なんとなく、顔立ちは父親より爺様尾上辰之助に似ているようにも思える。歌舞伎では隔世遺伝は結構ある気がするなあ。舞踊もなかなか大きく、しっかりしている。ただ発声はちょっと元気が無いかな。十郎は錦之助、大磯の虎に米吉。

幕間のイヤホンガイドのインタビュー。当代松緑は、息子は祖父と父からの預かりもので、立派に歌舞伎役者にするのが自分の責任と述べていた。まあ本人の意志もあろうから無理してはいけないが、歌舞伎役者の伝統が続くと良いですな。

最後の演目は、初世尾上辰之助三十三回忌追善狂言、「名月八幡祭(めいげつはちまんまつり)」

尾上辰之助と昔この演目で共演した仁左衛門と玉三郎が、再び同じ役で息子の当代松緑に付き合うという豪華な追善狂言。この演目は同じ松緑で17年の6月にも見ている。

縮屋新助の、思い詰める生真面目な一途さと陥って行く狂気は、どちらも松緑のニンにある。実に印象的な新助になった。仁左衛門の船頭三次は、色気あるヒモのクズっぷりが素晴らしく良い。玉三郎とのデレデレも濃厚。

粋で気風が良く情に厚い深川の芸者がこの舞台のもう一つの見所。男勝りだが、好きな男には徹底的に尽くす。悪気は無いのだが、考えなく行動するので、廻りを引きずり回す、いわばファム・ファタール。

玉三郎は実に美しく新助を破滅に追い込む美代吉を演じている。ただ、若干、辰巳芸者の粋と張りにちょっと欠けた印象が無いでもない。年齢というよりも一時的に体調が悪いのかな。

大詰めの殺し。本水は無く霧で代用。舞台の本水というのは、温水器がついているとも思えないので、冬場にやると水温が低く、修験者の冬の滝行のようになって役者がやってられないのではないかな。温水を使うと冬場は湿度が低いから湯気が出るだろうし。やはり背景は深川八幡、夏の大祭だし、一種のサイコ・ホラーだから、夏場のほうが良いんだよね。満月はちゃんと出た。

狂気に陥った大詰め、担がれて新助が花道を去る場面。前回の松緑は、上体を起こしたまま、ダッハッハと単に笑いながら去ったのだが、今回は、より動作も声も複雑になり、陥った狂気の闇が深い印象を受けた。

どの演目も見どころあり、実によい観劇であった。夜の部はもう一回くらい観に行きたいものだなあ。

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歌舞伎座「二月大歌舞伎」、昼の部を観た
先週の日曜日は、歌舞伎座「二月大歌舞伎」、昼の部。

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今回の公演は昼夜とも「初世尾上辰之助三十三回忌追善狂言」あり。死後に三世尾上松緑を追贈された尾上辰之助は、当代の四代目松緑の父親ということになる。

最初の演目は、初世尾上辰之助三十三回忌追善狂言、「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)すし屋」

竹本座で演じられた人形浄瑠璃から歌舞伎に。関西では子供が悪さをすると「ゴンタな子やなあ」などと昔は言ったもので、これはこの演目の「いがみの権太」から来ている。 

当代松緑は、「いがみの権太」は初役だそうであるが、「義経千本桜」の三役の中では一番自分の素に近いと筋書きで述べている。確かに本人のニンにあるのだ。菊之助の弥助は高貴な雰囲気、梅枝のお里も田舎娘の純朴な可愛らしさを出して印象的。

演目として見ると、田舎娘の純な恋は成就しない、首実検の首は偽物、悪人が善人へと回帰する歌舞伎独特の「もどり」。歌舞伎のお約束があれこれ盛り込まれた作品。しかしストーリーの展開は、特にいがみの権太が親父に刺されてからが結構間延びしてスローで、「もどり」の演出も唐突。まあストーリーを楽しむというよりも、役者を見物する作品なのかもしれない。前の段にあたる「木の実」「小金吾討死」が出ないと、親父が持って帰る首の由来や、いがみの権太の妻子が身代わりになった事も分かりづらい。

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お昼は花篭で「刺身御膳」。よく見る接客担当の温厚そうなおじさんが福豆の大入袋をテーブルに置いていってくれた。この人は前にも「賢者の食卓」の試供品をくれた。良い人だなあ(笑)

お昼休憩のイヤホンガイドでは、二世松緑、辰之助と子供時代の四代松緑が三代揃ったインタビュー再録。当代松緑は子供の頃からハキハキと自分の言葉で喋り、大層利発な子供だったことが感じられる。

次の演目も、「初世尾上辰之助三十三回忌追善狂言」。

長谷川伸原作の新歌舞伎、「暗闇の丑松(くらやみのうしまつ)」

序幕の舞台は、隣家も含めて二階だけであり、階下の出来事は物音だけで描写される。丑松と夫婦になった娘のお米を妾奉公に出そうとする強欲な母親お熊と、折檻役に雇われた浪人は、丑松を殺そうと階下に降りて行き、丑松に返り討ちに合うのだが、殺人の場面を見せない演出が逆に舞台に緊張感を与える。

人を殺した暗澹の遁走、兄貴分に預けた恋女房が女郎になっていた再会の衝撃、兄貴分の裏切りを訴える恋女房を信じてやる事ができなかった為の悲劇。丑松はそしてその恨みを抱いて更なる闇に落ちてゆく。大詰めの湯屋でも、殺人の場面は直接には描かれない。それがそこまでの闇が深いだけに、それが観客の想像力を掻き立てる。時蔵と菊五郎は息の合った円熟の演技。

実にエモーショナルな世話物であるが、誰も幸せにならないまさに暗闇の作品。夜の部に出る「名月八幡祭」でもそうだが、辰之助はこんな悲劇に生きる陰影のある役が得意だったようだ。早世した原因になる大病を抱えた故の影であったのかもしれないが、一度舞台を観てみたかったなあ。写真を見ると当代の松緑は目元がよく似ている。

最後は。「団子売(だんごうり)」

芝翫と孝太郎が仲睦まじい団子売の夫婦に扮して餅とつき、面をつけて軽妙に踊る。短い舞踊で打ち出し。





歌舞伎座、「壽 初春大歌舞伎」夜の部
5日の午後は、歌舞伎座、「壽 初春大歌舞伎」夜の部。

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最初の演目は、「絵本太功記(えほんたいこうき)」尼ヶ崎閑居の場。

何年か前の秀山祭でも同じ吉右衛門で見たが、他の配役も、幸四郎、米吉、歌六、又五郎と大半が同じ。光秀の母、皐月も東蔵で同じであったが、今回急病とかで代役に急遽秀太郎が立つ。逆賊である息子を諌めて死んでゆくというしどころもある役だが、秀太郎自身も演じた事が何度もあり違和感は無い。

主君を討った武智光秀の家族に襲いかかる悲劇。吉右衛門は大時代で重厚な雰囲気のある圧巻の出。怪異な表情が劇場の隅々まで見えるようにゆったりと演じて、たちまち観客をひきつける。

幸四郎の悲壮な若武者ぶりも良いが、米吉の「赤姫」も、おっとりしたお姫様が悲嘆にくれながら夫の初陣支度を手伝う所など、随所に可憐な部分あり、立派に成立している。

しかしイヤホンガイドの配役説明が、昨日発表された代役を反映して既に秀太郎に変わっていたのはびっくり。その部分だけ録音し直したのかな。まさか毎日落語家のように、同じ原稿を解説者が劇場に詰めてライブで喋っているとは思えないのだが。

ここで30分の幕間。花篭で「壽御膳」を。

次の演目は舞踊、「勢獅子(きおいじし)」

日枝神社山王祭を舞台に曽我物も反映した祝祭的舞踊。若い者や手古舞が大勢出る中、梅玉、芝翫が鳶の頭、雀右衛門、魁春が芸者で踊る。

六世歌右衛門は映像でしか見たことがないのだが、魁春は姿や所作がなんとなく似ている気がする。勿論、教えを受けた本人が寄せているものと思うけれども。鳶のぼうふら踊りだけは、何度見ても何がぼうふらなのか合点しかねるなあ(笑)福之助、鷹之資などの新鋭世代も元気の良い所を見せて目出度く終了。

最後は八百屋お七を題材にした、「松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)」 吉祥院お土砂の場、四ツ木戸火の見櫓の場。

前半部分は猿之助演じる紅屋長兵衛、通称「紅長(べんちょう)」がお七の恋を叶えようとあれこれ廻して行くドタバタの喜劇風味。

歌舞伎らしく、「U.S.A.ダンス」も登場。初日の様子は一部NHKの番組で生中継されていたのだが、「ハズキルーペ大好き」とか、「寿司なら近くのすしざんまい」など、一部ネタが違う(笑) すしざんまいは、5日に報道されたマグロ初競りで飛び出した3億円マグロのニュースをいち早く取り入れたものと推察。以前、弥次喜多でも「SMAPが解散しましたなあ」など、歌舞伎は速報ニュースを入れるのも得意だ(笑)

七之助は幸四郎を前にしてのクドキなど印象的に成立している。下女お杉の竹三郎は、なんだか随分と拙い感じだなあ、と思ったが、後でプロフィール見ると昭和7年生まれ。役が着いて演技できるだけでも偉いと考えないといけないのかもしれない。

後半はほとんど七之助の一人舞台になり、八百屋お七が恋人に逢う為に火の見櫓の太鼓を叩くエピソードが人形振りで演じられる。降りしきる雪が切ない。黒子2人と息の合った様々なポーズは、普通の演技とは思えないメカニカルな動き。これはこれで七之助の身体能力を活かしたアクロバティックな動きで凄いと思うけれども、これが人形浄瑠璃の人形の動きなのかなという点については、文楽は殆ど見ないので判断は出来かねるのであった。

今月は、歌舞伎座以外に、新橋演舞場、国立劇場、浅草公会堂、大阪松竹座と五座で歌舞伎が掛かっており、まさに新年歌舞伎三昧の月。しかし、私の歌舞伎見物は今回の歌舞伎座のみで終了。来週からは大相撲初場所観戦モードに切り替えとなるのだった(笑)


歌舞伎座、「壽初春大歌舞伎」昼の部。
2日夜に帰京。翌3日は今年最初の歌舞伎観劇。歌舞伎座「壽初春大歌舞伎」昼の部。

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最初は舞踊。「舌出三番叟(しただしさんばそう)」。芝翫の三番叟、魁春の千歳。

三番叟は能楽由来、天下泰平五穀豊穣を寿ぐ定番の祝祭舞踊。庶民に好まれて様々なバリエーションあり。しかしイヤホンガイドによると、今回は演出上、舌を出さないらしい。舌を出さないのなら「舌出」とは言わないのでは。不可思議なり。しかし芝翫は顔が大きい。歌舞伎役者としては大きなアドバンテージだろうか。5頭身くらいなんじゃないかな(笑)

次の演目は、「吉例寿曽我(きちれいことぶきそが)」鴫立澤対面の場。

江戸の昔から正月には曽我物を上演するのが定番だったらしいが、これまた人気のある演目だけに設定を様々に変えたバリエーションが存在。今回は、実に珍しい「女工藤」バージョン。曽我兄弟の敵、工藤祐経の代りに奥方が登場するというもの。筋書の記録では歌舞伎座では初演。

病から昨年復帰した福助が、かなりの台詞ある扇の要役をこなし、弟の芝翫、息子の児太郎、甥の七之助と、成駒屋中村屋一族共演する祝祭。福助はまだ右手が不自由なように見えるが、左手は上がるし台詞はしっかりしている。最後は歌舞伎の様式美に満ちた目出度い絵面で賑やかに決まって拍手のうちに幕。

この幕間で花篭で芝居御膳。 正月3日では食材の手配は大変なものと推察するが、きちんと準備できている。

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次の演目は、「廓文章(くるわぶんしょう)」 吉田屋

幸四郎が伊左衛門、七之助が夕霧。イジイジ、ウジウジしたところは意外に幸四郎のニンにあるので、つっころばしを演じての和事は違和感無し。しかし鴈治郎の胸焼けするようなネチネチの上方コッテリ感は無い。筋書によると、元々清元による江戸式でやろうと澤村藤十郎に教わった由。上方式の本来では竹本・常磐津の演奏。全体として、上方風味の薄い、粋を感じる江戸風の和事として成立している。他の演目の都合か、上演時間を切り詰めたのも上方式のネチネチが短くなって良かった。七之助も美しく、くどきも印象的。最後は千両箱が運び込まれ、あれよあれよという間にお目出度いハッピーエンド。秀太郎が音頭を取る上方式の手締めも目出度い。

最後は、「一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)」

白鸚が大蔵卿を演じるのは47年ぶりとか。筋書によると、これからは久しく勤めていない役を順に勉強したいとのこと。しかしさすがに久々、開幕二日目とあって、吉右衛門に比べると、阿呆感がちょっと薄いような。むしろ「仮名手本忠臣蔵」一力茶屋の、大星由良之助を思い出す。しかし、作り阿呆から素に戻った部分は迫力あり。魁春、高麗蔵、雀右衛門、梅玉と実に重厚な布陣が付き合い。作劇はしっかりと出来ている。

打ち出しの後、本屋などブラブラして、年末に予約した「新ばし しみづ」で本年の寿司始めとなった。