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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
2冊目の辞書
某所で、「昔は辞書を引けとやかましく言われたものだった」と書かれてあったのを読んで、なぜか思い出した高校時代の一コマ。

高校2年の時の英語担当のA先生は、怖いオッサンであったが、教室を歩きまわりながら、副読本の読解をやっている時、ふと、ある生徒の机から英和辞書を取り上げて訊いた。「お、XX、これは2冊目の辞書か? 1冊目は引き潰したんだな」と感心した様子。

「ハイ」と答えればよかったのだろうが、彼がバカ正直に、「いや、あの、その、1冊目です」と正直に申告したもんだから、「お前は去年1年間、いったい英語の勉強に何をやってたんだ」とその辞書でボカーンと頭を叩かれた。あの一撃は、しかし大きな音がした。

それからクラスでは、殴られてはたまらんと、辞書を乱雑に扱い、汚しを入れるのが一時期流行。懐かしい。しかし英和辞書というのは、実に頑丈にできているもので、大学でも社会に出ても、高校時代に愛用してボロボロになった研究社の英和中辞典を使っていたっけ。

しかし、今になって考えてみると、我が母校の英語教師は、厳しかったが実によい先生揃いだった。英語のリーダーは1年生の教科書を夏休み前に全部終わってしまう。夏休みの宿題に妙な副読本を渡されて、「全部読んどけ」と言われるのだが、当時これを読むのに1ページに30個くらい単語を引かなければならず、ここまで知らない単語ばかりだと、辞書を引いても引いても謎が謎を呼ぶばかりで、主人公が何やってるのかサッパリ分からない。シュメールの楔形文字解読のほうがやさしいんじゃないかと思ったなあ。

2学期3学期と別の副読本を仕上げるのにも往生した。2年になると、2年生用のリーダーの教科書を一応やるのだが、これがエラク易しい。なんというか、背負わされて歩いてた重い荷物が無くなったかのよう。

「これでしばらく英語の予習しないですむぞ」と全員喜んでいたら、我々の期待を裏切って、1章を1時間でスっとばすという無茶な進度で教科書の授業が進み、1学期の途中から、また悪魔の副読本渡されて辞書地獄。大変だった。

もっとも、大学受験でも、その後社会人となったアメリカ駐在でも、この高校の時の授業で身につけた英語の力は、十分に役立ってくれた。実によい母校であったなあ。

おそらくA先生には、彼が英語の勉強をサッパリやってないことなど、とっくに分かってたに違いない。彼をダシにして、「もっと辞書引け」と全員に活を入れる一撃だったのだ。今にして気付くわが師の恩というべきか(笑)。

もっともかくいう私も最近は、もっぱら電子辞書。メールソフトのスペルチェック機能にも大助かり。発音記号やアクセントを調べるにも、電子辞書の即時性が実に優れている。それでもなお、用例・用法やらイディオムを調べるには、やはり紙の辞典を必ず併用する。まだ紙のほうが役に立つ部分もずいぶん多いと思うのだが。