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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
「怖い絵」を読む
今朝、外出する時の気温は華氏20度。この一週間、ずっと一桁台の気温が続いてたから、なんだか暖かい気がする。それでも摂氏では、マイナス10℃。人間の感覚というのも不思議なもんだ。

昨夜は、「怖い絵」(中野京子)読了。

このところ、再び美術関係の本を読んでいて、「ゴッホの復活―日本にたどり着いた「ひまわり」の正体」も面白かったが、この感想はまだ後日。

「怖い絵」は、「名画の言い分」と同じく、絵画の描かれた歴史背景や、作者に関する知識によって、その絵画に描かれた真の主題、意味を探求しようとする興味深い試み。

巻頭で扱われるドガの、『エトワール、または舞台の踊り子』は、オルセーにある有名な絵。ドガはバレリーナをよく描いており、単に絵だけを眺めるなら、プリマドンナの美しいポーズを描いた綺麗なものに見える。

しかし、この絵が描かれた当時は、バレエの衰退した時期。ダンサーはそのほとんどが労働者階級の出身で、当時のバレエは「芸術」よりもむしろ「場末の芸能」。オペラ座は、上流社会の男が、金で自分のものになるダンサーを品定めにくる場所。

舞台の上、踊り子の後ろに立っている紳士は、このダンサーを金で買ったパトロンである。ドガ自身も金持ちの家に生まれ、ダンサーを金で買う上流階級に属していた。

こんな時代背景を投影してドガの絵を再び見るなら、彼が頻繁にバレエ・ダンサーを描いたのは、決して美しい「芸術」を切り取ろうとした訳ではなく、単に生身の女の肉体というフォルムに対する冷徹な関心によるものであり、冷静な筆致の背景に、彼自身の持つ階級意識と、当時の世相が映りこんでいることが深く腑に落ちる。この絵は、「名画の言い分」でも扱われていたが、この本の解説は実に印象的。

「ヘンリー八世像」の、ある意味凄まじい肖像も、「名画の言い分」でも取り上げられていたのだが、この画家の運命を投影して論じた、実に印象深い一枚。

ムンク「思春期」の、少女から幽体離脱してゆくような影。クノップフが「見捨てられた街」で描いた「死都 ブリュージュ」の、胸をしめつけられるような寂寥。ブロンツィーノ「愛の寓意」の、表面的な豊穣と明るさの奥に隠された実に奇怪なるイマジネーション。

著者の思い入れが強すぎると感じる部分もなきにしもあらずだが、実に文章が上手で、読んでいてなるほどと引き込まれる。解説を読んでからまた絵に戻ると、確かにそれまでとは違った絵が見えてくる。絵を見るというのも実に面白い。
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