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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
命の値段もずいぶん違う
最近、殺人の量刑について考えさせられる判決が2件、立て続けにあった。

ひとつは、長崎市長射殺犯への死刑判決。俗に殺人罪は、「2名以上殺さないと死刑にならないのが相場」と言われる。人間の命を奪った罰に相場もへったくれもあるかと言われればその通りだが、確かに被害者1名で死刑判決が出るのは、幼児誘拐殺人などを除いては異例。昨今の厳罰化の傾向が現れていると言えなくもない。

ただ、厳罰化に関しては、無期懲役犯が10数年程度で仮釈放となって重罪を犯す例が多発し、保護観察も名ばかりで機能していないことが明かとなったため、大いに世論の批判を浴び、徐々に判決と仮釈放運営に反映されている、一種の民意である。弁護団のいうように、厳罰化だからいけない、ということはないだろう。

Wikipediaによると、最近では「無期懲役犯に対する20年未満での仮釈放は例外的」らしいが、そもそも昔の判決が軽すぎ、仮釈放の運用があまりに安易であったに過ぎない。

寸又峡事件の金嬉老は、30年近くの懲役の後、仮釈放され韓国では英雄と称えられたが、根っからの犯罪体質は変わっておらず、韓国でまた殺人未遂と放火で有罪となり服役中。これひとつみても、刑務所に人間を矯正する機能なぞないし、仮釈放の審査をパスしても、犯罪を再び犯さないかどうかは保証の限りでないことが分かる。

今般、刑法改正で有期刑の上限が30年になっている。それとの見合いで考えるなら、今後の無期懲役犯は、少なくとも30年は刑務所にいてもらわなければならないと思う次第である。

私自身は、光市母子殺害犯のように、犯罪者のうちには民のうちから絶たれなければならない生来の鬼畜がおり、本人の死を持ってしか償えない罪というものは明らかに存在すると考える。その点では、死刑存置論者であるが、仮釈放まで30年以上服役するという前提であれば、必ずしも死刑を選択しなくともよい事例が多くあると思う。このケースで死刑というのも、若干厳しいような気も。もっとも、刑法には、「2名殺してはじめて死刑」などと決めてある訳でもないのだが。

反面、渋谷の「妹切断」事件の地裁判決は、求刑17年に対して懲役7年。死体損壊について「多重人格による心神喪失状態」を認めて無罪にした判断にも疑問が残るが、殺人罪について完全責任能力を認めたうえでの懲役7年。これはずいぶん軽くないか。

昔の日本では、「尊属殺人罪」があり、親を殺すと普通の殺人より罪が重かったが、最高裁で違憲との判断が出て、廃止されている。本来、人間の命の価値に軽重はないはず。

同じ一人の命でも、長崎市長殺すと死刑、妹を殺したら7年。同じ命でもずいぶん値段が違うなという印象を、どうしてもぬぐいきれないのだが。ヤクザ同士の抗争での殺人は、普通の殺人よりも量刑が低いと聞く。これまた、納得行くような行かないような微妙な話。

量刑の軽重の受け止め方は個人の価値観によって千差万別であり、裁判員制度が動き出したら、このあたりの折り合いは、実に調整が困難だろう。たやすく結論が出るような問題ではない。