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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
福田康夫の絶望、そして諦観
昨夜は、PCにダウンロードした「サンデー・モーニング」など見ていたのだが、汚染米問題に関する福田総理のぶら下がり取材映像が実に興味深かった。

農水相辞任を受けて任命責任を問う記者に、「私には全部の責任があるんです」と嫌々ながら答えた後、「行政府を指揮監督するのも総理大臣だと思うんですが」と更に追求する記者に、「末端まで? 全部? 大変だな、総理大臣も」との回答。

スタジオでも失笑が沸き、他人事もここに極まれりという反応。しかし、考えてみればある意味もっともで、総理大臣が行政の末端まで指揮監督することなど実際には不可能。むしろ不可能なことをあげつらって断罪しようとする記者の質問が、あまりにも建前論的で情緒的なのだともいえる。

今月号の文藝春秋に、田勢康弘の「福田康夫 その虚像と実像」という記事があった。小泉首相は、このぶら下がり取材時のコメントを事前に考え抜いており、重要問題については7、8秒しかコメントしなかった。TV局が番組に使う長さが、だいたいそれくらいと知っていたのだ。TV局は、小泉首相のコメントを無編集でそのまま使わざるを得ない。大衆人気を博した小泉流「劇場政治」の知恵。反対に、自己演出が下手な福田は、以前から記者達の不勉強ぶりを嘆いていることもあり、時として言い返したり、余計な反応をして、逆に自分のイメージを悪くしてしまっているのだという。

田勢康弘は更に、
「福田首相のコメントは、他人事のように聞こえる」という批判が多いが、ではコメントが他人事でなく聞こえたら、何か状況が変わるのか
と問う。「堅物、冷たい、官僚寄り、秘密主義」などは、確かに福田自身の資質が招いた悪印象。しかし衆参のねじれによる政治の停滞は、福田が招いたことではない。

「これでは国民は納得しない」と情緒的に叫んで政権を批判するメデイアが、国民の政治意識を定型化し、それを「世論」と称して、その影に隠れて好き放題に政権批判をする。そのようなメディアは決してフェアではない。
田勢康弘は、この記事でそう述べているのだが、確かにこれは一面の真実を突いており、傾聴に値する。

この国では、ある意味、内閣総理大臣よりも、メディアの記者やメディアでコメントする人間のほうが偉い。「一億総クレーマー時代」と称するそうだが、謝罪会見などで時折見かけるのは、まるで我こそが正義を体現していると言わんばかりに興奮して、居丈高に相手を糾弾する記者である。モンスター・ペアレントならぬ、モンスター・レポーター。

「大変だな、総理大臣も」という発言の裏に響くのは、福田康夫の、「なぜオレがここまで糾弾されなければならないんだ」という乾いた絶望であり、同時に、「もうどうしようもない」という諦観でもある。

もちろん一国の総理の座を軽々と放り出してよいはずはない。よいはずはないのだが、一国の総理の心をここまで折ってしまう、政治を取り巻く現状というものは、やはりどこかおかしいのだと、そう感じる一言であった。


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