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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
スタインベック、「チャーリーとの旅」
11月、オフィスのポトラック・ランチが行われた時、ヘミングウェイのような頬ひげを蓄えているアメリカ人社員と同じテーブルで、あれこれ雑談。彼はサリナスの生まれで、今でもそこから通ってるのだという。「サリナス出身の有名な作家がいるんだよ」というので、誰か聞くと、ジョン・スタインベックだと。

そういえば、「怒りの葡萄」とは、ハテ、英語ではなんて言う? 聞いて見ると原題は「The Grapes of Wrath」。彼によると、スタインベックは、有名人でも金持ちでもない、市井の普通のアメリカ人の生活を、丹念に共感を持って描写した、リベラルな作家なのだとか。「名作だが、いい気分になりたい日には「怒りの葡萄」を読んではいけない。実に重く暗い気分になる」そうである。

「怒りの葡萄」や「エデンの東」は、日本語にも翻訳されて、本屋に並んでるよと教えてやると、彼は本気でビックリしていた。

日本は、江戸時代には既に世界で一番文盲が少なかった読書大国であって、アンダーエスティメイトしてもらっては困る。サリンジャーやヘミングウェイなどの小説はもちろん、SFやホラーにいたるまで、ほとんどのアメリカ作家の代表作は、全部日本語に翻訳されてるのである、と一席ぶってやろうかと思ったが、あまり力説して深いアメリカ文学の話になると、今度は着いて行けなくて恥をかいてしまうので、適当なところで断念。アメリカの事に関しては、アメリカ人の教養にはやはり遠く及ばない。

隣にいた社内弁護士が、そういえば、スタインベックには、「チャーリーとの旅」という、アメリカを愛犬と旅行して回った旅行記があって、これもまた面白かったと言う。

という訳で、前置きが長くなったが、Amazonに発注したのが、日本語訳された「チャーリーとの旅」。ホノルルにも持参してボチボチ読んでたのだが、昨日読了。

58歳、初老になったスタインベックが愛犬を連れ、大型ピックアップトラックの荷台をキャンピングカーに改造した車でアメリカ各地を旅行した旅行エッセイ。それは、彼が問い続けた、「アメリカとは何か」、「アメリカ人は何ゆえにアメリカ人なのか」という問いを探す旅でもあった。

シカゴ、ミネソタ、モンタナ、イエローストーン。故郷サリナスからそして南部。アメリカを巡る途上で、彼の車に集まってきては会話を交わし、そして去って行く土地の人々や旅の人々との交流。

旅行が行われたのは1960年だが、アメリカの大部分は、現在と驚くほど変わっていない。すでに道路網は整備され、大量生産の規格品が売られ、モータリゼーションの波は押し寄せ、都会はスプロール化が進み、しかし、田舎の町は相変わらず田舎の町。

アメリカ社会が、この頃から一番変わった点をあえて挙げるなら、やはり人種差別の問題だろうか。

スタインベックが旅をしたのはちょうど公民権運動が盛んになり始めた頃。南部で、黒人と白人が同じ学校に行くことに反対する大集会を見物したスタインベックは激しい衝撃と悲しみに打たれる。

同じ南部の州、疲れ切って路肩を徒歩で歩いていた黒人の貧しい農夫を、スタインベックは車に乗せてやる。くだけた口調で何を語りかけても、黒人の農夫は警戒して身をすくめ、途中で降りて行く。リベラルな考えを持つスタインベックにしても、埋めることのできないこの悲しい断絶。

逆に、次に乗せてやった白人の若者は、「黒んぼと自分の子供は絶対に同じ学校に通わせない」と公言する。これに腹を立てたスタインベックは、彼を車から追い出す。彼を置き去りに走り出す時、後ろから聞こえてくる、「ニガー・ラバー!」という南部訛りの軽蔑の声。しかし、今では、アメリカを旅しても、この手のエピソードに遭遇することはまずあるまい。

その後、スタインベックは、どうやら過激な公民権運動にかかわっているらしい黒人の学生を拾って乗せてやる。彼に共感を抱きながらも、ガンジーの非暴力運動などを引き合いに出して、穏健な道もあるのではと諭すスタインベックに、青年は、

「いま行動しなければ、老人になってもこのままだ。わがままかもしれませんが、僕は、黒人が人間としての権利を持つ日を死ぬ前に見てみたい、自分の手で実現させて、見てみたいんです」

と延べる。車から降りた青年が、涙をぬぐって立ち去る場面は、この旅行記でも実に印象に残るシーン。

この黒人学生が当時20歳だったとして、今頃、68歳。彼は今年、グラント・パークで、バラク・オバマ大統領候補が、高々と世界に勝利宣言したあの感動的な一夜の光景を、自分の目で見ることができただろうか。そうあってほしいなと思わせるエピソードであった。

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