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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
無かったんだよ、その頃は携帯電話が。
福岡市西区で19日に飛び降り自殺した中学1年の男子生徒は、当日朝、母親の携帯電話に10回以上電話をかけており、嗚咽のような声も留守電に残っていたのだとの報道。母親は仕事中ですぐには気付かなかったといい、「あの時電話に出られたら、こんなことにはならなかったかもしれない」と語ったのだとか。

自殺者は最後まで心が揺れていて当然だから、止めて欲しくて電話をかけたのかもしれない。もちろん電話に出たからといって止められた保証もないのだが、電話を取ってやれなかった母親は、これからずっと苦しみ続けるだろう。なんともむごい話である。

携帯でいつでも連絡取れる現代も便利ではあるが、取れなかった通話が着信履歴や留守電でいつまでも残るというのも、ある意味考えものだ。

携帯電話が普及してない頃は、ちょっと待ち合わせするだけでもひと仕事。出口間違えたり時間間違えたりすると、大変なことになる。浜田省吾の歌に、高速道路の渋滞に巻き込まれ、やり直すために最後に会おうとしていた彼女との待ち合わせに間に合わず、彼女は俺が来ないことを最後のメッセージだと思って去って行くだろう、という歌がある。携帯世代なら、なんで車内から電話かけないんだと、サッパリ理解できない歌だろう。そう、無かったんだよ、その頃は携帯電話が。

そういえば、さだまさしにも「加速度」という、電話にまつわる歌がある。公衆電話から恋人が最後の別れの電話をかけてくる。コインが落ち、彼女が、「今までのすべてがあと3分ね」と告げる。最後まで話続けて、彼女がまるで悲鳴のように「それから」と言った瞬間に、プツリと切れた最後の通話。

部屋で電話を受けた主人公は、雨のつたうガラス窓をぼんやり眺めながら、彼女が最後まで話続けて、お別れの言葉さえ言わなかったのは、彼女の優しさだったのだと悟るのだ

そういえば、公衆電話でコインが落ちる音なんてのも、最後に聞いてから、いったい何年経っただろうか。携帯時代の前からテレフォンカードもあったしなあ。

自分の部屋でも、外出先でも、はてはシャワー浴びてる時にさえ、携帯電話で会話し、メールが打てるこの時代は、確かに便利ではあるが、我々は替わりに何かを失ったような気がする時もある。