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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
「納棺夫日記」と、人の死を巡る物語
San Joseの紀伊国屋で平積みになっていた文庫本、「納棺夫日記」購入、読了。先日、アカデミー賞外国語映画賞を得た邦画「おくりびと」が製作される発端となった本であると帯にあり。1990年に地方の小さな出版社から出された本の増補改訂版。

ふとしたことから葬儀屋に職を得た詩人の著者が、遺体を拭き清めて死に装束に着替えさせ、棺桶に収める仕事を専門とするようになる。昔々の葬式では身内が行うものだったらしいが、現代では例え親族の遺体であっても、なかなか自分達ではできず、葬儀屋のサービスを利用するものらしい。「納棺夫」と著者自身が名づけたこの仕事のエピソードと、著者の死生観、宗教観を綴ったルポルタージュ・エッセイ。

第一章、第二章で描かれる「納棺」の仕事は、人間の死と尊厳に峻厳に向いあった、実に興味深いドキュメント。同じく、遺体の処理を扱った本では、「遺品整理屋は見た!」というノンフィクションも読んだことがあるが、どちらかというと即物的な内幕物。この「納棺夫日記」は、興味本位のドキュメントではない。著者独特の詩情にあふれた文章で、人間の死と生を、宗教による癒しと救済の観点から見つめて描き出す、圧巻のレポートとして成立している。

昔別れた恋人の父親を納棺するというエピソードは、いくらなんでも何かの脚色ではないかとも思ったりもしたのだが、「事実は小説よりも奇なり」というからなあ。納棺夫の職についてから、奥さんに、「穢らわしい」と拒絶された話など、死と遺体に対して誰もが持つ拒絶反応を端的に現すエピソードが数多く語られている。

浄土真宗の教義を解説し、著者の宗教観と親鸞への傾倒を語る第三章こそが著者の本当に書きたかったことのように思われる。しかし、「納棺夫」の仕事を書いた前半を削って著者の宗教観のみの本として出版したなら、おそらく文庫化されるほど売れることはなかったろう。書物にまつわる運命にも実に不思議なものを感じる。

この本に記されている「納棺」の実態は、北陸の一部でまだ「座棺」が使用されているなど、かなり内容的には古いのだが、映画「おくりびと」のヒットを受けて、現役の「納棺夫」が「納棺」の実態を描いた本「おくりびとが流した涙」も最近出版されたとのこと。

ふとAmazonで検索してみると、死や遺体処理に関する本は他にも出ている。「新しい葬送の技術 エンバーミング ―遺体衛生保全 悲しみを越え、心に残る思い出を」や、「死体とご遺体 夫婦湯灌師と4000体の出会い」など日本に発注。

死を「穢れ」と見做し、死体を恐れるのは、何時からか我々に刷り込まれたプリミティブな感情。しかし、誰もが最後には死者となり、土に還って行かざるをえないのも人生の真実。人間の遺体にまつわる物語は、普段注意深く一般の目からは隠されているが、その内実を覗き込んだ時、我々の胸に去来するのは、なんとも表現しがたい不可思議な驚きである。

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