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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
「酒と肴と旅の空」
日本で購入して持ち帰った、「酒と肴と旅の空 」読了。途中まで読んでバッグに入れたまま忘れていた。アメリカで、銀座教文館の緑のカバーを見ると、なんだか日本が懐かしい。

これは、池波正太郎が、作家達の食物や酒、旅に関するエッセイを選んで一冊に編集したもの。オリジナルは1985年刊行と後書きに。

田中小実昌の「焼酎育ち」は、東京下町の焼酎文化を語って、関西人の私には実に興味深い。私が神戸で大学生だった当時は、酎ハイなんて、神戸では見たことも聞いたこともなかった。東京で就職して、同期と飲みに行って、みんな妙なものを頼むのでビックリした記憶があるが、当時はまだ日本にも、幾分かの地域性が残ってたんだなあ。

まあ、酎ハイは焼酎ブームや居酒屋チェインの全国展開に乗って全国制覇した模様だが、ホッピーはまだまだ関東ローカルだろうか。あれもしかし、不思議な飲み物ではある。

吉田健一「ロンドンのパブ」は、本人の著作集で一度読んだ記憶あり。旧かなを使い、読点は最小限で、自らの思索と戯れるように、うねるように文章が続く、独特の吉田健一節。仕事で一度ロンドン行った際、パブに入ったが、そんなことも懐かしく思い出したり。

高橋義孝「東京の食べ物」は、もう消えてしまった昔風の東京の食べ物を回顧する。この人も、昔の東京に対する独特の美意識を持った、うるさがたのジイサマで、昔、エッセイを興味深く読んだが、あれはどこに行ってしまったか。

山口瞳の「赤穂の穴子、備前の蟹」は、以前に読んだエッセイ集にも掲載されていた旅行記。山口瞳が亡くなったのが1995年だから、私がまだ前回の駐在でアメリカにいる時だ。最期まで週刊新潮に連載されたエッセイ「男性自身」はずっと愛読していた。しかし、没後既に14年。時の流れるのは実に早い。彼のエッセイも、読み返してみたいが、総集編以外は、もうあまり流通してないようなのが残念。

向田邦子の「昔カレー」は初見。世代が違うからか、私自身は「ライスカレー」には、さほどの思い入れが無い。しかし、家庭料理というものが、いかに家族の懐かしい追憶と密接に関連しているか、しみじみと分かる好エッセイ。

北杜夫の「天国へのフルコース」は、わずか2ページほどの小編。生涯最後の食事は、何にするかを語ったもの。これは、自分ならどうするかを考えるのが面白い。そうだなあ、やはり北杜夫同様、酒は必須。まず、極上のシャンペンから初めて、西洋と日本の山海の美味をほんの少しずつ。途中で大吟醸の日本酒に切り替えるか。

北杜夫は、北京ダックと老酒を賞味して、酒と肴において、和洋中全て制覇しているのだが、私の場合、中華は必ずしも要らないかなあ。腹に溜まるものより、ちょっとずつ美味いものを食べたいのはまったく同感。そして、途中には、やはり寿司をつまんでもよいなあ。

北杜夫は、最後は自宅の台所で自家製チャーシュー入れて作る生ラーメンだという。私なら、最後は炊き立ての御飯とおこげかなあ。あるいはそのツヤツヤの御飯をおにぎりにして食する。中に入れるのはやはりシャケだな。タラコやオカカも結構だが。最後に極上の煎茶を飲む。

実は、この北杜夫のエッセイの最後は、「そして最後に青酸カリを飲み下す」というブラックな締めくくりなのだが、まあ、物を食べる元気があるうちに、最後の晩餐をして、この世からオサラバというのもよいかもしれない。

しかし、池波正太郎が選んでこの本に納めた数々のエッセイの著者は、既にほとんどが鬼籍の人。オリジナルが85年だからなあ。全てはチェックしてないが、おそらく今でも存命なのは、北杜夫くらいではないだろうか。考えてみると北杜夫も元気者である。
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