97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
「ブルーノ」を見た
ケーブルTVのオンデマンドで、「ブルーノ」を見た。まあ、前評判通り、実に俗悪。分かってたら見るなって話なのだが。

監督・主演のサッシャ・バロン・コーエンの前作、「ボラット」は、カザフスタンから来たTVレポーターにコーエンが扮してバカなことをやり、それに振り回されるアメリカ人を嘲笑するという、一見おバカなコメディに見えるが、奥底には毒を含んだドキュメンタリー作品であった。

今回の作品も似たような設定だが、俗悪度合いが更にパワーアップしている。コーエンが、オーストリアのファッション・レポーター、かつゲイである「ブルーノ」に扮して、アメリカでセレブになるためにあれこれ活動する。この設定を信じて真面目に反応するアメリカ人を嘲笑しようという企画。

しかし、「ボラット」の時とはまったく外見が違って別人にしか思えないのにはビックリ。確かに「ボラット」は有名になりすぎたから、あの扮装で世間に出れば、相手を騙すどころか殴られるのがオチだろう。

ゲイの団体から抗議があったというが、確かに抗議されて当たり前といえば当たり前(笑)。世間をおちょくる「電波少年」のような悪ふざけと見れば、爆笑して見ることもできるだろう。しかし、この映画の根底には、コーエンが抱いている、一般の社会やそこに流布される通念、いや、おそらく生きているすべての人間に対する侮蔑と蔑みが流れているような気がする。そんな先入観でこのドキュメンタリーを見るなら、これは、一切の固定観念から一番遠い、悪意に満ちた極北のドキュメンタリーである。

もちろん、コーエンは、この扮装でバカをやることによって、アメリカに蔓延するある種の愚かさや恐ろしさを鮮やかに浮かび上がらせる。しかし、コーエンの内に秘めた悪意に気づくなら、「コーエンよ、じゃあ人を笑いものにするお前が常に一番正しいのか?」と問いかけたくなる気もするのだった。

いずれにせよ、ケラケラ笑って鑑賞できるのは、このドキュメンタリーに隠された悪意に気づかない観客のみだろう。確信犯的な行動は凄いとも思うが、しかし、この下劣さと底意地の悪さにはある意味感心する。

オンデマンドとはいえ、ケーブルTVで流すとは、アメリカも凄い。ペアレンシャル・コントロールが必要な訳だ。日本でも劇場公開中だそうだが、知らずに入って途中で憤然と席を立つ人とかいるのでは。よくこんなのを公開したなと感心するのであった(笑)。まあ、一見の価値があるかと問われれば、無いとまでは言わないけれども。

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