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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
「おすもうさん」、呑気な相撲取り達
「おすもうさん」読了。

相撲とはいったい何か。

この本は、相撲好きではあるが、実際に本場所の土俵を見に行くと眠くなってしかたないという著者が、相撲部屋を実際に訪問したり、自分で廻しをつけて相撲教習所に体験入門したり、相撲についての文献を調査したりして、相撲と「おすもうさん」とは何かについて試行錯誤であれこれ考察したドキュメンタリー。

私自身は、昔からある程度の相撲好きではあるので、相撲部屋の実態については、さほどの興味はない。相撲取りの世界が世間に好き放題に翻弄されてきた歴史を振り返る部分が実に興味深かった。

相撲が国技と通称されるようになったのは、相撲取りが自称したからではない。明治の常設館完成時に、当時の識者が「国技館」と名付けたからであり、相撲取りの与り知らぬこと。明治の元勲板垣退助も、「尚武館」のほうがよかった、命名が失敗であったと述べてたらしい。しかし、周りが勝手につけた「国技」という名前は、その後一人歩きして、相撲取りには「国技なのだから」という重荷が背負わされ、その世界を拘束してゆくことになる。

また、戦争時には、軍国主義を背景に、大和魂を象徴した日本国の「武」の象徴として、相撲道は極端に持ち上げられ、賞賛されることになるのだが、肝心の相撲取りにとってそれは別に歓迎すべき事態ではなかった事も面白い歴史。

何度も待ったを繰り返し、気が満ちるまで長い時には1時間近くもかけていたのんびりした仕切りも、HNKがTV中継するようになり、制限時間が設けられ、秒単位で管理されるようになる。土俵の柱さえ、中継の邪魔になると取り払われる。

相撲界は、それを取り巻く世界が変わるにつれ、いつも外界から翻弄され、右往左往して来たのだが、著者が実際に相撲部屋に取材し、若い相撲取りに聞いてみると、その世界は昔からちっとも変わってはいない。

相撲界に入ったのは、「身体が大きくて頭が悪かったから」という理由が多い。しかも、大部分が自分から志望したのではなく、周りから勧められて、いつの間にか部屋に入門することになっていたのだと。この世界は昔からそうなんだ。

朝に一度稽古したら、後はちゃんこ食って寝るだけが仕事。相撲界に伝わる伝統や仕来りについても、細かい来歴は誰も知らない。書いた文章も無い。ただ、そういうもんだと全員が口伝で伝えてきた、ある意味実に古めかしく、そして呑気な世界。

しかしその、相撲取りが相撲取りだけで呑気にやってきた世界を、昔から世間がいかに振り回してきたか、この本を読むと、相撲取りも大変だったろうと実に気の毒な気分になる。

「大相撲・朝青龍問題」については、このページでも繰り返し書いてきたが、相撲は、神事であり、伝統芸能の興行であり、そしてある面では格闘技でもある。しかし、西洋流のプロスポーツとはまったく違う世界で同じように割り切れる訳ではない。

元朝汐の高砂親方は、謹慎してモンゴルに帰った朝青龍についてモンゴルに同行したが、帰国後の記者会見で、「モンゴルの温泉でお肌がツルツルになった」と能天気な発言をして、報道陣全員を呆れさせ、後で叩かれたのだが、しかし、あれがまさしく本来の、呑気な相撲取りの世界。

横綱輪島が、「食べ物は何が好きですか」とインタビューで聞かれ、付き人に、「オ~イ、オレは何が好きだったっけ?」と聞いたという話も読んだ事があるが、これまたまるで落語を地で行くような話。ちばてつやの「のたり松太郎」というのは、ずいぶん取材して、相撲界の雰囲気をそのままに描いてたのだなあ。

そういえば、前回の駐在時、アメリカ巡業、サンノゼ場所を終えてハワイに向かう大相撲一行にサンフランシスコ空港で出くわしたことがあるのだが、相撲取り達は、物を食べながら、お互いにこづきあったり、ちょっかい出し合ったりして、和気藹々とやっており、なんとも呑気な雰囲気に感心したことがある。

しかし、昨今の相撲界を取り巻く環境はどうだろうか。

外国から単身やってきて、徒手空拳で頂点まで登り詰めた大横綱に、目を三角にして偏執狂の如く、聞くに堪えない個人的攻撃を加えた脚本家や漫画家崩れ。相撲界不祥事を奇禍として委員会に選任され、表舞台で再び世間の注目を集めるのが嬉しいのか、嬉々として出て来て踊る老いぼれ学者や老いぼれの元官僚。

相撲にしか能の無い人間が、呑気に相撲だけ取って生きてゆける社会を、たとえそのまま温存しても、世の中は何ひとつ困りはしないと思うがなあ。

しかし、相撲界に寄ってたかって集まり、ギャーギャー騒いでる連中は、実は相撲のためではなく、自分達のために大声をあげてるのではないか。

そんな連中には、自分達が本当に相撲が好きなのか、本当はこんな場に出てくる筋合いではないのではと、この本を真摯に読んで、深く自問自答してもらいたいと思う次第である。

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