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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
「食卓は学校である」
玉村豊男の本を最初に読んだのは、確か何の予備知識もなく本屋で手に取った、「料理の四面体」

冒頭のアルジェリア式羊肉シチューがいかにも美味そうで引き込まれ、残りも一気に読了した。牛肉のワイン煮、とんこつ、ローストビーフ、刺身、サラダ、スープ、粥。各国の料理を縦横無尽にエピソードと共に取り上げながら、最後には各国料理の根底に流れる、「調理と言う技術の持つ普遍的意味」を明らかにする「料理の四面体」に到達する。熟練の料理職人なら身体で覚えている常識でもあるだろうが、これは調理技術を体系化し、ビジュアル化しようという、一種の思考実験として成立していた。よくできた食に関するエッセイ。

さっそく本屋で探して同じ著者の「パリ 旅の雑学ノート」なんてのも買ったっけ。日本の文化は、知らず知らずのうちに徹底的にアメリカに侵食されているので、フランスの日常を描く本というのは、いつでも新鮮に思える。パリの庶民が夕食にいつも食べるのが、ビーフステーキとフリット(フレンチフライ)で、一人当たりの牛肉消費量はフランスのほうがアメリカより多いなんて知って新鮮な驚きを感じたのも、最初は玉村豊男の本だった。

今回手に取ったのは、「食卓は学校である (集英社新書)」

第一講から第六講に分かれた授業形式をとっているが、内容は読みやすい食に関するエッセイ。

西洋料理と日本料理の供され方の違い、食し方、マナーの違いや、年代による食の変化や伝播など、玉村豊男は、平易で印象深いエピソードを重ねて、実に分かりやすく解説してみせる。田舎の温泉旅館が宴会に古いマグロの刺身を出す理由、中国人はなぜフランス料理が嫌いか、フランス人がビーフステーキを食べるようになった経緯、ユダヤ・イスラム教で禁忌とされた豚肉が、なぜキリスト教で許されたかなど、歴史と風土が食に与えた実に興味深い影響を玉村節で平易に解説されると、なるほどと実に得心がゆく。やはりこの人は文章が巧い。

「料理の四面体」や他の著作と重複する部分も多々あるのだが、後書きによると、玉村はこれまで60冊以上の本を出しているのだがすでに2/3が絶版となっており、本書が食に関して書く集大成かつ、ある意味「最後の授業」なのだという。どの章も実に面白かった。

考えてみると、食に関する本には結構興味があって、昔から見つけるとよく買っていた。

「丸元淑生のシステム料理学―男と女のクッキング8章」、壇一雄の「檀流クッキング」、邱永漢の「食は広州に在り」、荻昌弘の「男のだいどこ 」、吉田健一の「私の食物誌」、丸谷才一の「食通知つたかぶり」、池波正太郎のエッセイ等々は、どれも昭和の食に関する名著といってもよいが、オリジナルはみんな絶版。しかしどれも最近文庫で復刻版が出ており、ほとんど買いなおすことができる。

食というのは常に人間の生活と共にあり、食べるというのは人間の根源的な欲望。食に関しては、今後も様々な本が出て読まれるてゆくだろう。しかし、最近では、上記に挙げたような普遍的な食を語るエッセイ分野で、読み継がれて行くような名著があまり出ていない気がする。日本の食事情の裾野が広がり、あまりにも多様化し、逆に対象が拡散し過ぎているからだろうか。分野を定めた「寿司本」に関しては、それなりになかなか面白いものが次々出版されていると思うのだが。



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