97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
物語は語り継がれるに違いない
宮城出身の某氏と雑談してると、80歳の母親が宮城で一人暮らしだったのだが、震災後、避難所から電話が来るまで1週間音信普通だったと。ただ、年寄りばかりの集落だが、ある程度の高台で、土地柄もあり津波には慣れてるので、安心はしていたと語る。

三陸のリアス式海岸に津波が押し寄せると、湾が狭く、水深が浅くなるにつれて、波が一気に高くなる。三陸は津波被害の長い歴史があり、英語の「TUNAMI」は、日本語がそのまま英語になっているほど。最近の新聞報道でも、津波被害を避けるための三陸ならではの知恵が紹介されていた。

てんでんこの知恵

地震があったなら、家族であっても気にせず、それぞれがただ一心に高台に逃げろ。それが津波から一人でも大勢が助かる知恵。

先人の石碑、集落救う

「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」とある石碑が集落にあり、言い伝えでそこより下には誰も住まなかったため、津波被害を逃れたという。

避難所の映像を見ると、結構お年寄りが多い。この三陸のお年寄り達は、子供の頃から、昔のじいさま、ばあさま達に、「地震があったら、何があっても家に戻ってはならない。一心に高いところに逃げろ」と教わったに違いない。三陸の津波被害を避ける知恵は、今でも受け継がれていた。

今回の震災に遭遇し、そして生き延びた子供達は、常磐、三陸の復興を支える未来への希望である。信じられないような恐ろしい災害、そこから生き延びた知恵、そして震災直後から始まった復興への人間の力強い物語を、彼らはずっと語り継いでゆくに違いない。その子供達へ、そしてその孫達へも。

すべてを飲み込んだとてつもなく恐ろしい黒い波、はぐれた子供達を捜しに戻り帰ってこなかった先生、勇敢な消防士達、廃墟の中で黙々と働きそして静かに帰っていった逞しい自衛隊員達、朝から晩まで、倒れる寸前まで働きながら誰にでもやさしかった医師や看護師、全てを失いながらも避難所で自分達の頭をなで菓子を握らせてくれたじいさまやばあさま、そしていつも明るく誰もを励ましたボランティア達の物語を。


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