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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」
「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」を見た。

オリジナルの「猿の惑星」シリーズは、1960年代から70年代にかけて映画シリーズとしてヒットして5本制作された。その後、2001年にティム・バートンによるリメイクが1本あり。今回のものは2001年バートン版と関係あるのかと思ったが、新しいシリーズの第一作とのこと。

オリジナルのシリーズの感想は過去日記に書いたが、猿の支配する世界に迷い込んだ人間を巡るストーリーには、奴隷制度、人種差別、公民権運動、キリスト教原理主義、東洋と西洋の対立など、アメリカの暗部が反映されていた。頑迷固陋な支配者かつ差別者である猿の、人間に対するあからさまな蔑視は、白人の有色人種差別の戯画ともいえる。

1968年のオリジナル第一作での、見捨てられた自由の女神像が海岸にあるシーンは、西洋文明が灰燼に帰したことを象徴的に現わす黙示録的シーンとして観客に大きな衝撃を与えた印象的なもの。

今回の「創世記」舞台は、猿が支配する未来世界ではなく現代。アルツハイマー治療薬を投薬された猿が知性を獲得し、自我を持って人間に反逆してゆくというもの。猿の支配が確立した世界を描いたオリジナル第一作よりかなり前の時代を描いているために、オリジナルにあったような差別に対するアイロニカルな社会メッセージ性には若干欠けるものの、それなりによくまとまっている。

知性を得た猿のシーザーという名前は、オリジナルシリーズ第3作で、猿の夫婦コーネリアスとジーラの間に生まれる息子と同じ名前。一種のオリジナルへのオマージュか。

シーザーが映画の中で最初に発した言葉が「No!」であったというのはなかなか印象的なエピソード。しかし、薬の影響で知性が発達したとはいえ、なかなか言葉は発さないし、ウッホウッホと部屋を飛び回る姿はやはり単なるおサル。もっと初期から言葉を発して人間とコミュニケーションを取り、観客からの共感を得てから動物収容所で虐待されるほうが、演出上は反乱部分のカタルシスがあったような気がするのだが。この映画では、興奮して人間に危害を加えた悪いサルは、懲罰受けて当たり前という気がしてしまう部分があるのだなあ。

アルツハイマーの治療薬であり、想定外に試験投与された猿の知能を高める薬ALZ113が、ウイルス薬であり感染してゆくというのは、最後のエンドロールの背景で効いてくる。汚染が全世界に広がって行く恐ろしいイメージ。しかし薬の開発者の隣家に住むパイロットは最初から最後まで踏んだり蹴ったりで、実に気の毒な気が(笑)。

ミュアウッズ国立公園のレッドウッドに登り、ゴールデンゲイトを超えてダウンタウンを眺める知性を得た猿達の姿は、サンフランシスコを懐かしく思い出した。

帰宅後、そういえばティム・バートン版の「猿の惑星」はあまり覚えてないなと思ってDVDで再観賞。しかし探すと、過去日記にちゃんと感想が書いてあった。つい最近と思ったが10年も前。それは忘れるよなあ。

ティム・バートン版は、猿の惑星サーガを一本にまとめたような出来で一作で完結するもの。結末はピエール・ブールの原作に近い。人間をかばう猿が、「Human Lover!」と罵られる場面は、明らかにオリジナル同様に人種差別が投影されている。まあ、原作小説を書いたピエール・ブールは第二次大戦で日本軍の捕虜になった経験から、日本兵を猿に仮託しているらしいのだが。

実際の西欧社会でも、有色人種は白人に比べれば知的に劣った存在であるという説は根強く、それを証明しようとした白人学者(まあ有色人種の学者がそんな事を証明しようと躍起にならんよなあ)が、いかにこじつけに近い説明をしていたかは、例えば
「人間の測りまちがい〈上〉―差別の科学史 (河出文庫)」などにも多数例示されている。そうだ、これも本棚のどこかにあるはずなので、また再読してみないと。


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