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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
「吉例顔見世大歌舞伎 初世松本白鸚三十三回忌追善」夜の部
三連休最終の月曜は、歌舞伎座の「吉例顔見世大歌舞伎 初世松本白鸚三十三回忌追善」夜の部に。

取れたのが一階二列目、しかもかなり上手寄り。勧進帳で言うと富樫の背中を見るようなポジションで、舞台は実に近いが、中心から角度があって、見づらいといえば見づらい。

最初の演目は、「御存鈴ヶ森(ごぞんじすずがもり)」。 江戸の人気者であった白井権八と幡随院長兵衛がである場面を描いた一幕物。これは以前にTVで放映された「俳優祭」で、主役二人を、まだ子供である染五郎と松緑の長男が演じ、大物俳優がゾロゾロと斬られる脇役で登場するという趣向で見た事がある。

寂しい江戸の外れ鈴ヶ森に、出雲から江戸に逃げるお尋ね者白井権八が通りかかると、賞金狙いの雲助たちに襲われる。権八がバッタバッタと雲助たちを切り捨てる。「だんまり」の愉快で大仰な芝居を笑いながら見てるうちに、幡随院長兵衛が通りかかり、「お前やるじゃねえか」と意気投合して江戸に去って行くという、実に単純で痛快な一幕。

色白の二枚目ながらバタバタ人を斬る、色気と凄みのある権八を菊之助が印象的に演じている。松緑も、殿様や色白の二枚目には似合わないが、侠客や豪快な奴(やっこ)役は引き立つ。

しかし悪い雲助がたむろしている場面を観ると、「お前ら昔で言うたら駕籠かき雲助やないか」とタクシー運転手に暴言吐いて訴えられた横山やすしを懐かしく思い出すのであった(笑)

幕間にイヤホンガイドで初世松本白鸚のインタビューを聞いていると、YouTubeで見た二代目尾上松緑の語りと、どこか調子が似ている。高麗屋三兄弟なのだから当然といえば当然か。何代も前から幸四郎、吉右衛門、團十郎、松緑家は、血脈が深く交錯しているのだった。



次の演目は、「歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)」

初世松本白鸚(八世幸四郎)の三十三回忌追善で、孫の染五郎が代々の幸四郎が得意とした「勧進帳」弁慶役に41歳にして初挑戦。父親の九代目幸四郎が富樫を、叔父である二代目吉右衛門が弁慶を務めるという豪華な布陣で、この公演でも屈指の注目を集める一幕。

染五郎は高麗屋の御曹司として生まれながら、弁慶役者の「ニン」ではない、と評され続けてきた。「ニン」というのは、その役者が自然に持つ雰囲気であり、役柄が要求するその役の「らしさ」でもある。「ニンに合っている」、「ニンにはまる」ともいうが、弁慶というのは歌舞伎「荒事」の典型的な役であり、天衣無縫な豪快さが役者に求められる。

その荒事のニンに合わない、ニンじゃないと言われ続けた歴史。染五郎自身が監修した本でも、「私は弁慶役者ではない」と書いていたのがあった。

さて、その染五郎弁慶であるが、口跡は明瞭。所作もメリハリがあり、随所に、豪快さを出そう、大きく強くという意志を感じる。自然にやった豪快さではなく、稽古を積んで、声の低さも懸命にコントロールした努力を感じる弁慶であるが、それでもきちんと成立している。

まして当代で弁慶をやらせたら第一人者の親父、幸四郎と叔父の吉右衛門が揃って脇を固めているのであるから鬼に金棒。今年見た海老蔵の弁慶は、途中で台詞から魂が抜けて言葉が上滑りしているように感じることがあったが、この夜の染五郎は、一点一画をおろそかにしない、まさに「楷書の如き弁慶」であった。初役としてはお見事。

最初の花道の出、義経主従が花道で並び、義経が「弁慶、よきにはからい候へ。かたがた違背すべからず」と語るところで、染五郎弁慶よりも吉右衛門の義経のほうが大きいのはまあ御愛嬌。幕外の引込み、最後の飛び六法は観客からの万雷の拍手で送られる。

この辺りで所々帰る人あり。


最後は、「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら) すし屋」

これも有名な演目。最初に出てくる田舎娘の恋は、「野崎村」にもちょっと似ている。歌舞伎では、首実検の首は必ず別人だし、田舎娘の恋は実らないんだなあ(笑)

本来は関西が舞台の演目だが、菊五郎演じる「いがみの権太」が舞台に出てくると、粋な江戸の風に舞台がパッと明るくなるような雰囲気。これが大名題の貫禄か。弥助実は三位中将維盛の時蔵と、お里役の梅枝が長々とやってる部分は、なんだか場がダレで、失礼ながらあんまり魅力が無い。オーラを感じないというか。しかし菊五郎が出てくると一気に場が締まる。左團次はいつもの調子で、妙に大雑把な味がある。

関西で「ゴンタ」というとイタズラで言うこと聞かないガキのことだが、「いがみの権太」から来ていたとは初めて知った。イヤホンガイドは勉強になりますなあ(笑)

ただ、さすがの菊五郎も、ラストの延々とした述懐は場面が長すぎて、若干ダレる気がしたのだが。

鳥を絞める時のような小さく哀れな声で「ウヤヤ~!」とヘナチョコな大向うをかける爺様の声は、前日の昼には聞かなかったので休んでるのかと思ったら、今夜の勧進帳では時折、幽かに声が聞こえたような。段々と声が小さくなってる気がする。あんな声でもかけるのを止められない。人間の業ですなあ。もうそろそろお迎えが来るのではと他人事ながら心配だ。

と思えば、一階席後ろの方から、街角で道の向うにいる友達に気づいて「お~い、山田ぁ~」と呼びかけるような張りの無い普通の調子で、「こうらいや~」とか声かけてたのがいたが、友達じゃないんだから、やはりもうちょっと考えてほしいと思うのであった(笑)



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