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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
歌舞伎座「八月納涼歌舞伎」第三部、第二部。
仙台から帰った翌日の今週火曜日、夜は「新橋鶴八」で軽く一杯やって6時ちょっと過ぎに勘定。「八月納涼歌舞伎」第三部見物に歌舞伎座へ。新橋駅からタクシーに乗ると歌舞伎座前までスイスイ。ドライバーは女性だったが「新橋駅から一度も信号に引っかからずに来ました」と。偶然が重なるとあるんだなあ。入場してもまだ開演まで15分あり。余裕の到着。

第三部は「新版 雪之丞変化(しんぱん ゆきのじょうへんげ)」。昭和の舞台やTVで人気を博した原作の時代小説は、以前に歌舞伎化されているのだが、今回、玉三郎が演出と脚本を改めて上演。

スクリーンが頻繁に出て、映像と芝居が交互に連鎖して物語を紡いで行く。しかし映像のほうは、それほどまでの効果は無かったかな。中車自慢の顔芸を歌舞伎座にドアップで流す効果はあったけれども。中車は映像も含めて5役を演じるのだが、ちょっと一本調子な気が。映像の多様はしかし、ちょっと歌舞伎風ではないかもしれない。

立役としての七之助と中車が、舞台上の設定では玉三郎よりも先輩で格上の役者だという演出は、なかなか本人達にはやりづらくて大変だったのでは。

歌舞伎の人気女形が、両親を冤罪で殺された恨みを晴らす。七之助が男役で演じていると、時として勘三郎の面影がよぎる。横顔と声の質がやはり似ている。勘九郎も勿論似ているのだが。やはりDNAだねえ。

敵討ちが果たされた後の虚無感。そして舞台の最後は綺羅びやかな「元禄花見踊」に。これは、ちあきなおみの「喝采」ラストを思い出した。

何時ものように幕が開く
降りそそぐライトのその中
それでも私は今日も恋の歌うたってる

何があろうと眩いライトの下で観客の望む幻影を演じざるをえない芸能者の悲しくも美しい宿命を描いた一幕。

翌日もまた「八月納涼歌舞伎」第一部。各部とも違う日を取ったが、八月納涼は三部制で時間が短く、一日通しはしんどくとも2部位は通して2日で観劇でも良いかもしれない。

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最初の演目は「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」

七之助は甥達を従えて初役で政岡。玉三郎に習ったと筋書に。女形屈指の大役であるが、きちんと無難に演じている印象なのは、やはり役者としての勘が良いのだろう。

前席にやたら座高が高く、髪型が正方形のオバさんがおり、「まま炊き」部分は、屏風も窯も七之助が演じる一角が、頭でまったく見えなかった。まあ見えてもお茶事の作法など分からない(笑) 昔、六世歌右衛門が、他の女形の公演に「まま炊きはやらないように」と邪魔したという話があるらしいが、あの部分は結構冗長。お茶の心得がある人以外には訴求する要素がないので、あまり要らないのではなどと思ってしまう。

傾斜のある二階席、三階席だと「前ノメラー」が問題なのだが、一階席では、座高が極端に高い人が前に居ると困る。近年、学校の身体測定で座高は測らないようになったらしいが、身長の成長と相関が無いとか。確かに婆さんなのにやたら座高が高い人も居る。こればかりは運不運がある。

幸四郎は「先代萩」で八汐と仁木弾正の二役。憎まれ役の八汐は立役が演じるのが普通だが、仁木弾正も二役というのは納涼歌舞伎ならではの配役か。幸四郎は2つ目の「百物語」でも舞踊を。二部の「弥次喜多」では主役で出ずっぱりの活躍。第三部も出たかったかもしれないが、中車に5役もやられては演ずる役が無かったのかもしれない(笑)


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