97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
週刊新潮が報じたスキャンダル
「「週刊新潮」が報じたスキャンダル戦後史」を興味深く拾い読み。昭和40年代や50年代の週刊新潮の記事を中心に、この週刊誌が報道してきた様々な事件記事を再掲したもの。

引越しの時に、古新聞や古雑誌が押入れから出てくると、なんだか無闇に面白くて、読みふけってしまうことがあるけれど、そんな感じで楽しめる。「そういえばこんな事件があったなあ」、なんてのもあるし、初めて知るような事件も。

昭和天皇第三皇女の夫である鷹司氏が、バーのマダムのマンションで死体で見つかったなんて事件は、昭和41年のことだそうだが、全然知らなかったなあ。現在であれば、とんでもない報道の嵐になっただろうが、当時はまだ皇族関係に対する報道には、やはりある種の遠慮があったことを窺わせる。

昭和35年の皇太子(現天皇陛下)を巡る記事や、昭和49年の三笠宮を巡る記事などでは、彼らに対して、何か職業についたほうがよいのではという言及も見られる。今となっては、皇族自体が「職業」でごく当たり前のようになってるのだが、この辺りの世間の感覚も、知らないうちにずいぶん変わって来てるのかもしれない。

たまに週刊誌の古い記事を読むと、事件に対する社会のスタンスの相違から、社会全体の通念というものの長年の変遷が分かる気がして、実に興味深い。

底意地の悪い視点から、自分を棚に上げて偉いのをこき下ろす。良くも悪くもそれが週刊新潮独特のスタイルを形成しているのだが、昔の記事には、なにか今よりも風格のようなものがあり、今の週刊新潮の記事よりずっと読み応えがあるように感じる。

勿論、この本には名作記事を抜粋しているということもあるのだろうが、昔の記者のほうが、取材に金も時間もかけて、記事を練り上げていたのではないだろうか。

今の週刊新潮には、ひょっとして、「2ちゃんねる」からネタを漁っただけではないだろうかと思える、実に程度の低い罵倒記事が多すぎる。取材することで金貰ってる記者が、インターネットの便所の落書きを信じてどうする(笑)。昔と比べて、記者の質もずいぶん落ちてる気がするのであった。



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コメント
この記事へのコメント
>底意地の悪い視点から、自分を棚に上げて偉いのをこき下ろす
週刊新潮って読んだことないのでわかりませんが、そんなに変わったのですか。
まあでも自分の関心のない人物はあまり悪くも良くも書けないから、ある意味良くも悪くも興味があるってことかもしれませんね。

>、「2ちゃんねる」からネタを漁っただけではないだろうかと
記者が記事を漁るどころか2○ゃんねるに書き込みしてたり叩いたりしてたら何だか嫌ですねぇ。そんなところに書き込みしたり読んだりする時の記者の様子を見てみたいですよね(笑)
2010/07/05(月) 01:35:04 | URL | あのん #VttPGAsU[ 編集]
>あのん様

昔、ホリエモンが、インターネットがあったら新聞やTVのニュースなんていらないといいましたが、ネットには取材能力などないので、やはり生身の新聞やTVの記者の取材というものが必要だと思いますね。

ネットに流れてるのは、コピペの二次情報と、出典の分からない風説で、こればかり信じたらエライことになりますから。

Twitterの可能性を説く人もいますが、個人が店や本探す程度のことには便利でもそれ以上の事には対して役立たないんじゃないかと思ったり。

2010/07/05(月) 08:42:04 | URL | Y. Horiucci #-[ 編集]
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