97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
「原発事故はなぜくりかえすのか」
「原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)」読了。

著者の高木仁三郎は、原子力資料情報室の代表を務め、原子力利用に警告を発し続けた、反原発運動の良心ともいえる市民科学者。

この本は、大腸がんの闘病生活中であった著者が、1999年に日本を震撼させたICO臨界事故を目の当たりにし、どうしても最後に書き残したいと病床から口述筆記で取り組んだ遺作。録音起こしには一度手を入れたが、初校ゲラは見ることなく永眠。本は2000年に出版された。

反原発の本というと、どうしても広瀬隆の、推進派に対する口汚い罵倒や攻撃、人を怖がらせるための極端な誇張に満ちたレトリックを思い出してしまう。しかしこの本は実に冷静な筆致で、誰を攻撃することもなく、なぜ原子力事故は繰り返すのか、技術と人間のありかたから、なぜ我々は原子力をコントロールすることができないのかを静かに語る。原発廃絶への道に明かりを灯し続けた著者の人格が反映されているような本。

技術論というよりも、文化論として読める部分も多く、核化学の学者として、原子力推進の黎明期に放射性物質を実際に自分の手で扱った著者の生の体験も随所に生きている。

後書きには本人の最後のコメントとして、
「残念ながら原子力最後の日は見ることができず、私のほうが先に逝くことになりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは目にしたかったです」

とある。そして、

「なお、楽観できないのは、この末期的病状の中で巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期病状による大事故の危険と、結局は放射性廃棄物がたれ流しになってしまうのではないかということにたいする危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。」

と続く。実際には高木仁三郎が死の床で、後に残る者たちのために心配してくれていた通りのことが、不幸にも起こってしまった訳で、なんとも暗澹たる思いがするのだった。

私自身は文系の勤め人で、勤務先も原子力とは何の関係もないが、チェルノブイリ事故に興味を持ち、ずっと昔から、ウラルの核惨事や、ウィンズケール事故、TMI、エンリコ・フェルミ炉事故など、原発事故の本を読み漁ったし、広瀬隆の過去の著作もほとんど目を通している。電力会社や原子炉メーカー、原発推進派に、ある意味遮蔽体質とも呼ぶべき感心しない行動がある事も、もちろん本を通じて昔から知っていたけれども、正直なところ、これほどまでに甚大な原子炉事故がこの日本で起こるとは、まったく想像もしていなかった。

個人的には、特に原発推進が必要だという考えも持ってなかったが、反原発運動を応援したこともない。それでも、この本を読むと、ここに至る前に、どこかに別の道への岐路があったのでは、我々はどこかで違う選択をなし得たのではなかったかと、そんなことをついつい考えこんでしまうのだった。


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