97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
A3【エー・スリー】
週刊誌の書評で見て気になっていた、A3【エー・スリー】をamazonで購入、読了。オウム真理教の麻原裁判を扱ったドキュメンタリー。

著者、森達也の視点は常にオウム側に同情的だが、やはり麻原と幹部が逮捕された後にオウム教団にドキュメンタリーの取材に入ったことから、残った信者達に最初から味方として遇されたからではないか。教団には既に凶悪な犯罪を実行した幹部クラスは全員いなくなっており、あとは途方にくれる真面目でおとなしい信者ばかりだった。もしもオウム批判をした江川昭子のように、毒ガスで殺されかけていたら、教団に対するスタンスはまったく違っていただろう。

本作で描かれるのは、逮捕後の教祖麻原の様子。第一審裁判の過程でも、奇矯な言動が見られたが、一審での死刑判決後、拘禁反応とみられる精神崩壊が更に進んだとされ、現在では麻原とはまったく意思疎通が行えないと弁護士は述べる。これを理由に書類を提出せず控訴手続きをずるずると引き伸ばしていたのだが、裁判所の決定により控訴打ち切りになってしまい、あっけなく一審の死刑が確定してしまったのは報道でも取り上げられた。

刑事訴訟法では、被告が心神喪失に陥った場合は訴訟手続きを中断すると定められている。この裁判もいったんストップし、麻原の拘禁性精神異常を治療してから継続すべきだったが、裁判官が麻原の現実を見ようとせず、「なんでもいいから早く吊るしてしまえ」という社会の雰囲気に迎合した判断を下したと著者は非難する。

著者の取材によると、麻原はいつも失禁状態でオムツをつけており、独房は汚物が垂れ流しでまるで動物園の檻のような匂い。風呂にも自分では入れず、看守がデッキブラシで水をかけながら汚物にまみれた麻原の身体を押さえつけて洗う。面会に訪れた弁護士や実の娘の前でも、麻原との意思疎通はまったく無いのだという。

オウム教団と関係を絶った麻原の四女は、自著で麻原の行動は詐病だと述べているのだが、本当のところはどうなのだろうか。

森達也は、いわゆる運動家ではない。ドキュメンタリー映画監督でもあり、何事も一歩引いて傍観者的に斜に見る構えがあるから、左翼臭が若干少ないのだが、やはりスタンスは左寄りに思える。

死刑問題を扱った著作、「死刑」 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思うでも、森達也は注意深く言葉を選んでいるが、本人が死刑反対の立場なのは明白。「A3」でも、極端な主張は隠されているが、本人の本心は、「麻原は悪くない。追い詰めた社会が悪いんだ」というところなのではないかと思える。まあ「そんな事書いてない」と言われればその通りだが。

「なんでもいいから早く麻原を吊るせ」という世論を批判して、「父よ彼らをお許しください。彼らは何をしているか自分でもわからないのです」とルカ福音書、磔刑の場面のキリストの言葉を2回も引用しているのもどうも気になるところ。

森達也は、自己弁護には大変長けているので、「自己陶酔に聞こえるが」とわざわざ注釈をつけているが、自らをキリストに例えて大衆の愚かさを述べているのなら、やはり本人が言ってる通り鼻持ちならない自己陶酔でしかない。死刑廃止論者には、この手の人が多いのでは。「大衆はアホやから死刑容認、でも俺達は賢いから違うのだ」と自己陶酔にひたっているのだろう。

麻原の裁判に関しては、死刑以外の判決はあり得ない訳で、本人が心神喪失でも結論に差は無い。森達也は、麻原に都合のよい事は信じ、都合の悪いことには疑念を抱く傾向が見えるのだが、一審の判決後独房で「なぜなんだ、ちくしょー」と麻原が怒鳴ったのを聞いたとの看守証言がある。これを信じるなら、少なくとも一審判決までは一応正気が残っていたと思えるのだが。

まあしかし、麻原の子供に対しておこなわれた就学差別(高校や大学が入学試験合格後に入学を拒否等)やオウム信者の住民票受理の拒否などは、あきらかに憲法に定める基本的人権を無視した不当な行為。麻原の子弟だからといって差別され虐げられた事には同情するし、そのような行為は決して許されるべきではないとは思うけれども。

ただ、不思議なのは、獄中の弟子が教団初期の麻原が数々の不思議な力を披露したと語っていること。それは単なるハッタリだったのだろうか。それとも本当に麻原には不思議な力が。まあ、そんな力が一時は宿っていたとしても、既にそれは麻原の身体から去っており、独房に残されているのは、自らの糞尿にまみれた狂気の男なのだが。

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