97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
「昭 田中角栄と生きた女」
「昭 田中角栄と生きた女」読了。

以前、文藝春秋に掲載された、「田中角栄の恋文」が面白く、過去日記でも感想を書いた。角栄の後援会を差配して「越山会の女王」と呼ばれ、角栄の最側近の秘書であり私生活では愛人でもあった佐藤昭子(後に昭に改名)の死後に、自宅金庫から見つかった角栄の手紙を紹介した記事。本書は、佐藤昭の実娘佐藤敦子が、角栄の手紙や母親が残した写真と共に、父親角栄と母親、そして自らの人生を語る本。

著者の母親、佐藤昭が書いた「私の田中角栄日記」も、田中角栄の素顔を描写した実に興味深い本だったが、この本にも田中角栄や佐藤昭の素顔を伺わせる興味深い描写が満載。

政治家や財界人には、本妻以外に外に女性がいるのがごく当たり前だった昔の話ではあるのだが、田中角栄と佐藤昭をめぐる関係は実にドロドロしたもの。敦子が生まれた当時、佐藤昭は二度目の結婚をしており別に夫がいた。角栄の手紙を見れば、角栄が敦子をわが子と認識していたのは明らかだが、法律上認知しておらず佐藤昭の前夫との籍に入ったまま。

角栄は他にも神楽坂の芸者との間に家庭があったが、こちらに生まれた男子は田中家の籍に入れている。角栄の父親が上京した際、角栄はこの男子を自宅に呼んで自分の父親に抱かせた。相好を崩して母親の違う孫を抱く祖父を見て、まだ小学生だった田中真紀子は泣き出したのだという。

後に脳卒中で倒れた角栄のリハビリを中止させ、退院させて自宅に幽閉した真紀子は、後遺症で口の利けない角栄の頭をフライパンで殴ったなど、その猛女ぶりだけが伝えられているが、複雑な家庭環境には子供の頃から本当に苦しんだのだろう。その点は誠に同情する。角栄が倒れた後、事務所を閉鎖し、佐藤昭を含む秘書を全て解雇して関係を一切絶ったのも、おそらく真紀子の一種の復讐だったのかもしれない。

もっとも複雑な家庭に育った事情はこの本の著者も同様。子供の頃からデパートで何でもツケで買えるなど、金銭的には何不自由なく育ったものの、家庭の愛には恵まれていない。著者は事あるごとに母親と衝突し、成人してからも普通の恋愛をすることができず、リストカットや自殺未遂を繰り返すことになる。両親の愛情を求めながら、その関係を受け入れることができず、あえて背を向けて自暴自棄に走る葛藤は、これまた誠にお気の毒というしかない。

母親の佐藤昭も、自分の娘をどのように愛したらよいか戸惑うばかり。晩年に、「あんたとは相性が悪かったわね」と実の娘との関係について乾いた感想を述べる場面も印象的。

角栄との男女の関係が途絶えた後の母親の色恋沙汰や自らの様々な蹉跌、バブル崩壊によってほとんどの財産を失った経緯など、ここまで書くかと思う部分もあるのだが、母親の死後3年が経ち、自らにまつわる血の絆を冷静に振り返り過去を清算するためには、逆にここまで語らずにはいられなかったのだろう。

高度成長下の日本、列島改造論をひっさげて総理大臣にまで上り詰め、今太閤と呼ばれた栄華から転落していった政治家田中角栄と、それを支えた女傑の抜き差しならない関係を、その娘が克明に描いた鎮魂の書でもある。


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