97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
木島被告死刑と裁判員裁判
木嶋佳苗被告に死刑判決

裁判員は100日拘束されたのだそうだが、実に大変な仕事。被告を殺人に直接結び付ける物証はなく、自供もないから、状況証拠だけで死刑を下すのはなかなか過酷な判断だったのではないか。

付き合ってた男性3名が、みんな木嶋被告が購入した記録のある練炭と同型の練炭で自殺、事故死しているという点は、どうみても普通の状況であるとは思えない。今時練炭コンロなんか使う人だって稀なのだからあまりにも怪しいのはその通りだった。捜査過程でも完全黙秘を貫いたふてぶてしいところは和歌山カレー事件の林真須美を思い起こさせる。細かい法廷の様子などはチェックしてないから知らないが、証言を通じた心証も真っ黒だったのだのかも。

まあ判決は判決として、このような死刑事案で、裁判員に量刑の判断にまで参加させる事に関しては、過去日記に書いたことと考えは変わっていない。

死刑という人の命を奪う究極の刑罰の認定を市井の人間にやらせるのは行き過ぎだ。プロとしての訓練を受け、職も保証され、その果たす重責に見合った高い報酬を得ている職業裁判官達だけが引き受けるべき重荷のはず。裁判員には「人に死刑を課してしまった」という心の重荷に対して何の見返りもないのだから。

犯罪に対する厳罰化を求める流れを受け、判決が甘い甘いと糾弾され続けた裁判所が腹を立て、そんなに言うのならお前らも判決下してみよと一般国民を引きずり込んだのが裁判員制度ではないかと勘ぐっているのだが、裁判員にも判決の重荷を背負わすのだったら、軽減されたその分だけ裁判官の給料を低くしてもらわないと話が合わない。

もちろん、被告が真実を述べているか、反省しているか、あるいは虚言を繰り返しているのかの認定は、必ずしも法的知識は必要なく、狭い世界にだけ住む職業裁判官よりも、広い人生経験がある市井の人々判断のほうが妥当だという理論はありうる。アメリカの陪審員制度も、裁判に国民の正義に対する感覚を反映するという意味がある。

しかし、アメリカの陪審員は有罪か無罪かを決めるだけ。量刑はプロの裁判官が決定する。これがやはり普通であって、日本の裁判員制度でも、それでよかったと思うがなあ。
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