97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
フォアグラの拷問
1日からフォアグラ禁止=駆け込み消費、反発の声も―米加州

日本ではレバ刺しが禁止になったが、7月1日からアメリカ、カリフォルニア州ではフォアグラが店での提供やスーパーでの販売禁止に。フォアグラの製造過程が残酷だという理由らしい。

カリフォルニア州やハワイ州では、既に中華食材のフカヒレも捕獲手段が残酷だということで販売禁止になったが、フォラグラも同じ運命に。アメリカは州の独立性が強く州単位で自由に法律が制定できるから、時折極端な法律が成立するのだよなあ。

フォアグラの製造は鴨に無理やり餌を食わせるのだという事は知っていたが、実際にはどんな畜産が行われているのか、YouTubeを検索すると、フォアグラの製造がいかに鴨を虐待しているかを取材したビデオがアップされていた。



大量に人工孵化された鴨の雛は、まず最初に選別されメスは全て間引かれる。ある程度成長したオスの鴨は、何週間か野外で育つが、その後、一羽ごとに身動きできない狭いケージに入れられ、日に2回、穀物と脂を混ぜた餌をポンプで強制的に胃に充填され、無理やり脂肪肝の状態に。この段階で病気になって死ぬ鴨が大量に出るが、最後まで生き残った鴨の肝臓がフォアグラになる。

まあ、確かに残酷ではあるのだが、ブロイラーや牛肉、豚肉の生産過程と比べて、飛びぬけて残酷かというと若干判断に難しいところ。

原始的な牧畜は1万年以上前から行われており、野生動物の狩猟に依存するリスクを低減して人類の生存に役立ったし、近代以降の牧畜の工業化は、貧しい人々の食卓にも畜肉が供給される大量生産を可能にした。しかしやはり畜肉の大量生産というのは、動物虐待と紙一重のところがある。

ただ昔から、人間は他の動物の命を奪う事で生き延びてきたのだし、それは雑食の人類という種の背負ったある種の業なのだよなあ。人間は、野の青草だけ食って生きていけるようにはなっていない。

「自分が生きるために他の生物を殺してよいのか」という根源的な問いは、実は古代から人の心を捕らえたと見えて、例えば旧約聖書には、「動いている命あるものは、すべてあなたたちの食料とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える(創世記9-3)」との神の言葉がある。神様も許してくれたので食べてよいのだという理屈になっているのだった。

フォアグラの場合は、命をつなぐために食するのではなく、もっと美味いものを食う為に、更に余計に家畜を虐待してよいかという問い。フランス人が「残酷だから止めろ」と言われたら、「これは自国の食文化だ」と即座に反論するだろう。確かに鴨に無理やりに餌を食わせてその肥大した肝臓を食べるというのは、よほどの食に対する貪欲な追求の集積と執念がないと思いつくことではないよなあ。


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コメント
この記事へのコメント
生と死についての単語が「不適切な投稿」に引っかかるのかなぁ・・
システムからコメント拒否されました(笑)。
2012/07/02(月) 09:18:05 | URL | taka #xJy3ruYo[ 編集]
書き込み単語のチェックはしてないと思うんですが変ですね。
2012/07/02(月) 11:27:01 | URL | Y.Horiuchi #-[ 編集]
フォアグラは惨いと思うんですが、それじゃ毎日喋りかけてビールのませてマッサージして・・って和牛は幸せなのかというと、結局、食われるために(殺されるために)育てられるわけで、幸せとはおもえないんですよね。

命ってのは他の命の犠牲の上になりたってるわけで、常に食べ物に対しては元の命への感謝の念を忘れないように・・ってのが自分にできることかなぁ、と思ってます。
2012/07/02(月) 19:39:02 | URL | taka #xJy3ruYo[ 編集]
まあ、野の青草だけ食べて生きてゆければ別ですが、そうはゆかないですからねえ。takaさんのおっしゃるとおり、糧となった命に感謝するということですかね。
2012/07/02(月) 20:44:14 | URL | Y. Horiuchi #-[ 編集]
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