97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
東日本大震災から2年経って思うこと
東日本大震災から丸2年。時の経つのは本当にあっという間だ。

揺れが来た時は、都内のオフィスにいた。何度も地震の揺れは経験しているが、今まで経験したことのない長周期の激しい揺れ。鉄筋のビルがギシギシ軋んでいた。強い余震が何度も。情報収集でつけた会社のTVでは、凄まじい津波の襲来映像が次々と流れる。恐ろしい被害を目の当たりにして暗澹たる気分に。

東京の交通機関は全て麻痺していたが、徒歩で帰宅できたのが幸い。帰宅途中で新橋の「しみづ」に。予約してなかったが、キャンセル続出で店はガラガラ。東北地方の豊かな海はどうなるだろうかと話したのを思い出す。

その夜には、既に福島第一の電源喪失と冷却が困難になっていることが報道され、不安な一夜に。就寝した後も、携帯の緊急地震速報で何度も叩き起こされる。あんなバカでかい音が鳴るとはそれまでまったく知らなかった。システムの障害から、結果的に誤報が連発されていたのだが、震源がどんどん関東に近付いてくるので、あわや日本沈没かと不安に感じたなあ。

翌日の土曜日は朝からずっと震災被害を伝えるTVにかじりついていた。午後になって、原子炉工学の学者が原子炉冷却について解説中、1号機建屋が水素爆発で吹っ飛んだ。ライブ映像が流れるスタジオを支配した唖然とした沈黙は今でも忘れられない。津波に続く新たな悪夢の始まり。

余震と爆発の恐怖に怯えながら、全交流電源喪失した原子炉を制御する作業は困難を極めただろう。しかしサイトからスタコラ逃げ出した者は誰もいない。吉田所長以下福島F1の現場は決死の覚悟でよく頑張ったと思うが、設計の想定を超えた過酷な事態は、やはり誰がやっても収拾不可能だったのだ。

帰宅した部屋では、エレベータとガスは一晩止まっていたが、それ以外のインフラはまったく異常なし。それ以降も計画停電や節電、物資の不足など、東京でも生活の不便は若干あったけれど、被災地の苦労に比べれば何ほどのことでもなかった。

2万人もの人が無念にも亡くなった恐ろしい大災害には今でも言葉がない。津波に呑まれるまで半鐘を鳴らし続けた消防団の親父や、役場が津波で崩壊するまで防災放送で避難を叫び続けた女性。人間の勇気と善なるものを深く記憶に刻みつけた震災でもあった。

原発事故に関しては興味があり、昔から何冊も本を読んでいたので、ある程度の予備知識はあったが、この2年で、またあれこれ調べてずいぶん勉強になった。言説から、誰が信用できて、誰が信用できないかも次第に明らかに。

危険を煽るデマを商売にするジャーナリストやタレント学者がいた。反原発運動で食っている海外の「反原発御用学者」も好き放題に危険を煽るデマを発信。日本で昔から反原発運動をやってきた運動家も、よいニュースは無視して恐怖を煽る事ばかり語る感心しない態度が多々あった。このあたりについては、「検証 大震災の予言・陰謀論 "震災文化人たち"の情報は正しいか」が参考になる。(ただこの本には、ところどころ相手に揚げ足を取られかねない粗雑な反証あり。まあ取り上げられたのが信頼できない連中だというのは間違いないが)

もちろん廃炉への道は遥か遠い。ズタボロになった原子炉のメルトダウンした燃料と増え続ける汚染水をどうするかの問題は長期に残り続ける。しかし原子炉の第一義的な危機は、まがりなりにも冷却水が循環できるようになった時にほぼ去っていたのだ。灼熱の燃料がズブズブ地中に沈んでゆき大爆発すると吹聴していた輩は結果的に間違っていた。構内MPの値も安定しており、福一近辺の大気にも海水にも新たな放射性物質の放出は検知されていない。

勿論、これからの我々は、広範囲に撒き散らされたやっかいな放射性物質と向き合って生きて行かなければならない。除染もまだまだこれから。原発近くの高濃度汚染地帯では、実際にはもう戻れない村も出るだろう。しかしそれでもなお、この世の終わりが来た訳ではない。

健康被害については、チェルノブイリの際、確定的影響で急死したのは28名。福島はゼロ。これがなによりも明確に、汚染の度合いが違う事を物語っている。住民が何も知らされなかったチェルノと違い、まがりなりにも食品汚染は測定されコントロールされていた。地震と津波により事故直後に付近の食品の流通がストップしていた事、そもそも海沿いで普段からヨウ素の摂取量が内陸のチェルノよりずっと高いはずなのも有利な条件。極端な反原発運動家は、被害が出たほうが自分の運動に好都合なのでいまだに危険を叫び回っている。しかし、普通に考えれば、若干の確率的影響はあるけれども、統計ではほとんど有意な差が出ないとの見積もりが正しいのだと思う。

まあ確かに、政府の対応も東電の対応も後手後手に回り、まずいところが多々あった。1000年に一度の大津波への対応はまったく想定されていなかった。これについては真摯な反省が必要。真相が隠されていたという陰謀論にはくみしないが、普段から準備しておけば、被害をもっと小さくする策があったのではとも思うのだ。

3月11日は、日本を襲った大災害の日として、誰にも忘れられないものになった。無念にも亡くなられた方のご冥福をお祈りし、まだ復興には程遠い被災地の現状を胸にしっかりと刻もうと思う。そして被災地に真の笑顔が戻る日が早く訪れるよう祈りたい。


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