97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
大鵬、「尽くし甲斐のありすぎた人」

今月号の文藝春秋には、先日亡くなった、不世出の大横綱、大鵬の夫人である納谷芳子さんが書いた「尽くし甲斐のありすぎた人」という手記が。

後援者である旅館の娘だった夫人を、大鵬が見染め是非にと、後援会長経由で縁談を持ってゆく。大鵬との馴れ初めは、過去日記にも書いた、大鵬の自伝「巨人、大鵬、卵焼き―私の履歴書」にも出てきた通り。この本は歴代の「私の履歴書」の中でも出色の出来。

時代は昔でもあるし、相撲界というのも封建的な世界。大鵬は、夫人の両親には娘さんをくださいと頭を下げたが、夫人には正式にプロポーズもなく夫人も結婚に対して返事もしてないという。まあ、そんな時代だったんだな。結婚の時は、大鵬が27歳、夫人が19歳。若いとはいえ大横綱の地位にあり、盛大な結婚式には政治家や財界人がずらずらと並んだ事は前述の自伝にも書かれている。

大鵬は夫人には厳しく、相撲取りの嫁として仕込むと称して、よく手を挙げたらしい。これまた昔の封建的な男。しかし31歳で引退した5年後の36歳で脳梗塞に倒れる。現役時に身体を作るために馴染んだ、塩辛いもので大量の飯を食う食生活と大酒のせい。

前述の自伝にも倒れた時の事は書かれているのだが、金曜に倒れて病院に連絡すると病室が空いてないといわれ土日を自宅で過ごしたらどんどん悪化していったという記述が今回の手記に。これはちょっと痛恨の出来事。脳梗塞の予後はどれだけ早く病院に担ぎ込むかにかかっている。当時はまだよい血栓融解剤が無かったかもしれないが、早目の治療があれば後遺症もだいぶ違ったかもしれないのだが。

近年は大鵬も衰え、酸素マスクがかかせない身体になっていたのだが、横綱白鵬と面会した直後に入院。この最後の面会はTVのドキュメンタリーとしても放映された。大鵬は自分が強かっただけに、強い横綱が大好きだった。朝青龍が世間のバッシングを浴びている時にも擁護し続けたし、白鵬にも「頑張れよ」と親身な声をかけていたのが印象的。また戻ってくるよと言ってたのだが、入院先の病院で帰らぬ人に。もうこんな強い横綱は二度と出ないかもしれない。
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