97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
「キャリー」を観た
もうずいぶん昔だが、スティーブン・キングに凝って、翻訳されたキングの小説は全て読破した時期がある。しかし、物故した作家ならそれで打ち止めだが、キングは存命でこれまた多作な作家。それからも続々と単行本で新刊が出て、追いつくことができなくなり、結局追うのを断念することに(笑)そういえば、過去に時間旅行してJFK暗殺を止めに行く小説が、最近翻訳されて本屋で平積みになっていた。あれもまだ買っていない。

「キャリー」は、そのキングのデビュー作だが、1976年にブライアン・デ・パルマ監督が映画化。大ヒットしたが、今回またリメイク。公開されたので観に行って来た。



内気な性格と冴えない容姿。性を罪悪視し自分と子を罰し続ける、狂気に取り付かれたキリスト教原理主義の母親に育てられたキャリーは、「変わり者」だと、クラスメイトから常にいじめを受けていた。しかし彼女は自分に、ある特殊な能力があることに気付く。キャリーいじめにより罰を受けたクラスメイトが、逆恨みして卒業祈念プロム・パーティーでキャリーにしかけた罠。絶望の中で狂乱したキャリーは、自分の持つ恐ろしい能力を開放する。

デ・パルマの前作では、シシー・スペイセクが、変わり者でいかにも周りから疎外されそうな役柄を見事に演じていたが、今回キャリーを演じるクロエ・グレース・モレッツは、元々が愛くるしい少女顔で、あまり「いじめられ感」が無いのがちょっと役にそぐわないところか。




前作のプロムでの屈辱の後、狂乱して破壊を始める場面では、シシー・スペイセクの異常さが更に際立って、まさに総毛立つような戦慄を感じたが、今回の破壊シーンはSFXの進化が素晴らしく、またクロエの一種無垢な美しさが血まみれのメイクで壮絶に引き立つ。デーモンがこの世に召喚されてそれに操られているかのような、一種異常だが、狂気じみた分、かえって突き抜けた美しいシーンになっている。

原作には、おそらく作者のキング自身のルサンチマンが投影されている。そしてキャリーを襲う悲惨がひどければひどいほど、最後の凄まじい破壊に、観客は一種背徳的なカタルシスを得るのだが、しかしこのバランスは実に微妙。シシー・スペイセクで破壊シーンがあれ以上パワーアップしたら観客が引いただろう。本作でも、だいぶ前にアメリカでリリースされた予告より、破壊シーンが若干マイルドになっている気がするから、かなりバランスを取った作業が行われたような。そしてそれは成功している。

ただ、サスペンスの盛り上げはなんといっても、前作のデ・パルマのほうが上手い。プロムの最後、ステージの上方にセットされた豚の血が入ったバケツを俯瞰するシーン。デ・パルマは、バケツに上からスポットライトを当て闇の中に輝かせ、風か振動を与えて中の血を波打せて撮影している。本来はありえないショットだが、これこそが画面にテンションを与える「映画の嘘」による演出。

逆に本作の監督は、バケツを引っくり返すシーンで、紐がからまって引っくり返せないシーンを延々とやるが、観客はバケツを引っくり返すのを、早く早くと待ち望んでいる訳ではない。これはサスペンスを盛り上げる上では逆効果の無駄な演出だった。

しかし女性らしく、母親とキャリーの関係の描き方は丹念。キャリーが次第に自分の力に目覚めて行くところも細かい描写が素晴らしい。母親のマーガレット・ホワイトを演じるジュリアン・ムーアも圧巻の演技。原作者キングが他の作品でもトラウマ的に多用する「子供を強権的に支配する、異常な怪物としての母親」を見事に演じている。

この手の映画では、いじめる敵役のほうが演技力が必要で難しい。デ・パルマの前作では、ナンシー・アレンとジョン・トラボルタという、後に同じデ・パルマの「ミッドナイト・クロス」で主役を張るコンビが演じていたのだが、本作の敵役は若干印象が薄いだろうか。

小説も映画も既に有名な作品なので、リメイクするにはかなりの度胸が必要。デ・パルマの前作も参照しながら、考え考え作っているのだと思う。サスペンスを盛り上げる演出にはやや欠けるものの、パーティーの狂乱と凄まじい破壊のカタルシスはよく出来ている。全体のバランスとして、クロエのキャリーも印象的に成立した作品になっていた。

関連記事
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック