97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
壽初春大歌舞伎 歌舞伎座一月興行を見た
この前は大相撲初場所を観戦。以前、歌舞伎と大相撲にも書いたが、せっかく東京に住んでいるのだから、そうだ、江戸庶民のもう一つの王道の娯楽であった歌舞伎にも行ってみるかと、チケットの取り方を検索。歌舞伎座のページからユーザー登録するとインターネットで座席を指定して席が取れる。便利になったなあ。

購入したのは一月の興行「壽初春大歌舞伎」昼の部。一階席前から5列目というなかなか舞台に近い席。ただ席料は19,000円。4時間以上楽しめるとはいえ、映画に比較するとやはり高いですなあ。

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昼の部は開演30分前から開場。新装なった歌舞伎座に入るのは初めて。音声ガイドも借りるしあまり時間無いのだが、館内をあちこち見学。

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なかなか綺麗なもんである。しかし最初にひとつだけ文句を言っておくと、座席が残念。せっかく建物を新築したにも関わらず、歌舞伎座一階席は横との間隔が狭く、手すりは横と共同。また舞台に近いところは床に傾斜が無いので前に座高の高いのが来ると悲惨なことになる。最近の映画館の座席でも参考にすればよかったのに。但しこの日は、なぜか私の前の2席が(席は販売済みだったにもかかわらず)現れないという僥倖があり、実に助かった。

この日の出し物は、

天満宮菜種御供(てんまんぐうなたねのごくう)「時平の七笑」
梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)「鶴ヶ岡八幡社頭の場」
秀山十種の内松浦の太鼓(まつうらのたいこ)
鴛鴦襖恋睦(おしどり)


「時平の七笑」は、菅原道真が謀反の嫌疑をかけられて大宰府に追放された後、同情の色を示していた藤原時平だけが舞台に残り、実は道真追い落としはすべて自分の謀略であったと語る。これでせいせいしたわいと呵々大笑するところが見どころ。様々に演じ分けるこの笑いが邪悪で圧巻。そして幕が閉まった後、更にもう一発大笑いが幕の後ろから聞こえてきて、観客がどよめくという趣向。

伊丹十三の「あげまん」で、宝田明演じる政治家が、政敵のガンを知って「鶴丸の野郎、自分がガンだって知らねえんだよ。」と涙が出るほど笑い転げるシーンがあるが、それを思い出したな。

音声ガイドによる解説は短いながらも的確で「道真の飛び梅伝説」などなかなか歴史の勉強にもなる(笑)

「鶴ヶ岡八幡社頭の場」。「幕が切って落とされる」というのが歌舞伎用語だとは知らなかった。一気に幕が払われると、鎌倉の鶴ヶ岡八幡を背景に、梶原景時や、大庭景親、俣野景久兄弟ら平家方の武将が豪華に並ぶ。

歌舞伎では正義の味方は顔が「白塗り」に。悪漢や憎まれ役は顔が赤く塗られた「赤っ面」。歌舞伎の様式美だが、「赤っ面」の演技には憎々しくもデフォルメが効いたコミカルさがあり、これが見飽きない。悪役がよいと主人公が引きたつのは古今東西を問わず作劇の真実。

源氏再興を図る娘婿に資金援助しようとして、名刀を売りに来た老人。剣の名手梶原景時はこれを名刀と見極め、二つ胴(人間の胴二人分)でも切れると受け合う。しかし試し斬りにしようと死罪の罪人を呼ぶと、牢屋には一人しか居ない。それを聞き、早く刀を売るために自分も一緒に切ってくれと頼む老人。

「二つ胴」で試し斬りにされるが、梶原景時は罪人だけを切り衣一枚で老人を助ける。大した刀ではないと揶揄して「赤っ面」が去った後、景時は自分の心は源氏方にあることを老人に明かし、刀が名刀であることを証明するために最後に、石の手水鉢をバサーっと一刀両断に割って見せる。これまた観客に大きなカタルシスを与え大向こうをうならせる見せ場。

「松浦の太鼓」は忠臣蔵のお話。赤穂浪士大高源吾は笹売りに身をやつして仇討の期を伺う。その妹を召し抱えた殿様、松浦鎮信は吉良屋敷の隣に住むが、赤穂浪士が仇討を一向にしないことに業を煮やし、八つ当たりで源吾の妹に暇を出そうとする。しかしその時太鼓の音が遠くから響いている。あれは山鹿流の陣太鼓。赤穂浪士の討ち入りがたった今始まったのだ。

直情径行の殿様の天衣無縫でコミカルな演技と、待ちに待った討ち入りが始まったというカタルシス。

歌舞伎というのは大上段に構えた芸術ではなく、どちらかというと興行・芸能であって、江戸庶民に人気のあった娯楽。誰でも知っている設定で、主従の忠義や、親子の情などを様式的ではあるがオーソドックスなドラマとして描く。シンプルかつ力のある筋書き。ベタであるが、待ってましたというところで観客に与える爽快なカタルシス。ストーリーを事前に知っていても楽しめる。というか現代人には昔の常識が無いので、むしろ事前に筋書きや登場人物の背景を知っているほうが楽しめるといっても過言ではない。

衣装も化粧も表情も、動作すらも徹底的に様式化されているのだが、年期を積んだ見巧者になればなるほど、自明の「お約束」の部分を突き抜けた、俳優の巧拙や、演者独自の解釈による演出といったディティルが鮮やかに浮かび上がってきて、さらに心に染み入るという具合になってるのに違いない。

ともあれ実に面白かった。さすがに何百年もやってるエンターテインメント。また観に行かなくては。




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