97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
沖縄旅行記 Day2 ひめゆりの塔~平和祈念公園
沖縄2日目は曇り時々小雨。滞在しているのは島の中部なので、観光は、南に行くか北に行くかの選択になる。朝食後しばし検討したが、南に行くことにして車を出す。

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日本でレンタカーするのも初めてだが、ハイブリッド車に乗るのも初めて。停止時の静かさには驚くが、挙動は若干もたつく印象。前方の信号が赤なので制動を始めたら急に青に変わったので、再度アクセル踏むような状況では、車が「えっ? 何だ何だ」と一瞬狼狽しているような反応の遅さを感じる(笑) コンピュータ制御であれこれ考えているに違いないが、ガソリン車と比べてどうしてもワンステップ噛む分が遅く感じるんだな。

ドライブ中の車内では、ラジオ沖縄と琉球放送を聴いていたが、アナウンサーが微妙に沖縄アクセントなのが面白い。特にリスナーからのメールを読む時にはそれが顕著。関西のラジオでも同じで、帰ると実に懐かしい気がするが、沖縄出身の人は帰省してラジオ聴くと懐かしくなごむのでは。ずっと聴いていると、だいぶ沖縄弁のイントネーションに慣れてきて、真似する事ができるまでに。どこか鹿児島とも似ている。もっとも本気でウチナーグチで喋られたらサッパリ分からないけれども(笑)

(首里城行き失敗の巻)

南へ行くのだったら首里城公園に行くかとカーナビをセット。目的地に近づいて分かったのだが首里城公園というのはずいぶん立て混んだ市街地にあるんだな。カーナビが「ここを曲がったら目的地」という所に来たら、進入禁止になっている。その前に看板出ていた有料駐車場に停めればよかったが、時既に遅し。そこを通過するとほとんど車を停める場所がなく、探し回るのも面倒なので、そのまま南下する事に。下調べしとかないと時間を無駄にする好例ですな(笑)

(ひめゆりの塔)

那覇市内から更に南下して豊見城市を過ぎて糸満市に。沖縄は車社会だとは聞いてたが、史跡周りの駐車場事情は意外に悪いと気付いたので、目的地が近づくと慎重に。なにしろ何も準備せずに来たから、ガイドブックもないし、レンタカー屋で貰った地図とカーナビだけが頼りなのだ。しかし、ちょうど目的地目の前にお土産屋があり、旗を振って車を呼び込んでいるのでそこに入れることに即決。土産屋が駐車場提供して、帰りに何か買って行ってねという商売は考えてみれば日本各地にあるものなあ。

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小説も映画も未見で名前だけ知らない史跡だが、説明を読んで衝撃を受ける。沖縄戦の末期、沖縄県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部の15歳から19歳の少女が女子学徒隊として陸軍病院の手助けに狩り出される。しかし首里城基地が陥落し、防衛線を南に南にと撤退してゆく日本軍について行くことに。日本軍は負傷者を置き去りにしながら、激しい爆撃と艦砲射撃の中、南部の半島海岸近くまで敗走して地下壕に潜む。そこで6月18日に学徒隊に解散命令が出た。激しい米軍の攻撃の真っ只中で「解散」?! それはやってはアカンでしょうという信じ難い軍の行動だが、自決した生徒もあり、逃げ惑って銃撃に倒れた生徒もあり、ここまで辿りついた生徒達の半数以上が戦火に倒れたのだという。

大日本帝国陸軍は、敗残の路にある最期の最期に、皇民をまったく守ってくれなかった。戦争も最末期であり、徴兵検査不合格になったり既に退役した高齢者を無理やり寄せ集めたオンボロ軍であったには違いないが、勝ち目の無い戦いに突き進みズタボロになって敗走した「国家総動員」の悲惨な末路。本土決戦を遅らせるという目的のために沖縄は犠牲にされたといっても過言ではない。

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このモニュメントと資料館は戦火に倒れた学徒隊の後輩達が、この悲劇を忘れさせてはいけないと保存運動を行ってきたもの。勿論沖縄戦の悲劇はここだけではなく至るところで起こった。当時皇太子だった今上天皇陛下がたっての希望でこの地を訪問して花を捧げた際、左翼に火炎瓶で襲われたという事件には、正に戦後日本の深刻な対立構造が重々しく反映している。安倍普三は、目を三角にして靖国に参拝するなら、その前にここに花を手向けてからにしたほうがよいと思う。

(平和祈念公園)

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すぐ近くの平和祈念公園は、公的な資金が潤沢に入ってると思われ、広大な無料駐車場完備。車を停めて園内を。空からはポツポツと雨が降ってきた。この平和祈念堂は宝くじの収益金が使われているとか。トイレのタイル一枚くらいは私も貢献しているかな(笑)荘厳な建物だが、人気がなくガランとしている。

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平和祈念資料館も実に立派な建物。最初見た時はリゾートホテルかと思ったくらい。ま、しかし、平和祈念公園内にホテルは普通建てないよなあ。

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展示には、沖縄戦の悲惨と共に、本土がいかに沖縄を蹂躙してきたかの歴史が。沖縄戦の死者は内地出身の兵隊よりも民間人を入れた沖縄人のほうがずっと多い。これでもかと悲惨な展示が並んでいるので眩暈がするほどだが、これが道を誤った国の末路なのか。

離島に上陸した米軍への抵抗として村人を動員した決死の切込み隊の中に、乳飲み子を背に抱えた若い母親がいたという話はまったくの悪夢というしかない。村人が戦火を逃れて洞窟に隠れ潜んでいる時、声を上げると「米軍に見つかる」といって射撃してきたのは大日本帝国陸軍の兵隊だったのだという述懐も恐ろしい話。

「死んで虜囚の辱めを受けず」に始まる日本帝国軍部の戦争指導と国家総動員体制の過ちと醜悪さは、やはり許されてよいものではないと痛感。戦前の日本が「美しい国」だったというのは都合のよい幻想に過ぎないのでは。玉音放送の当日まで、日本は本土の総力戦で最後まで戦うべしと唱えていた頑迷固陋な軍人達がいた。もしも彼らに従っていたら、「京都に原爆を投下せよ」に描かれた通り、京都にも原爆が落ちていただろう。

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このあたり一体が、敗走する大日本帝国陸軍が、住民を巻き込んで悲惨な戦闘を米軍と繰り広げた場所。しかし戦後およそ70年を経て、海岸に寄せては返す波は、人間の賢しら達が犯した罪などは知らぬ気に、ただただ岸に打ち寄せてくるのだった。心ならずもここで散った沖縄人の魂は、きっと靖国神社などには鎮座せず、この岬を吹く風の中にいるのだ。


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2014/05/07(水) 02:15:23 | | #[ 編集]
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