97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
「猿の惑星:新世紀(ライジング)」を観た
「猿の惑星:新世紀(ライジング)」を観た。原題は「DAWN OF THE PLANET OF THE APES」。「ゾンビ」の原題をちょっと思い出すなあ(笑)



2D上映でよいかと思っていたのだが、ちょっと時間が合わなかったので3Dを選択。あえて3Dを選択するほどの超巨大スペクタクルは無いのだが、鬱蒼たる森のシーンや最後のタワーのシーンはなかなか迫力あり。

オリジナルの「猿の惑星」は1970年代に大ヒットしたハリウッド映画のシリーズだが、これはオリジナルとは新たに製作された、いわゆる「リブート物」の第二作。最近のハリウッドの大作は「リブート」ばかり。物語の類型にも限りがあり、魅力あるオリジナルのコンテンツを製作するアイデアが枯渇してきたのかも。いずれにせよ「猿が地球を征服する」というアイデアは一貫しているので、その点では妙な破綻無く安心して観ていれるというか。

映画はリブート第一作から10年ほど経ったサンフランシスコ。猿の知能を飛躍的に高めるが人間には致死的な「猿インフル」が蔓延し、人類の文明社会はまさに終焉を迎えようとしている。

映画のタイトルバック、世界地図に航空路線を示す赤いラインが伸びて行き、それに伴って次々とウイルスのパンデミックが世界各地で起こって行く映像は実に印象的だが、前にもどこかで同じのを観た気がするな。

映画の冒頭で描かれるのは、サンフランシスコ北の山に暮らす進化した猿達の平和な共同体。この猿の集落は、以前に南米アマゾンの奥地で見つかったと報じられた原始的な部族の集落とよく似ている。

映画がスタートしてからしばらくは、登場人物は猿だけ。もう人間は死に絶えたのではという猿達の会話も描かれるが、若い猿たちが川での漁の帰り、森の中で突然思いもよらず人間と遭遇する時の驚きが印象的に描かれる。

違う世界に住んでいたはずの進化した猿たちと滅びつつある人間の不幸なコンタクト。猿と人間との間で、根源的な疑念と恐怖によって湧き上がる憎悪。これは、民族間、部族間や宗派間でいがみ合っている現実世界の一種の戯画として見事に成立している。進化した猿にも人間にも家族愛や他者への情愛がある。しかしそれをも押し流して行く戦いへの憎悪の連鎖。

元々オリジナルの「猿の惑星」自体が、単純な人種差別問題だけでなく、公民権運動やブラック・パワー、キリスト教原理主義などのアメリカの歴史が投影されているシリーズであり、本作でもそのテイストはきちんと踏襲されている。

燃料が枯渇しようとしている人類社会。その最後の希望として水力発電所を再稼働させるために人間たちが森に入って行くというエピソードは、電力が再び供給された時の美しいシーンとして見事に成立している。しかしIMDbによると、実際のマリン・カウンティには水力発電ダムも川もないのだそうで。まあ確かに川はありそうもない場所だ。

監督のマット・リーヴスは、「クローバーフィールド/HAKAISHA」「モールス 」の監督。重厚な画面とサスペンスの盛り上げ方が実に巧み。猿の表情は人間の俳優が演じているが、これも印象的。そして、人間と進化した猿は結局共存できないのだという諦観を感じさせる苦いラスト。

チャールトン・ヘストンが、宇宙船で見知らぬ惑星に上陸すると、言葉をしゃべる猿が馬に乗り、野生状態で野に暮らす半裸の人間たちを狩っている。ヘストンは、なぜ人間が言葉をしゃべるんだと猿に驚かれ、標本として囚われの身となる。本作は、このオリジナル「猿の惑星」第一作の設定まで、あとほんの数歩の所まで来ている。次回作は果たして製作されるだろうか。もし今までの設定を引き継ぐとしたら、やはりヘストンが宇宙船で地球に降り立つとかしないと次の話が繋がらない気がするのだが(笑)。


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