97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
十七世十八世中村勘三郎追善十月大歌舞伎 夜の部
歌舞伎座、十七世十八世中村勘三郎追善十月大歌舞伎 夜の部に。

昼夜ともに中村屋にゆかりのある狂言を豪華な客演で上演する。勘三郎の息子たち、勘九郎と七之助はほとんど出ずっぱりの大奮闘だが、夜の部では坂田藤十郎、片岡仁左衛門、坂東玉三郎が座組みに重みを与えている。

最初の演目は「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ) 寺子屋」

この時代物の名作は7月の大阪松竹座でも、同じ仁左衛門で観た。松王丸はこの人の当り役だが、忠義のために息子を犠牲にする悲しみと、立派な最後を遂げた息子を天晴れと称える泣き笑い交錯した大時代な慟哭が重たく観客に突き刺さる。実に印象的。大阪松竹座で観た時は橋之助が演じていた武部源蔵だが、今回の勘九郎の源蔵は、人物の輪郭が明快で、時代物らしく分かりやすく成立している。凛とした玉三郎もよかった。七之助の戸浪もきっちりと演じている。

幕間に舞台に所作台が引かれ、舞踊は、「道行初音旅(みちゆきはつねのたび) 吉野山」
定式幕が開き、浅黄幕が切って落とされると、絢爛たる一面の桜を背景に、藤十郎演じる静御前が舞台の中央に立つ。まるで一幅の絵のよう。

大変華やかな舞台。藤十郎は動けているのかと聞かれると、まあ若者ではないのだから完璧ではないのだろうが、しかしそこは積み上げた芸の力できちんと見せる。藤十郎は82歳だそうだが、それにしては元気ですなあ。歌舞伎界の重鎮登場が追善公演に重みを与えている。源九郎狐 梅玉もすっぽんの出から独特の狐らしい奇妙な所を残しながら風格あり。二人で踊る際は恋仲であるように見えてはいけないという先人の教えがあるらしいが、やはり艶っぽく見えるところがまた一興なんだな。

最後の世話物は、「鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)」

鰯売りが一目惚れした傾城に、大名だと身分を偽って会いに行く、勿論ばれてしまうのだが、傾城は実は誘拐された姫君で、一目みかけた鰯売りの主人公に一目惚れしていたのだという、信じられないようなハッピーエンド。三島由紀夫が室町時代の御伽草子を題材に書き下ろした三島歌舞伎の代表作。

基本的に悪党が出ない喜劇で、夜の部最後の打ち出しにはなかなか良い演目。猿源氏役の勘九郎は、「エエッ!」と大仰に驚いて観客を笑わせるところなど、亡き親父に実によく似た愛嬌がある。

家来役に扮する獅童は、実は大名ではない猿源氏のボロが出そうになるたびに、背筋を伸ばせ、ゆったりと、こうやるんだ、違う違うこうだ、と遠くからジェスチャーでいちいち教えるところが軽妙で笑わせる。それをあたふたと一生懸命真似する猿源氏のおかしさ。傾城蛍火実は丹鶴城の姫を演じる七之助は、ゆったりとおっとりと美しい。海老名なあみだぶつ、彌十郎も軽妙な演技に安定感あり。

勘九郎と七之助演じる猿源氏と蛍火が幸せ一杯に去って行く大詰め。花道で、鰯売りの掛け声のやり取りなどたっぷり見せた後で、定式幕が引かれ、二人だけの幕外の引っ込みになる。

夫婦になった二人は、蛍火が懐に持った観世音菩薩の小像に手を合わせ感謝する。「ありがとうございました。こうやっとけばもう大丈夫だ」と勘九郎が安堵の声を挙げる。七之助が目元を押さえるのは段取りだが、驚いて勘九郎の目元も押さえようとする仕草を見せる。勘九郎の目からは、顔から滴りおちるほどの滂沱の涙が流れていたのだった。

元々は、父である18代目勘三郎が、新歌舞伎座でやりたいと息子たちに話し、構想していた祖父17代目勘三郎の追善公演。まさかそこに18代目自身が追善されるほうに名前を連ねるとは。勘九郎は公演前のインタビューでもこの演目への思い入れについて語り、「祖父も父も歌舞伎座の上から見ていてくれると思います」と語っていたから、無事初日が終わったと、最後の花道で感極まったのだろう。

館内からは万雷の拍手。初日に花道近くで観なければ分からなかった勘九郎の涙。父と祖父の追善公演がいよいよ始まったのだ。実に感動した。

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