97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎 初世松本白鸚三十三回忌追善」昼の部
三連休の二日目は、歌舞伎座の「吉例顔見世大歌舞伎 初世松本白鸚三十三回忌追善」昼の部に。

昔の江戸では歌舞伎をやる座と俳優の契約は年一回で、向う一年間この顔ぶれでやりますよとお知らせの興行を打ったのが毎年十一月だったとか。今回の「吉例顔見世」も「松本白鸚追善」と重なって豪華な座組み。

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本日の席は3列目。たまたまこの辺りしか空いてなかったのだが、舞台が近く迫力あり。中心付近なので舞台は見やすいが、やはり前過ぎて花道が見辛い面あり。あと、舞台にここまで近いと、居眠りすると役者に見つかる気がして落ち着かない。いやまあ、見つかっても知り合いじゃないし別によいのだが失礼な気がするしなあ(笑)

最初は松羽目の舞台での所作事。「寿式三番叟」は、天下泰平、五穀豊穣を祈念する、顔見世にふさわしい目出度い舞踊。泣き笑いのような顔で我當翁がヨロヨロと出てくると、大丈夫かいなと思うが、勿論、ご本人が大丈夫だと思うから出演しているのであろう、きっと。まあ歌舞伎役者は年齢がいっても、倒れる寸前まで舞台勤めますからねえ。お年寄りが舞台で舞うというのはそれだけで目出度い。

米吉ら三人の若手が演じる前半、千歳の軽やかな舞もよかったが、後半の染五郎、松緑の舞踊は神憑りになった一種の狂乱であり、なかなか迫力あり。しかし昼の部であの踊りをやって夜の部で弁慶とは、染五郎も大変だ。

「初世松本白鸚三十三回忌追善」とも銘打たれた大歌舞伎、お昼の部2つ目の演目は「井伊大老」。初世松本白鸚が歌舞伎座で最後に演じたというゆかりの演目。ただ上演回数が少なく、台詞が多い新作歌舞伎。

二日目とあって、吉右衛門はまだ台詞が完全に入っていないのか何箇所か言い淀みかけたところあり。老獪な台詞術で切りぬけたが、なかなか苦しそうであった。何度もやっている「熊谷陣屋」なら苦労なかっただろうが、追善とあってはやはりそっちは長男の当代幸四郎が演じるのが普通だしなあ。

そういえば、最初に駕籠から出てくるシーンでも吉右衛門は、えらく時間を要していたが、何か手違いでもあったか。しかしあの駕籠も裃つけて入ると実に窮屈そうだ。

動乱の幕末、開国を決断して尊王派を弾圧した大老井伊直弼に迫る暗殺の危機。梅の花に雪が深々と降る夜、死を覚悟しつつ、側室お静の方の屋敷で故郷彦根の酒を飲む場面は印象的。芝雀も禅師の歌六も印象的に成立していた。最後の桜田門外の変では、日本の将来を見つめ続けた大老の人物の柄をも吉右衛門は印象的に表現していた。

昼の部最後の演目は、「一谷嫩軍記 熊谷陣屋(くまがいじんや)」。多くの名題役者が繰り返し主演を務める有名な演目。松本幸四郎も何度も熊谷直実を演じているだけあって堂に入ったもの。昔、塩屋に住んでたので、なんだか舞台設定に親しみがわくなあ。

源平戦乱の時代。源氏の武将熊谷直実は、息子小次郎の初陣を心配する妻相模や、我が子平敦盛を案じる藤の方に、須磨の浦で敦盛を討ちとった様子を語る。歌舞伎の首実検はどれもそうだが、出てくるのは違う首。そこに隠された、子への愛と忠義がせめぎ合う戦国の大悲劇。テンションの高い物語として元々の作品が実によく出来ている。

絶望がお互いに交錯する、相模の魁春と藤の方を演じる高麗蔵も印象的。菊五郎、左團次と大物が脇を固める。

制札の見得は迫力あり。幕外の引込み、「十六年は一昔、夢だ、夢だ」の台詞は、武士として忠義に生きた自らの16年と、自ら手にかけた我が子の人生がせめぎあい、人生の無常を重厚に響かせる。正に圧巻のラスト。役者の芸も素晴らしいが、珠玉の名作の素晴らしい力でもある。

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