97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
芥川賞受賞作、「火花」を読んだ。
遅ればせながら「火花」を読んだ。著者の又吉直樹が「おかんに電話したら『花火』面白かったで、言うてました。『火花』なんですけど」とTVの番組で客を笑わせていたが、熱海の花火で話が始まり、最後も熱海の花火で終わるのだから、題名は確かに「花火」でよかった気もするけどなあ(笑)

お笑い芸人が初めて書いた小説という事で最初は際物扱いされたと思うが、実際に読んでみると真面目にきちんと書かれている。

文章中の所謂文学的表現も、余りにも華美なレトリックだらけだと、逆に文学かぶれの鼻につくアマチュア仕事という気がしてしまうが、この小説の表現はギリギリ抑制が効いており、本好きの著者が、幾多の小説を丹念に読み込んで来た経験を真面目に活かしたのだと納得のできるもの。

心に妙な引っ掛かりを残す叙述表現があちこちにあり、それがこの小説の随所に陰影を与えている。
「耳を澄ますと花火のような耳鳴りがして、次の電柱まで走った」

「僕は憧憬と嫉妬と僅かな侮蔑が混じった感情で恐れながら愛するのである」

「自分の肉が抉られた傷跡を見て、誰の太刀筋か判別出来ることを得意気に誇っても意味はない。僕は誰かに対して、それと同じ傷跡をつけることは不可能なのだ。なんと間抜けなことだろう」

「ビールはこんな味だっただろうか」

「東京には全員他人の夜がある」


小説の舞台は、著者が実際に身を置いているお笑い芸人の世界。

舞台に上がって頼るのは自分たちの漫才師としての腕だけ。まったく客に受けない恐怖と歓声を浴びた時の歓喜。そしてその煌めきを貪欲に求めながらも、どこまで落ちて行くのか、怯えを感じつつ、闇の先にあるはずの夢の光明を求めて無頼を繰り返す若者たち。自分が何者なのかを、焦燥と共に探し求め続ける若者たちの姿とその青春の終わりを描いた、実に印象的な小説。

主人公と「師匠」が「お笑い」だけを真剣に追求し、しゃべるたび、メールのたびに繰り返す、本音とも韜晦ともつかぬボケと突っ込みの繰り返しは、まるで武者修行の武芸者がお互いの強さを常に間合いで図る真剣勝負の如く、登場人物たちの青春が鮮やかに切り取られている。

ただ最後、神谷の豊胸のエピソードは本当に必要だったか。髙樹のぶ子は、「終わり方が判らなかったのではないか」と辛辣な選評を文藝春秋に書いていたが、確かに突飛なエピソードで、それまでの神谷の尖った魅力と物語の抒情を壊しているような気もするのだった。

又吉直樹は、最近お笑いの世界を超越して売れてきており、最近本屋では、「芥川賞作家又吉さん推薦」とのポップで、「紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)」が平積みになっていた。先月ホノルルに持って行って読んだが、ちょっと前に別の帯で刊行されたケン・リュウの珠玉のSF短編集。しかし、テコ入れにわざわざ又吉の推薦文付きで増刷したとは又吉人気のほどが分かりますな。こちらのほうも「又吉芥川賞効果」でもっと売れるとよいなあ。


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コメント
この記事へのコメント
「芸人ごときが芥川賞を」ってはなっから否定的に語る奴も多いですが、「芥川賞を取れる力を持つ者が芸人やってる」って考えれば特に不思議じゃないですよね。

私自身はもう何十年も小説って読んでないかも(笑)
2015/09/02(水) 08:34:30 | URL | taka #xJy3ruYo[ 編集]
Re: タイトルなし
勿論、文藝春秋の商売上の戦略もないとは言いませんが、受賞作として違和感がある無かったですね。ただ、次の作品で真価が問われるでしょう。
2015/09/03(木) 08:04:19 | URL |  Y. Horiucci #-[ 編集]
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