97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
映画「この世界の片隅に」を観た。
土曜日のお昼は、映画「この世界の片隅に」を観に劇場へ。小さな箱なのだが、結構混んでいる。予告編でやたらにアニメ作品が紹介されるのにはちょっと閉口したが、観客層にはあまりコアなアニメファン感無し。


 
そもそも、こうの史代の原作を読んでいたく感動し感想を過去ブログに書いたのは2009年の8月。まだアメリカに住んでいる時。

絵を描くのが好きで、空想癖のある主人公すずは、18歳で軍港、呉の家に嫁ぐ。戦時下の質素な婚礼が開ければ、次の日から毎日真っ黒になって、掃除や洗濯、裁縫や畑仕事、薪での風呂炊きなどの家事に朝から晩まで追われる日々。しかし、そんな当時としては平凡な市井の暮らしにも、幸せや愛や思いやり、嫉妬や哀しみや諦観、そして切ない別れの物語が存在している。その背景には、登場人物全てを覆い隠し、次第に広がる戦争の暗く重い影。

数少ない台詞の変更と背景などの追加はあるが、原作の持つ深く静かな感動は、ほぼ正確にアニメーションとして再現されている。アニメの声優は苦手だが、主人公すずを担当する能年玲奈(本名)は、最初のシーンから上滑りすることなく既にマンガで確立した主人公に、静かで自然な血肉を与えている。違和感の無い実に良い出来。事務所と契約問題で揉めて干されているらしいが、勿体無い話だ。

こうの史代原作の叙述形式には独特の癖があり、寄せては返す波のように、新たな物語と過去の物語とを自在に繋いでゆく。コマに描き込まれた情報量は実に多く複雑で、時として読者を混乱させるほど。しかしアニメーション化にあたっては、ストーリーは十分に吟味され整理されて組み込まれており、原作よりも逆に分かりやすい作品として成立している。

ただ、おそらく「戦争のできる美しい国ニッポン」を声高に礼賛する勢力の昨今の台頭を考慮したのか、語るべき事を残し無用な軋轢を避ける為の用意周到な微調整だとも思われるのだが、原作と比較すると、いくつか削除されたり、変更された台詞がある。

すずを訪ねて来た幼馴染の水兵水原の言葉。「わしが死んでも一緒くたに英霊にして拝まんでくれ」という台詞は原作でも印象的な言葉なのだが、確か映画では無かったんじゃないかな。

そして玉音放送を聞き、集落に朝鮮の国旗が掲げられた家があるのを見て、すずを襲った激しい感情。「この国から正義が飛び去って行く」、「暴力で従えとったいう事か」、「じゃけえ暴力に屈するいうことかね」、「それがこの国の正体かね」、「うちも知らんまま死にたかったなあ」という、裏切られた絶望と憤激を吐露する一連の台詞は、もっと穏当な物に差し替えされている。

そして白木リンを巡る物語が何故か語られていないのも、尺の問題というよりも(楠公飯のエピソードなんて描く暇あるんだからw)軍港にある軍人用の遊郭の話だから、慰安婦問題などを考慮して忌避したようにも思われるのだが。

しかし映画のラスト、全員が原作を読んでいると思われるクラウド・ファンディング協力者への謝辞ページの下に映されるのは、原作通りの、すずの想像力(あるいは右手)が紡ぎ出した物語。草津のお祖母ちゃんの家の天井から出て来た座敷童子と白木リンを結びつけるファンタジー。そして映画の数少ない白木りんの登場場面で語られる「アイスクリームとウエハー」がこの場面に登場している事に注意深い観客は気づくだろう。歌舞伎ではないが「芸が細かい!」と大向うを掛けたい(笑) こうの史代の芸風だ。

もっとも、微妙な調整はあるものの、語りたかった事の真の根幹は用意周到に全て語られ、物語はオリジナルの持つ底深い力を全く失ってはいない。原作を読んだ人も、読んでいない人もこの映画には深く心を打たれるだろう。実に素晴らしい作品。

原爆で焦土と化した広島で、すずの右手に縋り付いて来た孤児。すず同様右手を失くした母親、しかし逆の左手に手をつながれていたこの子は、いわば助かったかもしれない「晴美さん」の生まれ変わり。原作にある、「よう広島で生きとってくれんさったね」というすずの言葉はそれを踏まえて発せられていると思うのだが、映画では省略されていた。 まああまりにも説明的か。しかし、エンド・ロールでは、この孤児が北條家に受け入れられ、すくすく育ってゆくポートレートが明るく描かれ、物語に最後の大きな安堵と救いを与えている。

こうの史代が丹念に綴る物語には、いつもながら深く感心する。そしてこの映画化も、戦争下の市井の生活を描いた素晴らしい作品として長く人の記憶に残るに違いない。これは、ドンガドンガと太鼓を叩く反戦映画ではない。しかし原作の持つ静かなメッセージはしっかりと伝わっている。過去ブログにも書いた私自身の感想を再掲しておこう。

我々は大切なものを、いつだって失い続ける。しかしその、光きらめく記憶が胸に宿り続ける限り、日々の暮らしを、ただ静かに生きて行くことは、きっと意味のあることなのだ。


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