97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
歌舞伎座壽初春大歌舞伎、夜の部で本年初歌舞伎
先週末三連休の初日は、歌舞伎座、壽初春大歌舞伎、夜の部を観劇。

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歌舞伎座もお正月の雰囲気。

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最初の演目「井伊大老」は、以前、吉右衛門で観たが今回は幸四郎。御両人の実父白鴎の当たり役。しみじみした情感は、なんとなく吉右衛門の方が優っていたような印象もあるが、最初の幕、裃で屹立する井伊大老の幸四郎は威風堂々として威厳あり。足軽の娘だった昔から、何一つ変わらず井伊直弼をひたすらに愛し続けるお静の方を可憐に玉三郎が演じ、故郷彦根の酒を酌み交わす場面は圧巻。

屏風に書いた井伊直弼の字に剣難の相と死に向かう運命を見抜き、「一期一会」とだけ書き残して、一目も会わずに風のように去る禅の高僧、歌六演じる仙英禅師は格好良いですな。そして禅師の態度から、自分は日本の将来の為に、その礎となって死なねばならぬのだと天命を悟り、生まれ変わったら大老にはなるまいとお静の方に静かに語る井伊直弼。小品だが印象的な筋立て。

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次の幕間では、花篭食堂で『ほうおう膳』を。ごく少量ながら紅白なます、いくら、数の子、黒豆など随所にお正月の雰囲気。まあ、雰囲気のものだから、ほんのちょっとで良いのだよね。

次は舞踊。五世中村富十郎七回忌追善で長男の鷹之資が踊る「越後獅子」。

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鷹之資は、筋書きの写真でも実に若い。孫でもおかしくない年格好だが、富十郎がエラく年取ってからの子供なんですな。調べると、中村鷹之資は平成11年4月11日生まれ。父親の5代目中村富十郎は、昭和04(1929)年06月04日生まれ。没が平成23(2011)年01月03日。70歳の時の子供。

梨園では血縁が物を言うが、逆に親父が早く亡くなって後ろ盾が無いと子供は大層な苦労をする。富十郎が亡くなった時には、まだ11歳の小学生。富十郎もこの世を去る時はさぞや心を残しただろう。しかし播磨屋が後見役になっているとのこと。七回忌追善で歌舞伎座の舞台に上がれて幸せな話。

「天王寺屋」という大向うは、普段あまり聞かないので珍しい気がするけれども、親父が亡くなって残された若者を応援する自然な気持ちは誰だって持っている。随分と大向うも賑やかにかかっており観客の拍手も盛大。荒波だが、頑張れよと観客は誰も分かっている。追善には良かった。舞踊も若々しく達者な印象。ただ、こう言ってはなんだが、華はあんまり無いのかなあ。

もっともこの舞踊は上下に分かれており、後半は玉三郎の「傾城」。まあ、好意的に考えれば鷹之資だけでは持ち切れないので、助っ人に強力な玉三郎を置いたとも言えるが、やはり玉三郎の存在感は素晴らしく、後から出て全てを浚って持って行くのだった(笑)

「傾城」の玉三郎は実に美しい。傾城と呼ばれる最上級の花魁は背高が条件で、当時でも五尺五寸、165センチあったとイアホンガイドで。江戸時代では、今で云うスーパーモデル級。高い履物もあるから花魁道中に出くわした慣れない人は口をポカーンと開けて魂消ただろう。まさに「籠釣瓶花街酔」の世界。

20分の幕間の後、切りの「松浦の太鼓」は染五郎。来年は幸四郎襲名であるから染五郎は今年限り。ラストスパートか最近は、実に出演演目も多く、まさに獅子奮迅の活躍。シンプルでカタルシスのある良い狂言。これも前に吉右衛門で観た。

ただ、染五郎は達者できちんと成立しているのだが、やはり若い俳優でやると松浦の殿様が若干「バカ殿」に見える。爺さまが演じると「なんで討ち入りしないんだ」という焦れた憤激が、赤穂浪士贔屓の江戸の雰囲気を伝え、物語に逆に興味深い陰影を与えるのであるが。

しかしどの演目も面白かった。新春初歌舞伎を楽しんだ一夜。

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