97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
歌舞伎座「六月大歌舞伎」夜の部を観た。
先週土曜日は、歌舞伎座「六月大歌舞伎」夜の部に。

20170605191724511.jpg

まず最初の演目は「鎌倉三代記(かまくらさんだいき)」絹川村閑居の場。

時代浄瑠璃から歌舞伎に移された演目だが、「鎌倉三代記」は、赤姫役を演じる女形に色々としどころがあり、だから時姫が「三姫」のひとつに数えられているのだろう。ただ物語そのものは意外に平板で、「実は」の部分も「物語」として延々と義太夫に沿って科白劇で語られるので、面白い狂言かと言われるとそうでもないような。

幸四郎演じる佐々木高綱が、井戸から出てくるとガラッと雰囲気が変わっており、派手な見得を切ってぶっかえりに。ただ演出全体を通すと、あんまり派手さは感じられない演目。

去年の雀右衛門襲名披露でも同じく雀右衛門の時姫で観たはずなのだが、殆ど記憶に残っていなかった(笑) 松也は大物の中に放り込まれて結構大変なような。勿論「鎌三」も背景を無視して男女の愛の物語として見るならば、戦国の夜に敵方武将を愛した姫が、相手の母親を健気にも看病に行き、まだ夫婦の契りも交わしていない相手の男が今日、死地に赴きもう帰って来ないことを知って、今夜泊まって私を抱いてとかき口説く訳で、結構エモーショナルな話なのであった。

2017060519174640c.jpg

ここで30分の幕間。三階の花篭食堂であじさい膳で一杯。煮アナゴがふっくらして旨かった。そろそろアナゴも脂が乗る頃だなあ。

次の演目は、河竹黙阿弥作「御所五郎蔵」。これも以前菊五郎で観たのだが、あまり思い出せない(笑)

冒頭は両花道を使った出。満面の桜、吉原仲町を背景に、仁左衛門の男伊達が際立って格好良い。左團次も堂々たる本役。両花道を掛け合いで渡り台詞の応酬。黙阿弥の七五調が実に心地よいリズム。本舞台に来てから、歌六、甲屋与五郎のとりなしで、盃の応酬に見立てた扇の投げ合いも歌舞伎独特のギミック。

雀右衛門も、時姫に続けて傾城皐月という大役で出演の大忙し。まるで再び襲名披露が来たが如しか。夫の為に金を借り、そのために縁切りをする。首実検が本物の首ではないのと同様、傾城の縁切りは本心ではないのが歌舞伎のお約束。しかしその真意は通じずに物語は悲劇に突き進んで行く。

この演目でも、米吉が大立者達の間に放り込まれて、よい経験というか、ちょっと気の毒なような(笑)借金取り立てに付け馬で付いてくる松之介は、台詞が入っていない。この人は時々これがあるね。健忘症なのか老人特有の症状か。切りは歌舞伎の様式美に満ちた殺陣。

最後は、長谷川信作、「一本刀土俵入」

前回も幸四郎で見た。冒頭、取手の茶屋で、酌婦のお蔦は軽い気持ちで力士の駒形茂兵衛に声を掛け、聞くうちに思わずその境遇に深く同情してゆくという筋なのだが、猿之助のお蔦は、なんだかベロンベロンに酔っ払っているから気が大きくなって有り金全部と簪をくれてやったように思える。演技が酔っぱらいの方向にちょっと寄り過ぎじゃないかな。ホロ良いでからかっているうちに、「えっ、あんたも身寄りが無いのかい」と次第に本気で同情するという風でなければと思う。

しかし筋書読むと、猿之助が初役の時に習った七世芝翫は、茂兵衛が一生の恩と覚えているのにお蔦は覚えていない。それがこの芝居のミソで、それは酒で溺れていたからだと教えた由。個人的には大酒飲んでも全て忘れる訳ではないし、お蔦が心根優しく一本気な女だという部分を、最後につなげたほうが良いと思うのだが。前に見た魁春はどちらかというとそんな印象だったが。

ただ猿之助も後半は取手の酌婦であった時と、貧乏ながら真っ当に子供を育てている10年後の違いが鮮やかに目立って良かったと思うけれども。松緑も台詞がきっぱりとして印象的に成立している。

幸四郎にとっては自家薬籠中の役。部屋から追い出された情けない田舎者の取的が、十年経って凄みのある渡世人になっている。鮮やかにヤクザ者を蹴散らして、優しかった酌婦に昔年の恩を返すという筋立ても実に分かりやすくて、人情に溢れカタルシスのある物語。

時代物、時代世話、新歌舞伎と1時間20分くらいの作品が3本あって打ち出しが9時20分頃というのはちょっとしんどかったかな。


関連記事
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック