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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」、昼の部
本日は歌舞伎座秀山祭九月大歌舞伎昼の部に。台風の影響か随分と涼しくなった。

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若干早めに入場が始まる。そんなに混雑していない印象。二階売店は、以前パニーニなど売っていたが、何時からかまたテナントが変わったようだ。スパークリングワインを一杯貰って、前回夜の部で購入した筋書きなど読んで予習。まあ、毛谷村も幡随長兵衛も初めてではないけども、やはり忘れているところあり。

最初の演目が、「彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち) 毛谷村」

初代吉右衛門を記念する興行だが、養子である当代吉右衛門の甥、染五郎と、自らの娘婿の菊之助が主演。歌舞伎座しか定点観測していないが、染五郎は随分と出演している。御曹司で陽の当る場所ばかり歩いているから目立つんだ、という声もあるかもしれないが、それでも随分と忙しいと思う。まあ、それはそれで勿論、大変に幸せな事なのだろうが。

毛谷村はやはり、女武道のお園が目立つ芝居。以前、殆ど予備知識無く歌舞伎座で見た時に、花道から出て来た当然男だと思っていた虚無僧が、途中で「あれこれ女じゃないか」と違和感を感じ、その後の声が女形の声、笠を脱ぐと女の髪で、現れた時蔵の芸には実に感じ入った記憶あり。

その後で同じ「毛谷村」で見た孝太郎は、こちらの余計な先入観もあるのだろうが、最初から女女し過ぎていると思った。今回の菊之助は、声出すまであんまり女を感じさせない印象。人によって色々ある(笑)

古くからある義太夫狂言なので、ほぼ形は決まっており、染五郎と菊之助は上手く組み合っている印象。染五郎もこの六助はニンに合っている。

ただ、元々長い物語を切って出しているので仕方ないが、微塵弾正が関係ない老婆を母親と偽って六助を騙した後で殺した経緯や、その後を描くと物語としてのカタルシスがあると思うのだが、そうやると他の物語があれこれ流入してトータルとして退屈になるのだろうなあ。

お昼は何時も通り「花篭」で。本日はステーキ丼。 牛肉は上品なサシで、実に旨い。

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次は舞踊。仮名手本忠臣蔵から「道行旅路の嫁入(みちゆきたびじのよめいり)」。仮名手本忠臣蔵から派生した舞踊は他にもあれども、本来の原作にある「道行」はこれだけ。それを歌舞伎に移した所作事なのだとイヤホンガイドで。勉強になるな(笑)

坂田藤十郎と孫の壱太郎が本舞台せり上がりから登場。祖父と孫の舞踊ということになる。孫が踊っている間、藤十郎の手が動いていたのは、あれはそういう形なのだろうかね。壱太郎は実に美しい若女形なのだが、なぜか不倫疑惑の山尾志桜里議員の顔が思い出されて困った。なんかちょっと似てるよねえ(笑)

最後は藤十郎老も孫と一緒に花道をそのまま歩いて下がり万雷の拍手。

20分の幕間を挟んで河竹黙阿弥作、「極付 幡随長兵衛(きわめつき ばんずいちょうべえ)」

最初の「金平」劇中劇。客席を巻き込んで、まるで江戸の芝居小屋での揉め事のように感じさせる花道と客席を使っての演出は、何時もながら良く出来ている。

イヤホンガイドでこの劇中劇解説の際、江戸の芝居小屋では桝席に半畳(座布団)売りが来て、芝居が面白くないと観客はその座布団を舞台に投げたのだと。相撲の座布団投げもルーツは同じ江戸の昔。やはり歌舞伎のように全部椅子席にしないと座布団投げは収まらないのかもしれない(笑)

しかし、江戸時代は殆ど同じような興行形態だった歌舞伎と相撲だが、今では大分違っており、大相撲のほうが良く言えば伝統を残しているし、悪く言えば古い。茶屋制度はまだあるし、枡席などの切符配分も不明解。そして、相撲取りOBが全部を取り仕切っている相撲協会が全てを決めているというのが、松竹株式会社が全てを仕切る歌舞伎と違うところなのだろうか。

そうそう、「幡随長兵衛」だった(笑) 

前にも、前橋之助の芝翫襲名で観た演目だが、さすがに吉右衛門が演じるともっと重い。死ぬと分かっていながらも、男伊達の面目を貫き通すために、どうしても死地に赴かなくてはならない男の背負った運命と、男の決断の重さがひしひしと分かって実に感動した。芝翫で観た時は、理屈では勿論分かるのだが、ここまで心は打たれなかったのだけれども。

そして、魁春がさりげなく巧い。町奴の分際で、揉めている旗本奴の水野十郎左衛門屋敷に呼ばれたのは殺されるという事。夫が早桶(棺桶)を既に頼んだと聞いた時のハッとした顔、一度言い出したら言うことは聞かない夫と知ってはいても、玄関に向かう後ろから、女の細腕で刀の柄を握り、行って欲しくない自分の心情を伝える。女形の芸というのは、なまやさしい「感性」とか言うものでやってるのではなく、受け継がれた形と、見物にどう見えるかの客観的な計算の歴史的蓄積で成り立ってるのだなあと感じ入った次第。

湯殿の吉右衛門も、ここで死ぬと既に恬淡と納得しており、しかしただでは済まさないという肝の座った覚悟も見せて実に良かった。

前回、歌舞伎座の芝翫ー長兵衛で観た時の旗本の水野十郎左衛門は菊五郎。単なる行儀の悪い悪党ではなく、武士としての胆力も鷹揚さも兼ね備えた男だが、自身の立場を考えるなら、この町奴は殺さざるを得ない。しかし「殺すには惜しい」と呟くところは、男が男を知るという大きさを見せて、ちょっと主役を食った感すらあった。これは役者の重さの差だろう。

今回の染五郎は、主役の格と考え合わせると、まあ順当な出来。主役を食うまでは行かない(笑) しかし、吉右衛門の幡随長兵衛を観れて実に良かった。


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