97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
今年最後の歌舞伎。「十二月大歌舞伎」、第三部。
土曜日は、歌舞伎座の第三部。開演が6時半と遅く、そろそろ部屋を出る準備をするかという頃には日は暮れている。

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第三部は食堂の営業が幕間ではなく、開演前。地下から別の入り口で三階の花篭まで行くのだが、どうも面倒なので夕食を済ませてから入場。場内は結構客が入っている。

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何時もより前の席だったので、花道七三は見づらい。前列に座高高く、やたらに頭のデカいオヤジがいたので舞台正面はちょっと欠落するが、まあ大丈夫。

最初は、玉三郎、中車コンビで演じる長谷川信の新歌舞伎、「瞼の母」

「沓掛時次郎」や「番場の忠太郎」という名前は、芝居がもっと身近であった(というか、TVや映画やSNSが無かった頃の)昔の人々の人口に膾炙していたが、今では歌舞伎や大衆演劇好きでないと聞くこともない名前では。

しかし、博徒となりながらも幼い頃に生き別れた母親を探し求める忠太郎というのは、最初の設定がなかなか優れており、科白劇としても良く台本が練られている名作。中車は現代劇の自分の引き出しからでも様々な演技を取り出して使うことが出来ているのだろう。

実の息子であることに気づいたが、息子が堅気ではないことや、娘の将来を考えて、実の母であることを拒絶するおはま役を玉三郎が印象的に演じる。中車は、歌舞伎界に入る前の香川照之時代、実父の先代猿之助を訪ねたが、「僕には息子はいません」と拒絶された由。この辺りの実体験も舞台の演技に投影されているのだろう。

序幕、弟分の半次郎を必死で守ろうとする妹役の児太郎は健気で、母親の強さと深い情を見せる萬次郎も立派に成立。イヤホンガイドを借りていないので配役をあまり確認しておらず、序幕の半次郎と水熊の場での板前は同じ人物かと思ったが、確認すると彦三郎と弟の坂東亀蔵であった。きっぱりした口跡も良いし、やはり兄弟だけに似ているなあ(笑)← というか顔だけで分かれよ(笑)

三味線弾きの老婆、玉郎、夜鷹の歌女之丞など、忠太郎が母親の影を投影する脇役の女役達も実に達者で、舞台を印象的に盛り上げている。

最後は舞踊劇「楊貴妃」

能と京劇を取り入れた玉三郎の世界。夢幻の世界から仙術で現世に束の間呼び戻された楊貴妃が、たおやかに、艶やかに舞う。二枚の扇を使った舞は、爛熟と幻想が咲き乱れる美の一つの到達点を示している。

相手役の方士は中車。玉三郎は中車を随分と可愛がっているんだなあ(笑) 歌舞伎界のどこかアウトサイダー的な立ち位置が似通っているからでもあろうか。

舞踊は大向う無し。胡弓と琴、尺八に長唄だけが美しく響く。「瞼の母」は新歌舞伎で、あまり掛け声かけるような部分は無いが、最後、忠太郎が母への思慕を断ち切り、花道を見据える所で、オバさんの声で二階から「澤瀉屋~!」と一声あった。

これで十二月大歌舞伎は三部全部制覇。しかし、大看板が玉三郎だけで第三部にのみ出演。もちろん、松緑、愛之助、中車が大奮闘で大いに楽しんだが、三部全て切符買うと、普通の大歌舞伎よりも値段が高いというのは、ちょっとどうかと思うよなあ。八月納涼はあれこれ趣向もあって、夏バテの時期でもあり、三部制は好適だと思うけれども。

しかし、取敢えず、これにて本年の歌舞伎納めであった。新年は、高麗屋三代同時襲名披露の「壽 初春大歌舞伎」

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