97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
一月歌舞伎座、「壽 初春大歌舞伎」高麗屋三代同時襲名の宴。
1月の歌舞伎座は「壽 初春大歌舞伎」。「歌舞伎座百三十年」と銘打って、

松本幸四郎改め 二代目 松本白 鸚
市川染五郎改め 十代目 松本幸四郎
松本金太郎改め 八代目 市川染五郎

の同時襲名披露公演が賑々しく行われている。江戸に歌舞伎座が出来て130年。高麗屋が前に三代同時襲名を行ってから、1代若返って再び3代同時襲名が37年ぶり。誠におめでたい話である。大物幹部俳優が揃って出演。

20180107151010b83.jpeg 20180107151036257.jpeg

20180116083620612.jpeg

松の内に昼の部も夜の部も観劇したのだが、それから風邪を引いたりして、更新をスッカリ忘れていた。

昼の部はまず「箱根霊験誓仇討(はこねれいげんちかいのあだうち)」

初代白鸚が演じた高麗屋ゆかりの仇討ち狂言だというが、新歌舞伎座になってから初演。イヤホンガイドを借りていなかったので、筋書きで筆助が愛之助だとは知っていたが、滝口上野と二役とは知らず、この役者は誰だったっけとしばし混乱した。同じ役者が二役を演じるには、善悪をコントラスト深く演じ分けて役者を目立たせるなど、興行上の理由があるはずなのだが、愛之助の二役には不思議とあまり理由を感じない出来。

勘九郎と七之助は、夫婦役で好演。七之助の初花は最後の亡霊もなかなか美しい凄みがあって感心した。

歌舞伎座も正月の雰囲気。襲名御膳もちょっとおせち風味あり。

2018011608340178d.jpeg

201801160834585f5.jpeg 2018011608353350d.jpeg

新染五郎が出て襲名披露の勧進帳や口上がある夜の部のほうが人気あるようだが、最初の観劇が正月3日だったのでさすがに翌日仕事で夜の部はねえ。1月は大相撲初場所観戦もあるので、歌舞伎の予定もなかなか立てづらいのだった。

「七福神(しちふくじん)」は、正月の目出度い雰囲気にもぴったりあった、賑やかでゆったりと新春を寿ぐ祝祭の舞踊劇。又五郎、扇雀、彌十郎、門之助、高麗蔵、芝翫、鴈治郎と豪華メンバー。大黒天の鴈治郎がのんびり酒を飲むさまが、春風駘蕩、旦那然としてよい。

25分の幕間を挟んで、「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」、「車引」と「寺子屋」。

車引でも中村屋兄弟が奮闘。最後の場面は錦絵のようで荒事の豪快さと歌舞伎の様式美に満ちで実に見事であるが、幕が開いてしばらくは、梅王丸と桜丸が笠をかぶっての台詞のやり取りが続く。何度か観たが、演目としてはこの辺りが若干長くてダレるか。彌十郎の時平は、大柄なのはよいとして、役者によっては、憎々しい怪異さがもっと際立つ時があると思うのだけれども。

「寺子屋」では、猿之助が涎くり与太郎役で歌舞伎座に復活。親父に引かれて帰る花道。左手は治ったのかいと聞かれて「目出度い高麗屋さんの襲名披露に間に合わせようと、精出してリハビリに励んだんだい」と言って観客を大いに笑わせ盛大な拍手が沸き起こる。手はちょっと不自然さは感じられない事もないが、ちゃんと動かせている。どうしても早く舞台に戻りたいという役者魂。早い完治を祈りたい。

忠義のためには自らの子を身代わりに討たせなければならない葛藤。しかも付いてきている春藤玄蕃に気取られぬ算段。そんなせめぎ合いと、最後に自分の子供が自らが身替わりになることを受け入れ従容と笑顔を見せて討たれた事を聞いた泣き笑い。義太夫狂言の名作。新白鸚の松王丸、最後の見得が大きく決まる。荒事役者の貫禄あり。高麗屋、大高麗、二代目と次々に大向こうの声が掛かる。

梅玉、魁春、雀右衛門、藤十郎と襲名ならではの豪華な布陣が脇を固める。

次の週末は、「夜の部」。

最初の狂言は、「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」、角力場。ちょうど大相撲初場所観戦を控えているので、舞台は大阪とは言え相撲興行の風情が良い(笑)芝翫演じる濡髪長五郎は、鷹揚にして大きい。愛之助は昼の部に続けて、つっころばし与五郎と素人力士放駒を二役で演じるのだが、上方世話の柔らかい可笑しみは十分あるものの、昼の部同様、二役の意味はあんまり良く分からない出来だったなあ。

そして「襲名披露 口上(こうじょう)」。藤十郎を中心に幹部俳優が列席してなかなか壮観。吉右衛門は、この後、「勧進帳」を御覧くださいと割と淡々とした挨拶であるが、要は舞台を観てくれという自信か。

そして新染五郎、新幸四郎、襲名披露狂言の「勧進帳」。弱冠12歳の染五郎が義経。歌舞伎の御曹司に生まれたら12歳で歌舞伎座で義経が出来る。駄馬はいくら演技が巧くとも出来ない。歌舞伎のこの非合理ではあるが予定調和の如き、しかし観客は喜んで愛でる美しき伝統。

偉大なる人間国宝にして怖い叔父貴(笑)、吉右衛門が富樫を付き合う。富樫の出は、実に口跡が朗々と響き、まさに主役降臨の如し。新幸四郎が染五郎として歌舞伎座で始めて弁慶をやった時は吉右衛門が義経。花道の出で並ぶと義経のほうが弁慶よりも背が高いという面白い現象があったが、富樫はいくら立派でも「勧進帳」は成り立つのであった。

新幸四郎の弁慶は、染五郎の時の一点一画を疎かにしない楷書の如き弁慶から、若干自分のニンに引き寄せている印象。悪く言えば崩れているのだが、良く言えば新幸四郎らしい弁慶を模索し始めているのだろう。新染五郎の義経は良い。初々しくも凛々しい高麗屋、12歳の御曹司が、歌舞伎役者として生きてゆく運命を従容と受け入れて歌舞伎座の舞台に立つ。観客はそれを一種、運命の物語として眼前に受け入れる。悪いはずがないではないか。

弁慶と富樫との山伏問答は、台詞ではあるのだがまるでアドリブのように感じる掛け合いのテンションがうねるように高まって行くところが見所なのだが、今回は新幸四郎が若干「置きに行っている」ところがあるのか、幾分迫力に欠けただろうか。四天王軍団は、鴈治郎、芝翫、愛之助、歌六と貫禄十分。

吉右衛門、富樫は弁慶の通行を許してから上手戸口への引っ込みの前、一瞬弁慶を振り返る。そして、涙を堪えて天を向く所作。これがなかなか良い。前回の染五郎弁慶で義経を勤めた時、吉右衛門は、花道引っ込みの際七三で、笠を上げて遠くを一瞬見つめてみせた。安宅の関は弁慶の機転で乗り切ったが、これから本当に陸奥まで落ち延びる事ができるだろうか。吉右衛門義経は自らの未来を遠い花道の先に一瞬幻視して、そしてまた笠を深くかぶり花道を走って行く。吉右衛門は細かい工夫が凄いよなあ。

新幸四郎弁慶の飛び六方は染五郎の時とちょっと違う。荒事風味が若干薄れた新幸四郎風味がする。海老蔵とも違う。しかし、それはそれでなかなか良い。まあ、おそらく一つは襲名を寿ぐ披露演目だというアドバンテージもあるのだろうけれども。

関連記事
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する