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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
歌舞伎座、「秀山祭九月大歌舞伎」夜の部
日曜は歌舞伎座、秀山祭九月大歌舞伎。

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奇数月は大相撲の本場所もあるので、歌舞伎座に行く週末の選択は限られて来る。しかも9月は、チケット松竹の発売日を失念しており、気づいた時にはいつも取る一階席のA3ブロックには空きが無くなっているという事態に。

戻りを待つかどうか思案したが、結局、取ったのは二階の桟敷席。この席は実に久しぶりだが、前にはテーブルがあり、缶のハイボールをちびちびやりながら見物できるし、一階席よりも隣との距離があるので割とゆったり。しかし舞台とはやはり上下の距離があるし、役者も横から見る事になる。花道も身を乗り出して上から観る事になるので、やはりちょっと調子が狂う。二階席正面だとこれまた舞台から遠い。見巧者から三階からで良いのだろうが、こちらは素人だからなあ。

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歌舞伎座まではタクシーで。本日初日。二階席からは観客席が見渡せて、客の入りがよく分かる。一階前方はほぼ満席。後方はところどころ空きあり。二階席桟敷と後方も所泥子空きあり。

最初の演目は、「松寿操り三番叟(まつのことぶきあやつりさんばそう)」

操り人形が三番叟を踊るという趣向。人間が操り人形の動きを模すというのは、西洋の大道芸やパントマイムにも似ている。幸四郎は、八月納涼歌舞伎も三部とも出ずっぱりだったが、九月秀山祭も昼夜の部に出演。この舞踊は結構体力使うと思うが、歌舞伎役者の身体能力は流石。元気者ですな。後見は吉之丞。

次の演目は、近松門左衛門の名作、「平家女護島 俊寛(しゅんかん)」 鬼界ヶ島の場。

元々は文楽の作品だが、先日、TV「にっぽんの芸能」でやっていたのを観たばかり。新橋演舞場では現右團次で観たことあり。先代吉右衛門もよく演じた当たり役。

遠島になった悲哀、苦しい暮らしの中のささやかな喜び、赦免船を見た時の喜びと自分の名前が無い時の絶望と落胆、しかし丹左衛門が携えた別の赦免状で備前までの帰国を許された突然の歓喜。しかし都で待つと思っていた妻は既に殺されていた。

目まぐるしく変わる状況と俊寛の感情の起伏が観客を飽きさせずに最後まで引っ張って行くのは近松門左衛門、作劇の冴え。

喜びと絶望、怒りと友情。そして自己犠牲の果ての諦めと未練など、人間の喜怒哀楽が典型的に凝縮しているからこそ、あまり表情の無い人形浄瑠璃としても俊寛の感情が観客に手に取るように分かり、昔からの人気演目なのだろう。物語の中心に、きちんとしたカタルシスとドラマがある。

赤っ面瀬尾の又五郎もきちんと憎々しく、歌六の丹左衛門も爽やかに成立している。「思い切っても凡夫心」。自ら納得して島に残りながらも去り行く船に未練を残す最後の有名な場面。

吉右衛門はどこか押さえた淡々とした演技。幕切れの場面では、実父からは「石になるのだ」と教えられたというが、演じるうちに「弘誓の船」が空から降りてくるのを眼前に見たように演じる事にしたと「ほうおう」のインタビューみあった。その岩山に上る前、船を追って俊寛は波打ち際まで走る。舞台では花道七三の辺りまで走り引き返すのだが、花道には波模様のシートが敷かれていた。これは一階から見ていては気付かなかったな。

雀右衛門の海女千鳥も安定した好演と思うが、二階の西側の上から見下ろすと泣き伏す後姿に随分と貫禄があって、女形の演技はやはり正面から見るのが一番綺麗に見えるのだなと妙な感慨が(笑) 菊之助 錦之助が丹波少将成経と平判官康頼。

鬼界ヶ島は平家物語に俊寛が流されたと出てくるが、現実の場所は、喜界島か硫黄島か、はっきりと同定はされていないらしい。 吉右衛門、仁左衛門、幸四郎、勘三郎などの大名題も何度も主役を務めた、近松門左衛門作の歌舞伎時代物の名作。海外公演でも人気の演目と云うが、確かに外国の観客にも理解できるだろう。もう一度観たいと思ったが、今週日曜からは大相撲九月場所も始まるしなあ。

ここで35分の幕間。「花篭」にて「海鮮重」。なかなか結構なり。

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最後の演目は、坂東玉三郎、花柳壽輔演出・振付 「新作歌舞伎舞踊 幽玄(ゆうげん)」

玉三郎と、佐渡を拠点に活動する太鼓芸能集団「鼓童」は以前からコラボレーション共演を行っており、TVのドキュメンタリーでも観た事があるが、今回は、「羽衣」、「石橋」、「道成寺」という歌舞伎でもお馴染みの能狂言を題材に、玉三郎と「鼓童」が共演する演目が歌舞伎座に「新作歌舞伎」として、初お目見え。

舞台美術や照明は実に美しい。「鼓童」の演奏者が一糸乱れずにまるで群舞のように舞台を巡り、寄せては返す波のような太鼓のうねりで舞台の基調音となってゆく。その中に浮かび上がる玉三郎も、まさに幽玄な美を象徴している。

松羽目の背景や物語など、歌舞伎のフォーマットが背景にあり、義太夫三味線も入るのだが、やはり太鼓が目立つせいか、歌舞伎ではなく、「鼓童」の舞台に玉三郎が客演しているという感が否めない。歌舞伎座での公演だからこそそう感じるのだろうか。もっともコラボレーションの舞踊であると割り切れば、なかなか印象的な舞台ではあった。

初日の打ち出しは9時ちょっと過ぎか。ブラブラと地下鉄帰宅。



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