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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
歌舞伎座「十二月大歌舞伎」、夜の部。
土曜日は、歌舞伎座「十二月大歌舞伎」、夜の部を観劇。

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昼夜ともに玉三郎が若手女形を鍛える公演。児太郎版「阿古屋」は先日見たが、なかなか立派に成立していた。この日のAプロは玉三郎自身の「阿古屋」。観たのは15年の10月に続いて二度目。

児太郎が阿古屋を演じたBプロでは、玉三郎が岩永左衛門役で同じ舞台に立った。玉三郎の赤っ面悪人は、いったい誰かと思うほど怪異なお面の如き化粧であったが、玉三郎が阿古屋を演ずるこの日、岩永左衛門に扮するのは松緑。こちらは文楽を意識した人形振りとはいえ、松緑の面影が残る。 玉三郎は足まで後見が動かす方式で、人形具合がより高かったが、松緑は自分で歩き、見得も自分の足で踏む。動作もやはり立役らしく大きくキビキビしている印象。

演目の主眼、琴、三味線、胡弓、三曲の演奏には歌舞伎座全体が静まり返り、舞台上には一種の結界が形成されたかのよう。三曲それぞれに聞き所があるが、悲しげな歌も良い。詮議を受ける苦しみではなく、自分もまた厳しく問われている恋人の所在を知らないのだという哀しみに溢れる。曲の終わりでは万雷の拍手。

玉三郎円熟の境地。しかし、歌舞伎俳優個人が蓄積した技芸は、歌舞伎俳優が個人の肉体の修練で獲得したもの。どんな名優であったとて、いつかこの世から去る時が来れば、長年かけて獲得した珠玉の技芸もその存在と共に呆気なく消え去る。しかし、伝統は世代を超えて継承されて行く。

「見て盗め」ではなく、若手にチャンスの舞台を与えて自らが同座して指導するという、歌舞伎の火を次々と若い世代に引き継ごうという玉三郎の新しい試み。これが終わりではなく始まり。承継する者が今後も精進を重ねれば、大きな成功となるだろう。

彦三郎は、同情深く理性的な裁き役、重忠を楷書の輪郭で明快に演じて印象的。何時もながら口跡は大変に明瞭で声量も歌舞伎座の壁がビリビリ響くのではと思うほど大きい。襲名披露の時は歌舞伎座で主役を張ったが、門閥が物を言う歌舞伎の世界では若干割を食う場面もあるのでは。もっともっと活躍を見たい役者ではある。

一階席前のほうだったのだが、数席横で、幕切れに「大和屋~!」と大声出す親父あり。びっくりするなあ(笑) 「阿古屋」の後の幕間は、花篭にて「芝居御膳」を。

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後の演目もあるのだが、所用あり、食事の後は歌舞伎座を後に。「阿古屋」が今年の歌舞伎見納めとなった。

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