種田山頭火の口語自由律俳句は、もうずいぶん昔に、永六輔のエッセイで知った。
人生後半になって出家し、漂泊した俳人であるが、その句は不思議に心を打つ。 日本に帰国した際、例えば後楽園「ラクーア」のスパにて、東から陽が刺し込む天然温泉大浴場につかっていると、自然にこの句が頭に浮かんだ。
「朝湯こんこんあふるる まんなかのわたくし」
まあ、どこであっても、朝湯につかる時には、必ず思い出す句。日本人である幸せといいますか(笑)そして、Webで検索すると、結構彼の句があちこちで掲載されている。
「笠へぽつとり椿だつた」
僧衣で山道を歩くと、何かがぽとりと、頭の笠に落ちた。下を向くと、笠から椿の花がまたぽとりと地面に落ちる。そして見上げた山の斜面には、一面の椿の花。黙示される視線の移動が、句に広がりをあたえている。
「どうしようもないわたしが歩いてゐる」
「分け入つても分け入つても青い山」
「また見ることもない山が遠ざかる」
彼の句にはどれも、彼自身のやるせない孤独が投影されており、それがやはり人の心に響くのだろう。
人生後半になって出家し、漂泊した俳人であるが、その句は不思議に心を打つ。 日本に帰国した際、例えば後楽園「ラクーア」のスパにて、東から陽が刺し込む天然温泉大浴場につかっていると、自然にこの句が頭に浮かんだ。
「朝湯こんこんあふるる まんなかのわたくし」
まあ、どこであっても、朝湯につかる時には、必ず思い出す句。日本人である幸せといいますか(笑)そして、Webで検索すると、結構彼の句があちこちで掲載されている。
「笠へぽつとり椿だつた」
僧衣で山道を歩くと、何かがぽとりと、頭の笠に落ちた。下を向くと、笠から椿の花がまたぽとりと地面に落ちる。そして見上げた山の斜面には、一面の椿の花。黙示される視線の移動が、句に広がりをあたえている。
「どうしようもないわたしが歩いてゐる」
「分け入つても分け入つても青い山」
「また見ることもない山が遠ざかる」
彼の句にはどれも、彼自身のやるせない孤独が投影されており、それがやはり人の心に響くのだろう。













