97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
「秋篠宮が天皇になる日
今月の文藝春秋の巻頭記事は、「秋篠宮が天皇になる日」。なかなかショッキングな題名。昔だったら「不敬罪」にあたるのではないか(笑) 一部メディアでは、「雅子妃バッシング」とも呼ぶべき報道が続いていたが、最近は、すっかり「皇太子バッシング」、「東宮バッシング」へと話が大きくなってきた。

宮内庁長官が、先般の記者会見で、

「ここ何年かにわたり、ご自身のお立場から常にお心を離れることのない将来の皇統の問題をはじめ、皇室にかかわるもろもろの問題をご憂慮のご様子を拝している」
などと語ったそうだが、これは差し出がましい余計な事ではなかったか。他の部分にも、皇太子の公務についての批判と取られかねないところがあり、これを、「天皇陛下の意を汲んで、皇太子に苦言を呈した」と見る人が多い。つまり、宮内庁こそが、「天皇、皇太子の確執」説の発信源となっているのだが、これは本当に天皇陛下の意を汲んだことなのか。

現在の天皇陛下は、生まれた時から次の天皇陛下となるべく、ずっと帝王教育を授けられた身。その天皇陛下が、わが息子である皇太子に対する文句を、(悪く言えば使用人である)宮内庁長官を通してメディアに公開することによって伝えようと本当にするだろうか。常識で考えると、到底そうは思えないのだが。

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皇太子殿下は、公人であって、いつかは国の象徴たる天皇陛下となる皇位継承者。それがいつまでも独身では、国際的に見ても体面が悪く、皇統も途絶えてしまう。そこで、素晴らしい学歴とキャリアを持ち、自らのどんな将来でも、自分で好きに掴み取れたであろう、自立した聡明な女性を、回りが説き伏せなだめすかして、特段好きでもない皇太子と結婚させ、皇室という牢獄に閉じ込めてしまった。

海外メディアが、外野から面白おかしく解説する時の皇太子妃問題は、だいたいこのような論調なのだが、言われてみると確かにその通り。外から見るほうがよく分かる好例ですな(笑)

皇太子妃になったらなったで、「公務はどうでもよいから子作りせよ」と言わんばかりの宮内庁の無言の圧力が続いたと報じられたし、メンタル面が不調になって療養したら、今度は、「公務をサボってばかり」と批判される。誠に気の毒に思う次第である。

現行の皇室典範では、平成の世が終われば、皇太子が即位する。そしていつか亡くなられたら、(その時点でまだ秋篠宮が存命なら)、秋篠宮が即位する。そして秋篠宮も崩御されれば、その長男である悠仁親王に皇統が移る。典範に決めてある通り、単に粛々と進んでも、国民生活には別に問題は生じないのでは。

愛子さまは、成人して結婚したら、いずれ皇室を去る。それまでは、雅子妃と気兼ねなく、幸せに皇居で暮らしていただく。それでよいと思うのだが。将来の帝王教育を授けなければいけないのであれば、秋篠宮の悠仁親王にそれを行う準備を始めたらどうか。

もっとも、その帝王教育にしてからが、(個人的にはどうしても信じがたいが)、「息子への文句をメディア通じて言う天皇陛下」を作るだけにしか役立たないのだとしたら、そんなものは一所懸命にやらずとも、皇室の将来にまったく問題ない気がしてしまうのだが。

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