97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
「ヤバい社会学」 ~ 久々に圧巻の一冊
週刊誌の書評を見て注文した、「ヤバい社会学」(スディール・ヴェンカテッシュ/東洋経済)を読み始めたら、一晩で一気に読了。「いっぺん読み始めたら、ぜったい途中でやめられないよ」という帯の宣伝文句は嘘ではなかった。

社会学者としてシカゴ大学大学院で学んでいた著者が、大学キャンパスのすぐ側にありながら、決して行ってはいけないと言われたシカゴの黒人貧民地区に、社会学的好奇心から足を踏み入れる。そして、ひょんなことから、スラムを支配するギャング・チームの黒人リーダーと知り合いに。南カリフォルニアの裕福な郊外で育った彼には、見たことも聞いたこともなかったような、ギャングとスラムの奇妙な世界が眼前に広がってゆく。

著者は社会学者として、その後も学問の世界に残り、現在はコロンビア大学で教授職にあるのだが、これは社会学的な調査記録ではなく、著者の型破りな実体験を記録した、実に面白いルポルタージュ。

私自身がシカゴ地区に居た時住んでたのは、北西の郊外だったが、この実録の舞台は、ダウンタウン南部、シカゴ大学付近の、ロバート・テイラー・ホームズという低所得者高層アパート。1960年前後、アメリカ南部から流入する黒人達の受け入れ先に、シカゴ住宅局が建設した、およそ4000世帯が住む、16階建高層アパート群。しかし、この一帯は、一気にスラム化し、既に70年代から、住民の90%が生活保護所帯に。売春婦、ホームレス、麻薬の売人、麻薬中毒患者などがたむろするこの世の地獄となった。現在のダウンタウンでも、西と南の地区の評判はよろしくない。

この地区を訪問した著者が出会ったのは、ブラック・キングスというギャング団に所属し、数百人の下っ端や麻薬の売人を束ねるリーダー、JT。大学を卒業して就職したものの、昇進の差別に遭い、ギャングになったという彼に、著者は不思議に気に入られて、友人のように、「つるんで」このスラム街を歩くようになる。

この本の原題、「Gang leader for a Day(1日だけのギャングリーダー)」とは、著者がフトJTに、「いつもブラブラしていい車乗って、ガールフレンドが何人もいて、楽な仕事だよね」と言ったことから始まる。

「へえ、オレの仕事に腕も技もいらんと思うのだろ。じゃあ、お前やってみるか」と、JTに促されて、著者の一日ギャング・リーダー体験が、その由来。もちろん、JTの上役や部下に知られるとマズい事になる。あくまでも一日中JTについて歩いて、JTの代わりに判断を下すのだ。

自治会長からの頼みに、手下のどのチームを派遣するか。ギャングの集会場所の確保と値段交渉。みかじめ料でモメている食料品店主とのネゴ。部下間の金銭トラブルの解決と、どちらを叩きのめして罰するかの決定と実行。数百人に及ぶ配下のクラック売人部隊の巡回と、営業報告を聞いてすぐさま命ずる対処。渡したクラックを水増しして売り、差額をポケットに入れてる手下への処分決定などなど、目まぐるしくも忙しい一日。

麻薬商売と縄張りを支配するギャングであるとはいえ、やっていることは、ビジネスの意思決定と組織のマネジメントそのもの。日本のヤクザでも、頭が悪ければ偉くなれないというが、確かに万国共通。ブラック・キングスにも階級があり、JTの上には隊長、役員などと呼ばれる数十人がいて、一番上には、取締役会と呼ばれるトップマネジメントが存在しているのだった。

著者が出会い、描写している人物達も、それぞれに興味深い。麻薬中毒の売春婦、貧民窟の牧師、スラム出身の警官。親が放置した子どもに食事を与え、近隣のモメ事を解決するスラム・アーパートメントの女性自治会長はまた、単純な善人でもなく、周囲の人間に、何かをやってやるごとに手数料を徴収し、アパートで商売をする者から「税金」を徴収する。警官も救急車も来ないスラム・アパートは、ギャングと、自治会長のような非公式のボスの統治のおかげで、なんとか平和が保たれている面もあるのだった。

もっとも、著者の体験は、シカゴ、ダウンタウンの西地区が再開発され、シカゴ・ブルズの本拠地、United Centerが建築される前、80年代終りから90年代初頭であるから、若干古い印象もあり。賃金や物価水準も違って、何百人のヤクの売人をたばねる地域リーダーのJTでも、景気が悪い時は何万ドルの収入しかない。ただ、それでも、事実だけが持つ奇妙な重みは全編に満ち溢れており、実に面白く読んだ。

このルポを可能にしたひとつの要因は、著者がインド系の移民であったことかもしれない。やはり、白人の大学院生では、シカゴのスラムに出入りして無事であったとは思えない。

Nigger、Shit、Fuckが連発される黒人言葉を扱って、「つるんでる」とか、「ヘタうった」、「どんなのが神様やってりゃこんなに寒くなんだ」など、なかなか軽妙な翻訳で、翻訳モノにありがちな訳文のストレスはまったく感じない。印象に残った部分のページには、軽く折り目をつけて後で読み返すのがいつもの読書習慣なのだが、この本はやたらにページの肩を折ってしまった。

単純な悪ではない、しかし無垢な善でもない。気を許したら、牙もむくし、油断すれば騙される。社会のギリギリの暗部で、生きるためにしのぎを削る、そんなアンビバレントな人間群像が、この本には確かに鮮やかに切り取られているのだった。

久々に圧巻の一冊。いや、しかし、呆気に取られたなあ。


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