97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
臓器移植法改正案
先週、「臓器移植法改正で、衆議院ではA案が可決」というニュースを聞いた時は、衆院議決で「A案」とかいう表記も珍しいなあ、と本筋とは関係のない感想を抱いただけであった。その後、若干ニュースを読んで、改正案の中身など確認。

日本では、臓器移植法が制定後も、ドナーの少なさから、移植医療があまり進んでいない。特に15歳未満について、現行法では移植医療の可能性が閉ざされており、ドナーを求めて海外の病院に行く患者が多数いる。一部の国ではこれが社会問題化しており、WHOが、海外渡航移植の原則禁止を決議する予定であったことなどが、今回の改正案審議の契機になったのだとか。

15歳未満の臓器移植が不可能なのは、臓器移植法本法の規定ではなく、厚生労働省の通達によるとは知らなかった。確かに、本法では、ドナーになるには「本人の書面による意志表示が必要」と規定されており、児童や幼児まで対象にはできまい。年齢の下限について、何らかの指針を設定する必要は理解できる。15歳未満の移植を可能にするには、規制年齢を下げる、あるいは、「本人の意志表示」を不要とするしかなく、今回の改正案でも、それがいくつかの選択肢に。

今回のA案は、年齢を問わず、本人の書面による意思表示の義務づけを止め、家族の同意で臓器を提供を可能にするのが主要な改正点。これにより年齢に関係なくドナーになれる。

この本人の意思確認の必要有無は、個人の死生感にもよるので、なかなか難しいところ。

死んだ後は、どうせ遺体が焼かれるだけ。臓器提供しても不都合はなかろう。本人確認も要らないだろう。そう言われれば、まあ、その通りのようにも思えるが、たとえ死んだ後とて、自分の身体を傷つけられるのは、どうしても嫌だという人の意思も尊重しなくてよいとまで言えない。

私自身、例えば、アイバンクに角膜提供するには、死後に眼球ごと全部取り出すのだと聞いて、それはちょっとなあ、と思ったことがある。もちろん当人は死んでいるのだから、眼球ごと取り出されても、痛くも痒くもない。人助けだし、ケチな事言うなといわれれば、誠にその通り。まあ、しかし、なんだか嫌なんだなあ。理屈になってないが(笑)

臓器提供が嫌な人は、そのように意思表示してればドナー対象にはならないという。しかし、提供しない意思をどのように書面で残すかも若干難しいところ。逆ドナーカードみたいなものを持つか。しかし、遺族が、「本人はもう死んでるのだし、臓器提供も人助けだからよいだろう」と考えれば、ご本人はもう亡くなってるからして、止める手立てはないのである。止める必要もないだろうと言われれば、まあ、それも理屈ではあるのだが。

そして、このA案には、なぜかもう一点、「脳死を人の死とする」という改正も加わっている。

欧米等移植先進国では、脳死を一律に人の死とし、本人の意志確認無しで家族の同意により移植が可能となっているのが一般的。A案改正は、一気に日本の法律を国際標準に合わせるもの。今までは、「脳死」とは臓器移植の時だけに採用された死の概念であった。

一般に、人間が死に至る際は、まず呼吸が停止し、心臓が止まり、そして全脳死へというのがごく普通の順番。心肺機能がまだ活動しており、先に脳死に至るというケースは、交通事故による脳への打撃、脳出血などの例を除いては、実際にはごく稀。人工呼吸器が発達する前は観察されなかった事象でもある。

臓器移植の観点からは、「脳死」概念の導入は、ドナー適合患者の「死」の判定ポイントを早めることになったのだが、ごく普通に老衰や病気で死を迎える場合にはその逆。死のポイントを一律に「脳死」に揃えると、理屈でいうと、大部分の「ご臨終」判定のポイントが、現在よりも若干後倒しになるものと思われる。まあ、心肺機能が止まれば、確実に数分後には全脳死が起こるので、大きな差ではないかもしれないが。

臓器移植の際の脳死判定には、厳密な基準が定められており、平坦脳波の確認や、人工呼吸を外した自発呼吸の消失の確認、しかもこれを時間を置いて複数回行うことになっている。しかし普通の病室でのご臨終の際には、まさかそこまではやらないだろう。だとすると、一律に脳死を人の死とした場合、臓器移植を想定した場合と、ごく普通の「死」の場合で、「死」の判定のタイミングが違ってくるのだが。

例えば、相続法は、相続の結果が違ってくるため、死の順番には大変に厳格。「同時死亡の推定」など、細かい規定が定められている。この点で、モメたりする可能性はないのだろうか。どうも、まず最初に移植振興ありきで改正案が作成されてるような印象もあり。

いずれにせよ、法案はまだ成立していない。今後は参議院での審議になるのだが、野党ではA案への反対が多いらしい。個人の死生感にも関連する問題だけに、あまり拙速に決めず、もう少し議論が必要ではないだろうか。

第一、「心臓死」、「脳幹死」、「全脳死」などの概念や、脳死と植物状態との違いなど、世の中の一般常識となっているようにも思えないのだが。

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