97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
「この世界の片隅に」
週刊文春の書評を見て発注した、「この世界の片隅に」(こうの史代/アクションコミックス)を読了。そう、15日は、奇しくも終戦記念日。まあ、アメリカ時間であるが。

同じ著者の、「夕凪の街 桜の国」も、以前読んで深い感銘を受けた。「ヒロシマ」を語る最良の作品のひとつとして記憶に残る名作。今回の、「この世界の片隅に」は、同じく広島、呉を舞台としつつも、昭和18年から20年の時間軸で、太平洋戦争を背景とした市井の人々の生活を描くもの。

絵を描くのが好きで、空想癖のある主人公すずは、18歳で会った事もない夫の(いや、厳密には会った事があったかもしれないのだが?)、軍港、呉の家に嫁ぐ。「ふつつか者ですが、末永くお世話になります」と義理の両親に挨拶して、婚礼が開ければ、次の日から毎日真っ黒になって、掃除や洗濯、裁縫や畑仕事、薪での風呂炊きなどの家事に朝から晩まで追われる。

こんな戦前の主婦の生活というのは、今となってはおそらく誰にも想像がつかないが、しかし、そんな当時としては平凡な市井の暮らしにも、幸せや愛や思いやり、嫉妬や哀しみや諦観、そして切ない別れの物語が存在している。その背景には、登場人物全てを覆い隠し、次第に広がる戦争の暗く重い影。

生きたことのない時代を描くのは実に難しい。実際にその時代を生きた妹尾河童が自らの少年時代を描いた「少年H」でさえ、「間違いだらけの少年H」で批判にさらされている。自らの記憶さえ、長い年月の後では時として自分を裏切ることがあるのだろう。

しかし、緊迫する戦争下での、貧しいながらも、お互いをかばい、いたわりあう庶民の暮らし、国のために死んでゆく兵士へ払われる自然な敬意など、当時の世相について、もちろん体験もしたことのないはずの著者が、実に丹念に調べて作品に描きこんでいるのには、ただ驚くばかり。

突然訪ねてきた幼馴染の水兵、水原との再会と別れ、遊郭の女性リンとの奇妙な友情と嫉妬、爆弾で亡くした義姉の子供、失った自分の右手、玉音放送を聞いて主人公の胸に去来する激しい感情。呉大空襲や原爆投下、玉音放送などの史実を背景にしながら、著者が自らの物語として過去から掴み取り、この作品に提示したひとつひとつのエピソードは、実に印象的に、深く心を打つものとして成立している。

巻頭にある、「冬の記憶」「大潮の頃」「波のうさぎ」は、本編に先立って発表された、すずの幼年から少女時代を描いた掌編。そして、奇妙な化け物や座敷わらしなどの記憶が、全て本編の物語に繋がっている。「夕凪の街 桜の国」もそうだったが、ふとしたコマや、欄外に描きこまれている情報が数多い。そして、それがまた別のエピソードに繋がり、まるで寄せては返す波のように、新たな物語と過去の物語とを繋いでゆく。こうの史代が丹念に綴る物語には、いつもながら深く感心する。

誰もが誰もを探して歩く被爆後の広島。母親を亡くして一人で街を彷徨う身寄りの無い戦災孤児に偶然巡り合ったすずが、「あんたよう、広島で生きとってくれんさったね」と語りかけるラストは、全ての悲劇を受け入れた上で、焦土から立ち上がる再生の希望を描き、心を打つシーンとして物語に深い余韻を与えている。

我々は大切なものを、いつだって失い続ける。しかし、その、光きらめく記憶が胸に宿り続ける限り、日々の暮らしを、ただ静かに生きて行くことは、きっと意味のあることなのだ。

この素晴らしい作品もまた、こうの史代の代表作となり、長く人々の記憶に残るに違いない。

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