97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
裁判員裁判のマーケット主義
裁判員裁判も、どんどん事例が増え、裁判結果も、今週は何件か立て続けに報道された。

殺人事件では、おおむね従来の判決よりも重い傾向にあったし、被害者の女性達が証言した強盗強姦事件でも重い判決。

反面、寝たきりの妻を、看病疲れで殺そうとした事件では、被害者自身も重い刑罰を望んでないということもあってか、普通よりも軽い判決が出たように思える。

今までの職業裁判官が下す判決よりは、情状に重きを置き、ある意味ブレが大きい印象。もちろん、それは、実はそうあってしかるべきかもしれない。年がら年中、裁判官やって、求刑の7割から8割で機械的にポンと判決を出してる、心の麻痺したプロ裁判官(がいるかどうか知らないが)には、裁きを下す峻厳な役割としての、初心に戻るよい契機になるのでは。なにしろ、裁判員は、ほぼ一期一会だからなあ。

その点では、裁判員ばかり、判決の後でメディアの記者会見に出るのも、本来はおかしな話に思える。裁判員を(本人の同意必要とはいえ)公衆の面前に出してよいのなら、なぜ、裁判官達は公に判決理由について語らない。それは、自分達だけがプロで、偉いから?

麻薬の持ち込み事案では、求刑よりもずっと軽い刑が出た印象。法の執行機関は、海外の空港で頼まれたバカな素人の麻薬の運び屋を逮捕して極刑に処するより、それを商売にして、国民に売りさばいてるプロの麻薬組織を、もっと真剣に摘発する義務があるのでは。

ノリピー覚せい剤騒動でも、まるで使う者だけが極悪人のごとき報道だが、本来の極悪人は、それを商売にしているヤクザ者である。そこを忘れてはいけない。元の根の彼らを撲滅しないと、末端への刑法上の刑罰を重くしても、結局効果ないのでは。麻薬に関する裁判員判決には、いわゆる、麻薬事案に対する政策的重刑への疑問が呈されているようにも思えるのだが。

まあ、その点では、裁判員制度は、このまま判例を積み重ねて、従来の判例に重ね合わせて比較するなら、求刑や判決に対して、一般市民の感覚を、デジタルにフィードバックする貴重な手続きとなるだろう。

そもそも、法定の刑罰にしても、役所が法案作って、国会で法律になるとそれで決定。量刑の相場について、別に社会の同意を得ている訳ではない。求刑にしてもそうだし、判決にしても今まではそうだった。

まあ、よくも悪くも、裁判員制度は、立法、行政、司法の全てに、国民の量刑に対する相場を反映する、一種市場原理的装置として機能するのだろう。
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