97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
加藤和彦ラストメッセージ
文藝春秋に掲載されていた広告を見て発注した、「加藤和彦ラスト・メッセージ」読了。

加藤和彦から2007年に「僕の本作らない?」と誘われた著者が、2008年から2009年に行った加藤和彦とのインタビューをまとめたもの。「60歳ともなると、自分の歴史を残しておきたくなって」と加藤は著者に述べたそうだが、この頃、もうすでに自殺のことは念頭にあったのだろうか。

著者がまとめたインタビューは、主として加藤の自宅で行われた実にリラックスした雰囲気のもの。京都での生い立ちや青春時代、ファッションへの目覚めから、アメリカン・フォークを経て没頭した音楽活動。ザ・フォーク・クルセダース結成と、「帰って来たヨッパライ」の大ヒットなど、本人の口から恬淡とした口調で語られる自身の軌跡は実に興味深い。

様々な人との出会いについて、「ファッション見たら、その人のセンスなんて全部わかるから」と述べる部分や、クルセダース結成の募集を「メンズクラブ」読者欄に掲載したエピソードは、この才人が、そもそもは音楽よりもまずファッション、美学の人であったことを明確に伝えている。

プロの音楽家に転じてからのエピソードにも、クリス・トーマスをプロデュースに迎えてのアルバム作成、ロキシー・ミュージックのサポートとして全英ツアー、イギリスからPA機材を輸入しての会社設立など、当時の日本人がまだ誰もなしえていなかったことを、軽々と達成していたことが淡々と語られており、これにもまた驚かされる。

加藤和彦の人生転換点となったのは、やはり、「ヨッパライ」の大ヒット。280万枚売れて、印税が何千万円かになったという。この金額は、1970年当時の大卒初任給が4万円程度だったことを考えると、現在に換算すると数億円に上るだろう。この巨額の所得により、彼は、生計のためにアクセク働く人生設計から脱出し、自らの才能で、自分の好きなことだけをやって生きる、「高等遊民」としての自由軌道に達したのだ。弱冠21歳にして。

成功の後に続く、1970年代のアメリカ放浪、ロンドン長期滞在、世界中への気ままな旅行と音楽活動について語る部分では、自由に生きる才人、加藤和彦の世界が、いかにリファインされ、深く広がっていったかが窺える。

この本で面白いのは、加藤の伝記部分だけではなく、加藤が自らの嗜好や趣味の世界についてのエピソードを語る第5章。好きなワインやレストラン。自分で作る料理のコツ。自らイギリスに買いに行き個人輸入したロールスロイスと愛した車の数々。

明確に自分のテイストがあり、こだわりもあるのだが、決してマニアックではない。趣味について、悪い意味での極端な執着がない自由な心。車はロールスロイスとベントレーが好きだと述べるが、彼自身が運転免許を取ったのは40歳の時。内装やデザインを愛でるが、運転そのものにはさほどの興味は無いのである。

彼の世界を垣間見ると、自由な趣味人として鷹揚に全てを受け入れるしなやかな感性と、恬淡とした大人の才人の静かな世界に感嘆せざるを得ない。こんな人間がいたのかという新鮮な驚き。そして、そんな感嘆と共に心に浮かび上がるのは、こんなにも自由に生きていた人物が、なぜ自死を選ばざるをえなかったのだろうかという苦くも暗い問い。

この本を読んで思い出すのは伊丹十三。伊丹は加藤の成功に先行する1960年代に外国映画に出演し、海外で暮らし、自ら料理もし、ファッションや車や音楽や食に詳しかった才人。いわゆる「高等遊民」ぶりが実によく似ている。そしてなぜか、64歳で自殺したという信じられない最期さえ。

実に印象的な本だが、惜しむらくは、加藤の語る自伝が1983年頃までで途切れていること。本人の死を受け、慌てて編集されて出版されたのだろうが、このインタビューは未完である。当時の世相を説明する部分や最後の年譜でページを稼いでいるが、200ページも無い実に薄い本。それでもなお、加藤和彦が語る自らの世界は実に魅力的で圧巻と言うしかない。もしも、このインタビューが完成していたら、いったいどれほど素晴らしい本になっただろうか。

この希代の趣味人、才人の話を聞く機会が、もう永遠に失われてしまったことが、かえすがえすも残念。そのうち、「伊丹十三の本」のように、加藤和彦の世界を更に掘り下げる本が編集されると素晴らしいのだが。
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