97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
酒飲みとして読むのが怖くなる「実録! あるこーる白書」
「実録! あるこーる白書」を読了。Amazonでたまたま見つけて買ったんだっけか。

自分自身がお酒飲みなので、今まで随分とアルコール依存について書かれたエッセイを読んできた。最初に読んだのは、確か、中島らもの「今夜すべてのバーで」。アルコールを、その薬理作用を求めて飲む者は、もう中毒の一歩手前だと書いてあって、自分に照らし合わせて戦慄したが(笑)、中島らもは、この本を書いた時点で断酒していたものの、結局アルコールの世界に戻ってきて、最後はボロボロに。この辺りの事情は、中島らもの奥さんが書いた「らも―中島らもとの三十五年」に記されてあるが、実に悲惨。

吾妻ひでおの「失踪日記」と、鴨志田譲の「酔いがさめたら、うちに帰ろう」は、壮絶なアルコール依存や、鬱との相関が著者の実体験として克明に記録されており、これも酒飲みが読むには実に怖い本。

「あるこーる白書」は、吾妻ひでお本人と、鴨志田譲の妻であった西原理恵子、そしてアルコール依存を克服した元患者の対談形式で、自身や身内が経験したアルコール依存の実態を語るもの。

アルコール依存になると、アルコール以外の事は考えられなくなり、朝から連続飲酒。アルコール以外は口にできなくなり、一種の酔生夢死状態になるのだが、これは地獄の入り口。次第に身体は衰弱し、アルコールさえも受け付けなくなるのだが、それでも飲まずにいられない。飲んでは吐きを繰り返しながら意識は混濁するという状況にアルコール依存患者は陥って行くのだ。

アルコール依存から戻ってくるには、完全な断酒しかない、という事実が、いかにこの依存が深刻なものかを語っている。本人の嗜好や意志の問題ではなく、依存症という治療を要する病気なのだ。

ただ、大酒飲みでありながら依存にまで至らない者もいるのだが、アルコールにはそれほど強くないのに依存になる者もいるというのが実に不思議。そして、酒飲みにとってもっと怖いのは、それまで問題なく飲酒していたのに、何かの拍子に坂を転げ落ちるようにアルコール依存になる酒飲みもいるという事。何がきっかけになるかは分からない。アルコールに起因した鬱病状も同様らしい。なりやすい人はいるが、いつ誰がなるかは分からない。だとしたら、予防のためには、人類全体禁酒しかないではないか。これまた酒飲みにとっては怖い話。依存症になったら、残りの人生を全て断酒で過ごさなければならないというのが実に過酷に聞こえるのだよなあ。

朝から酒飲むというのが大変まずいのはよく分かるし、私も普通は、朝から飲んだりはしない。しかし、休暇中のハワイで、ふと眼が覚めた朝、潮風の吹くラナイに出て、朝の海を眺めながらビール飲むのは最高なんだよなあ(笑)

もっとも、朝からワンカップ大関飲むようになったら、人間終りです(笑)。時折、街角でも、朝っぱらからカップ酒持ってフラフラしているオッサンに会うが、明らかに様子がおかしい。アメリカでは、アルコール販売禁止のドライ・ステートもあるが、販売可能でも、時間や曜日には制限を設けているカウンティもある。アル中がフラフラいつでも飲酒できないような規制なのだろう。日本ではコンビニで100円のパック酒が24時間売っており、まあ飲酒者には天国みたいなものだが、依存症の患者には逆に過酷な環境と言えるのかもしれない。

まあ、何のきっかけで依存症になるかは分からないが、周辺にいる酒飲みとして(笑)なるたけ依存症にならないよう、ささやかな努力をしてゆきたい。どうせ年取ったり病気したりしたら飲めなくなる。そこまで注意しながら騙し騙し酒と付き合うが、でも断酒は絶対嫌だな。<だったら、どんな努力するんだっての。



「吉田豪の喋る!!道場破り プロレスラーガチンコインタビュー集」
昨日の散歩中、東銀座の本屋で購入した、「吉田豪の喋る!!道場破り プロレスラーガチンコインタビュー集」読了。

プロ・インタビュアーにしてタレント本批評家、吉田豪は、事前の周到な予備知識の集積を使い、相手の懐に入って思わぬ掘り出し話を聞き出すのが得意。乗せられて調子に乗ってしゃべってから、後で我に返って掲載拒否する相手もいるらしい。

これは雑誌でのプロレスラー対談を一冊の本にしたもの。プロレスは最近すっかり衰退してしまったが、昭和は全日や新日が全盛期だったし、その後、UWF、Uインターやパンクラスから、PRIDEなどの総合格闘技に至るまで、プロレスラーがTVで活躍した時代が確かにあったのだ。

相撲からプロレスに転じて、豪快に生きた天龍の生き様。天衣無縫な武藤敬二の天然な会話。蝶野正洋の自らのキャラを見切った冷静な計算。藤波辰爾の素朴な善人ぶり。どこか変わった性格の船木誠勝。Uインターの頭脳と呼ばれた宮戸優光。一本木だが偏屈なところ満載の鈴木みのる。

吉田豪の巧みな転がしによって、インタビューでそれぞれの人となりが鮮やかに浮かび上がるのが面白い。プロレスラーという人生の虚実と、プロレスという興行の虚実が交錯する実に興味深い対談集。そして、インタビューには直接に登場しないものの、馬場と猪木、日本のプロレスに記念碑的足跡を残した二大巨頭の横顔もまた、印象的なエピソードをもって随所で鮮明に語られる。

猪木を巡る優れたルポルタージュとしては「1976年のアントニオ猪木」が記憶に残る本。猪木が1976年に3試合だけリアル・ファイトを行った異種格闘技に焦点をあて、猪木という異形の怪物の素顔に迫ったもの。プロレスは結果の決まったショーだという通説があるが、時として番狂わせが起こり、あるいはまったくの偶然により、ショーだったはずの試合がリアル・ファイトへと転じて行くことがある。

このインタビュー集でも、随所に興味深い戦いの裏側が語られる。

高田がハイキック一閃で元横綱北尾をマットに沈めた試合、ヒクソン・グレーシーが船木を締め落とした試合、ヒクソン道場に道場破りに行ってボコボコにされた安生の裏話等々。どれも印象深い。久々にプロレスが見たい気分になる本なのだった。

「魚道(さかなどう)~海の四季」
昨日、銀座に出た際に教文館で購入した、「魚道(さかなどう)~海の四季」読了。

「自称、日本一鮨を愛する「夜回り先生」と、日本一魚を愛する寿司屋の親父の真剣勝負!」と帯に。「獲れたての鮪はまずいのか」「タネの切り方で、板前の愛を知る」「ネタケースで寿司屋の質がわかる」「寿司屋のむらさき」「寿司屋に行ってはいけない日」などなどのお題について、寿司の愛好者と寿司屋の親父が交代に哲学を語るという形式の本。

桜鯛を例に挙げて、大量に取れる漁の盛りと味の旬は違うという話や、養殖魚の味は本当の味ではないなど、頷ける話もあるが、特段目新しい話題は無し。

逆に、魚の熟成を認めず、新鮮でありさえすればよいという話や、海が荒れた日でも生簀がある店なら大丈夫という話やら、醤油を「むらさき」と連呼するところなど、だいぶ時代と流儀が違うなと思うところも随所に。

水谷修という人は高校教師として幾多の教育関係の著作があるらしいが、江戸前寿司の全てを四谷の「纏寿司」で教わり、現在、常連として行ってるのが、この本の共著者、神奈川葉山にある「稲穂」の鈴木一人親方なのだという。

ただ、最近流行っているまともな江戸前の寿司屋は、生簀もガラスケースもない。熟成によって旨みを引き出す手法は盛んだし、目の前の海に拘らず全国から素晴らしい種を引くのも普通。酢飯や種の温度にも細かな気を使っている店が多い。最近の人気店を比較に考えるなら、この本の記述は、ずいぶん古典的な寿司屋の基準を語ってるような気がするのだが。

この「稲穂」の主人は18歳で寿司屋に入り22歳で独立したというが、修行店は不明。もう還暦は越えている。葉山の店では、相模湾で揚がった新鮮な魚にこだわり、寿司の他に、天ぷら、煮魚、焼き魚なども供しているのだそうである。これが江戸前と言われると、ちょっと疑問に感じるところではあるかなあ(笑)

もっとも、回転寿司しか知らない層には興味深い話が多々あるはず。ただ、本当に寿司種の魚について深く知りたければ、例えば、第三春美鮨の長山親方が書いた「続 江戸前鮨仕入覚え書き」などを読むほうがずっとためになるかな。あまりにも深い知識満載で、ついてゆけない部分さえあるのだけれど。


大野更紗の「さらさらさん」とヨブ記
大野更紗の「さらさらさん」読了。

第一作「困ってる人」は、著者自身が突然難病に倒れた壮絶な体験を、不思議に明るい突き抜けたトーンで語った実に印象的なエッセイ。そして、この第二作は、著者が書いたエッセイや対談を収録。やはり読み応えがあるのは対談。対談相手は実に多岐に及び、それぞれに心を打つ不思議な示唆に富んでいるのだが、特に「五体不満足」乙武洋匡との対談は読みごたえあり。

「障害」と「難病」。他者には推し量ることのできない状況を抱えながらも、明るさと強さを感じさせる両者。しかし、大野更紗は始めからあっけらかんと明るかったのではない。難病を生き抜く暗闇での手探りの葛藤を、澄み切った知性と勇気で乗り越えた後に彼女が行き着いた心境があり、それが文章として結実したのが「困ってる人」だった。それが実によく分かる対談。

ALS協会理事、川口有美子との対談も圧巻。QOLと安楽死との関係。死と向き合った大した経験も無く、なんとなく抱いていた自分の死生観にガツンと衝撃を食らったような印象。「逝かない身体」も早速発注。

巻末の「困ってる人の本棚」には、何冊も自分の読んだ本があって面白いが、「ヨブ記」の解説書が入っているのが興味深い。

旧約聖書「ヨブ記」は、信仰を持った正しい人に悪い事が起きる、何も悪い事をしていないのに何故苦しまねばならないのか、という「義人の災難」をテーマとしたお話。

今から2千数百年前から「神がいるのなら、なぜ人間に不条理な苦しみが降ってくるのか」は人間の心を捉えて離さない疑問。人間は絶望の中で土に伏し「なぜこのようなことを行われるのですか?」と幾度神に問うただろうか。

全ての善悪は人間が作り出しており神の責任ではない。いやそれはお前が何か罪を犯したからだ。いやいや、お前の信仰がまだ足りないのだなど、人間は人間であれこれと、二千年以上も自問自答してきた。

この「ヨブ記」にある、峻厳な旧約の神の答えはまた印象的。(私の勝手で思い切り要約すると)「お前の禍福など、我が天地創造の一部始終を何ひとつ知らぬ、被造物であるお前の知った事ではないのだ」と。散々の災悪に遭ったヨブはしかし言う「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う」この答えをよしとされて、神はヨブに再び幸せを与える。

いきなり襲い掛かった難病という災難を、血みどろになりながらも乗り越え、今や他人に明るく語れる境地に達した(しかし時には大変な時もあると想像するが)この著者の辿りついた救いと照らし合わせて読むと、まがりなりにも健常者として呑気に過ごしていることがなんだか恥ずかしく、人生の意味について考えさせられるお話なのだった。




「昨日までの世界」、「さらさらさん」、「ヒッチコック」
金曜にAmazonで発注した書籍とDVDが一気に届く。

「昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来」「昨日までの世界(下)―文明の源流と人類の未来」は、以前読んだ「文明崩壊~滅亡と存続の命運を分けるもの」~地球がイースター島にならないためにを書いたジャレド・ダイアモンドの新刊。この人の本は、「銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎」も実に面白かったからハズレは無いものと予想。

もう一冊は、「さらさらさん」。こちらも、以前読んだ、「困ってる人」、大野更紗の新刊。難病に苦しむ自分の姿を、どこかカラッと突き放した明るい眼で描いた第一作には感心。こちらは著名人との対談集。これも面白いに決まっている(笑)

DVDのほうは、「ヒッチコック サスペンス傑作集」

「レベッカ」、「バルカン超特急」、「ロープ」、「見知らぬ乗客」、「断崖」などの著名作品10作が入って2000円しないというとてつもない安売り。最近、昔の映画の超安売りDVDがあれこれ出ているが、著作権が既に消滅したのかな。これも評価の定まった作品ばかりで、なにしろ安い。買わざるべからず。

本を買うには本来、本屋で帯や出だしなど読んで、あれこれ選ぶのが好きだが、既に評価の定まった前作がある場合、Amazonでポンと発注するのがやはり便利。上下2冊なんかになってると本屋で買うと荷物になるし。ということで、ボチボチまた読んで行こう。

ヒッチコックDVDは暇な時に、トリュフォーの「ヒッチコック 映画術」を紐解きながら観る予定なのだ。


「統計学が最強の学問である」
「統計学が最強の学問である」読了。

冒頭、「統計リテラシーのない者がカモられる時代がやってきた」に書いてある「あみだくじの必勝法」にはなるほどと感心。確かにある出発点からどこに到達するかの確率を考えるなら、著者のいう通りだ。まあ、どこが当たりかが分かってるあみだくじに限った必勝法だが、やりようによっては明らかに勝つ確率が上がる。これは考えたこともなかったなあ。

著者は確率や統計の歴史が、疫学や医学、教育、経済学に与えた貢献と統計を扱う際の初歩的な留意事項を明快に説明して、統計学こそが最強の学問だと説く。「統計のウソ」については以前から興味があり、関係した本を何冊か読んだことがあるので、耳新しい話はないが、気楽に読めるのがよい。

話題の「ビッグデータ」に対する考察も興味深い。「ビッグデータ」は新たな商売になると踏んで、IT系のベンダーはずいぶんと連呼しているが、何を探すかも分からないままに大量のデータだけ収集しても、夢の島を「何かいいものないか」と放浪するようなもの。ゴミを全部漁ってもゴミはゴミ。どんな仮説を立て、どのような因果関係を証明するために、どんな手法を使うか、事前にしっかり検討しておかなければ、サーバーや分析ソフトだけ買っても何の役にも立たない。そして、もしも統計的な手法がしっかりしていれば、おそらくほとんどのケースでは、全データを扱う必要なく、ランダムな抽出データたけで用が足りる。

統計と数量経済学を扱った本では、過去日記、「ヤバい経済学」 犯罪率低下と大相撲の八百長で書いた本も実に面白かった。この「ヤバい経済学」は、「経済学」と題名にあるものの扱っているのは統計の手法。

「大相撲には本当に八百長があるか」
「過去10数年でアメリカの犯罪率が大幅に下がった真の理由は」
「不動産を売る時、業者を使うほうが得か」
「親の人種や所得によって、子供につけられる名前には差があるか」
「統一学力テストで教師がイカサマをしているのではないか」

などの疑問に明快な回答を与える、統計的手法によるデータ分析は実に面白かった。そしてAmazonを検索すると、続編、「超ヤバい経済学」が続編で出てたので早速注文。
水道橋博士の「藝人春秋」
水道橋博士の「藝人春秋」をKindle版で購入。Kindle本を読むメイン機はKindle Fire HDだが、iPhone5にもDL可能。読んだ履歴もKindleと共有可能。世の中便利になった。

「アメトーク」、「芸人報道」、「すべらない話」など、芸人の内輪ネタを売り物にする番組が増えているので、この世界の面白話などもずいぶんポピュラーになっているのだが、自らもお笑い芸人として同じ世界に属した著者でなければ描けない鋭い観察眼がエピソードの随所に現れて、実に面白い。

「そのまんま東」、「三又又三」、「ポール牧」、「石倉三郎」など破天荒な芸人の話も味があるが、「テリー伊藤」や「ホリエモン」など、そもそも芸人ではない有名人の奇妙な実像も興味深いもの。

「苫米地英人」、「湯浅卓」などの「怪人系」に至っては、語る事のどこまで本当でどこまでホラか不明な、トンデモない連中を番組で相手にした顛末が語られる。自らが笑いを取るというより、対象を自分の手の内で転がして「おいしく」するという、この稀代の観察者の実力には感心するところ。

文章も達者だが、唯一気になるのは、下ネタ系のダジャレが実にお気に入りと見えてさんざん連発しているのだが、これが「寒い」こと。もっともこれは、私自身がダジャレで笑った事が無いという、「ダジャレ回路欠損」を持つ人間だからで、ダジャレ好きな人ならまったく気にはならずに腹を抱えて笑う部分なのかもしれないが。

Kindle本でDLすると、通勤の合間などにiPhone5でチョコチョコ読めて実に便利。新刊書がもっとKindle化されないだろうか。
「東京今昔江戸散歩 」
本屋で平積みになっていた文庫本をふと購入。

「東京今昔江戸散歩 」

江戸古地図と現代の街並みを重ね合わせて、江戸の昔を散歩するガイド。

浅草、吉原、銀座、石川島人足寄場、佃島、愛宕神社、浜離宮に六義園。今や高層ビルが立ち並ぶコンクリートのジャングルにも、探せば物陰にポツンと江戸の昔を偲ばせる小さな神社や公園、坂や石碑が残っている。

歴史マニアではないのだが、古地図に現在のランドマークを重ね合わせながら、歩いた事のある東京の街並みに江戸の昔を重ね合わせると、居ながらにしてタイムトリップしたような気分。この手の本は沢山出ているので、東京散歩用にもうちょっとあれこれ買ってみるか。


「飲み食い世界一の大阪 そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの」
銀座教文館で平積みになっていた、「飲み食い世界一の大阪 そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの」を購入、読了。この本屋はフロアはそれほど広くないものの、食べ物関係の書籍もなかなか充実している。

関西のライターによる京阪神の食べ物エッセイなのだが、単なる店のガイドではない。掲載されている店は、その地元に住む者が馴染みとして自在に使いこなす店ばかり。ガイド片手に訪問するような客は、返って店で浮いてしまうだろう。むしろ関西文化圏における「食」全般について自在に語る本。関西人特有のサービス精神にあふれた気楽な筆致は、実に読みやすくも面白い。

考えてみると、ミシュランの星に客までが一喜一憂したり、素人グルメが店を訪問してはネットに評価書き込むような文化が定着してるのは、東京圏の店だけかもしれない。東京というのは様々な地方からの出身者が寄せ集まる巨大都市で、店の競争や栄枯盛衰も激しい。しかし、京阪神の店というのは、どちらかというと地場に長く馴染んだ、地元民用の店ばかり。いわゆる東京で言う、下町の老舗に当る店が、京阪神全域に散らばっているという印象。

以前読んだ、「うまいもん探偵の味噺―神戸のグルメ今昔」でも、語られるのは、「この店は、昔、親父に連れられて来たのが最初やったんや」というような店ばかり。代々に渡って家族や友人と使えるような店がよい店なのだ。

食べ歩きが趣味の人間が、ガイド片手に、「見破ってやる」とばかり肩に力入れて入店し、仔細に素材や仕事に質問したり、薀蓄かましたりすると、関西圏では、店ばかりではなく回りの客からも、「なんじゃ、あいつは?」、「ケッタイなヤツが来よったでえ」と驚かれるだろう。山本マスヒロが、関西で受け入れられない所以というか。東西の文化というのはやはりずいぶん違うなと、思い出させるような好エッセイだった。

伊藤計劃「虐殺器官」を読んだ。
文庫本を購入した「虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)」だが、途中まで読んでストップしてたので、電子本をKindle Fire HDにダウンロードしてカナダに持参。残りをイエローナイフのホテルで読了。

民族紛争でセルビアに原爆が落ち、テロ対策で個人認証システムが社会の隅々にまで張り巡らされている近未来社会。世界に内乱と民族虐殺を巻き起こす謎の男を追う情報軍将校は、彼を追い詰めるうちに彼の動機に疑問を持ち始める。

ステルス機から射出される、バイオメカニクスによる培養筋肉を装着した侵入ポッド。生体リンク・デバイスを装着したハイテク兵士など、物語に散りばめられた実に印象的な異形のイメージは、読者のセンス・オヴ・ワンダーを刺激して止まない。

物語の全編を流れる基調低音を成す「死」のイメージ。人間のDNAに組み込まれた「虐殺」を誘発する因子。そしてその因子を発動する修辞法。広がる宣伝文や演説はその因子に働きかけ現実世界に影響を与えて行く。追跡の末に明かされる、なぜこの男が虐殺のDNAを広めようとしていたかの真相。

アルジェリアのテロ事件に見るように、「アラブの春」は中東に「春」よりも混乱と、部族間、宗派間の対立をもたらしているかのように見える。アメリカ対イスラム、あるいは、キリスト教対イスラムの対立に満ちた現代社会を念頭に置いて読むと、更に背筋が寒くなるような結末なのだ。ハリウッドで映画化してもらいたいなあ。

著者の伊藤計劃のイマジネーションとストーリー・テリングの才能には感嘆する。しかし作家デビューの2年後に若くして夭折。プロローグのみ残した作品を円城塔が完成させた、「屍者の帝国」も奇想にあふれた素晴らしい物語だった。しかしどちらの作品にも色濃くまつわりつく死のイメージは、伊藤計劃が自分の死を予感していたからだろうか。

会田誠展 「天才でごめんなさい」
個人的には、現代美術が苦手だ。美術館でも現代美術のコーナーになると、げんなりして興味が薄れる。

部屋の中に何なのか分からない妙チクリンなオブジェがポツンと置かれている。近づいてみると題名は決まって「無題」。全ての具象から「意味」なるものを剥ぎ取ろうとしているのだと思料するが、「無題」と名付けた箱になんでもかんでも叩き込んでいるだけではないのか。意味が読み取れないと不安というのは、私の頭のほうが古いのだろうけれども、何にでも「無題」と名付ける態度というのも相当頭が悪いと思うよなあ。



この前、六本木ヒルズの森美術館でたまたま観た、会田誠展「天才でごめんなさい」の作品集をAmazonに発注していたのだが、届いたのでパラパラと。

エロスとロリコン風味、芸術と下世話の間を軽やかに行き来するポップな作風。作品には、なんでも「無題」と名付ける態度とは正反対の、社会と芸術との関係性がきちんと維持されている。風刺とセンセーションあふれる作品を作り続けてるところが実に面白いなあ。


「新装版 洗脳の楽園」 ヤマギシ会という悲劇
「新装版 洗脳の楽園」読了。

宗教やカルトについては昔から興味があって本もたくさん読んだ。ヤマギシ会も有名で、あちこちで読んで知っている。村上春樹の「1Q84」でも、主人公が育った環境として描かれる団体には明らかに「ヤマギシ」が投影されていたっけ。

養鶏家山岸が発見した真理「ヤマギシズム」に基づくという、村人が農業畜産主体の共同生活を行い、一切の私有財産のない「この世の楽園」。原始共産主義にも似たコミュニティは、「特講」という一種の入会勧誘セミナーを通じて参加者や賛同者を増やしている。

ただ、著者の取材で明らかになる真実の「ヤマギシ」は「この世の楽園」とはほど遠い。土日無く年間4000時間にも及ぶ過酷な労働、村に囲い込まれ中学までしか行けない子供達は、毎日早朝から労働に駆り出され、栄養失調で背は皆標準より低くガリガリ。落ち度があったり反抗したりすると「研鑽会」と称する吊るし上げの虐待が行われ、精神に変調をきたしている者も多い。

「ヤマギシ」は、カルト団体ではあるが宗教団体ではない。おそらく創設者の知的レベルが低かったからだと思われるのだが、体系だった理論や主義主張はきちんと整理されておらず、いくつかの美辞麗句のキーワードがあるだけ。基本的には「特講」という、一種のイニシエーションにあたる集団セミナーが、集団のアイデンティティを維持する仕組みになっている。

この著者が実際に体験した「特講」のレポートがこの著作のひとつの根幹。「ヤマギシ」に批判的な記事を書いたジャーナリストである著者でさえ「特講」終了後はある種異常な精神状態に陥る。生活の様々な部分を制限した共同生活と、質問や反論は一切聞き入れられず、ただ繰り返し質問されるだけの講義。この講義では、一種の洗脳が行われ、参加者は解離性人格障害の一歩手前まで追い詰められる。この洗脳手続きはしかし同時に、ある種の宗教的恍惚や多幸感を参加者に与えるのだ。初期の「ヤマギシ」でこの「特講」手続きが確立してゆく過程では、参加者が「(我が)抜けた!抜けた!」と狂喜したらしいが、やはり一種の極限状態で、精神が一時的におかしくなっているのだと思われる。

いずれにせよ、俗世間には善もあれば悪もある。自分の執着や欲望とも折り合いをつけながら、自らの意思と判断で人生を選択し、世間と共存してゆくのが人生。社会から切り離され、何の意思決定の自由もなく、ただただ労役に駆り出されるというのは、はっきり言って楽園ではなく、「畜生以下の生活」と言うしかない。特に子供が気の毒。脱走したり成人して脱会する者もいるのだが、学歴がなく世間知も無いため、肉体労働にしか就くことができない。「ヤマギシという楽園」は子供の未来を摘む地獄なのであった。

こんなカルトに人生を台無しにされている者がいるのかと、読んでいて実に暗い気のする本ではあるが、最後の新装版後書では、実によきニュースが語られる。「ヤマギシ」は近年衰退の一途を辿っているのだ。

児童虐待の実態が様々に報道されたからか、参加家族と子供の数が激減。実顕地と呼ばれる原始共産コミュニティも次々に縮小・閉鎖。最近は、外の社会に働きに出る会員もいるのだという。会の指導者であった杉本は、1999年に自殺している。この「ヤマギシ」の近況には、「一九八四年]」新訳版~トマス・ピンチョンの解説を読んだ時のような清々しい救いを感じる。善意の名の元に人々を抑圧し、人々を不幸に落とし込む、このような「地獄のカルト」は、早く完全にこの世から壊滅してほしいと思うのだが。



「握り寿司の名人」
Kindle Fire HDには無料本もずいぶんダウンロードして、年末の時間つぶしの準備は万端。しかし部屋でiPadと両方転がってると、動作が遅いとはいえ、画面の大きなiPadをつい手にとってしまう。ブログ書くのはやはりWindowsPCだ。Kindle Fire HDは持って歩く時だけという感じだなあ。

青空文庫無料本には、魯山人の食エッセイもたくさんアップされており、既に文庫本で読んだものばかりだが、タダなら貰っとくかとガンガンダウンロード。貧乏性だなあ(笑)

「握り寿司の名人」は、寿司屋を扱った有名なエッセイ。初代の「久兵衛」と、今はもう無い新橋の「新富寿司」を比較対象して書いてるところなど、実に面白い。

本エッセイが書かれたのは、立ち食いから椅子席になり、ちょうど寿司屋でも酒が供され出した頃。昭和20年代後半。今から60年近く前に、もう既に寿司屋でお酒を飲む習慣が生まれていたことが分かる。魯山人は「寿司食いのアプレ」とくさしてはいるが、エッセイ最終部分では「新しい日本料理の形態」と述べている。「寿司は伝統的にお茶で食うもんでゲス」という原理主義者は、いったい何時の事を言ってるんだろうねえ(笑)。

そして、この頃から女性の客もだんだんと増えている。魯山人に言わすと「男と同じように生意気をやって噴飯もの」というのだが、まあ昔のジジイだから、男尊女卑が骨身に染みているのはやはり時代背景だなあ。


Kindle本で無料本ダウンロード
Kindle Fire HDは、画面も綺麗でサクサク動く。AmazonのKindle本でダウンロードした書籍データは、Amazonクラウドに保存され、Kindleアプリをインストールすれば、iPhone5でもiPadでもPCでも読めるというのも優れた点。

ただ、肝心のAmazon買い物アプリの出来は、あまりよろしくなく、特に商品を絞り込んでゆく機能があまり感心しない。あれこれ本を選んでいる時に、挙動が極端に遅くなるのもちょっとなあ。Amazonの商品を買わせる端末でもあるのだから、この点は早急に改善してもらいたい。OSやアプリのバージョンアップは頻繁に行われるのだろうか。

年末年始の暇つぶし用に、無料本をいくつもダウンロード。著者が没後50年経って著作権が消滅したいわゆる「青空文庫」がAmazon Kindle本にもたくさん並んでいる。

有名どころでは、芥川龍之介 夏目漱石、森鴎外などなど。ただデータ化されている割合には差があるようで、夏目漱石は名作が結構カバーされているが、森鴎外は少ない印象。

あと無料本を検索すると、寺田寅彦がムヤミに出てきて、他の本を探す妨げになるのだが、彼の著作は、本というよりも随筆が一本一本アップされている感じだなあ。

それでも作家名検索を使って、中島敦の「山月記」「李陵」、坂口安吾「堕落論」、堀辰雄の「大和路・信濃路」などもダウンロード。

著作権消滅は作家の没後50年なので、活躍した時期が昔でも長生きした作家の著作権消滅は遅い。柳田国男はずいぶん昔の人という気がするが、著作権消滅は2013年。吉川英治も同じく来年だ。江戸川乱歩や谷崎潤一郎の著作権消滅にもあと何年か必要。

三島由紀夫が自決したのが1970年、志賀直哉が亡くなったのが1971年だから、これらの著作権消滅は2020年代。まだだいぶ先だよなあ。

「ケチな了見持たずに、電子本でも著作は金出して買え」と言われたら、まあ確かにその通りなんですけど(笑)

「原節子のすべて」
「新潮45特別編集 原節子のすべて (新潮ムック)」を読んだ。

時代が違うので、原節子には特段の思い入れは無いが、以前、小津安二郎映画を勉強する気になって、DVDボックスを購入。原節子が出演した、「東京物語」「晩春」などを見て過去日記に感想を書いた。小津映画は、実によく計算された端正な映画で、原節子も美しくスクリーンに輝いていたなあ。

女優現役時代は小津監督とのロマンスも囁かれたが、突然に映画界から引退。生涯独身を通し、世間との付き合いも絶って鎌倉でひっそりと暮らしている。この本は、一部ではまるで聖女の如く神格化され、往年のファンからは「永遠の処女」とも呼ばれた女優、原節子の実像を様々な人が語るドキュメント。

まあ、まわりが勝手に「永遠の処女」と名付けたとて、彼女も生身の女性であるから、実生活では色々あったに決まっている。仲代達也が新人俳優の頃、原節子とキスシーンがあったのだが、周りが「永遠の処女」と本当にキスしてはいかんとしきりに止める。しかし原節子本人に直接聞いてみると、「あら、私は別にいいわよ」とOKが出て、実際にキスしたのだそうであるが、まあ周りが過剰反応しすぎだったんだなあ。

ただ、この本の帯にある、「初めて明かされる悲しき真実 「美女」のそばには「怪物」がいた。それは小津監督ではない。彼女は、別の"ある男"に呪縛されていたのだ。知りたくはなかった「永遠の処女」の真実。」という煽情的な宣伝文句はちょっとどうかと思う。

巻頭の評伝には、確かにそれに類したことが書いてはあるのだが、まあ本人が世間から隠遁して沈黙していることをいいことに、確たる証明もなく、単なる下世話な憶測を書いただけにも思える。世間から愛された女優の過去をいまさらあれこれ暴露しても詮無い事。スクリーンに焼きついた美しい姿だけが、人々の記憶に結晶化すればそれで良い話だと思うのだけどねえ。

ひとつ驚きなのが、Wikiによっても、原節子がまだ存命であること。世間から没交渉であるから、ひょっとしてもう亡くなってるという可能性も無いではないが、92歳であるから、女性なら別に生きていて不思議な話ではない。鎌倉、浄妙寺の参道横の家にずっと住んでいるらしいのだが、その辺りは、Google Street Viewで見ると緑あふれた静謐な住宅街。映画の黄金時代であったから、この本にもあちこちで書いてある通り、親戚一同を食わせ、そして本人も一生食うに困らない蓄えを残すことができた。実に、古き良き時代。

そうだ、久々に小津監督の「晩春」をDVDで見直そう。




「江分利満家の崩壊」
日本の私小説は好きになれないが、何故か、山口瞳のエッセイは大好きで、ずっと愛読していた。まあ、しかし、直木賞受賞作の『江分利満氏の優雅な生活』と、週刊新潮に連載していたエッセイ「男性自身」が、どこが違うと言われても、あんまり違いは分からないよなあ。

山口瞳が1995年に亡くなってから、もうずいぶんになる。そして、2011年に亡くなった山口瞳の妻である治子の死の顛末を、ふたりの一人息子である山口正介がドキュメンタリーとして記録したのが、「江分利満家の崩壊」。興味深く読んだ。

そもそも山口瞳はエッセイでも結構赤裸々に自らの家系や家族のことを書いており、奥さんが不安神経症であり、電車に乗れないことや、一人で外出できないこと、家で留守番ができても、家人が予定通り帰らないとパニックになることなど、単なるエッセイの読者である私でも知っていた。一人息子が、自由業で映画関係の文章を書いていることも。

この本は、山口瞳の息子である正介が、母親が病に倒れホスピスで死を迎えるまでを冷静に記録したもの。そして驚くべきなのは、本人あるいは父親と母との軋轢を、あまりにも暴露的に描いていること。これはやはり私小説家の息子としての血というか、自らに課された最後の「業」として筆を取ったという気もする。

夫や子供である自分を最後まで束縛し、苦しめた母親の神経症とヒステリーの原因が、若い頃、第二子を妊娠した時の強制された堕胎によるものであったとの記述も、なかなか暴露的だが、貧しかった当時の日本では、ある程度普遍的な事でもあっただろうか。

そして、年老いて病床にあってもなお、山口家の財政と対外的な付き合いを管理し、細々と日常の全てを差配し、私が死んだらあなたはどうやって生きて行くの、と心配するこの母親の息子への心理的な支配も実に怖い。しかし、夫である山口瞳と息子を世界中の誰よりも愛したのも、その同じ治子。

著者の正介氏は、作家という肩書きこそあるものの、今まで就職して独立したこともなく、結婚もせず、会員誌に映画評を書くなどの仕事はあるものの、おそらく生計はずっと親掛かりだったのでは。国立市に山口瞳が買った実家に両親と同居。勿論、母親の面倒をみなければという使命感もあった。しかし、今では独りでもう還暦。

家長である山口瞳が亡くなり、そして夫と子供を誰よりも愛し、しかしだれよりも束縛し支配した母親が亡くなった時、著者にとっては、「江分利満家」が本当に崩壊したという事なのだろうなあ。

「デジタル鳥瞰 江戸の崖 東京の崖」
「デジタル鳥瞰 江戸の崖 東京の崖」は、なかなか興味深い本。

1998年から翌年にかけて、にわかに「崖(がけ)ブーム」が起き、毎日新聞社から『日本崖っぷち大賞』(安斎肇、泉麻人、山田五郎共著)なる書籍まで出版された、とAmazonの書籍紹介にはあるが、「崖ブーム」のことはサッパリ知らなかった。

この本は、「崖マニア」、「崖研究家」とも呼ぶべき著者が、江戸城、愛宕山、神田山、麻布など、東京に残る崖地形を巡り、その歴史を語るという本。

東京は関東平野というくらいだから、中心部には大きな山脈はない。一面が関東ローム層におおわれ、岩石が露頭した崖もない。東京都内に見られる起伏は、火山灰地が河川や海などで侵食されて作られた崖ばかりなのだという。では崖はどこにあるか。

例えば都内の起伏で一番に思い出すのは上野の小山。西郷隆盛の像は一段高いところに立っているし、銀座線の植野駅から上野公園に行くには坂を登る。そして、JR山手線に乗れば、鶯谷から日暮里にかけてはっきりと分かる線路西側に続く崖。

もっとも都市化に伴い、地面には建物が林立し、至るところで昔からの崖や起伏が見えづらくなっている。この本では、東京の衛星写真をデジタル処理して垂直方向の起伏を強調することにより立ち上がってきた地図を呈示して、我々が今まで見たこともなかった異形の江戸、東京の姿を鮮やかに描き出してみせる。

東京の街にもあれこれの起伏や崖がある。路面電車や交通路は起伏を避けて低地を走り、交通の要衝やランドマークになる建物の位置にも地形の影響がはっきりと残っている。普段何気なく通る町角にも、よく観察すると昔からの崖が隠されている場所がある。それに気付くと街歩きが更に楽しくなるだろう。東京都内散歩には、好適かつ実に興味深い本だった。

もう一点興味深いのは、「崖都市」である東京には、崖崩れなどで災害時に被害が予想される場所が意外にあるという著者の警告。大雨や地震など、災害はいつか必ずやってくる。それへの警鐘は、確かに深刻に受け止めなくてはいけないと思うのであった。


「チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男」
「チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男」読了。

「チャイナ・ナイン」と同じ遠藤 誉のノンフィクション。中国で生まれた日本人として文革を経験し、ネイティヴ同様の中国語を話し、中国高官にも数々の太いパイプを持つ著者。彼女が読み解いてみせる中国政治の実像は実に新鮮で興味深いもの。

この著作は「チャイナ・ナイン」でも一部触れられていたが、妻が英国人を毒殺したとして訴追され、自らも失脚した中国の政治家薄煕来を中心に据えて、その来歴や政治キャリア、そしてなぜ彼が失脚したのかの謎を探るというもの。

薄煕来の父親は革命中国建国の元老。文革の一時期投獄されたこともあったが、薄煕来は父親の後ろ盾もあって、その後中国共産党での地位を固めてゆく。次々と高い地位を求める飽くなき権力欲、人を次々陥れて固めて行く権力地盤、手段を選ばない露骨な猟官運動、そして桁の違う不正蓄財。国が成長しているということもあるだろうが、このすさまじいまでの欲望にはあっけにとられる。

もちろん中国13億人に君臨する共産党の幹部となるには普通の人間では不可能。全員がとびぬけた野心家で、もちろん地位を利用した蓄財もしているのだが、それでも絶対にやってはいけないことがある。それは中国共産党を文革の昔に戻して現体制を壊すことだ。薄煕来はチャイナ・ナインのポストに上り詰めるため毛沢東の再来になろうとし、共産党権力維持が何よりも重要な目標であるチャイナ・ナインの逆鱗に触れ、全員の総意として粛清されたのだというのが著者の示唆する結論。

表紙には前回の全人代の会場で既に失脚が明らかになり、誰からも握手一つ求められず孤立無援で席に座っていた薄煕来の絶望に満ちた表情の写真が掲載されている。果てしない欲望の果てに落ちた煉獄での絶望をとらえてなかなか印象的。

妻の英国人殺害と共に語られる、中国高官はみんな子息を海外に留学させ、その海外を拠点として不正蓄財した金のマネーロンダリングをしているという話も印象的。つい先だっても温家宝首相の何千億もの蓄財が報道されたが、中国は不正蓄財のスケールも桁が違う。

そういえば、2度アメリカ西海岸に暮らしたが、気付いたことがある。最初は90年代の中盤。2度目は2008年から2010年一杯だが、近年、サンフランシスコ・ベイエリア近郊には明らかに富裕層の中国人が増えている。郊外のチャイナ・モールの駐車場には、ベンツ、BMW、ポルシェ、レクサスなどの高級車ばかりがズラズラと停まっている。そしてこのような場所に集まる中国人は、若い世代でもお互い中国語でしゃべっており、明らかに昔からアメリカにいる中国人の2世3世ではない。米国ではお金を積めば投資家ビザが出る。中国本土の富裕層が次々に、その子息を外国に移住させ、蓄財も外国に送金しているのだろう。そこには、チャイナ・マネーを取り込もうとするアメリカの戦略も透けて見えるような気がするのだった。


「東京百年レストランII~通えば心が温まる40の店」
「東京百年レストランII――通えば心が温まる40の店」読了。同じ著者の前著、「東京百年レストラン ‐大人が幸せになれる店」も読んでおり、感想書いたつもりだったが過去ログに残って無い。あれ? ひょっとして書き忘れたのかもしれない(笑)

「コスパコスパと連呼して、店の陰口ばかり書いている性格の悪いグルメ評論家の著作に名著なし」というのが私の「定説」だが(笑)、件のT氏の著作が実に嫌な読後感を与えてCP悪いのに対して、この本はたいへん読後感がよろしい。

この本はレストラン情報を収集するガイドブックではない。得した損した、高い安いといったあさましい次元ではなく、外食を通じてよき店とよき関係を築いて、人生を心豊かに生きようという意味深い示唆に富んだ食エッセイだ。さとなお氏との対談も興味深く読んだ。

ネットでの素人グルメ批評に対する意見も頷けるもの。修行してきた料理人への敬意のひとかけらもなく、ランチに一度行っただけで、「評価できません」、「普通でした」、「再訪はありません」などと書き散らす食べログのレビューははっきりいって営業妨害に近い。ネットの意見は玉石混交というが、食べログに関しては石のほうが多いと思うなあ。

我々はお金を払う客なのだから、へりくだったり料理人のご機嫌をとったりする必要はない。堂々としてればよいのだが、しかし、客だから何やってもいい訳ではない。人間として社会で揉まれたらごく当たり前の常識であるが、食べ歩きだけに淫した人の中にちょっと常識無いのがいるんだな。昔ならば誰も耳を貸さなかったような変人の意見も、ネットで発信することによって、もっともらしく拡散することになってしまった。

まあ、店と客には相性というものも勿論あるから、掲載された店全てに全員が同意することないだろうけれども、例えば「新ばし 笹田」」の項など実に頷けるもの。店主が真摯に頑張っているのを見て、客としても応援したいと大切に思う店はやっぱりあるんだよねえ。

「屍者の帝国」 伊藤計劃・円城塔
銀座教文館で平積みになっていた、「屍者の帝国」をふと手にとってパラパラ読むと、「これは当たりだ」とピンと来たのでそのまま購入。日曜の午後に一気に読了。勘は当って、久々に実に面白い本を読んだ。

この世界ではない異形のパラレル・ワールド。メアリー・シェリーの書いた「フランケンシュタイン」の怪物は実在していた。その実験から100年後、霊魂の研究が更に進んだ19世紀末のロンドンでは、死者に擬似「霊素」書込機で汎用ケンブリッジ・エンジンをインストールすることにより蘇らせ、その「屍者」を単純労働の奴隷や兵士として利用している。

最初に蘇った屍者である「ザ・ワン」の秘密を追って、英国秘密諜報員ワトソンの、ヒマラヤ、日本、アメリカへと目まぐるしく舞台を変える奇怪なイマジネーションに彩られた冒険。

フランケンシュタイン三原則、アダムの墓、プレスタージョンの伝説、進化するネクロウェアを実装された屍者達の軍隊、ヴァン・ヘルシング、狂王ルートヴィヒ2世、チャールズ・バベッジの階差機関。これでもかと詰め込まれた実に奇怪な幻想と衒学に充ち溢れた、ゴシック・ホラーSF。

「フランケンシュタイン」と、「ディファレンス・エンジン」を橋渡しする異形で魅力的な世界。「あなたの人生の物語」収載の短編、「七十二文字」も思い出した。「フーコーの振り子」をどこか思わせる部分もあり。どす黒い魅力に満ちた奇想のイルージョンを紡ぐ物語は最後に、「魂は、意識は、あるいは言語は物質化するのか」という形而上学的な問いにまで到達する。

アクションシーンの描写は生硬で、あまり写実的ではないのだが、これには理由がある。この本の記述自体が、ワトソンにお供した生ける屍である従者、フライデーの視点で書かれている事を想定しているのだ。なかなか芸が細かい。

この物語は、映画にすると凄いだろうなあ。ハリウッドはゾンビ映画の伝統があるから、動く屍の描写はお手の物。ダークで奇想天外で異形のゾンビ物SFとして当たると思うのだ。シノプシスを英語化してハリウッドに売り込んではどうか。

本作は、そもそも2009年、34歳で夭折した天才SF作家、伊藤計劃が絶筆として未完で残した「屍者の帝国」のおよそ20枚の「プロローグ」にインスパイアされ、盟友である円城塔が残りの物語を描き下ろしたのだとか。確かに「プロローグ」だけ読んでも恐ろしく深い魅力を秘めた物語。本人が完成させてれば、どんな結末に辿りついただろうか。

伊藤計劃は恥ずかしながら今まで読んだことなかった。早速Amazonに、「虐殺器官」も発注。お勧めメールの作成ロジックについては先日ボロカス書いたが、書籍を思いついた時に発注するにはAmazonは実に便利。まあ、発注したものが届いてからしばらくすると、お勧めがあります、と「虐殺器官」購入を勧めるメールが到着するだろうけどね(笑)



Amazon.co.jpのお勧めメールは真正のアホだ
「10年後に食える仕事、食えない仕事」は、Amazon.co.jpで発注。なかなか面白い本で、ブログに感想も書いた。

本日、Amazon.co.jpから、メールアドレスに、「おすすめ商品『10年後に食える仕事、食えない仕事』というのが到着。あのさ、その本はお前のところでもう買ってるんだ。注文履歴で再度確認したが、ちゃんとデータとして残っている。自社に蓄積した顧客データはマーケティングでは宝物だが、そのデータをいったいどう活用してるのかね。

このAmazon.co.jpのお勧めメールで、既に当のAmazonで購入した本が「お勧め」として到着したのは別に今回が初めてではない。何度も経験がある。

逆に、「カラスヤサトシ」は「2」から全てAmazon。co.jpで継続して発注しているのだが、新刊が出た際、一度たりともお勧めメールが来たことがない。

これから判断するに、Amazon.co.jpは、既にAmazonで購入した本でも再度勧め、継続して買ってるシリーズの新刊は絶対に勧めないというロジックを頑強に守ってお勧め本メールを作成していることになる。

しかし、誰でも分かるとおり、このロジックは真正のアホが作ったとしか思えない。Amazon.comでも本当に上記のロジックを使ってるとは信じがたい。Amazonは、現状でも一応日本で儲かってるのだろうが、だいぶ劣悪な連中が日本の仕事をしてるのでは。とりあえず、現状日本でのオペレーションを行ってる連中をまずいったん全員解雇したほうがもっと儲かると思うがなあ。



「天皇陵の謎」
「天皇陵の謎」 (文春新書)読了。

以前読んだ、「天皇陵を発掘せよ」も面白かったが、この本もまた興味深い古代史のロマンにあふれた本。

奈良に残る古墳群を中心に、初代神武から第124代昭和まで、宮内庁はすべての天皇陵と陵墓参考地を定め管理しており、調査を含めた立入は厳格に禁止されている。しかし古代に限ると、本当にその天皇の墓なのかどうか極めて疑わしい陵墓が多く、むしろこの天皇の墓と間違いが無いと断定できるのは数カ所に満たないと主張する学者もいるほどなのだという。

規模として最大の仁徳天皇陵にしても、近年の考古学上の発見からは本当に仁徳帝の陵かどうか疑念が唱えられており、教科書では大仙陵古墳との記載が普通に。日本古代史の謎はまだまだ解かれていない。

箸墓古墳が卑弥呼の墓だという説も実に興味深い。去年奈良に旅行した際、山の辺の道を歩いて、景行天皇陵と祟神天皇陵には行ったのだが、箸墓古墳には行かなかったのが悔やまれる。奈良から桜井に行く途中で下車すれば行けたのだが、まったく念頭になかった。今度行く機会があればこの本持参で行ってみよう。

宮内庁は天皇陵指定古墳は天皇家の墓として祭祀を行う場所で発掘などは認めないという立場。日本古代史における大和王権の権力成立過程の謎を明らかにするためには、陵墓の発掘は意味があるとは思うのだが。

ただ、古今東西、悪い奴はどこにでもいるから、中世以降天皇家の権威が消失してゆく過程で、ほとんどの古墳は盗掘を受けているのでは。もしも石室に入れたとしても、被葬者を同定できる副葬品が見つかるのかどうか。副葬品がかなりの程度残っていた藤ノ木古墳でも、文字で書かれた墓誌や墓標は無いので埋葬者の名前は分かっていない。古代は墓に誰が埋葬されているか書き記す習慣が無かったのかもしれない。

まあ、もしも天皇稜を調査できたとしても、埋葬者が分かるような証拠が見つかるのは期待薄で、副葬品の土器や埴輪などの間接証拠から年代を推定するしかないのだろう。しかし奈良の古墳群は、どの天皇の墓かどうかは分からないにしても誰かの墓であることには間違いはない。古代史解明のためとはいえ、本当に墓を暴いてまで調査する必要があるのかどうかは考えるべきか。もしも卑弥呼の墓だけでも同定できるならば、それは考古学上の大発見だが。

「日本をダメにしたB層の研究」
「日本をダメにしたB層の研究」読了。エクセントリックな題名が気になってつい書店で購入したもの。

現代日本で起こっているさまざまな「くだらない」現象は「B層」というキーワードで総括できる。近代大衆社会が生み出した愚民達が「B層」であって、この横行によって社会に大きな害悪が垂れ流されているのだと批判する本。

「B層」というのは、もともとWikiによれば、2005年、小泉内閣の進める郵政民営化政策に関する宣伝企画の立案を内閣府から受注した広告会社「スリード」が提示した概念。

国民を「構造改革に肯定的か否か」を横軸、「IQ」を縦軸として分類し、「IQ」が比較的低くかつ構造改革に中立ないし肯定的な層を「B層」と定義。ここへの分かりやすい浸透が効果的だと提言したとされる。

ある対象を、縦軸と横軸で4象限に分類するのはマーケティングでよくある手法だが、なかなか有効ではある。先日紹介した「10年後に食える仕事、食えない仕事」の分析もこの手法を鮮やかに使って仕事を分類していた。

ただ、この本で著者が使ってる「B層」の定義には若干疑問が。著者の使う「B層」とは、「IQ低く騙されやすい(マスメディアに踊らされやすい)人々」を意味すると思われるのだが、これはオリジナルの定義のような2軸で分けた4象限になっているだろうか。「騙されやすい」度合いと「IQ」を2つの軸にすると人間は次の4つに分類できる。

①騙されやすいIQ高い層
②騙されにくいIQ高い層
③騙されやすいIQ低い層(これが著者の言う「B層」)
④騙されにくいIQ低い層

②と③はまあ分かるけれども、①と④は世の中にそんなに存在するかねえ。この分類は単に、「IQ高いものは騙されず、IQ低いもの(B層)が騙される」という単純な命題であると思える。

IQ以外の軸がないとするとこの著者は、単に自分と意見の違うものや気に入らない層を「お前はB層だ!(IQ低い!)」と罵倒しているだけという風にも見えてくるのだが。

しかし言いたい放題の言説なのである意味痛快ではある。「アジェンダ」「癒し」「世界市民」「首相公選制」などを唱える奴は「B層」だ(馬鹿だ)というのは割と説得力あるようにも思えるなあ(笑)「コスパ」「コスパ」を連発するグルメ評論家が馬鹿だというのは誠にその通り。この意見は強く推したい(笑)

ただ、「シェフの気まぐれサラダ」や「常連」というキーワードを好む奴も「B層」だ、と言うに至っては、どうも何かの八つ当たりではないかとも思えてくる(笑)

寿司に関する例え話が多く寿司好きらしいのだが、「常連ぶるのはたいてい本当の常連ではない」などと書かれているのを見ると、寿司屋でなにか嫌な眼にあったかね。まあ確かに寿司屋のカウンタで常連顔するのにロクなのはいないけど。

民主主義が集愚政治に陥る可能性があるというのは、実際に何度も我々の社会が失敗してきたことで、一度間違えてもそれを反省して試行錯誤してゆく以外に対策はない。しかし、自分と違う感性、思想信条を、すべて「B層(馬鹿)」だとレッテルを貼って罵倒するだけでは何の解決にもならんような気もするのだが。

痛快な断定も随所にあり、読み飛ばすにはある面で面白い本ではあるが、この記述に手を打って喜んで教条主義的にありがたがり、他者に「おまえはB層だ」などとレッテル貼りする人がいたならば、彼らもまた、小泉改革に根拠なく熱狂した「B層」と同じだと思えるのだった。
「10年後に食える仕事、食えない仕事」
仕事関連で読んだのだが、「10年後に食える仕事、食えない仕事」がなかなか面白かった。

「これからの経済はグローバル化だ、皆が英語を操って世界を相手に丁々発止のビジネスをしなきゃいけない、キャリアアップして世界に通用する人材にならないと生き残れない─。そんなまことしやかな言説がはびこっている昨今だが、それは英会話学校やビジネススクールの営業トークに過ぎない。」
と著者は言う。グローバル化がいくら進もうが、日本人の仕事として日本に残る仕事は必ず残るのだと。しかし、グローバル化とIT化が進むと、競争に巻き込まれ、無くなる仕事、賃金が下がり続ける仕事も必ずある。自分の職がどこに属するのか、10年後もその職があるのかを見極めて世の中を渡ってゆかなければならないのだと。

詳しい内容は本を買って読んでもらいたいが、この本の肝は、全ての職がどこかに入るという、職業を4分類したマトリックス表にある。

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縦の軸は「スキルタイプ」。下にゆくほど「技能集約的」になり、上にゆくほど「知識集約型」になる。誤解を恐れずに要約すると、下がブルーカラーで上がホワイトカラーのヒエラルキー。この本の面白いところは、横軸に「日本人メリット」、すなわち、「日本で生まれ育っていないと身につけづらい特殊性」を置いたこと。左に行けば行くほど、日本人でなく、どこの国の人がやってもよい仕事になる。

この4象限に分かれた職業マップで、左下、日本人である必要なく、技能集約型(逆にいえば知識もあまりいらない)職を著者は「重力の世界」と呼ぶ。ここはグローバル化が進んだり、規制緩和が進んだり、IT化が進むと賃金の安い中国人やインド人と職の奪い合いになり、世界レベルの最低賃金の泥沼へと沈み込んで行くエリア。ここからは一刻も早く逃げ出さなければならないのだと著者は説く。

このエリアに具体的にどんな職が入るのかは、本書を読んでいただきたいが、既に外国人にリプレイスされつつある日本の職を見ればいくつかは誰にも明らか。工員、作業員、下級プログラマ、給与計算などの単純事務、汎用品の設計職など。日本に来た外国人にリプレイスされる場合もあるし、ITの進展によって職そのものが一気に外国に移転することもある。

それでは、「重力の世界」が無いエリアから離れて垂直上方に、すなわちスキルを身につけて、知識集約型の職を目指せばいいのではないかとは誰しも思うところだが、著者は「日本人メリット」の効かないここのゾーンを「無国籍ジャングル」と呼ぶ。

真にグローバルなこの分野で成功すれば報酬は青天井。例えば、カルロス・ゴーンや世界企業のCEO等はこのエリアの最上位に位置するだろう。しかし同時にこの分野は世界70億から選ばれたBest & Brightestな人材が殴り合いをしながら勝ち残って行くエリア。競争はおそろしく熾烈。欧米の一流大学を出て、理系なら博士号があって、文系ならMBAか弁護士資格があって、英語がペラペラで、欧米の有名企業に最初から就職するくらいで、ようやく「多国籍ジャングル」の入り口に立ったという感じだが、日本人でこのエリアの最上層に辿りついた人は数少ないだろう。というか、ほとんどいないのでは。

この分類でいえば、「日本人であることのメリット」を活かせる右側の2つの象限の職を選ぶべきだというのが著者の結論。詳しくは本書を参照してもらわねばならないが、右下の「ジャパン・プレミアム」の代表は、日本人でなければできない技能職、例えば寿司職人ですな。その他、日本人相手の営業専門職などもここだ。

右上の「日本人でなければできない知識集約型」の職業は、医師や弁護士など。例えば、楽天の三木谷社長やソフトバンクの孫社長は、左上上方ではなくこのエリアの最上方に位置することになるだろう。孫正義の場合は、この右上から買収によって左上に移行することを目指していると思うが、果たしてうまくゆくかな(笑)

もちろん、サラリーマンであっても、それぞれの会社の中の業務にもこのマップは適用できる。会社の中で、単なる単純なプログラミング、伝票入力や計算事務をやる職は、「重力の世界」に属しており、これは危ない。

日本人がやる必要ない仕事は、いずれ「重力の世界」の最下層に引きずり込まれて日本には無くなってゆく。早くこのエリアからは逃げ出さねばならない。日本人であることのメリットを活かせる、日本人にしかできない職種につかなければ。これから世の中の荒波を長く渡って行かなければならない若い人が読むと、何かの参考になるのでは。


「チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち」
中国全人代が薄熙来氏の代表資格取り消し、起訴の可能性高まる

重慶市の元トップで失脚した薄熙来はを全人代から追放。政治局員で更に上を狙う野心満々の人だったらしいが、奥さんの殺人罪などで地位を追われることに。ちょっと前に読んだ、「チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち」でも、薄熙来追放はすでに中国の権力核心を握る「チャイナ・ナイン」の間で合意されていたとの観測が書かれていた。

この本は、中国生まれの日本人で文革を中国で体験し、中国政府高官との太いパイフを持つ著者が解説する中国の権力構造とこれから将来にわたってその権力がどうなるかの予測。

私自身は、中国とは仕事でもプライベートでもまったく関係が無いので、そもそもあまり予備知識がなかったが、実に興味深いエピソードと明快な背景解説が実に面白い。

中国は確かに共産党が一党支配しているのだが、総書記である胡錦濤が独裁しているのではない。中国を動かしているのは中国共産党政治局常務委員の9人で、これが「チャイナ・ナイン」。すべての党の重要な決定は、胡錦濤が決めるのではなくこの「チャイナ・ナイン」の合議と多数決という民主的手続きで決まるのだという解説がまず驚き。

この「チャイナ・ナイン」をウォッチすると、中国の今後の方向性が見えるのだという。

また、この9名には改選時に68歳を超えていれば再選されないという厳格なルールも存在しており、この秋に行われる全人代では9名のうち7名が退任するのは既定路線。残る2人のうち習近平が総書記、国家主席になるのも既に決定している。

権力基盤である党内序列は厳格で、現在首相である温家宝は党内序列ナンバー2ではなくナンバー3。ナンバー2はほとんど外国には報じられないが中国国内メディアではかならず胡錦濤の次に動静が伝えられるのだなど、チャイナ・ウォッチャーには常識なのかもしれないが、初めて聞くと実に面白い話ばかり。

「チャイナ・ナイン」そのものには定年があるが、そこに自分の息のかかったものを送り込めば自分の勢力維持が図れる。中国権力中枢では、胡錦濤が代表する団派と、前の総書記である江沢民を中心とする太子党の権力争いが暗然と続いており、現在の「ナイン」は江沢民が自らの勢力を維持するために送り込んだメンバーが多数を占めているのだという。

この秋の全人代でどの7名が新たに「チャイナ・ナイン」になるか、あるいは常務委員の定数そのものに変更があることも考えられる。習近平の次を狙う若手が抜擢されて常務委員入りすることも考えられるとか。中国の権力闘争は実に人間臭いドラマが満ち満ちている。中国人は極めて政治的な民族で、共産党の奥の院で行われている権力闘争であっても、いつの間にか真相は巷に噂として広まってくる。

もうちょっと他の中国政治関係の本も読んでみたくなった。

「モテないのではない モテたくないのだ! !」
「モテないのではない モテたくないのだ! !」 (アクションコミックス)読了。おなじみ「カラスヤサトシ」の著者が、中学生時代の自らの体験を投影したフィクション漫画だが、「カラスヤサトシ」度はなかなか高い。

異性を意識しだす多感な思春期に、女子との人間関係がうまく築けず、盛大に青春を「こじらせてしまった」主人公の辿りついた(というかどこにも到達はしてないのだが)悟りの境地(というか悟ってないのだがw)が表題になっている。

「カラスヤサトシ」の第一巻を本屋でたまたま手に取ったのは、まだアメリカに住んでた時の日本一時帰国の際。あれは2006年だったっけ。大爆笑して、それからは出版されるたびにAmazonで発注して、いまや「カラスヤサトシ6」まで。ただ、Amazon.co.jpが不思議なのは、これだけシリーズを買い続けているのに、「カラスヤサトシ」の新刊が出ても、一切お勧めメールをよこさないこと。ラチもない余計な本の宣伝ばかりは送りつけてくるのに、日本でお客に「お勧めメール」を送付するロジックをメンテナンスしてる輩は相当の馬鹿野郎だと思う次第(笑)。

カラスヤサトシ物以外でも、「結婚しないと思ってた オタクがDQNな恋をした!」「おのぼり物語」など、著者の実体験が反映されたエッセイ漫画はどれも面白い。

日常に潜むささいなことを見逃さないオタク的観察眼と、自信と世間との微妙なズレに対する鋭敏な自虐が織りなす不思議な味わい。「カラスヤサトシ」第一巻の名コピー「キモカッコ悪いが癖になる」は実に秀逸にこの漫画の面白さを切り出している。まあ、自虐が芸にまで昇華してるというのだろうか。本作も実に印象的。巻末の自虐対談にも、独特のカラスヤ・ワールドが展開されている。


「孤独のグルメ2」
前のシリーズもずっと見ていたのだが、続きのシリーズである「孤独のグルメ2」は、テレビ東京で10月10日より毎週水曜23時58分から。初回が昨日だったのだが、すっかり忘れており、見逃してしまった。はは。

来週分から自動録画をセット。「孤独のグルメ」は、もともと単行本になった漫画。主人公・井之頭五郎役の松重豊は、この前見た「アウトレイジ・ビヨンド」の丸暴刑事役で出演していたなあ。なかなか渋い役者で、妙な味がある。

原作漫画の主人公の雰囲気とは、ちょっと違うのだが、TV版「孤独のグルメ」は、それはそれできちんと成立していた。

「そばしょくにんのこころえ」
銀座教文館で購入した、「麺類杜氏職必携―そばしょくにんのこころえ(「そばもん」の原点)」を読み進めている。

老舗「有楽町更科」の四代目であった著者が、蕎麦屋仕事の全てを、昔からの口伝と精緻な科学的分析を対象しながら解説してゆく蕎麦職人必携の技術書。もちろん私は蕎麦職人ではないし、生まれが関西だからそもそも「うどん派」なのだが、この本は実に面白い。

「有楽町更科」はもう閉店しているのだが、著者の藤村和夫氏は、蕎麦界の蘊蓄を語ると実に興味深い。江戸の老舗旦那の軽妙な語り口。

この藤村氏には、他にも多々著作があり、新書の「蕎麦屋のしきたり」は以前読んだことがある。こちらは蕎麦の技術に焦点を当てるというよりも、蕎麦屋でどんな風に酒と蕎麦を楽しむか、暖簾ごとの蕎麦屋の営業形態の違い、蕎麦屋の典型的な一日などを語った軽いエッセイ。

店が大きくなり、大勢の人を使う旦那になると、辛汁の味を見る程度で後は調理場に下りず、昼の営業が終わった午後はブラブラと「悪だくみ」をするんだなどという老舗旦那の暮らしを描く部分も面白かったし、トイチの客、ハイチの客という話も、今でも覚えている。

トイチの客とは「上客」のことで、よく決まった時間に来て決まったものを食べて帰る客。使う金額の多寡にはよらず、うちの蕎麦を気にいってくれてると、蕎麦屋側も大事にする。ハイチの客というのは「下客」のことで、立て込みの時に来て、蕎麦のちょっとした不出来を咎め「おまえんちの蕎麦は~」と能書きを垂れる客なのだという。まあ、寿司屋の客にも通じる話だよなあ(笑)

「浅草 老舗旦那のランチ」
銀座教文館で、「浅草 老舗旦那のランチ」購入。早速読了。写真満載のごく薄い本。

浅草の老舗店の旦那が、同じく浅草の食の名店をコンビを組んで食べ歩くという、いわば内輪受け企画なのだが、読んでみるとこれがなかなか面白い。

代々続く老舗の後を継いだ旦那というのは、ほとんど大学を出ており、特に慶應が目立つような。そして、みんな品がよく、洒脱な遊び人風で、話が面白く座持ちがよい。江戸の落語に出てくるような鷹揚で粋な旦那衆が浅草にはまだずいぶん居るのだなあ。

「駒形どぜう」の旦那はTV「和風総本家」などにもよく出演してお茶の間にもお馴染み。「うちの父は、晩年身体を壊して、無くなる前の10年くらい自分が全部味付けをやってた。それでも亡くなると、どじょう鍋の味が落ちたと言われた。看板のお母さんには頑張ってもらわないと」ととんかつ「すぎ田」で語る回も印象的。そうか、あそこも代替わりしたんだ。

この、店ごとに訪問した旦那達の対談がこの本の売り物なのだが、確かに実に面白かった。

そういえば、加山雄三の若大将シリーズの主人公は、老舗すき焼き屋の息子という設定だったよなあ、と妙なことを思い出したり。

「サブカル・スーパースター鬱伝」
「サブカル・スーパースター鬱伝」読了。

サブカルチャーに耽溺したいわゆる「サブカル男」は、「40歳を超えると鬱になる」という仮説を検証するために、自らある種サブカルのシンボルにして、芸能人のインタビューには定評のある吉田豪が、実際に鬱になった経験のある「サブカル男」をインタビューするという本。

私自身は、それほどサブカルに詳しい訳でもないので、インタビューされた対象で名前を知ってるのは、リリー・フランキー、大槻ケンヂ、杉作J太郎、みうらじゅん、唐沢俊一程度。しかし彼らが何らかの意味で鬱を含むメンタルの問題を一時は抱えたとは知らなかったというか、まあ知識はそんな程度。

「サブカル文系男子は運動しないから鬱になるんだ」というのは、わりと大雑把な見解だが、運動せず室内に引きこもりというのもあるかもなあ。あとインタビューからも伺えるのは酒の影響。大量の飲酒と鬱の間にはなんらかの関連があるという説がある。鬱だから飲むのか、飲んだから鬱になるのかは難しい問題。若い頃は貧乏だったのに、世に出て金が入り、女性問題のドロドロにというのも、結構サブカル界にもあるようだ。

吉田豪は、芸能人相手のインタビューでは、事前にずいぶん本人について勉強して、本人も忘れてるような事を切り口に相手の懐に入ってゆくのだが、今回のサブカル対談は、もともと自分も属するフィールドにいる仲間を対象にしてるので、今までの芸能人対談に比べると、仲間内ネタも多く、それなりに深いのだが、「ゆるい」印象もあり。吉田豪自身、ずいぶんな闇を自分の中に抱えて、しかし一切それを明らかにしてないのではと思われるのだがなあ。

まあ、私自身は今まで鬱になったこともないし、一応、今後なる予定もない(笑)。サブカルチャーにもさほど深入りしてないし、もう40歳もとっくに超えている。大丈夫だと思うのだが、ちょっと心配になるのは、酒と鬱の関係かなあ。ま、大丈夫と思いますが。というか、誰も鬱になるまでは、そんな予感無いらしいけどねえ。