97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
「壽初春大歌舞伎」夜の部を観た。
先週土曜日は歌舞伎座で「壽初春大歌舞伎」夜の部。大相撲本場所中に歌舞伎座夜の部を観に行くと相撲がリアルタイムで観れないのだが、そもそも勤め人であるからして土日しか休みないし、興業日程もほぼ重なってるから、相撲のある奇数月は止むを得ないのだよなあ。

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前回昼の部は、最初の2演目終わるまで大向こう不在という異常事態だったが、今回は今日は初っ端から大勢大向こうがいた。鶏が絞め殺される必死なヘナチョコ声を出す爺様も。しばらく聞かなかったが、ちゃんと生きておったか(笑)

座席は前回同様4列目。しかし前にやたらに座高が高く、頭も大きいデブ男がおり、何故か10秒ごとに大きな頭を左に右に大きく傾けるのには往生したが、こればかりはコントロール不能なので仕方が無い。演目そのものは面白かった。

夜の部の演目は4本。最初は「猩々(しょうじょう)」

能由来の舞踊。いくらでも酒が飲めるなんて羨ましいな(笑) 新年にふさわしい目出度い踊り。松緑は隈取のある荒事の顔は実に凛々しくて良いのだが、白塗りの顔はちょっとアレな気がする。所作事はよく分からないが、梅玉が踊ると何故か新年の目出度い感じがするのも不思議。

次は、秀山十種の内 「二条城の清正(にじょうじょうのきよまさ)」。二条城大広間の場と淀川御座船の場。

「二条城の清正」は初代吉右衛門に当て書きされた、昭和初期の新歌舞伎。初代吉右衛門の孫である幸四郎が清正を演じ、その幸四郎の孫の金太郎が豊臣秀頼を演じるのも歌舞伎の歴史を感じさせる。左團次の家康は老獪かつ戦国を生きる武将の器の大きさを感じさせてなかなか印象的。金太郎も10歳とは思えないほどしっかりと台詞の多い役をこなしている。彌十郎もよかった。

清正の忠義は心を打つし緊張感もあり、実に分かりやすいお話ではあるのだが、演出がやはり古色蒼然として、台詞も長々として劇が若干間延びする感あり。新歌舞伎よりも、むしろ古典的な江戸時代の作品の方が長年に演出が練りに練られており、現代でも通じる気がするなあ。

幕間を挟んで玩辞楼十二曲の内 「廓文章(くるわぶんしょう)」、いわゆる「吉田屋」

「廓文章」は歌舞伎座での襲名披露公演でも見た。襲名した新ガンジロはんが、気持ちよさそうにタップリと、ネチネチ、ウジウジ、スネスネと、廓通いで身上を傾け勘当された若旦那を演じる。このウジウジ、スネスネも一種、上方和事の味だそうだが、ホンマかいな(笑) 個人的にはあんまり好きではないかな。

もっとも、襲名興行の時の夕霧は親父の人間国宝藤十郎で、これは天然記念物を見るような趣だったが、今回の玉三郎はキチンと廓の傾城として華やかに美しく成立している。日常世界とはかけ離れた豪華で眩いばかりの廓、その正月が実に美しい。金があってそこに美しい傾城がいたら、それは身上潰すほど放蕩しますわな(笑)当時の観客のある意味夢を投影した舞台なのだ。

夜の部、切りは「暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」いわゆる「直侍」。これも「吉田屋」同様男女の恋模様だが、こちらは江戸風味。

雪が降り、深々と冷える江戸入谷の寂しい情緒。昔は今よりも確かにずっと寒かったろう。染五郎は粋で色気があって凄みもある小悪党を印象的に演じる。江戸の悪党というと、髪結新三もそうだなあ。実際に舞台で蕎麦をたぐる演出もなかなか珍しい。雪が降った今日に観劇した人なら帰りに蕎麦屋に寄りたくなったのでは。まあ、歌舞伎座夜の部帰りに寄れる真っ当な蕎麦屋もあまり無いが。

中盤での花道の出、傘から前後に振りまく紙吹雪の演出も実に美しい。随所に江戸の粋が散りばめられている。


歌舞伎座「壽初春大歌舞伎」昼の部で観劇始め
土曜日は、本年の歌舞伎観劇始めに歌舞伎座昼の部に。結構団体が入っている。このところだいぶ前の列多し。まあこれはこれで見やすくてよいのだけれども。

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昼の演目は4本。最初は、「廓三番叟(くるわさんばそう)」。能の「式三番叟」を廓バージョンにしており、あちこちにオリジナルへのオマージュとパロディがあるとイヤホンガイドで。しかし流石にオリジナルを知らないと判別できないな(笑)

孝太郎が登場した最初の瞬間は脳裏に「ぶらり途中下車の旅」がよぎるのだが(笑)しかし舞踊が始まると、そこには吉原一の傾城、千歳太夫が現出するのが歌舞伎と芸の不思議。種之助も印象的。ただ染五郎は不思議に印象薄かった。

二番目は、「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)鳥居前」。人形浄瑠璃から移された歌舞伎三大名作の一つ。今回は二段目のみの上演。

題名に義経とあっても実はあまり義経が活躍しない演目ではあるが、門之助の源義経は気品高く成立。橋之助は佐藤忠信実は源九郎狐を隈取も印象的な荒事で演じるのだが、顔がなにしろ大きいから見栄えがする。彌十郎の武蔵坊弁慶も見所あり。先月の児太郎は昼夜ともに印象的だったが、今回の静御前はどこか存在感が薄い。幕外の引っ込みから、狐手で花道を去る狐六法はなかなか面白かった。

ここで昼の幕間。しかし最初の二本には、まったく大向こうの声無し。なかなか珍しい。所作事は別として「義経千本桜」など大向うがかかりそうなもんだが、会の連中が居なかったのだろうか。大向うもある意味歌舞伎の華。木戸御免なんだから、もっと頑張ってもらいたいが。

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三階の「花篭」で「初春御膳」。鯛の昆布〆、海老、くわい、いくら、なます、黒豆などお節風味。なかなか豪華だがこのところ酒が続いており、飲み疲れ、食べ疲れで箸はあまり進まなかった。

幕間の後は、「梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり) 鶴ヶ岡八幡社頭の場」。吉右衛門の当たり役。春風駘蕩を思わせるゆったりした梶原平三景時。最後の「石切」も格好良く決まる。

歌六のオヤジは巧いもんである。芝雀もあまり艶は無いもののその心情がきちんと伝わる。試し切りされる剣菱呑助は男女蔵が演じて酒づくしの台詞で場内の笑いを誘うのだが、あれはあれでやはりおいしい役なんだろうなあ。

この演目から大向こうが出勤してきたからか、声がかかるように。大向うでいまだに不思議なのは、この日に限らず、いつでも「おた~や~」としか声を掛けないオヤジがいるように思えるところ。私の耳が悪いのかな。最後の演目「茨木」でも、確かに松緑は出ている。しかし玉三郎が花道で見得を切った時に「おた~や~」と聞こえるのだけども。私が聞き違えているのだろうか。

最後は「茨木(いばらき)」。新古演劇十種。羅生門で腕を切り落とされた鬼が老婆に化けて腕を取り戻しに来る物語。

渡辺源次綱を松緑が。その伯母真柴に化けた茨木童子を玉三郎が演じる。能面のような表情で現れる玉三郎は幽鬼の如き不気味さ。あそこまで不気味だと渡辺源次綱もさすがに不審に感じるのではとも思うが、後半の鬼との対比が印象的。松緑は役に似合っているが、若干印象薄いか。

真柴が腕を奪って去ってから、鴈治郎と門之助が士卒役で出て来て軽妙な掛け合いで客席を沸かせる。鬼の扮装へ着替える時間を稼ぐ一種のインターバル。鬼となって花道を去る玉三郎は実に不気味に成立していた。


歌舞伎座「十二月大歌舞伎」昼の部。
日曜日は歌舞伎座で「十二月大歌舞伎」昼の部。

市川中車がポスターに出るときは、大概汚い爺様の格好。血統からすると猿翁の直系であり無碍な扱いはできないが、40過ぎて歌舞伎の世界に入ってきた新参者。時代物や荒事で主役を張る事はできないが、新作歌舞伎や世話物で、汚い親父の役があれば、「ま、これを中車にやってもらうか」ということになってるのではないか。新参者に対する梨園のそこはかとない悪意を感じる(笑)まあご本人は覚悟の上だろうが。

最初の演目は「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)十種香」。人形浄瑠璃から移された時代物。

三姫の一つとされる八重垣姫を七之助が演じる。姫の気品と激しい情熱が交錯する印象的な人物像。腰元濡衣は児太郎。若干持ち切れない感あり。二人の間には松也の武田勝頼。開幕からしばらくして劇場内には香の香りが漂う。

長い芝居の一部分を切り取って出しているので、最後の幕切れはよく分からないが、とにかく終り。市川右近の謙信公は時代な大きさがあって印象的だが、十二月の出演は昼夜通じてこの場面だけなのがちょっと残念。

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ここでお昼の幕間。お昼なので軽めの「花かご膳」を。でも飲んでしまうんだなあ(笑)

次の演目は、木下順二 作坂東玉三郎 演出の「赤い陣羽織(あかいじんばおり)」。外国の民話を脚色したもの。

本筋にはあんまり関係ないが、馬がよく出来ているのには感心。玉三郎からは「歌舞伎から離れろ」と演技のアドバイス貰ったらしいが、中車のお代官は実に滑稽に成立している。ただしまあ新作だから、ごく普通の演劇に近く、中車も力が発揮できるだろう。つけまつげと化粧で、おやじが誰で代官が誰なのかさっぱり分からないが(笑)

音楽も下座音楽ではないし、確かに歌舞伎という感じがしない演目。演者が客席を走り回ったり、二階桟敷に現れたりして手拭を巻くなどの演出も奇抜で面白い。客席も沸き、大いに笑った。

最後の演目、「重戀雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)」は舞踊劇。関守がいて、桜の木の妖精が出てくるというのは、なんだか記憶にあるなあ、と最初に思ったが不覚にも睡魔が襲ってきて、ところどころでウトウト。舞踊劇はやはり見方が分からないねえ。

後で過去ブログを調べると、今年の二月にも幸四郎、菊之助で同じ演目を観ていた事を発見。記憶悪いね(笑)その際も、どうも前半部分はあまり感銘を受けなかったようだ。常磐津が台詞を語るというのも眠くなる要因なんだよなあ。

松緑は関守の時は軽妙な演技と舞だが、「国崩し」の大伴黒主たる正体を現してからは古径で怪異な大きさがあり、実に印象的。今月は昼も夜も立役は松緑がしっかりと締めた。松也にとっては実においしい公演だったと思うが、そんなに強い印象は受けなかったなあ。

玉三郎の桜の精は、実に妖艶で美しかった。一瞬にして引き抜きの技で衣装がはらりと変化する部分も見ごたえあり。最後の見得もきっちり決まる。

これにて本年の歌舞伎納め。もう年の瀬だ。

歌舞伎座「十二月大歌舞伎」夜の部
土曜日は、歌舞伎座「十二月大歌舞伎」夜の部に。

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「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」の、「杉酒屋(すぎざかや)」、「道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)」、「三笠山御殿(みかさやまごてん)」の場面を通しで上演。

舞台は大化の改新の頃の上代。もっとも庶民の町屋の部分は江戸の風俗がそのままでみんな丁髷というこれは歌舞伎のお約束。

座組は花形歌舞伎かと思うほど全体に軽いが、玉三郎が、若手女形から七之助と児太郎、若手立役から松也を選んで重要な役を演じさせ、最後だけ自分で締めるという公演になっている。大変だろうが、確かに玉三郎が大詰めの幕で出て来た時の空気感は比類ないもの。

「杉酒屋」では、庶民の娘とお姫様の恋の鞘当てを七之助と児太郎が演じてなかなか印象的。歌舞伎に出てくる女性は常に積極的で男性に対して「好きです」「好きです」と迫るのだが、このような「クドキ」は昔の観客に大いにうけたのだろう。松也は大役なのだが割と存在感がない。まあ元々がそんな役とも言えるけれども。

中車の息子、團子が実に達者に丁稚子太郎を演じて客席を大いに沸かせる。親父も熱心に仕込んでいるのだと思うが、子供の頃から特訓し過ぎるとヘンに悪達者に小さく固まってしまうような気も。大名題の後継ぎ達も、最初は嫌々色んな習い事や稽古をやり、辞めるか続けるか、自分の将来を思い悩んでから、最後に歌舞伎役者として生きる道を自ら掴み取ってきた訳だからなあ。

「道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)」は所作事。しっとりと口説いたり口説かれたり、後から追ってきた町娘お三輪と橘姫が烏帽子折求女を取り合っていがみ合うところも歌舞伎独特の様式美で見せており、実に面白い。

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ここで35分の幕間。花篭で「冬の彩り御膳」なるものを。何と比較するかで評価は違うだろうけど、月替わりの新企画でなかなか頑張っている。ただ、毎月値段が上がってる気がするのだが(笑)

幕間が終わると2時間近い「三笠山御殿」の段となる。この段からお三輪は七之助から玉三郎に。役者が変わっただけで舞台に重みが増し、七之助よりも玉三郎のほうが純情可憐に見えるという歌舞伎の不思議。

荒くれの漁師鱶七は、松緑が実に印象的に演じる。朗々たる声も張りがあり、眼光も鋭く押し出しあり、かつ稚気と愛嬌もある。義経よりもやはり、時代な荒事の印象を残すこの手の役のほうが松緑には合っているよなあ。

愛する男に裏切られたと知った憤激と「凝着の相」、しかしその男が実は高貴な生まれであり、自分の死がその男を助けるために役立つのだという事を聞かされた時の歓喜。政治的な背景など何も知らず、純真に愛だけを求めて運命の糸に導かれた哀れで可愛い女を玉三郎が印象的に演じている。

豆腐買おむらは、市川中車が初めて女形をやるという「ご馳走」。色々やらされて大変だろうが息子も歌舞伎界に入れており、親父の踏ん張りどころなのだろう。


「吉例顔見世大歌舞伎」昼の部を観た。
先週の三連休最終日の月曜、「吉例顔見世大歌舞伎」昼の部に。席は中央4列。ちょっと前過ぎる気もするが、あまり選択肢が無かったから、まあ仕方ない。

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最初の演目は、「源平布引滝 実盛物語(さねもりものがたり)」。去年の歌舞伎座でも菊五郎の実盛で観た。

切られた小万の腕はその養父が釣り上げる。小万の腕を切った実盛が詮議に訪れるのは奇しくもその小万が育った家。そして小万は、同行した瀬尾がその昔に捨てた娘。自らの切られた腕を追い掛けるように運ばれてくる小万の遺体。源氏の白旗を巡り、因縁と運命の輪が巡る義太夫狂言。

筋書きによると、今回が初役の染五郎は吉右衛門に習ったのだとか。生締の凛々しくも爽やかな実盛。亀鶴の瀬尾十郎は、声量もあり、赤っ面の太い迫力あり。手柄を立てさせるため、わざと孫に腹を刺させる場面で、これでよいのだという贖罪の恍惚も印象的だし、荒技の「平馬返り」も見事に決まる。昨年の実盛では瀬尾は左團次だったから、この荒技は無理なのであった。しゃがんた格好から切る一種のトンボであるからやはり運動能力のある若いうちでないと出来ない。

全体に若い配役の中で小万の秀太郎だけが重鎮。子役はよく仕込んであり、義太夫に合わせての台詞もこなす。武士となったのだから母の仇を討つという太郎吉に、お前が大人になったら、合戦で討たれてやろうと約束する実盛は、遠い未来のその場所も自らの首が洗われる池の場所も幻視している。SF的な香りもするシュールな場面も印象的な狂言。

ここで30分の幕間。花篭で「秋の吹き寄せ御膳」を。なかなか結構。

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二つ目の「若き日の信長」は大佛次郎が11世團十郎にあて書きした新歌舞伎。殿様の跡継ぎだが、人々に受け入れられず、うつけ者と呼ばれる若き日の信長を海老蔵が演じる。歌舞伎の名家に生まれた御曹司であるが、周囲に溶け込めず、遊び呆けて六本木で怖いのに殴られた実像の海老蔵とも重なって、割と本人も素でやれるのでは(笑)

死をもって信長を諌めた平手中務政秀は左團次。死の前の遺言に一字でも間違いがあると笑われると深刻に遺書を書く様子もなかなか印象的。実生活の海老蔵もこのように諫言してくれる者がいればよかったと思うけれども。

夜の部の「河内山」では、本人も音で覚えているだけで台詞の意味が分かってないのではと若干気になるほど台詞が上滑りする印象なのだが、新歌舞伎だと台詞がほぼ現代劇と同じ。なので海老蔵の口跡も極めて分かりやすい。純真なうつけ者から血まみれの戦国を智謀で生き延びんとする武将への変貌。全体として海老蔵の地でやれる当り役。

最後は「御所五郎蔵」

ストーリーの面白さはあまり無いように思うのだが、河竹黙阿弥による流麗な台詞と江戸情緒あふれる歌舞伎の様式美に満ちた見得が眼目。

「おお、菊五郎が元気に出てるねえ」、「左團次も頑張ってるねえ」ということを寿ぐ演目というか。序幕の終わりに仲裁役でちょっとだけ出る仁左衛門も観れてお得な気分。魁春は年寄りだと思ってみると年寄りなのだが、廓の女だと思ってみると妙に美しい時がある。歌舞伎の不思議だ(笑)

最後のほうは、大詰めでもうそろそろ時間だし、どうやって終わるのか心配になっていたら、「ちょんぱ」でいきなり終わり。なるほど。


歌舞伎座、「吉例顔見世大歌舞伎 十一世市川團十郎五十年祭」夜の部
日曜日は歌舞伎座、「吉例顔見世大歌舞伎 十一世市川團十郎五十年祭」夜の部に。次の年の興業に出演する大物役者勢揃いで、前年11月に予告として打つのを「顔見世」興業と昔から称したらしい。

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4時に到着したがまだ昼の部の観客がゾロゾロと出て来ている状態で、入場開始は4時10分くらいか。4時半開演だから結構慌ただしい。上演時間見ると昼の部の打ち出しが3時58分だから確かに4時に入場開始は無理だ。

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取った席は一階、西側桟敷席と花道の間。この辺りの席を「ドブ」と称する。なかなか言い得て妙ですなw 初日の観劇にこだわった訳ではないのだが、11月は予定が立て込んでおり一階前方に空きがあったのがこの日だけ。それがドブ席だったので、まあ仕方ない。

そういえば海老蔵「勧進帳」の時もこの辺りで観た。「勧進帳」は義経主従の花道での登場や最後の飛び六法など、「ドブ」席でもまあまあ見所あり。舞台中央にはちょっと遠いけれども。

最初は「江戸花成田面影(えどのはななりたのおもかげ)」

十一世市川團十郎五十年祭にあたり、孫である海老蔵の長男堀越勸玄が初お目見得する舞台。藤十郎、仁左衛門、菊五郎の大看板に海老蔵とも親戚である同世代の染五郎と松緑、そして成田屋一門も勢ぞろい。成田屋と関係の深い深川不動を舞台に、江戸情緒と共に成田屋の御曹司の初お目見得を賑やかに寿ぐ祝祭。

舞踊の後、仁左衛門が「そろそろ成田屋さんも来るはずだが」と言うと、堀越勸玄が海老蔵に手を引かれて花道から登場。万雷の拍手を受ける。名家に生まれた男子は、生まれた時から御曹司として歌舞伎界での将来が約束される。歌舞伎はやはり血統が物を言う特殊な世界だ。

舞台中央で海老蔵の口上の後で本人の挨拶。実際の舞台では何を言っているのか分からなかったが、後でTVのニュースで字幕見て「堀越勸玄でござります」と言っていたのだと納得。まあまだ2歳8カ月だからなあ。

大向こうの声も賑やかにかかっていた。以前よく聞いた、「にゃわや~!」と鶏を絞め殺すか細い悲鳴のようなヘナチョコ声を出す爺様が久しぶりに。最近とんと声が聞こえないのでひょっとしてと思ってたが、ご健在だったとは(笑) 他の人が掛けるタイミングだと自分の小さい声がかき消されるからか、変わった所で絞り出すような必死の声を出すのも以前のまま。声が出なくなっても大向こうを止められない。人間の老残と業というものを深く考えさせる何かがあの声にはある。大きなお世話だが(笑)

最後は観客も参加して手締めで終了。別に成田屋贔屓じゃないけれども、お目出度い門出を眼前に観た満足感あり。

20分の幕間。一階の売店で生ビール買って一杯やっていると、複数入っていたTVクルーはここで帰って行く。映像は夜のニュースと明日昼のワイドショーで使うのだろう。

「元禄忠臣蔵(げんろくちゅうしんぐら)仙石屋敷」

赤穂浪士討ち入りの一件を取材して、真山青果が昭和初期に書いた「活歴」物。最後の段である「大石最後の一日」は、以前に幸四郎で観た。

この仙石屋敷の段は、赤穂浪士達が討ち入りで本懐を遂げた後、大目付に使者を立て、自らの意志で幕府の裁きを受ける為に出頭する部分。ほとんどが会話劇なのだが詮議の質問に対して答えるうちに、討ち入りの様子と赤穂浪士の覚悟が緻密に描写されてゆくという趣向。

大石内蔵助を仁左衛門が堂々たる風格で演じる。詮議を続けるうちに赤穂浪士達の主君を思う忠義に心打たれる仙石伯耆守を梅玉。梅玉は最初の「江戸花成田面影」でも踊るし、打ち出しの「河内山」にも出演しているから大変だ。若干台詞が入ってない部分があるように見受けたが老練な台詞術で乗り切る。

屈辱を受け、吉良を切り捨てようとした主君は取り押さえられ、その刀はほんの少し届かなかった。それがどれだけ無念だった事か。その無念を我々が晴らしたのだという大石内蔵助の台詞は胸を打つ。浅野家お家断絶の後、討ち入りには参加せず離れていった家臣たちにもそれぞれの人生があったのだと振り返る部分も印象的。

息子である大石主税を演じるのは史実と同じ15歳、仁左衛門孫の千之助。難しいが未練なく立派に死ねと諭す今生の別れ。最後に花道を去る仁左衛門も威風堂々として鮮やかに成立していた。

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30分の幕間は、花篭で「秋の吹き寄せ御膳」。なかなか豪華である。

次は「歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)」

昨年11月の「吉例顔見世大歌舞伎」では染五郎41歳にして初めての弁慶役に挑戦する「勧進帳」が上演されたのだがその時の富樫は親父の幸四郎、義経が叔父の吉衛門。今回は親子役柄を交換し、染五郎が富樫に回り、幸四郎が手慣れた弁慶役。義経が松緑というのがちょっと珍しいが、十一世市川團十郎の縁戚でもあり、追善にもふさわしい配役。ただやはり虚心に観ると松緑に義経の感じはしない。眼力があり過ぎ、ギラギラしているところがあるからだろうか。もっとも本物は武将であるから、ギラギラしてたかもしれない。歌舞伎「勧進帳」の義経造形がお公家さん風になり過ぎなのかもしれないが。

「元禄忠臣蔵」では仁左衛門と孫の千之介。「勧進帳」では松緑と息子の左近。幸四郎と息子の染五郎。それぞれの家の血統は複雑に絡み合っているが、高麗屋三兄弟から派生した親戚は実に数多い。歌舞伎はやはり血の承継だと感じさせる。

染五郎の富樫は実に清々しくも立派。弁慶役を経験した余裕が反映しているのではないか。幸四郎弁慶はDVDで観た事があるが生で観劇するのは初めて。安定感のある立派な弁慶であるが、鳴り物が静まった最後幕外の引っ込みでは、幸四郎の荒い息使いがはっきりと聞こえる。衣装も重かろうし踊りもあるし、やはり弁慶は大変な役だ。

天衣紛上野初花
「河内山(こうちやま)」 松江邸広間より玄関先まで

十一世市川團十郎の当り役の一つを孫の海老蔵が初役で演じる。筋書きによると、海老蔵は仁左衛門に指導受けたとのこと。

結構長く台詞劇が続くが、海老蔵の台詞は何故か素直に頭に入って来ないところあり。動きもあまりなく単調で持ち切れない感じがする。「元禄忠臣蔵」は仁左衛門の語りの魅力で最後まで引っ張るのだが。海老蔵は会話劇の部分で台詞が上滑りするので、最後のカタルシスまで弱く感じるような印象。

十一世市川團十郎が河内山宗俊を演じて高笑いする写真が筋書きにあるのだが、これが当代の海老蔵にそっくり。花道を去る堂々たる姿は、悪漢の魅力に満ちて大変に見栄えがするのではあるが。

打ち出しは9時過ぎ。夜の部は演目があれこれあって面白かったが、日曜の夜に打ち出しが9時過ぎるとちょっと長くかかり過ぎる気もする。



芸術祭十月大歌舞伎、昼の部を観た
先週の土曜日は、歌舞伎座昼の部。

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花道すぐそばの席。花道が近ければ舞台中央はちょっと遠い。席はどこでも一長一短か。前列斜め前の老夫婦が年齢割にはどちらも相当な「座高の実力」あるタイプで、しかも時として前のめりになったり頭を寄せ合ったりするので舞台中央が見えなくて往生したが、まあこればかりは運だから。

「音羽嶽だんまり(おとわがたけだんまり)」は、花形連が演じる歌舞伎の様式美に満ちた舞踊劇。だんまりは真っ暗闇で相手を探りながらのゆっくりした動きを表す歌舞伎独特の演出だが、松也、梅枝、萬太郎、尾上右近、児太郎、権十郎が賑やかに舞台全面に広がって、次々位置を変えて行く。 幕外の引っ込み、松也最後の飛び六方は、割と変わった所作だが、花道横で見たのでなかなか迫力あり。

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20分の幕間を挟んで、二世尾上松緑二十七回忌追善狂言、「歌舞伎十八番の内 矢の根(やのね)」は、二世松緑の孫、当代松緑が曽我五郎を演じて奮闘。白目がちで独特な眼力の鋭さが、荒事の豪快な出で立ちに不思議によく合っている。紅楳白梅が散りばめられた舞台で正月のおせち料理を入れ込んだ「つらね」はお目出度い演出。もともと新春の公演でよく出るらしいが。五郎の夢の中という設定で上手より曽我十郎役の藤十郎が人形の如く登場。ほんの短い間だが追善に華を添えて客席は沸く。

ここで35分の幕間。三階の花篭にて「はなかご膳」で一杯。

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「一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)」は、去年の歌舞伎座、吉右衛門でも観たが、今回の仁左衛門は、また独特な、公家風で高貴な雰囲気を残す作り阿呆ぶりが実に印象的。ふと見せる素顔の雅な所と品のある作り阿呆の対比が面白い。吉右衛門は最後に切り落とした首を放り投げて弄び、心を侵食しつつある狂気をも鮮やかに見せるが、仁左衛門バージョンはまた違った感興を残す。

ここでまた20分の幕間。夜の部とは違って幕間が多いな(笑)

昼の部最後は「人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)」。落語に題材を取る気楽な世話物。菊五郎が手慣れた軽妙さで演じる。博打に狂い借金漬けになった親父を救おうと吉原に自ら身を売ろうとする娘、孝行心に感心して親父に金を貸し返済を期限付きでまってやる置屋の女将、集金の金を失くし死のうとしている手代を助けようとせっかく用立てて貰った金を投げつけて去る親父。

悪人は誰もおらず、あれよあれよと話が進み、最後は絵に書いたようなハッピーエンドというのが、お昼の切りには実に良かった。

「芸術祭十月大歌舞伎」夜の部
土曜日は歌舞伎座、「芸術祭十月大歌舞伎」夜の部に。二世尾上松緑追善公演でもあり、孫の松緑が昼も夜も大きな役を演じる。

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タクシーに乗ると運転手がこの週末は随分と人出が多く、朝に高島平への客を乗せたら道路が大混雑で大変だったとの事。まあ秋の行楽シーズンという事か。運動会なども行われているはずだが、私は歌舞伎へと(笑)

夜の部開場前の歌舞伎座は普段より一段と人が多い。入場しても随分と団体と思しい人でごった返している。食事予約精算も長い列。なんだか珍しいな。秋の行楽シーズンだからか。

座席は1階A3ブロックの4列目。舞台は実に迫力を持って見える。逆に舞台を俯瞰するには近すぎる感も。席というのはどこでも一長一短あり、前に座った他の客にも影響されるので、なかなかどこが一番というのは難しい。

最初は「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)。いわゆる「阿古屋」の段。 平家残党狩りの最中、七兵衛景清の愛人、遊君阿古屋が詮議にかかる。詮議の指揮を執る重忠は、拷問を避け、阿古屋に琴、三味線、胡弓を順に弾かせその音色で詮議しようとする。いわば裁判音楽劇。

赤っ面の岩永左衛門、亀三郎は浄瑠璃人形を模した「人形振り」。人形のように動く造り物の眉と人形のような動きが面白い。ここまで徹底して模していなくても、人形浄瑠璃から移された義太夫狂言では、人形の影響ではと思える動きが時としてある気がする。秩父庄司重忠を演じる菊之助は、品格あり凛とした人物をしっかり演じているが、玉三郎が主役のこの段ではやはり脇役に過ぎない。

玉三郎花道の出と舞台正面での見得は大変に華麗で優美なもの。一番の見所、聞き所は、玉三郎が実際に、琴、三味線、胡弓を演奏する部分。正面やや下手で演奏するのだが、座った席から玉三郎がほぼ正面間近に見えて実に迫力あり。

勿論、歌舞伎役者であり楽器演奏のプロではないのは当然だが、いわゆる素人の技という範疇は優に超えている。立女形としては歌右衛門が得意にしていた役だそうだが、大変な苦労で練習するのではないか。

三味線の伴奏と合わせた琴の幽玄な音色に合わせて玉三郎の物悲しい歌が響くと、客席は咳き一つ聞こえない静寂に包まれる。そして次の楽器は三味線。昔々にエレクトリック・ギターの速弾きなど練習していた経験から類推すると、三味線は、運指とバチのピッキング(って言うのかなw)の組み合わせで何種類ものテクニックがあるようで、左手の指で弦を弾いて音を出す奏法等ギターに共通する部分もあり演奏を見るだけでも興味深い。伴奏の三味線と大部分はユニゾンで、時には掛け合いのように演奏を繰り広げる。所々ちょっとリズムを取るのに苦手な節があるようには感じるが、他の歌舞伎俳優の誰があそこまでやれようか。

最後の胡弓は伸びやかな音。ほとんどミスを感じさせない演奏で、誠に圧巻。竿を左手で回転させて弦に当てる角度を変えている奏法など、なかなか興味深い楽器だ。言葉の説明ではなく、楽器の演奏と歌そして演技だけで、阿古屋が確かに嘘をついていないと納得できる場面が成立していた。玉三郎恐るべし。他にこの演目をやる立女形が、いずれ出てくる可能性があるだろうか。

40分の長めの幕間。花篭で「神無月御膳」で一杯。松茸、銀杏、栗など秋の味を配した吹き寄せの一皿、御飯はキノコ御飯と秋の雰囲気。

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続いて「梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)」。いわゆる「髪結新三」

二世松緑の追善演目。二世の当り役だった江戸の粋な小悪党、新三を孫の松緑が初役で演じる。冒頭には仁左衛門も追善供養の出演で万雷の拍手を。

当代の松緑は眼力鋭く、永代橋での番頭忠七足蹴や弥太五郎源七親分との対決では、くっきりとエッジの効いた悪党の凄みあり。反面、軽みには若干欠け、勘三郎のような、ワルなのだが人を惹きつける、粋な悪党の愛嬌や色気までは出ていない感あり。大家との軽妙な掛け合いでは、左團次のとぼけた味のほうが目立つ。元々、松緑は下剃勝奴のほうに合ってるような気もする。

勿論、まだ始まって間が無いし、この辺りはこの後修正されてゆくはず。松緑は、着物の脇見ても、緊張があったのか、随分と汗をかいていた模様。ブログ読んでも、元々が陰々滅々と考えこむ真面目な人なのではないかと思うのだが、全体として狂言そのものの面白さもあり、「髪結新三」としてきちんと成立していたと思う。

丁稚役で松緑息子の左近も登場して客席の暖かい拍手を受ける。初夏の江戸の粋を描く世話物でもあるが、カツオ売りには菊五郎御大自ら天秤棒を持って登場し万雷の拍手を。一門の松緑が爺様の追善する公演の賑わいに、興を添えるために端役のカツオ売りで出てやる。菊五郎親爺の粋な心意気ですな。

最後は髪結新三と弥太五郎源七の閻魔堂橋元での立ち回り。ここで舞台が明るくなり、いわゆる「ちょんぱ」の終わりだが、口上には移らず、そのまま立ち回りを続けるうちに幕が引かれて打ち出し。

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本日は深川辺りをブラブラ散歩。門前仲町から清澄通りを北にちょっと行くと、そこが昔の閻魔堂と閻魔堂橋があった辺り。小さな公園には「髪結新三」の一場面が描かれたパネルが。しかし、昔の閻魔堂はコンクリートになってしまったし、永代橋も巨大建築で落ちそうにないし、深川から船で鉄砲州の船宿に飲みに行くなんて風情も消え果ててしまったのではあるが。


歌舞伎座秀山祭九月大歌舞伎昼の部
土曜日は歌舞伎座秀山祭九月大歌舞伎昼の部を観た。

タクシーに乗って歌舞伎座に向かっていると警察がスピード違反の取り締まりをしている。速度を出すと危ない場所ではなく、警察が隠れて捕まえやすい場所でやっており、本来、交通安全には一つも役になっていない。しかもシルバー・ウィーク初日。運転手によると、浮かれて外出したり地方から車で来て不案内なドライバーを狙ってるのだとのこと。こんな取り締まりで捕まっても、安全運転しようと思うより、ただ警察が嫌いになる効果しかないけどねえ。運転手によると、昔は対向車線の車がパッシングで教えてくれえたもんだが、最近はめっきりそんな事も減って、人情薄くなったねとの事であった。

昼の部最初は、双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)。上方で成立した世話物浄瑠璃を歌舞伎に移したもの。廓の傾城、藤屋吾妻を芝雀、藤屋都を魁春と女形の揃い踏み。舞台が転換して、新清水寺舞台を背景にした梅玉の宙乗りが珍しい。ケレンというよりも、のんびりホワーンとした陶然の風情で宙を漂うのがまた一興。

ここで30分の幕間。花篭で「ほうおう膳」で一杯。のんびりしていたら開演5分前で、ちょっと慌てた。

「新歌舞伎十八番の内 紅葉狩(もみじがり)」。能の「紅葉狩り」は以前NHKで放映されたのを観たことがあるが、この能を参考に書き下ろした歌舞伎舞踊劇。舞台一面の紅葉は秋の雰囲気。腰元や侍女がずらりと並ぶ華やかな舞台。常磐津、長唄、竹本が三方掛け合いをする趣向も実に豪華。

染五郎の更科姫は、立役が赤姫のつくりという面白い趣向で、最後は戸隠山の鬼女への変化も面白い。松緑も舞踊となる後半は実に印象的。山神役の金太郎はキビキビとして達者。ただ若干線が細い気がする。高麗屋を背負って立つ御曹司なのだが大丈夫か。歌舞伎の家に生まれるというのもある意味大変だ。

最後の演目は「競伊勢物語(だてくらべいせものがたり)」。風邪気味で体調が段々と悪化してきて二時間という大作は結構しんどかった。

娘信夫/井筒姫を演じる菊之助は妖艶にも美しい。又五郎とのだんまりの絡みも印象的。染五郎とのやり取りもよい。秀山祭とはいえ紀有常役の吉右衛門が登場するのは昼の部では最後のこの演目の後半だけであるから、案外に出番が少ない。

所々話の段取りに飛躍がある気もするが、後半は吉右衛門が貴族としての凛とした振る舞いと、都を追われた時の百姓家暮らしを懐かしむゆったりしたところの対比が滋味深く演じて印象的。東蔵は婆さん役が巧いなあ。

打ち出しの後で夜は「新橋鶴八分店」へ。
歌舞伎座 「秀山祭九月大歌舞伎」夜の部を観た
土曜日の夜は歌舞伎座に。秀山祭九月大歌舞伎夜の部、「伽羅先代萩」の通し上演。

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序幕の「花水橋」は実に短い幕で後の筋書きとあまり関係は無い。物語の題材、伊達家お家騒動の発端となった殿さまを亡きものにしようとする陰謀が描かれる。香木伽羅の木で履物を作って廓に通ったというエピソードが題名に反映しているのだが、梅玉がゆったりと雅やかで派手に放蕩をしているもののどこか品のある殿さまを演じて印象的。

5分の幕間があって「竹の間」。この前観た歌右衛門の「歌舞伎名作撰 伽羅先代萩 」 DVDでは「竹の間」は収載されていなかったが、御殿女中が大勢出る煌びやかな「奥」の風景。鶴千代君を守ろうとする政岡を陥れようとする陰謀が描かれて次の「御殿」の背景となる。菊之助の沖の井は、凛とした立ち振る舞いでなかなか印象的。子役はよく訓練されている。偉いもんである。

ここで30分の幕間。

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3階花篭で「長月御膳」。内容的には特筆すべきもの無く同じ値段なら「ほうおう膳」のほうがよいなあ。

幕間後が「御殿」。伊達藩お家騒動は有名な題材で様々な芸能で扱われており、この場面は人形浄瑠璃から逆移入されたとのこと。義太夫の語りに乗って演じる部分も多い。そういえばDVDの歌右衛門は、動きが心なしか人形浄瑠璃に寄せているような気もした。

子役二人と玉三郎だけが舞台で長時間演じる「まま炊き」は、子役もよく訓練されており丁寧にやるのだが、所々で船を漕ぐ客あり。歌舞伎での子役の発声は一本調子の甲高い声で、これは無駄な演技を排して誰にでもできるように設計されているのだとは思うが、延々と掛け合いでやられるとちょっと退屈でDVDの歌右衛門観ても何度も寝てしまった(笑)。

食物による毒殺を恐れた乳母がお茶の釜で米を炊くという場面。歌舞伎の演出として、本格のお茶の手前を見せる必要など無いとは思うが、そもそもの段取りが長いので、玉三郎の存在感あっても若干持ち切れない部分も。しかし今回の歌舞伎座では私自身は眠くならなかった。歌右衛門DVDでも米を研いだ後に水加減しないので不思議に思っていたが、あれは最初から沸いた湯に米を投入する「湯取り」で炊いているのだとはイヤホン・ガイドによる豆知識。なるほど。

その後、一子千松が主君を守るためにわざと菓子を蹴散らし、八汐に惨殺されるくだりは、大変に印象的。歌六は、憎々しげな悪女を凄みと共に演じている。義太夫の語りに乗って演じる部分も多いが、政岡の忠義と母親の心がせめぎ合う場面では、リアルさとも、伝来歌舞伎の型という様式美ともつかない、玉三郎にしかない独特の計算と感性を感じて圧巻。

「床下」は打って変わって江戸荒事の芝居。煙が出てスッポンからドロドロと怪しくも登場する吉右衛門の仁木弾正は、実に怪異で時代な大きさを感じさせ、最大級の悪玉の貫禄充分。面あかりと共に、雲間を行くが如き歩き方で消えて行く幕外の引っ込みも実に印象的。松緑の荒獅子男之助も短い登場ながらきちんと成立している。取った席が上手過ぎたがもう少し花道寄りで観たかったな。

15分の幕間挟んで「対決・刃傷」。ここでも、吉右衛門の仁木弾正は鮮やか。しかし何故か声はあまり大きく響かないね。体調の問題か。歌六は、憎々しげな逆臣側の八汐と、忠臣である外記左衛門、対象的な二役を演じて大奮闘。染五郎の細川勝元は弁舌爽やかに大逆転の評定をするのだが、カラッとし過ぎて仁木弾正と凌ぎを削る迫力には若干欠けるかな。

ただ、仁木弾正に止めを刺したものの、自らも腹を刺されて息も絶え絶えの爺様、外記左衛門に家督相続を許す書状と駕籠も用意して褒め称えるのはよいが、自分が謡うから「一差し舞いたまえ」と言うところは実にKYなひどさ(笑)。出血して重症の爺様が踊ったら死んでしまいますがな。いや、あれは結局最後幕が閉まる処で息絶えたという演出なのだろうか。

全般に渡って実に面白かった。五代目菊五郎が息子の誕生の連絡を電話で聞いた時「仁木弾正ができる顔か?」と訊いたと言うエピソードは有名だが、弾正は悪漢なるも、威風堂々として格好良い、座頭が勤める実に「おいしい」役なんですな。打ち出しは9時15分頃。変則的な幕間だったが通し上演するとやはり時間が長くかかる。



歌右衛門のDVD「伽羅先代萩」を観た。
歌舞伎座夜の部に行くのは来週だが、本日お昼に、事前の予習に以前買って放置してあった歌右衛門のDVD「歌舞伎名作撰 伽羅先代萩」を鑑賞。

このDVDは「御殿」の場から。歌舞伎の子役は常に甲高い一本調子で台詞を言う。これは、子供に余計な演技させず誰がやってもできる為にわざとそうしているのだと思うが、鶴千代と千松の台詞が続き義太夫に乗って「まま炊き」へと移る舞台は、どうしても見ていると眠くなって、何度もここで挫折していたのであった。

しかし、奥殿に不気味に迫る陰謀を基調低音に、乳母である政岡の鶴千代への忠義と、実の息子千松への情愛を丹念に描いているこの場面はその後に見事に活きる。

政岡の息子千松は主君鶴千代を守ろうと陰謀の毒菓子を自分が食べて残りを蹴散らかす。毒の露見を防ぐ為、陰謀方の八汐は不敬を咎に千松を刺す。政岡を睨みつけながら「これでもかえ」と更に刃を抉ると、断末魔の千松の声が響く。様式的に描かれてはいるが、目の前で実子をなぶり殺しにされるというまさに血も凍るスプラッタ・ホラーの如き設定であり、男勝りの政岡の恐ろしい克己と忠義心、そして母としての内なる慟哭がせめぎ合う場面。歌右衛門は堂々たる風格を持ってこの極限までの相剋を演じている。八汐の十七世勘三郎も圧巻。

「床下」の荒獅子男之助は初世尾上辰之助。仁木弾正は二世尾上松緑だが、これまた威風堂々たる迫力の円熟味あり。「対決」「刃傷」では細川勝元に後の團十郎である海老蔵、渡辺外記左衛門に市村羽左衛門と、大名題が揃った豪華な座組だが、考えてみると、このDVDに出演した主だった役者は、既に全員鬼籍の人だ。しかし実に面白かった。来週の歌舞伎座では、玉三郎の政岡と吉右衛門の仁木弾正を楽しみにしよう。相撲も今度の日曜から始まるので、九月はちょっと忙しいな。

歌舞伎座、八月納涼歌舞伎、第一部、第三部を観た。
土曜日は、まず歌舞伎座八月納涼歌舞伎第一部に。お盆休み初日に第二部だけ行ったのだが、その後大分間が空いてしまった。

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お年寄りの大看板はお休みで花形中心の公演。勘三郎も三津五郎も居なくなってしまった。歌舞伎座三階の廊下には亡くなった名優の写真が掲示されているのだが、最後の空白を見る度に、天国にあと一席空いてますよと言われてるようで、どうも気になる。

「おちくぼ物語」は平安時代の物語文学を題材に作られた新歌舞伎。継子いじめの歌舞伎版シンデレラ譚だが、平安の優美を背景に、ノンビリとかつ独特の軽妙味があって観やすく面白い。最後もあっけらかんと胸のすくようなカタルシスあり。ただ、七之助は声が枯れてガラガラ。冷房など喉の調子を崩しやすい季節ではあるが大丈夫か。夜の三部の頃にはちょっと戻っていたが。

左近少将を演じる隼人は、二部にちょっとだけ出た時よりはずっと様になっている。体格もよく立派な貴公子。ただ白塗りの高貴な公達というのは、ニンに合えば演技力無くても成立するからなあ。高麗蔵、彌十郎が脇をしっかり固める。

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35分の幕間に食堂で「葉月御膳」なるものを食する。

次の演目は「十世坂東三津五郎に捧ぐ」と副題がある「棒しばり」。能狂言を題材にした松羽目仕立ての舞踊劇。三津五郎が度々演じた所縁の演目を息子の巳之助が勘九郎と組んで軽妙に踊る。八月納涼は題目も軽めで時間も短いので気楽に楽しめる。

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いったん歌舞伎座を離れてあれこれ用事を済ませ、夕方から再び歌舞伎座に戻って第三部を鑑賞。

最初の演目は、これも「十世坂東三津五郎に捧ぐ」とあるが、舞踊劇「芋掘長者(いもほりちょうじゃ)」。大正期に上演された舞踊劇だが、長く上演が途絶え、三津五郎が復元したもの。

踊りの上手な者を婿取りするという設定。橋之助演じる芋掘藤五郎は姫に恋焦がれるが踊りはやったこともない。巳之助演じる友人の治六郎が面をつけて変わりに舞ってやるという、これも滑稽味のある舞踊劇。連れ舞いのドタバタで正体がバレる所は観客が沸く。最後はハッピーエンドの群舞。踊りの下手な演技から一転、芋掘り踊りは滑稽に楽しく舞うというのはなかなか難しいと思うが、橋之助は手慣れた風に演じている。

「祇園恋づくし(ぎおんこいづくし)」は、古典落語を歌舞伎に仕立てた演目。オリジナルは昭和初期に初演されたが、平成になって藤十郎と勘三郎を主役に当て書きで書き直された脚本を、扇雀と勘九郎が演じる。

元が落語だけあって、京都と江戸の違いを題材にした言い争いや、扇雀の二役を材料にした楽屋落ちや、舞妓好きは「父親の遺伝か」などと言うところなど随所に笑いどころがあって新喜劇のような展開。観客も大いに沸く。

扇雀が二役で肝心なところをしっかりと〆る。竹を割ったようなカラっとした江戸っ子を威勢よく演じる勘九郎は、勘三郎を彷彿とさせて好演。

「もっとゆっくりしていっておくれやす。ぶぶづけでも食べはりますか」と笑顔で勧めながら、裏では箒を逆さに壁に立てかけてある(客が早く帰るおまじない)事を感じさせるのが何とも言えない京都のいけずな所だが、七之助の芸妓染香は、なかなか滑稽に京女の雰囲気を出していた。勘九郎と掛け合う巳之助の軽妙な笑わせどころも印象的。

第一部と第三部を同日に観た訳だが、どちらにも「十世坂東三津五郎に捧ぐ」として「棒しばり」と「芋掘長者」があり、勘九郎と橋之助を相手に迎え、息子の巳之助が健闘。ほとんど出ずっぱりだが、どの演目でも軽妙な役で座を沸かせた。扇雀と彌十郎はベテランの重みで勘所を絞める。普段の座組とは違う納涼歌舞伎独特の気楽な雰囲気を楽しんだ。

歌舞伎座八月納涼歌舞伎 第二部を観た
お盆休み初日午後は、歌舞伎座で八月納涼歌舞伎第二部に。八月は酷暑なので、人間国宝級の大御所はお休み。橋之助や中村屋兄弟の若手主体の興行で三部制となる。

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去年の八月納涼歌舞伎では、「たぬき」で在りし日の三津五郎が出演していたのだが、あれが見納め。今年の納涼では、第一部と第三部に三津五郎所縁の演目が出されるので、第二部よりもそちらのほうが売れているようだ。

最初の演目は、「ひらかな盛衰記(ひらかなせいすいき)」。「逆艪」の段。

主役の、船頭松右衛門実は樋口次郎兼光を橋之助が演じる。最初に花道七三で立った橋之助は、実に顔が大きく、まさに写楽の大首絵に描かれた役者がそのまま眼前に出てきたかのような感慨あり。あれが役者の血というものなのかねえ。

人形浄瑠璃から移された時代物。橋之助は割とすぐに引っ込んで、彌十郎と扇雀が延々と掛け合いを演じる。これはなかなか立派な演技と思うが、全体に前半のストーリーに起伏が乏しく退屈な感あり。「逆艪」という名前だけあって、船を漕ぐ観客もあちこちに(笑)。 最後は船を漕ぐ櫓を使っての立ち回りとなるのだが、子供の入れ替えと忠義の関係にカタルシスがあまり無いのだよなあ。勘九郎は最後にちょっと出てくるのみ。まあ八月納涼は元々軽い演目が出る傾向あるようだが。

三部制なので二部の幕間は特に食堂の営業無し。歌舞伎座二階の売店は、普通、助六弁当など売ってた記憶あるが、今回見るとパニーニやボックスランチなど、売ってる物が変わっていた。あれは納涼歌舞伎の時だけなのかな。次の演目は舞踊で打ち出し。もう眠くなることなかろうと生ビールを一杯。

「京人形」は、名工、左甚五郎が作った京人形に命が宿るという話。世の東西を問わず、芸術作品に命が宿るという同じ発想はあって、ジャン=レオン・ジェロームの「ピュグマリオンとガラテア」を思い出した。

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七之助は、最初はぎこちない人形の動きだが、女の手鏡を胸元に入れられると突然に太夫が乗り移り、女そのもので妖艶に舞う。最初に箱に入れられている時には微動だにしないし、七之助の身体能力の高さには感嘆した。動きの切り替えが実にコミカルで、勘九郎との息もピッタリ。

京人形の精が箱に戻ると、出てくる姫は勘三郎の部屋子中村鶴松。隼人は、今まで見た事なかったが、まるで素人が歌舞伎の真似をやっているように見える。いつでも普通にあんなレベルなのだろうか。不可思議だなあ。

大工道具を象徴的に使った立ち回りは、ちょっと面白い趣向。30分の小品なので切りまであっという間に終わった。外にでるとまだ明るい夕方。昨日までよりも少し涼しい。これもまた良し。


新橋演舞場で、歌舞伎NEXT「阿弖流爲(あてるい)」を観た
先々週末の三連休最終日に、新橋演舞場で歌舞伎NEXT「阿弖流爲(あてるい)」を観た。新橋演舞場に来るのは二回目か。

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坂上田村麻呂の東方征伐の話だという以外は何も予備知識なく行って、筋書きも購入しなかったが、普通に観てなかなか面白かった。

あとから調べたら、「阿弖流爲(あてるい)」というのは、続日本紀などに見える、坂上田村麻呂に敗れて降伏し処刑された蝦夷の大将の名前で、ちゃんと歴史書にある史実を踏まえた設定なのですな。

2002年に今回と同じ市川染五郎と劇団☆新感線のコラボ公演として公開された「アテルイ」の脚色に若干歌舞伎テイストを加えて「歌舞伎NEXT」として新たに上映したのが今回の公演ということらしい。これも実は観た後で知った(笑)

主役の阿弖流為に染五郎、ライバルとなる坂上田村麻呂に勘九郎、立烏帽子に七之助という高麗屋、中村屋の花形が揃う座組み。 7列目だったのだが両花道を劇場一杯に使うアクションで、もう少し後ろでもよかったかも。

「歌舞伎NEXT」と称するが、立ち回りも全体にゆったりした歌舞伎の様式美ではなく、もっと写実的でテンポも実に目まぐるしく早い。しかしそれをきっちりとこなす歌舞伎役者の身体能力には驚く。音楽も下座音楽では無くドラムも電子音も入り、一部では俳優もマイクも使用している。

歌舞伎の雰囲気やケレン味がある演出も随所に組み込まれている。神の化身である龍との戦いの様式美やら、一部立ち回りでトンボを切る部分。あきらかに「だんまり」を模した部分もあり。

祟り神と化した染五郎の阿弖流爲が大和の都を灰燼とするため花道を去る。この引込みは「飛び六法」なのだが、実にデーモニッシュかつ異様な雰囲気を持って成立していた。花道の出入りは全般に歌舞伎の速度よりもスピード感あり。

逆にやり過ぎとも思えるのが、最初から最後まで多用される「ツケ打ち」。これは若干うるさく感じるくらいで、裏方さんは獅子奮迅で大変。あまり歌舞伎を見慣れなてない観客もいるだろうと「今、見得切ってますよ! ココ! ココ!」と教える感じでやってるのだろうか(笑)

御霊御前は、えらく真に迫ってるので、歌舞伎役者ではなく本当に婆さまの女優がやってるんだなあと思っていたが、幕間でチラシ確認すると女形の市村萬次郎であった。歌舞伎座で何度も婆さんの役で見たが、まさしく婆さんにしか見えない。凄い(笑) 片岡亀蔵の蛮甲も一種の狂言回しとして印象的。坂東彌十郎も実に怪異で大きかった。

染五郎が見得を切ると、悪役が「気持ちよさそうに大見得切りやがって」と楽屋落ちを言うので客席爆笑。さらにふざけて見得を切り「高麗屋!」と自分で言うと、対面する勘九郎も笑って自分も見得を切り「中村屋!」と言う。煙たい大名題がいない、本格歌舞伎とは違う若手中心の自由な舞台。伝統の歌舞伎ではないけれども、歌舞伎独特のケレンを巧く使い、舞台転換も立ち回りも歌舞伎の何倍かのスピードでめまぐるしくストーリーが展開する。現代の演劇としてカタルシスを持って成立しており、実に面白かった。

入場する時に観客全員に配られるリストバンドは最後の場面で光る。全員が手拍子して大盛り上がり。まあ、あそこで北島三郎が出て来て「祭」を唄っても盛り上がったろうけども(笑)

しまいには全員立ちあがってスタンディング・オベーションに。何度もカーテンコール。なかなか拍手が止まないので、最後は染五郎がいったん上手にはけ、自分で定式幕を客席に手を振りながら閉めて行った。さすがにこれで終わり。


歌舞伎座、「七月大歌舞伎」夜の部を観た。
金曜の深夜、iPadで「チケットWeb松竹」の歌舞伎座「七月大歌舞伎」座席戻りを検索していると、発売日以降週末はずっと完売だった翌日土曜日の夜の部一等席に一席だけ戻りが。早速購入。表示はまた満席に戻った。

チケット取ったのは前日なので花篭での食事は予約していない。席は一階席の中央部分だったので、弁当持ち込むのも面倒臭い。早めに東銀座に出て、近くの長浜らーめん「やまちゃん」で腹ごしらえ。麺は硬めにしたが、バリカタでもよかったな。

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まだ時間あったので入場前に歌舞伎五階にある庭園に。歌舞伎座の屋根が見える。ここに上がったのは初めて。永谷園の広告が味わい深いなw

最初の演目は、「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき) 熊谷陣屋」

人形浄瑠璃から移された時代物の名作。主役の熊谷直実を海老蔵が初役で演じるのが話題。筋書によると、演じるにあたって吉右衛門に教えを乞うたという事らしい。

歌舞伎座、二月大歌舞伎夜の部で、この「熊谷陣屋」の前にあたる「陣門・組打」を観た。戦国の悲惨とそれに否応無しに巻き込まれざるをえない人物の悲哀と慟哭が胸を強く打つ物語であり、「熊谷陣屋」の直実の出でも既に忠義の為に子を斬った父の断腸の念が現れる。

海老蔵の熊谷直実は怪異な眼力があり、絵としてなかなか印象的に成立している。今まで観た演目では、なぜか台詞回しで急に精気が抜け空虚に空回りする時があったりしたが、今回は全般的に大変重厚できっちり型も決まり、なかなか良かった。吉右衛門直々の指導、人気時代物の主役初役、歌舞伎座でもまだ二日目とあって、全体に良い緊張感が保持出来ていたのではないか。慣れて来て舐めてやるとダメになるのかもしれないが(笑)

表現力に制約のある人形を使って演じる文楽で観ても実に面白いのであるから作品自体に名作の重厚な輝きがあり、歌舞伎で華のある役者が演じれば、それはそれでちゃんと面白いのが当たり前な気もする訳であるが。

左團次の弥陀六は手慣れた中にも存在感あり。芝雀の相模と魁春の藤の方は熊谷直実を挟んで、錯乱と絶望、そして相手への深い同情が交互に交錯する様を見事に演じている。

35分の幕間を挟んで次は「通し狂言 怪談 牡丹燈籠(かいだんぼたんどうろう)」

初代の三遊亭円朝が明治時代に作り上げた大人気の落語から、昭和49年に文学座のために書き下ろされた脚本を歌舞伎に移した演目。筋書きによると文学座では杉村春子がお峰を演じている。歌舞伎というよりも現代の演劇。

玉三郎と中車が夫婦役を演じる。演出もかねる玉三郎が、中車の演技力を活かせる役を選んでいると筋書に。俳優香川照之から市川中車を襲名したものの、歌舞伎役者としての修行経験は無く、時代物を演じるにはやはり限界があるから、先達はどうしても必要。玉三郎も元々が梨園の出ではなく若い頃は苦労したらしいから、澤瀉屋の面々や余所から歌舞伎に飛び込んで来た中車には情が移るのでは。もっとも中車は、血縁で言うなら猿翁の息子であり、血が物を言う歌舞伎の世界ではそれなりのアドバンテージあり。相撲でいえば幕下付け出し格くらいでデビューした訳であるが。

怪談ではあるが、玉三郎と中車がまるで漫才のようなコミカルなかけあいを演じる一種のコメディー風味。歌舞伎というよりも普通の演劇に近く、中車は自分の力が活かせる役できちんと健闘している。猿之助は原作者である三遊亭円朝を演じ、場面の転換に出てくる、いわば狂言回しの役。笑わせる馬鹿な馬子役に海老蔵。これは勘三郎も何度か演じた軽妙な役柄。

七月歌舞伎座は、昼夜共に海老玉猿中が出ているとはいえ、やはり昼の方が演目にバラエティあり、澤瀉屋総出演で、演者も賑やか。昼の方がずっと完売というのも分かる気がするなあ。

歌舞伎座、「六月大歌舞伎」夜の部
先週土曜の夜は歌舞伎座「六月大歌舞伎」夜の部を。

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今月の興業の目玉は大幹部が顔を揃える「新薄雪物語」の通し上演なのだが、お昼の部が「詮議」までで一旦途切れ、夜の部で続きの「広間」「合腹」と続く。夜の部入場の際に、昼の部あらすじを書いた紙を入り口で配布していた。確かにまだ昼の部を観ていなかったり、夜の部しか観る予定なければちょっと筋書きが分からなくなる。

余計な話だが今月の「筋書」は誰が書いたか文章が大層下手で、やたらに「誰の誰をなにした誰の娘が~」と固有名詞による修飾だらけで、読んでも話がちっとも分からない。この「あらすじ」はもっと簡潔にしたようがよいと思うなあ。歌舞伎は筋書きを知って観るのが普通だから、落ちまで書いてもネタばれと言う訳でもない。

昼の部で語られるのは、恋に落ちた若き二人が陰謀に巻き込まれ、謀反の咎を受け詮議を受けるところまで。このままでは六波羅探題に捉えられて死罪に。そこでそれぞれの父親が相談して、たがいの娘と息子を交換して家に預かり、自分たちで詮議しますというところで昼の部の終り。ここまでではお話として大したカタルシスはない。

夜の部は「広間」から。物語はここから一気にテンションが高まってゆく。

息子の恋人である薄雪姫を預かった園部家では、疑いを晴らす手立てが無いことを案じ、姫を密かに落ち延びさせる事にする。泣いて嫌がる姫を、親代わりに預った我々の意見が聞けぬのかと叱咤する園部兵衛(仁左衛門)は、息子が愛した相手の命を逃がしたならば自分に咎が及ぶことを承知しながら、そうすることを決意したのだった。

そこへ交換で息子を預けた幸崎伊賀守(幸四郎)の家から刀を持った使者が来る。その伝言は「あなたの息子園部左衛門は謀反を自白したので斬首しました。この刀で娘の首も切ってください」というもの。

これを聞いて狂乱し自殺を図る奥方(魁春)。園部兵衛(仁左衛門)も血が逆流する思いで刀を見る。「俺は死を覚悟して貴様の娘を逃がしたのに、なぜ貴様は」という薄雪姫の父親、幸崎伊賀守(幸四郎)への激怒。しかし憤怒の顔で刀を見た園部兵衛がハッと何かに気づく。得心した兵衛は頷いて決意を決め、何故か晴れ晴れとした顔で裏へ入って行く。

やがて伊賀守がヨロヨロと首桶を手にして屋敷を訪れ、兵衛もまた首桶を抱えて奥の間から出てくる。「首実検は全部当人ではない」、「しかし首実検が出ると常に面白い」という「歌舞伎あるある」はまったくもって真実(笑)

伊賀守は、兵衛の息子をわざと逃がし、六波羅探題には、自分の落ち度で取り逃がしましたと申し出るつもり。既にその罪を被るために腹を切ってから兵衛の自宅に来たのだった。そして先に使者に持たせた刀は自分が切腹した際に使ったもの。武士が見れば明らかに首を切ったものではないと分かる。

そして兵衛もまたそのメッセージに気づき、既に陰腹を切ってから対面場所に現れる。無実の罪ではあるが子供たちを助けるには自分が命を落とすしかない。語り合ってはいないが、それぞれ預かった子供を無事に逃がし、腹を切った覚悟が、まさにお互いに割譜の如く一致した。その事に安堵と快哉を叫んで「三人笑い」となる。この場面は、魁春を扇の要に、仁左衛門と幸四郎が対峙し。木村庄之助が東西横綱の立合いを仕切る大相撲千秋楽の如し。死にゆく苦痛と封建の不条理を受け入れる覚悟と、しかし子供たちを助ける事ができたという親としての喜びが入り混じってたっぷりと見せるが、歌舞伎の大時代なカタルシスに溢れてまさしく圧巻。

惜しむらくは前の段「詮議」が昼の部の演目であり、「通し」とは言えず流れがブチ切れていること。続けて観たかったなあ。

もっとも、その後の段である「正宗内」は、吉右衛門、最後の所作事「夕顔棚」は菊五郎と、大看板が次々と機嫌よく演じてる訳で大変豪華な興行。「新薄雪」だけを考えるなら、観客としては昼か夜にまとめてやってもらったほうがありがたいが、これだけ大幹部揃い踏みでは、あれこれ興行としての事情もあるのだろう。

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幕間はいつも「ほうおう膳」を食していたが、今回は気が変わって「握り寿司」を頼んでみた。まあ、そんなに悪くないが、仕事した種は無し。寿司食べたければ寿司屋に行かなくては。

この日の歌舞伎座夜の部、打ち出しは8時15分。何時もこれくらい早いと良いなあ。

歌舞伎座で「六月大歌舞伎」昼の部を観た
先週日曜日の昼は歌舞伎座で「六月大歌舞伎」。本日は二階席の最前列。

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値段としては一階の前列と同じなのだが、やはり初心者には一階席の方が迫力あり見ごたえある気もする。二階は舞台を広く俯瞰できるのが利点だが。前回の相撲観戦で使用した6倍のオペラグラスが大活躍。最前列は前に座高の高い人が絶対に来ないというところが良い。

最初の演目は「天保遊侠録(てんぽうゆうきょうろく)」

これは昨年、大阪松竹座で同じ橋之助主演で観た。侍の世界が制度疲労を起し腐敗した官僚機構と化していた幕末を描く新歌舞伎。

前回の上演から間もないし、橋之助のセリフ回しも達者で手慣れたものだが、若干どの場面も段取りに見える。

芝雀の芸者八重次も安定感あるのだが、大阪で観た孝太郎のほうが役のエッジが立って印象的だったかもしれない。現代社会での組織の腐敗やパワハラも思わせて、人間の嫌な面を見せつける物語ではあるのだが、最後に全員を平伏させる阿茶の局が物語に最後のカタルシスを与えている。魁春も巧いと思うが、婆としての貫禄は、さすがに年功か、大阪で観た秀太郎のほうが勝る。

宴の世話役で、橋之助の小吉に衣装やら料理やらをアドバイスする世話役のオヤジ(松之助?)は。台詞が入って無いというよりも、昔の小渕首相がインタビューで暫く無言だったように、脳虚血の軽い発作が起こってるのではと心配になるほど台詞がおかしい。大丈夫か。

次の演目は「新薄雪物語(しんうすゆきものがたり)」

「新薄雪物語」は人形浄瑠璃から来た古い作品。通し狂言を昼の部と夜の部に分けて上演するという珍しいパターン。今回は昼の部観劇だけだから、「花見」と「詮議」の二幕。

菊五郎、仁左衛門、幸四郎、吉右衛門と大名題が勢揃いした豪華な座組。薄雪姫は、梅枝、児太郎、米吉と売り出し中の若女形が交代で演じる。

若い二人の忍ぶ恋がお家騒動の陰謀に利用され、その家に大きな悲劇を呼ぶというのは、菅原伝授手習鑑にもある歌舞伎ではよくある設定。

「花見」は清水寺での絢爛豪華な花見シーンが圧巻。梅枝の薄雪姫は、気品高く美しく成立している。恋の相手、園部左衛門が錦之助。腰の据わらないヘナチョコな二枚目というのは錦之助に合ってるような気がする。

ただ全体に恋の取り持ち部分は冗長で見どころに乏しい。この幕では、仁左衛門、吉右衛門共に悪役で出るのだが、両名とも実に重い存在感がよい。

「花見」最後は、菊五郎と一座の若手大勢による立ち回り。中心となるのがお年寄りの菊五郎旦那なので、アクションはそんなに凄い訳でもないが、ただ扇も富士山も綺麗に決まった。

二幕目は「詮議」。薄雪姫の恋が大いなる悲劇への不協和音を奏で始める。恋人達にかかる謀反の嫌疑と、それを知った父親の苦悩。

菊五郎と仁左衛門は「花見」とは役柄を変えて登場。特に菊五郎は奴で立ち回りした後で六波羅探題の執権だから結構大変ではないか。この幕から薄雪姫は梅枝から児太郎に。

この段では、とりあえず、それぞれの子供を交換して自ら詮議したいという事までで終わる。

存在感ある大名題が、それぞれに見所ある役を演じる豪華さで持たせるが、前半だけではストーリーそのものにカタルシスが乏しく、やはりちょっと盛り上がりに欠ける気がするなあ。今週末には夜の部観に行くので、後半の盛り上がりに期待。


「絵本 夢の江戸歌舞伎 (歴史を旅する絵本)」
先日届いた「絵本 夢の江戸歌舞伎 (歴史を旅する絵本)」を座右に置いて何度も読んでいる。

江戸時代の庶民にとっては、歌舞伎観劇はまるで夢の世界。歌舞伎は芸能として一番の人気を誇った大興行であり、庶民にとっては歌舞伎を観に行くというのは、精一杯に着飾って晴れがましくも浮き立つような気分で出かける行楽のようなもの。

この絵本は、当時の中村座での絢爛たる興行を、漫画家の一ノ関圭が、千葉大学の学者と一緒に8年の歳月を費やして大型絵本として再現したもの。目が眩むほど大勢の人数が丹念に書き込まれている。観客から観た舞台だけではなく、座付き作者見習いの若者が体験した興行の一部始終という形態で、楽屋裏や奈落下などの舞台裏もたっぷり見せる趣向が素晴らしい。

隅田川にかかる大橋から大勢の観客の声がかかる役者達の船乗り込み。劇場の建込みと公演前に稽古が続く楽屋裏。初日木戸前の賑い。幕が開く時の目眩くような観客の興奮とどよめき。舞台の上に臨時にかかる橋や、仁木弾正すっぽんの出、野崎村で花道を去る船など、観客の度肝を抜いた歌舞伎のケレンも丹念な大画面で。読者は江戸時代の歌舞伎のワールドにタイムスリップすることになる。

巻末と付録でついた著者たちの対談も実に興味深いもの。江戸の歌舞伎を絵本で再現するにあたって、実に丹念に文献を当たった考証がなされていた事が分かる。

そういえばこの前の四月、平成中村座に行った際、近くに座った老齢の女性が連れの人に「待ち望んだ日がようやく来たね。本当に嬉しいわ」と話しかけていた。そうなんだ、江戸歌舞伎観劇の興奮は、今でもずっと生きているとなんだか感嘆した出来事。


歌舞伎座 「團菊祭五月大歌舞伎」 昼の部
GW最終日の水曜は、歌舞伎座に。團菊祭五月大歌舞伎昼の部。

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夜の部と同じ列で舞台には大変に近いが今度は更に花道寄り。花道の出は迫力あるが、舞台の上手側は遠く感じるという微妙な位置。昼の部は菊之助が、女形と立役の悪人で出ずっぱりという獅子奮迅の活躍。

最初の演目は「摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)」

菊之助演じる玉手御前の出は、冷やかにも美しいが、冒頭老夫婦の会話からも伺い知れる通り、なにやら緊迫した異常な事態が背景で進行していることを暗示するもの。

後妻が、先妻の継子に道ならぬ恋をするという設定は歌舞伎として大変異色。戦時中は当局に検閲に引っかかって上演できなかったとはイヤホンガイドで。

怒り狂う親父を前に、平然とした玉手御前の俊徳丸への「クドキ」がなかなか圧巻。ただ場面の変化には乏しく、義太夫と台詞での説明が中心なので物語の展開がややスローな気が。親父が玉手御前を刺した処でまだ上演時間25分ほど残していたが、俊徳丸に毒を飲ませた顛末と、その真意を説明する「もどり」があるから時間を要するのであった。

後継ぎを争えば死人が出る、丸く収めるために毒薬を飲ませて、その解毒は自分の肝臓の生血がと語る、悲痛だがやはりどこか常軌を逸した女の悲しい運命を菊之助が好演している。最近立役が多いが女形をもっと追究してもよいんではないかねえ。歌六の合邦、東蔵のおとくは安定感あり。右近の浅香姫は添え物のような赤姫だが、この人はそれはそれで妙な存在感がある。巳之助の奴も印象的だった。

35分の幕間の後は、「天一坊大岡政談(てんいちぼうおおおかせいだん)」

講談にインスパイアされた大作であるが、あまり上演履歴がない。本来もっと長いものを削ってあるらしいが、場面転換は次々と早いものの、物語としては若干カタルシスと緊張に欠け、イマイチ盛り上がらない気が。

菊之助は最初の「摂州合邦辻」で主役の女形を演じた後、次の「天一坊」では偽計によって将軍のご落胤として権力を握ろうとする大悪漢を演じるのだから、結構大変だろう。

反面、海老蔵は、團菊祭公演中なのに子供と公園で遊んでいる所など呑気にブログにアップしている。なんでそんなに余裕あるのかと思ったら、「天一坊」での最初の出が2時頃。四幕目と大詰めには出ないから、3時頃には上がり。夜の「蛇柳」は自分で復活した演目で演じるのに苦労はないし、出は夕方6時15分で、50分演じたらそれで一日の公演終了。割とのんびりしているスケジュールなのだった。

團菊祭と名前がついても、團十郎亡き後ではバランスが難しい。今回は音羽屋が中心。菊五郎親爺が息子を鍛える公演という感じもあるのでは。

菊之助は、実に器用な役者だし、気品あるが、凄みのある悪党というより、本当に殿様のご落胤に見えるところがちょっと天一坊の役には向いていないか。台詞にもあるように、ご落胤に見えない悪人が、何故かご落胤の証拠を持っており、これを大岡越前がどうひっくり返すかが作劇の妙なのだが。

大岡越前守を演じる菊五郎は、網代問答でもさすがの貫禄を見せる。最後の大岡越前裁きでも実に気持ちよさそうに悪漢の正体を見破り、観客にカタルシスを与える。このあたりは上手いもんだなあ。

海老蔵演じるのは、天一坊の参謀になる悪漢、山内伊賀亮だが、凄みのある悪党としてきちんと成立している。ただ四幕目、大詰めと出演しないので、ちょっと顔だけ出して去っていったような印象。

中村米吉は冒頭でほんのちょっとしか出ないのだが、花道の出が実に綺麗。足取りがいかにも雪の道を歩いてるように、おっとり一歩一歩律儀にやっている風情が妙に印象に残った。天一坊の正体を暴くために派遣される池田大助が松緑。出番は少ないが鮮やかな印象を残す。

歌舞伎座、「團菊祭五月大歌舞伎」 夜の部
グアムから帰った翌日に、歌舞伎座、團菊祭五月大歌舞伎夜の部に。まだ頭が南洋モードになってるから環境激変にちょっと違和感を感じる(笑)

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祝日とあって歌舞伎座には国旗が。取った座席はかなり前列。なかなか迫力あり。

一幕目は「慶安太平記 丸橋忠弥」

松緑演じる丸橋忠弥、花道の出は酔態が見所だが、なかなか真に迫っている。ハマグリで一杯、鴨鍋でも一杯、更にキハダの良いのがあったので刺身でまた一杯などと語られると、ついこちらも飲みたくなる。現実の松緑も、ブログ読むとほぼ毎日大酒飲んでいるようだ。ただ、ブログには所々情緒不安定な記述があるが、大丈夫か。

松緑は、眼力鋭く口跡も良く、輪郭が太く鮮やかな人物を描き出す力がある。立ち回りは、さすがに菊五郎劇団で、大勢出てきて、戸板を使った屋根への駆け上がり、戸板倒しや、縄で受け止めるジャンプなど、様式美に溢れた見所多し。手傷を負った忠弥決死の立ち回りは、練り上げられた迫力あり、客席もどよめく。「蘭平物狂」も懐かしく思い出した。体力使うだろうなあ。梅枝のおせつは世話女房感がきちんとあって印象的。

30分の幕間に三階花篭で「ほうおう膳」。月が変わったので献立にも初夏を感じる若干の変化あり。食後にiPhoneでニュースなどチェックしていたら、急に「後5分です」とアナウンスがあり、慌てて一階に。

2つ目の演目は、「蛇柳」

市川家の芸、歌舞伎十八番に揚げられているがオリジナルの台本は散逸。わずかに残された資料で復活したもの。白木の所作板が敷かれ、背景は松羽目物の能かかりの舞台。

歌舞伎は、設定、演技、化粧、衣装、舞踊、楽曲など、全てに渡って伝統的な「型」が保存されており、逆に言えばそれぞれが「パーツ化」している。復元といっても、おおまかなフレームワークを借りて、ここは「アレ」で、あちらは「コレ」で、という調子で新作歌舞伎を作るような作劇なのでは。「勧進帳」などから拝借してきた「パーツ」も随分あって松羽目物の舞踊劇に仕立てた印象。

席は前のほうで迫力あるのだが、前過ぎると悪い面もあって、海老蔵最初のすっぽんの出は、しばらく気がつかなかった。

最後は花道の「押戻し」。これまた「歌舞伎十八番」にある一種の「場面」。派手な隈取りと衣装で出てきた役者が、市川宗家伝来、荒事の型で、ンガ~、ブルブルブルと唸り睨むので、一体誰かとよく見たらなんと海老蔵本人(笑) 予備知識無しに呑気に観たのですっかり作劇の術中に嵌ってしまったが、途中でのすり替わりは、もともと観客をアッと驚かせるための歌舞伎の手法であるから、アッと驚くほうが面白いのである(笑) 松緑は「丸橋忠弥」最後で獅子奮迅の立ち回りだったが、幕間挟むとはいえ続けての出演。大変ですな。

夜の部の海老蔵はこの演目のみ。「團菊祭」とは称するが、海老蔵はブログでも今月は時間に余裕あるような事を述べている。團十郎は既におらず、菊五郎がまだ現役のため、やはり興行のバランス的に難しい部分がある。親父が現役で上に控える菊之助は、海老蔵とは逆に昼の部も夜の部も出ずっぱり。海老蔵は、團十郎ではないので、菊五郎劇団の公演に客分でちょっとだけ出演という感じなのだろうか。そういえば館内に置いてあった七月大歌舞伎のチラシを見ると、猿之助と澤瀉屋一門に海老玉が合流という座組だ。

夜の部最後は、「神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ) め組の喧嘩」

菊五郎が粋で鉄火な鳶の親方を機嫌よく演じて、舞台に江戸の風が気持ちよく吹き過ぎる。火消し「め組」の分担は、今で言う新橋から浜松町あたり。ここの鳶と相撲取りの喧嘩は史実で、実際に死人が出る大騒ぎだったらしい。火事と喧嘩は江戸の華というからなあ。現代では、炎上とバトルがネットの華だ(笑)

世話物の人気演目でもあり、演出は練り上げられている。市村萬次郎が筋書きで語るところによると、昔はわざと力士役を客席に落としたり、梯子で小屋を壊したりしていたとのこと。江戸っ子特有の威勢の良さと突っ走るところで最後まで押し切る芝居だし、勢い余って無茶やった事もあるんでしょうな。菊五郎劇団は元気の良い者が大勢居て、大勢での派手な立ち回りも得意だが、とんぼ切るだけでなく、バク転やる若い者がいてビックリ。

粋な鳶の親方と力士というのは江戸の情緒だが、折しも五月場所が両国で始まろうという時期。現実世界では鳶はもう消えたも同然だが、歌舞伎と相撲はまだ隆盛なのがなにより。もっとも大相撲の横綱は、全員モンゴル人になってしまったが。左團次の力士姿はなかなか貫禄あり。

この演目でも大名召し抱えの力士というのが出てくるが、国技館館内のFM放送でもそのあたりは解説がある。江戸の昔は、贔屓筋の関係で、お互いに絶対に負ける訳にゆかない一番というのがある。土俵下には召抱えた藩の藩士が、負けたら力士を切らんと待ち構えている。行司もどちらに軍配上げる訳にもゆかず、延々とえっちらおっちらやって、結局勝負は預かりとなった一番もあったとのこと。この「め組の喧嘩」でも喧嘩の最後は仲裁役が「預かる」という大人の決着。梅玉演じる仲裁役、喜三郎の出も、梯子を倒したら舞台中心に降りてくるという印象的なもの。

舞台が近かったので立ち回りも実に迫力を感じた。時折風の具合で、舞台で菊五郎が吸う煙管の香りが漂ってくるほど。しかし全体を見通すには、本来はもう少し後ろのほうがよいのかもしれない。

四代目中村鴈治郎襲名披露「四月大歌舞伎」昼の部
昨日は、歌舞伎座の、中村翫雀改め四代目中村鴈治郎襲名披露の「四月大歌舞伎」昼の部に。

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開場して間もなく入ったが、結構観客が少ない気が。明日が千穐楽という週末なんだが大丈夫か。上方大名跡の中村鴈治郎襲名しての東下りだが、上方の歌舞伎というものが、もはや存在感無いからなあ。

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両花道は昼の部からずっと設定されている。もともと通路を使って設営されているので、両脇の客席は一方からしか出入りできなくて、ちょっと窮屈かもしれない。

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イヤホンガイドを借りて席に。花道寄りの6列目。花道はよく見えるのだけど、やはり中央寄りのほうが良いかなあ。

最初の演目は、初代の鴈治郎が定めた「玩辞楼十二曲」のひとつ 「碁盤太平記(ごばんたいへいき)」. 山科閑居の場。

四十年ぶりの復活上演なのだという。

主役の大石内蔵助は、四代目中村鴈治郎の弟、扇雀。目鼻立ちのスッキリした二枚目で元々女形であるから色気もある。堂々たる大石内蔵助として印象的に成立している。初代や二代目の鴈治郎には、おそらく扇雀のほうが似ているし、これからは立役でゆけるのでは。

ひるがえって、翫雀はむしろ三代目鴈治郎、当代の坂田藤十郎のほうに体型も含めて似ている。もともと二枚目ではないんだなあ。鴈治郎を扇雀が襲名して、藤十郎を翫雀が襲名すればよかったのではと思ったが、まだ親父の藤十郎は存命だから勝手に襲名はできない(笑)

吉良方の間者である岡平実は高村逸平太を染五郎が演じるのだが、大石主税にバレて致命傷を負いながらも、大石内蔵助に吉良邸の様子を語るところが若干腑に落ちない。妻や母親を欺いてまで主君の敵を打とうとしていた内蔵助の忠義に心を打たれた表現がちょっとね。

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30分の幕間は、花篭で。前回来た夜の部は「襲名披露御前」なるものを食したが、今日は何時もの「ほうおう膳」。イイダコ、空豆、山菜天麩羅、桜餅や筍ご飯など春爛漫の季節がきちんと反映されているのだった。ペンシルビルを何本も地上げした跡地にはもう建物が立ち上がっている。早いもんですな。

二番目の演目は、「六歌仙容彩(ろっかせんすがたのいろどり)」

去年の俳優祭で上演されたのをビデオで観た記憶あり。小野小町を巡る歌人達の恋のさやあてを、左團次、仁左衛門、梅玉、菊五郎、吉右衛門と錚々たる大幹部が次々と演じる豪華な舞踊劇。

食事の後の所作事は眠くなって鬼門だが、次々と伴奏音楽も場面も転換して飽きさせない。

「文屋」では、仁左衛門が高貴な公家の色男を演じて間然とするところがない。喜撰法師は動きもあり長い舞踊で、軽妙な笑いを取るという大変な役だが菊五郎が機嫌よく元気にやっている。年齢を感じさせないなあ。吉右衛門の大伴黒主も、怪異でしかも大きい。小野小町を演じる魁春も、場面に応じて衣装と姿を変え、気品高くまた艶やかに成立していた。

20分の幕間を挟んで最後の演目。「玩辞楼十二曲の内 廓文章(くるわぶんしょう)」

お話の設定としては夜の部「河庄」によく似ている。遊女に入れあげて身を持ち崩した大店のアカンタレの若旦那が、相手の遊女に、嫉妬したり、誤解から諍い起こしたり、拗ねたりする和事の演目。

アカンタレのボンボンが、ジトジトスネスネするというお話が、なんでそんなに上方でうけたかというのは不思議ながら、「河庄」よりもこちらのほうが動きがあってまだ楽しめる。劇中で「そういえば、あなたにもおめでたい事が」と吉田屋の旦那役幸四郎が鴈治郎に問いかけ、襲名口上に移るという趣向あり。

ガンジロはんの実父、藤十郎が扇屋夕霧を演じるのもまた興味深い。もう80歳過ぎてるのに、ちゃんと傾城の美女に見える。生涯現役の歌舞伎役者というのは凄いもんですなあ。しかしアカンタレのボンボンが主役の和事の味というのは、やはりイマイチ分からないのであった(笑)。

最後は何故か勘当が許され、夕霧を身請けする千両箱がドカンと届くという、それまでのあらすじを、豪快に全て吹っ飛ばすようなハッピーエンド。襲名披露興行の一幕としては実におめでたくてよい(笑)

襲名披露興行というのは初めて観たが、大幹部総出演で賑やかにおめでたく、なかなか良いものだ。

平成中村座 陽春大歌舞伎、昼の部を観た
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土曜日は、平成中村座 陽春大歌舞伎昼の部に。ポスターには「十八世中村勘三郎を偲んで」とある。場所は浅草寺裏仮設劇場。銀座線の浅草駅で下りて雷門から行ったのは失敗で、参道は中国語を話す観光客でごった返している。しかし前からこんなに混雑していたっけ。

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椅子席の仮設の芝居小屋であるから、靴はビニール袋に入れて入る。一階の平場は座布団で床に座るスタイル。もともとチケット発売の直後に土日は全て売り切れで見物は諦めていたのだが、時折戻りが出るようで、たまたま空いた一階椅子席の左一列目をゲット。床に座る「ドブ」の一列を挟んで目の前が花道。臨場感のある昔の芝居小屋を彷彿とさせる環境。舞台と客席の近さと一体感は歌舞伎座では体験できないもの。二階席正面には一段高くなったひな壇のような「お大尽席」が用意されており、食事や飲み物の接待があるようだが、あそこはちょっと恥ずかしいよなあ(笑)

最初の幕「角力場」は獅童が「つっっころばし」のタニマチ山崎屋与五郎と力士の放駒長吉役を二役で活躍。彌十郎は下駄や衣装の詰め物の効果もあるが、威風堂々、まさに日の下開山大力士の風格。「勧進帳」弁慶は名門出の大名題立役しかやれないが、リアリズムで言うなら彌十郎のような巨漢がやるとまた凄いのでは。もっとも歌舞伎はリアリズム追求の場では無いからなあ(笑)

二幕目は「勧進帳」。橋之助は弁慶の衣装着るとやたらに顔が大きく、やはり代々の歌舞伎役者の出なんだと妙な事に感心。なかなかの熱演。ただ意外だったのは、勘九郎の富樫がさほど冴えなかった事。山伏問答は、お互いの知力と胆力を探りあい、ギリギリと凌ぎを削る火の出るような両者のせめぎ合いが見所なのだが、勘九郎富樫の追求はなんだか「段取り」に見えるのだった。七之助義経は花道の出から、気品高く成立している。若手修練の場でもあるから、あんまり細かい事もなんだが四天王は常陸坊以外は見よう見まねという印象。

席はちょうどスッポンが眼前にあるような位置。間には一列しかないので、幕外の弁慶引込みでは、スポットライトに浮かび上がる橋之助の顔に汗がしたたり息も乱れている事がはっきりと分かる。それほどの大役なのだ。小さな小屋の醍醐味。大音声で一声叫んでからの飛び六法の引込みは実に印象的だった。

最後は「魚屋宗五郎」。気楽な世話物で、宗五郎の酔態に観客席も沸く。 歌舞伎座追善公演の時にも感じたが、勘九郎は勘三郎に実によく似た軽妙さがある。七之助が演じる世話物女房がこれまた意外に良いのにも感心。生まれながらの歌舞伎一家ですからな。獅童の殿様も最後をしっかり締めていた。

平成中村座は現代に昔の小さな芝居小屋を再現したという点で実に素晴らしい観劇の場なのだが、やはり快適性という面では広い歌舞伎座のほうに分がある。ロッカーもないし、客席も座布団一枚で隣とも方が触れ合うほどの狭さ。しかし、それが微妙に小さな芝居小屋独特の一体感を醸し出すのだった。

ただ幕間の女性化粧室は二階まで列が並ぶほどの混雑。もともと劇場内は女性客がほとんど。女性が延々と並ぶあの列の先に果たして男性用化粧室があるのかどうかと気後れして(笑)結局そちら方面には行かなかった。入り口で弁当買って使うこともできるが、勝手が分からなかったし、荷物になるのでお昼はスキップ。幕間は小屋のあちこちを巡って見物。幕の中二階に設置された席はなかなか面白い。

小さい小屋の醍醐味というのは勿論あるのだが、後ろにいた関西弁のババアが最悪。娘と思しい連れと、上演中に一切声も潜めずに会話するのにはずっと悩まされた。世話物の最中ならなんだが、「勧進帳」の最中に後ろで、「あ、帰る前にアレ買っていかんとなあ」などと普通に会話してるというのはねえ(笑) 静かな場面でも、長いことガサゴソガサゴソと音たててカバンの中をひっくり返している。普通の幕間ではなく、場面転換で臨時に幕が引かれた際に、携帯で電話しているのにも驚愕。

このババア連は、幕間の会話を聞いていると、暇と金はあるようだが、知性と品性はゼロ。確かに関西弁ではあったが、あれを「大阪のオバハン」と呼ぶと「大阪のオバハン」全員から「うちらあんなひどないで! 一緒にせんといて!」と一斉に叱られるレベルだ(笑)

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筋書の「魚屋宗五郎」には、配役として今週亡くなった中村小山三さんの名前が。配役変更のお知らせも劇場内に貼られていたのだった。

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昼の部が終わり外に出ると、もう雨は上がっている。境内は中国人の団体だらけ。その後で駅前の浅草松屋屋上に。花川戸に住んでた時はよく来たが、その時はこんなタワーは影形もなかった。変わりつつある浅草と、昔を復元した芝居小屋が復活する古き良き浅草とが、奇妙に交錯する春の日。


四代目中村鴈治郎襲名披露[四月大歌舞伎」夜の部を観た
先週の土曜日は、「中村翫雀改め四代目中村鴈治郎襲名披露」と銘打たれた歌舞伎座の「四月大歌舞伎」昼の部に。一月二月と大阪松竹座で襲名披露公演を打った上方歌舞伎の大名跡「がんじろはん」が「東下り」で遥々とやってくるのだ。鴈治郎を襲名した翫雀は、昨年大阪松竹座で観たが、歌舞伎座で観るのは初めてだ。

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余談ながら昔は酒も洒落た文化や文物もみんな、西のほうから江戸に「下って」きた。価値がないつまらない事を「下らない」というのはそれが由来だという。ただ上方歌舞伎というのはちょっと廃れた感あり。

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今月の上演では上手側にも仮花道が設置され、両花道の舞台。これは初めて見た。席は本花道横。

歌舞伎座入り口前には襲名挨拶の大きな看板。実に福々しい福助のような体型。今回、四代目鴈治郎襲名を機に屋号を「成駒屋」から「成駒家」に戻すと聞いて、あの体型から「吉野家」を思い出した。覚えやすいね(笑)

最初の演目は「梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)」

「石切梶原」は昨年1月の歌舞伎座公演で、同じ幸四郎で観た。その時は鶴岡八幡宮をバックに実に派手な舞台だったが、星合寺を舞台にするのが成駒家型だそうである。歌舞伎座の大きな舞台でやると若干派手さと奥行に欠ける印象あり。幸四郎は手慣れたもの。囚人の酒尽くしの口上はなかなか面白い。錦吾の六郎太夫も手堅い出来だが、梢役の壱太郎がなかなかよい。最後は、名刀が名刀であることも分かり、めでたしめでたしの結末。

20分の幕間を挟んで、襲名を祝う「芝居前」、「成駒家歌舞伎賑(なりこまやかぶきのにぎわい)」

幕が開くと、ヘナチョコな声かける何時もの大向こうの爺様がおり、「うにゃわらやー」と鳥が絞殺されるような声を出すのだが、声もかすれてか細く、いったい何言ってるかも分からない。本人の脳内では、かつて血気盛んだった頃の自分の大向こうが鳴り響いているに違いないけれども。引退勧めるものはいないのか。

江戸木挽町に、襲名披露を行う中村鴈治郎が中村鴈治郎本人として登場。菊五郎 、吉右衛門、梅玉、秀太郎、幸四郎などの大看板も賑やかに勢ぞろい。 我當さんは先日の公演を休演したようだが、息子の進之介に支えられ、泣き笑いのような顔でヨロヨロ暖簾の奥から登場。襲名披露に出るのを励みに闘病していたとのことであるが、天晴れ。歌舞伎役者は死ぬまで舞台に上がり続けるという伝統を体現した、役者の執念ですな。

吉右衛門は台詞が若干モタモタしていた感あり。まあお祝いの場に賑やかしで出てきただけなのでそれでよいけれども(笑)

両花道を使った男伊達、女伊達の「つらね」は圧巻。男伊達は自分の芸名を「左團次」「歌六」、「染五郎」とそのまま言うのだが、女伊達のほうは台詞を粋にひねって、芸名が女名前に聞こえるようにしてある。まあ確かに女伊達の格好で「孝太郎」、「東蔵」、「萬次郎」、「友右衛門」などと名乗ると興ざめするよね。本花道横の席だったので男伊達の台詞は実に迫力あり。

芝居前が終わると、舞台が転換。藤十郎を筆頭に、翫雀改め鴈治郎、扇雀、壱太郎、虎之介、壱太郎と一族3代が勢ぞろいしてめでたい襲名披露。坂田藤十郎はきちんと張りのある声が出る。台詞もちゃんと考えられており、若輩になるごとに、だんだんと短くなってゆく。なかなか盛大に盛り上がった。

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30分の幕間に「花篭」で「襲名御膳」なるもので一杯。四代目鴈治郎の名前が入った小型便箋のおみやげつき。

次の演目は、「玩辞楼十二曲の内 河庄(かわしょう)」

歴代の鴈治郎が演じてきた成駒家、家の芸。近松門左衛門作「心中天網島(しんじゅう てんのあみしま」の前半部分にあたる。

「頬かむりの下に日本一の顔」というのは、初代鴈治郎が演じた紙屋治兵衛の男ぶりを称賛した言葉だが、四代目はちょっと太りすぎで「頬かむりの下に福助の顔」という感じがする。

ヨロヨロトボトボと歩く「花道の出」が有名だが、体型が福々しすぎて、放蕩で身を持ち崩して心中を覚悟した男の悲哀がいまいち哀切を持って出ない。

主人公の紙屋治兵衛と心中を約束した遊女小春が、治兵衛女房から手紙を貰い、夫を思う妻の情にほだされて別れを決意する。別れる為死ぬのが嫌になったと語る小春に激怒する治兵衛。

話としてはよくできていると思うのだが、主人公が陰気に拗ねてグチグチグデグデやるところにカタルシスがない。色恋沙汰中心の上方和事の味と言えばその通りなんだろうが、舞台上に3人で延々とやる処など、全体に劇が歌舞伎座の大きさに負けている気が。

治兵衛が怒って脇差を障子に突き立てたところで腕をしばられると舞台が回転し、しばらく背中をずっと見せているのだが、この背中の演技部分もちょっと持ち切れないような。個人的にはあまり合わなかった。今度行く昼の部「廓文章」も、なんだか似たような雰囲気の演目だが大丈夫かな(笑)

15分の短い幕間の後、「石橋(しゃっきょう)」

「連獅子」と同様、霊山の石橋に獅子の精が現れ、紅白の激しい毛振りで踊る。小獅子は襲名披露挨拶にも登場した成駒家の御曹司二人、壱太郎と虎之介。親獅子は本来ならば鴈治郎がやればお目出度い舞踊になったと思うが、あの体型では激しい踊りは無理だよねえ。

そんな事情がどうか知らぬが、染五郎兄さんが親獅子役。染五郎は実に元気で白い毛を激しく回す回す。そして壱太郎も負けていない。花道の見得も怪異で印象的だし、毛振りの激しさといったらどうだ。あれは体幹の筋力を要する。虎之介は、一番若いのに、あんまり元気がなかった。まあ、まだ役者が本業という訳ではないからか。

この日は必要無しと判断してイヤホンガイドを借りなかったのだが、観劇そのものには支障無し。しかし、解説がないと食事後の演目で眠くなる。今度観る昼の部はどうするか。

歌舞伎座「三月大歌舞伎」夜の部を観た
歌舞伎座三月大歌舞伎は、「菅原伝授手習鑑」の通し上演。20日の金曜にまず昼の部を観たので、筋を忘れないうちに夜の部を観るためその後、日曜の夜の部を予約していた。

「菅原伝授」は、「仮名手本忠臣蔵」「義経千本桜」と並ぶ歌舞伎の三大名作。元々は人形浄瑠璃。権力争いに巻き込まれる悲劇の菅原道真と三つ子舎人を巡る物語。運命に翻弄される人間の「別れ」と「情愛」が印象的に描かれる。

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昼の部は片岡仁左衛門が扇の要となる大役を演じるのだが、夜の部は若手花形中心の座組。席は7列目の中心部分。

最初の演目「車引(くるまびき)」は通しでは四幕目に当たる。筋らしい筋はあんまり無いが三兄弟が派手に見得を切って暴れる荒事。

悪玉の時平に仕える松王丸と、敵対する主人に仕える梅王丸、桜丸との葛藤と対立を様式的に描き、牛車から出てきた悪玉の藤原時平がカッと口を開けると口中は真っ赤。「時平は恐ろしい悪い奴だ」という事を現す見得。時平はこの場面しか出てこないのだが、彌十郎は背丈があるからこのような悪玉は映える。梅王丸が染五郎、桜丸が菊之助という配役が昼の部から続いているのも分かりやすい。

次の「賀の祝(がのいわい)」は通し上演では五幕目。「桜丸切腹の場」としても知られる。三兄弟の親である白太夫の七十歳の祝いが舞台。

昼の部で観た通し上演の冒頭、「加茂堤」の光溢れる早春に燃えあがった、道真の娘苅屋姫と斎世親王との若き恋が、時平の政略に利用され、菅原道真の失脚へと繋がる。その恋の仲立ちをした桜丸が責任を取って切腹する悲劇。この悲哀は最初から通しで観ないと染み染みと来ない。

不吉な凶兆。折れた桜の枝。何度引いても桜丸の死が暗示される神託。運命の輪は更にめぐり、菊乃助演じる桜丸は切腹し、この悲劇は「寺子屋」の松王丸の慟哭へともつながって行く。これもまた通し上演ならではの醍醐味。

最後は通しで六幕目に当たる大団円、「寺子屋(てらこや)」。 これは同じ片岡仁左衛門の松王丸で昨年大阪松竹座と歌舞伎座で二度観た。

首実検で自らの息子の首を菅秀才と偽り、死に際が立派だったと春藤玄蕃に聞いてうれし涙を流す松王丸。

今回は、染五郎が松王丸、松緑が武部源蔵。染五郎は昼も夜も出ずっぱり。松緑の武部源蔵も印象的に成立している。松緑長男左近が菅秀才を演じる。通しで観ると、武部源蔵の忠義や、松王丸がなぜ菅丞相の一子を助けるために大変な犠牲を払ったかが腑に落ちる幕。通し上演を観れて実によかった。

観劇してからずいぶんと間が空いて、三月大歌舞伎は終了してしまったが、記録のために更新。

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先週、ブラっと歌舞伎座の前を通りかかると、既に四月大歌舞伎「四代目中村鴈治郎襲名披露」公演の「ガンジロはん」巨大看板。鴈治郎名籍地元の大阪襲名披露公演を終えて、東京に逆凱旋上陸。 江戸の荒事、上方の和事というが、誠に福々しい体型。弁慶やら花川戸助六はちょっとできないと思うが、上方の和事には映える役者なんだなあ。


歌舞伎座「三月大歌舞伎」昼の部を観た
金曜は春分の日の振替で会社お休み。歌舞伎座三月大歌舞伎昼の部に。

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席は一階5列目。舞台が近くなかなか迫力あり。

演目は「菅原伝授手習鑑」を昼夜に通しでの上演。「菅原伝授」は、「仮名手本忠臣蔵」「義経千本桜」と並ぶ歌舞伎の三大名作。元々は人形浄瑠璃で当たった演目をそのまま歌舞伎が頂いてきたもの。都を讒言によって追われる悲劇の菅原道真と、権力争いに巻き込まれる三つ子舎人を巡る物語。全編を通じて運命に翻弄される人間の「別れ」と「情愛」が印象的に描かれる。

一応は長い物語ではあるから、順番に従ってまずは昼の部から観るのが定法。ただ、私自身はまだ「寺子屋」しか観たことない訳で、一日中観劇すると頭がパンクしてしまう。日を分けて観ることにして、とりあえず、まず昼の部を。「加茂堤」「筆法伝授」「道成寺」の三幕。昼は仁左衛門中心、夜は若手花形中心の座組。

序幕「加茂堤」は、梅が咲く早春の、京都加茂川のほとり。若き親王と菅丞相の娘の人を忍ぶ若き恋と、その逃避行が全ての人の運命を狂わせて行くきっかけとなる。しかし場面の雰囲気はおおらかで明るい初春の光が満面に。

牛車の中での親王や苅屋姫の逢引は、その恋を手引した菊之助演じる桜丸と、梅枝演じる妻八重のこれまた若き夫婦の仲睦まじさと呼応し、手水桶に水を汲んでくる部分のやり取りなど完全な下ネタで、やり取り全体が瑞々しくもエロティックで面白い。昔の人はどんな感じで観劇したのだろうか。

25分の幕間のあと、二幕目は「筆法伝授」

帝からその家伝の優れた筆法を誰かに伝授せよとの命を受けた菅原道真は、その準備のため潔斎して屋敷に篭っている。筋書きで「筆法伝授」「道明寺」の上演記録を見ると、当代の大幹部では片岡仁左衛門しか主演していない、まさに当代仁左衛門の芸。

片岡仁左衛門の菅丞相は、凛とした気品と押出しがあり、威厳と知性そして奥深い人情をも感じさせる魅力あり。ちょっとこれに勝る菅原道真は想像しがたい。

不義により勘当された武部源蔵を、染五郎が実に丹念に演じている。破門した者であっても伝授に値する者には筆法は伝授する。しかし破門を解くことはまかりならない。再びの参内は許さないという、峻厳な正義感と飽くなき技芸の追求から生まれる炎の伝法。「寺子屋」は昨年、仁左衛門の松王丸で二度観る機会があったが、この段を観ると「寺子屋」で武部源蔵が菅丞相の息子菅秀才をなぜ必死にかくまうのか、腹落ちするのだった。

夜の部では、この武部源蔵を松緑が演じるらしい。別に白塗りの二枚目でなくとも意外に現実感ある訳で、結構成立するよなあと、観るのが興味深い。

菅丞相の屋敷で舞台が回って壮大に転換してゆくのも印象的。軽妙で観客を笑わせる小悪党役はなかなか難しいと思うが、左中弁希世役の橘太郎は結構小技のくすぐりもあり面白かったなあ。

帝の屋敷に参内しようとした時、菅丞相の冠の紐が切れる歌舞伎ならではの演出は、菅丞相の身に起こる悲惨な運命を不吉にも暗示して、実に印象的に成立している。

35分の幕間は「花篭」で一杯。「はなかご膳」は、ホタルイカ、ふきのとうの天麩羅、たけのこ御飯など春の彩り。向かいには真ん中にペンシルビルだけが残った空き地があったのだが、もうビルが建ち始めている。早いね。

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三幕目は「道明寺」

この幕も仁左衛門が扇の要の如き存在感で場を固める。秀太郎演じる覚寿は歌舞伎「三婆」の一人なんだとか。昨年8月に観た「輝虎配膳」の勘助の母、越路も三婆の一人だったっけ。

菅丞相が自ら掘った木像と本物の菅丞相が交錯する、ちょっとSFのような趣向。仁左衛門の演じ分けも興味深い。娘の幼い恋を政略に使われたために、思いもよらぬ咎を得て流罪に赴く父。しかし、淡々とその罪を受け入れたが故に、娘には顔を合わせないと頑なに決めている父。父娘の今生の別れが胸を打つ。花道を去ってゆく仁左衛門の目尻には薄っすらと涙が滲んでいたような。

「加茂堤」の梅王を演じた菊之助はなかなか印象的だったが、この幕で判官代輝国を演じた菊之助は、あまり印象に残らない。幕外の引込みで最後に花道を走って行く、大物がやる役なのではあるが。 苅屋姫の壱太郎は、むしろ「加茂堤」よりもこの幕のほうが印象的に成立していた。 宿禰太郎の彌十郎、土師兵衛の歌六はきっちり演じていると思うが、やはり脇なんだなあ。

全編に渡って菅原道真所縁の梅が咲き乱れる早春の香り立つ舞台。運命に翻弄される人間たちは更に大きな悲劇に向かって行く。通しで前段を観る経験ができてよかった。明日は夜の部。

今日の歌舞伎座昼の部は一階席最後部に大きなカメラが二台設置されており、撮影部隊も。NHKでそのうち放映するのかな。自分の観た舞台が記録に残るのは記念になってよい(笑)Eテレで放送するかな。





歌舞伎座二月大歌舞伎、昼の部を観た
先週土曜日に歌舞伎座二月大歌舞伎、昼の部に。

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席は7列目で花道に近く、七三で見得を切るところなどは実に迫力あり。

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ただ、前の週に行った夜の部もそうだったが、後ろのほうは割と空席が目立つ。webで検索しても結構空席あるようだ。花篭の食事予約は満席だったのだが、これが団体が入っているのかな。

最初は「吉例寿曽我(きちれいことぶきそが)」

江戸の正月興行には「曽我物」を上演するのが吉例だったというが、なぜそんなに当時の人に曽我物がうけたのか、今ではあまり実感することができないのだった。

最初の場は鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の石段前。「がんどう返し」は、舞台奥へと続く大きな鶴ヶ岡八幡宮の登り階段が、役者を乗せたまま後ろに倒れて行き、その裏面が次の富士山の背景となるという、歌舞伎らしいケレンに満ちた実に派手な場面転換で呆気にとられた。階段だからこそ後ろに90度ひっくり返っても役者は姿勢を転換して最後まで倒れずに立ち続けることができる。最初に考えた奴はエライね。

続く段では、富士山を一望する大磯の廓近くで、遊女たちを交えて工藤と曽我兄弟の対面となる。
急に「だんまり」になるところは、なんだか唐突にも思えるが、登場人物が全員ゆっくりと舞台を練り歩いて、客席全部に自分の衣装と演技を見せる興行上の演出だと考えれば、誠に豪華で面白い趣向。又五郎、錦之助、芝雀、歌六など出演。 ただ配役は若干地味に感じたかな。

35分の幕間。お昼は取らずに歌舞伎座内をうろうろ。3階で売られてる舞台写真を興味深くチェック。買わないけれども(笑) 

二番目の演目は「彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち) 毛谷村」

「けやむら」というのが略称らしい。毛谷村六助を初役で菊五郎が演じる。70歳過ぎて初役に挑むというのも偉いもんですな。他の役者が主役で何度も上演されている演目なのだが、筋書き的にはあまりカタルシスを感じない。公演履歴は結構あるのだが、そんな人気狂言なのかねえ。

事前に予習してもあまりストーリーが頭に入らなかったので、筋も配役もほとんど予備知識無しに見ていたのだが、花道から出てきた虚無僧の立ち回りを見ていて、「あれ、これ女じゃないか」と気付く。立ち回りの後で笠を取ると時蔵演じるお園。予備知識なくなぜ女だと思ったかはいわく言い難いが、やはり女方の芸の力と言うしかない。もっとも女だと思っても勿論男が演じている訳で、そこがややこしい歌舞伎の重層性なのだが(笑)

六助に頼みこんで八百長で負けて貰ったくせに、勝った後に威張りくさって扇で六助の額を打ちすえた憎き敵役の微塵弾正が冒頭以降登場しないというのも、話に盛り上がりが欠ける理由と思うが、そもそも歌舞伎流に、前後がある話を切り取って出しているのでちょっとやむなし。

義太夫狂言だけあって随所に時代な趣が感じられるところはなかなか見どころがあった。ただまあ、菊五郎でなくてもよいというか、失礼ながら誰がやってもこの狂言はあんまり面白くないのではという気もするのだった。次にかかったら観ないなあ(笑)

幕間を挟んで最後は「積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)」

逢坂の関を舞台にした舞踊劇。

小野小町姫を演じる菊之助は、花道の出から華やかで美しい。白木の所作台が敷かれて。足を踏むとよい音がする。関守の関兵衛は幸四郎が演じるのであるが、昔からの型に則って丸く演じる所作事だとイヤホンガイドで。ただ劇としての面白みはあまり感じられない。ひとつには、常磐津のほうが台詞をしゃべる「つけ台詞」のせいもあるかと思うのだが。

舞踊の巧拙そのものは、やはり素人には分からない。「菊之助の礼儀」でも、菊五郎が「踊りの巧拙というのは、なかなか分かるものではない」と述べていたが、役者にしてそうなんだから、日本舞踊など習ったことがない私にはもとより分かるはずないのであった(笑)語りえぬ事については沈黙せねばならない(笑)

登場人物が少ない上に場面転換なく、およそ120分と上演時間が長いので、ちょっと中盤ダレる感が無きにしもあらずだが、関守が「国崩し」の大悪人大伴黒主に、そして小野小町が桜の精へと、一瞬にして引き抜きの技で衣装がはらりと変化する「ぶっ返し」のある最終部分は見ごたえあり。

打ち出しは若干予定よりも早かったか。これで二月大歌舞伎は昼夜制覇して鑑賞終了。個人的には、夜の「一谷嫩軍記 陣門・組打」の吉右衛門が実によかったなあ。


歌舞伎座、二月大歌舞伎夜の部を観た
土曜日は、歌舞伎座の二月大歌舞伎、夜の部に。

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播磨屋、音羽屋、高麗屋の総大将が勢揃いという豪華な公演であるが、開場の時から割と人が若干少ないような。イヤホンガイド貸出カウンタも心なしかいつもより空いている。開演時間になっても、所々空席あり。最初の幕間には予約してあった三階の食堂「花篭」に行ったのだが、これまた結構空いている。演目が割と地味だということもあるのか、あるいは「二八の枯れ」というやつだろうか。「チケットweb松竹」で見ても、土日のよい席が結構残ってるんだよねえ。

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取った席は一階の5列目で、舞台も花道もよく見える。

最初の演目は、「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)陣門 組打」

11月の歌舞伎座で、松本幸四郎が演じた「熊谷陣屋」を観たが、今回の「陣門 組打」はその「熊谷陣屋」の前の段にあたる部分。今回は熊谷直実を吉右衛門が演じる。

平家物語での敦盛の話は古文の教科書でもお馴染み。一の谷から敗走する平家軍。沖の船に逃れようとする若武者敦盛を源氏方の熊谷直実が「敵に後ろを見せるのは卑怯なり」と呼びとめると敦盛は敢然と取って返す。組打の後で敦盛を取り押さえた熊谷直実は、敦盛が自らの息子と同じ歳でまだ少年といってよい若者である事を見て取り、とどめを刺すのを躊躇する。逃がす算段は無いかと名前を問う熊谷に、敦盛は「早く首を取れ」と答え、熊谷は泣く泣く敦盛の首を落とす。戦国の無残をまざまざと見せる物語。

この物語が文楽になった際に、忠義と親子の情愛がせめぎ合うひねった演出がつけ加わり、それが歌舞伎に伝わっている。

熊谷直実の息子小次郎と敦盛を菊之助が二役で演じる。冒頭の出や馬に乗っての退場は、気品高く凛々しい若武者の風情が実に印象的。悪役の平山は、後半も含めて若干貫禄なく印象が薄かった気が。役者としての格というものかね。

吉右衛門演じる熊谷次郎直実の花道の出は、最初は兜をかぶり、平家の陣から出てくる時にはそれを脱ぐのだが、怪異で重厚な隅取り。大時代なスケールの大きな演技で観客を釘づけにする。

組打では、波の彼方に馬が遠ざかると、敦盛と直実が共に子役に代わって遠近感を出すという様式美にあふれた面白い演出。敦盛を組み敷いてからのやり取りでは、戦国の悲劇と同じ歳の子を持つ父親としての情愛が交錯する。

この後の段である「熊谷陣屋」では首実検の際、敦盛を救うために我が子小次郎を犠牲にしてその首を取ったということになっており、そうなるとこの組打の場面では相手は既に入れ替わった我が子のはず。そうなると敦盛の行動や台詞で腑に落ちない部分が若干出てくるのだが、これはまあ細かい所は気にしないという歌舞伎の鑑賞態度で(笑)

むしろ、実の息子に入れ替わっておらず平家の敦盛であったとしても、壮大な叙事詩として、戦国の悲惨とそれに否応無しに巻き込まれざるをえない人物の悲哀と慟哭が胸を強く打つ物語でもある。

芝雀演じる玉織姫は熟練の芸。首を見せるのを逡巡する熊谷が、瀕死の玉織姫がもう眼が見えないことを知り、ならば渡してやろうという優しさがまた巧い。これは首が既に入れ替わっていることが前提の、後段に続く伏線になっているのではあるが。

歌舞伎の馬というのは人間二人が組んで中に入ってやっているのだが、この芝居では、馬にあれこれ活躍の場があり、なかなか芸達者でよい。しかし中に入ると結構大変だろうな。

幕間は35分。三階「花篭」で一杯やって一休み。

次の演目は舞踊「神田祭(かんだまつり)」

手古舞と芸者を従えて、菊五郎演じる粋でいなせな鳶頭が、神田祭で「アラヨっ」とばかり格好良いところを見せる。賑やかで派手な舞踊。時蔵、芝雀、高麗蔵、梅枝、児太郎と芸者衆も賑やかな顔ぶれ。練り歩く大ナマズも面白い。食後だし20分と時間が短いのも眠くならなくてよろしい(笑)

実際の神田祭は、本年、御遷座400年奉祝の大祭。正月は神田明神にお参りに行ったし、祭りのほうも出かけてみるかな。5月の9日10日ということだが。

20分の幕間を挟んで最後の演目は、「水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)筆屋幸兵衛」

河竹黙阿弥が明治期に作った散切物(ざんぎりもの)。ちょんまげ切ったザンギリ頭の事なんですな。明治維新で没落した士族、幸兵衛は筆を売って糊口をしのいでいるが商売はうまくゆかず妻は亡くなり、娘二人と乳飲み子を抱えた極貧生活。

これでもかとばかり描かれる悲惨な貧乏ぶり不幸ぶりがなかなかリアル。児太郎は、眼が見えなくなった娘お雪を好演。娘お霜は幸四郎の孫、金太郎だが、これもなかなか立派に演じている。幸四郎は生真面目な風が、武家の商法、没落士族という役柄になかなか合っている。

担保の損料を取る因業な金貸しも当時の世相を表しているのだろう。しかし近隣の人々の人情もまたそこにはある。

自らのあばら家は悲惨な状況、しかし隣の家からは賑やかな浄瑠璃が聞こえてくる場面。明るい舞台にバーンと清元連中が出てきて唄いだすのも、なんだかシュールな演出で面白かった。

ただ若干、悲惨な貧乏描写が長すぎて場面が暗くなるところあるも、幸四郎演じる船津幸兵衛が気が狂うところから物語はまたテンポを取り戻す。この狂気も、そこらの町人のオッサンが狂うのではなく、元々武士だった教養ある男が狂う場面であり、船弁慶を踊ったり、なんだか妙な味あり。幸四郎の持ち味で割と生真面目に狂気に入って行くという不思議な印象。

最後はドタバタあって、明るい希望も見えてハッピーエンドに。本来、当時の現代劇だったのだが、洋服姿の巡査が舞台に出てくると、なんだか歌舞伎という感じがしないのが不思議だったなあ。
NHK「古典芸能への招待」 染五郎「勧進帳」
年が明けてから、週末は歌舞伎やら相撲やらで毎週予定が入ってたのだが、今週末は久しぶりに何も無し。のんびりグータラ過ごす週末w 

午後は録画しておいたNHK「古典芸能への招待」で、「吉例顔見世大歌舞伎 初世松本白鸚三十三回忌追善」夜の部、市川染五郎が初めて弁慶を演じた「勧進帳」を。

染五郎弁慶は、昨年歌舞伎座で2回観ており、過去日記でも感想を書いたし、他にも吉右衛門弁慶や海老蔵弁慶も去年観たが、TV録画で再見すると、劇場で観るのとは違い、役者のアップなどがあってなかなか面白い。

番組解説で演劇評論家水落潔が「一画もゆるがせにしないで演じる楷書の芸」、「立派な弁慶」と述べていたが、これは期せずして、観劇後に歌舞伎素人の私が過去日記に書いた感想と同じで、水落君もなかなか分かってるじゃないかと思うなあ←オイ、コラ。

今回のNHK放映で初めて気付いたのだが、吉右衛門義経は、最後の引込み、花道に差し掛かる際にちょっと笠に左手をかけて顔を上げ、ほんの少し遠くを見てから、すぐに顔を下げて一心に花道を走り去る。これが大変に印象的。

歌舞伎は「型」が基本の演劇だが、役者のちょっとした演出が観客のイマジネーションをかき立て狂言の深みを増す時がある。元々「勧進帳」の元となった能の「安宅」では富樫は単に騙されて義経主従を通す役だった。しかし歌舞伎で演じられるうち、義経打擲の後、弁慶の主を思う忠義の心に打たれた富樫が涙を堪えて去るという演出を役者が工夫する。このちょっとした演出で、富樫という役が弁慶に比すほど大きくなったのだ。

今回の「染五郎弁慶」での吉右衛門義経の花道の引込み。弁慶の活躍で虎口を逃れ、安宅の関を去る際、ふと遠くを見つめた義経は、自らの暗い未来を幻視する。おそらく落ち延びられはしない。しかし家来を率いる主君として、彼はただ前に進まざるをえない。吉右衛門の所作はなんだかそんな風な印象をあたえて観客の心を打つ。巧いねえ。

富樫は自らが、義経主従を見逃した詮議をいずれ受け、死を賜ることを予感している。そして彼の武士としての魂を震わせた弁慶と、その主君義経が結局のところ落ち延びられぬだろうことも。幕引きの富樫の見得は、お互いの死を予感した今生の別れ。

そして弁慶は、主君を守るために、ただただ必死になって先に発った義経一行を追いかけて行く。なんとも印象的なラストだ。

劇場で観た時は気づかなかったこの、義経が花道前でふと笠に手をやって先を見やり、再びうつむき加減で去って行く、吉右衛門流の引込みは普通なのかと、手元のDVDをチェック。

「勧進帳」七世松本幸四郎バージョンで義経は六世菊五郎なのだが、残念ながら義経の引込みは映っていない。

「勧進帳」十二代團十郎バージョンの義経は当代の尾上菊五郎だが、立ち上がってからずっと真っ直ぐ前を向いて花道を下がって行く。

「勧進帳」東大寺記念公演の弁慶は当代の松本幸四郎。義経役の市川高麗蔵は若干伏し目がちながら、基本的には当代尾上菊五郎同様、立ってから一度も目線を上げずに花道を去って行く。

こう比較してみると、やはり吉右衛門の工夫なんだなあ、きっと。

歌舞伎座「壽初春大歌舞伎」夜の部を観た
先週三連休の中日、日曜は、歌舞伎座で「壽初春大歌舞伎」夜の部を。

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今月の歌舞伎観劇はこれで終わり。一階一等席は19,000円と普段よりも1,000円高いが、観客が役者に上げるご祝儀分か(笑)1800人の小屋で一人1000円ずつ高くすると25日興業で4千5百万円か。馬鹿にできない金額だ。

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席は二階東の桟敷。ここは今まで座ったことがなく、一度試してみるかと選択したのだが、花道は遠いものの障害物無く全て見えるし、オペラグラスあれば観劇にはストレス無くなかなか結構である。西の二階桟敷は花道は近いが、役者の後頭部を上から見下ろすことになるので、そこがちょっとね。

最初の演目は「番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)」

皿を割ったお菊さんが手打ちになり幽霊となって井戸から声が聞こえる怪談は「播州皿屋敷」。姫路城には「お菊井戸」があるが、これはそれらの類似した物語に題材を取り、舞台を江戸番町に移し、大正期に岡本綺堂が一種の悲恋譚として書き直した歌舞伎狂言。

旗本とその屋敷で働く腰元の恋は、成就するはずのない身分違いの恋。主人の青山播磨を恋い慕うお菊は、播磨に縁談の噂があることに気をもみ、先祖伝来家宝の皿を割って播磨の心を試そうとする。

割ったと聞いた途端、播磨は、「粗相であろう、咎めはせぬ」とお菊を許す。しかしお菊がわざと割ったと注進を受け、詮議すると、お菊が自分の心を試そうとした事が分かり、これが播磨の憤激を呼ぶ。

お菊に「残った皿を出せ」と言い、お菊を見つめながら、皿が出された途端に一枚ずつ刀の柄で粉々に割ってゆく「皿など惜しくはないのだ」という鬼神の如き演技が心を打つ。最愛のお菊が、一度たりともお菊以外の女に心を動かされたことのない自分を信じず、試そうとした事を播磨は決して許すことができないのだった。憤激と絶望のうちに播磨はお菊を切る。しかし播磨の心に嘘偽りが無い事を知って従容と死を受け入れるお菊。

吉右衛門は、芝居の前半では何故かところどころ台詞が抜けるようだが、老獪な力技で押し切る(笑)。お菊への細やかな愛、そして絶望と憤激を大きく演じており印象的。芝雀の腰元お菊は、叶わぬ恋に心乱れる可憐な若き女性を見事に演じている。女方の芸というのは凄いね。下町の侠客放駒四郎兵衛を演じる染五郎も、ちゃんとした出来。

30分の幕間を挟んで次は「女暫(おんなしばらく)」

「暫」は歌舞伎十八番の荒事。十二代團十郎の演じた舞台は、「歌舞伎名作撰 歌舞伎十八番の内 暫 歌舞伎十八番の内 外郎売」のDVDで観たことがある。悪玉によって善玉が斬られようとするとき、「しばらくしばらく~!」と團十郎が現れ、途轍もない強さを見せつけて悪玉を全て蹴散らし、威風堂々と去って行く。江戸の連中はこういった「荒事」が大好きだったんだなあ。

この「女暫」は、荒事の主役を女方がやるという面白い趣向。設定や脚色もオリジナルの「暫」がほとんど残っている。主役の巴御前を演じる玉三郎は、実際には背が高いから十分に見栄えがあって印象的。男勝りの巴御前というのは有名な話で、他の狂言でも題材に出てくる。

最後は幕外の引っ込み。女なので六法での引っ込みがよく分からない、という楽屋落ちに続いて、幕裏から舞台番として吉右衛門が登場して、「あっしもよく分かりませんが、多分、こんな風にやるんじゃないですか」と教える。有名役者がわざと取るに足らない役を知らぬ顔でやるのを「ご馳走」と呼ぶとイヤホン・ガイドにあったが、客席が沸いて舞台と一つになる、新年にふさわしいめでたい演出。最初は見よう見まねで六法を演じるが、ふと我に帰り「おお恥ずかし」と叫んで、照れて女に戻って花道を去る巴午前。しかしよく考えてみると女方というのは男が演じている訳で、歌舞伎の重層性がよく現れた、なんとも不思議な味がある演出でもある。

最後の演目は、新歌舞伎座初お目見えの猿之助が主演。「猿翁十種の内 黒塚(くろづか)」。 旅人を泊めては殺して食っていたという「安達ヶ原の鬼婆」伝説が題材。オリジナルは能舞台。

猿之助が老女岩手実は安達原の鬼女役。幻想的な月影の下、初代猿之助がロシアン・バレーにヒントを得て取りいれたという技法も含めて、曲がった腰のままで舞い踊る舞踊が不思議に美しい。ススキの原と月光に浮かぶ老婆の影に杖が角の如きに浮かぶ。奥の間を決して見てはいけないぞというと、必ず見てしまうのは、日本の民話のお約束だが、裏切られたと知って、月下でうかれて踊る老女が鬼婆へと正体を現す。

この鬼婆の化粧は実に怪異だがなんとなく「おばけのQ太郎」も思い出す意外な愛嬌もあり。最後は勘九郎演じる阿闍梨たちに調伏されて幕。勘九郎はなかなか立派な出来。猿之助の新歌舞伎座初登場にはふさわしい幻想的で美しい舞踊劇だが、初春を寿ぐような演目かといわれるとちょっと違うような気もせんでもない。しかし三本とも元になった話の知識があるので、なかなか楽しめた。この日は、鶏を絞め殺すようなか細い声の爺様はおらず、大向こうはちょっと少ない気がしたなあ。
 
新橋演舞場「初春花形歌舞伎」 石川五右衛門を観た
土曜日は、新橋演舞場で「初春花形歌舞伎」夜の部に。昼夜とも同一演目、市川海老蔵が主役を張る「石川五右衛門」という公演。

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これは、漫画の原作者である樹林伸の新作歌舞伎。2009年に、今は亡き十二代市川團十郎と息子である海老蔵が親子役で共演した「石川五右衛門」から見所の多いところを抜き出し、更に石川五右衛門が中国に渡って大活躍するという後半部分を新たに付け加えたもの。振付・演出は藤間勘十郎。現代の作品だが、どこか古風な時代味のある作品に仕上がっている。

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本日の座席は花道に近い7列目。

まず五右衛門が登場する短い場があって暗転し、「石川五右衛門」と大きく書かれた浅葱幕が下りてくるのは、まるで映画のタイトルバックのよう。アニメ「ワンピース」の如き、壮大で荒唐無稽なストーリー。もともと歌舞伎は江戸時代の、TVと映画を合わせたような一大エンターテインメントであったから、逆に言うとこんな壮大な物語こそ歌舞伎にふさわしいのかもしれない。

現代の新作で演出に何の縛りもないだけに、舞い散る桜吹雪、印象的なスッポンからの登場、舞い踊る巨大な龍、宙乗り、火薬、立ち回り、大掛かりな舞台装置の転換、客席を練り歩く俳優連などなど、これでもかとばかり歌舞伎のケレン味を一杯に詰め込んだ豪華絢爛たる舞台。

新作だけに、台詞や長唄を聞き取るのに不便無いのではとイヤホン・ガイドは借りなかったが、これは正解で、若干の古い言い回しの使用はあるものの聞き取りに不便無し。途中、義太夫風でノリ地のような演出があるのだが、これも聞き取りに不便は無い。

海老蔵は座長として出ずっぱりの大活躍だが、石川五右衛門の大きさを感じさせる印象的な出来。既に「形」としてやるべき事と台詞が練り上げられている時代物よりも、完全な新作の方が、台詞が上ずったり、心ここにあらずという所なく、伸び伸びと演技している気がする。市川宗家の芸として歌舞伎十八番は継承してゆかねばならないだろうが、将来的には先代猿之助のような「海老蔵版スーパー歌舞伎」を目指して行くのが合っている気もする。

市川右近は、白塗りの二枚目には似合わないが、この秀吉役は、時代がかった大きい演技が風格もあり、なかなかよい。市川笑三郎が演じる女将軍櫻嵐女も艶やかで印象的に成立している。加藤段蔵/悪龍の精の二役を演じる市川猿弥も鮮やか。茶々を演じる孝太郎のしどころとしては、ひとつには舞踊ということになるのだが、歌舞伎狂言全体の中で若干浮いた感がするのだが、これはまあ舞踊の巧拙が分からないこちらの責任でもある。

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35分の幕間、新橋演舞場では初めてインターネットで食事予約をしてみた。3600円のちらし寿司なのだが、これはなかなか豪華で味もよく感心した。

新橋演舞場の打出しは8時。早いのは結構。ただ、日中を巡る壮大な物語を生き生きと語るには、もう少し時間が必要だったかもしれない。切りでは中国を征した五右衛門が「絶景かな」のキメ台詞。舞台がせり上がりつつ前に動き、高所から劇場全体を見下ろす形で海老蔵が全力で観客を隅々まで市川宗家のお家芸で「睨む」、実に目出度いラスト。