97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」昼の部
20160907172942f35.jpeg
先週の日曜日は、歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」昼の部に。前日に夜の部を見物したから二日連続の歌舞伎座。さすがに昼夜一日通して歌舞伎座というのは今まで一度もやったことないな。

20160907172853ce2.jpeg

最初の演目、「碁盤忠信(ごばんただのぶ)」は出演陣総出でだんまりを繰り広げる最初の場が実に賑やか。染五郎と菊之助がそれぞれ両花道を同時に使った幕外の引っ込み。夜の「吉野川」用に両花道が設営されているので、使わねば損という感じなのかもしれないが、両方同時の幕外の引っ込みは初めて観た。

染五郎の碁盤を使った荒事風見得や立廻りも印象的。古式の江戸荒事ではないのだが、染五郎が懸命に奮闘している様子は伝わってくる。この秀山祭では染五郎が一番大変な気がする。まあ血族である叔父さんと曽祖父の為に一肌脱いて健闘ということだろうけど。

20160907172916314.jpeg

ここで35分の幕間。花篭で「つきじ膳」なるものを。海鮮の小丼が3つ。炭水化物が多い気もするが、なかなか結構。

二番目の演目「太刀盗人(たちぬすびと)」は軽妙な松羽目物の舞踊。あの化粧では誰やら分からないが、又五郎が滑稽な演技で笑いを誘う。真面目な田舎者を体現してかっちり踊る錦之助との対比も面白い。彌十郎も言われるがままにあっちに行ったりこっちに行ったりと腰の定まらない役人役だがこれも軽妙で笑いを誘う。

「一條大蔵譚」以前に吉右衛門で一度、仁左衛門で一度見ているが、仁左衛門の大蔵卿にはどこまでも公家を感じるのに対して、吉右衛門大蔵卿にはどこか武家の本性を感じる部分がある。秀山際では初めての演目だとのことだが、手慣れた演目で流石に吉右衛門が実に分厚く演じる。魁春も印象的に成立している。

作り阿呆と源氏再興を願う源氏けいの血を引く能力ある男の本性を何度も揺れ戻す終盤は、心根を侵食しつつある幽かな狂気すら感じるような迫力。この日は大向うの鶏爺さんが随分と元気。まあ元気とは言っても他の日との同社比であって、他の大向うに比べたらもう聞いていられないような老残を晒すヘナチョコな声なんだけれども(笑)

朝は雨がパラついたが打ち出しで外に出るとカンカン照り。

歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」夜の部
先週土曜日は、歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」夜の部に。

20160905153438491.jpeg 2016090515351181b.jpeg

今月は上手側に仮花道が設営してあり、両花道を使った公演。前に歌舞伎座で両花道観たのは、15年4月の四代目中村鴈治郎襲名披露「四月大歌舞伎」だったっけ。

最初の演目が、義太夫狂言の名作「妹背山婦女庭訓 吉野川(よしのがわ)」。吉右衛門、玉三郎コンビでのこの演目の公演は14年ぶりになるとか。染五郎に菊之助と豪華な布陣。これが大当たり。素晴らしくも圧巻の出来。

幕が空くと背景は満開の桜、舞台中央には吉野川の大きな清流が滔々と流れる。上手と下手にそれぞれ邸宅がしつらえてあり、義太夫も両側に分かれての掛け合いで。両花道が川岸で、中央の観客席はちょうど川の水底に存在するかのような壮大な舞台。

両岸に別れた妹山側と背山側のシンメトリーな世界を交互に巡る運命の輪。それに翻弄される人間達を襲う壮大な悲劇。親子の情愛と慟哭に満ちた別れ。相手を生かすために自分が死を選ぶ、自己犠牲に血塗られた若い恋人達の悲恋。観客は吉野川の水底からその全てを目撃する。

柿本人麿は刑死したという梅原猛の「水底の歌―柿本人麿論」を思い浮かべると、観客席にいる自分自身が、古代の権力者から死を賜って水底に沈んだ霊魂であるかのような気分になってくる。観客もまた舞台の一部。

舞台の序盤は、下手側の妹山が女の情愛、貞節と恋の論理、上手側の背山側が男と忠義、政治の論理と対象的に交互に語られるのだが、壮大な悲劇が舞台を覆うにつれ、吉野川を介して向かい合う二つの世界は共鳴し始める。

冒頭、はしゃいだ若い娘の恋心を描く雛鳥のクドキは一途で可憐。久我之助も凛々しく端正。後の恐ろしい悲劇が際立つ。そしていよいよ、吉右衛門と玉三郎、人間国宝2名が両花道に分かれての出となる。権力者蘇我入鹿に無理難題を押し付けられ、危機的な状況を背景にしての帰宅。

この応酬が大変に重厚。玉三郎演じる定高は自分の娘雛鳥が、入鹿の妾となるより自らの恋に殉じて死ぬ方が幸せであると女の情で分かっている。吉右衛門の大判事にとっては、帝を守り蘇我入鹿をいつか倒すためには、息子の久我之助に腹を切らせるしかないのが道理。しかし互いにその腹を隠しながら、女の情と男の論理が死と悲劇の濃厚な香りの中で吉野川を越えて朗々とせめぎ合う。

そして、背山側では久我之助の切腹、妹山側では、自らの死によって愛する久我之助が助かるのだと思い切った雛鳥の美しくも哀しい歓喜と、双方の親子を巡る悲劇が静かに進行する。

大判事と定高の二度目の対面。我が子を犠牲にして相手の子供を助ける心づもりが互いに食い違い、吉野川を挟んで身ぶりだけで伝えあう狼狽と慟哭も歌舞伎の様式美の中で、実に印象的に描かれている。

雛飾りと雛鳥の首だけが吉野川を渡って行く「雛流し」の婚礼も美しくも哀しい。吉野川に弓を入れて、大事に大事に首を回収する大判事の慈しみと懸命さも実感を持って伝わってくる。

しかし、大判事が雛鳥の首を手に取ったその時に携帯の電子音鳴らした馬鹿者がいて、なんとも残念な気分に。主電源から切れとあれほど言われていても、メールチェックした後でそのまま電源切らずに携帯をカバンに仕舞うオバサンを歌舞伎座で何人見ただろうか。そんなモンスターに注意しても絶対に他人の言う事は聞かないからなあ。

最後は定高と大判事が両岸で万感の思いで見つめ合う場面で幕。悲劇も涙も慟哭も、全てを吉野川が流し去って行く。客席からは万雷の拍手。狂言の名作を名優渾身の名演で。息を呑んだ素晴らしい2時間だった。

30分の幕間は「吉野川」の感動を振り返りながら、花篭の「ほうおう膳」で一杯。

201609051535436ef.jpeg

次の演目は、「眠駱駝物語 らくだ」。これは古典落語に題材を取った気楽な喜劇。一杯飲んでから見物するにはちょうど良い。染五郎は悲劇の貴公子から、愚図な紙くず屋に変身して、お客を大いに笑わせる。松緑も鉄火な江戸っ子のちゃきちゃきした口調が良い。「山の段を語らせるぞ」と凄む台詞に大笑い。大家の玄関外でなにやらしきりにらくだの死体とドタバタやる染五郎にもお客さんは大うけ。ただ上手側の席だと見えなかっただろうけど。歌六と東蔵の因業な大家も軽妙に成立。

しかし一番の敢闘賞はフグに当たって死んだ仏様役の亀寿。本当に全身の力を抜いていたらおそらく持ちあげるのも大変。死体のように見えながら、ちゃんと担がれたり投げ出されたりは演技であって、ある意味技術が必要だろう。結構妙な所に力が要ると思うなあ。米吉の気楽な町娘役もなかなか印象的。

25分の幕間の後は「元禄花見踊(げんろくはなみおどり)」

元禄の上野。満開の桜の中での舞踊。桜の花びらが舞い散る暗がりを舞台中央のセリから玉三郎が幻想的な登場。そして群舞に。花形を従えて中心で踊る玉三郎は、妖艶にして背筋が凛と伸び、しかし舞は柔らかくも美しい。まるで若返ったかのような雰囲気あり。衣装を変えつつ最後まで中心に君臨する。亀寿は「らくだ」の仏様から今度は粋な元禄の男になって御苦労さま。梅枝、児太郎、米吉も艶やかに。色彩豊かで絢爛豪華な舞台で賑やかに打ち出し。

重厚かつ感動的な歴史物大作に、軽妙な喜劇、煌びやかな舞踊。演目の構成も素晴らしかった。吉右衛門と玉三郎が圧巻の印象を残した夜。


歌舞伎座八月納涼歌舞伎、第一部を観た。
土曜日は歌舞伎座八月納涼歌舞伎、第一部。前の日からどことなく空模様が怪しかったが、出かける時には土砂降りの雨。タクシーで歌舞伎座まで。

20160821123512871.jpeg
2016082112354305d.jpeg

最初の演目は「嫗山姥(こもちやまんば)」 岩倉大納言兼冬公館の場。元々は近松門左衛門の人形浄瑠璃。

以前は傾城として鳴らしたが、今は零落した荻野屋八重桐を扇雀が。紙衣を着て登場し、出奔した夫と再会して当て付けに廓の話を延々と語る。竹本との掛け合いが見所。語りは妙に分かりやすい気がしたな(笑) しかし、観ていて何となくおかしいなと思ったら前半はまったく大向うの声無し。大雨だったから出足が遅いのか。しかし木戸御免なんだから盛り上げ役をサボっちゃいかんよねえ。

相手役は橋之助だがさしたる出番無し。女形が主役を張るのは珍しいが、最後は夫の霊が宿った女武道として顔に隈取りし、立役級の立廻り。扇雀にはなかなかよく似合っている。古くから残った作品ではあるが、話自体にはさほどのカタルシスを感じないかな。

201608211236076e5.jpeg

ここで30分の幕間。花篭で「ほうおう膳」など。何事かと思うほど喧しい団体客がいた。あんなに煩い団体も珍しい気がする。まあ仲良き事は美しきかなだけれども。

次の演目は、「権三と助十(ごんざとすけじゅう)」。岡本綺堂作の生世話物。権三が獅童、助十を染五郎。初夏の風物詩、井戸を浚う「井戸替え」の最中の江戸長屋が背景。大家と共に権三と助十は図らずも、冤罪事件に巻き込まれた親父を助けようと上方からやってきた息子の力になる事になる。

冒頭のやり取りでは染五郎に台詞があまり入っていない風だったのでちょっと意外。第二部の「弥次喜多」が大忙しだから第一部には力入っていないのか(笑) あるいは単に当日調子が悪かったのかね。

獅童は、口は悪いが腹の中には何も無い、おっちょこちょいの江戸っ子を軽妙に演じている。女房おかん役の七之助との喧嘩の言い立てもお互いのテンポ良く面白い。七之助は花魁役もよいが、世話物の女房も見事に演じている。

彌十郎の大家も手慣れた調子で、話の進行役となる。助十の弟、巳之助も爽やかな好演。真犯人の悪党を演じる亀蔵は、嫌味と凄みがあって見事に成立している。

物語のほうは、「大岡裁き」の伝説を背景に、あれよあれよという間にハッピーエンドの大団円に。軽い演目で深みは無いけれども、気分良く打ち出しとなる。

外に出ると午前中の土砂降りがまるで夢だったかのようなカンカン照り。台風が3つも迷走していると天気がすぐに変わるなあ。蒸し暑いが爽快な気分で歌舞伎座を後にした。



歌舞伎座八月納涼歌舞伎、第二部を観た。
夏休み最後の日曜は、歌舞伎座八月納涼歌舞伎、第二部に。2時45分開演、5時10分終演。短いのも助かる。

20160815153855b64.jpeg 201608151525134d3.jpeg


最初の演目は、「東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)」

十返舎一九 原作の所謂「弥次喜多道中」。歌舞伎でも何度も上演されているらしいが、今回は新作歌舞伎として書き下ろされた台本。江戸からラスベガスまで行くのだから壮大な話。

染五郎が弥次郎兵衛、猿之助が喜多八で珍道中を繰り広げる。金太郎と團子も、弥次喜多の道連れ主従として登場。子役ながらなかなか達者なもんである。

20160815152544346.jpeg


看板の写真の染五郎、猿之助見たらまるで松竹新喜劇の如しだったが、実際にはもっと突き抜けて荒唐無稽な悪ふざけ満載。松竹新喜劇の関係者が見たら「うちのほうがずっと真面目でっせ」と呆れるのでは。

澤瀉屋一門が総出演。「ワンピース歌舞伎」の登場人物は出てくるし、染五郎アメリカ公演の背景もちりばめ、更には劇中劇あり、怪談風味あり、ミュージカル風味、ドタバタ劇ありの大喜劇となっており、テンポよい展開で飽きさせない。

そもそもの歌舞伎は面白い物ならなんでも取りこんで来たし、街の流行りもすかさず作劇に活かしてきた芸能。この演目でも時事ネタや楽屋落ち満載。弘太郎の読売屋文春と云うかわら版記者が、「今朝起きたらSMAPが解散していてビックリ」と、くすぐりを入れたり、「五日月旅館に家族で泊まって経費で落とす」など、明らかに枡添前都知事をネタにした部分も。しかし枡添も、うっかり家族で歌舞伎見物にも来れないとは気の毒に。

廻り舞台にラップが流れて登場人物にスポットライトが当たり、次々と踊りながら紹介したり、通路から役者が登場したり、桟敷席の後ろに役者が現れたり、本水を使ったり、随所に歌舞伎らしいケレン味ある演出。「志村、後ろ後ろ!」などドリフ風味も。

どの登場人物も派手で滑稽なのだが、ラスベガスの場面で登場する獅童の劇場支配人は特にテンション高く、「あんた正気ですか」と思うほどの壊れっぷりで爆笑した。あそこまで突き抜けると、演じてるほうも清々しいだろう(笑)さすが「ピンポン」の獅童。もっとも歌舞伎で他の役を演じる時の引き出しにはならないかなあ(笑)

余韻を残さない馬鹿馬鹿しいだけの喜劇だし、設定におかしいところも勿論あるが目くじらたててもしかたない。これこそ歌舞伎だと言われると勿論違うけれど、これも歌舞伎だ。客席は大賑わい。

最後は、猿之助と染五郎が二人揃って宙乗り。「歌舞伎座で三カ月連続の宙乗りもこれで最後でございます。またお会いする日まで」と猿之助が去り際の口上。確かに3カ月連続で歌舞伎座の演目に猿之助の宙乗りが登場していた。お疲れさま。染五郎は空中で全身をグルグル何回転も回して、これも凄かった。歌舞伎役者の身体能力というものにはやはり感心する。

15分の幕間の後、舞踊 「艶紅曙接拙(いろもみじつぎきのふつつか) 紅翫」

小間物屋の紅翫というのは実在した人物らしいが、初夏の江戸風情を背景に、橋之助、勘九郎、七之助、巳之助、児太郎、彌十郎、扇雀など勢ぞろいして楽しげに踊る。でも、舞踊はやっぱり分からない(笑)




歌舞伎座八月納涼歌舞伎、第三部を観た
夏休み最後の週末、土曜日は歌舞伎座八月納涼歌舞伎第三部。

201608151524477d1.jpeg 20160815152402c97.jpeg

納涼に大幹部は出演しないが、染五郎、猿之助、橋之助が主演を務める。三部制で短い時間で観劇できるのもなかなか便利。第三部の開始は6時でもう暑さも和らいでいた。

最初の演目は、「新古演劇十種の内 土蜘(つちぐも)」。松羽目物の舞踊劇。橋之助は中村芝翫襲名前の最後の歌舞伎座で、来月同時襲名する三名の息子を率いて、主役である叡山の僧智籌実は土蜘の精を演じる。

中車の息子の市川團子が太刀持ちを演じる。大事な所で台詞もあり、子役にとっての大役。なかなか達者で感心した。親父が相当仕込んでいると思うのだが、今月は親父は歌舞伎座出演無し。まだ子供だし面倒は誰が見てるのだろうね。歌舞伎に限らず、子供の頃からヘンに達者だと、小さく固まってしまって大人になって伸びないのが人生の常という気もするけれど。

前半は舞踊が続く。舞踊というのは、まあこちらの責任なのだが、やはり何を見るべきか、それぞれの動きがどんな意味を持っているか、などの基本的な素養が無いと分からない部分が多い。こればかりは今更日本舞踊習う余裕など無いから仕方ないなあw

橋之助は叡山の僧智籌実は土蜘の精。花道の出は何時しか忽然と現れて実に不気味な印象。團子に正体を見破られて立廻りになり蜘蛛の糸を発して逃げる。後見は蜘蛛の糸の片付けに大わらわだ。

猿之助、勘九郎、巳之助三人の番卒は軽妙で舞台の雰囲気が変わる。石神の像では勘九郎の次男が登場。最初は後見が操る人形かと思ったが、あんな小さいのに舞台に出るとは。

橋之助が蜘蛛の精として再び現れてからの立廻りは実に不気味で圧巻であった。ここで30分の幕間。

20160815152424ff9.jpeg

花篭で「納涼御膳」を。まあ普通に「ほうおう膳」のほうがよかったかも。三部制だと食堂も結構空いている。

切の演目は、新作歌舞伎 「廓噺山名屋浦里(さとのうわさやまなやうらざと)」

笑福亭鶴瓶の落語を歌舞伎化。もともと歌舞伎は能、人形浄瑠璃、落語、瓦版を騒がせた世間の事件などを自由に題材に取り入れてきた歴史。古い作品の古層には、当時の人しかもう分からない世相やユーモア、常識などが積み重なっている。逆にまったくの新作歌舞伎だと、そういった不明部分が無く、イヤホンガイド無しでも物語の全てを観客が理解できるから、実に分かりやすいお話となっている。

参勤交代の合間、殿様がいない江戸留守居役は寄り合いと称して藩の金で遊興に興じて贅沢三昧。真面目で実直で、田舎者の堅物と嘲られる酒井宗十郎を勘九郎が演じる。これはニンにあるので手慣れたもの。寄り合いで宗十郎を「田舎者の野暮天」と嘲る秋山は彌十郎がこれまた手堅く演じる。

隅田川での花魁浦里と酒井の出会いは、ちょっと「籠釣瓶」を思い出す印象的なエピソード。一本気に吉原までやってきた酒井の相手をする「山名屋」主人平兵衛を演じる扇雀は、酸いも甘いも噛み分けた苦労人ながら、商売人としての筋は一本通すという、吉原の大店主人の風格を感じさせる。最後の場面、奉公人を演じる鶴瓶の息子駿河太郎と関西弁で、「俺にもまだマトモな心が残っていたのかな」と染み染みと述懐する場面も良い。扇雀は二枚目であるから、こんな立役も似合うな。

七之助の花魁姿も華麗だし、「やはり江戸の妻を帯同せず一人で来たか」と宗十郎が散々に笑われる宴席に、燦然として花魁衣装で現れ、皆の度肝を抜く場面も美しいカタルシスを持って描かれる。そしてお礼に来た酒井に自らの生い立ちを語る場面。廓言葉ではなく(廓言葉というのは、田舎から買われてきた娘達の訛りを隠すために、大仰に皆同じ語り口で喋らせたそうであるが)故郷の訛りで話だすという設定も、吉原が本当は苦界なのだという厳然たる事実を感じさせながら、実はまだ汚れていない花魁の本音の心をさらけ出す部分。

傾城の花魁も吉原大店の主人も、自身が幾多の苦労を乗り越えて来た身だからこそ、直情径行で真面目な侍が追い詰められた危機を救うために、その願いを叶えてやろうとするのだった。

華やかな花魁道中で終わるのも爽快。以前に中村屋兄弟で演じた「鰯売り」ともどこか似ている。落語になった原型は、「ブラタモリ」で取材した今の千束町、昔の吉原で聞いた話とイヤホンガイドで聞いたが、実話というよりも、そこには一種江戸の夢物語が伝承されているのでは。歌舞伎のお約束の中で、廓を舞台にした人情話に手慣れた印象で仕上がっており、大変分かりやすく楽しんだ。


歌舞伎座七月大歌舞伎、昼夜の部を観た
7月の9日に夜の部、10日に昼の部と歌舞伎座七月大歌舞伎を観た。

20160722192203648.jpeg 2016072219225382a.jpeg

20160722192323b03.jpeg

しかし10日から、大相撲の名古屋場所も始まり、中日の名古屋遠征もあったりして、歌舞伎日記更新がすっかり遅れてしまった。だいぶ忘れた部分もあるような。これでは備忘録にならんな(笑)

公演は、澤瀉屋と成田屋のタッグ。海老蔵と猿之助が交代に主演して「大歌舞伎」というのは、やはり歌舞伎にも世代交代の波が来ている事を感じさせる。まあ若いとはいえ一門を率いる総帥二人が座頭だから、大歌舞伎といっても一応はおかしくなかろう。しかし、音羽屋、播磨屋、高麗屋などの総帥、今の大幹部連はほとんど70代。この世代がバタバタ逝ったらどうなるのか。もっとも歌舞伎は何度もそんな世代交代の危機を乗り越えてきたと聞くけれど。

夜の部、最初は、「江戸絵両国八景 荒川の佐吉」。先代猿之助の当たり役なのだとか。真山青果作。 新作歌舞伎の世話物。

猿之助はやくざにあこがれる三下奴の佐吉としてまず軽妙に登場。大工辰五郎は、最後まで佐吉とからむ役だが、弟分のような子分のような微妙な役の肌合いは、巳之助によく合っている。

切られて落ちぶれた鍾馗の仁兵衛を猿弥。恰幅良く大親分の風格があるが、逆に恰幅良すぎて落ちぶれた後の悲哀があんまり感じられないか。

海老蔵の成川郷右衛門は序幕の薄情な登場も、お八重の恋人を一刀のもとに切り捨てる凄みも印象的。ただ、最終的には悪役として猿之助に斬られてしまう。脇に回った悪役というのもちょっと珍しいが、海老蔵の成川郷右衛門で「荒川の佐吉」をやりたいと猿之助に頼まれたのだそうである。

手塩にかけて育てた盲目の子供を返してやってくれと恩義ある親分に頼まれ、反発するも子供の将来を考えて受容する心理のやりとりの中に己の運命を悟り、全てを捨てて旅に出る決心をする佐吉は大変に印象的。

まだ暗い早朝から段々と明るくなると、そこは一面の桜、隅田川土手。そこを背景に、もう二度と帰らぬと佐吉が江戸を立つ大詰めの場。幸せに敢えて背を向ける男の一本気な決意が胸を打つ。猿之助は素晴らしかった。世話物であるから、中車の演技も生き生きとしている。休憩無しの2時間。

二番目の演目は、「壽三升景清 歌舞伎十八番の内 鎌髭(かまひげ)と 景清(かげきよ)」

台本が散逸して残っていない歌舞伎十八番を海老蔵が成田屋家の芸として再構成。オリジナルが無いだけに、「助六」や「暫」の「これが歌舞伎十八番だ」という大らかな面白い場面だけを参考に作ってあるので、全編に渡って、あれ、これはどこかで観たようなと感じるものの、総集編を観ているようで妙に面白い。

澤瀉屋でコミカルな役というと猿弥担当だと思っていたが、市川右近も軽妙な、なまず入道役で、「ホワイ、ジャパニーズ・ピーポー」やら「厳正なる第三者の」とか時事ネタのくすぐりを入れて客席を大いに沸かせる。幕外の引っ込みでは、海老蔵が来春の右近の襲名を話題に出して楽屋落ちでイジる部分なども笑わせた。

最後の大詰めでは、背景に巨大な海老の張りぼてが出てくる派手な演出。津軽三味線の嵐が吹き荒れる。大海老の上で、これでもかとばかり海老蔵が睨み、大見得を何度も何度も切る。海老蔵見物のお客も多いようで、場内は大喝采。幕の内弁当のようにあれこれ詰め合わせてあって、随分お得な成田屋の一幕といった気がした。

2016072219234600d.jpeg

幕間では涼夏御前。

日曜日は昼の部に。

最初は宇野信夫 作・演出の新歌舞伎、「柳影澤蛍火(やなぎかげさわのほたるび) 柳澤騒動」

お犬様 徳川綱吉の時代、貧乏浪人から策謀で老中にまで成り上がった柳澤吉保の生涯を描く。史実とはかなり違う演劇的な脚色がほどこされているものの、柳澤吉保は実在の人。文京区の六義園はこの人が趣味を凝らして作った庭園なのだそうである。一度行ったことがあるが、壮大な日本庭園で、大変な栄華が感じられた。

あばら屋に住む貧乏浪人が出世を願い、将軍の生母桂昌院に取り入り、武家の風習として衆道好みであった将軍綱吉に自分の許嫁を差し出して側室とし、正室追い落としなどの策謀を巡らせて、次々に出世してゆく。所謂、江戸時代のピカレスク・ロマンであるが、海老蔵がこの柳澤吉保の成り上がり過程を、黒光りする悪の凄みと共に印象的に見せている。

おさめの方尾上右近は、吉保をひたすら愛した貧乏だった頃の純情と、吉保に言い含められて将軍のお手付きとなってから、将軍を欺いて吉保と密会するようになる悪女の姿の両方に実感があり、なかなか印象的に成立している。

猿之助演じる護持院は、眼光鋭く、いかにも怪僧、悪坊主といった風情が登場の時から漂って、海老蔵と桂昌院の寵愛を巡って凌ぎを削る印象に残る怪演。東蔵演じる桂昌院もさすがに重厚な貫禄あり。

気楽に観ていて実に面白いが、ただ終盤に柳澤吉保が、あれよあれよという間に破綻してゆく場面は、脚本のせいもあるだろうが、どうも唐突で脈絡がなかったように思うのだが。

せまじきものは宮仕えなどともいうが、あそこまで出世に対する執着を見せつけられると、サラリーマンとしてはちょっと辟易。しかし、あの壮大な六義園の土地を賜り、粋を凝らした造園ができる財が形成できるのだったら、それは出世に執着するなあとも思うのであった(笑)

切の演目は夏らしい舞踊劇「流星」

尾上右近の織姫、巳之助の牽牛が、まるで宝塚のようにセリ上がった派手な舞台から階段を下りてくるように登場。

4つの面を次々と早替えで演じ分ける猿之助の舞踊はキレがよい。最後の宙乗りのための装具を着物の下に装着しているはずだが、えらいもんだね。

最後は猿之助が、時折空中を平泳ぎするような動作も見せて機嫌よく宙乗り。観客席は割れんばかりの拍手で大盛り上がり。宙乗りという得意技があるというのは歌舞伎役者として大きなアドバンテージですな。

昼の部も夜の部も、海老蔵、猿之助がほぼ出ずっぱりで奮闘する、なかなか面白い七月歌舞伎であった。

歌舞伎座六月大歌舞伎「義経千本桜」第一部鑑賞
日曜日、歌舞伎座で六月大歌舞伎を観劇。「義経千本桜」通しの三部制第一部「碇知盛(いかりとももり)」。

2016061916473286b.jpeg 2016061916480012e.jpeg

「義経千本桜」は人形浄瑠璃由来の歌舞伎の名作。筋書きは全てが義経に直接関係ある訳ではなく、各段は独立したオムニバスのような形式。

最初は「渡海屋」「大物浦」を続けて。

船宿の主人渡海屋銀平実は知盛を染五郎が初役で演じる。時代な立役の大役。安徳天皇がまだ生きており、匿われているという実際の史実に縛られない自由な設定。

猿之助は第三部の宙乗りだけでなく、第一部も第二部も重要な役で出演。渡海屋の女房はごく普通だが、実は典侍局になってからが、戦国に翻弄される女性の可憐さと哀れを感じさせてよい。前に観た第二部の娘役の時は声がガラガラだったが本日は若干回復しているような。

市川右近の息子、武田タケルがこの安徳天皇役で初お目見得。横幅の広い顔は親父譲りだが、白塗りにすると日本人形の如し。台詞もしっかり入っている。しかし血統と門閥が一番物を言う歌舞伎の世界においては、成田屋や音羽屋の御曹司の初お目見得とは扱いが随分と違うのがお気の毒というか。「渡海屋」最初の幕での軽みのある愛嬌や、急を告げに戻った場面での動きのある語りなど、親父の市川右近が実に張り切っている。時代な隈取すると、デーモン小暮閣下にも似ているね。

「渡海屋」二幕目、船宿の奥座敷から見える海、戦いで劣勢になった知盛達の船の松明が次々と消えて行き、見守る官女たちが泣き崩れる様は、歌舞伎の様式美に満ちて実に美しい。

「大物浦」、血だらけで戻ってくる知盛も、たまたま花道脇の席であったので実に圧巻。憤激から、安徳天皇の安全を確認した安堵、清盛の圧政を振り返る内省、自分の運命を受容する諦観と移り変わるストーリーもよく出来ている。碇を海に放り投げ、大縄がスルスルと引かれてゆく演出も圧巻。下では裏方が必死に引っ張っているのだろう。

松也の義経はあまり印象を残さない。武蔵坊弁慶の猿弥は重厚。花道の引っ込みでは大向うから「大きい」と声がかかる。全般に時代な葛藤とカタルシスがあって、「いがみの権太」よりも見て面白い段。なかなか楽しめた。

ここで30分の幕間。

201606191648235f4.jpeg

その後は「時鳥花有里」。新作の所作事。染五郎はこちらにも出て、傀儡師で引き抜きからのぶっ返し、面を次々と変える舞踊など歌舞伎舞踊のギミックを次々に披露。梅玉の源義経は似合っている。魁春、笑三郎、春猿など満面の桜を背景に華麗に踊る。次々に変わる背景の変化がいかにも歌舞伎的で豪華絢爛な短い舞踊劇。

歌舞伎座六月大歌舞伎「義経千本桜」第二部
土曜日は、歌舞伎座で六月大歌舞伎を観劇。「義経千本桜」通しの三部制上演。昼過ぎから始まる二部は高麗屋親子に猿之助が同座する「いがみの権太」。

20160612202409824.jpeg

201606122024335de.jpeg

「義経千本桜」は人形浄瑠璃由来の歌舞伎の名作。筋書きはあまり義経には関係なく各段は独立したオムニバスのような形式。「すし屋」は前に菊五郎で観たことがある。今回は、前段にあたる「木の実」、「小金吾討死」が出る。

「木の実」では、悪党だが、軽妙な洒脱さもある幸四郎の人物造形がなかなか印象的。出から千両役者の風格あり。善人と見せて、実は若い侍を手玉に取る悪の凄み、茶屋の女房小せんを演じる秀太郎と、子供との情愛も同時に見せて「すし屋」での「もどり」の伏線として見ても意味深い。

「小金吾討死」では、松也の小金吾が立廻りに大奮闘。歌舞伎の様式美に満ちた一幕。ここで15分の幕間。

「すし屋」は上演回数も多い歌舞伎の人気作品。うちの祖母など「ゴンタな子やなあ」などと昔言っていたが、関西で言う「ゴンタ」はこの「すし屋」に出る「いがみの権太」に由来するのだとか。

猿之助のお里は、田舎娘の健康的な色気があってなかなか印象的に成立している。染五郎演じる弥助実は三位中将維盛もニンに合っている。「いがみの権太」はそもそも昔の幸四郎の当たり役だったそうだが、当代幸四郎も堂々たる風格で演じる。小せんが捕まり、花道で権太を振り返る眼の芝居は、秀太郎巧いなあと感心。

ただ演目としての「すし屋」は、個人的にはあまり好きではない。田舎娘の純な恋は成就しないし、首実検の首は偽物、悪人が善人へと回帰する歌舞伎独特の「もどり」と、歌舞伎のお約束があれこれ盛り込まれた作品ではある。しかしストーリーの展開は実に間延びしてスローで、「もどり」の演出もあまりにも唐突で、カタルシスがあるとは言い難いかなあ。まあストーリーを楽しむというよりも、役者を見物する作品なのかもしれない。

打ち出しで外に出ても、まだ初夏の明るい夕方。そんな点では三部制も良いよなあ。

歌舞伎座、「六月大歌舞伎 義経千本桜」第三部
土曜日は疲れが出てグダグダしていたが夕方から歌舞伎座、六月大歌舞伎第三部に。歌舞伎の三大名作と言われる「義経千本桜」の通し上演。ただ元々が一本筋が通ったような大作ではなく、オムニバスのような形式で、各段が独立に上演されるのも普通だし、別に第一部から観ないと訳が分からないということもなかろう。

20160605113726aea.jpeg 20160605113753fdd.jpeg

第三部は、猿之助と澤瀉屋一門の「狐忠信(きつねただのぶ)」。最初の「道行初音旅」いわゆる「吉野山」には染五郎が珍しく女形の静御前として猿之助の相手を務める。

清元の語りが始まった後、浅葱色の幕が切って落とされるとそこは満面の桜が咲き誇る吉野山。静御前が鼓を打つとスッポンから、猿之助演じる佐藤忠信実は源九郎狐が登場。所作事となる。踊りが進むと清元と竹本の掛け合いに。

染五郎の静御前は、まあそういうのもアリですかという感じではあるが一応きちんと成立している。「吉野山」は以前の歌舞伎座で、坂田藤十郎演じる静御前というのを観たが、演出が結構違う。忠信の髷、元結が蝶のような派手な形で、ちょうど狐の耳に見える趣向が面白い。猿弥演じる逸見藤太は楽屋落ちを含むいかにも滑稽な歌舞伎味を見せて、観客を沸かせる。

幕切れ、子狐の本性を現して蝶と戯れ、引き抜きで一瞬に衣装を変え、花道を狐六法で去る猿之助は実に印象的。

201606051138150a2.jpeg

30分の幕間は、三階の花篭で「あおい御膳」頼んで一杯。三部制だと食事してから来るお客さんもいるのか、食堂はガラガラ。「あおい御膳」は稚鮎天麩羅、鱧、甘味の西瓜など今年初めて食した。そうだ「新ばし 笹田」にしばらく行ってないからなあ。

幕間の後は、「川連法眼館」。いわゆる「四ノ切」。「三代猿之助四十八撰の内、市川猿之助宙乗り狐六法相勤め申し候」と添え書きがある。当代の猿之助が新装なった歌舞伎座で宙乗りを披露するのは初めて。

義経の潜む吉野の川連法眼の館に、本物の佐藤忠信と忠信に化けて静御前を守護していた源九郎狐が鉢合わせする。二役を演じるのは猿之助。笑也の静御前が鼓を打つと、ドロドロと化やかしの物が出る太鼓が鳴り、花道の明かりが点灯、スッポンに目が行くと、花道奥の揚幕が引かれる金属音がして、奥から大きな声がする。しかし次の瞬間には舞台中央のセリから忠信狐が現れているのだった。あえて観客の視点を間違えた所に誘導するミス・ダイレクションのケレン。面白いねえ。

20160605113835956.jpeg

早変わりや舞台裏を瞬間移動してのあちこちからの出など、歌舞伎のケレンに満ちた狂言。親狐の皮で作られた初音の鼓に寄せる子狐の思慕と静御前守護の功を認められてその鼓を賜った源九郎狐の歓喜を全身に現した最後の宙乗り。猿之助の身体能力は素晴らしい。澤瀉屋伝来の芸とも言える、義経千本桜「狐忠信」四ノ切。

澤瀉屋は現代歌舞伎の門閥では傍流なのかもしれないが、江戸庶民が熱狂した歌舞伎のケレンを実に華麗に現代に伝えている。実に面白かった。三部制も公演時間が短く済むので、観劇の時間的負担も少なく、なかなか良いのだが、全部観ると二部制よりも高いというのがちょっとねえ。

歌舞伎座、「團菊祭五月大歌舞伎」昼の部
バタバタして更新を忘れていた。

連休最後の週末、先週の土曜は歌舞伎座團菊祭五月大歌舞伎昼の部。

20160514190829505.jpeg 20160514190853010.jpeg

最初の演目、「鵺退治(ぬえたいじ)」は54年ぶりの上演。梅玉、又五郎、歌女之丞、錦之助、魁春とベテラン揃いで全員機嫌よく演じる、短いハッピーエンドの妖怪退治譚。魁春は、時々だけどハッと綺麗に見える時があるのがやはり芸の力なんだなと思う次第。

15分の幕間を挟んで「菅原伝授手習鑑 寺子屋(てらこや)」

松緑の源蔵は前にも歌舞伎座で観ているのだが、今回初めて、他人の子を斬ってでも主君の子供を守らんとする、忠義と善意との心の葛藤に苦しむ人物として観ていて得心した。海老蔵の松王丸は、首実検で刀を抜く成田屋の型で演じるというが、なんだかあまり人物像に見るべき所が無いという印象がする。細かい形がどうこう言うよりも、よくなぞっていると思うが、例えば仁左衛門の松王に比べると、まあ年季が違うから当たり前なんだけど、なんだか腹落ちしないんだ。

毎朝子供と散歩してギリギリに歌舞伎座入りして5分で顔をして、出番が終わったら直ぐに帰って家で筋トレ。SNS全盛の時代に本人がそんな日常を発信しているから、役者としての神秘性が無くなっているのかとも思うけれども。

もっとも成田屋というのは、「市川宗家」「團十郎」というスーパーブランドを保持する歌舞伎の名門。ただ意外と代々早世で、血統も続いておらず縁戚関係も狭い。音羽屋の嫡男よりもおそらく海老蔵のほうがもっと隔絶して自由な立場なんだろう。海老蔵にも素晴らしい華があるのはその通りで、松竹の興行戦略としてはいずれ團十郎を襲名するに違いない。 團菊祭が菊之助、松緑と合わせて次の世代に引き継がれて行くことは結構な話だと思うけれども。

20160514190909f6f.jpeg

ここで昼の幕間。本日の昼は歌舞伎座3階花篭でほうおう膳。月替わりの葉月御膳と内容は割とかぶっており500円安いので結局こちらでよいかな

幕間後は「十六夜清心(いざよいせいしん)」

女犯坊が犯罪者に転落する朧月の夜。幻想的な場面は「三人吉三」にも似ている。菊之助演じる怜悧な悪が印象的。月夜の白魚漁は江戸の春から初夏の風物詩。雰囲気が良い。

切りの演目は、「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)

石川五右衛門と豊臣秀吉を播磨屋と音羽屋の大旦那が機嫌よく演じるわずか15分の演目。最初に大薩摩の語りが5分ほどあるから実質10分。しかしその割にはセットは壮大、人間国宝が二人出て大変お得な気がする。もちろん夜の部最初に、お互いの孫の初お目見得に出演する爺様二人であるから、ちょっと早めに来てもらい、午前の部の最後にも出したら営業上得策という戦略だよね(笑)


歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」夜の部を観た
金曜夜は歌舞伎座、「團菊祭五月大歌舞伎」夜の部観劇。外は雨がポツポツと。席は花道近くのA2ブロック。中央に向かっての前列に座高高い人がおらず実に快適。こればかりはどの席取っても運だからなあ。

20160507092900cf1.jpeg 2016050709291469f.jpeg

最初の演目は、「勢獅子音羽花籠(きおいじしおとわのはなかご)」。そもそも曽我物に題材を取った祝祭舞踊劇だが、今回は菊之助の長男、「寺嶋和史初お目見得」という目出度いイベント事に。

菊五郎の息子菊之助が吉右衛門の娘と結婚して生まれた孫であるから、音羽屋と播磨屋が縁戚に。寺嶋和史は両方の祖父が人間国宝という、歌舞伎界にあっては正しく「Born with a silver spoon with his mouth」と呼ぶべき御曹司。歌舞伎の世界は血脈があれこれつながっており、全員が親戚みたいなものだなあ。

元々の背景は山王祭だが、菊之助に縁の深い場所ということで、神田明神に背景が変更されている。吉右衛門は29年ぶりの團菊祭出演。菊五郎と祖父同士の掛け合いあり。松緑、海老蔵も連れ舞を。鳶と手古舞の群舞。梅枝、右近、種之助などの若女形に、雀右衛門、時蔵、魁春の立女形も総出演。松也と巳之助の獅子舞もあり、実に派手で目出度い祝祭劇。大向うからも矢継ぎ早に声がかかって賑やか。

祝祭が最高潮になったラスト、梅玉に先導され、菊之助が長男を腕に抱いて花道から登場。全員揃った所で相好を崩した両祖父の口上に手締。正面に座ってしばらくは、寺嶋和史君も前を向いていたのだが、吉右衛門爺に抱かれると途端に身体の力が抜けて顔を手で隠す。やはり舞台で客席に正対するというのは、3歳に満たない子供には慣れないイベント。ご挨拶もグデグデになって名乗りは無し。しかし幕引きの直前、菊之助に抱かれると、客席のあちこちに手を振って立派にご挨拶。客席は大いに沸いていた。

二番目の演目は、「三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)」大川端庚申塚の場

隅田川沿いで偶々出会った同名の悪人たちが義兄弟の契を交わす一夜。菊之助のお嬢吉三は艶やかな美しい女形の衣装で登場しながら、夜鷹殺しの場では凄みのある男の声に戻る所が印象的。海老蔵のお嬢吉三、松緑の和尚吉三の「三人吉三」は、團菊祭がこの世代に引き継がれて行くという象徴的な顔合わせ。黙阿弥の七五調の台詞は、歌舞伎を離れて一般に有名になったものもあり、背景に浮かんだ朧月と共に流麗で実に印象的。

20160507092933aed.jpeg

30分の幕間に花篭で、「青葉御膳」。季節感もあり、マグロ刺身はそんなに悪くなかった。

次の演目は、「時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)」

鶴屋南北の作。本能寺馬盥の場と愛宕山連歌の場。織田信長に嫌われて度重なる屈辱を受け、謀反を決意する明智光秀の物語。物語では武智光秀と名付けられた主人公を松緑が演じる。

馬盥(うま用のたらい)で酒を飲まされるのはそれは大層な恥辱だろうが、この盥は漆塗りで立派な家紋も入っており、馬用に見えない。まあ大名はたとえ馬用であっても立派な物を使うんだなあ(笑)切髪のエピソードも、偏執的な信長のパワハラぶりが異様な迫力。

屈辱に耐えに耐え、最後にキレる明智光秀には、ブログなどでみる松緑の実生活での、自分は正当に評価されていないという鬱屈やこじらせたプライドと屈折が投影されているかのようで、底光りした迫力があり、実に印象的だった。

現代の会社生活でも、才気走る部下でもなんだか面従腹背に感じたり、生意気に感じたりして理不尽にパワハラする上司はいる。頭が良い事を見せつけたり、上司が気付いてない事を進言したりすると、かえって逆効果になる事も会社生活では知っておかなければならない知恵。戦国時代も結構一緒だったんだなあと妙な感慨が。光秀は能ある鷹だったがツメを隠すのを忘れた。愛嬌があってゴマすりで馬鹿に見えたほうがパワハラ上司に対しては安全。秀吉はこの辺りの機微が良く分かったタイプだったのでは。しかしこのタイプは自分が上になると威張り散らして大変なことになったりするけどねえ(笑)

最後の演目は「男女道成寺(めおとどうじょうじ)」

清姫の道成寺伝説を題材に取った舞踊劇。白拍子桜子実は狂言師左近を海老蔵が、白拍子花子を菊之助が演じる。常磐津と長唄の掛け合いに、大勢の所化も舞台に登場。白拍子から狂言師だとバレる軽妙な舞踊に、引き抜きで次々変わる衣装も面白い。途中では大勢の所化坊主が客席に手ぬぐいを蒔く演出も。最後は鐘を中心に華やかな見得が決まる。結構時間が押して、打ち出しは9時ちょっと過ぎてたのでは。

外は傘が要るような要らないような微妙な雨。しかし、風が吹いてなくてよかった。

歌舞伎座四月大歌舞伎夜の部を観た
土曜日は歌舞伎座四月大歌舞伎夜の部に。

201604171315490ed.jpeg

熊本の群発地震は未だ収まらず、難儀している住民が多数居る時に、なんとなく気が引けるが、私が観劇を自粛したとて被災地の役に立つ事は何も無い。個人的には赤十字に義援金送るくらいしか出来る事はないのだし。

20160417131652082.jpeg

席はA2ブロック7列目。座高高い人は前におらず実に快適。今月は歌舞伎公演があちこちで行われているからか、場内はところどころ空席あり。当日の食事予約もずいぶん予約あるような感じだった。演目は2本で、幕間は35分の1回だけというのは割と珍しいかな。

最初は松嶋屋親子が出演する「彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち)」いわゆる「毛谷村」だがその前の段「杉坂墓所」からの上演。

以前、菊五郎初役で観た際は、ストーリーに脈絡が無くカタルシスが無いように感じたが、今回「杉坂墓所」から出ると登場人物の関係性が分かり、前よりは面白く感じる。人形浄瑠璃から歌舞伎化された作品だが、長い原作の九段目「毛谷村」だけポンと出すと登場人物が分かりづらいのだよねえ。

母思いで心根のやさしい剣豪、毛谷村六助を仁左衛門が上方弁で柔らかく演じるが、なかなか爽やかに成立している。

虚無僧姿で登場するお園は、前に観た際途中で「アッ、これは女だ」と感じて時蔵の芸には感心した記憶あり。顔を隠した虚無僧が立ち回りするのだが、最初は全く男に思えるのものの、途中からどこか女を感じさせるのだ。そして編笠を取るとそこには女の顔が。しかし実際に演じているのは男である女形という歌舞伎の重層性と様式美。

孝太郎のお園も悪くはないのだが、花道の出から女だというのがちょっと分かり過ぎか。この役の演技もなかなか微妙なものなんだなあ。

運命の輪は「敵討ち」を巡り、関係者を主人公の元に奇妙な縁で結びつけて行く。ただ、それでもなお、ストーリーとして若干カタルシスに欠けるように思うのは、やはり現代では「敵討ち」に対する常識がもう失われているからだろうか。電話帳も住民票もSNSも無い昔は、敵討ちの相手を探すだけでも大変だっただろう。彌十郎の杣斧右衛門はいわゆる「ご馳走」。上演回数の多い演目なので、演者による形の違いなどに着目できるようになると、また面白さが増すのだろうけどねえ。

20160417131716ece.jpeg

幕間は三階「花篭」で月替り弁当の「卯の花御膳」で一杯。幕間35分だとほんのちょっと余裕あり。

次の演目は、「高野山開創1200年記念」と銘打った新作歌舞伎、「幻想神空海(げんそうしんくうかい)沙門空海唐の国にて鬼と宴す」

原作が夢枕獏と聞くと「サイコ・ダイバー」シリーズを懐かしく思い出す。休憩無し2時間以上の長い舞台。幻術と魑魅魍魎が跋扈する唐の都、長安。玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋が時空を交錯して空海の眼前に展開する。

ストーリーのスケールは大きく、セリやスッポンの多用、墓からの兵俑、スモークの中からの黄鶴の出現など、舞台装置や廻り舞台の使い方も凝っている。琵琶を引きつつ染五郎が歌うというのも面白い趣向。いかにも新作歌舞伎だが、楊貴妃の悲劇を分かりやすく編集して見せる、竹本の演奏による劇中劇が、新作歌舞伎の中にまた歌舞伎が出現するという印象的な趣向。

なかなか面白いが、原作が長いからか全体にエピソードを詰め込み過ぎた感もあり。まったく予備知識無しに観たので途中で誰が誰やら判らなくなってちょっと混乱した(笑)

ほとんど出ずっぱりの主役、空海を染五郎が演じるのだが、意外に印象が薄い。無名の私学僧が何故か突然遣唐使となり、わずか2年の唐留学で真言密教の最高潅頂を受法し、大阿闍梨として日本に真言密教を持ち帰る。この異能かつ偉大な天才宗教家としての空海の大きさがこの舞台ではあまり描かれておらず、どこか世話物に出てくる江戸の町人のよう。役柄としても単なる狂言回しに思えるのだが、これが原作でもそうだったのだろうか。そう思って見ると、松也演じる橘逸勢は「よいしょ」を連発するだけの子分に見えてくるのだった。

楊貴妃役の雀右衛門は、芸者役などやると艶がイマイチに感じるが、狂った楊貴妃役として舞うと妖気に溢れ鮮やかにも美しく成立している。玉蓮の米吉、春琴の児太郎共に伸び伸びと演じて実に魅力的。最後に出てくる憲宗皇帝の幸四郎は、さすがに長い舞台をキッチリと締めて大きかった。

20160417131740a4d.jpeg

打ち出しは9時過ぎ。帰宅して、氷結ストロングで一杯。劇中でも出て来たが、楊貴妃の好物「ライチ」の風味というのが珍しい。

歌舞伎座「四月大歌舞伎」昼の部を観た。
本日は、歌舞伎座で「四月大歌舞伎」昼の部。高麗屋父子が主演する新作歌舞伎をメインにした座組。

201604031844136eb.jpeg 20160403184449895.jpeg

座席は花道寄り。ただ正面方向、斜め前前列にやたらに座高が高い細身の初老女性がおり、舞台中央に俳優が座ると何も見えない。これには悩まされた。まあ、劇場の観劇では仕方ないですな。

20160403184545550.jpeg

最初の演目は、「松寿操り三番叟(まつのことぶきあやつりさんばそう)」

三番叟は、翁を入れて三人出てくるが、これは箱から出した人形が操られながら三番叟を踊るという趣向。能楽が元の三番叟は歌舞伎で様々なバリエーションが成立。箱から出てきた人形が踊るというのは、去年の8月納涼歌舞伎、七之助の「京人形」にも似ている。

染五郎が踊りっぱなしなのだが、生身の人間を上の糸で操られているかのように見せる舞踊のテクニックは凄い。太腿の内側の筋肉とか随分大変だよなあ。歌舞伎役者の舞踊稽古を通じた身体能力というものに感嘆。筋書によると顔の隈取は毎日変えているのだとか。踊り後見を演じる松也とも息は合っていた。人形感は充分出ていたが、空虚感まではどうかな。

二番目は、「不知火検校(しらぬいけんぎょう)」

宇野信夫が昭和35年に書いた新作歌舞伎。暫く上演が途絶えていたが、平成25年に幸四郎が復活上演し、その再演。生まれつき盲目で生まれた富の市が、自らの才覚と非情な度胸によって次々と犯罪を繰り返し、検校へと登り詰めて行くという一種のピカレスク・ロマン。

冒頭は、「親の因果が子に報い」という調子で富の市の少年時代が描かれる。幸四郎が演ずる場になると既に富の市は慇懃だが腹に一物あり、機を見るに敏な悪党。そしてその悪は次々とスケールアップして回りを巻き込んでゆく。

療治に通っていた旗本の留守に、金に困った奥方の手助けをすると見せかけて籠絡して力づくでものにする場面は、この身体的ハイディキャップのある悪党が、普通の人間よりももっと深い業を背負い、もっと深い欲望と悪の深さを持っていることを判らせる場面。

歌舞伎には、髪結新三や加賀鳶の道玄、直侍など、色気のある江戸っ子の小悪党は結構出て来て人気だが、不知火検校は凄みが一段違う。生首の次郎(染五郎)と出会って殺しの分前をやって意気投合する場面も実に印象的。

201604031846244bf.jpeg 20160403184703957.jpeg


ここで30分の幕間。花篭で「卯の花御膳」。作り置きの弁当であるから勿論制約はあるが、それでも随分と品数多く立派なもの。ただお酒も飲んで食事するのに30分というのは忙しないね。

後半の「不知火検校」では、富の市が検校へと登り詰め、犯罪スケールも更に拡大。しかし「針を打ってやろうか」などの場面では客席が沸く。愛嬌もある悪漢ではある。金のためだけに奥方になったおはん役の孝太郎は、旦那の不知火と愛人の房五郎に対する態度の変化をなかなか印象的に演じる。

最終的には不知火検校は数々の罪状でお縄に。縄をかけられて引き回される場面は、周り舞台を使った印象的な演出。ただ、不知火検校を「この人殺し!」「人非人!」と責めて石で打つ群衆役の大部屋俳優に、まったく迫力がない。

検校の権威にひれ伏していた民衆が、その権威がひっくり返ると掌を返して正義を振りかざし、石を持って検校を打つのが印象的な場面であり、だからこそ「てめえらみたいな、肝っ玉のない眼あきの能無しが、何を言ってやがる」と不知火検校が悪態をつくところが盛り上がる。群衆のリンチが盛り上がらないと最後のシーンでこの稀代の悪漢の凄みが出て来ないのだが。

大部屋俳優には、何も言わずに石だけ投げてたのが居たのはビックリ。普段はめったにセリフ無いんだから、こんなモブ・シーンこそ目立つチャンスじゃないか、なんで頑張らないんだ(笑)まあ、目立っても所詮「三階」だからどうしようもないという諦観だろうか。

切りの演目は「身替座禅(みがわりざぜん)」

小品ではあるが、ユーモア溢れる有名な松羽目物。仁左衛門は、地位も金もあり、しかし山の神が怖い大名を軽妙に演じる。逢引の後で陶然とフラフラと花道を舞台に帰ってくる風情は気品ある色気に溢れて見事に成立している。その後の、左團次演じる怖い奥方との出会いも軽妙にして面白い。立役が怖くてブサイクな奥方をやるからか、米吉も児太郎も普段より何倍も可憐に見えるなあ(笑)

歌舞伎座三月大歌舞伎昼の部を観た
仕事がバタバタしてすっかり間が空いてしまったが、とりあえず備忘のみ。

先週日曜の昼は、歌舞伎座三月大歌舞伎昼の部。「中村芝雀改め五代目中村雀右衛門襲名披露」。

最初の演目「寿曽我対面」は若手中心。江戸の庶民が大好きな曽我兄弟が仇討の敵と対面するという、昔から正月によくかかった人気の演目。新年の目出度い雰囲気を残しつつ、白塗りの殿様、赤っ面、女方、和事に荒事と、歌舞伎の様式美に満ちて襲名を寿ぐ狂言。橋之助は深く大きく、勘九郎は柔らかく、松緑は豪快に。扇雀、鴈治郎、友右衛門など襲名ならではの分厚い布陣。

舞踊「女戻駕」は、人形町の大火を経て、浅草郊外の何も無い処に建てられた新吉原の風情を残す書割が面白い。時蔵と菊之助が艶やかに。「俄獅子」は大門をくぐった廓の賑わい。鳶の頭と芸者連。梅玉の粋な鳶頭もよい。江戸の粋と情緒に溢れる舞踊。

ここで幕間。花篭にて「はなかご膳」で一杯。イヤホンガイドでは、新雀右衛門のインタビューがあったのだが、地声ながら、不思議となんとなく女形だなあと感じさせる声なのだった。

襲名披露演目「鎌倉三代記」は。菊五郎休演で菊之助が代演。凛々しくも美しい若武者だが、周りが大看板ばかり並んだ豪華な布陣の中では、一人だけ若干若さが浮くような。まあ急遽立った代打ちだからお気の毒。吉右衛門は実に軽妙に出て、「実は」井戸から再び現れると、今度は重厚で古径な大きさを見せる。上手いよなあ。一瞬にして衣装が変わるぶっ返し、そして美しき大団円の見得も見事。

最後は仁左衛門父子の軽妙な「団子売」。襲名披露独特の華やかな雰囲気を盛り上げて打ち出し。

「三月大歌舞伎 中村芝雀改め五代目中村雀右衛門襲名披露」を観た。
土曜の夜は、歌舞伎座で「三月大歌舞伎 中村芝雀改め五代目中村雀右衛門襲名披露」を観た。

20160306200342938.jpeg 20160306200447b86.jpeg

20160306200532b89.jpeg 20160306200609b5c.jpeg

最初は「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき) 角力場」。これは去年の平成中村座で彌十郎、獅童のコンビで観た。舞台は大阪の勧進相撲という設定だが、大相撲と歌舞伎には、用語や道具や興行の制度など、江戸の昔からあれこれ共通点があって興味深い。初日や千秋楽、打ち出し等という興行用語、相撲字と歌舞伎文字も似ている。拍子木の使用も共通。江戸の風情を今に残している部分が双方にあるのだった。

橋之助の濡髪長五郎は、放駒の菊之助と並んでも驚くほど大きいが、分厚い襦袢に高い下駄履き、床几に腰掛ける時には黒子が素早く高い台を尻の下に引く等、歌舞伎独特の舞台演出が効いている。しかし、演技も悠々たる分厚い大きさあり。

菊之助は昼の部、「女戻駕」に出て、「鎌倉三代記」に親父菊五郎の代演をして、夜のこの「角力場」では、つっころばし山崎屋与五郎と素人力士放駒長吉の二役と、なかなか大変なお勤め。まあ、親父の急病は仕方ないけれども。

山崎屋与五郎は、「じゃらじゃらした関西のつっころばし」と常に解説されるが、江戸時代の関西人の若旦那というのは本当にこんなもんだったのかね。勿論、大阪竹本座で上演された人形浄瑠璃から移された演目なのだから、関西直系の人物造形。まあ「河庄」の鴈治郎はんも、ネチネチ、スネスネ、グチグチやって、あれが上方和事の味と言われてますからなあ。

そして、「五代目中村雀右衛門襲名披露 口上(こうじょう)」

笑いを誘う寸劇などはなく、襲名記念の幕が開くと一列に錚々たる重鎮の幹部俳優、親戚の幹部俳優が着座しており、一人一人お祝いを述べる。所々で笑いを取るくすぐりも混ざるけれども、基本的には大変真面目な挨拶が大半。人が語る人物像こそがその人の真の姿だというが、芝雀の控え目ながら芸に打ち込む真摯な性格が、列席幹部の挨拶からじんわりと伝わってくる心温まるもの。舞台観ていても感じるが、真面目な人なんだなあ。

我當さんは後ろにずっと後見が付いていたが、きちんと挨拶を。ヨロヨロでもお祝いの席には列席する、役者としての性根と心意気は祝われる方にとっては嬉しいものだろう。

ここで昼の幕間。三階花篭、「襲名御膳」なるもので一杯。揚げ物は冷えてるなど弁当としての制約あるものの、それなりに整っており結構でござった(笑)

20160306200641533.jpeg

そして襲名披露演目、「祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき) 金閣寺」

歌舞伎「三姫」のひとつ「雪姫」を新雀右衛門が演じる。

「金閣寺」は、これまた昨年の平成中村座でも見たが、今回は襲名披露とあり幹部俳優多数出演の重厚な配役。幸四郎演じる松永大膳は、国崩しの怪異な迫力あり。仁左衛門の此下東吉、藤十郎の慶寿院尼、歌六の十河軍平実は佐藤正清、梅玉の狩野之介直信と実に豪華な布陣。金閣寺に満開の桜が豪華に散り、新雀右衛門の襲名を寿ぐにふさわしい華麗な舞台。

新雀右衛門は、芝雀時代と同様、実に真面目に繊細かつ丹念な演技。ただ、よい女方と思うけれど、華や艶はあんまり感じないかな。傾城の大夫花魁役には似合わない。三姫も午前の「鎌倉三代記」の時姫は還暦にして初役だと言う。親父の雀右衛門は女方は還暦過ぎてからだと言ってたとインタビューでもあったのだが、年取ってから良くなる部分も悪くなる部分も共にあるだろう。歌舞伎界全体の女方払底の影響が現れているような話。個人的にはこの人は真面目で端正な芸が感じられて好きだけれど。

最後は軽い舞踊、「関三奴」

勘九郎は一所懸命に迫力あり。松緑は三枚目で軽妙に。鴈治郎が、あの体型であんなに動けるとは知らなかった。役者は舞踊をしっかり稽古してフィットしてるんですな。


歌舞伎座「二月大歌舞伎」夜の部を観た
土曜日は、歌舞伎座「二月大歌舞伎」夜の部。

20160214115739e01.jpeg

一階席前方であったが、この日は運良く前列の前3人に座高の高い人がまったくおらず、実に平安に舞台を見渡せる。時折、信じられないくらい座高が高く頭が大きい人がいるからなあ。まあそれを責める訳にもゆかないが。

最初の演目は、「ひらかな盛衰記 源太勘當」。昨年八月の歌舞伎座納涼歌舞伎で、同じ狂言の「逆艪」の段が出た。題名のせいでもあるまいが、客席で船を漕ぐ観客が続出(笑)もともと動きに乏しくカタルシスに欠ける狂言という印象。

勿論、贔屓の役者が出演しているのを観に行くのなら十分楽しめるし、それもまた歌舞伎観劇の王道。しかし、歌舞伎を知らぬ者に「これぞ歌舞伎だ」という演目を見せようと言う時に、この演目は上がらないだろう。むしろ下から数えたほうがよい位の順位では。まあ、人形浄瑠璃から移されたからといって全てが古今の名作ではない。

もっとも、梅玉は気品高い武者として成立しているし、秀太郎も武家の奥方の貫禄と母親としての情をきちんと見せる。錦之助と孝太郎も良いと思うけれども、ストーリーに魅力がなあ。

20160214115856bc8.jpeg

30分の幕間は鳳凰で定番の「ほうおう膳」を頼んで一杯。季節折々の特別膳も良いが、「ほうおう膳」も内容が安定していて悪くない。まあ弁当としての限界もあるけれど。時間の成約あり、のんびりとは出来ないが、途中で一杯やるのも観劇の楽しみ。

次の演目は劇評でも評判であった「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」
 
幕の時間に劇場内は真っ暗に。そして一気に輝かしい照明が点くと、そこはもう目も眩むような桜満開で、夢幻のような吉原遊郭という演出がよい。吉原遊郭の桜は、毎年盛りの時期に全て植え替えて居た贅沢なものだったと読んだが、異次元の豪奢を尽くした、日常とは違う遊びの為の特別な空間。

真面目な商売人で金もあるが、痘痕面で田舎者の次郎左衛門が、まるで目眩がするように豪華な吉原と花魁道中に魂を奪われる様が実に印象的。悪所らしく、客を騙す悪い客引きが登場したり、「あんたのような格好では吉原では到底遊べないよ」と親切に諭す立花屋もリアルだ。

「見染の場」、菊之助の八ツ橋は、豪華絢爛たる花魁道中の真ん中にあって怜悧で冷たい美を見せるが、花道で突然に立ち止まり、妖艶に身体をくねらせて吉右衛門次郎左衛門に見返って微笑む。息を呑む「ファム・ファタール」魔性の笑み。菊之助は艶やかで神秘的に美しい。お上りさんの田舎者がテキメンに心奪われる様を吉右衛門は丹念に描いている。

遊びを知らなかった田舎者とはいえ、次郎左衛門は真面目な商人でお大尽。良い客として吉原遊郭に通い詰めるようになり八ツ橋に入れ揚げて行く。歌舞伎には、花魁に振られる「縁切り」物のバリエーションが多々あって、以前吉右衛門がその狂気を凄みある演技で見せた「名月八幡祭」が脳裏に浮かぶ。

彌十郎演じる釣鐘権八の憎々しげなロクデナシぶりがリアルでよろしい。八ツ橋の間夫、菊五郎演じる栄之丞は、決して悪人ではないのだが、二枚目で花魁に食わしてもらっているヒモでこちらもマトモな人間ではない。権八に八ツ橋が裏切ろうとしていると讒言されて遊郭に出向き、八ツ橋を詰問する。

八ツ橋にとってもどちらを騙そうとしたのではなく、深く考えることなく、身請けの話が進んでいたに過ぎない。花魁として派手な暮らしをしてはいても、所詮廓の中に囲われ、客を取らねばならない女郎であって、それはやはり苦界ではある。たとえ嫌いな男であっても身請けしてもらったほうが合理的な判断と思えるが、間夫に起請を返すとまで詰問されると、八ツ橋は、女郎としての境遇のまま間夫との恋に生きる哀しい決断をする。この菊之助は素晴らしく印象的。「助六」の揚巻が言う「間夫がなければ女郎は闇」が思い出される。綺羅びやかな廓の裏に広がる暗く深い闇と、そこで女郎がすがらざるを得ないほんの一筋の光。

吉原一の花魁の身請けを自慢しようと知り合いまで連れて吉原に乗り込んできた次郎左衛門と八ツ橋が対峙する「縁切りの場」。

八ツ橋を演じる菊之助には、既に苦界に生き続けることを決心した断固として凛々しい凄みあり。そこにはもう次郎左衛門の情は届かない。

間夫との恋を選んだ花魁に、身請けを決める日の万座の中でガチに振られるというのは、男からすると歓喜からどん底へと突き落とされるとんでもない落差の悲劇。吉右衛門は次郎左衛門の絶望を迫真に描き、絞りだすように語る「花魁、そりゃあんまりそでなかろうぜ」では場内が静まり返った。

八ツ橋の突然の変心に、廓の座敷に同席した女将や女郎、幇間など関係者全員が諌める場面も印象的。次郎左衛門がいかに遊び場で好かれた遊びっぷりのよい常連だったか、身請けが八ツ橋にとって良い話だったかを暗示して、この陥穽と悲劇の闇を際立たせる。旦那思いの治六も、絶望の縁の次郎左衛門に優しく気を配る九重も良い。芝居として筋がよく出来ており、そして今回上演でも脇に芸達者な役者が揃っている。

そして大詰めの「立花屋二階の場」。「また初会の客として遊んでくださいよ」という粋な態度で人払いをした後、八ツ橋に来訪の真意を打ち明ける地獄の底から聞こえるような声。「籠釣瓶は切れるなあ」と語り、ロウソクの火に刀身を照らしながら、魅入られたように妖刀を見つめる吉右衛門の狂気は凄まじかった。実に良いものを観せてもらった。今月の公演は二月だからか、結構空席あり。機会があればもう一度観るかな。巻き添えで斬られる廓の女中は以前、小山三が得意にしていた役とのこと。ほお。

最後の演目は「浜松風恋歌(はままつかぜこいのよみびと)」。時蔵と松緑掛け合いの所作事。花道から出る松緑は隈取にも迫力あるが、カラーコンタクト使ってるのかのように、えらく青い眼に見えてビックリ。もともと見開いた白眼が目立つ役者だが、その白眼が青味がかっている。あるいは目の周りに青を入れてるからか。化粧はした事ないからよく分からんねえ(笑)

「籠釣瓶」だけでも十二分に観る価値があった夜の部であった。

歌舞伎座「二月大歌舞伎」昼の部を観た
本日は、朝10時から「チケット大相撲」で大相撲三月場所のチケット争奪戦が始まる。普通は自宅のPCからアクセスするのだが、歌舞伎座「二月大歌舞伎」昼の部のチケットも取ってあり、11時には開演。最近は相撲人気で、なかなか発売画面まで接続できずに30分くらいネットで格闘することもしばしば。そうすると歌舞伎座の開演に間に合わない。

そこで、家を早めに出て、10時前に歌舞伎座付近まで移動。近辺の喫茶店でコーヒー頼んで、iPadで「チケット大相撲」に接続。しかし案の定最初の数分は全く繋がらない。さらに格闘して数分後にようやく見えた画面では、既に土日祝日の、桝一名二名席、そして椅子SS席は全て消えて無くなっている。あらま。

根気よくアクセスを続けると時折ポッとつながる時あり。その時点で、まだ土日の椅子S席には空きが。まず一日分を確保。しかしまた接続ができない状態に。数分後にようやくまた画面が見えて、もう一日分を追加確保。この時点で10時半近く。まあ大阪に二回遠征するだけでも大変なので、もうこれで良いやという事で、チケット争奪戦から離脱。すぐ近くの歌舞伎座まで。疲れたが、観劇前に一仕事した満足感あり。しかし一体何やってんだという気もしますが(笑)

20160207193652eba.jpeg 20160207193722923.jpeg

「二月大歌舞伎」昼の部。本日はかなり前、通路際の席なので出入りも楽で大変快適なり。舞台中央も良く見える。

お昼の演目は「通し狂言 新書太閤記」。吉川英治が描いた「新書太閤記」を歌舞伎の舞台に脚色した新作。筋書の上演記録によると、この前の上演が平成8年、その前が昭和50年と間が空いており、その都度脚色には大幅に変更があっただろうが、今回の台本も新しく書き下ろされたもの。新作は逆に、何代目の時はどうだったとか、なんとか屋の型がとかいうことがないので、素人でも気楽に見物できて助かる。

主演の菊五郎はほとんど舞台に出ずっぱり。戦国の世を、知略と胆力、人間的魅力と人たらしの手管で百姓から天下人にまで成り上がった秀吉を、目出度くも機嫌よく演じる。「新書太閤記」のエピソードを軸に、場面転換にもメリハリあり、舞台はテンポよく進む。2月の「ほうおう」に載った案内では「中国大返し」の場までとなっていたが、大詰めには「清州会議」が付け加えられている。

梅玉が織田信長。最近梅玉の殿様姿をやたら見る気がする(笑) 信長らしいかと言われると、若干そんな感じは薄いが、殿様役としては実に収まりがよく、きちんと完成している。「長短槍試合」、松緑の主水も印象的。

201602071937517d5.jpeg 20160207193817de9.jpeg

お昼の幕間は、花篭にて「春待御前」を食する。昼酒も飲んで結構なり。

「叡山焼討」の場、明智光秀を演じる吉右衛門は、台詞が入っていない。老獪な台詞術で難局を乗り切ろうとするも、ところどころ乗り切れてなかったような(笑) まあ何度も演じた古典ではなく、新たに書き下ろされた新作の台本覚えるのも確かに大変だろう。

ただ、菊五郎はほとんど出ずっぱりであるが、割とよく台詞が入っており、ところどころで?な所あるも、収まる所に収まって破綻しない。やはり主演として演出や台本に関わっていると覚えが違うのかもしれない。もっとも吉右衛門も幕切れ、恥をかかされた信長への謀反を暗示する憤激の表情はきっちりと締めて迫力あり。まあ昼の部は賑やかしの特別出演のようなものだから、夜の部に集中してるのかもしれないが。

「本能寺」の段。赤い照明とスモークで表された紅蓮の炎をバックに敦盛の一節が流れ、薙刀を持った菊之助の濃姫が印象的に成立している。梅玉も良い。信長かと言われると違う気もするが、それでもなお良いのだった。「清洲会議」では、錦之助のビミョーな「何か足りない」感が、結局家督を継げなかった織田信孝によく合っている。

他にも歌六、時蔵、左團次など配役は豪華。全般にどの場も、あれよあれよという間に秀吉にとってのハッピーエンドになり、気分よくサッサとストーリーが進み最後の切りまで。眠くなることもなく面白かったが、まあしかし、一度観たらもう良いかな(笑)打ち出しは3時20分前と、早目の終了で気分よく歌舞伎座を後にした。

=============================

帰宅して、「大相撲トーナメント」を録画で。

怪我しないよう、張り手やかち上げ、立ち合いの変化や足技、無理なうっちゃり等は暗黙の了解としてお互いにやらないので、本場所の相撲ほど力は入っていないが、それでも賞金がかかっており、引退相撲等で行われる花相撲よりは力士も真剣。ただ、やはり突き押し相撲には不利。御嶽海は白鵬相手にふわっと組んで、仏壇返しの大技を食らって投げ捨てられる。

白鵬は栃煌山を立ち合いにからかって勝つのが楽しくてしようがないんだろう。まともにやればまず負けないという自信の裏返し。トーナメントでは大嫌いな張り手が使われないから、本当は栃煌山も有利なはずなんだが。日馬富士は確か去年もそうだったが、お金がかかっているからか、結構大人げなくハッスルする印象。しかし決勝では白鵬に廻し取られて敗北。まあ叩きや突きなど手加減するから小兵には不利なのだよなあ。

ということで、大相撲ー歌舞伎ー大相撲という一日だった。大相撲大阪場所遠征では、前乗りして大阪で寿司屋行くか。北新地なら「ほしやま」、あるいは「おおはた」かな。



「壽初春大歌舞伎」夜の部を観た。
先週土曜日は歌舞伎座で「壽初春大歌舞伎」夜の部。大相撲本場所中に歌舞伎座夜の部を観に行くと相撲がリアルタイムで観れないのだが、そもそも勤め人であるからして土日しか休みないし、興業日程もほぼ重なってるから、相撲のある奇数月は止むを得ないのだよなあ。

20160118225008972.jpeg

前回昼の部は、最初の2演目終わるまで大向こう不在という異常事態だったが、今回は今日は初っ端から大勢大向こうがいた。鶏が絞め殺される必死なヘナチョコ声を出す爺様も。しばらく聞かなかったが、ちゃんと生きておったか(笑)

座席は前回同様4列目。しかし前にやたらに座高が高く、頭も大きいデブ男がおり、何故か10秒ごとに大きな頭を左に右に大きく傾けるのには往生したが、こればかりはコントロール不能なので仕方が無い。演目そのものは面白かった。

夜の部の演目は4本。最初は「猩々(しょうじょう)」

能由来の舞踊。いくらでも酒が飲めるなんて羨ましいな(笑) 新年にふさわしい目出度い踊り。松緑は隈取のある荒事の顔は実に凛々しくて良いのだが、白塗りの顔はちょっとアレな気がする。所作事はよく分からないが、梅玉が踊ると何故か新年の目出度い感じがするのも不思議。

次は、秀山十種の内 「二条城の清正(にじょうじょうのきよまさ)」。二条城大広間の場と淀川御座船の場。

「二条城の清正」は初代吉右衛門に当て書きされた、昭和初期の新歌舞伎。初代吉右衛門の孫である幸四郎が清正を演じ、その幸四郎の孫の金太郎が豊臣秀頼を演じるのも歌舞伎の歴史を感じさせる。左團次の家康は老獪かつ戦国を生きる武将の器の大きさを感じさせてなかなか印象的。金太郎も10歳とは思えないほどしっかりと台詞の多い役をこなしている。彌十郎もよかった。

清正の忠義は心を打つし緊張感もあり、実に分かりやすいお話ではあるのだが、演出がやはり古色蒼然として、台詞も長々として劇が若干間延びする感あり。新歌舞伎よりも、むしろ古典的な江戸時代の作品の方が長年に演出が練りに練られており、現代でも通じる気がするなあ。

幕間を挟んで玩辞楼十二曲の内 「廓文章(くるわぶんしょう)」、いわゆる「吉田屋」

「廓文章」は歌舞伎座での襲名披露公演でも見た。襲名した新ガンジロはんが、気持ちよさそうにタップリと、ネチネチ、ウジウジ、スネスネと、廓通いで身上を傾け勘当された若旦那を演じる。このウジウジ、スネスネも一種、上方和事の味だそうだが、ホンマかいな(笑) 個人的にはあんまり好きではないかな。

もっとも、襲名興行の時の夕霧は親父の人間国宝藤十郎で、これは天然記念物を見るような趣だったが、今回の玉三郎はキチンと廓の傾城として華やかに美しく成立している。日常世界とはかけ離れた豪華で眩いばかりの廓、その正月が実に美しい。金があってそこに美しい傾城がいたら、それは身上潰すほど放蕩しますわな(笑)当時の観客のある意味夢を投影した舞台なのだ。

夜の部、切りは「暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」いわゆる「直侍」。これも「吉田屋」同様男女の恋模様だが、こちらは江戸風味。

雪が降り、深々と冷える江戸入谷の寂しい情緒。昔は今よりも確かにずっと寒かったろう。染五郎は粋で色気があって凄みもある小悪党を印象的に演じる。江戸の悪党というと、髪結新三もそうだなあ。実際に舞台で蕎麦をたぐる演出もなかなか珍しい。雪が降った今日に観劇した人なら帰りに蕎麦屋に寄りたくなったのでは。まあ、歌舞伎座夜の部帰りに寄れる真っ当な蕎麦屋もあまり無いが。

中盤での花道の出、傘から前後に振りまく紙吹雪の演出も実に美しい。随所に江戸の粋が散りばめられている。


歌舞伎座「壽初春大歌舞伎」昼の部で観劇始め
土曜日は、本年の歌舞伎観劇始めに歌舞伎座昼の部に。結構団体が入っている。このところだいぶ前の列多し。まあこれはこれで見やすくてよいのだけれども。

20160110084354727.jpeg 20160110084429577.jpeg

昼の演目は4本。最初は、「廓三番叟(くるわさんばそう)」。能の「式三番叟」を廓バージョンにしており、あちこちにオリジナルへのオマージュとパロディがあるとイヤホンガイドで。しかし流石にオリジナルを知らないと判別できないな(笑)

孝太郎が登場した最初の瞬間は脳裏に「ぶらり途中下車の旅」がよぎるのだが(笑)しかし舞踊が始まると、そこには吉原一の傾城、千歳太夫が現出するのが歌舞伎と芸の不思議。種之助も印象的。ただ染五郎は不思議に印象薄かった。

二番目は、「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)鳥居前」。人形浄瑠璃から移された歌舞伎三大名作の一つ。今回は二段目のみの上演。

題名に義経とあっても実はあまり義経が活躍しない演目ではあるが、門之助の源義経は気品高く成立。橋之助は佐藤忠信実は源九郎狐を隈取も印象的な荒事で演じるのだが、顔がなにしろ大きいから見栄えがする。彌十郎の武蔵坊弁慶も見所あり。先月の児太郎は昼夜ともに印象的だったが、今回の静御前はどこか存在感が薄い。幕外の引っ込みから、狐手で花道を去る狐六法はなかなか面白かった。

ここで昼の幕間。しかし最初の二本には、まったく大向こうの声無し。なかなか珍しい。所作事は別として「義経千本桜」など大向うがかかりそうなもんだが、会の連中が居なかったのだろうか。大向うもある意味歌舞伎の華。木戸御免なんだから、もっと頑張ってもらいたいが。

20160110084508e75.jpeg

三階の「花篭」で「初春御膳」。鯛の昆布〆、海老、くわい、いくら、なます、黒豆などお節風味。なかなか豪華だがこのところ酒が続いており、飲み疲れ、食べ疲れで箸はあまり進まなかった。

幕間の後は、「梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり) 鶴ヶ岡八幡社頭の場」。吉右衛門の当たり役。春風駘蕩を思わせるゆったりした梶原平三景時。最後の「石切」も格好良く決まる。

歌六のオヤジは巧いもんである。芝雀もあまり艶は無いもののその心情がきちんと伝わる。試し切りされる剣菱呑助は男女蔵が演じて酒づくしの台詞で場内の笑いを誘うのだが、あれはあれでやはりおいしい役なんだろうなあ。

この演目から大向こうが出勤してきたからか、声がかかるように。大向うでいまだに不思議なのは、この日に限らず、いつでも「おた~や~」としか声を掛けないオヤジがいるように思えるところ。私の耳が悪いのかな。最後の演目「茨木」でも、確かに松緑は出ている。しかし玉三郎が花道で見得を切った時に「おた~や~」と聞こえるのだけども。私が聞き違えているのだろうか。

最後は「茨木(いばらき)」。新古演劇十種。羅生門で腕を切り落とされた鬼が老婆に化けて腕を取り戻しに来る物語。

渡辺源次綱を松緑が。その伯母真柴に化けた茨木童子を玉三郎が演じる。能面のような表情で現れる玉三郎は幽鬼の如き不気味さ。あそこまで不気味だと渡辺源次綱もさすがに不審に感じるのではとも思うが、後半の鬼との対比が印象的。松緑は役に似合っているが、若干印象薄いか。

真柴が腕を奪って去ってから、鴈治郎と門之助が士卒役で出て来て軽妙な掛け合いで客席を沸かせる。鬼の扮装へ着替える時間を稼ぐ一種のインターバル。鬼となって花道を去る玉三郎は実に不気味に成立していた。


歌舞伎座「十二月大歌舞伎」昼の部。
日曜日は歌舞伎座で「十二月大歌舞伎」昼の部。

市川中車がポスターに出るときは、大概汚い爺様の格好。血統からすると猿翁の直系であり無碍な扱いはできないが、40過ぎて歌舞伎の世界に入ってきた新参者。時代物や荒事で主役を張る事はできないが、新作歌舞伎や世話物で、汚い親父の役があれば、「ま、これを中車にやってもらうか」ということになってるのではないか。新参者に対する梨園のそこはかとない悪意を感じる(笑)まあご本人は覚悟の上だろうが。

最初の演目は「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)十種香」。人形浄瑠璃から移された時代物。

三姫の一つとされる八重垣姫を七之助が演じる。姫の気品と激しい情熱が交錯する印象的な人物像。腰元濡衣は児太郎。若干持ち切れない感あり。二人の間には松也の武田勝頼。開幕からしばらくして劇場内には香の香りが漂う。

長い芝居の一部分を切り取って出しているので、最後の幕切れはよく分からないが、とにかく終り。市川右近の謙信公は時代な大きさがあって印象的だが、十二月の出演は昼夜通じてこの場面だけなのがちょっと残念。

20151208171306a64.jpeg

ここでお昼の幕間。お昼なので軽めの「花かご膳」を。でも飲んでしまうんだなあ(笑)

次の演目は、木下順二 作坂東玉三郎 演出の「赤い陣羽織(あかいじんばおり)」。外国の民話を脚色したもの。

本筋にはあんまり関係ないが、馬がよく出来ているのには感心。玉三郎からは「歌舞伎から離れろ」と演技のアドバイス貰ったらしいが、中車のお代官は実に滑稽に成立している。ただしまあ新作だから、ごく普通の演劇に近く、中車も力が発揮できるだろう。つけまつげと化粧で、おやじが誰で代官が誰なのかさっぱり分からないが(笑)

音楽も下座音楽ではないし、確かに歌舞伎という感じがしない演目。演者が客席を走り回ったり、二階桟敷に現れたりして手拭を巻くなどの演出も奇抜で面白い。客席も沸き、大いに笑った。

最後の演目、「重戀雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)」は舞踊劇。関守がいて、桜の木の妖精が出てくるというのは、なんだか記憶にあるなあ、と最初に思ったが不覚にも睡魔が襲ってきて、ところどころでウトウト。舞踊劇はやはり見方が分からないねえ。

後で過去ブログを調べると、今年の二月にも幸四郎、菊之助で同じ演目を観ていた事を発見。記憶悪いね(笑)その際も、どうも前半部分はあまり感銘を受けなかったようだ。常磐津が台詞を語るというのも眠くなる要因なんだよなあ。

松緑は関守の時は軽妙な演技と舞だが、「国崩し」の大伴黒主たる正体を現してからは古径で怪異な大きさがあり、実に印象的。今月は昼も夜も立役は松緑がしっかりと締めた。松也にとっては実においしい公演だったと思うが、そんなに強い印象は受けなかったなあ。

玉三郎の桜の精は、実に妖艶で美しかった。一瞬にして引き抜きの技で衣装がはらりと変化する部分も見ごたえあり。最後の見得もきっちり決まる。

これにて本年の歌舞伎納め。もう年の瀬だ。

歌舞伎座「十二月大歌舞伎」夜の部
土曜日は、歌舞伎座「十二月大歌舞伎」夜の部に。

20151208171337b76.jpeg

「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」の、「杉酒屋(すぎざかや)」、「道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)」、「三笠山御殿(みかさやまごてん)」の場面を通しで上演。

舞台は大化の改新の頃の上代。もっとも庶民の町屋の部分は江戸の風俗がそのままでみんな丁髷というこれは歌舞伎のお約束。

座組は花形歌舞伎かと思うほど全体に軽いが、玉三郎が、若手女形から七之助と児太郎、若手立役から松也を選んで重要な役を演じさせ、最後だけ自分で締めるという公演になっている。大変だろうが、確かに玉三郎が大詰めの幕で出て来た時の空気感は比類ないもの。

「杉酒屋」では、庶民の娘とお姫様の恋の鞘当てを七之助と児太郎が演じてなかなか印象的。歌舞伎に出てくる女性は常に積極的で男性に対して「好きです」「好きです」と迫るのだが、このような「クドキ」は昔の観客に大いにうけたのだろう。松也は大役なのだが割と存在感がない。まあ元々がそんな役とも言えるけれども。

中車の息子、團子が実に達者に丁稚子太郎を演じて客席を大いに沸かせる。親父も熱心に仕込んでいるのだと思うが、子供の頃から特訓し過ぎるとヘンに悪達者に小さく固まってしまうような気も。大名題の後継ぎ達も、最初は嫌々色んな習い事や稽古をやり、辞めるか続けるか、自分の将来を思い悩んでから、最後に歌舞伎役者として生きる道を自ら掴み取ってきた訳だからなあ。

「道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)」は所作事。しっとりと口説いたり口説かれたり、後から追ってきた町娘お三輪と橘姫が烏帽子折求女を取り合っていがみ合うところも歌舞伎独特の様式美で見せており、実に面白い。

20151208171230f25.jpeg

ここで35分の幕間。花篭で「冬の彩り御膳」なるものを。何と比較するかで評価は違うだろうけど、月替わりの新企画でなかなか頑張っている。ただ、毎月値段が上がってる気がするのだが(笑)

幕間が終わると2時間近い「三笠山御殿」の段となる。この段からお三輪は七之助から玉三郎に。役者が変わっただけで舞台に重みが増し、七之助よりも玉三郎のほうが純情可憐に見えるという歌舞伎の不思議。

荒くれの漁師鱶七は、松緑が実に印象的に演じる。朗々たる声も張りがあり、眼光も鋭く押し出しあり、かつ稚気と愛嬌もある。義経よりもやはり、時代な荒事の印象を残すこの手の役のほうが松緑には合っているよなあ。

愛する男に裏切られたと知った憤激と「凝着の相」、しかしその男が実は高貴な生まれであり、自分の死がその男を助けるために役立つのだという事を聞かされた時の歓喜。政治的な背景など何も知らず、純真に愛だけを求めて運命の糸に導かれた哀れで可愛い女を玉三郎が印象的に演じている。

豆腐買おむらは、市川中車が初めて女形をやるという「ご馳走」。色々やらされて大変だろうが息子も歌舞伎界に入れており、親父の踏ん張りどころなのだろう。


「吉例顔見世大歌舞伎」昼の部を観た。
先週の三連休最終日の月曜、「吉例顔見世大歌舞伎」昼の部に。席は中央4列。ちょっと前過ぎる気もするが、あまり選択肢が無かったから、まあ仕方ない。

201511252021142ed.jpeg 2015112520220403e.jpeg

最初の演目は、「源平布引滝 実盛物語(さねもりものがたり)」。去年の歌舞伎座でも菊五郎の実盛で観た。

切られた小万の腕はその養父が釣り上げる。小万の腕を切った実盛が詮議に訪れるのは奇しくもその小万が育った家。そして小万は、同行した瀬尾がその昔に捨てた娘。自らの切られた腕を追い掛けるように運ばれてくる小万の遺体。源氏の白旗を巡り、因縁と運命の輪が巡る義太夫狂言。

筋書きによると、今回が初役の染五郎は吉右衛門に習ったのだとか。生締の凛々しくも爽やかな実盛。亀鶴の瀬尾十郎は、声量もあり、赤っ面の太い迫力あり。手柄を立てさせるため、わざと孫に腹を刺させる場面で、これでよいのだという贖罪の恍惚も印象的だし、荒技の「平馬返り」も見事に決まる。昨年の実盛では瀬尾は左團次だったから、この荒技は無理なのであった。しゃがんた格好から切る一種のトンボであるからやはり運動能力のある若いうちでないと出来ない。

全体に若い配役の中で小万の秀太郎だけが重鎮。子役はよく仕込んであり、義太夫に合わせての台詞もこなす。武士となったのだから母の仇を討つという太郎吉に、お前が大人になったら、合戦で討たれてやろうと約束する実盛は、遠い未来のその場所も自らの首が洗われる池の場所も幻視している。SF的な香りもするシュールな場面も印象的な狂言。

ここで30分の幕間。花篭で「秋の吹き寄せ御膳」を。なかなか結構。

20151125202240832.jpeg

二つ目の「若き日の信長」は大佛次郎が11世團十郎にあて書きした新歌舞伎。殿様の跡継ぎだが、人々に受け入れられず、うつけ者と呼ばれる若き日の信長を海老蔵が演じる。歌舞伎の名家に生まれた御曹司であるが、周囲に溶け込めず、遊び呆けて六本木で怖いのに殴られた実像の海老蔵とも重なって、割と本人も素でやれるのでは(笑)

死をもって信長を諌めた平手中務政秀は左團次。死の前の遺言に一字でも間違いがあると笑われると深刻に遺書を書く様子もなかなか印象的。実生活の海老蔵もこのように諫言してくれる者がいればよかったと思うけれども。

夜の部の「河内山」では、本人も音で覚えているだけで台詞の意味が分かってないのではと若干気になるほど台詞が上滑りする印象なのだが、新歌舞伎だと台詞がほぼ現代劇と同じ。なので海老蔵の口跡も極めて分かりやすい。純真なうつけ者から血まみれの戦国を智謀で生き延びんとする武将への変貌。全体として海老蔵の地でやれる当り役。

最後は「御所五郎蔵」

ストーリーの面白さはあまり無いように思うのだが、河竹黙阿弥による流麗な台詞と江戸情緒あふれる歌舞伎の様式美に満ちた見得が眼目。

「おお、菊五郎が元気に出てるねえ」、「左團次も頑張ってるねえ」ということを寿ぐ演目というか。序幕の終わりに仲裁役でちょっとだけ出る仁左衛門も観れてお得な気分。魁春は年寄りだと思ってみると年寄りなのだが、廓の女だと思ってみると妙に美しい時がある。歌舞伎の不思議だ(笑)

最後のほうは、大詰めでもうそろそろ時間だし、どうやって終わるのか心配になっていたら、「ちょんぱ」でいきなり終わり。なるほど。


歌舞伎座、「吉例顔見世大歌舞伎 十一世市川團十郎五十年祭」夜の部
日曜日は歌舞伎座、「吉例顔見世大歌舞伎 十一世市川團十郎五十年祭」夜の部に。次の年の興業に出演する大物役者勢揃いで、前年11月に予告として打つのを「顔見世」興業と昔から称したらしい。

20151102090256a57.jpeg

4時に到着したがまだ昼の部の観客がゾロゾロと出て来ている状態で、入場開始は4時10分くらいか。4時半開演だから結構慌ただしい。上演時間見ると昼の部の打ち出しが3時58分だから確かに4時に入場開始は無理だ。

20151102090323722.jpeg

取った席は一階、西側桟敷席と花道の間。この辺りの席を「ドブ」と称する。なかなか言い得て妙ですなw 初日の観劇にこだわった訳ではないのだが、11月は予定が立て込んでおり一階前方に空きがあったのがこの日だけ。それがドブ席だったので、まあ仕方ない。

そういえば海老蔵「勧進帳」の時もこの辺りで観た。「勧進帳」は義経主従の花道での登場や最後の飛び六法など、「ドブ」席でもまあまあ見所あり。舞台中央にはちょっと遠いけれども。

最初は「江戸花成田面影(えどのはななりたのおもかげ)」

十一世市川團十郎五十年祭にあたり、孫である海老蔵の長男堀越勸玄が初お目見得する舞台。藤十郎、仁左衛門、菊五郎の大看板に海老蔵とも親戚である同世代の染五郎と松緑、そして成田屋一門も勢ぞろい。成田屋と関係の深い深川不動を舞台に、江戸情緒と共に成田屋の御曹司の初お目見得を賑やかに寿ぐ祝祭。

舞踊の後、仁左衛門が「そろそろ成田屋さんも来るはずだが」と言うと、堀越勸玄が海老蔵に手を引かれて花道から登場。万雷の拍手を受ける。名家に生まれた男子は、生まれた時から御曹司として歌舞伎界での将来が約束される。歌舞伎はやはり血統が物を言う特殊な世界だ。

舞台中央で海老蔵の口上の後で本人の挨拶。実際の舞台では何を言っているのか分からなかったが、後でTVのニュースで字幕見て「堀越勸玄でござります」と言っていたのだと納得。まあまだ2歳8カ月だからなあ。

大向こうの声も賑やかにかかっていた。以前よく聞いた、「にゃわや~!」と鶏を絞め殺すか細い悲鳴のようなヘナチョコ声を出す爺様が久しぶりに。最近とんと声が聞こえないのでひょっとしてと思ってたが、ご健在だったとは(笑) 他の人が掛けるタイミングだと自分の小さい声がかき消されるからか、変わった所で絞り出すような必死の声を出すのも以前のまま。声が出なくなっても大向こうを止められない。人間の老残と業というものを深く考えさせる何かがあの声にはある。大きなお世話だが(笑)

最後は観客も参加して手締めで終了。別に成田屋贔屓じゃないけれども、お目出度い門出を眼前に観た満足感あり。

20分の幕間。一階の売店で生ビール買って一杯やっていると、複数入っていたTVクルーはここで帰って行く。映像は夜のニュースと明日昼のワイドショーで使うのだろう。

「元禄忠臣蔵(げんろくちゅうしんぐら)仙石屋敷」

赤穂浪士討ち入りの一件を取材して、真山青果が昭和初期に書いた「活歴」物。最後の段である「大石最後の一日」は、以前に幸四郎で観た。

この仙石屋敷の段は、赤穂浪士達が討ち入りで本懐を遂げた後、大目付に使者を立て、自らの意志で幕府の裁きを受ける為に出頭する部分。ほとんどが会話劇なのだが詮議の質問に対して答えるうちに、討ち入りの様子と赤穂浪士の覚悟が緻密に描写されてゆくという趣向。

大石内蔵助を仁左衛門が堂々たる風格で演じる。詮議を続けるうちに赤穂浪士達の主君を思う忠義に心打たれる仙石伯耆守を梅玉。梅玉は最初の「江戸花成田面影」でも踊るし、打ち出しの「河内山」にも出演しているから大変だ。若干台詞が入ってない部分があるように見受けたが老練な台詞術で乗り切る。

屈辱を受け、吉良を切り捨てようとした主君は取り押さえられ、その刀はほんの少し届かなかった。それがどれだけ無念だった事か。その無念を我々が晴らしたのだという大石内蔵助の台詞は胸を打つ。浅野家お家断絶の後、討ち入りには参加せず離れていった家臣たちにもそれぞれの人生があったのだと振り返る部分も印象的。

息子である大石主税を演じるのは史実と同じ15歳、仁左衛門孫の千之助。難しいが未練なく立派に死ねと諭す今生の別れ。最後に花道を去る仁左衛門も威風堂々として鮮やかに成立していた。

20151102090343412.jpeg

30分の幕間は、花篭で「秋の吹き寄せ御膳」。なかなか豪華である。

次は「歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)」

昨年11月の「吉例顔見世大歌舞伎」では染五郎41歳にして初めての弁慶役に挑戦する「勧進帳」が上演されたのだがその時の富樫は親父の幸四郎、義経が叔父の吉衛門。今回は親子役柄を交換し、染五郎が富樫に回り、幸四郎が手慣れた弁慶役。義経が松緑というのがちょっと珍しいが、十一世市川團十郎の縁戚でもあり、追善にもふさわしい配役。ただやはり虚心に観ると松緑に義経の感じはしない。眼力があり過ぎ、ギラギラしているところがあるからだろうか。もっとも本物は武将であるから、ギラギラしてたかもしれない。歌舞伎「勧進帳」の義経造形がお公家さん風になり過ぎなのかもしれないが。

「元禄忠臣蔵」では仁左衛門と孫の千之介。「勧進帳」では松緑と息子の左近。幸四郎と息子の染五郎。それぞれの家の血統は複雑に絡み合っているが、高麗屋三兄弟から派生した親戚は実に数多い。歌舞伎はやはり血の承継だと感じさせる。

染五郎の富樫は実に清々しくも立派。弁慶役を経験した余裕が反映しているのではないか。幸四郎弁慶はDVDで観た事があるが生で観劇するのは初めて。安定感のある立派な弁慶であるが、鳴り物が静まった最後幕外の引っ込みでは、幸四郎の荒い息使いがはっきりと聞こえる。衣装も重かろうし踊りもあるし、やはり弁慶は大変な役だ。

天衣紛上野初花
「河内山(こうちやま)」 松江邸広間より玄関先まで

十一世市川團十郎の当り役の一つを孫の海老蔵が初役で演じる。筋書きによると、海老蔵は仁左衛門に指導受けたとのこと。

結構長く台詞劇が続くが、海老蔵の台詞は何故か素直に頭に入って来ないところあり。動きもあまりなく単調で持ち切れない感じがする。「元禄忠臣蔵」は仁左衛門の語りの魅力で最後まで引っ張るのだが。海老蔵は会話劇の部分で台詞が上滑りするので、最後のカタルシスまで弱く感じるような印象。

十一世市川團十郎が河内山宗俊を演じて高笑いする写真が筋書きにあるのだが、これが当代の海老蔵にそっくり。花道を去る堂々たる姿は、悪漢の魅力に満ちて大変に見栄えがするのではあるが。

打ち出しは9時過ぎ。夜の部は演目があれこれあって面白かったが、日曜の夜に打ち出しが9時過ぎるとちょっと長くかかり過ぎる気もする。



芸術祭十月大歌舞伎、昼の部を観た
先週の土曜日は、歌舞伎座昼の部。

20151017182514255.jpeg 20151017182539512.jpeg

花道すぐそばの席。花道が近ければ舞台中央はちょっと遠い。席はどこでも一長一短か。前列斜め前の老夫婦が年齢割にはどちらも相当な「座高の実力」あるタイプで、しかも時として前のめりになったり頭を寄せ合ったりするので舞台中央が見えなくて往生したが、まあこればかりは運だから。

「音羽嶽だんまり(おとわがたけだんまり)」は、花形連が演じる歌舞伎の様式美に満ちた舞踊劇。だんまりは真っ暗闇で相手を探りながらのゆっくりした動きを表す歌舞伎独特の演出だが、松也、梅枝、萬太郎、尾上右近、児太郎、権十郎が賑やかに舞台全面に広がって、次々位置を変えて行く。 幕外の引っ込み、松也最後の飛び六方は、割と変わった所作だが、花道横で見たのでなかなか迫力あり。

20151017182602458.jpeg

20分の幕間を挟んで、二世尾上松緑二十七回忌追善狂言、「歌舞伎十八番の内 矢の根(やのね)」は、二世松緑の孫、当代松緑が曽我五郎を演じて奮闘。白目がちで独特な眼力の鋭さが、荒事の豪快な出で立ちに不思議によく合っている。紅楳白梅が散りばめられた舞台で正月のおせち料理を入れ込んだ「つらね」はお目出度い演出。もともと新春の公演でよく出るらしいが。五郎の夢の中という設定で上手より曽我十郎役の藤十郎が人形の如く登場。ほんの短い間だが追善に華を添えて客席は沸く。

ここで35分の幕間。三階の花篭にて「はなかご膳」で一杯。

20151017182625384.jpeg

「一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)」は、去年の歌舞伎座、吉右衛門でも観たが、今回の仁左衛門は、また独特な、公家風で高貴な雰囲気を残す作り阿呆ぶりが実に印象的。ふと見せる素顔の雅な所と品のある作り阿呆の対比が面白い。吉右衛門は最後に切り落とした首を放り投げて弄び、心を侵食しつつある狂気をも鮮やかに見せるが、仁左衛門バージョンはまた違った感興を残す。

ここでまた20分の幕間。夜の部とは違って幕間が多いな(笑)

昼の部最後は「人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)」。落語に題材を取る気楽な世話物。菊五郎が手慣れた軽妙さで演じる。博打に狂い借金漬けになった親父を救おうと吉原に自ら身を売ろうとする娘、孝行心に感心して親父に金を貸し返済を期限付きでまってやる置屋の女将、集金の金を失くし死のうとしている手代を助けようとせっかく用立てて貰った金を投げつけて去る親父。

悪人は誰もおらず、あれよあれよと話が進み、最後は絵に書いたようなハッピーエンドというのが、お昼の切りには実に良かった。

「芸術祭十月大歌舞伎」夜の部
土曜日は歌舞伎座、「芸術祭十月大歌舞伎」夜の部に。二世尾上松緑追善公演でもあり、孫の松緑が昼も夜も大きな役を演じる。

20151004155517b54.jpeg

タクシーに乗ると運転手がこの週末は随分と人出が多く、朝に高島平への客を乗せたら道路が大混雑で大変だったとの事。まあ秋の行楽シーズンという事か。運動会なども行われているはずだが、私は歌舞伎へと(笑)

夜の部開場前の歌舞伎座は普段より一段と人が多い。入場しても随分と団体と思しい人でごった返している。食事予約精算も長い列。なんだか珍しいな。秋の行楽シーズンだからか。

座席は1階A3ブロックの4列目。舞台は実に迫力を持って見える。逆に舞台を俯瞰するには近すぎる感も。席というのはどこでも一長一短あり、前に座った他の客にも影響されるので、なかなかどこが一番というのは難しい。

最初は「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)。いわゆる「阿古屋」の段。 平家残党狩りの最中、七兵衛景清の愛人、遊君阿古屋が詮議にかかる。詮議の指揮を執る重忠は、拷問を避け、阿古屋に琴、三味線、胡弓を順に弾かせその音色で詮議しようとする。いわば裁判音楽劇。

赤っ面の岩永左衛門、亀三郎は浄瑠璃人形を模した「人形振り」。人形のように動く造り物の眉と人形のような動きが面白い。ここまで徹底して模していなくても、人形浄瑠璃から移された義太夫狂言では、人形の影響ではと思える動きが時としてある気がする。秩父庄司重忠を演じる菊之助は、品格あり凛とした人物をしっかり演じているが、玉三郎が主役のこの段ではやはり脇役に過ぎない。

玉三郎花道の出と舞台正面での見得は大変に華麗で優美なもの。一番の見所、聞き所は、玉三郎が実際に、琴、三味線、胡弓を演奏する部分。正面やや下手で演奏するのだが、座った席から玉三郎がほぼ正面間近に見えて実に迫力あり。

勿論、歌舞伎役者であり楽器演奏のプロではないのは当然だが、いわゆる素人の技という範疇は優に超えている。立女形としては歌右衛門が得意にしていた役だそうだが、大変な苦労で練習するのではないか。

三味線の伴奏と合わせた琴の幽玄な音色に合わせて玉三郎の物悲しい歌が響くと、客席は咳き一つ聞こえない静寂に包まれる。そして次の楽器は三味線。昔々にエレクトリック・ギターの速弾きなど練習していた経験から類推すると、三味線は、運指とバチのピッキング(って言うのかなw)の組み合わせで何種類ものテクニックがあるようで、左手の指で弦を弾いて音を出す奏法等ギターに共通する部分もあり演奏を見るだけでも興味深い。伴奏の三味線と大部分はユニゾンで、時には掛け合いのように演奏を繰り広げる。所々ちょっとリズムを取るのに苦手な節があるようには感じるが、他の歌舞伎俳優の誰があそこまでやれようか。

最後の胡弓は伸びやかな音。ほとんどミスを感じさせない演奏で、誠に圧巻。竿を左手で回転させて弦に当てる角度を変えている奏法など、なかなか興味深い楽器だ。言葉の説明ではなく、楽器の演奏と歌そして演技だけで、阿古屋が確かに嘘をついていないと納得できる場面が成立していた。玉三郎恐るべし。他にこの演目をやる立女形が、いずれ出てくる可能性があるだろうか。

40分の長めの幕間。花篭で「神無月御膳」で一杯。松茸、銀杏、栗など秋の味を配した吹き寄せの一皿、御飯はキノコ御飯と秋の雰囲気。

20151004155639cde.jpeg

続いて「梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)」。いわゆる「髪結新三」

二世松緑の追善演目。二世の当り役だった江戸の粋な小悪党、新三を孫の松緑が初役で演じる。冒頭には仁左衛門も追善供養の出演で万雷の拍手を。

当代の松緑は眼力鋭く、永代橋での番頭忠七足蹴や弥太五郎源七親分との対決では、くっきりとエッジの効いた悪党の凄みあり。反面、軽みには若干欠け、勘三郎のような、ワルなのだが人を惹きつける、粋な悪党の愛嬌や色気までは出ていない感あり。大家との軽妙な掛け合いでは、左團次のとぼけた味のほうが目立つ。元々、松緑は下剃勝奴のほうに合ってるような気もする。

勿論、まだ始まって間が無いし、この辺りはこの後修正されてゆくはず。松緑は、着物の脇見ても、緊張があったのか、随分と汗をかいていた模様。ブログ読んでも、元々が陰々滅々と考えこむ真面目な人なのではないかと思うのだが、全体として狂言そのものの面白さもあり、「髪結新三」としてきちんと成立していたと思う。

丁稚役で松緑息子の左近も登場して客席の暖かい拍手を受ける。初夏の江戸の粋を描く世話物でもあるが、カツオ売りには菊五郎御大自ら天秤棒を持って登場し万雷の拍手を。一門の松緑が爺様の追善する公演の賑わいに、興を添えるために端役のカツオ売りで出てやる。菊五郎親爺の粋な心意気ですな。

最後は髪結新三と弥太五郎源七の閻魔堂橋元での立ち回り。ここで舞台が明るくなり、いわゆる「ちょんぱ」の終わりだが、口上には移らず、そのまま立ち回りを続けるうちに幕が引かれて打ち出し。

201510041556561ef.jpeg
20151004155719b61.jpeg 2015100415573994e.jpeg

本日は深川辺りをブラブラ散歩。門前仲町から清澄通りを北にちょっと行くと、そこが昔の閻魔堂と閻魔堂橋があった辺り。小さな公園には「髪結新三」の一場面が描かれたパネルが。しかし、昔の閻魔堂はコンクリートになってしまったし、永代橋も巨大建築で落ちそうにないし、深川から船で鉄砲州の船宿に飲みに行くなんて風情も消え果ててしまったのではあるが。


歌舞伎座秀山祭九月大歌舞伎昼の部
土曜日は歌舞伎座秀山祭九月大歌舞伎昼の部を観た。

タクシーに乗って歌舞伎座に向かっていると警察がスピード違反の取り締まりをしている。速度を出すと危ない場所ではなく、警察が隠れて捕まえやすい場所でやっており、本来、交通安全には一つも役になっていない。しかもシルバー・ウィーク初日。運転手によると、浮かれて外出したり地方から車で来て不案内なドライバーを狙ってるのだとのこと。こんな取り締まりで捕まっても、安全運転しようと思うより、ただ警察が嫌いになる効果しかないけどねえ。運転手によると、昔は対向車線の車がパッシングで教えてくれえたもんだが、最近はめっきりそんな事も減って、人情薄くなったねとの事であった。

昼の部最初は、双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)。上方で成立した世話物浄瑠璃を歌舞伎に移したもの。廓の傾城、藤屋吾妻を芝雀、藤屋都を魁春と女形の揃い踏み。舞台が転換して、新清水寺舞台を背景にした梅玉の宙乗りが珍しい。ケレンというよりも、のんびりホワーンとした陶然の風情で宙を漂うのがまた一興。

ここで30分の幕間。花篭で「ほうおう膳」で一杯。のんびりしていたら開演5分前で、ちょっと慌てた。

「新歌舞伎十八番の内 紅葉狩(もみじがり)」。能の「紅葉狩り」は以前NHKで放映されたのを観たことがあるが、この能を参考に書き下ろした歌舞伎舞踊劇。舞台一面の紅葉は秋の雰囲気。腰元や侍女がずらりと並ぶ華やかな舞台。常磐津、長唄、竹本が三方掛け合いをする趣向も実に豪華。

染五郎の更科姫は、立役が赤姫のつくりという面白い趣向で、最後は戸隠山の鬼女への変化も面白い。松緑も舞踊となる後半は実に印象的。山神役の金太郎はキビキビとして達者。ただ若干線が細い気がする。高麗屋を背負って立つ御曹司なのだが大丈夫か。歌舞伎の家に生まれるというのもある意味大変だ。

最後の演目は「競伊勢物語(だてくらべいせものがたり)」。風邪気味で体調が段々と悪化してきて二時間という大作は結構しんどかった。

娘信夫/井筒姫を演じる菊之助は妖艶にも美しい。又五郎とのだんまりの絡みも印象的。染五郎とのやり取りもよい。秀山祭とはいえ紀有常役の吉右衛門が登場するのは昼の部では最後のこの演目の後半だけであるから、案外に出番が少ない。

所々話の段取りに飛躍がある気もするが、後半は吉右衛門が貴族としての凛とした振る舞いと、都を追われた時の百姓家暮らしを懐かしむゆったりしたところの対比が滋味深く演じて印象的。東蔵は婆さん役が巧いなあ。

打ち出しの後で夜は「新橋鶴八分店」へ。
歌舞伎座 「秀山祭九月大歌舞伎」夜の部を観た
土曜日の夜は歌舞伎座に。秀山祭九月大歌舞伎夜の部、「伽羅先代萩」の通し上演。

20150915144658978.jpg 2015091514472200b.jpg

序幕の「花水橋」は実に短い幕で後の筋書きとあまり関係は無い。物語の題材、伊達家お家騒動の発端となった殿さまを亡きものにしようとする陰謀が描かれる。香木伽羅の木で履物を作って廓に通ったというエピソードが題名に反映しているのだが、梅玉がゆったりと雅やかで派手に放蕩をしているもののどこか品のある殿さまを演じて印象的。

5分の幕間があって「竹の間」。この前観た歌右衛門の「歌舞伎名作撰 伽羅先代萩 」 DVDでは「竹の間」は収載されていなかったが、御殿女中が大勢出る煌びやかな「奥」の風景。鶴千代君を守ろうとする政岡を陥れようとする陰謀が描かれて次の「御殿」の背景となる。菊之助の沖の井は、凛とした立ち振る舞いでなかなか印象的。子役はよく訓練されている。偉いもんである。

ここで30分の幕間。

201509151447501fc.jpg

3階花篭で「長月御膳」。内容的には特筆すべきもの無く同じ値段なら「ほうおう膳」のほうがよいなあ。

幕間後が「御殿」。伊達藩お家騒動は有名な題材で様々な芸能で扱われており、この場面は人形浄瑠璃から逆移入されたとのこと。義太夫の語りに乗って演じる部分も多い。そういえばDVDの歌右衛門は、動きが心なしか人形浄瑠璃に寄せているような気もした。

子役二人と玉三郎だけが舞台で長時間演じる「まま炊き」は、子役もよく訓練されており丁寧にやるのだが、所々で船を漕ぐ客あり。歌舞伎での子役の発声は一本調子の甲高い声で、これは無駄な演技を排して誰にでもできるように設計されているのだとは思うが、延々と掛け合いでやられるとちょっと退屈でDVDの歌右衛門観ても何度も寝てしまった(笑)。

食物による毒殺を恐れた乳母がお茶の釜で米を炊くという場面。歌舞伎の演出として、本格のお茶の手前を見せる必要など無いとは思うが、そもそもの段取りが長いので、玉三郎の存在感あっても若干持ち切れない部分も。しかし今回の歌舞伎座では私自身は眠くならなかった。歌右衛門DVDでも米を研いだ後に水加減しないので不思議に思っていたが、あれは最初から沸いた湯に米を投入する「湯取り」で炊いているのだとはイヤホン・ガイドによる豆知識。なるほど。

その後、一子千松が主君を守るためにわざと菓子を蹴散らし、八汐に惨殺されるくだりは、大変に印象的。歌六は、憎々しげな悪女を凄みと共に演じている。義太夫の語りに乗って演じる部分も多いが、政岡の忠義と母親の心がせめぎ合う場面では、リアルさとも、伝来歌舞伎の型という様式美ともつかない、玉三郎にしかない独特の計算と感性を感じて圧巻。

「床下」は打って変わって江戸荒事の芝居。煙が出てスッポンからドロドロと怪しくも登場する吉右衛門の仁木弾正は、実に怪異で時代な大きさを感じさせ、最大級の悪玉の貫禄充分。面あかりと共に、雲間を行くが如き歩き方で消えて行く幕外の引っ込みも実に印象的。松緑の荒獅子男之助も短い登場ながらきちんと成立している。取った席が上手過ぎたがもう少し花道寄りで観たかったな。

15分の幕間挟んで「対決・刃傷」。ここでも、吉右衛門の仁木弾正は鮮やか。しかし何故か声はあまり大きく響かないね。体調の問題か。歌六は、憎々しげな逆臣側の八汐と、忠臣である外記左衛門、対象的な二役を演じて大奮闘。染五郎の細川勝元は弁舌爽やかに大逆転の評定をするのだが、カラッとし過ぎて仁木弾正と凌ぎを削る迫力には若干欠けるかな。

ただ、仁木弾正に止めを刺したものの、自らも腹を刺されて息も絶え絶えの爺様、外記左衛門に家督相続を許す書状と駕籠も用意して褒め称えるのはよいが、自分が謡うから「一差し舞いたまえ」と言うところは実にKYなひどさ(笑)。出血して重症の爺様が踊ったら死んでしまいますがな。いや、あれは結局最後幕が閉まる処で息絶えたという演出なのだろうか。

全般に渡って実に面白かった。五代目菊五郎が息子の誕生の連絡を電話で聞いた時「仁木弾正ができる顔か?」と訊いたと言うエピソードは有名だが、弾正は悪漢なるも、威風堂々として格好良い、座頭が勤める実に「おいしい」役なんですな。打ち出しは9時15分頃。変則的な幕間だったが通し上演するとやはり時間が長くかかる。



歌右衛門のDVD「伽羅先代萩」を観た。
歌舞伎座夜の部に行くのは来週だが、本日お昼に、事前の予習に以前買って放置してあった歌右衛門のDVD「歌舞伎名作撰 伽羅先代萩」を鑑賞。

このDVDは「御殿」の場から。歌舞伎の子役は常に甲高い一本調子で台詞を言う。これは、子供に余計な演技させず誰がやってもできる為にわざとそうしているのだと思うが、鶴千代と千松の台詞が続き義太夫に乗って「まま炊き」へと移る舞台は、どうしても見ていると眠くなって、何度もここで挫折していたのであった。

しかし、奥殿に不気味に迫る陰謀を基調低音に、乳母である政岡の鶴千代への忠義と、実の息子千松への情愛を丹念に描いているこの場面はその後に見事に活きる。

政岡の息子千松は主君鶴千代を守ろうと陰謀の毒菓子を自分が食べて残りを蹴散らかす。毒の露見を防ぐ為、陰謀方の八汐は不敬を咎に千松を刺す。政岡を睨みつけながら「これでもかえ」と更に刃を抉ると、断末魔の千松の声が響く。様式的に描かれてはいるが、目の前で実子をなぶり殺しにされるというまさに血も凍るスプラッタ・ホラーの如き設定であり、男勝りの政岡の恐ろしい克己と忠義心、そして母としての内なる慟哭がせめぎ合う場面。歌右衛門は堂々たる風格を持ってこの極限までの相剋を演じている。八汐の十七世勘三郎も圧巻。

「床下」の荒獅子男之助は初世尾上辰之助。仁木弾正は二世尾上松緑だが、これまた威風堂々たる迫力の円熟味あり。「対決」「刃傷」では細川勝元に後の團十郎である海老蔵、渡辺外記左衛門に市村羽左衛門と、大名題が揃った豪華な座組だが、考えてみると、このDVDに出演した主だった役者は、既に全員鬼籍の人だ。しかし実に面白かった。来週の歌舞伎座では、玉三郎の政岡と吉右衛門の仁木弾正を楽しみにしよう。相撲も今度の日曜から始まるので、九月はちょっと忙しいな。

歌舞伎座、八月納涼歌舞伎、第一部、第三部を観た。
土曜日は、まず歌舞伎座八月納涼歌舞伎第一部に。お盆休み初日に第二部だけ行ったのだが、その後大分間が空いてしまった。

20150823114302cca.jpg 201508231143229f5.jpg
20150823114348366.jpg
20150823115631acd.jpg

お年寄りの大看板はお休みで花形中心の公演。勘三郎も三津五郎も居なくなってしまった。歌舞伎座三階の廊下には亡くなった名優の写真が掲示されているのだが、最後の空白を見る度に、天国にあと一席空いてますよと言われてるようで、どうも気になる。

「おちくぼ物語」は平安時代の物語文学を題材に作られた新歌舞伎。継子いじめの歌舞伎版シンデレラ譚だが、平安の優美を背景に、ノンビリとかつ独特の軽妙味があって観やすく面白い。最後もあっけらかんと胸のすくようなカタルシスあり。ただ、七之助は声が枯れてガラガラ。冷房など喉の調子を崩しやすい季節ではあるが大丈夫か。夜の三部の頃にはちょっと戻っていたが。

左近少将を演じる隼人は、二部にちょっとだけ出た時よりはずっと様になっている。体格もよく立派な貴公子。ただ白塗りの高貴な公達というのは、ニンに合えば演技力無くても成立するからなあ。高麗蔵、彌十郎が脇をしっかり固める。

20150823114405e46.jpg

35分の幕間に食堂で「葉月御膳」なるものを食する。

次の演目は「十世坂東三津五郎に捧ぐ」と副題がある「棒しばり」。能狂言を題材にした松羽目仕立ての舞踊劇。三津五郎が度々演じた所縁の演目を息子の巳之助が勘九郎と組んで軽妙に踊る。八月納涼は題目も軽めで時間も短いので気楽に楽しめる。

201508231144295bb.jpg 2015082311445308f.jpg

いったん歌舞伎座を離れてあれこれ用事を済ませ、夕方から再び歌舞伎座に戻って第三部を鑑賞。

最初の演目は、これも「十世坂東三津五郎に捧ぐ」とあるが、舞踊劇「芋掘長者(いもほりちょうじゃ)」。大正期に上演された舞踊劇だが、長く上演が途絶え、三津五郎が復元したもの。

踊りの上手な者を婿取りするという設定。橋之助演じる芋掘藤五郎は姫に恋焦がれるが踊りはやったこともない。巳之助演じる友人の治六郎が面をつけて変わりに舞ってやるという、これも滑稽味のある舞踊劇。連れ舞いのドタバタで正体がバレる所は観客が沸く。最後はハッピーエンドの群舞。踊りの下手な演技から一転、芋掘り踊りは滑稽に楽しく舞うというのはなかなか難しいと思うが、橋之助は手慣れた風に演じている。

「祇園恋づくし(ぎおんこいづくし)」は、古典落語を歌舞伎に仕立てた演目。オリジナルは昭和初期に初演されたが、平成になって藤十郎と勘三郎を主役に当て書きで書き直された脚本を、扇雀と勘九郎が演じる。

元が落語だけあって、京都と江戸の違いを題材にした言い争いや、扇雀の二役を材料にした楽屋落ちや、舞妓好きは「父親の遺伝か」などと言うところなど随所に笑いどころがあって新喜劇のような展開。観客も大いに沸く。

扇雀が二役で肝心なところをしっかりと〆る。竹を割ったようなカラっとした江戸っ子を威勢よく演じる勘九郎は、勘三郎を彷彿とさせて好演。

「もっとゆっくりしていっておくれやす。ぶぶづけでも食べはりますか」と笑顔で勧めながら、裏では箒を逆さに壁に立てかけてある(客が早く帰るおまじない)事を感じさせるのが何とも言えない京都のいけずな所だが、七之助の芸妓染香は、なかなか滑稽に京女の雰囲気を出していた。勘九郎と掛け合う巳之助の軽妙な笑わせどころも印象的。

第一部と第三部を同日に観た訳だが、どちらにも「十世坂東三津五郎に捧ぐ」として「棒しばり」と「芋掘長者」があり、勘九郎と橋之助を相手に迎え、息子の巳之助が健闘。ほとんど出ずっぱりだが、どの演目でも軽妙な役で座を沸かせた。扇雀と彌十郎はベテランの重みで勘所を絞める。普段の座組とは違う納涼歌舞伎独特の気楽な雰囲気を楽しんだ。

歌舞伎座八月納涼歌舞伎 第二部を観た
お盆休み初日午後は、歌舞伎座で八月納涼歌舞伎第二部に。八月は酷暑なので、人間国宝級の大御所はお休み。橋之助や中村屋兄弟の若手主体の興行で三部制となる。

20150809210137e5a.jpg 20150809210217cb7.jpg

去年の八月納涼歌舞伎では、「たぬき」で在りし日の三津五郎が出演していたのだが、あれが見納め。今年の納涼では、第一部と第三部に三津五郎所縁の演目が出されるので、第二部よりもそちらのほうが売れているようだ。

最初の演目は、「ひらかな盛衰記(ひらかなせいすいき)」。「逆艪」の段。

主役の、船頭松右衛門実は樋口次郎兼光を橋之助が演じる。最初に花道七三で立った橋之助は、実に顔が大きく、まさに写楽の大首絵に描かれた役者がそのまま眼前に出てきたかのような感慨あり。あれが役者の血というものなのかねえ。

人形浄瑠璃から移された時代物。橋之助は割とすぐに引っ込んで、彌十郎と扇雀が延々と掛け合いを演じる。これはなかなか立派な演技と思うが、全体に前半のストーリーに起伏が乏しく退屈な感あり。「逆艪」という名前だけあって、船を漕ぐ観客もあちこちに(笑)。 最後は船を漕ぐ櫓を使っての立ち回りとなるのだが、子供の入れ替えと忠義の関係にカタルシスがあまり無いのだよなあ。勘九郎は最後にちょっと出てくるのみ。まあ八月納涼は元々軽い演目が出る傾向あるようだが。

三部制なので二部の幕間は特に食堂の営業無し。歌舞伎座二階の売店は、普通、助六弁当など売ってた記憶あるが、今回見るとパニーニやボックスランチなど、売ってる物が変わっていた。あれは納涼歌舞伎の時だけなのかな。次の演目は舞踊で打ち出し。もう眠くなることなかろうと生ビールを一杯。

「京人形」は、名工、左甚五郎が作った京人形に命が宿るという話。世の東西を問わず、芸術作品に命が宿るという同じ発想はあって、ジャン=レオン・ジェロームの「ピュグマリオンとガラテア」を思い出した。

jrm1508.jpg


七之助は、最初はぎこちない人形の動きだが、女の手鏡を胸元に入れられると突然に太夫が乗り移り、女そのもので妖艶に舞う。最初に箱に入れられている時には微動だにしないし、七之助の身体能力の高さには感嘆した。動きの切り替えが実にコミカルで、勘九郎との息もピッタリ。

京人形の精が箱に戻ると、出てくる姫は勘三郎の部屋子中村鶴松。隼人は、今まで見た事なかったが、まるで素人が歌舞伎の真似をやっているように見える。いつでも普通にあんなレベルなのだろうか。不可思議だなあ。

大工道具を象徴的に使った立ち回りは、ちょっと面白い趣向。30分の小品なので切りまであっという間に終わった。外にでるとまだ明るい夕方。昨日までよりも少し涼しい。これもまた良し。